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 織田 信長 

信長年表
信長家系図
信長の重臣たち


 戦国・安土桃山時代の武将(1534−1582)。1534年(天文3年)に織田信秀の次男として生まれ、幼名は吉法師。
 信長の人生をいくつかの時代で語るならば、4つの時代がある。それは、平手政秀が自刃するまでの19年、織田家家督争いの時代、 上洛までの時代、本能寺の変で明智光秀に急襲され自殺するまでの時代である。
第1の時代
 少年時代は平手政秀が教育・後見を勤めている。信長は天文15年(信長10歳)ごろから、世間の慣習にとらわれない為にしきたりを 無視し、うつけ者と呼ばれるようになっていく。初陣は、平手政秀の後見で、天文16年。その翌年(天文17年)、平手政秀の世話で 斎藤道三の娘濃姫と結婚。当時、織田家と斎藤家は敵関係にあり、濃姫は信長を刺すつもりで信長と結婚をしたが、次第に信長の魅力に 吸い寄せられ本当の夫婦となっていく。しかし、天文22年、その平手政秀は信長のうつけを諫め、自刃。信長は、この時から、天下賦武 へ向けて本格的に動き出す。
第2の時代
 平手政秀の死後、信長は美濃の斎藤道三と正徳寺で会見をする。その会見によって美濃斎藤道三は信長の魅力に取り付かれ、信長と 斎藤道三の間で提携が結ばれた。そのことによって、信長は織田家の中で次第に認められていく事になる。

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永禄3年(1560)、桶狭間にて今川義元を破り、以後勢力を拡大。 天正元年(1573)、第15代将軍足利義昭を追放して、室町幕府を滅ぼす。 天正4年(1576)、安土城を築き、天下統一を半ば成就したが、京都本能寺で家臣明智光秀の謀叛により襲撃され、自殺。