くだらな日記(2008年1月)


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1月25日(金)
 他人の掲示板にネタレスを書き込んだ翌日、他の全員がマジレスばっか並べてて自分の書き込みがものすごーく浮いているのに気づいたときって、突発的に自殺念慮が発生するよね。


1月24日(木)
 都内書店を3店回ってようやく「ギャグマンガ日和」を揃えたわけだが、読んでいて、どうもこの漫画は回によって面白さにブレがあるなー、と思ったんだが、よく考えてみると作品の質が上下するんじゃなくて、私が歴史上の人物に異様に敏感なんだと気づいた。「ガガーリン」という文字を3分間ニヤニヤ見つめていられるからなあ。「吉備真備」でご飯3杯はいけるからなあ。「水野忠邦」はうっ、「阿部正弘」はぁぁぁぁん、「松本良順」ひいぃぃぃぃ、「土方歳三」ら、もうらめぇぇぇぇぇ。


1月20日(日)
 昨日の例の漫画を読みたくなって近所の本屋に行く。この本屋はどの本もなぜか1巻だけ置いてないので有名な本屋だ。きょうは珍しく1巻と3巻の「ギャグマンガ日和」があったので買う。本屋は「2巻だけ置いていない本屋」へのイメージチェンジをはかっているのかもしれない。
 笑った。こんなに笑ったのは「神聖モテモテ王国」以来かもしれない。なぜかソードマスターは収録されていなかったが、編集団体からの抗議で削除されたのかもしれない。ちなみにペリーはカツアゲ娘を大金持ちのバカ息子に嫁入らせたとき、自分もホイホイついていってチャッカリ大金持ちの大邸宅に住まわせてもらい、人手が足りないときは皿を洗ったり料理を運んだりしていたので、カツアゲされた金額くらいもう簡単に取り戻したよ〜んだ。
 おかげで昨日書いた快傑ライオン丸のラストは嘘で、実はこんなだったんじゃないかなという気がしてきた。

(獅子丸、ヒカリ丸に乗って駆けつけるも、タイガージョーはゴースンサンダーとガンドロロの銃撃で虫の息)
錠之介「すまん……一緒にゴースンを倒そうと……だが……どうやら……無理」
獅子丸「馬鹿野郎!なんだって死ぬときだけ人間に戻るんだよコノヤロー!」
錠之介「……?」
獅子丸「あっちの魔人を見ろよ!!毛皮かぶってるじゃねえかチクショウ!俺だってかぶりてえんだよチクショウ!」
錠之介「し……獅子丸?」
獅子丸「さっさとタイガージョーになれよこのヘタレ野郎!マントなんかじゃ物足りねえよバカヤロウ!虎の皮かぶりてえんだよコノヤロウ!」(と瀕死の錠之介の胸ぐらを掴んで振り回す)
錠之介「……ご、ゴー……スン……タイガー……」
獅子丸「ったく、さっさとそうすればいいんだよ」(と獅子丸、脇差を抜いてタイガージョーの生皮を剥ぎにかかる)
(ゴリ……ベリベリ……ザクッ……ゴシゴシ)
小助「さ、沙織ねえちゃん……」
沙織「小助ちゃん、こんなときは、お師匠様から習った印を結んで、こう唱えるのよ……私は何も見ていない私は何も見ていない私は何も見ていない私は何も見ていない私は何も見ていない私は何も見ていない私は何も見ていない私は何も見ていない……」
(獅子丸はライオン丸に変身、タイガージョーの生皮を頭から羽織って)
ライオン丸「待たせたなガンドロロ!これで互角の勝負だ!」
ガンドロロ(互角じゃねえよアンタのほうが百倍怖いよ血がダラダラタテガミからしたたって虎の目玉が半分飛び出して肉とか血管とかあっちこっちはみだしてダラダラと血が流れてしたたって飛び出してはみ出して流れてしたたってはみだしてながれてしたたって)
ライオン丸「さあ来いガンドロロ!」
ガンドロロ「ひぃぃぃぃ来るなっ来ないでくれ来るなぁぁぁぁ!!」(と銃を乱射)
ライオン丸「お前が銃を撃つことくらい先刻承知だ!その弾を防ぐために、あらかじめ身体にタイガージョーの毛皮を剥いだ残りの肉体を巻いていたのさ!」
ガンドロロ「ひぃぃぃぃ筋肉がむきだしで血がダラダラ血管とか神経とかぜんぶぴろぴろしてぇぇぇぇ」(勝手に自爆)
ライオン丸「あとはゴースンとの一騎打ちだけ……沙織、小助、お前たちは飛騨に戻るんだ」
沙織、小助「ひっ、ひぃぃ!」(と風のように早く逃げていく)
ライオン丸「どうしたんだ、ふたりともまるで逃げるかのように……そうか、ゴースンが動き始めたんだな!」
ゴースン「ひぃぃぃぃ来ないで許してごめんなさいもう日本征服もしませんゴースン変化もやめますだからだからこっちには来ないでぇぇぇぇ来ちゃらめえぇぇぇぇ」
ライオン丸(ゴースンに向かって飛行しながら)「タイガージョー、やっとふたりきりになれたね。もうずっと一緒だよ。ぼくたちは永遠なんだ……ジョー、僕たちは、ゴースンの中でひとつになる……これが二人の結婚式だよ」

