民主的運営全面否定を許すな


都教委の管理規則改悪の問題点


 都教委は、校長・教頭・主任の権限を強化するために「学校管理規則」を改悪するという強硬方針を堅持し、七月九日にも強行しようとしています。
 その改悪内容は、

@職員会議を校長の補助機関とする
A必置主任は、校長の具申に基づき教育委員会が任命し、履歴登載事項とする
B教頭は、校長の命を受け、所属職員を指揮監督する

 
の三点です。
 これらは、学校の民主的運営や教員の自由・自立を否定し、また従来からの組合との確認や慣行を一方的に破棄・否定し、さらに教育基本法・学校教育法等の上位法を下位法をもって骨抜きにしようとする、全くの愚行としか言いようがないものです。
 私たちはこれに強く反対し、都教委に「学校管理規則」の改悪を断念することを要求し、とりくみを強化します。

 

連絡調整会議とは
 東京都教育委員会は、「都立学校等のあり方検討委員会報告」において展開した「学校運営改善策」を区市町村立学校にも実施させようとし、「公立学校の運営等に関する連絡調整会議」を設置して、具体的な実施策を提案し、検討させています。
 ーその構成
 この「連絡調整会議」は、区市町村教育長会の代表三人、校長会代表四人(小、中、高、養護学校の校長各一人ずつ)、都教委関係者十人の十七人で構成され、その座長は都教委次長となっています。組織構成を見てわかるように、完全に都教委主導の組織であり、地教委や校長会の代表と「連絡調整」を行ったという装いをとりつつ、都教委の意思を貫徹しようとするためのものです。
 ーその任務
 この会議の任務は、「@職員会議の位置付け、主任制度改善、教頭の職務権限の明確化を図るための『学校管理規則』『準則』の改定(「週刊墨教組」一二〇三、一二〇四、一二〇六号参照)A「学校運営連絡協議会の設置(「週刊墨教組」一二〇二号参照)B管理職任用制度の改善Cその他」の事項について、必要な「連絡調整」を行うとなっています。
 これらの事項の具体化についての検討が同会議の任務というならともかく(この場合、具体化の是非や方法についても検討対象となる)、具体化(実施)を前提としそのための「連絡調整」を行うというわけです。

七月九日にも管理規則改悪強行か
 都教委は、同会議に「職員会議の補助機関化」「主任制度の強化」「教頭の権限強化」を明記する「管理規則」改定案を提示し、今、同会議では、これについて「連絡調整」が行われています。すでに、四回の会議が開催され、都教委としては七月三日の第五回会議を、この問題での最終会合としています。その上で、七月九日の都教育委員会で、都教委案通りの「公立学校管理運営規則」改定を強行しようとしています。また同時に、「区市町村立学校の管理運営の基準に関する規則(準則)」の改定をも強行しようとしています。「準則」の改定は、上記の内容を区市町村教委の「管理運営規則」にも盛り込むよう強制するためです。
職員会議の補助機関化という愚行
 都教委は、日本教育史においても前例をみない、とてつもない愚行をおかそうとしています。
 「職員会議」については、文部省ですら、法律論としては「補助機関説」をとりながらも、法律改正を行ってまでその会議の性格と機能を明確に規定しようとしてきませんでした。なぜなら、学校は、校長を含む教職員集団の総知・総力を結集していくことが必要であり、その結集の場として重要な位置を占める「職員会議」について、さまざまな性格・機能を持ちうるものとして法的にではなく、「教育の条理」に委ねた方が良いと考えているからです。都教委の「職員会議の補助機関化」という愚行は、こうした現代教育法の立法趣旨ならびに文部省見解をはるかに逸脱しています。

主任制度強化という愚行
 一方的「主任」制強行後の一九七八年七月二八日、都教委が行った地区教委に対する説明会において出した『主任制について(一問一答集)』で、都教委自身、つぎのように弁明せざるをえませんでした。「今回の文部省令の改正において主任等は、児童・生徒に対する指導上の組織に関するものであり、職制として設置するものではなく、校務分掌として位置づけたものである。そしてこのことは、文部大臣見解及び補足見解等で明らかである。」今回の都教委の「主任制度の強化」という愚行は、これまた文部大臣見解を無視した妄言以外のなにものでもありません。

