不健康はおいしい

 サーロインステーキ症候群という言葉がはやったことがあった。
 上等のサーロインステーキは肉と脂が分離しておらず、筋肉の間にまんべんなく脂肪がまじりこんでいて、赤い筋肉にぽつぽつと脂身が見える。それが霜が降ったようなのでシモフリという。人間でもそういう肉になってしまった人がいて、そういう人をサーロインステーキ症候群という。運動不足のくせに高カロリー高タンパクの焼き肉とかステーキとか食ってばかりいると、こういう状態に人間もなってしまうのだという。シモフリを食ってシモフリになるわけだ。

 牛にもサーロインステーキ症候群が存在する。というか牛が本家だった。牛のシモフリはどうやって作るかというと人間と同じだ。まず牛舎に閉じこめて運動をさせない。そこに餌をばかばか食わせる。それもフスマとか干し草とかヘルシーな餌でなく、屑米とか配合飼料とか魚粉とか高カロリー高タンパクの食品ばかり食わせる。かつては死んだ同僚の肉や骨をニクコップンなどというものにして食わせていたらしいが、それはやめたらしい。運動不足で食いすぎだから、とうぜん太ってくる。四本の脚で自分の体重を支えるのがやっと、という状態になる。そこにビールをがばがば飲ませる。肥満と酔いで満足に立てなくなっても、天井からロープで身体を吊ってまだ飲ませる。そしてマッサージする。満腹で酔っぱらったところにマッサージを受けて、牛はいい気持ちでうとうとする。そこをばさっとかっさばいてみると、みごとなシモフリができているという。肥満と運動不足とアル中の結果がシモフリになるわけだ。

 そういえばフランス料理でとても珍重されるフォアグラも、ガチョウを地面に埋めて動けなくしておいて、穀物やトウモロコシの餌を大量に食わせて作ると聞いたことがある。満腹してもう食わなくなっても、口に漏斗をつぎ込んで無理矢理食わせる。まるで悪魔の手毬唄だ。すると病的に太ってくる。そこをばさっとかっさばいて取り出した肝臓をフォアグラにする。ふつうの肝臓の十倍くらいの大きさに肥大しているそうだ。つまり肥満と運動不足と肝硬変の結果がフォアグラになるわけだ。

 してみると健康な動物より不健康な動物のほうが食べておいしいのではないか、そんな気がしてくる。たしかに人間でも、イチローとか中田とか動き回っている人間は肉も固くて筋張っていてうまくなさそうだ。値段も高いし。いやわざわざ人間を持ち出さなくても、ケーッとか奇声をあげてすごい気迫で蹴り合っているシャモとか、闘牛士と闘っている雄牛とか、天皇賞をとったサラブレッドとか、あまり食べてもうまくなさそうな気がする。やっぱり高いだろうし。

 ひょっとすると他の肉類も、シモフリやフォアグラと同じ手順でおいしくしているのではなかろうか。たとえばタン。おいしいタンは柔らかくて適度に脂がのっていて、薄切りにして炭火で焼いても丸ごと煮込んでタンシチューにしてもしみじみとうまいものだが、あれも現場では、たとえばこんな育てかたをしているのではなかろうか。
 まるまると太った子牛の脳髄に針を刺して言語中枢と摂食中枢のあたりを破壊する。牛はモーと鳴くことも舌を伸ばして牧草をからめ取ることもできず、ただ口を開けてヨダレを垂らすだけの状態となる。そのままでは餌が食えず飢え死にしてしまうので、喉から流動食を流し込んで栄養を与える。そうして大きくなるまで育てると、動かせない舌は大きく柔らかく、脂ののった状態となる。そこをばさっとかっさばいて。

 あるいはミノ。牛の胃袋だが、いいミノと悪いミノの差は大きい。いいミノは適度にこりこりしていて噛みきれるのだが、悪いミノはひたすら弾力があって噛めども噛めども伸びるばかりで噛みきれない。しかし、弾力性があって伸縮性もある胃袋こそが、持ち主にとってはいい胃袋なのではないか。こりこりと硬い胃壁というのは、胃病なのではなかろうか。ひょっとしたら現場では、こんな育て方でいいミノを作っているのではないだろうか。
 子牛のうちから突っついたり殴ったり餌をやらなかったりしていじめる。わざと凶暴な牛と同じ牛舎に入れたりしていじめる。とにかくいじめまくってストレスを溜めさせる。ストレスで胃をやられた牛は、胃袋が硬くなって柔軟性を失い、メシも喉を通らないありさまとなる。そこをオモユとかオカユで生き延びさせ、死なない程度にいじめ続ける。ついに胃に穴が空いてしまったところで、ばさっとかっさばいて。

 さらに私は妄想する。将来、狂牛病に対する免疫やら科学的操作やらの研究が発達し、狂牛病のプリオンを無毒化することに成功したとしたら。そしてプリオンがおいしかったとしたら。
 牛舎のおじさんはせっせと子牛にニクコップンを食わせ、羊の肉とか骨とかも食わせ、せっせと狂牛病にかからせる。感染率が低いからおじさんも大変だ。牛がよろけだしたら、おじさんはおばさんと抱き合って喜ぶ。狂牛病の牛は普通の二十倍の値段で売れるのだ。「まあ、いいよろけ方だねえ」おばさんの目には涙だ。「これで娘を大学まで行かせてやれるよ、おまえさん」
 そしてばさっとかっさばいて。ロースやヒレは高級レストランに、バラやタンやミノやシマチョウは高級焼肉店へ。そして牛の首は緊急空輸で高級割烹へ送られる。そこでは政財界のお偉方がお待ちかねだ。牛の頭蓋骨をトンカチで割り、中の脳味噌をナマですすりこむ。「うーむ、みごとな味」「やはりプリオンの、このかすかな甘味が」「こたえられませんなあ」

 そういう時代が一刻も早く来るよう、研究者にはがんばってほしいものだ。おじさんもお偉方も待っているぞ。


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