女海賊とつむじ風野郎

「なんであたしがおまえの下僕なんだよ!」
 ニーナはわめいた。
「話の次第でな」
 安之進は苦笑した。
「鉄砲足軽だと奴のかぶき風俗といって、ニーナみたいな格好でもそれほど変に見られないらしい。おかげで俺も、鉄砲使いにされてしまった」

「それよりもニーナ」
 安之進は鉄砲寮の一室で、急にニーナに顔を近づけ、あたりをはばかるように小声になった。
「う、わ、わ、な、なんだよ」
「声が大きい。それに赤くなるな。なあ、なんだか妙だと感じないか?」
「う……まあ、爆発でジェノヴァから日本に飛ばされるってのも、ちょっとな」
「それどころじゃない」
 安之進はちょっと、眉をひそめた。
「ここは、俺たちがいた世界じゃない世界、だと思う」
「そりゃ、ジェノヴァと日本じゃ世界が」
「そういう世界のことじゃなく、なんというのかな、こう、成り立ちから歴史からまったく違った世界だ。もしかしたら俺たちのいた世界がこうなったかもしれないという、そんな世界だ」
「?」
「たとえばこの国の歴史だ。俺がいた日本では、豊臣秀吉が明の征伐に失敗して死んだ後、家康が政権を簒奪して、徳川家の天下になっている。ところがこの世界では、秀吉が明に勝って、中華を占領、その勢いで豊臣政権が秀吉の死後もそのまま続いている。つまり、歴史の流れがちょっとだけ違っているんだ」
「??」
「本当にちょっとしたこと、大明の衰えが何十年か早まっただけのことで、これだけの違いになってるんだ。こんな違いが他の歴史にも、いろいろとあるんだろう。他の国にも。たとえば、おまえの国のあたりでは、ルターが最後に法王と妥協したかもしれない。そうすると、プロテスタントは分裂せず、法王はもっと強力になる。イタリア半島を統一するほどの勢いかもしれない」
「???」
「つまり、おまえがジェノヴァに帰っても、ジェノヴァって町も、海賊も、もうないかもしれないんだ」
「ええええええっ」ニーナはのけぞるほどに驚いた。
「ジェノヴァがなかったら、あたしの船はどうなるんだ。まだ名前もない子分どもはどうなるんだ。ナッコ・ムーラが船を追い出されて生活に困ってるってんで貸してやった金貨4枚はどうなるんだ」
「そう細かいことから言われてもな」安之進は苦笑した。
「ど、ど、どうやったら戻れるんだ。金貨4枚返してもらえる世界へ」
「わからん」安之進は腕を組んで虚空をにらんだ。
「考えられることをやってみるしかないだろう。俺たちがこの世界に来たのはあの爆発が原因だと思う。とりあえず、あの爆薬を手に入れれば」

「ほほう、えげれす渡来の火薬でござるか」
 そこだけ聞くと、鈴音は身を乗り出した。
「されば大阪にも堺にも、えげれす人がたんと来てござる。明日にでも連れてまいりましょうぞ。おお、そうじゃ、堺の商人ならば、一瀬の父君がずんと懇意ぢゃ。さっそく紹介の労をとって貰うべい。一瀬、一瀬、そちはいずこにあるや」
「いや、ちょっと」
 せっかちに一瀬一瀬と連呼はじめた鈴音を止め、安之進は説明を続けた。
「ほほう、ではえげれす本土から特殊な火薬を買い求めたいと。しかし面妖じゃな、火薬はえげれすより、わが国のほうがずんと優れておるぞ。わが火薬を使えば百間の遠みから撃てるぞ。えげれすの火薬では五十間がせいぜいじゃ」
「ま、まあ」
 北見重太郎という、おとなしそうな人物が鈴音を押しとどめた。
「客人がそういうんだから、なんとかしてやれないかな」

「ごめんね。鈴音は、悪い奴じゃないんだ。ただお節介が過ぎるのと、勝手に思いこんで勝手に突っ走るのが」
 北見重太郎といえば狒狒でも退治しそうな豪傑に思えるが、どちらかというと目立たない、いや非常に目立たないといっても過言ではない、やや小柄な青年。
 その重太郎と安之進は、堺の港で海をぼんやりと眺めながら、えげれす船を待っていた。
「いや、そういうのには慣れているから」
 安之進は波を目で追いながら、ふと苦笑した。
「それに言葉が悪いけど。彼って影響されやすいんだ。だから使ってる鉄砲足軽の奴言葉が、ときどき混じって」
「なに、あいつも女とは思えない汚い言葉で」
「あいつって?」
「いや、なに」
 あとが怖い安之進は言葉を濁した。
「あの女の人の鉄砲足軽のこと?」
「おお、船がやってきたぞ」
 話を逸らすのに絶妙のタイミングで視界に見えてきた南蛮船を指さした安之進は、やがて驚きの声をあげた。
「なんだ、あの旗は?」
 南蛮船には、安之進の見知らぬ大きな旗が掲げてあった。
 海賊旗ともちょっと違う。黒字に、可愛いとも不気味ともつかない、あやしげな魚のような顔が描かれた旗。
「堀川さんは知らなかったの、カスミ教を?」
「カスミ?」
「うん、あれはえげれす人が信じてる、カスミ教の海の守り神、だごんの旗だよ」

 その夜、鉄砲寮の一室に戻り、安之進はニーナに昼間の話を聞かせた。
「カスミ?」
「おまえは覚えていないか。前に船に乗せてやった夫婦のあやしげな教祖。どうやらヨーロッパの半分は、あいつらの宗教にのっとられたらしい」
「ほ、法王はどうなったんだ?」
「どうやら俺たちの世界で宗教改革にかぶれた国が、軒並みカスミ教になっているらしい。ドイツ、スイス、イギリス、北欧あたりだな。南のスペイン、ポルトガル、フランス、イタリア半島はカトリックのままだそうだ」
「そういえばあいつら、フランスの南にいたんじゃなかったのか?」
「どうもまた、十字軍を編成して、聖地を奪回するつもりだったらしいな。でもイスタンブールとハンブルグを間違えて、北に移住しちゃったらしい。あの教祖らしいな。そこでどういうわけか領主に気に入られて、どんどん信者が増えたらしい」
「カスミ……あの、コスプレ女とボロ着男のあの邪教が……」
「こちらの世界では、あのあと子供がふたり生まれて、ふたりの救世主ってことで、ますます教勢がさかんになったらしいな。しかし厄介だな」
「なんで? あの二人に恩を着せて、うまくやってもらえば」
「この世界じゃ俺たちとあの二人は会ってないだろ。それにこの日本でも、カスミ教とキリスト教の宣教師がいさかいを起こしているらしい。宗教の争いに巻き込まれなければいいが」


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