目釘落とし

 美濃国、郡上八幡は美濃と飛騨の国境にある。長良川とその支流に沿って、かろうじて人の住める地がある、あとは山ばかりの街である。その中に城がある。郡上八幡城である。
 その城からの帰途、稲葉右京亮貞通が家臣、金村右馬之介は、得体の知れぬ人物と対峙していた。
(しまった)
 殿の孫娘の誕生祝いで、つい御酒を過ごしてしまったことが後悔された。そのために城を出たのが遅くなったことが後悔された。中間部屋で酔いつぶれている供の者を置いて、ひとりでふらりと歩きだしたことが後悔された。
 つまりはすべてが後悔された。
(しかし、わしの腕なら)
 金村は京で吉岡憲法に師事し、京流の達人としていささか人にも知られ、その腕を買われてこの郡上八幡に迎えられた。酔ってはいても、剣でおくれをとることはあるまい。
 金村は刀を抜いた。備前国長船源兵衛尉祐定、自慢の業物である。
 相手はすでに刀を抜き、中段に構えている。
 距離はおよそ四間。
 相手から仕掛けてきた。
 走りながら上段に構えを変え、そのまま打ちおろしてきた。
(遅い)
 金村は余裕をもって受けた。この程度の腕なら勝てる。そう確信した。
(まさか)
 金村は飛びすざって逃げながら脇差を抜いた。顔が、青ざめていた。
 自慢の祐定が、ただの一合で、柄から抜け飛んでいた。
「秘剣――目釘落とし」
 その人物は、はじめて、しわがれた声を発した。

「これで四人目じゃ。……能見殿、筒井殿、杉山殿……そして金村殿」
 堀川国安は胸を突かれた死骸が掴んでいる刀の柄をあらため、呟いた。
「すべて目釘が抜け、身が飛んでおる」
 日本刀は鉄でできた刀身を、木でできた柄にはめこんでいる。刀身と柄を固定するものが、目釘である。刀身の根元、茎(なかご)と呼ばれる部分と、柄の部分に、あらかじめ開けられた目釘孔に、目釘竹という肉厚の竹棒をさしこんで固定する。
 刀を柄に固定しているのは目釘のただ一点だから、目釘竹が抜けたり折れたりしただけで、その刀は使い物にならない。だからこそ武士はみな、刀の目釘には気をつけていた。普段から緩んでいないことを確認している。斬り合いが予想されるときは、水を口に含んで目釘に吹きかける。水分で目釘竹が膨張し、抜けないようにするためである。
 その目釘竹が、四人とも抜けて殺された。
 金村に至っては、刀も脇差も、どちらも抜けていた。
 四人とも士道不覚悟、刀の手入れも知らぬ腰抜け武士だったというのか。
「余人はいざ知らず、金村右馬之介は武芸練達の者として、あの稲葉殿がたっての願いで召し抱えられた方。その腕はわしも知っておる。酔ってはいても目釘が抜けたのに気付かぬ筈はない。ましてや二本とも」
「では、抜いたのですか」
 国安は甥の安之進の、まだあどけない顔を、呆れたように見やった。
「抜いた? ……どうやって? 伴天連の妖術でも使ったと、申すのか」
「妖術を使わなくても、抜けるかもしれませんよ」
 安之進は脇差を腰から抜き、柄のところを、側に生えている杉の木に打ちつけた。
 こつこつこつ。
 啄木鳥が虫を脅すような音が、山中に響いた。

 稲葉貞通は良通の息子。良通は、号の一鉄のほうが有名である。あの織田信長にすら主張を曲げず、その意を通した頑固者で、その号から「一徹者」という言葉がうまれたと言われている。
 その父の血を引いて、貞道も頑固者で知られる。
 そうやすやすと家康に内通して豊臣を裏切る人物ではないと思うが、国安には気がかりがある。
 いったん家督を継いだ貞道の息子典通が、九州征伐の際、不手際があって秀吉の怒りを買い、蟄居している。そのため、貞道がふたたび当主となった。
(それを根に持っていなければいいが)
 もし稲葉が家康につけば、隣国の織田三法師秀信も怪しくなる。三河の福島正則もどうなるか。
 東西を区切る要地を敵に取られるかこちらが取るか、瀬戸際なのだ。
(そのためにも、いま騒動が起きて欲しくはない)
 家臣が何人も斬られていることを、貞道がどう受け取り、どう臍が曲がって豊臣への怒りへ転化するか、わかったものではないのである。
「おじさん」
 安之進の声がした。
「寝てたでしょ」
「……いや」
 宿に借りている寺の縁側で、いつのまにか物思いにふけっていたようだ。
「お前こそ、どこで遊んできた」
「やだなあ、もう子供じゃないんですよ」
 安之進は国安の物思いも知らぬ顔で笑い、ひとふりの打刀を差しだした。
「これを作ってたんですよ」
 国安は受け取った。思ったよりも、ずしりと重い。
「……これは」
 叔父の目がぎらりと光るのを見た安之進は、屈託のない笑顔で言った。
「今夜あたり、また出るかもしれませんよ」

「やはり出たか」
 亥の刻をすこし過ぎたころ。城から寺への道を歩いていた国安は、ひとつの影が道に立ちふさがるのを見た。
 影は無言で、刀をふりかざした。
「お主か、稲葉殿家中の者を殺してまわっておる者は。家康の手の者か」
 影はあくまで無言で、間合いを詰めてくる。
「云わぬ存ぜぬか。……それもよかろう。こちらも容赦なく」
 国安は、腰の打刀を鞘から抜いた。
「斬る」
 それを待っていたかのように、影は襲ってきた。
 上段からの真っ向斬り。
 国安は打刀で斬撃を受けた。がしり、と鈍い音がした。
「ばかな」
 影が、はじめて口をきいた。あきらかに動揺している。
 国安の打刀は、抜けも折れもせず、手のうちにある。
 影がもういちど、打ちおろしてきた。国安は受けた。同じ光景が、そこにあった。
「何度やっても同じじゃ」
 国安は微笑した。
 影は狂気したように、言葉にならぬ叫び声をあげながら、滅茶苦茶に打ち叩いてきた。国安は、そのすべてを、受けてやった。
「無駄じゃ」
 国安の一喝を浴び、影はわれにかえったようだった。
 逃げようとした。
 後ろをむいたところを、袈裟がけに斬られた。

「やはり、伴天連の南蛮金であったか……半分くらい当たったな、安之進よ」
 右肩から左腰にかけて、まっぷたつに割られた男の腕が握っていたものを子細に眺め、国安はふり向いた。
 いつの間についてきたのか、安之進が暗闇のなか、佇んでいる。
「変なもんですね。鋼じゃないし、銀でもない」
 それは刀の形をしてはいるが、鉄とはまったく違う金属で、すべてができていた。
 おそらくその金属の持つ、固有の震動周波数が、打ち合ったとき、鉄と竹との接点を強く刺激し、目釘竹が抜けるのであろう。
 そして脇差でとどめを刺す。
 国安は男の腰にある脇差を抜いてみたが、やはり血を吸ったあとがみられた。
「しかし重いな、こういう刀は」
 国安が鞘におさめた打刀には、目釘を刺していなかった。
 すべて鉄でできていた。茎を長くつくり、直接鮫革を巻き、それに糸を厚く巻きあげた刀だった。
「おじさんが歳なんでしょ、重く感じるのは」
 安之進は国安叔父をからかうように笑った。


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