今回のGトレ期間の最終日となった。幸いユン・ヘスクの蹴りも食わずに10kmを2時間で歩いても心拍数は110を超えないところまで回復したので、「合格」となった。G2での美味しい食事も今日の昼が最後で、標準時3時半のルナ1行きシャトルで戻ることとなる。
月面の体育施設で遊ぶのは楽しい。バランスさえマスターしてしまえば、Gトレ明けでは特に、まさに超人になった気分である。ただ、月面では球技が一部を除いて発達していない。一度アメリカの研究者が、都市外の暴露月面探査に、こっそりゴルフクラブ(手製)とボールを持ち込み、宇宙服のままクラブを振った(もちろんバンカーショット)ところナイスショットとなったゴルフボールが、はるか宇宙の暗闇に消えていってしまった。この研究者はボールに発信機を内蔵して飛距離を調べてみたが、計測不能だったそうだ。もちろん、この遊びは懲罰の対象とされてしまった。空気抵抗ない月面で軌道飛行するゴルフボールは、減速することなく月面に再降下する。そこに別の暴露部探査隊がいれば、深刻な脅威を与えるかもしれなかったからである。
都市内で流行始めた球技は、低反発ボールを使ったバスケットボールとサッカー(といってもフットサルだが)と卓球である。これらはいくら低重力だといっても、いやそれだからこそ疲れる。
標準時で4時にはルナ1のプラットホームに着く。あらかじめ連絡しておいたのでサムワイズが迎えに来ている。
「Gトレのあと、荷物など軽くて仕方がなかろうで、自分でお持ちなさるだ」
サムワイズの言語は「田舎言葉」を選択しているので、聞きなれないとびっくりする。事実いっしょに降りた乗客が何人かこちらを見ている。言葉の人間臭さをカバーするようにサムワイズはかなり金属的特徴を残している。

動力源と不老不死問題

ヒューマノイドロボットの動力源をどうするかというのも非常に超えがたい問題だった。ヒューマノイドの大きさや重量を人間を大きく超えない範囲にとどめようとするとバッテリーや燃料電池では不可能であることは明らかだった。
一つの解決法は「擬似筋肉によって可動部分をつくる」というもので。ATPを補給することでかなりの軽量化と補給の容易さを実現した。無論「柔らか系ロボット」への応用であった。
一時期ATPの直接補給ではなく、いっそ「食べるロボット」を作って糖質からATPを体内生成する機構をつければどうかとも、じつにまじめに議論された。確かにプロトタイプはできたものの、生物に比べていかにも変換効率が悪かったし、余分なものの分解と排泄に膨大な手間がかかることがわかっただけだった。当時のマスコミでは「くそっ!ロボットの糞の始末は誰がする」と言う記事が踊った。
しかも生命至上主義者による「神の領域を侵す」という強硬な反応を超えることができなかった。「食べるロボット」はいつの間にか動力エネルギー源という技術的な問題から、人間とヒューマノイドロボットの倫理問題に摩り替わってしまったのである。
しかし介護機能や家事機能のロボット(そのほとんどは「柔らかロボット」であったのが、大きな要因になった)、では、人間と同じ食べ物というわけには行かなかったが、ATP変換効率の高い「ペットフード」ならぬ「ロボットフード」を食するという事象は普及した。
しかしもう一方の「固いロボット」、といっても神話時代の「巨大ロボット」ではない、あくまでも人間の等身大から大きく外れることのないサイズのヒューマノイドにおいては問題は残った。エネルギーユニット交換やメンテナンスを定期的に受けないといけないとなると、煩雑さと不便は避けられなかった、大事な作業の中で「エネルギー切れです補給してください」では特に宇宙空間作業では致命的な事態を招きかねなかった。
一つの解決法は、ユビキタスネットワークを利用し、動力エネルギーを外在化させるというものだった。つまりヒューマノイドの中にはエネルギー受容体のみが存在し、供給はネットワークの中にある限り、そこから常時受けられるというののだった。
もちろん、ネットワークの脆弱なところ、密度の低いところにある場合(とりわけ火星軌道より外側の太陽系深宇宙空間では、ネットワークを利用する場所は限定されたから、この受容体方式は使えなかった。ヒューマノイド表面に光電変換効率とマイクロ波受容効果のきわめて高いコーティング剤を塗り、振動発電やATP変換などの複合体でしのぐことになったのだった。幸いにも彼らの多くが無重力軌道領域での活動だったためにできたことであった。
しかし火星にテラフォーム化の前線基地(まだ都市とは呼べない)である恒久研究施設が建設されてから、研究員たちのPA持ち込み要求は強くなるばかりで、その際の長寿命(研究者は、もちろん半永久的に枯渇しないものを目指している)の動力源は重要な研究課題となると思われる。
そしてその方式が拡散すると、ヒューマノイドの自由度は、また飛躍的に増大し、どこかでまた人間の中に眠る神話と衝突するだろう。
その神話とは、不老不死である。人間は果たしてヒューマノイドの不老不死を認めるかは微妙である。ことが動力源の長寿命化という技術的な側面に限定されている限り問題とはならないが、いったん不老不死の問題という観点が持ちこまれると厄介である。
一部の人間の熱烈な欲求である不老不死が、人間にもたらされるのではなく「機械」にもたらされるというのは、多くの人類至上主義者、ことに一神教徒にとっては許しがたいことになろう。
また東洋の人間にとっても古代中国の始皇帝が希求したが、不老不死は、そんなに魅力的なものだろうか。少なくとも仏教徒にとっては、まったくの誤った認識だとされる。しかし、社会的成功を収め(経済的にあるいは権威や政治の世界で)、望むべきものはすべて手に入れた人間が必ずはまる欲望である。しかもすべての人が不老不死になることを望んだのではなく、自分ひとり、実に利己的な欲望として不老不死を望んだのである。
自分ひとりが不老不死で、周りが死すべき定めにあるとすれば、不老不死の人間は絶対的に孤独に耐えなければならない。フィクションの世界でも、トールキンを初めとするヨーロッパファンタジーでは、エルフと呼ばれる人間に先立って神によって創造された種族は、外傷(戦死や事故死による)以外は不老不死であるが、彼らは人間に与えられた「死」を神の恩寵と考え、一種の憧れを抱いた。
G・イーガンは「順列都市」の中で人工知能の仮想空間に人間の精神それも個性ををもっ多個人の精神を「移植」できるとした。J・P・ホーガンも「LifeMaker」シリーズで、やはり同じアイデアを描いた。最も後者の場合は新星爆発から脱出するという切迫した地球外生命が考えたことになっているが、人工知能の中で永遠の命=個人精神を生きながらえさせようとする点では同じである.。SFに属する二人の作品では、実に楽観的唯物論的に人間精神(個性)のエミュレートができるとしているが、現実の人工知能では人間の大脳活動のエミュレートは不可能であることが時代が下るにつれて明らかになってきている。
不老不死をヒューマノイドとして実現するということは、非常に微妙な危険をはらんだ問題なので、個人的には、制限つきの動力源で満足したほうが良いように思える。人間とヒューマノイドの間に起きる、ある意味深刻なヒューマンエラー(ヒューマノイドの存在否定→全破壊)を防ぐための、ヒューマノイドという機械のフェイルセーフ思想だと思うのだ。