(ピカ……ゴォォオオオオオ)

 そのひとの 優しさが 花に優るなら
 そのひとの 美しさが 星に優るなら
 君は手を広げて 守るがいい
 身体を 投げ出す値打ちがある
 (著作権保護のため中略)
 愛する人のためだけでいい
 君に話すことが あるとしたら
 今はそれだけかも しれない
 今はさらばと 言わせないでくれ
 今はさらばと言わせないでくれ


1月19日(土)
 1月もだいぶ過ぎてから、ようやく「快傑ライオン丸上巻は在庫を調査したところありませんでした」というメールが戻ってきた。もう手に入りそうにないな。ヤフオクでは上下揃いでプレミアがついてるらしいし。
 上下巻を一気に読むことは諦めて、下巻だけ読んで快傑ライオン丸のラストを思い出したら、一時期流行した、例の漫画を連想しました。

ライオン丸「チクショオオオオ!くらえジェンマ!新必殺技ライオンバックル!」
ジェンマ「さあ来いライオン丸ゥゥゥゥ!オレは実は一回刺されただけで死ぬぞオオ!」
(ザン)
ジェンマ「グアアアア!こ このザ・ガンマンと呼ばれる八人衆のジェンマが…こんな棺桶に…バ…バカなアアアアアア」
(ドドドドド)
ジェンマ「グアアアア」
ジャムラ「ジェンマがやられたようだな…」
ジュウカク「フフフ…奴は八人衆の中でもマフィアンに次いで二番目に弱い…」
アブター「獅子丸ごときに負けるとはゴースン魔人の面汚しよ…」
獅子丸「くらええええ!」
(ズサ)
3人「グアアアアアアア」
獅子丸「やった…ついにゴースン八人衆を倒したぞ…これでゴースンのいるゴースン島の扉が開かれる!!」
ゴースン「よく来たな快傑ライオン丸…待っていたぞ…」
(ギイイイイイイ)
獅子丸「こ…ここがゴースン島だったのか…!感じる…ジャラモンの魔力を…」
ゴースン「獅子丸よ…戦う前に一つ言っておくことがある。お前は私を倒すのに『象牙の槍』が必要だと思っているようだが…別になくても倒せる」
獅子丸「な 何だって!?」
ゴースン「そして沙織と小助はやせてきたので最寄りの町へ解放しておいた。あとは私を倒すだけだなクックック…」
(ゴゴゴゴ)
獅子丸「フ…上等だ…オレも一つ言っておくことがある。このオレに宿命のライバルがいるような気がしていたが別にそんなことはなかったぜ!」
ゴースン「そうか」
獅子丸「ウオオオ風よオオオ!光よオオオ!」
ゴースン「さあ来いライオン丸!」
 獅子丸の勇気が日本を救うと信じて…! ご愛読ありがとうございました!