教頭権限強化という愚行
 「教頭の権限強化」という愚行にいたっては、学校教育法は校長の指揮権については規定していないにもかかわらず、教頭の指揮権までもりこむ始末です。常軌を逸脱した驚くべき突出です。
 いずれの愚行も、下位法が上位法を骨抜きにする、まさしく『法の下克上』そのものです。

信義と友愛あふれる民主的運営こそ
 まことに、人なぞ地位や金で序列をつければ思い通りになるという都教委の傲慢は、決して許されることではありません。
 憲法・教育基本法にもとづく教育の目的を実現するため、信義と友愛にあふれた民主的な学校運営こそ大切です。


 
私たちのとりくみ
 分会では都教組墨田支部の分会と共同での学習会、職場署名、校長要請を行いました。
 また、両教組合同で対区要請交渉を行いました。
 東京教組は、七月七日(火)に、第三次決起集会を都庁前で行い、七月十日には区役所前で早朝決起集会を配置して強く抗議しました。


「都立学校のあり方検討委員会報告」批判

学校の民主的運営を全面否定
  「都立学校のあり方検討委員会報告」批判1


 昨年十一月都教委内に設置された「都立学校等あり方検討委員会」は、三月二十六日、都教育長に「報告書」を提出しました。その内容は「校長のリーダーシップの確立に向けて」とのサブテーマが表しているように、学校に校長を頂点とした権力構造を確立しようとし、そこへ向けての具体的「改善策」を列挙しています。その「改善策」たるや、「職員会議の補助機関化」「教頭の管理職機能強化」「主任の都教委任命制確立」「希望と承諾原則(による異動の)否定」「都教委による監督体制強化」等、学校の民主的運営を全面的に否定し、また長年にわたって築き上げた組合との確認も否定し、強権的な上位下達の権力構造を校長を軸につくりあげようとの意図に貫かれています。
 しかも、都教委は、この「報告書」に盛られた「改善策」を全都の小中学校においても実現させるとし、その実現に向けての具体策を検討する機関として「公立学校の運営等に関する連絡調整会議」を三月三十日に設置し、検討を進めています。「報告書」に盛られた「改善策」を「対岸の火事」と呑気に見ている訳にはいきません。
 都教委が何をねらい、学校をどう再編しようとしているのか、早急に学習と検討を深め、闘う態勢をつくりあげていかなければなりません。
 「報告書」に盛られた内容、問題点などについて、連載します。
 今号には、「報告書」に付されている「概要」全文を、裏面に掲載しました。それを読んで全体像を大まかにつかんでください。

「あり方検討委」とは何か
 「都立学校などあり方検討委員会」とは、「都立高校における習熟度別授業に係る事件」と都教委が称している「事件」を契機に、都立学校等のあり方を検討するためという名目で、九七年十二月十一日に設置されたものです。「検討委」は鳴川智久教育庁次長を委員長に都教委の部課長十九人で構成されました。そして、わずか三か月で七十ページにおよぶ膨大な、しかも具体的な「改善策」を含む「報告書」を教育長に提出しました。「事件」を好機として、この際、学校・教職員の管理強化の上で長年の懸案だったものを一挙に片付けようという意気込みにあふれたものになっています。

「習熟度別授業に係る事件」とは
 ところで、都教委の言う「習熟度別授業に係る事件」とは、何でしょう。都教委は「都立高校数校で、習熟度別授業を行うべく配置された加配教員が、実際には習熟度別授業を行っていないこと、そのことに関係して虚偽の報告をしていたことが発覚した事件」だとしています。つまり、「習熟度別授業」をするからと定員増を求めた学校に対し、そのための教員を配置した、しかし、実際には「習熟度別授業」は行われていなかった、「習熟度別授業」を行うために教員を加配する制度が配置校教員全体や担当教科教員の負担軽減のために「不正に」使われた「事件」という訳です。

あまりに多忙な学校
 学校そして教員は忙しい、忙しすぎるということは、私たち自身経験的によく知っています。そして、あまりの多忙のため、教材研究、授業準備、評価・点検等が不十分になり、また児童・生徒とのさまざま関係を築き上げるための時間も不十分にしかとれず、焦ってもいるし、何とかしようがんばり疲れてもいます。そうした状況を打破するひとつの方向として、人的配置の充実(定員増)が必要であり、私たちはそれを要求し続けてきています。ところが、定員増は図られず、その上子どもをめぐる事件が起こるたびに、さまざまなことが新たに学校にもちこまれ、その対応でまた忙しくなるという状況が昨今続いています。

