嘘は罪

 雑文人は嘘をつく、とよく言われる。
 彼らは話を面白くするためなら平気で事実をねじ曲げる。面白い出来事ならば事実か否かを確認もせずに言いふらす。うろ覚えの事項でも平気で知ったかぶりの蘊蓄をたれる。一介の駄文人である私などからすれば、苦々しい限りである。

 そういう雑文人を戒めるために、よく引用されるのがアメリカ初代大統領、ジョージ・ワシントンの逸話である。
 ワシントンは少年時代、父親の農園にあるスモモの木から実を盗んで食べた。父親はそれにすぐに気がついた。木の根本に帽子を忘れていったからである。父親に問いつめられたワシントン少年は、「ごめんなさい、スモモの実を盗んだのは僕です」と謝った。父親は正直に告白したことを褒め、叱らなかった。
 翌日、少年は父親の畑でスイカを盗んで食べた。これもすぐに発覚した。靴を脱ぎっぱなしで逃げたからである。ワシントン少年はこれも認めて謝った。父親は叱らなかった。
 3日目、少年は綿花畑から奴隷の黒人少女を盗もうとしたが、狼に襲われた。助けを呼ぶワシントン少年の叫びは父親の耳に届いたが、父はパイプを銜えながら呟いた。「もう騙されんぞ、この嘘つきめ」
 実はこの話自体が、真っ赤な嘘なのである。これはマロン・L・ウィームスという牧師が書いた「彼自身にとって名誉であると同時に若い同胞の模範ともなる興味深い逸話を含むジョージ・ワシントンの生涯」という長ったらしい題名の本の第5版が原典である。彼はこの本の売れ行きが落ちないように、版を重ねる毎に新しい逸話を付け加えていった。ワシントンの逸話がそんなに無尽蔵にあるはずがない。これはイギリスの作家ビッティの「吟遊詩人」からの盗作である。

 また、嘘つきの雑文人を弁護する台詞として、ヴォルテールの有名な名言がよく引用される。
「君の嘘にはまったく同意できないが、しかし君が嘘をつく権利は命をかけて守ろう」
 実はこの名言も嘘なのである。ヴォルテールの著作すべてをひっくり返したとて、この文句はどこにもない。
 これは1907年にS・G・タレンタイヤー「ヴォルテールの友人たち」にはじめて出てくるが、1935年にはこれを自分ででっち上げたことを認めた。弁解して曰く、「確かに私が創作した文句だが、でも、いかにもヴォルテールが言いそうな文句でしょ?」

 嘘が惨事を招いた例として、オーソン・ウェルズの「火星人来襲」が有名だ。
 1938年にH・G・ウェルズの「宇宙戦争」を脚色したこのラジオドラマは、放送されるや全米にパニックを巻き起こした。車に乗ってニューヨークから郊外に逃れようとする人々、火星人に殺されるぐらいなら、と毒を飲んだ人、教会に押し寄せて敵国調伏の祈りをあげる人々、そして騙されたと知ってウェルズをリンチにかけようとCBSに詰めかけた人々。
 ところが、そのパニック自体が大嘘だという説がある。当時生きていた人々の証言によると、そのようなパニックはほとんど皆無だった。証言した人はいずれもパニックなど起こさず、淡々と日常生活を送っていた。ラジオドラマを聞いた人も、フィクションであることを承知していた。「そういえば、いつもより渋滞がちょっと多かったかな」というのがごくごくわずかなパニック現象をほのめかしているだけなのだ。
 どうやらオーソン・ウェルズが仕掛けた宣伝にマスコミが乗り、大げさなキャンペーン記事を書いたというのが真相であるらしい。当時も今も、マスコミは嘘をつく。二重の嘘をついたオーソン・ウェルズについては、みごとと言うしかあるまい。

 「プルタブの蒐集」も有名な話だ。
 あるとき届いたメールに、次のような文面があった。
「私は筋ジストロフィーで余命いくばくもありません。貧乏で車椅子も買えません。どうかこんな私にプルタブをプレゼントしてください。プルタブを使った駄洒落を1万個集めると、世界最高の駄洒落蒐集家としてギネスに載ることができ、またプルタブ駄洒落1万個で車椅子と交換できるのです。どうか皆さん、このメールの末尾に貴方が考えたプルタブ駄洒落を書き、5人の友人に送信してください」
 私はこれに次のように書き加えて5人に転送した。
「僕が子供の頃、阪神タイガースの四番は田淵でした。田淵はときどき、ひどくスランプに陥ることがありました。打ちに行くときに肘が曲がり、いわゆるプッシュバッティングになってしまうのです。コーチは口を酸っぱくして田淵に言い聞かせました。『そうじゃない、プルバッティングを心がけろ。プルだ、田淵!プル田淵!』」
 駄洒落の出来はともかくとして、この話も実は大嘘だ。ギネスには「駄洒落蒐集家」の項目はない。また日本身障者互助組合に問い合わせたが、プルタブ駄洒落を車椅子と交換することは行っていないそうだ。善意で蒐集している人には残念だが、無駄です。

 ターナーが描いた夕焼けの絵を見て、ある気象学者が、「こういう夕焼けはありえない」と抗議した。画家はにっこり笑って、「でも、こんな夕焼けがあるといいな、と思いませんか」

 


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