虎玉宗匠の恋歌教室

 お久しぶりです。虎玉でございます。
 昨年秋、傷心を抱いて漂泊の旅に出てはや半年。戻ってみればこはいかに、宿敵野村が我が阪神の監督に就任したとか。まことに花の色はは移りにけりないたづらに、でございます。
 え、今日は野球の話ではない。ははあ、恋の歌でございますか。よろしゅうございますな。春もいよいよ盛んになりまさる今、猫にも人にも恋の季節にございます。新しい恋を得た方、未だ成就せぬ恋を抱いた方も多いかと思います。既に成就した恋で相手の女性を「お嫁ちゃま」だとか「婚約者」だとか呼んでのろけている方もいらっしゃいますことでしょう。
 いずれにせよ愛しいひとには恋歌を贈るのが本朝の定めにございます。歌と言っても節のついた歌ではありませぬ。三十一文字、これこそが大和をのこの恋心を伝えるのにふさわしい歌にござりまする。相手の女性に贈る花束に、プレゼントに、恋歌の短冊を添えて渡せば、どんな女性も、あなたの教養と雅やかさに夢中になるに間違いありませぬ。

第1講 恋歌の作法
 三十一文字に我が恋心の赤裸々をこめて贈ればよろしいのでありますが、そこはそれ、和歌の道もなかなかに険しく深いものでございます。ここは下手に独創性を発揮するよりは、古歌の作法に則って作る方が安全でもあり、貴方の教養を相手の女性に伝えることもでき、よろしいかと思います。恋愛と芸術は必ずしも同じ道を歩むとは限りませぬ。

1)枕詞
 古歌には枕詞が付き物でございます。「白妙の→衣」「たらちねの→母」などご存じのものも多いでしょう。枕詞は貴方の教養を示すと同時に、文字が31に満たない場合に水増しをする効果があり、雑文道における「余談だが」と同じくらいの利便性を歌道においては認められています。例えば、

妹に恋ひ吾の松原の五百重浪(いほへなみ)立ちてもゐても忘れかねつつ

 などは、妹に恋ひ→吾の松原、五百重浪→立ちてもゐても、という二つの枕詞で構成されております。作者は「忘れかねつつ」だけを創作すればよいわけです。非常に便利と言うことがわかるでしょう。
 恋歌に使用できる枕詞としては、次のようなものがあります。

解衣(ときぎぬ)の → 思ひ乱る、恋ひ乱る
朝露の → 思ひ惑ふ
さねかづら → 後も逢はむ
東雲(しののめ)の → 思ふ
和魂(にぎたま)の → たをやめ
玉藻刈る → 乙女
山吹の → 匂へる妹(いも)
真珠(またま)なす → 吾が思ふ妹
若草の → 妹
玉梓(たまづさ)の → 妹

 ちなみに後半の「妹」は「いも」と読み、我が恋するひとよ、というほどの意味です。血縁関係の妹の意味ではございませんので、「くりいむれもん・亜美」だとか「実録告白・近親相姦の甘美なる地獄絵図」などというものを連想される必要はございませぬ。したい人はしてもよろしいが。

2)掛詞
 これは枕詞にも一部使われておりますが、同音異義語を使用してひとつの言葉に二つ以上の意味を持たせる技法です。例えば、

契りたる行く末まではかたければともに流れむ防人の里

 ここでは「行く末までは難ければ」と「博多」の二重の意味を持ち、「博多」が「防人の里」を導いております。要するに、駄洒落です。雑文道に駄洒落が便利な如く、歌道でも掛詞は便利なものです。巧く使えば頭の回転の速さをアピールすることができます。下手をすると「あなた、いつもそんなことしか考えてないの」という幻滅も呼びますが。

3)題材
 やはり古歌の伝統に則った花鳥風月を歌うのがよろしいでしょう。花鳥風月なら何でもいい、というわけでヘビトンボやイモリの歌を詠むのは、場合によっては相手の女性に「ヘンな人」という評価を下されてしまう危険があります。

