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地球化学的サイクルはまた酸化還元サイクルである。サイクルを通じて硫黄の酸化数はー2から+6まで幅広い変化を示す。サイクルを担う海洋地殻の動きは地球内部からの熱エネルギーによっている。しかし硫黄の酸化と還元を規制する要因は熱エネルギーだけではない。酸化還元境界に棲む微生物の働きも重要である。
図1 地殻の模式的断面図と海洋地殻の動き
蒸発岩、頁岩については図2の注を見よ。
堆積物中の隙間を満たす海水(以下間隙水)中の硫酸イオンは酸化的な海水から隔離され、有機物に囲まれた間隙水中に閉じ込められる。このような環境では硫酸より硫化水素が化学的に安定である。今有機物をメタンに見立てると次ぎの反応の左辺が不安定となり右に進めばエネルギーが放出されることになる:
SO42−+CH4+2H+ =H2S+CO2+2H2O+エネルギー (1)
しかし実験室で海水にメタンを通しても硫化水素は発生しない。低温の海底で一連の還元酵素を用いて反応を右に進め、エネルギーを獲得しているのが硫酸還元菌である。しかし反応が右に進めば硫酸が減少し硫化水素が増加して左右の系が平衡に達してしまう。硫酸還元菌といえども平衡に逆らってまで反応を進めることは出来ない。しかし多くの堆積物中には反応性の高い鉄が存在し硫化水素を黄鉄鉱(FeS2)に変換する。
また間隙水中の硫酸濃度が低下すると海底から硫酸が拡散によって運ばれ、補給される。逆に硫化水素と二酸化炭素は上向きに拡散していく。このような好条件が続く限り、反応が平衡に達することが妨げられ硫酸還元菌は硫化鉄を沈澱し続ける事が出来る。
SO2+H2=H2S+H2O (2)
S0+H2=H2S (3)
水素の分圧はマグマ中の2価と3価の鉄の割合で決められる。中央海嶺のマグマは還元的で硫化水素が主成分である。これに対し沈み込み帯のマグマは還元性が弱く火山ガスはSO2とS0に富んでいる。 火山地帯では還元的なマグマから上昇する火山ガスが酸化的な地下水や大気と反応することによって様々な温泉と熱水鉱床が形成される。
マグマから上昇する高温の火山ガスは、300℃前後まで冷却されると水蒸気が凝縮し、更に地下水も加わって塩酸酸性の熱水が形成される。火山ガス中の4価の硫黄(SO2)は酸性熱水中では硫酸と硫化水素に分解する:
4SO2+4H20 =3SO42−+6H++H2S (4)
硫化水素は酸性の熱水には溶け難く一部は地表に噴出して硫化水素泉、或いは酸化されて硫黄を析出したり硫酸酸性泉を作る。チオ硫酸(S2O32−)やポリサルファイド(Sn−)など過渡的な硫黄化合物が形成されることがある。
深部の熱水はそのまま地表に湧出し塩酸硫酸酸性泉を作るか、岩石と反応して中和され中性の食塩泉として湧出する。この際、熱水中の硫化水素は岩石中の多く有用金属と結合して可溶性の錯体を作り地表近くまで輸送する。熱水が酸化的な地下水と混合し硫化水素が酸化されるにつれて錯体が分解し金属硫化物が沈澱する。日本でもこのような過程で形成された大規模な金鉱床が見つかっている。
中央海嶺では海底の割れ目から侵入した海水がマグマと反応し、最高400℃の熱水として海底に噴出する。海底近くで海水と混合して冷却希釈された熱水は鉄、銅、亜鉛、鉛などの硫化物を伴って海底に噴出しブラックスモーカーを形成する1)。
シロウリカイの場合硫黄細菌はそのえらの細胞内に寄生する。シロウリガイは硫化水素と酸素を硫黄細菌に供給し硫黄細菌が生産した有機物を食べて成長する。同様な硫黄細菌やメタンを酸化するメタン菌がブラックスモーカーの表面や熱水中にも発見されている。これらの細菌の特徴は120℃近い高温環境に好んで生息する点にあり好熱細菌或いは超好熱細菌と呼ばれている。彼等によって光りの届かない深海底にあって還元型の硫黄と炭素のエネルギーに依存した、地表から全く独立した生態系が維持されているのである。同様な好熱細菌は陸の温泉でも見つかっている。
遺伝子による生物間の近縁関係の解析が急速に進むにつれて、これらの好熱細菌は何れも生物発生系統樹の根本に位置し原始的な生命に最も近い縁戚関係にあることが分かってきた。この為原始生命は熱水環境で誕生したのではないかと考えられている3)。また彼等の中から生物系統樹で通常の細菌とは全く異なる枝に属するものが多数見つかり、新たに古細菌として分類された。
酸素を欠いた太古の温泉では硫黄はどのようなな行動したのであろうか?(3)式に示したように硫化水素は高温の火山ガス中では水素を介して硫黄と平衡にある。反応は高温では左に、低温では右に傾く。火山ガスが海底や地上に噴出し冷却されると反応は右に移行しようとする。此の反応は発熱反応でエネルギーを放出する。
2・2・2で述べたように生命が熱水環境で誕生したとすれば此の反応は原始生命のエネルギー源として好適である。更に火山ガス中にSO2が存在すれば先に述べたように分解して硫酸が出来るであろう。硫酸を水素で還元する事によってもエネルギーが得られる。実際にこれら2つの反応をそれぞれ利用して化学合成を行う好熱性の硫化水素生成古細菌や硫酸還元古細菌(現在の海底の硫酸還元菌とは別種)がブラックスモーカーの周辺で見つかっている。
火山ガスや熱水中の成分で高温から低温への移動によって平衡が乱される反応にはこのほかにも二酸化炭素と水素が反応してメタンと水が出来る反応がある。メタン生成菌はこれを利用した好熱化学合成細菌で硫黄細菌と並んで太古の熱水系の常住者であったと思われる。
同種の光合成細菌は現在でも還元的で硫化水素に富む湖水中などで見つかっている5)。
これら最古の堆積岩には炭酸塩と有機物は含まれているが硫酸塩は重晶石(BaSO4)が時に見つかるだけで、石膏を含む蒸発岩は見られない。当時の海水の硫酸濃度は石膏を沈澱するほど高濃度ではなかったのであろう。
ヘマタイトが安定に存在する酸化状態では硫化水素より硫酸が安定である。此の環境が酸素を利用して硫化水素を硫酸に酸化する事によってエネルギーを獲得する硫黄酸化細菌を生み、それがまた20億年前の海の硫酸濃度を高めることに貢献したのであろう。硫酸還元菌に好適な環境が準備されたのである。実際に現在と同じような硫黄サイクルが此の時代に始まった証拠が得られている。
しかし酸素の出現は還元型の硫黄や炭素にエネルギーを依存する生物のその後の運命を大きく変えることになった。多くの硫黄細菌は酸素に対する耐性を作りだし酸素を利用する事が出来るようになった。しかしその生活圏は火山や温泉、或いはある種の土壌中など硫化水素やメタン濃度の高い領域に限られてしまった。
硫酸還元菌やメタン生成菌は酸素耐性を作ることが出来ず海底堆積物の中に閉じこめられている。しかしそれ故にこそ彼等は硫黄の酸化還元サイクルに、火山活動と共に重要な役割を演じ続けている。