酒場の恐怖

 酒場といっても種類が極めて限られる。正式なカクテルを作ってくれるバアには滅多に行かない。クラブ、キャバレー、料亭には財政上の理由で行けない。となると残されるのは居酒屋、スナック、ビアホールの類となる。
 ビアホールは夏季限定のお楽しみとして、居酒屋かスナックということになると、居酒屋に行くことが圧倒的に多い。やっぱりね、水割りでピザよりは、日本酒で刺身、こっちの方がしっくりくるお年になっちゃったんだよね。これから日本酒が美味い季節だよなあ。上喜元の生酒。〆張鶴の濁り酒。菊姫か四季桜の樽酒という手もあるぞ。うーん、じゅるじゅる(涎を垂らす音)。これに寒ブリの刺身か牡丹海老の刺身か、いやいや、鴨鍋という手もあるぞ。小さな七輪に大きな朴の葉を載せ、それに味噌、葱、茸を載せて朴葉焼きというのもいいな。猪をこれで焼くとまた美味いんだよね、うーん、じゅるじゅるじゅる。

 こういうありがたい居酒屋も、一歩間違えると陥穽が待ち受けていることを知る人は少ない。知った店に行くのならいいが、はじめての店には危険がいっぱいだ。
 そのひとつに値段の恐怖がある。ぼったくりのバー、キャバレーのようなことはないが、居酒屋の値段というのは店によって上下幅がある。油断していると帰りの電車賃が無くなったりする。そのためタクシーで家まで帰り、熟睡していた奥さんを起こして料金を払ってもらい、その後一年間というもの奥さんに頭が上がらなくなったりする。これはよくない。
 店内の壁に値段表がべたべたと貼り付けてあるような店なら安心だが、中にはお品書きだけで値段は書いていない場合がある。こうした場合は注意が必要だ。まずさりげなく店のマッチを見る。そこに「居酒屋」と書いてあればほぼ大丈夫だ。安心して飲み食いするがよい。
 安心できないのは「小料理」「料亭」などという文字列がマッチにあった場合である。こうした店ではプライドと共に料金も高い。問題はこういう店のプライドが外見からでは判断できないことだ。表の提灯の紙が破れていても小料理屋であるし、テーブルにキッコーマン醤油とハウスの練りワサビが置いてあろうとも料亭なのだ。
 マッチが無かったらどうする。観念するしかない。観念して呑むがよい。最後にお勘定書きを渡されたときに「刺身料亭」という文字列と共に書かれた数列におののくがよい。それもまた人生修業。

 もうひとつ居酒屋には、常連の恐怖、というものがある。
 帰り道、ふと一軒の居酒屋が目にとまる。まだ終電まで二時間ある。もうちょっと呑みたい気分だ。明日は休みだし、新規開拓といくか、と暖簾をくぐったとたん、二十四の視線があなたを刺す。十人の客、店主とおかみさんが一斉にこちらを見たのだ。その視線は冷たい。そう、そこは常連客オンリーの店だったのだ。
 店主とおかみさんは常連客相手に談笑していて、あなたにはおしぼりも渡さない。お品書きに書かれた「日本酒」というのを頼むあなたを、隣の客が、けっ、と嘲る。その客はおかみさんに「何か濃いのはない?」と聞き、美味そうな日本酒を注いでもらっている。こちらは白鶴のワンカップだ。侘しくワンカップを呑むあなたを、常連客が時折ちらちらと見る。どう考えても、歓迎されざる客だ。談笑のボルテージが少し上がったようだ。よそ者に対する示威なのだろう。
 そのうちカラオケが始まる。あなたはそれを聞いた方がいいのか知らんぷりすべきなのか、対応に苦慮する。曲が終わったとき、小さく拍手する。歌手はマイクを握りしめ、あなたを睨み付ける。お前に拍手される筋合いはないぞ、お前みたいなよそ者に。そう言いたげだ。
 こういう排他的な店は地方都市に多い。繁華街でもちょっと場末にあったりする。これは、店の外見で判断するしかない。妙に閉鎖的な店、隠れ家のような店、店名が怪しげな店、こういうのは要注意だ。入ってしまったら? ま、値段は高いわけじゃないし、一合呑んで逃げ出すことですね。これも人生修業。

 こういう雰囲気が嫌いだったので、行きつけの店というものは作らないようにしよう、と思っていた。常連と新規客で差別されるのが嫌いだったのだ。しかしいつしか行く店が固定され、週に一回はその店に行くようになり、一ヶ月ほどおいて行くと、店主に
「やあ、最近どうしてたの? 出張?」
 などと言われるようになっては、ああ、ここは行きつけの店だ、と観念せざるを得なくなってしまったのである。

 ところで、石川隆司に「夢書房シリーズ」という短編の連作があったが、実は私にも、夢の中の行きつけの酒場がある。
 何軒かあるが、みな居酒屋である。ビルの地下にあることが多い。二十人も入れば満員になる狭い店だ。五十前のおやじさんが料理を担当し、四十前後のおかみさんが和服で注文並びに接客を担当する。深夜の二時、三時まで開いているのが便利なので、いつ行ってもほぼ満員の盛況である。常連客が多く、カウンターにはだいたい知った顔が並ぶ。店の場所は大森のこともあれば、新宿のこともある。ときには王子だったりもする。
 私が恐怖するのは、この店の記憶に妙にリアリティがあることだ。カウンターの椅子の座り心地の悪さ、古びた暖簾が首筋に当たる感触まで覚えている気がする。「この酒はお燗の方が美味いよ」と言われて飲んだぬる燗の、かすかにアルコールの揮発した匂いや、ヒラメの縁側のねっとりした味まで覚えている。
 もしやこれは夢ではなく、私は本当にこの店に行っているのではないか。酩酊したときにだけ蘇る記憶を頼りに、私は何度もこの店に行っているのではないか。それを覚醒したときに思い出せないだけなのではないか。そしてこの店の常連となって、店主や他の常連客から、「下ちゃん」などと呼ばれているのではないか。そして常連客らしく、おかみさんにオヤヂギャグを披露したりしているのではないか。そう思うと、今夜も酒を呑まずにはおれないのである。


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