そもそもの目的はトロピカルフルーツをしこたま食うことにあったわけだ。市場やスーパーでしこたま買い込んだやつを、ホテルの小部屋でがしがしと食いまくる。
まずは前座から。
グリーンマンゴ(1つ15バーツ)
以前フィリピンで飲んだグリーンマンゴジュースが大好きになり、あれほどうまい果物はない、と今でも思っているのだ。普通の黄色いマンゴもあったが、グリーンマンゴがあったら買わないわけにはいかない。
というわけで喜び勇んで買ってきたのだが、ひじょうに固くて剥きにくく、芯は固すぎてナイフも通さない。かじるとほのかに酸味と甘みがあり、もうちょっと熟せばおいしくなりそうだが、いかんせん未熟すぎる。がすがすのかちかち。
ランブータン(キロ13バーツ)
毛だらけの果皮は意外と簡単に剥ける。つるんとした果肉はマスカットの水分を少なめにして、上品な蘭の香りをわずかに加えた感じ。おいしいのだが、種の渋皮が果肉にくっついてくるので、どうにも食いにくい。品種改良が待たれるところである。
マンゴスチン(キロ40バーツ)
栗の皮のような果皮は意外と柔らかく、ナイフをぐるりと回せばあとは手で剥ける。ただしアクがものすごいらしく、五個も剥いていると爪の中が真っ黒になるし、シャツについた染みは取れない。
味はいい。ほのかな甘酸っぱさといい果汁の多さといい上品な香りといい食いやすさといい、ベスト。さすが果物の女王と呼ばれるだけのことはある。
ロンガン(ひと房27バーツ)
小さなジャガイモのような皮をむくと、中はマンゴスチンのような半透明な房が入っている。上品な甘さと酸味は、ライチよりうまいかもしれない。ただ、種が大きいので食いでは少ない。時間をかけても腹一杯にならないので、暇つぶしに食うには手頃かも。
ドラゴンフルーツ(ひとつ30バーツ)
赤い果皮は意外と柔らかく剥きやすい。白い果肉に小さな種がいっぱい入っていてキウイのようだ。汁けは多いが甘みも酸味も乏しい。ハズレだったか。
ローズアップル(6個30バーツ)
タイ語ではチョンプーというらしい。赤いのと緑色のがあって、赤い方がわずかに高いが、どちらも皮をむけば緑色の果肉。
梨のように水気が多くさくさくしているが、わずかに渋みがあるだけで味がない。そのまま食うと淡泊というかなんつーのか、まるで味がしない。
この果物のパックには褐色っぽい砂糖のような小袋がついていた。これをつけて食えということかと思い、振りかけてみたのだが、なんとこれが砂糖でなく塩だった。しかも唐辛子やショウガが入っているらしく、ぴりぴりする。しかし、これを掛けて食うと、渋みは消えほのかな甘みがして、ぐんと美味くなった。どういう作用なのだろうか。民族の智恵って、えらいね。
さて、いよいよ真打のドリアンである。
ドリアンにはこれまで、無数の伝説が語られてきた。
そのひとつは臭いに関するものである。
ドリアンの臭いを形容した表現はいろいろある。
ごくざっと蒐集しただけでも、「ウンコ」「メタンガスの臭い」「生ゴミを腐らせた臭い」「水虫で脂足のオッサンが数ヶ月はきつづけた靴下」「腐ったチーズ」「下水のドブの中を流れてきたチーズ」「プロパンガスとニンニクの腐ったのとタマネギの腐ったのを混ぜ合わせたもの」「ニンニクとタマネギが腐ったものを混ぜたロックフォールチーズのカスタードプリンを真夏のベランダに三日間放置してから精霊流しで神崎川の下水道をくぐらせてきたもの」などがある。
その臭いの波及範囲についても、さまざまなことが言われている。
