ライブハウスの春秋

 Webで個人ページを運営している、いっしょうという御仁がいる。
 彼のエッセイが好きでよく覗きに行くのだが、実は彼の本職はミュージシャンである。バンドを作ったのだが病に倒れ、長期療養を余儀なくされた。作詞作曲能力を認められ、ソングライターとしてのプロデビューを打診されたが固辞した。あくまでバンドで自分がプレイしたかったのだ。いま、貧乏と空腹に悩みながらバンドを再結成し、活動を再開しようとしている。当節、こんなに「苦節」という言葉が似合う人も少ない。
 ええと、音楽が本職というのは適当でないのかな。いまのところ、彼の生活費は会社員としての給料収入やら、プレステのゲームを中古屋に叩き売る売却収入やら、食事を抜く支出抑制やらによって捻出されているらしい。しかし彼は社長になる気もない(と思う)し、ゲーム商人になる気もないし、ましてや断食芸人になる気もない。
 あくまで彼は、プロのミュージシャンとしての収入で生計を立てることを目標としている。たぶん会社も辞め、音楽事務所から受け取るギャラでゲームソフトを購入し、ギャラの残りで牛丼特盛り・つゆたくを注文するのが彼の理想像であろう。であるから、彼の天職はミュージシャンだというのが適当だろう。

 その彼がついにプロへの第一歩を踏み出した。10月16日に原宿でライブを開くことが決定したのだ。
 やはりここは彼の栄光への門出を祝福しようではないか、ライブへ出かけて彼の野望達成の第一段階を称えようではないか、などと思いつつ、どうしてもライブへ行くことへの気後れが生じるのである。

 ライブハウスに出かけるのが初めてというわけではない。いままで行ったことのあるライブハウスは、原宿のルイード、新宿の日清パワーステーション、リキッドルーム、ロフト、渋谷のEGGMAN、On AirのEastとWest、下北沢のClub Que、恵比寿のギルティ、高田馬場のAREA、四谷のフォーバレー、鶴見のロリーポップ、横浜の7thアベニュー、と覚えているだけでこれだけある。もはやライブの権威と豪語してもいいくらいである。
 問題は、これがすべてアイドルのライブだったことである。伊藤智恵理、宍戸留美、水野あおい、矢部美穂、堀川早苗、穴井夕子。私の前を駆け抜けていった女たちは数多い。とかいうとかっこいいような気がするな。
 私のライブ体験はたいがい次のような式次第となる。

