敗戦後の復興

 昭和20年8月15日、日本敗戦。
 これとともに文学も戦後文学へと移り変わってゆく。
 そのとき、春陽堂はどう動いたか。時代の変化を察知し、春陽堂の新社長が打った手は。
 今回はこれがテーマです。

 敗戦後の春陽堂5代目社長には、和田欣之介が就任する。実際の社長就任は昭和23年だが、先代の社長が戦時協力出版の罪で公職追放されていたため、それ以前から実質的には社長だったらしい。3代目社長の静子と、4代目社長の利彦との間に生まれた子である。夫から妻、その養女、その婿と変則的な相続が続いた和田家としては、はじめての親から実子への社長継承であった。

 敗戦後しばらくは、焼けた社屋の再建、社員の復員(そもそも欣之介社長自体が、昭和16年から敗戦まで軍隊にとられていた)、インフレやパージ、紙の配給制などで出版界はむちゃくちゃに混乱。闇市で儲けた金をモトにヤミ成金が出版界に殴り込み、新興のカストリ雑誌やゾッキ本があふれる中、その日を生きていくのにかつかつで、手を打つもなにも、やりようがなかった。焼け残った戦前の原板をそのまま印刷・販売して、なんとか食っていくことしかできなかった。ちなみに敗戦後初の出版は、昭和21年の長塚節「土」である。どんだけ土好きやねん、とツッコミたくなる私の気持ちも察してほしい。

 戦後の混乱もようやく落ち着いたのが昭和25年である。この年の8月、欣之介は株式を発行して株式会社へ改組、その社長に就任する。
 翌年の昭和26年、戦前には各種バラバラに出ていた文庫を「春陽文庫」として一括、出版をはじめる。最初のラインナップは白井喬二、子母沢寛、村上元三、江戸川乱歩、大下宇陀児、山手樹一郎、城昌幸(若さま侍)、野村胡堂(銭形平次)、富田常雄(姿三四郎)、三上於菟吉、佐々木邦、獅子文六、久生十蘭(顎十郎)、直木三十五、横溝正史、佐々木味津三(右門)。
 以上は戦前の大衆小説メンバーであるが、これに26年角田喜久雄、27年山田風太郎、28年島田一男、、北條修司(王将)、30年北条誠、34年陣出達郎、中野実、35年笠原良三(サラリーマン出世太閤記)、鮎川哲也、南條範夫、36年城戸禮、37年樫原一郎、38年神坂次郎、菊田一夫、39年笹沢佐保、川内康範、41年黒岩重吾、42年司馬遼太郎、水上勉、若山三郎、棟田博(拝啓天皇陛下様)、43年池波正太郎、早乙女貢、田辺聖子、童門冬二、富島健夫、44年江崎俊平、園生義人、46年西村京太郎、柴田錬三郎と相次いで登場し、ここに春陽文庫ワールドが完成するのである。
 それとともに業績も上向き、昭和37年におよそ1億円だった売上高が、昭和50年には7億5千万円まで伸び、株式配当も10%から20%と、堅調に推移していくのであった。

 昭和30年代から40年代にかけての、全盛期の春陽文庫ワールドは、四本柱からなっている。
 第一の柱は時代小説、第二の柱は探偵小説。これには山田風太郎や司馬遼太郎、角田喜久雄や鮎川哲也など戦後新人も加わっているものの、戦前からあった二本柱である。
 戦後に加わったあと二本の柱は、活劇アクションとユーモア風俗。これに欣之介社長は、映画やTVのシナリオライターを投入していった。
 活劇アクションでは、赤木圭一郎の日活映画「抜き打ちの竜」の脚本を書いた城戸禮、テレビドラマ時代劇「三匹の侍」の脚本を書いた柴英三郎など。
 風俗ユーモアでは、クレイジーキャッツの無責任シリーズ脚本家の笠原良三と、「君の名は」であまりにも有名な菊田一夫を筆頭に、新東宝「狂った欲望」の原作を書いたロリコン下着フェチ作家園生義人、ホームドラマ「いつでも君を」の脚本を書いた小松君郎、東映の「警視庁物語シリーズ」の脚本を書いた長谷川公之、NHK大河ドラマ「花の生涯」の脚本を書いた北條誠、脚本は書いていないが日活の企画・宣伝に長く携わった小川忠悳など。
 映画からテレビへ映像娯楽の主役が移り変わる過渡期に、春陽堂は映像娯楽のテンポを積極的に文芸娯楽へと導入していったのである。
 その結果、貸本屋での貸出件数ビッグ3に、源氏鶏太、山手樹一郎、城戸禮と、春陽堂作家が独占するという快挙を成し遂げた。
 貸本屋で、というのがミソである。水木しげるやつげ義春が貸本漫画出身というのは有名な話だが、そのちょっと前には、雑誌や小説の貸本が隆盛をきわめていた時代があった。20円や30円で借りられる貸本小説は、低所得者や貧乏学生の友であって、単行本購入者とは階層も好みも違っていたのである。単行本を500円も600円も出して買う中流以上の階級は、三島由紀夫や山岡荘八を買っていた。

 余談だが私は自分の金(むろん親からもらった小遣だが)で本を買うようになった時期、ぎりぎり昭和40年代にかかっている。
 そのころ近所に、漫画にせよ小説にせよ、貸本屋はなかったし、貸本屋がよその土地で流行っているという話も聞いたことがない。小遣いは月に漫画雑誌3冊か、漫画単行本もしくは文庫本を2冊買うと吹っ飛ぶ程度。
 ということで私たちがやっていたのは、友人間の貸本制度である。ある者は少年チャンピオン、ある者は少年マガジン、ある者は少年サンデーと購入分担を決め、回し読みしていた。単行本も買った者からぐるりと回覧されていた。小遣いを与えられないから本が買えないメンバーも除外せずグループに入っていたように思う。
 ビデオデッキも普及していなかったから、貸しビデオ屋もなかった。貸しレコード屋はあっただろうか、なかったような気がする。もちろんCD誕生以前の話である。ファミコンも発売されていなかったから、貸しゲーム屋もなかった。考えてみれば私の世代は、いちばん購入がつらい小中学生の時期に、ありとあらゆるレンタルショップが存在していなかったような気がする。
 あのころは、レコード一枚、漫画一冊、文庫本一冊買うのに、マジで生活がかかっていた。これを買ったら半月は買い食いできない、という意味での生活だが。

 閑話休題。
 源氏鶏太、山手樹一郎に比べると、城戸禮はいまではほとんど知られていない作家だが、昭和30年代から40年代にかけては絶大な人気を誇っていた、当時の流行作家だった。いまでいうと西尾維新みたいな存在だろうか。
 文体はまさに日活アクション映画の文字版という作風で、テンポが速く、擬音を多用し、読者を引きずり込む迫力がある。
 「三四郎シリーズ」「快男児シリーズ」「つむじ風シリーズ」「暴れん坊シリーズ」「大学生シリーズ」「新入社員シリーズ」「刑事シリーズ」等々のシリーズ作品を合計400冊以上書いている。最大のヒット作は竜崎三四郎という超人主人公が活躍する「三四郎シリーズ」だが、単行本では別な主人公だったのに、春陽文庫には竜崎三四郎として書き換えられたものもいくつかある。作者の意向なのか、春陽堂の都合なのか、それは知らない。
 人気の反面、「主人公が超人すぎて手に汗握らない」「どれを読んでも同じような内容」との酷評もある。まあ、主人公の名が三四郎でも違っていても通用するくらいだから、あながち外れている批判でもない。
 平成7年、逝去。


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