官庁街のひるめし

 はじめて省庁というところで昼飯を食った。
 お役人の総元締め、公僕の模範たる国家公務員たちは、いったいどんなものを食べているのだろうか。

 それは虎ノ門の某省庁ビルの一角にある。
 社員食堂、とこの場合も言っていいものなのだろうか。規模や店構え(店、と呼んでいいものなのだろうか)や品揃えや品質や値段や従業員の年齢や従業員の容姿や客層は、ふつうの社員食堂とあまり変わらないように見える。いや、客層はやはり異なるのだろうか。見た目はそこらのサラリーマンと変わらないが。
 これが豪華な大理石造りだったりビフテキが百円だったり金正日から小泉首相に贈られたマツタケが食べ放題だったりウェイトレスがバニースーツの美人女性だったり十二時十五分からダウンタイムだったりしたら、役人だけがうまい汁を吸っている、やはり役人はけしからん、と義憤にかられるのだが、そういう気配はいまのところない。

 とりあえずメニューを物色してみる。
 ハンバーグ定食、生姜焼き定食、サラダ、スパゲティ、そばうどん、ラーメン、寿司、など、ありきたりといえばありきたりな品目。ステーキにワインというような高尚な食品もないし(しかし昼間っから酒飲んじゃいかんな)、狸汁とか蛇飯とか犬鍋とか、そういう庶民の常識からはずれた食品もない。
 しかし、そんな中で、異色の品目を見つけてしまったのだ。

 それは「ラーメンの部」にひっそりと並んでいた。
 味噌ラーメン、タンメン、もやしラーメン、タンタンメンなどのごく通常の品目に伍して、燦然と輝く、「霞ヶ関ラーメン 三百五十円」の文字が。
 虎ノ門なのになぜ霞ヶ関なのか、という疑問がわいたのだが、よく考えるとここの住所は立派な霞ヶ関であった。地図で見ると霞ヶ関と虎ノ門の中間だし。自分が虎ノ門で乗降しているから、つい自己中心的に考えてしまったのだ。おまけに地理オンチだし。
 やはりなんといっても霞ヶ関はお役人のメッカ。
 「霞ヶ関ラーメン」というこの名称こそ、省庁食堂の真髄であろう。
 きっと、この一品をお役人に届けるためにのみ、この食堂をこしらえ、他の平凡なメニューをこしらえたのだ。この食堂のありふれた体裁もありふれたメニューも、すべてこの「霞ヶ関ラーメン」を隠すためのカムフラージュなのだ。
 これぞ森の中に木の葉を隠す犯罪の極意。まさに、ありふれたメニューにまぎれて豪華特別料理を食わせ、お役人だけうまい汁を吸っているという、動かぬ証拠でなくて何であろう。

 きっと三百五十円という低価格にもかかわらず、ウニとか松葉ガニとかフォアグラとか松茸とかキャビアとかの高級食材をちりばめているのだ。北海道産の小麦粉と赤穂の粗塩と自然の中で育てた鹿児島シャモの産みたて卵を五時間丹念に練って手打ちの麺をつくっているのだ。ウコッケイ丸ごとと朝鮮人参とクコと冬虫夏草と沖縄の海蛇でダシをとっているのだ。海原雄山お抱えの料理人や味沢匠や包丁人味平やミスター味っ子など当代一流のシェフが厨房につめかけ、腕をふるって作っているのだ。
 そしてお役人だけがそれを食することを許されているのだ。
 許せん。この不正は許せんぞ。この事実をルポルタージュして、官庁の堕落を全世界に訴えるのだ。と、意気込んで注文する。

 なぜか身分証明書の提示を求められることもなく販売を拒否されることもなく、ラーメンコーナーのおばちゃんは淡々と、「塩にしますか、醤油にしますか」と聞き返すのみであった。
 塩、と答えると、おばちゃんはまた淡々とラーメンを作り、淡々と三百五十円を受け取り、栄光の霞ヶ関ラーメンを私に淡々とよこすのだった。
 それにしても不思議だったのは、これほどに重要な食品をだれも注文せず、みんなタンメンやモヤシラーメンを注文していることだ。
 いや、ひょっとしたら、下っ端にはまだ霞ヶ関ラーメンの秘密が明かされていないのかもしれない。局長以上の幹部だけが知る秘密なのかもしれない。あるいは課長のぶんざいで霞ヶ関ラーメンを注文すると、考課表にその旨記入され、上司に「キミにはまだ早いと思うがねえ、霞ヶ関ラーメンは」などと嫌味を言われ、北海道庁網走出張所に異動となり、昇進の路が閉ざされてしまうのかもしれない。

 私の所有するところとなった霞ヶ関ラーメンは、みたところただのラーメンだった。
 なぜかキャビアもトリュフもクロマグロのトロも乗っていなかった。乗っていたのは、焼き豚一枚、ナルト、メンマ、ワカメ、ネギといったごく普通の食材。焼き豚も普通のもので、厳選された薩摩の黒豚の最上のロースを備長炭でじっくりと焼きあげたこだわりの逸品、には見えなかった。ナルトも、天然ものの瀬戸内の眼の下三尺の大鯛の眼のまわりだけを惜しげもなくすり身にして赤穂の粗塩を加えアンダルシアにしかない珍奇な赤サフランからとった天然色素を使って人間国宝の山本さんが一本一本丹念に蒸した素晴らしいできばえ、には見えなかった。メンマも、以下略。
 でもきっと麺とスープがすごいのだ。きっとカスピ海のキャビアをつぶして麺に練りこんだり、下関のトラフグでダシを取っているのだ。まず食べてみよう。
 食べた。
 どう見ても麺はそこらの工場製のありふれた中太やや縮れ麺。茹で時間を三分ほど超過したうえ水道水に十五分ほど放置し、注文を受けてから熱湯で温めなおして供したという感じの、やや伸びきったコシのない麺であった。
 スープはダシを感じるところの少ない、塩分も少ない、全国スープ偏差値43くらいの味であった。朝鮮人参どころか、はてこれは鶏ガラを入れているのだろうか、と案ずるようなスープであった。こんなの霞ヶ関ラーメンじゃないやい。ぜんぜん、うまい汁じゃない。

 ラーメンをすすりながら、どこらへんが霞ヶ関ラーメンなのか、とつらつら考えたが、やはりあれだな、スープだな。あの味の薄さ、水っぽさ、が、お役人のメッカ霞ヶ関たるゆえんなのだろうな。と、ちと社会風刺してみました。


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