「見よ、あの彗星を」
ノルマン征服記

第12章 兄弟不和



再び目をイングランド国内に向けてみよう。

イングランド王国ではゴッドウィン家の黄金時代が続いていた。
エドワード懺悔王の妃はハロルド伯の姉であるから伯は王の義弟で
ある。
ロンドン周辺はハロルドの弟レオフィネ伯領
イーストアングリア(東部)は弟ギルス伯領
ウェセックス(南部)はハロルド伯領
ノーザンブリア(北部)はハロルドの弟トスティ伯領
であった。

マーシャ(中部)のみは北の豪族エドウィン伯領となっていた。




ノーザンブリアの領主に任命されたトスティ伯は、喜び勇んで一族郎
党を率い赴任した。
辺境の統治はいつの世も厳しい。激しい気性のトスティ伯は、夜盗や
無法者の闊歩を許さなかった。領民は当初はトスティ伯を歓迎した。

スコットランドとの国境は古代ローマ帝国の時代に構築されたハドリ
アン・ウォール(ハドリアヌス帝の防壁)である。
トスティは国境の守備を厚くした。が、常時多数の兵をこの長城に張
り付けるわけにはいかない。

トスティは以前エドワード懺悔王の宮廷で庇護を受けていたスコット
ランドのマルコム王子と知己であった。
そのマルコムは、父ダンカン王を殺害し17年間スコットランドの王位
にあったマクベス王を倒し、マルコム3世となっていた。

トスティ伯はマルコム3世の居城スコットランドに赴き、義兄弟の友好
同盟を結んだ。
両者とも内政に力を注ぐ必要があった。




統治が順調にいくとトスティ伯は自信過剰になった。
領民に法の遵守を求め、租税を規定どおり徴収し、領民から深く怨ま
れるようになった。

懺悔王の寵を一身に集めたことも禍となった。エドワード王はハロルド
伯を嫌った反動から、しばしばトスティをロンドンに呼び寄せ、人事相
談や余暇の相手をさせた。
トスティ伯はやむをえず領地を離れ、家老のコプシプに統治を任せた。


1065年の秋、病気がちだったエドワード王の気分が、どうにか平常
に戻っていた。
トスティ伯は気晴らしに王を狩りにに誘った。秋色爽やかなハンプシ
ャーの森で、一行は心行くまで狩猟を楽しんでいた。

そこえ早馬を飛ばして駆け込んで来た男がいた。
汗と泥にまみれ、髪も衣服も乱れていた。
「殿、大変です。領地に暴動が勃発しました」
「何と申した、コプシプ」

「ノーザンブリアの地方郷士どもが集結、気勢をあげています。
隣国マーシャのエドウィン伯の弟、モルカール卿をノーザンブリアの領
主にと要求、兄弟の軍は合流し、エドワード王に直訴すべく南下中で
す」

脱出に成功したコプシプは、馬を乗り継ぎ急変を知らせてきたのであ
った。




エドワード王は直ちにロンドンへ帰り、暴動鎮圧のためにハロルド伯
の率いる近衛軍団を北進させた。ハロルド伯はオックスフォードでモ
ルカール卿と会談した。

「ハロルド伯殿、トスティ伯は領民より税を厳しく取り立て、違反者を
必要以上に極刑に処罰しています。ノーザンブリアに平和を齎すに
は、トスティ伯に退任していただくほかはありません」

モルカール卿や郷士たちの心の底には、南部ウェセックスの人間に
支配されている北の人間の感情的な反発が流れていた。

ロンドンに引き返したハロルドは、王に
「反乱はマーシャ伯が支援しています。このまま放置すれば、国を二
分する泥沼の内戦になります。イングランド平和に治めようとの思召
しであれば、わが弟ながらトスティを一時国外追放するより解決策は
ありません」

「余はトスティが好きじゃ。それほどしなくともよいではないか」
「国家を安泰に保つには、肉親の情を切り、是を是、非を非として筋
を通さねばなりません」
「やむをえぬか。よきようにはからえ」

かくして、トスティ卿と妻子郎党は国外追放と決まった。




トスティ卿の妻ジュディスは、フランダース地方の領主ボールドウィン
辺境伯の妹であったから、その縁を頼りに海を渡っていった。
1065年11月のドーバー海峡には、厚く暗い雲が垂れ込め、海面に
は白波が荒れていた。
船尾に立って、離れ行くドーバーの白い崖をキッと睨むトスティ卿の
胸中もまた荒れていた
「兄上ハロルドはエドウィン・モルカール兄弟の言を容れ、私を追放
した。
兄上はかくも私を軽視し、嫌っているのか。この恨みはきっと晴らして
やるぞ」




フランダースに身を落ち着けた後も、日夜兄ハロルド伯に対する復讐
計画の立案に明け暮れた。
トスティ卿の手許には僅かの家臣しかいない。とてもハロルド伯の強
力な家中戦士を中心とする歩兵軍団と一戦を交わせる手勢ではない。
誰を口説いてイングランド逆侵略を果たすか。

義兄弟の契りを結んだスコットランド王マルコム3世は、イングランド南
部まで攻め下る実力はない。

ハロルド伯に対抗できそうな実力者はノルマンディ公ウィリアムだとコ
プシプを使者に送った。

「もしウィリアム公のイングランド支配が成就した暁には、それがしを臣
下筆頭に」
との条件をつけた。

ウィリアム公は甘くなかった。
「余と同様に名門ボールドウィン家の姫を妻にしているとはいえ、今は
家臣もほとんどいない亡命者ではないか。ましてや苦楽をともにしてき
たわが旗本騎士諸侯をさしおき、臣下筆頭にとは無神経な奴だな、ウ
ォルター」
「同感です。ここは無視が良策」

「コプシプ殿、折角の申し出ながら、ご兄弟の諍いのお手伝いをする
つもりはない」
ウィリアム公の言葉は冷ややかであった。

「最もうまく提携できそうな相手は誰であろうか、コプシプ」
「デンマーク王スウェイン・エストリスサンはいかがでしょうか、殿と従兄
弟でございます上・・」
「そうだな彼はカヌート大王の血を引いているから、王位継承権がある。
エドワード懺悔王は病気がちだから早く準備しよう」

盟約の相手がヴァイキングのデーン王朝の系譜であろうと、トスティに
とっては兄ハロルド伯へ復讐できればよかった。
短気な彼は早速コプシプを供にデンマーク目指した。



第13章 問題の戴冠

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