序章
通信機の雨音の様なノイズの中に度々、若い女の話し声や軽快な音楽が交じる。どうやら敵軍の流す前線兵士向けのラジオ番組らしい。作戦本部通信室付将校アサイケイジ中佐はヘッドホンを耳に当てたまま周波数を制御するダイヤルを小刻みに回していた。彼の前にある通信機の制御モニターにはデジタルの青い数値が映し出されている。それは彼がダイヤルを動かす度に変動する。彼はある周波数でダイヤルを回す手を止めて音量を上げた。流れてきたのは敵国語のクラシックオペラ。敵国語の音楽が禁止されている戦時下においてアサイケイジ中佐の唯一の楽しみが敵軍のラジオの音楽だった。
ヘッドホンから流れてくるソプラノの美しい響きは作戦本部の暗い通信室に自分がいることを一時でも忘れさせてくれる。地中深くに建設された作戦本部には太陽の光もなく街の喧噪もない。換気装置のファンだけが天井で回っている。アサイケイジ中佐は深いため息をついて椅子の背を軋ませて伸びをした。
突然彼の前のモニターが赤く染まった。緊急通信が入った事を示す合図である。モニターには「2」の文字が映っている。アサイケイジ中佐は通信機のスイッチを切り替えて軍の暗号用周波数に合わせた。途端にモニターに数字と文字の羅列が浮かびあがる。彼はそれを平文に直していく。
「第二艦隊司令部より入電、敵艦隊と遭遇。か。」
彼はマイクをとると作戦本部付参謀ヤマダフミオ中佐を呼び出した。
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