嘘つきの系譜

 かつて、日本に嘘の時代があった。
 嘘が熱く燃えた日々があった。
 戦国の世である。

 下克上の時代、なおも平安の夢を貪っていた美濃の国。
 ここにひとりの男が現れた。
 松波正九郎、のちの斎藤道三である。
 彼は京育ちの口のうまさで巧みに嘘をつき、ときの守護職令弟、土岐頼芸をたぶらかした。道三は相手によって自分の経歴を変えて語った。あるときは室町幕府の御家人松波の一族。またあるときは京の油商人。どちらが本当の経歴でどちらが嘘なのか、現在に至るまで歴史研究家を悩ませてきた。どちらも嘘、というのが今の定説である。
 また道三は日蓮上人の数珠丸恒次、三条小鍛冶宗近という名刀を二本も所持すると称していたが、これも嘘である。

 嘘に嘘を重ねて土岐頼芸の兄を倒して頼芸を守護職につけ、その筆頭家老となり、さらに頼芸を追ってみずから美濃の王となった道三にとって、隣国の尾張でのし上がった織田氏は強敵だった。
 癇癪持ちでへちゃむくれで権高な娘、濃姫を「美濃一の美女」と嘘をついて織田の息子に押しつけた道三が、その馬鹿息子に恐るべきライバルを見る。
 舅と婿の出会いの場が設けられた。事前に道三は婿の織田信長に、
「あした、何着ていくのー?」と訊ねた。織田の馬鹿息子の返事は、
「うん、いつものちんちん柄の羽織だよー」であった。
 それならこちらも平装で構うまいと出かけてきた道三は、信長を見て蒼白になった。いつもどころか、ぴんとした裃に身を包み、威儀を正した婿がそこにいたからだ。

 信長の嘘にまんまと騙された道三は、そこに自分の嘘を継承する人材を認め、嘘道を信長に伝授していった。
 馬鹿息子と嘲られていた信長を世間が見直したのは、今川との一戦である。数倍の兵をもって堂々と出陣し、織田を蹴散らして一気に京を目指す今川義元。その眼前で、田楽狭間を桶狭間だと嘘をついた信長。あまりにぬけぬけとしたその嘘の前に、義元はもろくも倒れ、今川の天下は夢と散った。

 やがて道三は死ぬ。
 その息子義龍が、側近の「おまえの父ちゃんは道三ぢゃなくて土岐頼芸だよーん」という嘘に騙され、道三討伐の兵を挙げたのである。
 圧倒的な兵力差ながら善戦した道三だったが、ついに力尽きる。最後に道三は、信長に美濃の譲り状を書き、敵兵の中に躍り込んで死ぬ。むろん、譲り状は嘘であった。
 いっぽう信長は、ふたりの部下を得て、天下に向かって翔びたつ。尾張の小百姓の倅で陽気な大法螺の吹き手、羽柴秀吉と、道三の嘘道場で修行した陰気な嘘つき、明智光秀である。
 信長は「朝倉とは闘わないよーん」と嘘をついて浅井と同盟し、「信玄ちゃんを尊敬しとるよーん」と武田信玄を嘘で騙し、ついに京にのぼる。そこで足利義昭を将軍に擁立し、天下に号令する体制を固めた。

 嘘が浅井にばれて離反されたり、騙したつもりの義昭に騙されたり、嘘が嫌いな律儀者の毛利家と闘ったり、たびたびの窮地を乗り越えてきた信長だったが、ついに光秀に殺される。
 信長は光秀の陰気な嘘が嫌いだった。母親と嘘をついて縁もゆかりもない老女を波多野氏へ人質に送ったり、命は助けるからと嘘をついて呼び寄せた土豪を細川幽斎とグルになって刺したり、その陰湿なやり口が気に入らなかったのだ。そのため、何かにつけ光秀を苛めた。
 京で観兵式を行ったとき、「われわれも上様のため骨を折った甲斐がありました」と言った光秀を咎め、「おみゃあが何を骨折ったのじゃあ!下手な嘘はあかんのじゃあ!」と打擲したり。
 宴会の席上で「光秀、よい機会ぢゃ。ここで貴様の得意な陰湿な嘘を言ってみい」「いや、拙者は正直者なもので…」「それが嘘ぢゃ、ほれもっと言え」「申し訳ございませぬが…」「言え、言わんかいほれぐりぐりぐり」「痛い、痛うございます」「言え言えぐりぐりぐり」「いやんいやん」と苛めたり。
 徳川家康(嘘ひとつつかない正直者、という評判だったので信長に愛された。もちろん、その評判が嘘だったことは皆さんご存じの通り)の接待を光秀に申しつけたが、突然「実は嘘。お前は戦に出かけるのぢゃ」と命令を変更してみたり。怒った光秀は用意した御馳走を全部加茂川に投げ捨てて行ったので、その腐った臭いで京都中の人々が頭痛に悩んだなどと、町の衆は大げさな嘘を作った。

