「見よ、あの彗星を」
ノルマン征服記

第13章 問題の戴冠


トスティ卿が国外に追放されて間もなく、12月となった。

エドワード懺悔王が心をこめて建立してきた聖ペテロに奉献する大聖
堂ウェストミンスター大寺院がほぼ完成した。
ノルマン建築の粋を集めた石造りの方形の塔と切妻の大屋根がテム
ズ河に写った姿は、まさに一幅の名画であった。

12月25日クリスマスの祝日が奉献式の日に決められた。
アングロサクソン王国を支える重臣たちや地方貴族諸侯、大寺院の司
教や修道院長などがロンドンに集まってきた。

しかしエドワード懺悔王は式典のあと高熱を出し、病状は悪化してい
た。

年が明け1066年1月5日、エドワード王の容態は危篤状態となった。
臨終の席にエディス王妃やスティガンド大司教、ハロルド伯などの重
臣が駆けつけた。

王の脳裏には、戦火に怯えノルマンディに亡命した少年時代や、修道
院の厳
しい戒律に明け暮れた日々、冷たかった生母エマ、尊大だったゴッドウ
ィン
伯や暗殺された実兄アルフレッド王子の顔が去来し、意識は混濁して
いった。
王がフッと目を開け、虚空を見つめた。
「ああ、不吉な時代がだんだん近づいてくる。戦乱が起きねばよいが・・」




病床の周りの人々の心を見透かしたような発言に、重臣たちはざわつ
いた。
だが一人スティガンド大司教だけは冷ややかな計算をしていた。

若き日はカヌート大王の顧問として仕え、今はローマ教皇から破門さ
れたとはいえカンタベリー大寺院の大司教として、イングランド宗教界
に君臨する権勢欲の権化であった。

「高熱で半ば正気を失っておられる。ご臨終は近い。早く・・」
とハロルド伯を促した。
「王、何かご遺言は?」
王が腕をわずかに動かした。スティガンド大司教がすかさずその腕を
支え、とっさにハロルドに向けた。
「エディスとイングランド王国を頼む・・・」

この瞬間、スティガンド大司教が張りのある声で叫んだ。
「王はハロルド伯を後継者に指名され、ご臨終されたアーメン」

翌1月6日、王の遺骸は聖ペテロ大聖堂ウェストミンスター大寺院に
埋葬された。
スティガンド大司教は賢人会議を招集し、ハロルド伯を新しく王に推
戴すると決めた。
かくしてゴッドウィン家の統帥ハロルド伯がイングランド王となった。



この情報はフルバート配下の間諜の手によって、即刻ドーバー海峡
を渡りウィリアム公の側臣ウォルターの手許に届けられた。

その時ノルマンディ公ウィリアムは、バイユー城の大広間に重臣を集
め晩餐を摂っていた。
貴賓席(ハイテーブル)には異父弟オド大司教やロバート卿、フィッツ・
オズバーン親衛隊長、ビューモント伯、モンゴメリー伯などが着席し、
平土間では騎士たちが、昼間の狩りの自慢話をしていた。

そこえ側臣ウォルターが静かに入ってきて、ウィリアム公に囁いた。



「何、ハロルドがイングランド王に即位しただと!」
大広間は一瞬にして静まり、ピンと張り詰めた空気がみなぎった。

「エドワード王とハロルドの嘘つきめが!一昨年の夏、ハロルドはこの
城中で何と誓ったか!かくなる上は、神の御名において正義の証を立
てるため、力で王冠をもぎ取らねばならぬ。イングランド進攻だ!出陣
用意!」
「ウォッ!」
「イングランドを奪ったら、領地を与えよう。恩賞は召集できる兵士の数
と供出する船の隻数、それに戦場の働きぶりで決めよう。どうだ!」
「オゥッ!やるぞ!」
酔いも醒めた騎士たちは、一斉に領地に向かって馬を走らせた。

しかし一方では必ずしも積極的でない諸侯も多かった。イングランド征
服といってもウィリアム公の王位欲しさではないかと言う声もあった。
海峡を渡る戦いである。海は陸地のような敗走を拒絶する厳しさがあ
る。

冷静な諸侯や騎士は逡巡していた。
この気配を察し、精力的に諸侯を説得してまわった忠臣がいる。
親衛隊長フィッツ・オズバーン卿である。立案は策士ウォルターであ
った。

