「見よ、あの彗星を」
ノルマン征服記

第15章 大彗星出現(その2)


新婚のハロルド王は、いつまでもヨークに滞在できなかった。
ノーザンブリアの領主を罷免された弟のトスティ卿が、南のワイト島や
サンドウィチ地方で一味を募り、軍資金を集めているとの情報が届い
たからである。
トスティ卿は、徴兵や募金に応じない港町には放火し、船を焼いて回
っていた。

ウィリアム公の渡洋作戦に対抗するために、イングランド海峡に面す
る港町の警備を手厚くしようと計画していたハロルド王にとっては、先
手のジャブを打たれた格好となった。
4月早々、王妃アルドギーサを伴って、ウェストミンスター宮殿に帰っ
てきた。
「ハロルド軍団はヨーク進発、南下中」
との情報に、トスティ卿は慌てて船を出し、スコットランド王マルコム三
世の許へと向かった。



こうして、イングランド国内は、年末から年初にかけて、何となく落着か
ない日々が続いていた。

人々の動きがどうあろうとも、大自然は造物主の摂理に従い、四季折
々の変化を齎す。
イングランドの春の訪れは、クロッカスの花が告げる。
緯度は北樺太とはほぼ同じ位置にある。メキシコ湾流のため気候温
和とはいえ、やはり冬の寒さは厳しい。雪嵐は吹かずとも、寒気は深
々として、人々は、「冬来りなば、春遠からじ」と、クロッカスの芽が、力
強く土を破り、花を咲かせる日を待ちわびる。
その純白や、濃紫の花が、野原や庭にいっせいに咲くと、あたかも合
図を待っていたかのように、水仙、チュリップなどの花々が一気呵成
に続いて、復活祭(イースター)に華やかな色どりを添える。



復活祭は、キリストの復活を祝福する祭典である。春分の日から最初
の満月の後に来る日曜日と定められている。この年は、4月16日で
あった。
それは、北国の人々にとつて、春の訪れを喜ぶ祭でもある。
イングランドの国民は、敬虔な信者であった故エドワード懺悔王の冥
福を祈り、国家の安康を願って、復活祭を祝福した。

ところが、その直後の4月24日月曜日の夜空に、不思歳な現象が現
われた。

「見よ!あの彗星を!」

「まるで、星の化け物だ!」
長い尾を曳く不気味な大彗星が、突然、夜空に出現したではないか。
輝きは、この世のものとも思えないほど美しく大きかった。
いや、余りにも大きな彗星である。人々は吃驚仰天した。
「箒(ほうき)星というそうな」
「妖しい星だなあ」
「たしかに薄気味悪い。何か、また不吉なことが起こらねばよいが」
人々は、天を仰いではひそひそと語り合った。
妖しく美しい星は、15日間輝きつづけた。





この時夜空に出現したのは、ハレー大彗星である。
ハレー大彗星は、イギリスの天文学者E・ハレーが、1705年にその
存在を発見し、1758年に出現することを予言した。

1758年もまさに暮れんとするクリスマスの夜、大彗星は、燦然と光
芒を曳いて、人々の目の前に姿を現わした。
彼の予言は、神の告知の如く適中した。聖祭の夜に出現したことは劇
的であった。
不思議な星である。神秘の彗星である。
ハレーが計算した通り、この大彗星は76.03年の周期をもって太陽
を一周する。
最近では、1910年と1986年(昭和61年)に現われている。今でこ
そその成因が判っているが、1910年の時ですら、地球に衝突する
のではないかと騒いだ人達もいたほどである。

1066年の当時は、イングランドの国民の殆どが、この不気味な大彗
星を見るのは、生れて初めての経験であった。国をあげて、恐れおの
のいた。
ハロルド王は、直ちに占星術師を宮廷に呼びつけた。
「この不思議な星は、どうして出現したのだ。どう云う意味を持ってい
るのだ。すぐ占ってみよ」
年老いた漂浪者の占星術師は、顔を硬ばらせていた。

「どうしたのだ。どのような卦でもよい。正直に、ありのままを申せ」
占星術師は、ごくりと唾を飲みこみ、王に奏上した。
「ハロルド王、それではお言葉により慎んで申し上げます。
王にとりまして、好ましくない卦が出ております。剣難の相が重なり
あっております。
どうか身辺の警戒を厳重に、国の軍備は厚くされた方がよろしかろ
うと思います」
占星術師ならずとも、北からは、ノルウェー王ハラルド・ハードラダ、
南からはノルマンディ公ウィリアムが、虎視眈々と侵略の機会を窺
っていることは、誰もが知っていた。
この星の不気味さにかこつけて、警告を発することは、素人にもで
きた。

占星術師の老人のみは、はっきりと凶運を見透かしていたが、彼は
それ以上述べなかった。



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