定員増求めることが「不正」か!
 そうした中で、学校が、今ある制度を活用して、実質的に教員増を実現し、少しでも負担を軽減し、授業や児童・生徒とのさまざまなふれあい等の教育活動を充実させようと努力するのは、当然のことです。それはまた、子どもたちの利益にもかなうことです。
 そうしたことは、「不正」なことでしょうか。
 当然なことを実質的に実現するために、さまざまな工夫をこらして現行制度を活用する知恵と勇気を持ち、努力することを「不正だ」と言われる筋合いはありません。

「不正」は行政当局にこそあり
 「不正」というならば、教育の条件整備を主たる任務とする教育行政当局が、十分にその任務を果たさないことこそ、「不正」であり、犯罪的なことです。それには、目をつぶり、「不正事件」と騒ぎ、それを好機として管理体制強化をはかろうとする都教委に怒りを禁じ得ません。
 今回の「報告」そして、それに基づく「改善策」なるものの本質は、ここにあります。


制度的に与えられたリーダーシップは容易に独裁に
     「都立学校のあり方検討委員会報告」批判A

 都教委内の「都立学校等あり方検討委員会」が、三月二十六日に出した「報告書」は、「校長のリーダーシップの確立に向けて」とのサブテーマが表しているように、学校に校長を頂点とした権力構造を確立しようとし、そこへ向けての具体的「改善策」を列挙しています。
 「報告書」は、さまざまな調査と検討を通じ、「都立学校の諸問題を解決する上で最も重要かつ緊急な課題」は「校長のリーダーシップの確立」ということが明らかになったとしています。そして、それを基本的理念として、「論点を整理するとともに検討項目の体系化」を行い、改善策を取りまとめたと述べています。

責任とらず、「泣き言」を言う校長
 校長のリーダーシップをその人格、識見、指導性に基づくそれに求めるのではなく、校長個々のそれらはどうあれ、制度的に強権を持たせることにより、「リーダーシップ」をとらせようというわけです。
 この問題が明らかにされた時点で、マスコミが報道した記事には、「職員会議で意に反して決められ、校長としてはどうしようもなかった」「私は反対したが、職員会議で・・・」との校長の「泣き言」の扱いが目立ちました。こうした「泣き言」、あまりに情けないではありませんか。「自分を責める前に、職員会議を何とかしてくれ」「校長権限を強化してくれ」ということなのですから。
 仮にこの事件を「不正」事件とするならば、校長はその責任をきちんと取るべき立場にあり、こうした「泣き言」は言うべきではありません。
 また、「週刊墨教組」一一九九号に書いたように「今ある制度を活用し、実質的に教員増を実現し、負担を軽減し、授業や生徒とのさまざまなふれあいなどの教育活動を充実させようとの努力」の一環であり、そうした知恵と勇気を持った行動であったなら、その正当性を、現状を明確にし、それに対応しない行政の怠慢(それこそ「不正」だ)を鋭く突きことによって主張すべきだし、その観点から世論にも呼びかけるべきだったはずです。しかるに、都教委に対しても、マスコミの取材に対しても、「職員会議で決められ・・・」との泣き言を言うとは!

リーダーシップは強権から生まれるのか
 何かにつけて、「校長が責任を追わねばならぬ」「校長が全責任を負うのだから」と言いつつ、いざとなると、責任を他に転化して自己の責任を回避しようとする典型と言わざるを得ません。「リーダーシップ」を取り得なかった自己の人格、資質、見識、指導力への反省は全く欠如させるわけです。そうした校長にリーダーシップの取りようもないし、また制度的、権力的にそれを与えた時、その害はきわめて大きいものがあります。 「報告書」は、言います。「魅力ある学校づくりを進める原動力は、校長のリーダーシップのもとに教職員の力を結集するところにある」。リーダーシップは、強権的権力から生まれるものなのでしょうか。

強権的に与えれば独裁に通ず
 リーダーシップとは、ある集団を指導、統率し得る人格、資質、能力、力量、統率力を意味するのであり、その欠如は強権的に埋められるべきものではありません。強権的に埋められる時、それは容易に唯我独尊、独裁に転化します。それこそ、非教育的そのものです。
 校長のリーダーシップの確立をいうならば、校長の資質、見識、力量の向上をこそめざすべきであって、けして強権を制度的に与えることではないはずです。


