ヒューマノイドはどこまで人間とともにあるのか

この設問は人工知能の技術的な問題と、人間がヒューマノイドに対して感じる意識・無意識の変化をどう予測するかという問題で、きわめて難しい。
一つ議論を分けるのは、神話時代の「ロボットの意識=魂」問題とはまったく逆の見方で、メカニカルな機構を使った人工精神といっていいかもしれないものを創造しつつあるという意見である。
現在の技術的流れが続けば、ヒューマノイドの人工知能は人間の精神構造との乖離は大きくなるばかりである。それをよしとするのか、それとも困難ではあっても人間の大脳整理に似せた働きをする新たな阻止郡を開発するか、せめて精神構造を組み込んだほうが良いとするのかという2うの意見の対立である。

しかし、今のところは前者に明らかに分がある。
人間の精神活動が将来何らかの形で物理的な方法で変換され、個人の人格を丸ごと人工知能上にエミュレートできれば事態は劇変するかもしれないが、多分人間精神のうち意識と呼ばれる部分に偏ったエミュレートとなろう。人間精神の大部分を占める無意識(=深層心理)、さらにその奥にあるといわれ物質やエネルギーの量子的世界を内包した新たな「精神−物質同次元」の議論は、今のところ形而上学(哲学)の域を出ない。C・G・ユング&パウリのシンクロニシティ仮説以後、目立った理論や仮説があるわけでもなく、心理学ですらないというのが現状である。
神話時代にG・イーガンほかの作家が実に気楽に描いたような、肉体を捨てサイバースペースで永遠の精神活動を行うという発想は、人間の精神の探索の困難さ(解明されていれば精神疾患も克服され、、カウンセリング局も消滅し、私は失業する)ゆえにおそらく不可能である。
最初の項で述べたとおり(2足歩行や空間認識と四肢協応、言語コミュニケーションの苦闘を思い出してもらいたい!)自分自身を研究することはとてつもなく困難で、まして人間精神を実験材料と使用とすると、その探査プログラムを作るのも人間精神の制約を受けると言う「悪魔の平行鏡」に陥ってしまうので、せいぜい不可能性の証明ができてしまうというのが落ちであろう。その意味では、人間の精神活動は「量子論的不確定性原理」、つまり、今そこで活動している現象は、観測によって変異するので不可知であると言うことに支配されているといっても過言ではないのである。
まして地球外宇宙空間や地球上の深海、強い放射線の暴露された施設など、人間が活動できないところでのヒューマノイドや非人型ロボット、それを支援するユビキタスネットワークを有効に作動させるとなると人間精神はかえって開発の妨げとなる。

またもしも人間の精神構造をエミュレートしたモデルを作るとなると、メカニカルな組織を持った「人クローン」をつくるに等しいとも言える。
生物学による遺伝子操作が人クローンの研究を除いて解禁されていて、もはや世界的合意の産物である禁止条約さえなくなれば、人クローンの創造は可能(すでに作られているという噂には事欠かない)という状況下で、果たして人間の人格をエミュレートした人工知能=ヒューマノイドを作ることは、一神教圏の人間にとって抵抗はないとは言えないし、またそのほかの信条・宗教を有する人々にとっても倫理上の問題を投げかけないわけにはいかない。
メカニカルなクローンであるヒューマノイドないし人工知能を作るなら、まずそれらと人間の関係がいかにあるべきか、真剣に考えたうえでないと思わぬ災厄を招きかねないと感じるのである。この点「人工知能が人間を支配ないしは人工知能にとって危険な不確定要素として排除する」と言う神話を、積極的な カウンターバランスとして作用できる可能性は大である。反面それは自由な研究を阻害するマイナス面も持っているが。少なくとも兵器としてのロボットが最後の引き金を人間が握ったような安全装置を(フェイルセーフ)を組み込むことは必要であろう。

これまで、人類は自らの寿命を延ばすことに計り知れないほどのエネルギーを注入したが、そのことが皮肉にも人類の種としての衰退を招いたと言う根強い主張もあり、各国のセンサスや、総合的な知的水準(特に創造的知性)の低落傾向は統計的な優位さはないものの緩やかに始まっているといって良いと思われる。
一方、ヒューマノイドロボットの進化にとっては、皮肉なことに人類の衰退が推進力となった。
人類の衰退には思想史的には「一神教」の派生宗教といってよい「科学思想」が深くかかわっている。「科学」は多くの事象が同時に関係しあって、ある事象が起きたりあるいは起きなかったりする、この世界のありようを考えるうえでは、偏りが大きかったといわざるを得ない。
科学では必ず時系列的に因果関係が連続する説明と理解がなされる。しかし偶然としか言いようがないが、一定の意味を持つ同時生起現象(シンクロニシティ)に対しては従来の科学的な論理は通用しない。また実験で生じる例外も単なる「確率」の問題として統計処理され、その例外が生起する理由まで踏み込むことはほとんどなかった。しかし事象の性質によってはその例外を起こした事柄のコンステレーションが重要なことも多いのである。
この科学思想が支配的な間は、研究対象や技術開発に偏りが起きるのも避けがたいことかもしれない。
現在の人工知能ユビキタスネットとヒューマノイド・非人型ロボットの体系(=インフラ)は、科学思想の重要な成果であるが、成功の影の部分にも常に目を背けてはならない。
すでに相当の数の人間がPA関係不調でカウンセリング局を訪れているのだ。それは月面に限らず地球でもスペースコロニーでも同じである。今後どんな問題が持ち込まれるのかは、まさに昔の兵器である「地雷」のように次の1歩で爆発するかもしれないのである。
人間関係とともにヒューマノイドとりわけ個人所有のPA、毎日当たり前のようにつかっているユビキタスネットワーク人工知能と人間の関係を関し研究を怠ってはならないのだ。
人間が利便性やや快適さに流される存在であることを常に意識しないといけない。それは、人間の心理に関係するものの努めである。

いまや、人類はヒューマノイドと共存しなければ新たなう居住空間(宇宙や地球の深海)への進出も、人類自体の衰退を食い止めるすべを持たない。人間が気づかぬうちに、すでに主従は逆転しているかもしれないという事実も受け入れなければいけないのだ。
いや、それではあまりにロボットの創造主である人間には酷であろう。
人間風に「希望」を言うならヒューマノイドとの交流によって人類は新たな発展段階に入ったというほうがよいかもしれない。

南極のルナ2から発車するときに地球の入りが見られるというので珍しくVRMを入れてみた。38万kmのかなたにはいまだ45億の人間が住み、17億余のヒューマノイドが同居している。となりの席で「本当に美しいですだ、早く地球に戻ってご兄弟と暮らす気はねぇですだか」と言うサムワイズを無視して私は画像を、ルナ1着陸時まで見つづけた。

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