1月17日(木)
 「墓場鬼太郎」第一回では、育ての親であるところのサラリーマン水木が地獄に堕ちその母親が発狂するところだけが、私の読んでいた小学館漫画文庫と違っていた(たぶん少年マガジン版。水木と母親に墓場に行くことを禁じられた鬼太郎は、目玉と共に家出する終わり方になっている)ので、貸本屋版はどうなのか確認しようと思うのですが、近所の本屋ではいつも1巻と2巻が品切れ中です。やっぱ育てた恩を仇で返すのはあんまりだということで少年誌コードが発令されたのでしょうか。でも、「ごらんのように、らい病という不治の病にとりつかれ」という、今だったら患者団体から抗議が来る確率150%の、ほぼ自爆テロに等しい台詞は、そのまま残ってるんですけどね。抗議が来る確率が100%、謝罪文がおざなりだと再度糾弾される確率が50%の意味。


1月15日(火)
 「ヤッターマン」のリメイク版の主題歌について山本正之が文句を言っているようですが、まあ、あの人は落合バッシングもやっていた文句タレですから。そんなに悪いとは思わないんですがねえ。昔、トッシュというグループが歌っていた「ヤットデタマン」の主題歌になんとなく声質が似ている気がします。ただ世良さんなら、もっと絶叫してほしかったかな、という感想。


1月13日(日)
 先日、ケーブルテレビの地上波デジタル移行用に電波状況の調査に来た職員さんの口車に乗って、ケーブルテレビをデジタルに買えたのですが、なんか失敗した気分。
 まず第1にコピーワンスとかいってDVDに録画不能。DVDレコーダーの説明書をよく読んだら、コピーワンスはCPRM対応のDVD−RWでないと録画不可能とのこと。嗚呼、これで買っておいた50枚のDVD−Rがゴミになってしまった。
 第2に、デジタル放送には千葉テレビとTVKが入っていない。嗚呼、これで必殺仕事人V・風雲竜虎編と必殺橋掛人の視聴、ならびに高校野球神奈川県予選のパンチラ視聴が不能となってしまった。
 第3に、なまじケーブルチューナーにHDが内蔵されているため、せっかく先月買ったばかりのトリプルレコーダーとの連動が悪くなってしまった。嗚呼、トリプルレコーダーでの録画予約をどうやったらいいものか、見当がつかん。ケーブルチューナーのHDへの録画予約はできそうだが、そこからDVD−RWへの移動をどうやったらいいものか、見当がつかん。
 これだけのダメージを受けて、メリットといえばアニマルプラネットが見られるようになっただけ。しかしこの局、犬猫番組が多すぎる。私は犬畜生や猫又もどきが見たいんじゃない、バルカンヘビガタトカゲとかダイオウグソクムシとかの生態が見たいんだっつーの。
 なんかデジタル化って、視聴者にいいことがまったくないような、TV局と電機メーカーだけが得をするような気がしてならないんですが、どうなんでしょうね。


1月11日(金)
 「ストックデールの逆説」というのは初耳でしたが、調べてみると、これは逆説といえるのかどうか微妙な気がしてきました。

 ストックデールというのはベトナム戦争で捕虜になったアメリカの軍人で、8年間の捕虜生活の末、やっと釈放されてから、耐えられた秘訣を人に聞かれて「最後には必ずうまくいく、その確信を失わなかったからだ」と答え、さらに捕虜生活に耐えられなかった人はどんな人だったか聞かれて「楽観主義者だ。彼らはすぐ釈放されると考え、それに裏切られるとすぐ絶望して死んでいった」と答えたとのこと。ええと、ネットの全員が、グーグルまで含めて私を騙しているのではないとしたら(雑文読み特有の猜疑心にアルコール依存症第3期が結びついた複合症状)、だいたいそういう話です。で、まあ、現実を冷厳に見つめ、かつうまくいくという確信を持てという、ビジネスによくありがちな教訓話となっているそうなんですが。

 しかしこれ、逆説といえそうなのは「楽観主義者ほどすぐ絶望する」というくだりだけで、全体としては要するに、「待て、そして希望を持て」という巌窟王の言葉に集約できるんじゃないか。太平洋戦争の帝国陸軍は現実を見ようとせずに「そのうち戦況が変わるだろう」という根拠のない希望に裏切られ続けながらも最後まで希望を捨てなかった不屈の楽観主義者集団だったわけですが、彼らはどうして戦争継続に耐えられたんだろうか。とか、いろんな疑問が出てくるわけですが。


