「見よ、あの彗星を」
ノルマン征服記

第9章 激闘の日々


1051年、新婚のウィリアム公に来客があった。
イングランドのエドワード王からカンタベリー大寺院の大司教に任命さ
れた「ジュミエージュのロバート師」であった。ローマ教皇の叙任承認を
得るためローマへ向かう途中であった。

「エドワード王はご結婚をよろこばれ、ノルマンディ公国の安康を神に
祈られています。政治はゴッドウィン伯に任せていましたが、先般一族
を国外追放しました」
「穏やかな懺悔王が思い切った処罰をされたものよ」

「そのことです。ゴッドウィン・ハロルド父子がじっとしていますまい。非
常の場合にはご支援を。エドワード王はイングランドの王位を、血縁の
ある公爵にお譲りしてもよいとの考えも持っています」

曖昧な表現ながら、思いがけない話にウィリアム公の口許はほころん
だ。



翌1052年、ゴッドウィン伯は亡命先のフランダースで兵を挙げ、イン
グランドに逆上陸した。だがウィリアム公はエドワード王に援軍を送れ
なかった。
ノルマンディの南隣アンジュー地方の領主マーテル伯が虎視耽々と
侵略の機会を狙っていたからである。

マーテル伯はルマン、アランソンなど南ノルマンディを蚕食してきた。
アランソンではマーテル伯の部下たちが、占拠した城の窓から鞣革を
ぶら下げているとの情報が入った。

「アランソンの城にいる奴は一人残らずぶち殺せ」
ウィリアム公は全軍を率い城を奪還し、マーテル伯の部下を全員嬲
り殺した。



予期しない報告が入った。
フランス王ヘンリー一世が、家臣のウィリアム公を見捨てて、マーテル
伯と手を組んだのである。

北ノルマンディのアーク城主で、叔父になるウィリアム卿(ウィリアム公
の父ロバート一世とは異腹の兄弟)がこれに応じた。

さらにルーアン大寺院のモーガー大司教(ウィリアム公の後見人であっ
た故ロバート大司教の息子)も同時に楯ついた。諸貴族が反乱した。
四面楚歌。ウィリアム公は孤立無援であった。

だが彼は大望を抱く不屈の精神の持ち主であった。外祖父フルバート
の情報網を、ウォルターに命じ徹底して利用した。

最も弱いとみられたアーク城の叔父ウィリアム卿を全軍で集中攻撃し
た。(現代ランチェスター戦略と呼ばれている戦法である)
アーク城は陥落、城主ウィリアム卿は逃走した。

「ウィリアム公強し!」との情報が流され、フランス王は侵攻を見合わ
せた。



しかし1054年、フランス王はノルマンディ東部と王領の国境であるセ
ーヌ河畔の都市マントに配下の諸侯を集めた。
南からはアンジューのマーテル伯、北から宿敵ガイ伯、ルーアン大寺
院のモーガー大司教が再び包囲網を組んだ。これを見て、ウィリアム
公の異父弟であるバイユー大寺院のオド司教が、兄を見捨てフランス
王の軍門についた。

ウィリアム公は軍団を二分した。公がフランス王マーテル伯の連合軍
を食い止める間に、第二軍団に、ガイ伯とオドの反乱軍を奇襲させた。
この奇襲は大成功であった。統制も軍律も行き届いていない反乱騎
士団は完膚なきまでに殲滅された。



オド司教は逃走、ガイ伯は捕虜になった。フランス王とマーテル伯は
退却した。
反乱の黒幕モーガー大司教は国外逃亡した。
オドは兄ウィリアム公に詫び、ガイ伯はウィリアム公に臣従を誓い赦
された。

翌1055年、フランス王はウィリアム公に和睦を申し入れ、公はこれ
に応じた。「モルトメールの戦い」と呼ばれるこの戦闘はウィリアム実
力の勝利であった。

2年後の1057年、フランス王はウィリアム公との約を破り、再びマー
テル伯と連合し、ノルマンディに進入してきた。

ウォルター配下の間諜たちが持ち帰る情報を克明に分析した。
「敵軍の先陣がディヴ河を渡り始めた。先鋒と本軍はしばらく両岸に分
断されよう」

満を持していたウィリアム公の軍団は、疾風迅雷のごとく進軍し、渡り
終わったばかりの先鋒歩兵隊に、怒涛のごとく襲い掛かって、一挙に
殲滅した。

対岸ではフランス王の本営が、ただ呆然と敗戦の様子を眺めていた。
王は直ちにパリへ総退却した。ウィリアム公はここが勝負時機と判断
し、祖先の酋長ロロのように一気にフランス王領に攻め入った。



1060年、たまりかねたフランス王は再び和睦を結んだ。
身分は王が上であるが、実力はウィリアム公が優位になったのを見て、
近隣諸侯は続々とウィリアム公に忠誠を誓った。

フランス王ヘンリー一世は失意のうちに没し、幼い王子フィリップが即
位した。
ウィリアム公の岳父、フランダースの領主ボールドウィン辺境伯が新王
の後見人となった。

今やノルマンディ公国には反乱や侵略の種はほとんどなくなった。
これに先立ち1059年には、ローマ教皇からマチルダ妃との結婚の追
認を得ていた。30歳を越えた公は、1060年代に何をなすべきか思案」
していた。



対岸イングランドをはじめ、北海周辺の群雄の動きが不気味であった
が、側用人のウォルターは配下の間諜を使い、的確に情勢を把握して
いた。


第10章 ウェールズ悲話

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