「見よ、あの彗星を」
ノルマン征服記

第3部(転の巻) 四海騒然


ノルマン・コンクェストの壮大なドラマもいよいよ中盤にはいってきた。
イングランド王の地位を狙っていたのはゴッドウィン家のハロルド伯や
ノルマンディ公ウィリアムだけではなく、北海のヴァイキング王たちも
虎視眈々と侵略の機を窺っていた。

第10章から第15章までを第3部(転の巻)として、1060年から10
65年にかけての、群雄たちの波瀾万丈の動きを概説したい。


第10章 ウェールズ悲話



ウィリアム公がノルマンディの領内統治に専念していた頃、イングラン
ドでは実権を握ったハロルド伯が精力的な活動をしていた。しかし敵
は多かった。国内だけでなく隣国ウェールズにも目が離せなかった。

アングロサクソン民族に圧倒され、ウェールズの山中に逃げ込んだケ
ルトの人々は、深い山と峡谷に多くの砦を築き、イングランドの国境で
あるマーシャやウェセックス地方を襲っていた。

アングロサクソン7王国時代のマーシャの名君オファ王が築いた防塁
は「オファズ・ダイク」と呼ばれ、国境となっていた。
ウェールズは長い間南北の王家に分かれていたが、剛勇の南ウェー
ルズ王グリューフィド・アプ・リューウェリンが1039年に北ウェールズ
を制し、統一を果たした。

脅威を感じたマーシャの領主エドウィン伯は早速自分緒の妹アルドギ
ーサ姫をグリューフィド王に嫁かせた。
この婚姻の情報はウェセックスの領主ハロルド伯に大きな衝撃を与え
た。

これまでの間マーシャの大領主エドウィン伯はゴッドウィン家兄弟とウェ
ールズに包囲されていたが、ウェールズ王との姻戚関係の成立で、ゴッ
ドウィン家に強烈な楔を打ち込んだ形となった。



しかしながら軍略家ハロルド伯の決断は鮮やかであった。
1063年夏、弟トスティ伯と連合軍を組み、自ら総指揮官となって、「オ
ファ王の防塁」を越えてウェールズに攻め入った。
当時ハロルド伯の軍団はイングランド最強の精兵であった。

中核となっていたのは「家中戦士(ハウスカール)」と呼ばれる騎乗歩兵
であった。
城や館に住み込み、領土や領民を持っていない職業兵士である。大戦
争の時には下士官となって、馬を降り、農民兵を指揮し、歩兵として戦っ
た。

ハロルド伯はウェールズ全土をくまなく攻め尽くした。戦勝の地には
「ハロルドこの地に戦勝す」(HIC FUIT VICTOR HAROLDUS)と彫った
石碑を建てさせた。

この進撃と殺戮が激しかったため、後にウェールズには大きな反乱は
起きなかった。
グリューフィド王はついに逃げ場がなくなり無念の屈服をした。



ハロルド伯はグリューフィド王の首を斬らせた。王はまだ40歳余の若
さであった。

王の生首を桶に収めロンドンに持ち帰った。直ちに宮殿に参内しエド
ワード王に差し出し、ウェールズ遠征の成果を慣例通り報告した。
グリューフィド王の両眼は、ウェールズ領民の恨みを象徴するように、
キッと見開かれていた。

敬虔な修道士のエドワード懺悔王は、グリューフィド王に憐憫の情を
懐き、ハロルド伯に不快の念をあらわにした。

「もうよい。手厚く葬ってあげよ」
エドワード王のその言葉は、武人ハロルド伯には不満であった。
「私とて好き好んで首級を運んだのではありません。多くの部下も戦死
しました。
宰相として国内を統治し、さらに国外や北海のヴァイキングたちにも私
の武名と王の威勢を誇示するために、手厚い埋葬はできません。ロン
ドン橋の袂で曝し暴首にします」

宮殿に気まずい沈黙が続いた。
「よきように計らえ」
王は顔をそむけ苦々しげに退席した。



数日後エドワード王は重臣たちを呼んだ。王は何か物の気が憑いた
ように雄弁だった。

「ハロルド伯、汝がグリューフィド王を鎮圧した功績は認めよう。しかし、
グリューフィド王もまたウェールズ国民の幸福を求め、われらに抵抗し
たものであろう。戦いが終息した今、余はグリューフィド王に憐れみの
気持ちはあっても、憎しみはない。
豊かでない山地のケルト人の心情に可哀相な気もする。イングランド
に真の平和と繁栄をもたらすには、こうした宿運に命を落とした敵方の
将や無名の兵士も、手厚く弔ってあげたい。ましてや40歳あまりの若
さで斬首され、曝し首にされたグリューフィド王の鎮魂をせねばなるま
い。
ハロルド伯よ、余の名代としてローマ教皇へ拝謁し、ウェールズ平定
を報告し、亡きグリューフィド王の冥福を祈ってまいれ」
「かしこまりました」
王の声は、宮殿に居並ぶ諸侯の心にジンジンとしみいった。



第11章 呪いの嵐(その1)

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