正平と去っていった虎

「では、ご存分に」
「うむ」
 ぼくは鈴音からずっしりと重い銃を受け取り、平静なふりをして構えてはみたが、心臓はどきどきしていた。
「いざ」
「うむ。 ……え、えっと、寒夜に霜の降りるごとく、でござるな」
「いかにも。霜の降りるが如く、でござるよ」
 どーん。
 まだ引くつもりのなかった引き金は、ぼくの意志に反した指のぴくりとした動きを敏感に感じとり、火縄をはじき、火薬を点火し、……そして銃弾は、的からはるか離れた方向へ飛んでいってしまった。
「奇妙なり。しからば拙者が」
 ぼくはうなずいて、精神を集中している鈴音を横から見つめた。鈴音は目を半眼に、左手で銃身を支え、右手は軽くそえるだけにして、息を整えているようだ。
 有吉源十郎鈴音は、鉄砲寮学問所入学前からのぼくの朋友で、今も親しい念者だが、そういえば、最近こうして顔をじっと見ることなんてなかったな、とぼくは思う。

 鈴音とぼくは、鞍馬にある鉄砲寮学問所の生徒だ。
 世界には火薬というものがある。伝説では、昔は偉大な鉄砲使いがいて、ギリシア火薬だとかてつはうだとか、戦争の勝敗を左右するような大活躍を火薬で行っていたらしい。実際にはたぶんそんなことは不可能だっただろうと一般には言われているが、戦争技術が今よりも低く、花火程度で馬が怯えて逃げだすような時代には、それも可能だったと考えている学者もいる。
 でも現在の世界では鉄砲を戦闘で使うのは、あまり効率のいいことではない。ぼくのように鉄砲が苦手な人間にとっては論外としても、百発百中の使い手にとっても、武器としての鉄砲は槍や弓矢には絶対にかなわない力しかないのである。鉄砲は一発撃つごとに煤を抜いて火薬を入れ直し弾を込めなければならない。それをやっている間に突進してきた兵士に突き殺されてしまう。おまけに雨が降ったり川を渡ったりだと火薬が湿って役に立たない。
 そういうわけで、鉄砲はあまり人を傷つける道具として使用されていなかったのだが、これに革命を起こしたのが、いまの豊臣関白府の初代関白、裕松院様(秀吉)の主君であったという織田信長だ。
 彼は鉄砲を持った兵士を三組にわけ、一組が打ち終わって次の装填をしている間に、つぎの組が進み出て撃ち、さらにつぎの組が……という具合に、連続して切れ目なく発射する方法を考えた。思いついてみれば、なあんだ、ということだが、その発想はともかく、ふつうの武将の三倍の鉄砲を持っていなければできないことであり、そういうことを実現したのはすごいと思う。
 信長のあとを継いだ裕松院様は、鉄砲をよりいっそう活用した。どんどん量産して天下統一に役立てるとともに、朝廷に鉄砲寮を新設し、学者たちを集めていろいろ工夫させた。たとえば火皿と火蓋を改良し、火縄をすっぽりと覆って雨に濡れないようにしたり、火薬を改良して水の中で爆発する水中銃を開発したり。いま鉄砲寮、そして養成機関である学問所は、天下をめざす若者の憧れの対象になっている。
 そんなところに入ることができたぼくたちは、それなりに優秀ではあったんだろうなとは思う。けれど、それは鉄砲以外のところ、算用に堪能だとか和歌の受け答えがうまいとか、そんなところが評価されたわけで、ぼくは、特に鉄砲の実技に関しては、どうしようもなく「そうでない人」だと思う。自分ながら。

「では、前段よりの続きにござる。裕松院様の大明征伐からでしたな」
 国史の楊師匠の声が教室に響く。
「ここだけの話ではあるが、裕松院様はまっこと果報者、と拙者は思う。確かにわが兵の撃つ鉄砲の威力は圧倒的じゃ。しかし腐れても大明、まともに戦えば衆寡敵せず、勝つことは難しゅうござったと思う。ところが、裕松院様の号令のもと、三十万の我が軍勢が北京の都へ押し寄せたそのとき、まっこと偶然そのとき、起こったのが李自成の反乱じゃ」
 楊師匠は口角泡を飛ばし、どこからか隠し持っていた張り扇を教卓に叩きつけて叫ぶ。「北見うじは国史や三国志の授業だと、溌剌としてござるな」と、ぼくは言われたことはあるけれど、とてもじゃないが楊師匠には勝てないと思う。
「嗚呼、冠を衝いて一怒するは紅顔の為なり、山海関の門をひらけとの呉三桂の命とともに、怒濤のように押し寄せるわが軍勢、ここに大日本泰平の礎は、明・朝鮮・蒙古にしっかと築かれたりぃ」
 楊師匠の講談、いや授業はとどまるところを知らない。