 その信長が、本能寺に死す。
 光秀が「それではこれから、毛利と闘ってまいります」という嘘を信じ、無防備でいたからだった。光秀、一世一代の大嘘であった。
 光秀攻め寄るとの報を受けた信長はただひとこと、「是非なし」と呟く。敗北感と共に、道三の愛弟子に最後にしてやられた、との爽快感があった。
 天下は光秀に帰するかと思われたが、頼みにした細川も筒井も、「お味方するよーん」と嘘をついて寝返った。そして光秀は「毛利につかまって身動きできませーん」と大嘘ついて猛スピードで京に進撃してきた秀吉の軍勢に破れ、死す。陰気な嘘は、陽気な嘘に破れた。
 戦国の世、道三というひとりの嘘つきから発した嘘つきの系譜、信長と光秀。相討つ如くふたりが倒れたとき、ひとつの時代が終わった。

 やがて世は家康のものとなり、嘘は衰えた。
 家康を祖とする徳川幕府は信長から秀吉へ受け継がれた大法螺を厳禁した。
 徳川の世も250年余を過ぎた頃、世を揺るがす大事件が起こった。
 アメリカから黒船がやってきたのである。
 黒船の大将はペリー。彼はアメリカ流の壮大な大法螺をひっさげ、幕府を圧迫する。江戸前の小味な小咄しか知らぬ幕府官僚は、ペリーの豪快なアメリカンジョークのまえになすところを知らなかった。ついに川柳に、

 太平の眠りを覚ますジョーク船たった四回で夜も眠れず

 と書かれるまでになった。
 ふたたび嘘の燃え上がる時代となった。
 時代が、嘘を求めた。

 そのとき敢然と立ち上がった男が西国にいた。
 長州藩士、吉田寅二郎。号して松陰。
 「大法螺吹き」の異名をもつ佐久間象山のもとで嘘を学んだ彼は、単身アメリカに渡ってアメリカンジョークを身につけようとした。小舟を操って黒船によじ登り、清人と嘘をついて乗せてもらおうとしたが、すぐ見破られる。彼の嘘は、拙劣であった。
 密出国未遂の罪に問われた松陰は、故郷で松下村塾をひらき、子供たちに嘘を教える。いつか自分を超える嘘つきが育ち、この日本を救ってくれることを信じて。
 その門下には久坂玄端、入江九一、前原一誠など、幕末の風雲を嘘で駆け抜けた人材、伊藤博文、山県有朋、品川弥二郎など、後の明治政府で嘘つきの名声をほしいままにした人材がいる。その中に、高杉晋作がいた。
 晋作に稀代の嘘つきの才能を認めた松陰は、彼に英才教育を施す。

 天下無双の嘘つきとなった晋作は、八面六臂の大活躍。
「外国人みな殺しじゃあ!」と嘘をつきながら英国に留学生を送り、「十年間世間を離れる」と嘘をついて頭を丸め、東行と名乗って坊主になった振りをしながらも突然クーデターを起こし、「日本を離れたことがない」と言いながら上海で武器を買い付け、「もう幕府には逆らいません」と嘘をついて油断させながら大島を夜襲して幕府海軍を追い払うなど、変幻自在の活動をみせる。
 まさに、嘘の申し子であった。
 天堂晋助という一子相伝の嘘の継承者とふとしたきっかけで知り合った晋作は、彼に嘘つきの天才を認め、江戸に京に彼を送りこみ、各地で嘘を流布し、世を乱して幕府を翻弄した。世間では天堂晋助を「嘘つき晋助」と、薩摩の中村半兵衛、肥後の川上彦斎、土佐の岡田以蔵と並べ称して怖れた。
 そんな晋作が唯一苦手にしていたのが、土佐の浪士坂本龍馬だった。竜馬は「土佐の大法螺吹き」と呼ばれた逸材で、晋作より一段とスケールの大きな嘘をつく人物だった。