わがサムワイズは光電コーティングと振動発電、ネットワーク受容体の3つの動力源で作動している。
「サム、今度南極のルナ2にいっしょに行こうと思うがどうだい」とサムワイズに聞いてみた。別に彼の同意を取り付ける必要はなく、私がいっしょに来いと言えばサムは従うのだが、どうしてもそんな会話をしてしまう。
オザワの言うとおり、何らかのヒューマノイド人格を無意識に認めている証左だろうと思ってしまう。サムの言葉を田舎言葉にしているのも、ある種の非現実感を出すためかもしれない。いまどきこのような言葉を人間同士で耳にすることはまずないのだから。
「もちろん行きますだ。しかし何なさるだね、あんな下の端っこに行って、落っこちたらどうなさるおつもりで」
「お前、またそんな冗談を誰に教えてもらったんだ。はは、地球のロイド兄さんか、ちびのスザンヌか、うちの兄妹はそういうの好きだからな。オザワを覚えているだろう。G2で会ってちょっと気になったんで、カウンセリング局へよってアポをとったのさ」
「仕事にワシを連れて行こうとなさるんで?」
「いつから仕事するのが嫌になったんだ、そんなPAはお払い箱だぞ」
「ちゃんと最初にいっしょに行くと言いましただよ、聞き逃しは人間のすることですだ。でも仕事より休暇が楽でワシは好きですだ。」
「ほう、休暇が好きと来たか、サム、お前の休みって何するんだ」
「旦那、解かりきったことを聞くのは人間の悪い癖、言葉と知能の無駄遣いですだ。もちろんワシの休暇は何もしないに決まっているじゃねえですか」
「思考回路を切るのかね、それとも寝るのか?」
「またバカなことをお聞きなさる、旦那の悪い癖ですだ。思考回路なんてえのは、ワシがぶっ壊れない限り、切れないことは先刻ご承知のはずでしょうに。命令と危険に対する以外の機能は、スタンバイ状態にするだけだと何度も申し上げているはずですだ。無駄話がなければ、出発の準備済ませて『寝かせて』もらいますだ」
サムワイズが出張の準備をしに隣室へ行っている間に、ユビキタスネット端末を開いた。
「ヒューマノイド・人間間の訴訟アーカイブにつないでくれ」
「VRMアテンダントは必要ですか?」
「いや、ブックタイプの視覚版でいい、ヒト型はPAだけでうんざりだ」

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