ルナ2のプラットホームで、オザワはとても照れくさそうに我々2人(1人と1体)に迎えてくれた。今日は深夜まで予算配分に関する会議があるので、昼食時のわずかしか時間が裂けないことをしきりに謝っていた。こちらもそれは知っているからわざわざ夜側を飛ぶ時刻のシャトルで来たのだった。オザワは我々を彼のオフィスにある個室の談話室へ案内した。
オザワはサムワイズと実は長いこと会っていない。彼の田舎言葉にも最初は大いに戸惑い、私を「へんな趣味だ、そのうちサムワイズに人工知能の偏向が顕著になるぞ」と本気で心配顔だった。
サムワイズには、しかしその「偏向」と言う概念は理解できないらしかった。
「オザワの旦那はワシの人工知能が変調をきたすとおっしゃるんで?」
「そうだ」とオザワ。
私もサムも一瞬沈黙し、何を言いたいのか推量した。
「いや、深刻に受け取ってもらわないでくれよ。サムワイズのユーモアのセンスについて言っているんだから」
「ユーモアと言うのは人間同士で人間関係の緊張を解く言葉のやり取りだとワシは理解していますだが、そのことおっしゃるんで?」
「サムに、ユーモアか。そういえばこいつは地球の兄や妹と仲が良くて、最近確かにその傾向はあるかもしれない」
「ふん、今頃気がついたのか。ボクもサムのようなPAなら持ってもいいと思うがね」
「実は前から聞こうと思っているんだが、君はPAを持ったことはなかったのかい、それとも持っていたけど今は持っていないのか、サムとそんな話ができるし、君のところにやってくる連中はPAといっしょに来るやつも多いんだろう、まさか反PA主義者とも思えないんだが」
「当たり前だ、いまさら反PAを言うようなやつは月に来ることはないさ。実は地球にいたある時期PAと暮らしていた」
「なぜ手放したんだ」
「破壊されたのさ、事故じゃなく、人間に手引きされた非人型ロボットによってな。皮肉じゃないか、自分が研究していた非人型ロボットにボクのPAが破壊されたんだからな」
なぜ、と聞きかけた私をオザワは手を振って制した。
「ま、その先はいつかまた話すよ、今日は話して疲れると後がたいへんだから勘弁してくれ。ルナ2貴族会議あるいは元老院、研究機関のトップ会議をそう呼んでいるのは知ってるだろう、そのお歴々と終わりのないバカ話をするんだから。先生たちは自分たちの研究がいかに重要で予算さえあればもう少しで画期的成果を出すと毎月言うがね、成果と言ったって、人間に役立つかどうか解からないので、先生その後の応用と見通しはどうですかと言うと、えらい剣幕で怒り出すからね」
「ルナ1でも同じだよ。おかげで僕の商売は繁盛中さ。君のような事務屋から最先端研究者まで、カウンセリング局面接予約は2週間サイクルなんかとっくになくなって、1ヶ月待ちが普通になってしまってる」
「PA関係不調も来るのかい」
「まあな。けどPAのPはプライベートと思っているから、自室でどんな問題を抱えているかはっきり言う人間は少ないよ」
「しかし珍しいじゃないか、君がサムワイズ君を出張に同行させるなんて始めてだろう」
「守秘義務なら心配しなくていい、サムはその命令に対して完璧だから」
「当たり前のことを言うな、PAにそんな心配をするやつはいない。本当はボクの反応を探りに来たんだろう。サムはこの僕をどう思っているのかな」
「旦那のお友達で、音楽にお詳しい方ですが音痴だと聞かされていますだ」
「ハハ、PAの守秘命令はいつ解除したんだ、ボクが聞き役専門だってことは君が話したんだろう」
「はい、Gトレで会うと必ず自分で弾けもしない音楽の話をなさると、旦那は口癖のようにおっしゃいますだ」
私は苦笑し、黙ってサムワイズの頭をたたいた。
「痛てっ、旦那、ヒューマノイド虐待ですだよ」
「ハハハ、こりゃいい、サムが痛いって言うこと自体傑作だ。おまけにヒューマノイド虐待とは!本当にたいしたユーモアセンスだよ、サム」
「圧力センサーである種の衝撃が人間の手から加わるとそういうのさ、学習だよ、学習」
「学習できるほど殴っているんだろう」
「それほどでもないさ、サムは見てのとおり金属ボディだからこっちの手のほうが痛いのでね」
「ああ、例の3原則が生きていたら、今頃サムワイズ君は機能不全に陥っていたかもしれないわけだな。ご主人に痛いと言う苦痛を与えたのだから。どうなんだいサム、叩いた主人のほうがかえって苦痛を感じたと言うことに対する君の感じは」
