「見よ、あの彗星を」
ノルマン征服記

第15章 大彗星出現(その4)



ハロルド王は主力軍団を、イングランド南部の領地ウェセックスに移
動させた。
さらに、領内に残していた精鋭の家臣や配下の農民たちを徴兵した。

ドーバーやサンドウィッチなどの5大港は、当時サンク・ポートと呼ば
れ、平素は課税の減免などの特典を与えられていた。それは、国家
に一旦緩急ある時は、直ちに軍船や船員を水軍として供出する黙約
があったからである。
ハロルド王は、領内の各港町に号令を発して、水軍を組織した。
弟のトスティ伯に急襲されていなければ、もっと強力な水軍ができて
いたであろうが、今は悔やんではおれなかった。
ハロルド王は、その水軍をワイト島に集結させた。これでウィリアム公
の輸送船団を仰撃する体制がととのった。

こうして、5月から8月までの4ヶ月間、主力軍団を南部に駐屯させ、
最も強敵と目されるウィリアム公のノルマンディからの上陸作戦に、
万全の対抗策をとった。

「ウィリアム公は、いつ、どこに上陸して来るであろうか」
海岸線には、岬という岬、港という港に、夜となく昼となく、厳重な見張
りが配置されていた。

もし、――過ぎ去った歴史を回顧して、もしということは、あまり意味が
ないが――
もしこの時期にウィリアム公が上陸作戦を強行していたら、果たしてノ
ルマンの征服は成立していたかどうか疑問である。水際での攻防戦
を考慮すると、むしろ否定的な結論になるのではあるまいか。

しかし、ハロルド王の厳戒体制にもかかわらず、何事もなく日々が過
ぎていった。
いつ襲われるかもしれないと、絶えず神経を張り巡らせているために、
王も、将兵も、領民も、心理的に疲れてきた。
まるで、目に見えぬ亡霊と毎日対決しているようであった。




夏は盛りであった。イングランドの夏は素晴らしく美しい。海も空も、た
だ青かった。
農作物が稔り、9月10月の収穫期が近付いていた。農村は、猫の手
も借りたいくらい忙しくうなる。
「ウィリアム公は、何故、気候のよい春から夏に侵攻して来なかったの
であろうか。
ひょっとしたら、来年に延ばすのか」
ノルマンディにまで十分な情報網を持っていないハロルド王は、自ら
推論し、決定しなければならなかった。

9月8日――。
この日ハロルド王は、「不可解な決断」としてノルマン征服戦史に残る
命令を発している。
彼は領内の郷士、農民兵を一旦家に帰した。収穫期に入ったからで
ある。
各陣営に備蓄していた食糧も底をつきそうになっていた。そして農民
たちは、9月8日の聖母マリア誕生祭を、家で祝いたいと望んでいた。

非常時には、将として非情であらねばならなかったが、ここに王の性
格的な一抹の甘さがあった。




ハロルド王は、ウィリアム公よりも、北からのヴァイキングの侵攻が早
いと考えて、水軍をワイト島からロンドンに移動するように命じた。

この点、流石にハロルド王は名将である。読みとしては正鵠を得てい
たが、運に恵まれていなかった。
水軍は、テームズ河口を目の前にして、ドーバー海峡で突風に遭い、
多くの船が行方不明になった。移動作戦は失敗し、折角育てあげた
水軍を戦わずして失った。

ハロルド王は、務めて平静を装っていたが、その心はひどく揺らいで
いた。
王の胸の中では、ウェールズ王グリューフィドの呪いの嵐が、またま
たかれの軍船を襲ったような気がしてならなかった。




9月12日――。
ウィリアム公は、全軍に乗船を命じた。

大船団を、海岸沿いに、ディブ河の河口から少し北の港、サン・バレリ
ーへひとまず移動させた。イングランド南部へ攻め入るには最短のコ
ースであった。

英国海峡を渡る時に、無用の損失を出さぬようにと、慎重に南からの
風を待った。
ハロルド王の動静は、ウォルター指揮下の間諜組織を通して、刻一刻、
ノルマンディのウィリアム公の許に伝えられてきた。



