ネット社会の階級

 インターネットは平等で誰にでも開かれていると、多くの人は根拠もなく思いこんでいる。開かれていることは事実だが、平等は事実ではない。ネットには階級が厳然として存在するのだ。

 いくらかの人間が誤解しているようだが、サイト運営を始めた時期は、階級とは関連がない。古参だから上流階級、新参だから下層階級というわけではない。またサイトのヒット数も階級とは無関係である。メガヒットサイトでも下層階級はいる。階級はネット歴やアクセスカウンタにあるのではなく、運営しているサイトの内容によるのだ。

 ホームページのデータ量は、階級に反比例する。ホームページのデザインがシンプルな人は上流階級である。ホームページに壁紙や写真や音楽や商用バナーを貼りつけている人は下層階級である。
 ホームページにテーブルやフレームを使うことが多ければ多いほど下層階級である。
 ホームページにカウンターを設置している人は、設置していない人より下の階級である。すべてのページにカウンターを設置している人はもっとも下の階級になる。キリ番ゲットについて書いている人は、さらに下の階級になる。アクセス解析も、カウンターと同様である。

 サイトのコンテンツについていえば、「プロフィール」「日記」「雑文」「エッセイ」などは階級を下げることに貢献する。「キリ番の殿堂」「好きなものコーナー」「ゲームのページ」「旅行記」などは大きく階級を下げることに貢献する。
 自分の作ったものだけを提示しているサイトより、読者参加型の投稿受付けサイトのほうが、総じて上流に属する。ただし投稿がきわめて少ない場合に限り、最下級に転落する。
 たとえば日記や雑文を掲載しているサイトより、海外で見つけたヘンなTシャツ、トイレの落書き、妙な観光名所、などの投稿を掲載するサイトのほうが上流階級である。ただし投稿の質が低下するとサイトの階級も低下する。

 自分で運営するサイトの中での自分に関する情報が多ければ多いほど、階級は下がる。ハンドルネーム以外を明かさない人は、職業や嗜好や家族構成を書いている人より上流階級にある。自分の写真を掲載した人、「100の質問」に答えた人、これは最低の階級に属する。「100の質問」への回答が冗談であっても同様である。そういうものに興味を示したという事実そのものが、下層階級に属することの証明なのだ。

 ネットバトルについて論評する人、ネットバトルする人、ネットバトルを見物する人、ネットバトルを売られた人、ネットバトルに関心のない人、この順で階級は上位に昇る。
 オフ会に参加したことのない人、オフ会に参加したことのある人、オフ会を主催したことのある人、の順で階級は下位に下がる。

 「ネットでは」「リアルでは」と、ネット上の自分と実生活での自分をやたらに区別したがる人間は、上流階級でも下層階級でもない。人間として卑劣なだけである。

 日記で社会問題や政治について論評することが多ければ多いほど下層階級である。

 掲示板に宣伝の書き込みが多いほど下層階級である。

 yahoo!やReadMe!や日記才人や雑文速報、その他登録サイトに登録した数が多ければ多いほど階級は下になる。さらに、登録した宣伝文が長ければ長いほど階級は下になる。宣伝文に「大爆笑!!」「オモシロ」「ちょっとエッチ」「トホホ」「ダメ」「毒舌」などの語句が含まれているサイトは最下層階級に属する。

 リンク集のリンクが多ければ多いほど、階級は下になる。リンクバナーを貼るとさらに下がる。相互リンクは階級を劇的に下げるのに貢献する。

 インターネットでサイトを運営している人、インターネット上での活動に参加している人は、総じて現実社会での階級は中流以下である。

参考文献:「階級――平等社会アメリカのタブー」ポール・ファッセル(光文社文庫)


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