「見よ、あの彗星を」
ノルマン征服記

第11章 呪いの嵐

(その1)


エドワード懺悔王の下で宰相を務め、近衛軍団の司令官でもあった
ウェセックスの大豪族ハロルド伯は、1064年の初夏の日々を南イン
グランドの古都チチェスターで過ごしていた。

前年、エドワード王から命ぜられたローマ巡礼の旅支度も、ほぼ完了
していた。
ハロルド伯は愛玩の鷹を肩に、サセックスの港、ボーシャムに向かっ
た。だがなんとなく巡礼の旅立ちに気が乗らなかった。

伯は港の近くにある小さな教会に立ち寄って、航海安全の祈祷を捧
げた。
「ローマへの旅立ちの前に、魚釣りでもしよう」
「さようでございますね。前祝いにでっかいのを釣り上げましょう」




ハロルド伯とお気に入りの家臣たちは、早速船を出した。
初夏の太陽はハロルド伯たちのたくましい裸身を焼いた。
「船頭、もっと沖に出せ、大魚を釣ろうぜ」
面白いように釣れ、一行は時の経過をすっかり忘れてしまった。

船頭が、西の空に黒い雲を発見し、顔をしかめた。三角波が立ちはじ
めた。
「しまった!白兎が飛びはじめた!」




慌てて陸に引っ返そうとしたが、手遅れであった。
船頭は水夫を叱咤激励したが、漕げども漕げども、進まなかった。
空は一面に黒雲で覆われ、すさまじい嵐となった。稲妻が光った。
ハロルド伯は、その瞬間、ウェールズ王グリューフィドの、恨めし気な
顔を何回となく虚空に見た。その顔はハロルド伯を嘲笑った。その度
に雷鳴が轟いた。

ハロルド伯は、ウォルサム寺院の司祭から贈られたロザリオを強く握
りしめた。
亡霊が、カッと目を開き、一段と大きく怒鳴ったと見えた瞬間、帆柱に
落雷した。
もはや為す術はなく、船は激浪に揉まれ続けた。
一行は生きた心地もなく、船底に身を横たえていた。




ザッザッ、ガガガッ・・・。むくっと起き上がった船頭が叫んだ。
「陸だ!」
そこはイングランドの対岸、ノルマンディの東北ポンテュー地方を流れ
るソンヌ河の河口州であった。

「イングランドの大貴族が漂着した!」
との報告をうけたのは、ポンテュー地方の領主ガイ伯であった。
「しめた!すみやかに逮捕して、牢屋にぶち込んでおけ!」



ウィリアム公との抗争に敗れ、鬱々としていたガイ伯にとっては、恰好
の酒の肴であった。
多額の身の代金を取ってやろうと、ウェセックスのゴッドウィン家に使
者を出した。

警備の隙を見て、ハロルド伯の従者の一人が逃亡した。ハロルド伯の
命を受け、隣国ノルマンディのウィリアム公の許へ、命乞いに駆け込
んだ。

「何!ハロルド伯がガイ伯の牢にぶち込まれたと?」
「殿、面白いことになりましたな」
と、ウォルターはウィリアム公に囁いた。

公はガイ伯に使者を送り、
「ハロルド伯の一行を丁重に国境にお連れせよ。余の指図に従わね
ば、覚悟せよ」
と、ガイ伯を嚇した。




ガイ伯は、しぶしぶハロルドを連れて来た。
「ガイ伯ご苦労であった」

ウィリアム公はハロルド伯の肩を抱いて、
「大変な災難でしたなハロルド伯殿。しかしご安心あれ」
「ウィリアム公、このご恩は一生忘れませぬ」
「折角の機会だ。ゆるりとノルマンディにご滞在されよ」
「かたじけない。暖かいお心遣い、いたみ入り申す」

九死に一生を得たハロルド伯は、ウィリアム公の手を取り、ホロリと涙
を流した。




第11章 呪いの嵐(その2)

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