1.白髭橋〜

1.白髭橋
この白髭という名の由来は、墨田区寺島の鎮主である白髭神社に因んでいます。 白髭神社は商人に信仰が厚く、創建は951年と言われています。 以前は、この地に「橋場の渡し」がありましたが、当時政府は、民間の費用で橋を架けることを奨励していたため、大正3年に地元の人々が立ち上げた会社、「白髭橋株式会社」が木橋を架けました。民営であったため、大人1人1銭の渡銭をとって維持費にあてていましたが、採算が取れず、橋自体も老朽化が進んでしまったため、大正14年に東京府に移管され無料になりました。現在の橋は昭和6年に完成したものでアーチ部分がトラス構造になっています。
2.桜橋
昭和60年に完成した、X形をした隅田川唯一の歩行者専用橋です。 花火大会のときは立ち入り禁止区域になってしまいますが、このすぐ下流が第一会場の打ち上げ場所になります。また、下流側は両岸とも桜の名所なのでお花見客でにぎわいます。
3.言問橋
「名にしおはば いざこと問はむ都鳥 わが思ふ人はありや無しやと」という在原業平の歌にちなんで、橋名が付けられました。昭和3年に完成したこの橋は、ゲルバー桁が採用されました。昭和20年3月の東京大空襲の際には橋に避難した人が多数犠牲となりました。戦火に追われた人々が、両岸から、向こう岸へ行けば助かると信じてこの橋に殺到し、言問橋の上には、千人近い人々が折り重なり、橋上を埋め尽くし犠牲になったと言われています。 現在の言問橋は、93年の改修後の姿で両岸には隅田公園があります。その隅田公園のなかには、慰霊碑がひっそりと立ち、戦災の悲劇を現在に伝えています。
4.東武鉄道橋

5.吾妻橋
浅草のもう一つの玄関がこの吾妻橋、水上バス発着場所としても有名です。 橋が架けられる以前は、ここにも「竹町の渡し」があり、安永3年(1774)に 有料の「大川橋」として架けられました。当時、隅田川は一般的に大川と呼ばれていたため、この名が付けられました。その後、明治9年(1876)に正式に 吾妻橋として木橋が架けられたものの洪水で流失。 明治20年鉄製トラス橋に 架けかえられました。しかし大震災時に床部が木製のため焼け落ち、震災復興計画によって昭和6年に現在の橋ができました。 近隣のアサヒビール本社22階のレストランや墨田区役所の14階の展望室から隅田川が蛇行してゆく姿を見ることができます。
隅田川18橋めぐり
2(駒形橋〜)