正しい2000年の迎えかた

 まもなく西暦2000年がやってくる。
 コンピュータ関係の人間は、2000年と聞くと即座に2000年問題を連想する。西暦の年を下2桁しか持っていないため、年数の計算や比較を間違え、データが消えるとか狂うとかいうアレだ。
 私の部署でも対応に大童になっている。解決法は、この際システムを全面リニューアルしようというものだ。この方法は問題を根本的に解決できるいい方法なのだが、開発が遅れるとえらいことになるという欠点がある。私の部署は正にそれで、このままでは2000年までにリリースできるか微妙な線となっている。もし遅れたらこれは悲惨なことで、新システムの開発と旧システムの2000年対応を並行して進めなければならず、さらに新システム開発が遅れることになる。

 コンピュータの人はこの際放っておこう。普通の人は2000年というと、なにか新しいものをイメージするのではないか。大阪万博の頃は何かというと「2000年のxx」という言葉で未来が語られた。あの頃の2000年は、腕時計型のテレビ電話でお互いに会話し、チューブの中を流線型の車が行き交い、人々は体にぴったりした妙な服を着ていた。もちろん月にはステーションがあり、火星に観光旅行にも行っていた。どれも実現しそうもない。

 2000年というのはまた、閏年からみても面白い年である。
 我々の使っている暦は、太陽の周りを廻る地球の運行を基に作った太陽暦だが、これの1年365日は、実際に地球が1回転する時間より約4分の1日短い。そのため4で割り切れる年は、2月に1日足して29日とする。実際にはもっと微調整で閏秒とか閏分とかあるのだが、ここでは1日単位の閏年だけを話題にする。
 ところがこうすると、実際より100分の1日長くなってしまう。よって100で割り切れる年は、閏年だが2月を28日でうち切る。
 こうすると今度は逆に、400分の1日短くなってしまう。よって400で割り切れる年は、やっぱり2月を29日とする。
 なんだかご苦労様な話だが、こういう事情によって、2000年は、実は閏年なんだけど閏年じゃないことにする、けれどやっぱり閏年にしておこうという、400年に1回の特異な年なのだ。もっとも、見方によっては単なる閏年なんだけどね。1900年の方が面白かったかもしれん。

 2000年というと21世紀かと思う人もいるが、2000年はまだ20世紀である。21世紀は2001年から始まる。だから「2001年宇宙の旅」なのである。
 西暦元年は0年でなく1年である。よって、1世紀とは1年から100年までの100年間をいう。2世紀は101年から200年まで。という按配で、20世紀は1901年から2000年まで、21世紀は2001年からとなる。

 ところが2000年を祝う祭りがある。ローマの聖年祭だ。
 聖年祭は1300年に、当時の法王ボニフェス7世により始められた。旧約聖書レビ書にあるモーゼの掟により、というが、歴代法王の放蕩のため危機に瀕したバチカン財政を観光収入で救うため、というのが本当のところらしい。
 しかし、なぜ聖年祭が2001年でなく2000年なのか?
 レビ記はこう語っている。
 週を7日に分け、6日働いて1日は休みなさい。同じように、6年働いて最後の1年は安息の年としなさい。
 そしてその7年が7つ積み重なった年、すなわち7*7=49年の次の年、50年目を大いなる安息の年としなさい。これをヨベルの年と呼ぼう。この年には働いても収穫してもいけない。奴隷は解放される。売った土地は買い戻される。ヨベルの年は、すべてが開放される年である。
 というわけで、西暦元年から50年単位でヨベルの年を数え、その年をバチカンで「聖年祭」として祝うようになった。
 しかしこの聖年祭、1300年に突如始めたのもそうだが、1425年、1475年なんていう何の関係もない年もやってるんだよね。どうやら当時の法王が無理矢理25年周期ということにして稼ぎを増やそうとしたらしい。


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