6/13(金)
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人なつっこい ねこ

朝6時に起きて、すぐにパルミラ遺跡を見に行く。誰もいない。どうやら一番乗りだ。

■パルミラ遺跡について
パルミラはオアシス都市として古くから東西交易の中継点として栄え、特に紀元前1世紀末から紀元後3世紀にかけて、中国とヨーロッパを結ぶシルクロードの隊商として繁栄を極めた。紀元前1世紀頃、当時絶大な勢力を誇っていたローマとパルティアが互いに争っていたことからパルミラは両者をうまく利用し、豊かな経済活動を続け、2世紀にはローマ帝国に併合されたペトラに代わり通商権を受け継ぎ、この時代最盛期を迎える。
しかしその繁栄も長くは続かず、ローマ肯定アウレリアヌスがパルミラへと進撃し、272年にローマの手に落ちることになる。その後は6世紀以降アラブ王朝へと支配権が移り、オスマン帝国時代には急速に都市としての力を失い、再び歴史の表舞台に立つことはなかった。(参考図書:「地球の歩き方 シリア・ヨルダン」)

一人で歩いていると、どこからかネコが来た。人なつっこいネコで、歩くとついてくる。しばらくネコの写真を撮ってあげたり、じゃれたりして遊んであげてから歩き出すと、それでもついてくるので、一緒にまわることにした。
四面門。空がきれい
円形劇場の舞台
ベル神殿

パルミラ遺跡はベル神殿を除いて入場無料だ。入口とかもなくて、ただ道路の横にデン!と存在している。だから普通は記念門と呼ばれるところから皆入るのだが、私はバールジャミン神殿のところから入っていった(横から入る感じ)。そうすると柱の続く道路(参道みたいなもの?)ほぼ中央にある四面門に出る。そこから左手は記念門を経て道路を横切りベル神殿へ、右手はディオクレティアンの城砦だ。ベル神殿の開門は8時からで、まだ時間が早いので右方向へ向かうことにする。

列柱道路を20-30m進んだところでネコとお別れ。「これから先、もっと遠くに行くからここでお別れだよ」と言ったら、伝わったのかどこかに消えてしまった。30分以上も付き合ってくれたネコに感謝(いい被写体にもなってくれたしネ)。

ディオクレティアンの城砦まで行って戻ってくる。もうネコは姿を現さなかった。ちょっと残念。アゴラを見て、円形劇場に入る。ここも誰もいない。トルコのエフェスでみた劇場よりもかなり小さなものだが(エフェスの劇場は山の斜面を利用していたからあれだけ大きなものが出来たわけで、平らな場所で作ったことを考えると、ここの劇場も凄いといえば凄い)、かなり原形をとどめている。とてもきれいだ。春にはここで地元のフェスティバルが開かれるそうだ。

記念門をくぐるあたりで、他の観光客も見られるようになってきた。道路を横切りベル神殿へ。入場料200ポンドを払って中に入る。壁で正方形に囲まれた中に神殿がある。ぐるりと一回りして外へ。
それにしてもこれだけの遺跡が、みたところまだ十分に修復されていないのが残念といえば残念である。でもきれいに整備されて、ツーリスティックになってしまうよりはこのままの方がいいのかな。

9時ごろ宿に戻り、朝食を食べる。
食堂で一人、朝食を食べていると、女性が入ってきて同席してもいいか、と話しかけてきた。一人で食べるよりは二人のほうがいいし、それも女性となら断る理由も無く、一緒に朝食をとりながら雑談をする。彼女はアメリカのNew Mexicoから来たとのことで、名前はAnnitte McClure(? 手帳の文字が解読不能)。日本も以前旅行をしたことがあると言っていた。なんでも香港で日本国内のJR(当時は国鉄か)・バス・フェリーの乗り放題チケットを購入して日本全国を旅したとのこと。そんなチケットがある(あった?)なんて知らなかった。今でも販売しているのかな。私も2年前サンタフェを訪れたことがあると言ったら、喜んでくれた。あとはお互いの旅行話に花が咲き、どこの国の何がいいという話で盛り上がった。彼女のお勧めはインドのアジャンタ・エローラ遺跡。自分も前から行ってみたいと思っていたところで、一層訪れてみたくなった。またネパールもお勧め、とのこと。(今思えば、私の拙い英語力で、よくもあそこまで(一時間近くも)話し込めたもんだと感心してしまう。また、この次の旅行でネパールに行くのも、この会話もきっかけの一つになったと思う)

