第2部 反 乱

第4章 ケントの反乱


前頁より



 1067年秋、ユーステス伯はケントの住民の要望に応えて起った。
 多数の部下を率いてドーバー海峡を渡り、ケントの農民兵らと合流
しドーバーの町に向かった。というのは、この時期オド司教は、多数の
軍勢を率いてロンドンにいたからであった。

 ドーバーの港や町を警備していた少数のノルマン兵たちは、背後の
丘に聳えるドーバー城に逃げ込んだ。
 ドーバーの町は、無血でユーステス伯の軍団に占領された。

 しかし、ドーバーの町や港は運輸交通上は需要な機能を持っている
が、町を占領したからといっても軍事的にはあまり大きな戦果ではな
かった。

 ウィンチェスターとかエクセターあるいはヨークといった古代ローマ軍
団が駐屯していた都市は、都市そのものが城壁に囲まれた城である。
町を占領するということが城攻めであった。

 ところがドーバーは平地ではない。ドーバー海峡に屹立する「白き崖」
の下に、海岸線に沿って砂浜の上に出来ている町である。町が城では
ない。古代ローマ軍団の基地であった城は、町の外、それも町や海を
見下ろす丘の上の要害に築かれていた。

 反乱軍は、町や港だけではなくこの城を攻め落とさねば、ドーバー占
領にはならなかった。勢いついた反乱軍は、大挙してドーバー城へと
攻め上った。
 
 オド司教留守中の城を守っていたのは二人の勇猛なノルマン騎士と
その部下たちであった。
 ウィリアム王はこのような不測の事態を予想して、オド司教の補佐役
としてグランメズニルの領主ヒュー卿とモンフォーのヒュー卿をつけてい
た。
 
 ウィリアム王は、かねてよりドーバー城の防衛機能を高めるように改
築を進めていた。しかも、二人の腹心の騎士を増援していた。彼らは
反乱軍の攻撃を食い止め、いささかもひるまなかった。

 坂を駆け上り攻撃してきた反乱軍は攻めあぐねて後退し、休息した。
城からは反乱軍の展開は一望に把握できる。二人の騎士は、ユース
テス伯とケント住民の連合軍は烏合の衆に過ぎぬと看破していた。反
乱軍の疲労と油断を見澄まして撃って出ることにした。

 だらだらと散開し休息していた反乱軍に、守備兵が城門を開き襲い
かかった。装備の行き届いた、殆ど疲れていないノルマン兵に反乱軍
は容易に蹴散らされた。

 ユーステス伯は、命からがら船に乗り、不名誉な逃走をした。ケント
の農民兵たちは再びノルマンに敗れ、野に戻り、反乱は収束した。



 一方、ヘレフォードではエドリック・ザ・ワイルドたちの反乱軍は、ヘ
レフォード城の奪取に失敗し、ウェールズの森に逃げ込み、ヒット・エ
ンド・ランのゲリラ作戦に転じていた。

「白い妖精たち」がイングランド南西部の森に現れたという情報も、ウ
ォルター配下の間諜が聞きつけていた。
これらの情報は、刻々とノルマンディーのウィリアム王に伝達された。



第5章 デンマーク王の野望

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