痛みに耐えろ

 このところ筋肉痛に悩まされている。
 ふとした拍子に背中のあたりの筋肉がギクッといったのがきっかけで、そこが打ち身のようになってしまったらしい。指圧しても痛まないので、どうやら背中の深いところの筋肉らしい。肋骨挙筋だとか回旋筋あたりだろうか。
 とにかく背中を丸めると痛みが走る。かがむと痛む。振り向こうとすると痛む。伸ばすと痛む。というわけで常に直立不動、背筋をぴんと伸ばして、まるで今までより健康優良な模範青年のようである。
 これでは仕事にならない。パソコンを使おうと前かがみになると痛みが走る。落ちたペンを拾おうとしてかがむと痛みが走る。靴下を履こうとしてかがむと痛みが走る。どうにもならない。
 しょうがないので病院に行った。

 あまり病院は好きでない。とくに総合病院は好きでない。
 好きでない理由のひとつは、やたら待たされることだ。
 最近の総合病院はコンピュータ管理がゆきとどき、総合受付から整形外科へ、整形外科からレントゲン室へ、レントゲン室から整形外科へ、整形外科から会計へ、瞬時に情報が送られるようになっているらしい。
 瞬時に送られないのは人間である。こちらはいちいち待たされる。
 このときも、総合受付で十五分、整形外科の受付で二十分、レントゲン室で十分、さらに整形外科で十分、会計で十分、薬局で三十分、合計一時間三十五分待たされた。診療時間は、整形外科で問診が五分、レントゲン撮影が五分、計十分である。
 それだけ待たされても、みんな文句もいわずに待っている。老人が多いが、みんなじっと耐えながら待っている。ときどき母親が子供を割り込ませようとして騒ぐ以外は、みんな黙って待っている。
 私も静かに待っているうち、老人たちと奇妙な連帯感が芽生えてきた。考えてみれば、いや考えなくてもそうなのだが、もはや私の年齢は、忙しそうに小走りで駆け抜ける看護婦たちより、じっと待っている老人たちに近くなっているのだ。
 私ももうすぐ、お仲間に入れてもらいます。きっと、あなたがた老人たちと、予科練や双葉山の話題で盛り上がることができるでしょう。そのときはどうかよろしくお願いします。

 けっきょく、背中を見ることもなしに、「寝違えみたいなもんでしょう。しばらく様子をみましょう」とのことで、薬を処方してもらう。筋弛緩剤と痛み止めと胃薬と湿布。
 さっそく湿布を貼り、薬を飲む。
 さすが病院の薬で、即効で痛みが引く。
 しかし副作用も即効かつ激烈である。もうれつな眠気とめまいがやってくるのだ。
 朝、薬を飲んで出かける。電車に乗るころには薬が効いてくる。座ると眠り込んでしまう。ところが座った姿勢で眠ると、背中が丸まってしまい、筋肉が伸びて電撃的な痛みが走る。さすがの鎮痛剤もそこまでは効かないらしい。もっともそこまで効いたら、全身麻酔と同じで、身動きもできないだろう。
 そんなわけで、眠り込んだとたん、痛みが走ってぎくんと目覚め、背筋を伸ばす。ところが痛みが消えるとまた眠くなってしまい、背中が丸まってぎくんと痛みが走り、目がさめて背筋を伸ばせば・・・という永久運動のようなサイクル。
 ベルを鳴らすのはこういう電気回路のメカニズムだと、学校で習ったような気がする。あちらは電流と電磁石で接点の金属片を曲げたり伸ばしたりしているわけだが、私は眠気と痛みで背中を曲げたり伸ばしたりしているわけだ。

 毎日薬を飲んで、湿布を貼って、もう一週間になるが、あまりよくなる様子がない。むしろ悪化している。
 このころでは背筋をぴんと伸ばしていても、やがて痛くなってくる。それなりに筋肉が疲労するらしい。しかたがないので、逆に背中を思いっきり丸めてみたら、痛みが消えた。しかしこれも当座のことで、また痛んでくる。そうすると背筋を伸ばす。背中を伸ばしたり丸めたりで忙しい。そんなわけで私の昼間は、「ノートルダムのせむし男」のカシモドとエスメラルダをひとり二役で交互に演じているかのような日常である。
 そうしていても、椅子に座って半日ほどすると、筋肉疲労のせいか、痛む筋肉のまわりの筋肉にまで、どんよりとした重い痛みが伝染してくる。背中から腰、そして脇腹から胸へと痛みが伝染し、肋骨のあいだの筋肉がぴりぴりとしびれて、呼吸が苦しくなってくる。
 かといって寝ていても、やはり筋肉をどこか使用しているのだろう。夜中に寝返りをうった拍子に、ぎくっと痛みが走って、思わずとび起きたりする。まるで悪霊に憑かれた人間のようである。本当に憑かれているのかもしれない。金縛りと霊の通過もこのところ多いし。
 薬の効果は、あまりはかばかしくない。湿布も貼った当初こそすっとするが、それだけのようだ。なにより、痛み止めの効果がなくなってきているような気がするのだ。いや、まったくないわけではない。副作用の睡眠効果は相変わらず絶大なもので、飲めばすぐ眠くなる。仕事にならないくらい眠くなる。ところが、肝心の痛み止めのほうがどうにも。背中や腰の痛みはいっこうに消えない。
 とりあえずもらった薬が切れるまであと一週間、様子を見てみよう。どうなることやら。


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