「自業自得という東洋の言葉がありますだ、旦那のなさったのはまさにそれだと理解しておりますんで、わしには何も普段と変わったことは生じねぇこって」
「これも君の研究していた非人型ロボットの成果の一つかもしれないぜ」
「そうだな、3原則なんて幽霊に取り付かれていたら、今のサムの受け答えはなかっただろうからな。でもな、中身はどんどん人間の大脳神経構造と乖離して知的構造だってまるで違う、ただ人間と会話によって意思疎通が成立し、同じ社会の中で支障なく作動できる、いや生きていけるといったほうが良いか、PAとかユビキタス人工知能ネットの存在って何だろうな、単に人間をサポートする機械システムという枠で捉えてすむのだろうか」
「そうだな、それは僕の問題意識の核心かもしれない。オザワ、君は先へ進みすぎて、周りと合わなくなってきているのかもしれないぜ、人間、特に元老院の先生たちは先回りされるのが嫌いだとさっき言ったじゃないか。当面君の問題意識は隠しておくほうがいいと思うがな。ただ、僕が時々来て、ガス抜きをするというのはどうだ、正式にはクライエント契約ということだがね」
「考えておくよ」とオザワは行って時刻を確かめた。申し訳ないといいながら予定の時刻が過ぎていることを告げ、我々は別れた。
「どうも旦那のなさっているカウンセリングということはよく解からんです。どうして解かりきったことを改めて言うことがそんなに重要なんです」
「今のところ、それが人間さ、ということにしておいてくれ、サムみたいなPAも複雑だけど人間もそれなりに複雑なのだよ。ただ、サムたちと違うのは、人間には隠された部分があまりに多いということだろう。サムの人工知能は分析プログラムにかけれるけど、生きた人間にそんな分析をかけるのはできないからな」
せっかく「落っこちてしまいそうな」南極のルナ2に来たのだから、少し観光しておくか、こちらのカウンセリング局とも話しておかないといけないこともあるしと思い、サムに荷物を持たせホテルへのチェックインを命じた。
「チェックインOKですだ、ホテルのVRMコンシエルジュとお話はどうなさる」
「いらない、いや、確かルナ2には大きなな公園があって植樹に成功していると聞いたから、そちらへの案内を頼んでくれ」
ルナ2は永久日陰のあるクレーターの地下に作られていることでは、ルナ1やほかの月面の、少なくとも都市と呼べる規模の建造物と構造的には同じで、月面に露出している建造物は少ない。その中の例外と言うべきものがルナ2パークである。人工土壌(例のアニタ・セバンスキーのチームの研究課題だ)はないが、水耕栽培で豊かな植物群が繁茂している。食用になる農場ではなく純粋に植物公園としての機能を果たしているのだ。だから人気がある。ただし、夜の間しか開園していない。太陽嵐の間は、太陽放射線遮蔽のため超伝導磁力保護と遮蔽スクリーンによって(それでも何の苦もなく透過してくる荷電粒子は多い)守られつつ人間は立ち入り禁止になる。
地球の亜熱帯から温帯の植物が、ちょっと育ちすぎの感はあっても繁茂しているのを見ると、実にほっとする。
オザワのオフィスのある行政区画からはと市内環状リニアと支線を乗り継いで30分ほどである。いずれはアニタたちの研究が成功すれば、ルナ1には本物の土による公園が建設される予定だが、ルナ1の「元老院」は最近、水耕培養基で十分ではないかと予算の削減を言い始めているらしい。
私とサムは夜の(といっても昼間設定の照明なのでまぶしいほど明るいのだが)植物公園で時を過ごした。この照明は、サムワイズの光電コーティングには非常に効率が良いので、サムは人間で言うなら日光浴気分で、饒舌ですらある。
私はVRM端末で植物の地球上での本来の姿に変換された姿を鑑賞する。月面の重力で生育最適光を照射すると、妙にひょろ長い形に変化する。地球上では生えない気根や、つる性植物の異常繁茂が起きる。もちろん遺伝子マーカーで追跡してはいるが、原因は複数が絡まっていてなかなか難しいと言う話だ。
パークには園丁使用のロボットがいて非人型がほとんどだが、中にヒューマノイドがいる。効率としてはわるいだろうが、多分見学者のために配置されているのだろう。彼らは大部分が人工筋肉の「柔らか系」であるのもそのためだ。
わたしとサムは、今度は昼側を飛ぶシャトルでルナ1に戻った。