アイドルをめぐる冒険・3

アイドルは何故かわいいのか?

 ネオテニーという言葉がある。「幼形成熟」と訳される。生物が幼児期の形質を残したまま性的に成熟し、繁殖する現象を指す。ヒトはまさにこれにあてはまると考えられている。確かに、ヒトは近縁のチンパンジーやオランウータンの大人よりも子供によく似ている。

 以上が生物学的なヒトのネオテニーだが、文化的なネオテニーも見られる。有名なのは、グールドに指摘された、ミッキーマウスの進化だ。ミッキーは登場以来、だんだんと目は大きく、頭は丸っこく、等身は小さく・・・つまり子供っぽくなっているのだ。これをグールドは、幼児的な形態が人間の母性本能をくすぐり、大衆の支持を得ると解している。

 この現象はまついなつきの「アクションの主人公はだんだん等身が上がるのね。(筆者注:ドラゴンボール)それと反対に、ギャグの主人公はだんだん等身が下がるの(筆者注:Dr.スランプ)」という発言にも、また、手塚治虫の、「アトムの連載中、私がアトムの等身を上げると(筆者注:おそらく物語がシリアスになるにつれ無意識的にそうなるのだろう)人気が下がり、慌てて等身を下げた」という発言にも裏付けられる。

 女性アイドルもまたネオテニーにその価値がある。「女性」と特記したのは理由がある。同じアイドルでも、男性と女性では、性だけでない、その存在理由にも大きな差があるからだ。

 女性アイドルの場合、これまでに述べたネオテニー的特徴にその存在価値がある。従ってその特徴の失われる頃、アイドルとしての価値もなくなる。彼女は転身しなければならない。歌手になるか(例:中森明菜)女優になるか(安田成美)、

お笑いに転じるか(松本明子)しなければならない。

 このような質的変換のため、アイドル時代のファンが続けて支持することはあまり期待できない。新しく支持層を掘り起こさねばならないのだ。これがうまく行くとアイドル時代ぱっとしなかった人間がいちやく人気者になったりする。女優の桜井幸子、ZARDのボーカル板井泉水らがこの例である。もちろん逆の例がずっと多いことは言うまでもない。

 男性アイドルの場合、「若さ」とおなじくらい、「成熟」に価値がある。

 「若さ」も、同年代ということからくる親しみやすさに価値があるのであり、ネオテニー的形質にあるのではない。従って男性アイドルは女性アイドルのような質的転換を迫られることはない。郷ひろみ、沢田研二のようにティーンズ時代に獲得したファンが数十年ずっとついてくることが出来るのもそのためだ。

 かくのごとく、男性アイドルと女性アイドルではこれだけの質的差があり、同列に論じることは出来ない。(これからの文章で、単に「アイドル」とあった場合は女性アイドルを指すことを承知されたい)

 男性アイドルに比べ女性アイドルはずっと多くの苦難をたどらなければならない。現在、男性アイドルが相変わらず人気を保っているのにも関わらず、女性アイドル界が火の消えたようになっているのもここに原因がある。

 


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