秋津羽のあらく振りたるへびとんぼ君の指噛む顎のすすどき
病葉(わくらば)に病みて散りたり吾が心渕につもりて井守囓れり

 などの歌は、やはり恋歌としては避けた方が賢明でしょう。蛍、鹿、雁、紅葉、桜、などが無難な線でありましょう。

第2講 恋歌の渡しかた
 やはり恋歌は恋歌にふさわしい作法で渡したいものです。

1)贈り物に添えて渡す
 これがもっとも無難かつ成功率の高い渡しかたです。短冊に毛筆で書き、贈り物の包みに同封して渡します。例えば、オルゴールに添えて、

魂の筺秘める思ひは玉くしげ開けて聞きたし吾が妹が歌

 などのように、できればその贈り物を詠み込んだ歌にすれば、相手の女性もますます貴方の雅やかさに感動することでしょう。もっとも逆に作った歌にちなんだ贈り物ということで、

小車の別れはありても下帯の廻りめぐりて逢はんとぞ思ふ

 という歌をパンティに添えて贈るのは、止めた方がよろしいでしょう。ましてや鮑貝の柄においておや。

2)相手の家のバルコニーの下で歌う
 これは止めた方がよろしい。ギターに和歌は合いません。下手をすると牧真二になってしまいます。バケツの水をぶっかけられるのがオチでしょう。

3)大きな半紙に墨痕くろぐろと書いて掲げて廻る
 これは男らしいやり方ですが、避けた方がいいでしょう。つい「勝訴」と書いてしまいます。

4)竹の先に挿して恋人の通行を待ち、土下座しながら渡す
 これも止した方がいいでしょう。警護の者に制止される可能性が高いですし、斬り捨てられることもあります。万が一、受け取ってもらえたとしても、その後で打ち首獄門は確実です。

第3講 受け取った相手の反応
 貴方の精魂込めた歌を見た女性がどのような反応を示すかによって、貴方に対する気持ちがどの位のものであるかを推し量ることができます。

1)返歌を贈ってくれた場合は、相手も貴方のことを恋している可能性が高い。貴方も返歌の返歌をすぐ贈るべきでしょう。そうすれば返歌の返歌の返歌が返ってくるでしょう。このようにして和歌のやりとりを続け、百首に達したときに恋が成就する、というのが、平安朝の女房たちの間で伝えられた都市伝説でした。

2)無言で山吹の花を貴方に手渡した場合、喜んではいけませぬ。これは「七重八重花は咲けども山吹の実のひとつだになきぞかなしき」という古歌から、「身のひとつだになきぞかなしき」を掛け、貴方に捧げるこの身がないのは残念です、という意味なのです。男らしく濡れながら立ち去りましょう。

3)また無言で提灯を手渡した場合、それは「歌道が暗いから提灯借りに来た」という意味であり、貴方の歌がまずいか相手の女性が和歌を理解できなかったかのどちらかです。潔く和歌はあきらめ、日常語で話しましょう。

4)同じ無言でも、蝋燭の火が消えるさまを演じ、そこでぱたっと倒れた場合、演目は「死神」です。円朝の十八番だったので心して聞きましょう。

5)「『おのれ七度狐を騙すとは許せぬ。憎いは二人の旅人!』とくるっとトンボをきればたちまち人間の姿に早変わり」と言って本当にトンボを切る落語家は今までおりません。SMAPの中居あたり落語特訓してできないでしょうか。

6)さらに無言で貴方の短冊を破り、踏んづけて笑いながら去っていった場合、これは概して否定的な意味が込められていることが多いようです。

7)相手があなたの和歌の意味をねじ曲げ、訳の分からない言葉に置き換えてしまうことは、相手の女性は欧米人で、和歌を無理矢理英語に訳し、それをまた無理矢理日本語に戻したために生ずるようです。毛唐にはもののあはれはわかりません。諦めてシェークスピアからでも名文句を引用してください。

 以上の講義を活かし、和歌によって恋を成就させる若き恋人がひとりでも多く出てくれることを心からお祈りします。皆様も恋の成就のため歌道にご精進ください。

虎玉


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