ヒューマノイドとの関係でお悩みの方はルナ1カウンセリング局まで

着席後はシートベルトをお締めください、G2ステーション行きシャトルは1分後に発車します。
航空機が地球の空を飛び出して以後、おそらくこのアナウンスは変化していないと気づくと不思議なおかしい気分になる。人間が日常化した習慣に大きな「慣性力」を与えてしまっていることの証左のように思えて、ほかに誰も笑っていないのがかえって私の苦笑を誘う。
秒読みもなくシートの背に感じる加速度が発車したことを知らせてくれる。機内のささやき声以外は、動力音のうなりも振動も、音もないというのも考えようによっては不気味だが、月に一度の往復となるとすぐに気にならなくなる。G2ステーションまでは秒速約3kmで月周回軌道に乗るまでものの10分とかからないのだ。ただしそこからの軌道修正と姿勢制御の細かながたつきは乗りごごちの悪さとしていっこうに改善されない。
ステーション行きリニア地下鉄(=シャトル)乗り場に行く通路で、アニタ・セバンスキーに遭った。6分の1G重力下で滑るような歩行技術を身につけているのは、日本の古武道を愛好しているからだろう。ルナ1に来て間もない新参者との区別はその歩き方ではっきりわかるのだ。新参者は例外なく大股で左右にひょいひょいとジャンプするような、1970年代のアメリカの月面探査飛行士たちと変わらない歩き方をする。
アニタは、疲れた目をしばたかせながら「きょうからGトレ?頑張って心臓と肺と骨と筋肉を起こしてあげてね」と言ったきり、さっさとはなれて行った。
彼女のチームが進める月の土壌改良は莫大な費用の割りに成果を上げていないのだ。
きっと私のような、中等教育の教科書とも随筆ともいえない、ヒューマノイドの歴史的視点の研究、それも人間とのかかわりに焦点を当てた研究には興味はないのだろう。自分でもまったくマイナーな研究であることはわかっている。
なにせ、ヒューマノイドロボットはいたるところにいる、それが金属的な光沢を残していようが、人口筋肉で見事な表情機能まで持っているかは関係なく(それは用途と持ち主の好みの問題だから)、常に人間のそばに寄り添っている。機能があり命ずれば、人間なら決してできない領域(地球外空間では無数にある)でも十分活躍できる。真空の月面暴露部へ「裸」で出て行けるのは彼らだけである。

リニアモーターシャトルに窓はないがVRM(バーチャルリアリティモニター)を呼び出せば、シャトル外に立って軌道へ加速し放出されるに従って変化する月面の景色や、運がよければ、つまり首尾よくその時刻発車のシャトルの予約が取れれば、地球の姿も見ることができる。
ただしこれは人気を2分している。結構恐怖感を伴うのだ。いまだに人間の住む都市や景勝地には必ずあるアミューズメントパークには、この手の乗り物があるが(バーチャルではなく本物であることが人気のもとだ)、その人気が衰えないためにVRMもはずせないのだろう。だからルナ1からの地下線路から外へ出るや、歓声と女性の叫声があがる。遮音もできるが私はこういった生の人間の声が好きだ。この手の声の表現はヒューマノイドにはめったに起こらない。できないわけではないが、持ち主が嫌がることが多いからである。
感情がないといってヒューマノイドにさまざまな感情表現を学習させ実現しているユーザーにしても、最終的には感情的に騒ぐヒューマノイドより冷静沈着なヒューマノイドのイメージを硬く人間が手放していないことを考えさせられる。
先ほどの発射の際の注意アナウンスと同じ慣性力が働いていると私は思っている。そのイメージの固着が、私をヒューマノイドと人間の関係の研究へ向かわせるといえる。
遮音もVRM呼び出しもせずシャトル内の人間の発する生暖かい息を感じながら、私はG2訓練ステーションまでの時間をぼんやりと過ごす。月面上約300キロメートルのG2までは発車から40分ほどである。
G2から伸びた磁力誘導がシャトルを捉え減速誘導し寸分の狂いもなくG2線路(カタパルトと呼ぶ人も居るが私は線路というほうが好きだ)に滑らせG2の駅に着く。エアロックの開閉や正確な停止に伴う煩わしいアナウンスもなく、とにかく止まって扉があけば降りればよいのだ。ただし注意しないといけないのは、降り立つ駅は、回転するG2の中心軸上にあるので無重力であることである。駅からはエレベーターを利用し回転する円筒体の内側表面つまりはここが1Gの重力が働く人工地表に降り立つ。エレベーターの下降に伴って重力が増すことは自分の体重が重くなってくることで嫌というほど実感できる。

G2訓練ステーションという堅苦しい名称がついていても、そこは非常に快適である。直径2キロの円筒型の小さなコロニーというところだ。宿泊施設も地球上の上級ホテル並みだし、森のある公園や小川まである。一番の贅沢は本物の地球の土が運ばれているところで、多くのウサギやリスなどの小動物、やさまざまな鳥類、もちろん犬猫は地球の街中と同じくらいいる。中には鹿や羊といった「小」とは言えない動物までいる。彼らはごく一部月面に降ろされるほかは、一生をこのG2で暮らす。突然変異を監視する遺伝子マーカーによる監視の下でという条件付ながら、繁殖さえ許されている。
しかしここへ来る人間には、動物たちのような自由は許されていない。1G下での訓練プログラムが課されていて、それを終えない限り、ルナ1あるいはほかの月面都市や基地での研究生活を続けることはできないのだ。
6分の1Gという低重力には人間はすぐに適応できるが、逆に重力が6倍になる、つまり地球上の環境に慣れるには、その数倍の努力が必要だ。まったく訓練を終えてルナ1に戻って24時間もたたないうちに順応することを考えるとむなしく思えるほどなのである。
しかしこの訓練は月面での研究期間が原則1年(正当な理由があれば最長2年まで延長ができる)と決められ、いずれは地球上の1G環境に耐えられる体作りには欠かせないのだ。
円筒の中心線をつらぬく線路に作られたステーションからスポーク状のエレベーターで地上に降りたとたん感じる締め付けられるような重苦しさは何度来てもなじめない。健康状態、特に骨と筋肉、循環器系を中心とした内蔵のスキャニングを受けてホテルにチェックインするまでの移動だけでくたくたになってしまう。
G2では移動用の乗り物は極端に少ない。あっても自転車か、けが人や不幸にして長期低重力環境下に置き去りにされた人が乗る車椅子(それも腕の筋力が弱ってない限り20世紀と同じ手回し式である)。ほかは歩かないといけない。エレベーターからの数歩は本当に全身に鉄の鎧をまとい、鉛の靴を履いているような感じがする。
さすがにハードな訓練を誇るG2でも、着いたその日は休息に充てられている。

多くの訓練生活者が、PA(パーソナル・アンドロイド、PRともPHと言う人間は少数派)を同行させているが、私の場合は月面においたままだ。月面での留守番役をさせているというのが表向きの理由である。VRMによる通信がどんなに一般的になっても、相変わらず実際に会って話をしたがる人間が必ず居るのだ。しかもそういう人間に限ってアポなしときている。PAのサムワイズ(トールキンね、あなたらしいわ、と地球にいる妻は言ったものだ)は、そういった客にもそつなく対応してくれる。
しかし、私の研究草稿を考えるときは彼が居ると、感情的に混乱してしまう。皮肉なことにヒューマノイドに対する人間の心理学的関係を研究に来ている私が、いざ草稿を起こそうと思うと、この訓練センターで一人で居るときが進むということを繰り返している。

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