ベッドの安眠モードが切れ、私のREM(睡眠眼球運動)を検知すると部屋が明るさを増し覚醒へと導いてくれる。いまだに24時間よし少し長いという体内時計を光の強さでリセットしてくれるのだ。
重力順応を早めるための薬剤は着いた一夜だけ投与される。かすかな芳香剤(私の好みが登録されている)に混じったそれのおかげで、G2での夜明けをかなり爽快な気分で迎えることができる。しかし2日目から始まる訓練プログラムが私を待ち受けている。もちろん医師とインストラクターのいる「クラブ」はホテルの外にあり、歩いてゆかねばならない。外へ出て歩き始めると重力の次に感じる違和感は地面の湾曲である。直径2キロといっても十分に小さい。自転方向に平行移動すると常に坂道を登っているように見えるし、直角つまりステーションの蓋の側へ歩くと回転のためなかなかまっすぐに歩けない。この手の平衡感覚のずれに弱い人間には、一種の船酔いと同じような悪心を催させることもあるので、疲れは倍加する。
G2には地球からの本物の土が運ばれているといったが、実は少しずつ月で開発された月土壌が混入されている。月の土壌改良には主に人間や家畜の排泄物が使われているが、アニタの属するチームのプラントでは、それだけで農作物を作ったり、まして森林を育てることなどできない。
しかしその月土壌もG2に運ばれ地球の土を混じるや、たいへん肥えた良い土壌となるのである。何も食物農産物を生産するだけなら遺伝子操作と適水適光の生産プラントで十分な量と採算性が確保できる。アニタたちの目的はもっと先を見据えたものなのだ。
「テラフォーム化」つまり身近なところでは火星を、全面的に人間の住める環境に改造しようとする惑星規模の土壌改良の基礎研究なのだ。火星に発見されている地下の氷の鉱脈で水と空気は確保できても、植物相を繁茂させることはできない。土壌の研究はテラフォーム化という大事業には欠かせないのだ。
私は門外漢の気楽さで、きっと低重力のせいだと思っているのだが、アニタに面と向かって言う勇気はない。
クラブではまず現在の骨密度から内臓状態と筋肉の力が精密に測定され、地球出発前のデータと比較される。つまりそこまで回復することを求められるということだ。午前中は水中歩行「泳がないでください」といわれていても、もともと地球では、海の近くに住んでいる私は、つい疲れると泳いでしまい、インストラクターのユン・ヘスクから追加プログラムを課されるということを繰り返している。ヘスクは今までは珍しい純血の朝鮮人で、小柄で細身だがテコンドーの名手であり、寸止めにしてくれても、蹴りの風圧におされて、上がってきたばかりのプールに訓練者が落ちるのを喜んでいるように思える。差し伸べてくれる手の美しさと、まことに東洋的な笑みがなかったら、さっさと地球へ戻ることを選択したに違いない。
水中歩行と水中エアロエクササイズのあとは、たっぷりのストレッチングとバランスボール、そしてウォーキングで一日が終わる。
月面と同じプラントで作られているとは思えないほど美味しい食事をとって自室へ戻ると、実は草稿を作るどころではないのだが、サムワイズの居ないこの時間は貴重なので、時々居眠りをしながら進めてゆく。
私が神話という言葉を使う定義をしておかなければならない。まず社会歴史的には、20世紀後半から21世紀前半、フィクション(SFという分野に分類される)またはコミック、それに基づくアニメーションが先行し、わずかに工業用の実験的ロボットが製造され始めたころ、すなわち工業生産現場での労働が過酷なゆえに人間の労働に代わるロボットが、人間の抱くロボットの基本イメージとして存在していた時代を指す。
もう一つは心理学的な神話で、こちらの定義のほうが本当に私の意味する神話である。人間の心に深く根ざしているものが、観念やイメージとしてコンプレックスを形作っている。このコンプレックスに捕らえられているロボットのイメージなり観念が、自らを人間の心の中で形や名前を獲得し、意識に認識されるには、かならず一種のまとまりを持った筋のある物語として展開される。そうのとき、人間が心の深層から表面意識に至るまでの層で「ああそうなんだ」と納得できる物語なのである。
時に破壊的であったり固執的なイメージや偏見、感情として噴出することも含めて、人間の精神活動のもとになる、物語という形で展開されるエネルギー、私はそれらを「神話」と呼ぶ。
例えば人間の夢を考えてみると良い。夢には必ず筋というか物語がある。このように時間を追って展開させるのが人間の精神作用の典型的な機能であり、それが民族なり、より多くの人間の集団によって是認されたときに民族神話や、人種神話が形成される。
ヒューマノイド関してはそれが全人類的に広がっている言わば「大きな神話」なのである。
さて、この時代ヒューマノイドロボットは、アメリカ合衆国の作家アイザック・アジモフが提唱した「ロボット工学の3原則」が、実に強力な呪縛として、少なくともフィクションの世界を律した。これに反するロボットを登場させることは、ほとんどタブーとされた。
が一方で、その不自由さが作家の想像力を逆に刺激した。すなわち第1条「ロボットは人間に危害を加えてはからない」に反して殺人を犯してしまったロボットはなぜその行為ができたのか、「自らを守らねばならない」という第3条に反して「自殺」を遂げたあるいは自殺に追い込まれたのはなぜかをミステリー仕立てで展開することが可能になったのである。
現実のヒューマノイドの開発史も3原則に振り回され、それがヒューマノイドの開発を遅らせたとするのが技術者の定説となっている。3原則を無視して初めてヒューマノイドの研究が急速に完成に向かったのは史実であった。
しかしそもそも、ロボット開発の現実の歴史に反して、最初にヒューマノイドが想像されたこと自体が不思議であり、それこそまさに神話的である。