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総 門
宝暦元年(1758)に再建
されたもので、朱色の門は徳川
家より公家格式十万石を認めら
れた寺院のみが建てることを許
されました。
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三 門
当初の門は総門などと同様に
一度焼失しているので、寛文9
年(1669)に再建されたも
のです。正式には三解脱門と称
します。
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中 雀 門
本堂へ向かう最後の門で当初
は唐破風屋根なのですが、数度
の焼失倒壊を経て、現在の門は
横浜東漸寺より移築されたもの
です。本来なら天寧寺のように
両側の伽藍と回廊で結ばれてい
たものと思われます。
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本 堂(法 堂)
間口11間の大きな伽藍で三
門などと同様に寛文9年の再建
です。右手の庫裏は(昭和の建
物)中庭を囲むように建ってい
るので、左手に座禅堂があれば
整った伽藍配置になるのですが
現在は豊川殿が建っています。
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柚 木 城 址
柚木城は多摩地域から狭山丘
陵にかけてを支配した大石定久
の館でした。本堂裏の山の中腹
に城址の石碑が建っていますが
永林寺の境内は正面以外の三方
を丘陵に囲まれた袋状の谷戸に
なっているので、この境内一帯
が城域だったようです。
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