オズバーン卿は大貴族はもとより田舎郷士まで訪れた後、ウィリアム
公に、ノルマンディ貴族騎士大会議の開催を進言した。

ノルマンディの歴史始まって以来の騎士会議が、セーヌ河口リルボー
ヌで開催された。オズバーンの熱弁で、大会議は全員一致参戦を決
議した。

イングランド進攻はノルマン騎士団の合意による挙国一致の領土拡大
戦争となった。王位はその侵攻の戦果にすぎない。騎士たちは興奮し
ていた。




ウィリアム公は流石に一流の戦略家であった。
イングランド進攻という一大国家事業を進めるには、相当に戦略作戦
を冷静に練らねばならないと考えた。

腹心の部下をトーク河畔ボンヌヴィルの町に召集した。
「今回の侵攻作戦には一つの失敗も許されない。戦場は海の彼方だ。
まず戦略から腹蔵なく検討したい。何でもよい。気が付いたことを述べ
よ」
同腹の三兄弟と重臣たちは、時の経つのを忘れ作戦計画を話し合い、
ウォルターがまとめた。




その結果次のことが決められた。
作戦1 イングランド進攻の大義を天下に周知徹底させる。

ハロルド伯に対し、1064年の誓約に基ずき王位をウィリアム
公に譲渡するよう申し入れる。拒否するであろうから、ハロルド
は神への誓約を反古にした王位継承権のない、忘恩背信の輩
として大々的に宣伝する。
作戦2 ローマ教皇アレキサンダー2世の支援を取り付ける。

ハロルドの戴冠を取り仕切ったスティガンド大司教は、アレキサ
ンダーとローマ教皇の座を争って敗れ、破門されていたホノリウ
ス3世一派であった。
したがってスティガンド大司教を庇護してきたゴッドウィン一族の
ハロルドの戴冠は、ローマ教皇にとっても認めがたかった。
ハロルド征討のの勅許と旗幟(のぼり)を入手できれば、聖戦と
なり、戦意があがる。
教皇庁との折衝は、ル・ベック修道院長ランフランク師が引き受
けた。
作戦3 イングランド海峡渡航のため軍馬の輸送船を建造する。

多数の軍馬を率いての渡航作戦は初めての経験である。大部
隊のための大型輸送船が必要である。今のノルマンディにはそ
の船舶はない。至急建造に取り掛からねばならない。
風も重要である。
船の建造期間と風の関係で進攻は晩夏から初秋と決めた
作戦4 上陸地点を慎重に選ぶ。

上陸の際一兵も失いたくない。沿岸警備の手薄な、上陸地点を
ウォルター配下の間諜が調査することにした。


作戦5 上陸後の戦闘展開は歩兵でなく槍騎兵軍団とする。

「ハロルド伯指揮下のアングロサクソン歩兵軍団を相手に、広
大な敵の平原を駆け巡って戦うには騎兵それも槍騎兵軍団し
かない。
至急軍馬を集め、騎士ではなく槍騎兵軍団に育てよ。鎖鎧で完
全武装を」
作戦6 イングランドの半弓に対し長弓隊を編成する。

いかに徴兵したところで兵員数ではイングランド全軍に及ばない。
劣勢を弓でそれも命中精度より威嚇の長弓でいこう。


作戦7 上陸後の兵営としてプレハブの砦を持参する。

強兵を揃えているハロルド軍団の反攻や夜襲から身を護るには
砦や柵がいるが、敵地に上陸して堅固な兵営を築く余裕はない。
ウォルターから奇想天外な構想が提案された。
兵士でも組み立てられる携帯の砦であった。
重臣たちは計画の策定に燃えていたが、ウィリアム公は醒めていた。




ウォルターは父フルバートの組織を総動員し、優秀な軍馬と馬丁を集
めた。
フルバートの見えざる手は国内のみか遠く海外にも及び、南スペイン
のバレンシャ地方からも名馬が集められた。
北スペインのカスティリアのアルフォンス王からは餞として駿馬が贈ら
れてきた。

ノルマンディの山野には騎乗訓練の兵馬が駆け巡り、長弓の弦の音
が響いた。

港町では船大工たちが巨木を削り竜骨を作り、帆柱を立てていた。
活気が、陽気が領内に溢れていた。

ウィリアム公はルーアン城の物見櫓に立って、西の方を眺めながら、
「天の時、地の利、人の和か」
と、呟いた。



第14章 北海の巨王 (その1)

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