はりまぜ年譜 平成16年1月


発行:マルジナリア(史話余録)研究所

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2005年1月16日(日)記
石油がなくなる

朝日新聞20050116

[原油産出量が頭打ちとなり横ばいや減少に転じる「石油ピーク」を迎えた産油国が相次いでいる。00年以降に少なくとも11カ国を数える。80年代以降、新規油田の発見が急減し、採掘可能な埋蔵量が減ったためだ。世界の石油開発業界では「地球全体の石油ピークが近い」との説が強まっている。資源問題の研究者や米コンサルタント会社などのまとめによると、00年以降は北海油田をもつ英国とノルウェー、オマーン、コロンビア、パキスタン、コンゴ共和国、オーストラリアの7カ国が減少局面に入った。そのほか横ばいになった国も、大慶、勝利両油田が減退期を迎えた中国、メキシコなど少なくとも4カ国ある。90年代後半にもエジプト、シリア、ガボン、アルゼンチンなど6カ国が減少に転じた。国際エネルギー機関(JEA)の分析では、60年代以降、新規油田の発見による埋蔵量の増加ベースが鈍り、ここ20年間は生産量が埋蔵量の増加を上回る状態だ。地域別では欧州と、中東を除くアジアがすでに生産能力の減少期に入った。旧ソ連崩壊で生産量が膨らまなかった旧ソ連諸国や、新規油田を抱える西アフリカ、南米諸国は今は埋蔵量にまだ余裕がある。ただこれらの国でも今後、他地域の供給減分を穴埋めするため生産増に拍車がかかり、10年以内にはピークを迎えるとの見方がでている。この結果、世界の埋蔵量の3分の1を占める中東への石油依存が一段と高まる見通しだ。ただ中東の大規模油田にはすでに生産開始から50年以上経過しているものも多く、生産能力の大幅な拡大は難しい、というのが石油資源の研究者らの一般的な見解だ。一方で、中国など新興市場の石油需要は今後も急速に膨らむ見通し。業界には「現存油田を従来の採掘技術で生産するだけなら、15年後には需要の半分が賄い切れなくなる」(欧州の石油メジャー幹部)との懸念も出ている。IEAによると、2030年の全需要を賄うには、新規油田の発見や採掘技術の向上などに総額3兆ドル規模の投資が必要という。] 

2005年1月12日(水)記
オゾン層破壊の発見 忠鉢繁さん

朝日新聞20050112
[1982年9月4日、南極昭和基地で大気中のオゾンの観測をしていた忠鉢繁(ちゅうばちしげる)(56)=現・気象研究所主任研究官=は頭を抱えた。それまでドブソン単位で300前後だったオゾン量が突然230に減った。15年分以上あるデータの中にこんな例はなかった。測定計は精密機械だ。「どこか壊れたのかもしれない」。必死に点検した。異常はなかった。その年から始めた夜の観測データも同じ低位を示した。それでも、間違いではという思いを捨てきれなかった。10月28日、通常値に戻った。酸素原子3個がくっついたオゾンは、上空で有害な紫外線を吸収してくれる。それが減る時期があるのだと確信できたのは、米国基地の観測でも同じだと知ってからだ。83年暮れの東京と84年9月のギリシャで、観測データを発表した。反響はほとんどなかった。85年5月、英国の南極チームのJ・ファーマンらが南極のオゾン量の大きな減少についてネイチャー誌に発表した。ヘアスプレーなどに含まれていたフロンが大気中のオゾンを壊す可能性は、70年代から取りざたされていた。ファーマンは、フロン原因説を論文で積極的に述べた。世界中が大騒ぎになった。忠鉢の周辺には、フロンを理解してデータを見る人はいなかった。「私らは『間違いではない』という一念でやっていた」と忠鉢。ファーマンの論文に日本に関する言及はないが、今は忠鉢も発見者の一人といわれる。しかし「もう一歩踏み込めなかったか」と自問するときもある。]内村直之          

2004年10月18日(月)記
焼け跡派の体験

朝日新聞朝刊20041018 
公務員 岡本英樹 東京都狛江市 44歳
[来年は戦後60年にあたります。そんな節目の年を前に美術評論家の故坂崎乙郎氏の著作「絵とは何か」で次のような意味の言葉を見つけました。「戦中派の人には人生のコア、核のようなものがある。彼らは何もなくてもそんな自分に戻れる強さがある。例えば野坂昭如氏は、いざとなったら神戸の焼け跡に自分の死んだ妹を抱えて立つことができる」 私は今まで、そんなことはまったく考えずに過ごしてきました。失礼にも野坂氏を「ちょっと変わったおじさん」くらいしか思っていませんでした。坂崎氏の言葉に触れて初めて、野坂氏の戦後の言動の真意が少し分かったような気がします。彼は自分の「原点となる体験」を核に、それを大切にしながら生きてきた、そんな風に今は思うようになり、著作も読んでみようと思っています。私を含め戦後世代の多くはこうした強烈な体験を持たない。もう思い出したくない悪夢かも知れませんが、それを聞くことが私たちの義務にも思えます。転換期の日本が誤った方向に進まないようにするための良き「道しるべ」に、必ずやなってくれるはずです。]           