 その晋作も労咳に倒れ、死が訪れるころ、新たな嘘の担い手が登場する。村田蔵六。改名し大村益次郎。
 元は医者である。緒方洪庵の適塾でオランダ流の嘘を学び、宇和島藩や幕府に雇われてイギリス、フランス、ドイツの嘘つき術の書を翻訳する。
 その洋式嘘つき術に注目した長州藩は、彼を対幕戦の最高司令官に任命し、彼の嘘に長州の命運を賭ける。
 大村の指導で洋式嘘を学んだ長州の嘘つきは、幕府方の旧式の嘘つきがひとつ嘘をつくたびに、10の嘘がつけた。この圧倒的な嘘力の差で幕府を圧倒した長州と薩摩の連合軍は、ついに天皇の命令という大嘘をつき、倒幕の密勅をくだす。
 将軍慶喜は、大政奉還という大嘘でこれに応じる。しかし時の利は薩長にあり、薩長は天皇を奉じて新政府をつくる。幕府はじりじりと押されながら、大阪城に籠もる。
 最後の決戦を進言する老中に対し、「幕府に西郷、大久保のごとき嘘つきがいるか。みな中途半端な正直者ばかりだ」と嘆いた慶喜は、決戦すると嘘をついて会津藩主松平容保、桑名藩主松平定敬とともに大阪城から逃げ出す。途中見とがめられるが、「小姓の交代だよーん」ととっさに嘘をついてうまうまと船で江戸まで逃亡する。

 全国に波及した朝幕の闘いのなかで、越後長岡藩家老、河合継之助は苦闘する。一撃万人を騙すというガットリング嘘を背景に会津と新政府軍との仲介をしようと図るが、あいにく土佐出身の軍監、岩村精一郎は稀代の正直者で嘘が通じなかった。交渉は決裂し、長岡藩は新政府軍の軍勢をうけて闘い、河合は死ぬ。
 かつて京を嘘で塗り、天下を戦慄させた新撰組も離散する。豪快な実戦的嘘つきの組長、近藤勇は「大久保大和だよーん」とついた嘘がばれ、流山で斬られる。天才的な嘘つきといわれた沖田総司は労咳に倒れ、余命いくばくもない。嘘をつくために生まれてきたような謎の男、斎藤一は「山口五郎でーす」と嘘をついたまま行方知れず。ただひとり残された土方歳三は、江戸から流山、宇都宮、会津、函館へと嘘に嘘を重ね流れてゆく。
 函館政府降伏の前日、土方は単騎新政府軍の総督府に向かう。歩哨に誰何された歳三は、
「新撰組副長が総督府に用があるとすれば、嘘をつきに行くだけよ」
 と豪語し、一斉射撃の銃弾を受けて息絶える。
 そんな中で、天才的嘘つきとして高杉晋作に見込まれた天堂晋助も死ぬ。仏心を出して真実を語ったのだが、逆恨みした幕兵が降伏すると見せかけて後ろから狙撃した銃弾に倒れる。嘘の天才が、嘘に騙されて死んだ。

 かくして戦乱は収まるが、風雲はまだ終わらなかった。
 「やまとそらごと」を絶対視し、大村が推進する西洋式の嘘制改革を苦々しく思う国粋主義の一派。大村は正直な西郷を騙していると怒る西郷シンパ。この2つの勢力が結びつく。
 ある夜、「大村様に教えを乞いたく参りました」と嘘をついて襲った刺客に大村は斬られる。大村は即死は免れるが、傷はシーボルトの娘イネの懸命の治療にもかかわらず悪化。「大丈夫です。私は名医ですから」と謎の嘘をのこして、大村益次郎は死ぬ。

 中国では花咲爺のことを「花神」という。村田蔵六、大村益次郎は時代が嘘を求めたとき忽然と誕生し、嘘の時代が終わった途端退場した。彼こそ、あの時代の「嘘神」だったのかもしれない。(嘘塵−阪神戦にあらず)

 

 参考文献 NHK大河ドラマ「国盗り物語」総集編(全2巻)
      同「花神」総集編(全5巻)


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