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日本の一SF読者がスミスを訳するわけ

Why A Japanese S-F Reader Is Trying to Translate Cordwainer Smith?

榊 令

 コードウェイナー・スミスの作品については、いろいろな人がいろいろ書いてきています。わたしがどれほどのものを書き加えられるかわかりません。しかし、わたしは、スミスの作品に関心をもついろいろな人からいろいろなものを受けとってきており、対して、わたし自身のものは出せていません。この機会に、書いてみようと思います。

 わたしは若いSF読者の一人です。生まれたのは、コードウェイナー・スミスが世を去った年でした。
 わたしがスミスをはじめて読んだのは、一九八〇年頃でしょうか、ジュディス・メリル編『年刊SF傑作選2』(創元推理文庫一九六七年刊)の「シェイヨルという名の星」と『年刊SF傑作選4』(同文庫一九六八年刊)の「酔いどれ船」でした。
 読んだ年月日や状況はもうおぼろですが、作品の題と、作品から受けた異様な衝撃ははっきりおぼえています。作品の印象は、つきまとって離れがたいものでした。
 「酔いどれ船」の第三宇宙の情景、「シェイヨルという星」のシェイヨルの光景などは、夢にまで見たことがあります。

 「食料と衣類を積み、宇宙をつっ走る船を捨て、おれ一人、非実在の川を下った。乗組員の声を聞いたが、姿は見えなかった。インディアンどもが、生きている彼らに、矢を射かけた」
 「夏のないところ、冬のさなか。子供の心に似た空虚な世界。本土から解き放された半島。そして、おれは船だった」
 「ロケットの先端。円錐形頭部{ノーズ・コーン}。船だ。酔っていた。船は酔っていた。おれは酔いどれ船」……
 (「酔いどれ船」宇野利泰訳による)
 わたしが夢に見た「酔いどれ船」や「シェイヨル」は、日本語訳に触発されたものでした。
 「翻訳は裏切者」という言葉があります。
 翻訳には、作者だけでなく、訳者の主観や客観が入ります。たとえば、作者の文体をどのような日本語の言葉づかいで表現するかといったことです。
 「酔いどれ船」は最近になって伊藤典夫による新訳が発表されています。伊藤訳を旧訳と比較すると、翻訳の方法論でいろいろな違いが見うけられます。となると、わたしたちがある翻訳を読んでいるとき、はたして原語で読む読者と同じものを読んでいるといえるのか?(この原稿の日本語版と英語版のように!)−−これは翻訳の永遠の課題でしょう。
 しかし、ここではその是非は議論しません。わたしにとって重要だったのは、訳者の意図がどうあれ、上の翻訳は、スミスを独特の作家として意識させてくれるものだったことです。たぶんそれは、その想像力でした。

 日本の読者が−−わたしも含めて−−スミスや他の海外作家を読み、語る時、普通は、日本語訳や日本語の紹介があることが前提になります。
 これには2つの側面があります。一面では、翻訳者や紹介者といったフィルターを通して読者は精選された作品や情報を享受することができます。反面、訳されないもの、伝えられない情報は伝わりません。

 わたしにとって、スミスは、その物語で伝えられない部分も知りたい、想像してみたいという気にさせてくれる作家です。だからわたしはわたしなりにスミスの物語を調べはじめて、スミス原稿コレクションを直接閲覧するところまできました。
 スミスはその想像力でも評価されています。今では、スミス宇宙の事物の多くが現実の事物をもとにしており、地球港その他の驚異は、わたしたちの時代のアメリカ東海岸づたいに設定されていたことを知っています。スミス自身、作品でしばしば“ムルケン”や廃墟となってなお壮大なその“ハイウェイ網”について語っています。その点でスミスはまさにアメリカ的な作家だったのではないかと思いますが、それで作品の魅力や謎が減じるわけではありません。なぜ減じないのか? その答えを知るために、わたしはスミスの作品をひもといています。

 また、わたしには、スミスの物語を、わたしの母国語である日本語に移したらどうなるかという興味もあります。
 わたしは、日本語だけでなく原書でスミスを読むのにあきたらず、ファンジンで翻訳して、スミスの展望をまとめたいと志すようになりました。今では、スミスの言葉や表現、文章、構想、そして他の人の見方を学び、それらをわたしなりの日本語に移す過程そのものを楽しんでいます。
 先ほど書いたように、翻訳が原文の味わいをどの程度伝えることができるのかという問題はあります。ですが、スミス自身、中国詩の翻訳や、他言語作品からの翻案を試みており、翻訳の問題を知っていて、わたしたちのジレンマを理解してくれたかもしれません。

 作者その人の前では何をいえばいいか途方にくれるだろう一読者のわたしには、作品だけでなく、作者の実人生まで知ろうとするのは不遜ではないかというおそれがあります。しかし、スミスの場合、作品をより深く読みこもうとすると、背後にある作者の実人生も意識せざるを得ません。
 スミスことポール・ラインバーガーは日本にも住んだと伝えられたことがありますが、エルムズ教授によれば、訪問したことがあるだけです。それでも日本はラインバーガーがかかわりをもった場所のひとつでした。
 わたしは、日本におけるラインバーガーの足跡をたどりはじめてもいます。

 どこまでできるかわかりませんが、終わりがくるか、自分で限界を感じるときまで、これらの興味にとりくみつづけるつもりです。


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1997年9月 HTML化