2004年10月15日(金)記
全身をかけずに頼る 齋藤佐和さん

朝日新聞朝刊20041015 

主婦 齋藤佐和 横浜市 84歳

[老いてから、よく転んだ。それがこのごろ転ばなくなった。第一歩から急がず、腹をくくって歩く。つかまる物があればそれを握るが決して全身の重身をかけない。揺れて頼りないヒモでも細い棒でも「しっかり握る」ことに意味がある。この世の物は全身の重みをかけて頼ると、それが崩れたとき自分も崩れてしまう。だからただ手のひらと指でギュッと握るだけ。サーカスの少女が竿をしっかり握って綱渡りをするように、握ることは無意味ではない。この世の財産も健康も地位も家族も、それを握ると私たちの心のバランスもとれる。ただそのひとつにすがりすぎ、重心をかけすぎると、それがなくなったときに私たちは崩れてしまう。年老いて多くの時間の制約と束縛からは解放されたが、こんな哲学(?)をしながらゆっくり行動していると、時間はそんなに余っていない。でも誰かにこの「転ばない術」を伝えたくてペンをとってみた。]

2004年10月15日(金)記
新聞を切抜いて配る 竹内初子さん

朝日新聞20041015
主婦 竹内初子 徳島市 62歳
[私にとって、新聞は自宅に毎日届く「ミニ百貨店」だ。世の中の一応の移り変わりは、テレビなどで知る。それらをじっくりと紙面でも再確認し、「同感よ」とうなづいたり、「ちょっと違うなあ」とつぶやいたりして楽しんでいる。寝る前に、その日の紙面の中でスクラップしておきたいところに印をする。翌朝、読み直し、やはり必要だと思うと切り抜き、分類しておく。時々コンビニでコピーし、この記事が必要だと思う人に差し上げる。「あなたはひま人だから」などと言われながらも結構喜ばれ、コミュニケーションに役立っている。新聞社には、幅広い年齢層の記者がいて、それぞれ意見も違うだろう。読者の生の意見が掲載されている「声」の投書のように、それぞれ率直な心の声を聞かせていただきたいと思う。]

2004年10月4日(月)記
言語化されていない体験の言語化 金井美恵子さん

朝日新聞朝刊20040912 金井美恵子
[作者に偶然に選ばれてしまったのかもしれなかったエピソードとしての幾つかの「記憶の変容」を主題とした続編(註・『噂の娘』)を、新たに書きはじめるべく準備をしているところなのです。(略)きれぎれの断片化した「記憶」が不意によみがえる時のなまなましい鮮明さを、言語化する際の格闘に、どう小説家として耐えるかという、体力と気力を持続させるための、自主トレーニングのことです。四十年近く小説を書き続けてきたのですから、効果的な「自主トレ」の方法も身についていそうな気もしますが、そもそも、視覚的なものでも触覚的なものでも大半は言語化されたうえで残されているのに違いない。「記憶」が錯覚であるにせよ全身的な官能を揺さぶる出来事として、再び、紙の上に生きはじめる瞬間の到来を準備するためのトレーニング法など、実はないのです。むろん、『噂の娘』を読みかえすことで、私は読者として、それがどのように言葉を私有化しつつ「小説」になったのかを、体験しつくすことが出来るのですし、小説は読者(作者もその一人なのです)によって生成される世界として存在します。しかし、その世界と重なりつつ周辺に見えかくれしている、まだ存在していない小説の続きを書こうとしている今、私としては、そこに、つい書かれていないものを読みとってしまいがちです。] 

2004年9月23日(木)記
検疫で死ぬ 榑林憲樹

朝日新聞20040918   農業 榑林(くればやし)憲樹 静岡県 73歳
[(祖父のこと)日清戦争で広島に凱旋しながら、似島(広島市)での検疫の薬が強烈で、飲んだ兵がみな死んだという。「苦い」と捨て、生き残った村の戦友が、遺品と共に真相を伝えたそうだ。]

2004年9月7日(火)記
成功談ばかりが歴史ではない 高畠綾さん

朝日新聞朝刊20040906
[高校生 高畠綾 茨城県日立市 15歳 久しぶりに手にした本は父から薦められていた遠藤周作の小説「沈黙」だ。(略)。「本から人生を学ぶ」と聞いたことがある。登場人物は決して人生の成功者ばかりではない。それが、人の「生きる姿」を描くことになるのだろう。本の中の「先輩」から生き方を学び、ただ一度の人生を濃く実りあるものにする。そんな、当たり前のようで忘れかけていた大切なことを思い出させてくれた著者と、そのきっかけを与えてくれた父に改めて感謝である。]朝日新聞朝刊
2004/09/06

2004年9月7日(火)記
土はどこかに行ってしまった 勝山ありささん

朝日新聞朝刊20040906
[小学生 勝山ありさ 東京都豊島区 9歳 先日わたしは、保育園のころ、あそび場にしていた東京大学のキャンパスに行った。セミのぬけがらをさがしに行くのが楽しみだった。すると、前はたくさんあった地面が新しいたてものやアスファルトになっていた。セミたちがねむっていたはずの土はどこかに行ってしまった。あの土の中には、セミの幼虫やたまごやほかの命もあったかもしれない。人間は土の上しか考えない。土の中の小さな、でも大切な命のことをわすれている。土からなにもかもが生まれている。みどりも、命も土から生まれている。だから土はほりかえさないで、一つ二つのたてものをがまんすれば、たった一つの命はやがてうつくしいものになるはずだ。大人の人におねがいです。東京はビルにかこまれていて、保育園にも学校にも地面や大きな木があまりありません。たてものやコンクリートやアスファルトで土をうめつくさないで下さい。土の中でねむっている虫たちにたくさんの子どもが会えるようにしてください。]