「しげまる、おなか、すいた」
 楊師匠の名調子に聞き入っていたとき、とつぜん耳元で正平がささやいたので、ぼくは椅子から転げそうになり、正平をにらみつけた。
「あと一時間じゃ。我慢せよ」
 正平は教室の床に座りなおすと、くんくん、とまたぼくの懐のあたりをかぎはじめる。ぼくはしかたなく、懐から握り飯を取り出して正平に投げ与えた。
 正平はぼくの鉄砲足軽。
 鉄砲を扱う人ならだれだって、銃を磨いたり銃丸や火薬を持ち運ぶ鉄砲足軽をいつも連れて歩いている。鉄砲の整備だけでなく、主人の銃撃のフォローも行うパートナー、それが鉄砲足軽。もちろん人間だが、異名として獣の名前がつくことが多い。鈴音の鉄砲足軽は黒猫の藤兵衛。黒猫のようにこっそりと、敵に忍びよっての闇からの狙撃が得意だ。同級生の浜野の鉄砲足軽は白烏の大牙。烏のようにすばやく移動し、特製の連発銃で敵をなぎたおす。ぼくの亡父の鉄砲足軽は大熊猫の末吉。絶大な人気者で、鉄砲足軽のくせに調略に長けているという、妙な鉄砲足軽だった。
 そしてぼくの鉄砲足軽は、犬の正平。犬程度の役にしか立たない、半人前としか言いようのない鉄砲足軽だ。まあ、主人のぼくが射手としては半人前以下だから、しかたがないか。
 日本語がたどたどしいのは、大明征伐のとき朝鮮から連れてきた捕虜だからだ。なんでも朝鮮の発音では、じょんぴょん、と呼ぶらしい。それでは呼びにくいので、ぼくは、じょんぺい、と呼んでいる。

 そのとき爆音がした。とてつもない騒音。ビードロが割れ、黒鉄がひしゃげ、いや、無理やりねじ切られるような音。「だから、ガイ・フォークスの火薬なんて使うなって言ったろ!」という男の声、そして、何を言ってるのかわからない、甲高い女の叫び。
 教室を飛び出したぼくたちを化学室の前でむかえたのは、せきこむようなはげしい煙硝の臭いと、ふたりの人物。
 ひとりの男は、ぼくたちと同じような服を着て刀を差しているが、もうひとり、女のほうは、なんだろう、派手な色の羅紗のような布を、妙な形に裁断したもので身を包み、やけに細身の刀を腰につるしている。
「率爾……ながら、足下は、どなたでござるか」
 気が動転しているときはしょうがないもので、ぼくが最初に発した言葉はそんなものだった。
 男はぼくの言葉を聞いて、なぜかびっくりしたようだ。
「え、あの、安之進。堀川安之進……って、え、あの、日本人なのか」
「日本でござる」
 さっぱり要領を得ない会話がしばらく続いたあげく、やっと男は納得したらしい。
「すまない。迷惑をかけた」
 男はぼくに軽く頭をさげ、すこし笑った。

 もうひとりの女は、さっきからいろいろ喋ったり叫んだりしているが、何を言っているのかさっぱりわからない。
「かの女、南蛮人ならん」
 父親が堺の商人だけに、南蛮の言葉がすこしはわかるのだろう、一瀬はぽるとがる人の宣教師を呼びに走っていった。
「あ……あの、南蛮女は、足下の鉄砲足軽でござるか?」
 ぼくが話しかけると、男はさっきもそうだったが、ぼくが話すのが意外でしょうがない、という驚きの表情でこちらをじっと見つめている。その様子は、なんというか、長いこと他人の言葉を聞いたことがなかった、という感じだ。
「鉄砲? いや、こいつはニーナと……」
「荷ない? 荷担ぎ人足でござるか?」
「いや、そうではなく……」
 そこにずい、としゃしゃり出てきたのは鈴音。ぼくは彼の顔を見て、まずい、と思った。かれの宿痾である「困っている人を見たらお節介しないではいられない病」が発症しかけている顔だ。
「見れば仔細のありげな按配。そなたたち、たれかに追われる身と見たが、如何」
「いや、別に、なんというか……」
「お隠し召されるな。武士は相身互い。窮鳥懐に入れば猟師もこれを撃たずとか。われら、ねんごろに匿もうて進ぜるぞ。おお、蚊も食わせぬほどにな」
「いや、なんというか、それは……」


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