ごくざっと蒐集しただけでも、「冬の密室バスの温風暖房で加熱されたタクアンよりも破壊的」「その臭いは十里四方に届く」「バス、鉄道、ホテルなどの公共機関にはドリアン持ち込み禁止」「それどころか、ドリアンを食べた人は半日間公共機関への立入禁止」「ドリアンを剥いた手は一週間悪臭を放ち続ける」「ムエタイ選手の禁じ手にあるが、ドリアンを拳に握ってパンチすると一発でチャンピオンも悶絶する」「ドリアンを一個持ち込むと、その飛行機の計器に異常が生じて墜落する」「熟練の麻薬犬がドリアンの臭いを嗅いだために半年間使用不能になった」「香道の家元が真夏にタイを訪れたために廃人となって流派が断絶した」「裏千家の家元は真夏にインドネシアに行ったせいで新境地を拓いた」などがある。
本当なのだろうか。
もしこれらの言葉が真実なら、東南アジアは六月から十月まで、阿鼻叫喚の巷となっているのではないだろうか。ドリアンの臭いに弱い人は淘汰されているのではないだろうか。カオサン通りは阿片と大麻とドリアンでばたばたと人死にが出ているのではないだろうか。
すくなくとも、2003年6月上旬のバンコク市内は、そんなに凄くはなかった。スーパーマーケットでも、ドリアンを丸ごと転がして並べていたが、そんなに凄い臭いではなかった。ま、かすかながら、食べ物とはおもえない臭いがしていたのは事実だが。
そもそも、もしドリアンがそんなにすごいのなら、そもそもスーパーで売ることはできないのではないだろうか。だれが下水のドブの臭いが1キロ四方にたちこめる店で食い物を買おうと思うか。腐ったタマネギチーズの臭いがしみついたパンツを買おうと思うか。
バンコクのような都会で売られるドリアンは完熟しておらず、臭いも薄いといわれる。またタイのような先進国では品種改良も進み、臭いの弱いドリアンが普及しているともいわれる。そしてまた、まだドリアンの最盛期ではなかったため、まだ熟していないドリアンばかりだったとも考えられる。それにしても、やっぱり先人たちは大袈裟だと思う。うちのホテル、ドリアン禁止じゃなかったし。ちっ、せっかく大量のジップロックを用意して密輸に備えていたのに。
さて、ドリアンにはもうひとつの有名な伝説がある。
それは、「ドリアンと酒を一緒に摂取してはいけない」というものである。
ある人は「血圧が急激に上昇するため、ものすごい頭痛に襲われる」という。またある人は、「胃の中でドリアンとアルコールが急激に発酵し、ものすごい量のガスを放出するため、胃が破裂する」と語る。さらにある人は、「どちらも細胞の代謝を活発にして身体を暖める作用があるため、相乗効果で血が沸騰して死ぬ」と語る。そしてある人が語るには、山田五十鈴の娘の女優、嵯峨三智子、彼女がバンコクのホテルで蜘蛛膜下出血をおこし死んだ原因は、はっきりとドリアンと酒のためだという。
こちらは本当なのだろうか。やはりここは実験してみるしかあるまい。
この身で酒とドリアンを同時摂取して、伝説が真実だったか否かを確かめる。科学の徒としては、これしかないだろう。
真実の追求のためには、科学の祭壇にこの身を捧げることもいとわない、ああ私ってなんて崇高な人物なのだろう。ジェンナー君、キミもがんばりたまえ。野口君、精進だよ。シュバイツアー君、まだ若いよ。キュリー君、女だな。
しかし相手は伝説の果実、魔性の果実、ドリアンである。私もむざむざと殺されるわけにはいかない。万が一に備えておこう。
まず遺書としてはこのモバギの日記があれば、みんな私の崇高な実験精神に感動してくれるだろう。
そして民間療法には民間療法で。ドリアンと酒の組み合わせがあぶないという言い伝えが本当ならば、その対症療法として言い伝えられていることも本当だろう。
まず、「ドリアンと等量の塩水を飲めば、ドリアンののぼせが取れる」と言われている。これに従って、ペットボトルの水の中にしこたま食塩を放り込んでおく。
