瓶の中の手紙

 どこか遠い海のむこうから、椰子の実とともに流れ着いた小さな瓶。それにはきつくコルクの栓がしてあり、中には畳んだ紙切れが。紙を開いてみると、異国の文字で走り書きがある。乏しい読解力でなんとか翻訳してみると、こんな内容だった。

「愛するメアリ
 どうやら私の最期の願い、もういちどおまえの笑顔を見ることはかなわぬようだ。今後のことは弟のジョージと相談してよろしくやってくれ。最大にして最後の愛をこめて。

 私のジェーンへ
 お父さんはまもなく死ぬ。おまえに会えないのが残念だ。お母さんを大事にして健康に育っておくれ。それだけがお父さんの願いだ。さよなら。

                        チャーリー」

 おそらく沈没に瀕した船で船客が走り書きしたものだろう。ペン先が震えている。文末のインクが滲んでいるのは海水か、それとも涙によるものか。

 その情景を想像してみる。大きく傾く豪華客船。緊張した表情で走る船員。懸命に体勢を立て直そうと努力する航海士。的確な指示を次々に伝えながらも、しだいに顔つきに絶望が浮かぶ船長。うろたえて右往左往する船客。救命ボートを奪い合う金持ち。死ぬまで持ち場を離れまいと決意し、葬送行進曲を演奏し続けるオーケストラ。男らしいが迷惑だ。
 そんな中で男は静かに座っている。やがて何事かを決心したかのようにうなずく。胸ポケットから手帳を取りだし、紙を破る。そこに何かを書きつけ、船室に消えてゆく。
 ふたたび甲板に現れた男は、手にウィスキーの小瓶を持っている。コルク栓を開け、ひとくち飲むと、残りは甲板にこぼす。空の瓶に先ほどの紙を入れ、再びコルク栓をきつく締める。その瓶を男は、思い切り遠方に投げる。そこに大波が。しぶきがすべてを覆い、何も見えなくなる。

 瓶の中の手紙は、いつも哀しい。それは死者から生者への通信だからだろうか。そして美しい。崇高にして悲壮な美学がある。男が愛する女に贈る手紙として、これ以上のものはないのではなかろうか。男と生まれたならいちどは書いてみたいもの、それが瓶の中の手紙ではないだろうか。

 しかしながら私には、愛する妻もいなければ、可愛い子供もいない。こういう人間は、いったい誰にあてて、どんな手紙を書けばいいのだ。
 まあいい。とりあえず書いてみよう。

「カネオクレタノム」
 どこに送ればいいのでしょうか。

「沈船ダイビングが楽しめる絶好のポイント誕生! かつての豪華客船船室で、ウツボ、タコ、ヤッコダイが見られる! 運が良ければここを根城とするハンマーシャークや、逃げ遅れた人の骸骨も見られるかも?!」
 ちょっと能天気すぎます。

「白組の勝利をこの沈没船からもお祈りしています」
 そんな暇があったら自分の成仏でもお祈りしてなさい。

「さて船乗りクプクプは、」
 あなたは北杜夫ですか。

「ガソリン30cc、灯油20cc、無水アルコール10ccを混合しこの瓶に投入する。脱脂綿をきつく絞って瓶に栓をする。使用前に瓶をよく振り、脱脂綿に放火の後目的物にむかって投擲する」
 火炎瓶を作らせて何をしようっていうんですか。

「人間は窒息では死にません。それが定説です。溺死した人というのは、救助や人工呼吸の過程でショックを与えられて死んだのです。それも定説です。定説というのは数多くの先人が、苦学して、苦労して、一心不乱に勉強して、やっと手に入れたものなのです。それを我々は、『定説時代』と呼んでいます。また、定説かどうかを確かめるために、わざと正規でないメンバーを確認にやることがあります。これを我々の方では、『定説メンバー』と言います」
 時事風俗に便乗しやがって、と思ったら、なぜ後半はケーシー高峰になるのでしょうか。

「この手紙を五本の瓶に詰めて流すと幸せになれます。流さなかった人は不幸になります。これを怠ったチャーリーさんは船が難破して死んでしまいました」
 そういう問題ではないだろう。

「この雑文にはオチがありません。その代わり私が海底に落ちます」
 そのまんまです。


 実は以上の文章は、先日海岸で拾った瓶の中に入っていた紙に書かれていたものである。おそらく、沈没に瀕した船上で、人生の最後に書いた雑文だったのだろう。これを公開することが、今は亡き雑文書きの遺志に沿うものだと考え、ここに掲示する。
 この文章に思い当たる遺族の方があればご連絡いただきたい。喜んで著作権を譲渡いたします。


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