イングランド随一の名門ゴッドウィン家は、ハロルドとトスティの兄弟が
割れていた。
トスティ卿はフランダースやスコットランドで募兵していると聞いて、ウィ
リアム公は内心少なからずほくそえんだ。

「ウォルターよ、ゴッドウィン家には、もはや昔日の力はないな」
「ハイ。ハロルド王も何かと大変なようです」
二人は顔を見合わせて、ニッと笑った。



イングランド侵攻準備を進めている間に、かねての手筈の通り、ロー
マ教皇に親書を送っていた。
団長には法律問題に詳しいジルベール・リシュー副司教を選び、団員
にはランフランク師をはじめ、クリュニー運動を推進している気鋭の聖
職者が選ばれた。
イングランド侵攻に異議を唱えられぬよう、慎重な外交の根回しであ
った。
事実、枢機卿の中には、ウィリアム公が私生児であることや、5親等
のマチルダ姫と結婚していることに、依然として不満を持っている者も
いた。

ウィリアム公にとって力となったのは、ランフランク師であった。彼は友
人ヒルデブランド枢機卿を訪れて、協力を依頼した。


ラテラノ市で開催された枢機卿会議で、ヒルデブランド卿は熱弁をふ
るった。

「確かにウィリアム公は私生児である。しかしその父ロバート公は、そ
のことを神に悔い、聖地エルサレム巡礼を行い、神に召されている。
ウィリアム公には出生の罪はない。
マチルダ姫との婚姻には、罪深きを知り、教皇庁に約束通り二つの
修道院を寄進し、愛娘を尼僧にした。彼は教皇に忠実である。
今、彼が攻めんとするイングランドを見よ。われら教会刷新運動の良
き理解者であったエドワード懺悔王を継承したハロルドは、悪僧ステ
ィガンドを重用しているではないか。
教皇より破門されているスティガンドが、カンタベリー大司教に就任し
ていること自体、正されねばならぬ。
ハロルドの父ゴッドウィン伯の悪行を見よ。彼は懺悔王の兄アルフレ
ッド王子を謀殺したではないか。
罪の子ハロルドは、かって、その命をウィリアム公に救われ、神の御
名に於いて、イングランドの王位継承権がウィリアム公にあることを
聖骨と神殿に誓いながら、王位を簒奪しているではないか。
ハロルドを王と認め、スティガンドを大司教として放置しておくことはで
きぬ。
ウィリアム公の戦いは、われらローマ教皇庁を挙げて支援すべきもの
と考える。
ウィリアム公が、イングランド王位継承の伺いを立ててきたことは、ま
ことに殊勝である。彼に、聖ペトロの旗幟を授与すべきであろう」



ヒルデブランド枢機卿――。
当時は教皇庁の財務を担当していたが、後に教皇グレゴリー7世とな
って、神聖ローマ皇帝であったドイツ皇帝ハインリッヒ4世を雪の中に
立たせた「カノッサの屈辱」で有名である。歴代教皇の中でも偉大な一
人とされている。
教会の刷新、なかでも皇帝や諸侯による司教司祭の叙任権の問題で、
ヒルデブランド枢機卿は、当時のドイツ皇帝やフランス王に不満を持っ
ていた。
彼は教会に忠実な新興の勢力を求めていた。ノルマンディ公ウィリア
ムこそ、教皇庁でも必要と考えていた。
実権者ヒルデブランド枢機卿の意見に反対のあろう筈はなかった。

教皇アレキサンダー2世は、その旧師ランフランク院長より意を通じて
あった。
かくして聖ペトロの髪の毛を収めたダイヤの指輪と、聖ペトロの旗幟が
授与された。
ウィリアム公にとっては、願ってもない錦の御旗であった。
これでイングランド征服は「聖戦」となった。


その間ウィリアム公と配下の部将たちは、毎日天を仰ぎ、風の変わる
日を待っていた。
風は、相変わらず北からの逆風であった。
流石に陽気なウィリアム公の軍勢も、いささか待ちくたびれて、厭いて
いた。いらいらして、小さな諍いがあちこちで起きはじめていた。
風見鶏は、しかし、まだ真北を指していた。

だが、ウィリアム公に、耳よりな情報が入った。



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