さらに、「ドリアンは身体を暖め、マンゴスチンは冷やす。だからドリアンとマンゴスチンを同量食べれば大丈夫である」とも言われている。さいわい、マンゴスチンはしこたま買い込んでいる。万が一の時すぐに食えるように、十個分くらい皮を剥いて用意しておこう。
と、用意周到な準備を整えたところで、冷蔵庫からドリアンとビールを取り出す。
パックされてはいても、ドリアンは冷蔵庫の中でかすかな、しかし確実な匂いを発散させていた。しかしパックを開けても、それほど強烈には匂わない。そういうものなのか、それともこちらの鼻が麻痺してしまったのか。しかし鼻を近づけると、たしかにオワイの臭いがする。ウンコの臭い、とよく言われるが、それは正確ではない。ひり出したばかりのウンコの臭いではない。ウンコが日光にさらされ、さらに発酵した状態。そう、私が子供のころ、まだあちこちにあった、野ツボの臭いだ。
ひと口かじってみる。表面は熟しすぎたバナナのような、それでもまだ果物の感じなのだが、皮一枚隔てた中は、ずるずるのじゅくじゅく。いくらかの繊維だけ残して残りは液状化する寸前、といった食感だ。
フルーツの甘酸っぱさをどこかに残しながらも、やはり一番近い味はイモだ。ふかしたサツマイモを放置しておいたら、発酵して中がずるずるじゅくじゅくになってしまった、そんな感じ。
さて、ビール一缶とともに、ドリアンひときれを食ってみた。
食後三十分ほど様子をみたが、とくに変調もない。そこで、もうひときれも食うことにして、メコンソーダを作った。ドリアンをもうひときれ。やはりなんの音沙汰もない。
結局その日は、メコンひとびん、ビール四缶をあけてしまったのだが、なんの後遺症もなかった。ドリアンが熟しきっていなかったのか、私がドリアンと酒に強い特殊体質なのか、事前に食べたマンゴスチンの効果があったのか、古来からの言い伝えが嘘だったのか、それはなんともいえないけれど。
ドリアンのほうはなんともなかったが、酒が祟った。翌日は手ひどい二日酔い。迎え酒にビールを飲んでみたが、夕方までまともにメシが食えなかった。
いやいや、ひょっとしたら、これがドリアン効果というやつかもしれない。というのは、尾籠な話だが、トイレに入ったらきのうのドリアンの臭いを倍くらいに増幅したやつがでたのだ。こういうのも生物濃縮というのだろうか。
おまけ
タガメ(一匹15バーツ)
ウィークエンドマーケットの干物売場で、二十センチくらいの小ぶりなスルメや、一メートルくらいの巨大魚の干物(カツオを丸ごとカツオブシにしたような感じ)などと並んで売っていた。タイではこの虫を粉末にしてゴハンに振りかけると、三杯はおかずなしでいける、と言われているらしい。そのせいか、タイにしてはけっこういい値段だ。もっとも日本では絶滅寸前なので千円じゃ買えないだろうけど<死んだタガメに金を出す日本人はいないと思うけどな。
なんというのか、昆虫標本の匂い(虫の死骸の匂い)と、カメムシ特有の匂いと、なにか揮発系の香料の匂いがいりまじったような匂いがする。それもそのはず、タガメはカメムシ目に属する。
塩茹でにしているらしく、かじるとしょっぱい。腹にがぶっとかみつくと、内臓がぶちゅっと飛び出してきた。その香ばしいこと。外からする匂いを百倍くらいに増幅した匂いが、いっせいに口の中に広がった。ホヤの味に似て、喉から頭のほうへすっと抜けていくような味、というのだろうか。しかしなんにせよ塩辛い。殻や脚は固すぎ、とても食えない。やはりこれはすりつぶして粉にして、料理にふりかけるのが正解ということか。
飛ぶ夢を見た