「見よ、あの彗星を」
ノルマン征服記

第15章 大彗星出現(その1)


ハロルド伯のイングランド王位戴冠を巡って、ノルマンディ公ウィリア
ムと、ノルウェーのハラルド・ハードラダ苛烈王の二人が異議を強く主
張した。
王位返還を請求したウィリアム公の使者に対し、ハロルド王は冷やや
かに答えた。

「成る程、余は2年前家臣と魚釣りに出掛けたことがある。帰港するま
での間、公職を離れ、ノルマンディで狩りや戦を楽しんだ。それはイン
グランド宰相としてではなく、私人ハロルド・ゴッドウィンサンだ。宰相と
してのハロルドは国民や賢人会議の承認無しには国外旅行に出てい
ない。
ましてやイングランド王位をウィリアム公が継ぐことを承認したり、余が
王位継承権放棄を誓約するなど、公務中でない宰相にできるわけが
ない。
あの時のハロルドは一太公望にすぎないとウィリアム公に伝えられよ」

「小賢しい回答よ、のうウォルター。この回答をノルマンディ全土に流
せ。ハロルド二枚舌に、余の家臣たちはカッカッとなるだろう。そこが
こちらの付け目よ」

両雄のの駆け引きは熾烈であった。

こうした厚かましい王位継承権主張者の中にあって、エドガー・ザ・エ
セリング王子
は、母や姉のマーガレット姫らと親戚に身を寄せひっそりとしていた。
王子は、アングロサクソンの英雄アルフレッド大王の直系エドマンド剛
勇王(アイアンサイド)の孫であった。
エドマンド剛勇王は在位7ヶ月で滅ぼされたが、エドワード懺悔王か
ら見れば、正統の異母兄であるから、エドガー王子は「甥の子」になる。
(第1章ヴァイキング跳梁を参照ください。)

血統の点では王位を継承する最適任者であったが、実験者ハロルド
伯に楯ついてまで正論を吐いて、この流浪の王子を擁立する者はい
なかった。



ハロルド新王即位後もイングランド中部・北部は反抗的で、内政不安
定であった。
トスティ伯が解任された後のノーザンブリア地方の領主には、中部の
大領主エドウィン伯の弟モルカール伯が任命されていた。
もともとイングランド南部を領有するゴッドウィン家と、中部・北部に勢
力を持つエドウィン伯・モルカール伯兄弟とは、何かにつけて拮抗す
る二大勢力であった。
ハロルド伯は王に即位するや、2月に麾下の軍団を率いヨークに進駐
した。

ヨークはウーズ川とフォス川の合流点に位置し、紀元前千年の昔から
ヨーク平野の要地として開けていた。
ウーズ川はさらに下ってハンバー河に注ぎ、ハンバー河は北海に流
れ込んでいる。
そのため古代から船運が開けていた。

西暦43年、古代ローマ帝国がブリテン島を支配した時、ヨークに大規
模な軍団司令部を設営し、街を城壁で囲み、北辺の防衛上の要地と
した。
ローマ軍団が一斉に故国に引き揚げた後、この遺構を利用して、ヨー
ク大寺院が建立された。ヨーク大寺院は、南のカンタベリー大寺院に
対する北の大司教管区の本山であった。ヨーク大寺院のアルドレッド
大司教は温厚で、ハロルド新王を歓迎した。



ノーザンブリアの領主モルカール伯は新王を歓迎の宴に招待した。
モルカール伯の館を訪れたハロルド王に、伯は一人の美しい姫を紹
介した。
憂いを帯びた眼差しと、臈長けた女性としての艶、すらりとした肢体は、
逞しい新王の心を魅了した。
「私の妹アルドギーサでございます」
彼女は優雅な物腰で王に挨拶した。
「それでは、お手前がウェールズの故グリューフィド王の妃であられた
のか・・・」
「はい」
憂いの翳りがさらに深まったように思われた。王はしっかりと抱きしめ
たい衝動に駆られた。
「武家の慣いとはいえ、そなたには気の毒なことをした。さぞかし余を
恨んでいよう」
「全て神の定める運命ゆえ致し方ありませぬ」
と、モルカール伯が代わって答えた。


その日以来、ハロルド王の脳裏からアルドギーサ妃の姿が離れなくな
った。
彼は口実を作ってはモルカール伯の館を訪れた。また二人を自分の
宿舎に招待した。
ハロルド王には20年連れ添った側妾の美女「白鳥のエディス」がいた
が、まだ正式の后がいなかった。王はモルカール伯にアルドギーサ妃
との結婚を申し入れた。
未亡人アルドギーサの美貌の魅力と、贖罪の気持ち、それに政策的
な計算もあった。
しかし不思議な縁でもあった。

結婚の式典は、アルドレッド大司教の司式の下に、ヨーク大寺院でと
り進められた。
久しぶりの華やかな挙式を見ようと、ヨークの街は領民で賑わった。
運命の波に身を任せたようなアルドギーサ妃の端正な顔には、憂い
の翳りは消えていなかった。

この結婚によって、ヨークの市民たちはウェセックスのハロルド軍団を、
刺々しい目で眺めなくなった。
ノーザンブリア地方でのハロルド新王の治世は、一応安定したものと
なった。



この情報も海峡を渡った。
ウィリアム公は、愛娘アガサ姫との婚約をも無視された無念さに怒り
狂った。
「ハロルドの二枚舌め!今に覚えておれ!このウィリアムをコケ(痴者)
にしよって!」
彼は拳を振りかざしてわめいた。



第15章大彗星出現(その2)

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