1986年5月3日(土) Johnny,Louis,& Char
第2回 浅草 Riverside Music Festival at 台東リバーサイドスポーツセンター 野球場


加部正義の認識では1985年3月の香港のライブの後にバンドは解散していた。
加部正義はPink Cloudのことは忘れ、ゴールデンカップス時代の縁で東芝EMIから1985年12月21日に発売したソロ・アルバム「COMPOUND」の制作を開始した。

Charは自ら望んだとはいえ、好きなように創る音楽家とレコード会社との隔たりを打破すべく1984年をもって契約が終了したVAPから東芝EMIにレコード会社を移籍した。

1970年代にThe Beatlesなどを担当していた石坂敬一氏にゼネラル・プロデューサー的な動きを期待したが1985年7月20日に移籍前に野音にてレコーディングした音源をPink Cloud名義の

ミニ・アルバム「aLIVE」(東芝EMI)

を発売したのみで終わった。

しかしその半面、ミニ・アルバム「aLIVE」のレコーディングに先立ち加部正義はCharから

「これで最後」

と聞かされていた。

1985年、閉塞感?八方ふさがり感?に陥ったCharは単身、6月15日の29歳で日本を出国し、30歳を迎えた6月16日にイギリスに到着し3か月間ほど滞在する。
イギリス滞在中に気持ちを入れ替え、空っぽになった心身に新たな経験を吸収し続けた結果、江戸屋発足のきっかけになる楽曲の数々を創作しながら江戸屋の構想が芽生える中、帰国した。

そして迎えた1986年、3月21日に

忌野清志郎、ジョニー、ルイス&チャー名義でシングル「S・F」

が制作、発売され、そして

アルバム「県立地球防衛軍(オリジナル・サウンドトラック)」

にも収録された。

東京メトロ銀座線か都営地下鉄浅草線の浅草駅から徒歩10分ほどの隅田川の河川敷にあるスポーツセンター。
その野球場にステージを設けアンルイス、爆風スランプ、そしてJohnny,Louis,& Char(演奏後、司会のアナウンスは"Pink Cloud"ではなく"Johnny,Louis,& Char"であった)が出演した。

「Pink Cloudとして何度かライヴを行ったが、俺の頭の中ではもう解散していたからね。俺の中ではPINK CLOUDという残像の中での演奏だったから、何も考えずに自由気ままにできたよ。この頃の演奏はすごくいい演奏だったよ。」
と加部正義がネット上のエッセイ「気ままに生きる」でフィクションとして語っている。




セットリスト
No.曲名コメントMDCST
(M.C.)「いい天気だの。」
Kindesalter1フレーズだけつま弾く。
1Song In My Heartオープニングに一瞬"Kindesalter"の1フレーズをつま弾き"Song In My Heart"のイントロのカッティングに入る処がかっこいい。
2You Keep Snowin'
3Would You Like It
(M.C.)「ジョニー!」
4宇治茶屋第五幕
5Why Aren't You Ready
6B.Y
7Falling Star
(M.C.)「どうもありがとう。」
(ENCORE)--
8風に吹かれてみませんか
(M.C.)「今日は天気がいいので。」
9Shinin' You Shinin' Day
10Wasted
11You're Like A Doll Baby
(M.C.)「どうも。」
[SONGS]
MD : 53min
CST : 31分 + 24分 = 55分
[COMMENTS]



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