第4話 ついに音楽大学へ

 いろいろと苦労した甲斐あって、私は悲願の音楽大学に入学しました。大学では、「合奏」という授業があって、夏には各方面に演奏旅行したり、レコーディングしたりと、すごい熱の入れ様でした。この大学には、特に「本邦初演」の作品を演奏することが一種のステータスとしてあり、アルフレッド・リードの「アルメニアン・ダンス」「アルメニアン・ダンス・パート2」の初演とレコーディングを行ないました。(現在、このレコードはCD盤でソニーミュージックより発売されています。)
 また、この大学では「ウィンドアンサンブル」という名称を吹奏楽団に使っており、そこで初めてこの言葉の意味──そもそも、ウィンドアンサンブルとは、アメリカのイーストマン音楽大学で、当時、同大学吹奏楽団の指揮者であったフレデリック・フェネル氏が提唱した吹奏楽の形態で、1パートを1人で演奏することを基本とする──を知りました。当時、国立音楽大学では「ブラスオルケスター」と呼んでおり、当大学とは対照的に、シンフォニックな響きを追求していました。
 「合奏」の授業ではアントニン・キューネル(チェコ出身の指揮者)さんという人が、変な日本語を交えながら指導していきます。なんといっても彼は、音程については非常にこだわっていて、「そこ、高いですね〜。そこ低いですね〜。」と言いながら、指揮をしていくのです。演奏者が自分で音程を修正できないときは、「ちょっと、このキーを押してみて〜。」「こっちのキーは〜。」と、きめこまかに音程をチェックしていくのです。そのお陰で、私などは、これまでに味わったことのない響きと音程修正裏ワザを体験することができ、感謝しています。
 キューネルさんが一時帰国されていたとき、アメリカからジェームス・バーダールさんという指揮者が来日し、指導していただきました。キューネルさんとは、対照的で、音楽を大きな流れの中で作り上げていきました。また、指揮棒を降ろしたときに音を鳴らすという、当たり前のようなことも指示されました。事実、以前は、オーケストラのように指揮棒が降りてしばらくしてから音を鳴らしていたのです。(つづく)

Menuへ目次へ前話へ次話へ