1月9日(水)
 今年は星新一没後十年(正確に言うと去年末ですが)でいろいろなイベントが行われるそうですが、意外と若い人には読まれていないようですね。私くらいの世代、三十代から四十代くらいだと、読まない人はいない、という感じの作家だったのですが。少なくとも私の周囲では。
 あれほど時事風俗を書かなかった人だから、いつの時代でも通用すると思っていましたが、意外なところから古びているのが原因のようです。
 たとえば作品によく出てくる「二号」という言葉、これが今では死語ですな。今では「二号」も「妾」もなく、ぜんぶ「愛人」ですませますからな。そもそも「妾を囲う」「二号に店を持たせる」という行為が、現在行われているのかどうか。
 これも作品によく出てくる「殺し屋」「バーのマダム」という職業も、なくなってはいないでしょうが、ちょっと古くささを感じさせるでしょうね。日活アクション映画時代のキャラでしょうな、あれは。
 その他にも、作品を古びさせまいとする努力が逆に、「クーラー」「テレビセット」などという単語を逆に目立たせているような気がします。(本人は機会あるごとにそういう単語を改訂していたそうですが)
 その点、歴史小説や時代小説はトクですな。これ以上古びようがないし、時事風俗をちりばめても「よく考証している」と褒めてもらえる。星新一の一年前に司馬遼太郎は死んだのですが、私は過大評価気味の司馬遼太郎はしばらく読まれなくなり、星新一は読み続けられると思っていたのですが、逆やったですね。


1がつ6にち(にちようび)
 きょうの、ゆうがた、えぬえちけーの、てれびを、みたら、まちるだというなまえの、すごくこわいきょうりゅうが、あばれていました。やっぱり、ちゃがわさんは、こわいなと、おもいました。


1月5日(土)
 去年末からのソ連ブームに乗り遅れまいとして森村桂「ソビエトってどんな国」、芹沢嘉久子「モスクワの顔」(いずれも中公文庫)を続けて読む。
 森村桂はすごい。どのくらい凄いかというと、ソ連を紹介する番組のレポーターとして訪ソしておきながら、クレムリンを見て「ここがレニングラード?」と言っちゃうほど凄い。これほど凄いのは、他にはkasumi様か、やはりソ連の招待で1か月ほどソ連国内をめぐったあげく、バクーのソ連作家同盟の大会場にでかでかと掲げられた肖像画を見て「あれがブレジネフかい?」と言い放ち、同行の星新一に「レーニンだよ。それも分からないなんて、困っちゃうな」と苦言を呈された北杜夫くらいなものだろう。レーニンはハゲ! ブレジネフはフサ! 
 この人はニューカレドニアにも本当に行ったんだろうか、間違えてニューポート経由でアーカムに行っちゃったりしなかったんだろうか、と心配になってくるほどだ。
 この人が訪ソしたのはアンドロポフの時代で、ブレジネフ末期に硬直化し非効率となっていた部門を懸命に立て直そうとしていた時期だったが、そんなことは関係なしに、市井の人々を描くかというとそれもあまりせず、主に取材スタッフとの喧嘩に明け暮れている。ソ連側の担当者や通訳、森村夫まで参戦して、毎日怒号と不貞腐れと取材拒否と出演拒否の日々が続く。それが逆に、「みんながみんなを監視する社会」の縮図となってアンドロポフの密偵政治の怖さ、日本マスコミの「自粛」体質の恐ろしさを読者に伝えることに成功している、というのはたぶん深読みしすぎだろうな。

 「モスクワの顔」の芹沢氏のソ連滞在は1965年から68年まで、森村氏のほぼ20年前になる。フルシチョフ失脚直後で、まだブレジネフも権力を固めきらない集団指導体制の時期だ。もう一年早ければフルシチョフ体制とその失脚を国内で見た体験談が読めたのに、残念でした。
 まだフルシチョフ時代のなごりが残っているので、一般向けの物資はある程度豊かになっているようだ。「ストッキングはもうモスクワで高価だが売るようになっているので、日本から持っていってもあまり意味がない」などと的確なアドバイスを与えてくれる。いまだに「ロシアに行くならボールペン、ストッキング、腕時計、これを百円ショップで大量に買いこんでチップの代わりにすればいい」などと思っている人が多いからなあ。私とか。
 樺太駐在記者から抑留され、そのままソ連に住みつき、ロシア女性との結婚、そして離婚、アルコール依存症となり問題を起こしてモスクワ赴任となり、アパートで孤独死をとげた日本人、スダさんのエピソードが哀しい。


1月1日(火)

かたつむり主人不在で年を越し
初春にモズのおせちは風に揺れ
          虎玉 


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