■アンが日本で驚いたこと
北海道(彼女は北のほうの島と言っていた)でヒッチハイクをした際、女性ドライバーが泊まってくれたこと。だそうです。ヒッチハイクの本場(だった)アメリカでは、犯罪につながる場合が多くて今では確か全州がヒッチハイクを禁止しているが、禁止になる前もまず女性ドライバーが停まってくれることはなかったらしい。
また、日本でヒッチハイクして困ることは、必ず駅まで乗せていってくれること、だそうです。本人はずっとヒッチハイクで旅を続けたいのに、英語が通じず道の途中ではなく、親切にも駅まで乗せてくれるので、次の車を探すのに困ってしまうとのことでした。

10時半にチェックアウト。朝食時アンへのおつりを払う際、宿の人の手持ちがなく40ポンド貸しておいたら、一泊750ポンド引く40ポンド=710ポンドになるところ、700ポンドにまけてもらった。

ホムスへ行くためバス停まで5分ほど歩く。バス停でチケットを買い(45ポンド)、出発するのを待つ間、そばにいた子供にガイドブックを見せてあげる。日本語は当然読めないので、写真を眺めるだけなのだが、どの写真を見ても、これはパルミラ、あっちはホムス、そっちはダマスカス、ということになり、それを聞きながら、自分が子供の頃も、この子と同じように小さな世界の中で暮らしていたのが、今、こんなところまで来ている自分を思うと、とても不思議な気持ちになった(思えば遠くへ来たもんだ)。
ミクロバスの内部。アラブ音楽がガンガン流れる

11時過ぎにバスは出発。ローカルバスなので当然エアコンなんて無く、でも入ってくる風は涼しい。砂漠の中を2時間半走り続けてホムスに到着。ホムスからラタキアまではちゃんとしたバス(シートがしっかりしていて、エアコンのついているバス)に乗りたかったのだが、到着したバスターミナルはミクロバスの発着場で(多分別の場所にちゃんとしたバスのターミナルがあるはず)、あきらめてラタキアまでもミクロバスに乗ることにする(ラタキアまで40ポンド、約3時間)。出発まで30分程時間があるので、昼食にシャワルマを食べる。バスに乗って出発を待っていると、アイスクリーム売りが寄ってきたので試しに食べてみるが、あまり美味しくない。

2時にバスは出発。一度休憩で停まった茶店で飲んだアラビックコーヒーは苦くて美味しかった。
5時ちょっと前にラタキアに到着。なにはともあれ地中海が見たくて、地図を片手に海のほうへと歩いていく。
途中アサド像辺り(ラタキアの中心と思われる場所)で安ホテルが目に付いたので、見せてもらったが200ポンドと安いことは安いのだが、きれいではない(というかはっきり言うと汚い)ので、やめる。
ガイドブックを参考に、海に近いホテルにすることにしてさらに地中海目指して歩く。バス停から歩くこと30分、やっと海が見えてきた。が、まずはホテルにチェックイン。人の良さそうな老夫婦で経営しているホテルで、バス・トイレ別で25米ドルと高かったが、他を探すのがもう面倒だったので、ここに泊まることにした。
ラタキアの子供達

荷物を置いて海沿いの遊歩道を歩く。地中海で泳ぐのを楽しみにしていたが、目の前は港。それもシリア最大の港で、歩けど歩けど、岸壁が続く。とても泳ぐどころではない。でも、まあ、地中海に沈む夕日を見ることが出来たので、よしとする。

おなかが空いたので、とりあえずアサド像周辺でレストランを探し、店の前でチキンをロースとしているお店に入る。丸ごと一羽では多すぎるので、半分にしてもらう。ここではフォーク類がなくて、素手で食べることに。食べた後は手はベタベタ、服に染みをつけるで、大変だった。

再び海沿いの遊歩道へ。柵に腰掛けていると、みな声を掛けてくる。中にはいきなり赤ちゃんを(私の)ひざの上に置いて、去っていこうとする人も(もちろん冗談で、すぐ戻って来たが)。とってもフレンドリーな人たちだ。地中海が人々を明るくさせるのか。

ホテルに戻り、しみの付いた服を洗う。その後、仕事で来ている韓国人とパートナーのシリア人が部屋に訪ねてきて、3人で雑談する。韓国の人はなんだか日本をすごく意識している感じ(というか、自分自身のエリート意識が出ていたのかな。仕事でシリアに来ていることが自慢げ)で、ちょっと肌に合わない。
水のシャワーを浴びて、寝る。

■本日の宿情報
Hotel Jamal ・・・Abdl Nasr St. Lattakia Tel.236156



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