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2005年版
改訂20050112
発行:マルジナリア(史話余録)研究所 |
取材をするということは、何かしら、「偉ぶった行為」のような気がする。
本当のところは、何ら自分が偉いのではない。むしろ、取材対象者から、学ぶのである。
或いは、学ぶことのきっかけを与えられるのである。
そのことに気付いたのは、残念ながら、つい最近のことだ。
人々から学んだことを、列記していったら、どうなるか。これはひとつの試みである。
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人が(小生も)忘れやすいこと。相手と馴れ合わず、絶えずカウンターパート(対峙)のモノ・命題を見付けつつ、対話すること。(2004記)
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日本の思想家の欠点がわかった。異質な思想との出会いが少ない。ひとつの思想で世界を説明しようとする。一つの思想に対しては、それへのアンチの思想を探す努力・旅をしなくてはならない。それは書斎では至難のことなのであろう。
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最近、もうひとつ、わかったことがある。それは集団的に「固まる」ということだ。何かの外的な驚異を感じると、集団的に、かつ本能的に「固まる」(固着する。セメントのように固形化する)。目を閉じ、耳を塞ぎ、口を閉ざす。これが善か悪かは即断できない。とにかく、「固まる」のである。これって、何なのか?まあ、集団といえど、動物的な存在なのだろう。(200501記)