ペペロンチーノの迷い方

 恥ずかしながら、いまだにペペロンチーノなのかペペロンチーニなのかわからない。ついでにいうとペペロンチーノ或はペペロンチーニは、アサリをバターと白ワインで炒めてスパゲティにからめる料理だと思っていた。それはカルボナーラだっちゅーの。おいおい、カルボナーラは挽肉とトマトソースをからめる奴だろ。お爺さん、なんてこと言うんですか。それはペスカトーレよ。そうかのう、それはスモークサーモンのピューレをからめるんじゃなかったかのう。いやですわお爺さん、それはサルモネーラよ。
 Googleで両語句で検索した限りでは、ペペロンチーノが多数派である。だからといってペペロンチーノが正しいと判断するのは速断である。ひょっとしたらペペロンチーニは対米開戦に反対した勇気ある良識派かもしれない。「ライブドアでええやん」とたったひとりでプラカードを掲げた孤高の近鉄ファンかもしれない。とするとペペロンチーノはナベツネか。許すまじペペロンチーノ。ペペロンチーノのプロ野球私物化を許すまじ。みたび許すまじペペロンチーノ。くたばれ死ねペペロンチーノ。地獄へ堕ちろペペロンチーノ。

 ちょっと冷静になろう。ひょっとするとペペロンチーノが男性形でペペロンチーニが女性形なのかもしれない。アタシが作るペペロンチーニ。ボクが食べるペペロンチーノ。とすると、これまでペペロンチーニと言ってきた私はネカマということになるのか。パスタだけにパカマかもしれない。
 男女差別イクナイ。男だってスパゲティくらい作れるようになろう。ここはじぇんだーふりーを主張してペペロンチーパーソンを提唱するか。イタリア語ならペペロンチーペルソナか。略してペルソンチーニ或はペルソンチーノ。いやそれではまた男女差別。ということでペルソンチーペルソナ。略してペルペルチーニ或はペルペルチーノいやそれでは男女差別ということでペルペルチーペルソナ略してペルペルペルーニ或はペルペルペルーノいやそれでは男女差

 堂々巡りしてしまった。この「ペペロンチーノ(ニ)男女差別説」にはじつは重大な欠陥がある。イタリア語では、男性形がoで女性形がiという語尾変化のしかたはない。oが男性形ならaが女性形なのが通常である。となると、この語尾変化はなにものか。
 ここで「ペペロンチーニ複数形説」が誕生する。イタリア語の語尾変化の法則では、単数oと複数iの組み合わせが多数みられる。つまり、ペペロンチーノの複数形がペペロンチーニである、と考えるのが妥当である。
 しかし、そもそもペペロンチーノのようなものに単複の区別があるか、という疑問が残る。スパゲティの単数形とはなにものか。ひとすじのスパゲティか。そんなもの作ってどうしようというのだ。あまりに情けなくて頸動脈を切断したくもなろうというものだ。
 ここで折衷案が現れる。ペペロンチーノは普通盛りでペペロンチーニは大盛りだとする、「ペペロンチーニ大盛り説」である。これがきっかけとなって、普通盛りとは何グラムを適当とすべきか、数年間にわたってイタリア言語界ならびにイタリア料理界ならびにアメリカンバーベキュー界をゆるがせた論争がはじまり、さらに「ペペロンチーニ特盛説」「ペペロンチーニつゆだく説」「ペペロンチーニねぎだく説」「ペペロンチーニ味噌汁つき説」「吉野家はペペロンチーノ、松屋はペペロンチーニ説」「ペペロンチーニギョク入り説」「カレーにギョク入り許すまじ説」「カレーに醤油も許すまじ説」「トンカツに醤油も許すまじ説」「串カツに醤油の気持ちはわかる説」「カラシも忘れずに塗ってね説」「マヨネーズかけたい奴は勝手にしろ説」など数々の珍説奇説が誕生したが、ここでは詳説しない。

 ところが最近、「ペペロンチーノ(二)男女差別説」に強力な援軍が現れた。「失われた女性形」説である。
 この説によると、ペペロンチーノは男性形である。過去のイタリアにはこれに対応する女性形があったが、女性弾圧の歴史の中でそれは失われてしまったのである。過去の歴史の中で女性がいかに虐げられてきたかは論ずるまでもあるまい。カトリック教会は「教会で女性は黙すべし」と命じた。ある聖職者は「私は聖母マリアよりも、男性であるという点だけで神に近い」と豪語した。
 ならば、ペペロンチーニは何者か。それはルネサンス頃に発生した言葉だと推定される。
 ご存じのように、ルネサンスは人間復活の叫びである。教会によって賤しいものとされてきた生きる喜び、肉体の美しさ、それらを素直に認めようとする運動である。これにともない、女性の顔や乳房や尻などの美しさもおおっぴらに讃美されるものとなった。個人的には尻だと思う。教会の神父のように「女性の美しさはあさましい骨と醜悪な内臓を覆う皮一枚のうつろいやすいものであり、男を迷わせる悪魔のたくらみである」などと言う者はもういない。
 女性が認められるとともに言語も見直された。ペペロンチーノなどという、食い物を男性形が独占する言葉はいかがなものか。料理を作るのは女のほうが多いのだ。それをペペロンチーノなどと、女性侮蔑である。もう作ってあげないわよ。あんたなんかスパ王でも食べてなさい、ふん。
 かといって失われた女性形は二度と戻ってこない。これを進化不可逆の法則という。やむなくルネサンス人は、男女両用の言葉を発明してこれに代用した。それが、ペペロンチーニである。ペペロンチーニは男性形でも女性形でもない、無性形というか両性形というかふたなり形というか、そういうものだ。
 大胆な言語学者はおそらく中世暗黒時代に失われたペペロンチーノの女性形を推定している。oが男性形、aが女性形という基本法則からいって、ペペロンチーナというのがほぼ正しいと思われる。
 されば私は迷うことなくペペロンチーナを作ろう。ペペロンチーナを食おう。ペペロンチーナちゃん。うふ。萌えそうな名前である。なにしろペがペロンでチーナなのだ。きっとテクがグンバツで愚息もクーイにちがいない。これで大2枚は安い。できればバージンオリーブオイルでいただきたいものである。ああんバージンなのにあんなことやこんなことを。煩悩はつきないので窓から飛び降りる。


参考文献:「ペペロンチーノの作り方」半茶


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