七 日 市 陣 屋 跡

群馬県富岡市七日市、富岡高校内 




 七日市陣屋は、加賀前田家の分家が一万石の大名としてこの地に陣屋を構え、外様にもかか

わらず明治まで代々続いた陣屋でした。その陣屋は、南側の高校のある辺りから北は上信電鉄

線の北西側まであったのですが、現在は陣屋跡の真中を国道が通っていて、遺構が残るのは主

として富岡高校の敷地内になるようです。校内には陣屋の正殿と黒門と呼ばれる城門が現存し

ていますが、陣屋の正殿が現存しているのは関東では七日市だけだと思います。高校の東北の

角には土塁が残り、南隣の城門の脇に城壁も復元されて陣屋の面影を残しています。関東での

陣屋は、ほとんどが大名屋敷とか藩邸のような平城なので、遺構や縄張りが残る陣屋跡は少な

いのですが、七日市陣屋跡は建物や遺構の残る貴重な陣屋城址と思います。



    御殿山櫓台


 富岡高校の北東の隅にありま

すが、右手に見える国道よって

櫓台の北側は削られてしまって

います。さらに東西に伸びてい

た土塁も国道によって削られて

しまったようです。この右手奥

に高校の正門があり、見学の人

も自由に入れるようです。






    土塁南側の黒門


 陣屋の中門だった門で、今は

高校の東門として使われていま

す。両側に城壁風の白壁が再建

されていますが、本来は土塁が

築かれていて、その上にこのよ

うな城壁がありました。







    七日市陣屋正殿


 陣屋御殿の一部だった建物で

天保14年(1843)に再建され

ました。この正殿と黒門のある

一角は日本庭園風に整備されて

いて、今でも大名庭園の雰囲気

が感じられます。







    陣屋御殿内部


 御殿は普段は閉められている

のですが、この日は学校行事の

準備があるとの事で開け放され

ていて、運良く建物内部の見学

も出来ました。天井の高い大広

間となっていて大名御殿の様子

を今に伝えています。





   外堀と思われる池


 この池は高校の北にある保阪

医院(注1)の東隣りの細長い

池で、この辺りは陣屋の外堀の

あった場所と思われます。その

細長い形からも陣屋の外堀遺構

と考えられるのですが、現地に

もWEB上でも城址遺構とする

説明はないようです。





   移築された大手門


 かつて姫街道と呼ばれた国道

254号線を下仁田方面に行く

と、道の駅から1km程の左手

に民家の門として堂々とした姿

を見せています。さらに屋根瓦

には七日市前田家の家紋である

星梅鉢が並んでいます。


注1・・・

 保阪家は七日市藩の家老の家柄で、今でも立派な長屋門が残されています。また国道の南側

 にも同じく家老職を務めた保阪家があり、それぞれ保阪家長屋門保阪家屋敷門として別章

 で紹介してますので、合わせてご覧下さい。





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