 まず、会社を早めに抜け出し、予定の開演時間の10分後くらいにライブハウスに到着する。慌てる必要はない。大概のライブハウスは段取りが悪いので、開演時間になっても行列が並んでいるのは普通のことだ。
 ここで行列の最後尾に並ぶ、というのは何となく恥ずかしいので、近くの電信柱の陰などで関係がないふりをして佇む。本屋の店頭で雑誌を立ち読みしながらちらちらと行列の様子を窺うのもよい。
 開場したら、できるだけ人目につかぬようそそくさと階段を下りる。たいがい、ライブハウスは地下にある。階段は薄暗く、狭く、急なので、ここで転んだりしないことが大事だ。
 地下に降りると片隅で長髪のぼさっとした青年が机を前に座っている。一見すると、何もすることがない若者が呆然と座っているように見えるが、実はチケットの販売員である。無言で数枚の千円札を渡すと、チケットとパンフレットを渡してくれる。
 その近くには数人のスタッフがぼんやりと立っている。彼らは我々を軽蔑の目で見る。やはりライブの主役はロックバンドであり、アイドルなぞは数段下がった下賤なものとして見下される。私の背広姿を見て、彼らの軽蔑の目つきはますます強くなる。背広でライブに来るのは、レコード会社の営業マンとダメ社会人くらいなものである。軽侮の視線をかいくぐり、すぐに通り過ぎた方がよい。
 黒いカーテンをくぐり抜け、会場に入る。入り口近くにはスタンドがあってドリンクを販売している。大概のライブハウスは入場料にワンドリンク込みの料金を徴収している。チケットを渡して「ビール」とか「ウイスキー、ロック」など好みの飲料を注文する。好みといっても、ビールは恵比寿じゃなきゃ嫌だとか、ウイスキーはワイルドターキーじゃなきゃ嫌だ、ツーフィンガー頼む、などという贅沢は通用しない。
 会場は幸い、まだ込んではいない。立ち見である。最前列に椅子があり、まだ空いているが、これに腰掛けてはならぬ。最前列はコアなファンのための場所である。前列の客は、コールしたり、ヘッドバンキングしたり、振り付けを真似したり、乗り乗りになる義務がある。
 私の指定席は最後列、ゴミ箱の横である。どこのライブハウスでも、何故か必ずここに立つ。友人とも、「ぢゃあ7時頃にライブハウスのゴミ箱の辺りで」と待ち合わせしている。
 ゴミ箱の横でパンフレットを読みながらウイスキーを飲んでいると、待ち合わせたハラ君がやってくる。彼もスーツ姿で、アタッシェケースまで下げている。そのうち、E氏もやってくる。彼はGパン、Tシャツというライブハウスの正装だ。彼は厚木で勤務している。4時過ぎには出なければ間に合わないため、ライブの日は休暇を取って参加するのだ。
 3人で音楽と何の関係もない日露戦争の話などぼそぼそしているうち、予定開演時間のだいたい20分過ぎ、音楽が始まり、アイドルが登場する。
 最後列付近にいると都合の悪い点が二つある。まず、後ろでは撮影スタッフがビデオを撮影しながらうろつき廻るので、そのたび道をあけなければならない。ライブハウスで1番偉いのはミュージシャン、2番目はスタッフで、客はお情けで入場を許された賤民にすぎない。特にアイドルファンは最下層階級である。客たるもの、スタッフ様の邪魔になるようなことをしてはならぬ。
 もう一つは、やたら背の高い客が前に立つことである。最初は大丈夫でも、途中から前に割り込んでくることもある。我々には日照権や眺望権などの既得権は認められていないから、こうなると移動しなければならない。背が低い客だと思って安心していても、やたら手を振る熱狂的な客だとしばしば視線が遮られるし、落ち着かない。やはり我々と同じような、あまり熱意のなさそうな客の近くにいるのがいい。
 中には我々と同じ最後列で、音楽などまるで関心がないようにノートパソコンを広げ、熱心にキーを叩いている客がいる。実は、彼はとても熱心なファンなのだ。彼はライブの曲目、衣装、MCの台詞を克明に記録し、即時にライブレポートを作成するのだ。レポートはインターネットまたはパソコン通信で報告する。ライブを見られなかった人や、私のように見終わった後、「なんかよく覚えてないけど、とても幸せになれた」という痴呆的な記憶しか残らない人間にはとても重宝なものである。
 演奏が終わり、アイドルが退場するが、ここで帰ってはならぬ。アンコールの拍手が間髪を入れず最前列で始まるので、それに合わせて手をたたく。
 手が痛くなった頃、着替えたアイドルが再登場し、歌い出す。アンコールはだいたい3曲、15分くらいであるが、本番1時間、アンコール1時間半という本末転倒な事態になったこともある。
 アンコールも終わり、アイドルが退場すると、客席側の照明が点灯する。これが本当に終わったというサインである。照明がついたらアンコールしても無駄だ。さっさと我々も退場する。
 中にはアイドルが出口に立っていて、出ていく客一人ひとりと握手して見送ってくれることもある。酒臭い息を気にしながら握手して出ていくのはなかなかいいものである。
 急で狭く暗い階段を上り、地上に出ると、出口付近でCDやキャラクター商品などを売っている。その脇ではミニコミ雑誌なども売っている。宍戸留美のミニコミ「Nice!RunRun」は面白いので見つけたら買っている。
 そして腰をさすりながら帰途につく。もはや寄る年波で、2時間も立っていると腰が痛くなってしまうのだ。途中、駅前の居酒屋に入り、ライブの幸せと腰の痛みをかみしめながら祝杯をあげる。

 とまあ、こんなライブが私にとっては一般的だ。
 これって、ロックのライブも一緒なのだろうか。それとも、全然違うのだろうか。ひょっとすると、背広は愚か、軍服でないと恥ずかしいとか。あるいは、髪を染めていないと居づらいような環境なのだろうか。いやいや、髪を全員立てていて、とっても見づらいのかもしれない。握手会はないよな。待てよ、客が全員ガソリンを呑んで火を噴くとか、鶏の臓物を生で頬張るとか、そんなことが義務づけられているのではないだろうか。まさか、もしや、客が全員で腰をくねらせながら、いやんいやんと絶叫しているのかもしれない。どうしよう。
 私の不安はつきない。
 


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