管理・監視体制を二重、三重に
 「都立学校のあり方検討委員会報告」批判 B

 「都立学校のあり方検討委員会報告」は、「第1 問題の概要とこれまでの経緯」の中で、「都立学校の諸問題を解決する上で最も重要かつ緊急の課題は校長のリーダーシップの確立」だとの結論を出したとし、それを「基本的理念として、論点を整理するとともに検討項目を体系化し、改善策を取りまとめた」と述べています。
 そうして取りまとめた「改善策」の第一にとりあげているのが「開かれた学校の推進」に関わってのそれです(「報告書ー第2開かれた学校の推進」)。 
 都教委は、まず今後の学校運営のあり方を考える場合、次の3点が、「不可欠の前提」であるとしています。
 
@校内運営体制の改善
A都教委と各校との連携
B学校を校内関係者はもとより、保護者、地域等に対しても開かれたものにしていく

 @は、要するに「校長のリーダーシップの確立」、それに基づく校長を頂点とした権力構造の確立ということです。
 Aは、「都教委と各校の連携」と銘打っての、都教委による各校への監視・管理体制の強化ということです。(@Aについては、後日改めて詳しく見ます)
 Bは、以上@Aだけでは安心できず、保護者、地域による監視体制強化を考えているものとも見られます。

「学校運営連絡協議会」構想
 この点に関連しての「改善策」として「報告書」は「校内研修としての授業公開、学校公開・授業参観期間設定・学校説明会における授業公開」を上げています。しかし、その目玉は「全校に学校運営連絡協議会を設置」し「学校の運営・教育内容に関して地域・保護者の意見を取り入れる」ということです。この「協議会」についての構想は次のようになっています。

「協議会」構想の内容
「構成員ー学校、保護者、地域関係者等
 協議事項ー学校経営方針、指導方針、授業開放、地域との連携等について協議、情報交換
 定期的に開催
 設置目標年度ー二〇〇二(平成十四)年度までに全校に設置を目標とし、当面各学区二校をモデル校に指定
 各校にサービス窓口設置ー日常的な学校見学、入学相談に対応
   地域や保護者へのPR
   各種問い合わせ、要望に応じる
 学校評価システムの確立ー学校運営協議会組織を母体とし都教委の任命する者を加え、学校開放の度合い、教育課程の創意・工夫、生徒の成就感・満足度、指導体制等について評価し、その結果を都民へ公表」

管理・監視体制として構想
 今まで日教組も、また多くの教育学者がさまざまな「学校協議会」構想を発表しています。その目的は、文部省による中央集権的な教育行政を排し、学校の自主性、自立性そして民主的運営を実現し、それによって、今学校が抱えるさまざまな問題の解決を図り、また子どもたちの学習権・親の教育権を保障することをめざすものでした。今回、都教委が提唱している「学校運営協議会」は、こうした構想を換骨奪胎し、学校に対する管理体制強化、監視体制強化のための一環として打ち出されているものと言わざるをえません。

「地域関係者」が果たす役割
 そのことは、構成員に教員組合関係者や教育学者等「学識経験者」を含んで構想されていないことにも見てとれます。 また、「地域関係者」という括り方で、構成メンバーの一員を考えていることに見てとれます。行政が「地域関係者」といった場合、それは町会長・青少年委員等を考えていることは、他の例をみれば明らかです。
 そうした「地域関係者」がいかなる役割を果たしているか、私たちは経験的に良く知っています。また行政当局も、そのことをよく知っているが故に、それらの役職を持つ人たちを「地域関係者」と括って、さまざまな「協議機関」の中に入れ、あるいは入れようとするわけです。今回のこの構想もそうしたことを考慮に入れていると見ざるを得ません。

都教委任命者を含めた学校評価
 さらに、「学校評価システム」の中に「学校運営協議会を母体とし都教委の任命する者を加え」(都教委の任命した者を加える!)とあるところを見ると、この「運営協議会」設置が何をねらっているか、明々白々です。

 かくして、都教委は「学校運営連絡協議会」を通じて、「保護者・地域による監視体制(さらにそこに都教委をも加えた監視体制)」を確立させようというのです。


職員会議補助機関化は、

教職員の自主性・自立性を否定するもの
         「都立学校のあり方検討委員会報告」批判 C

 「都立学校のあり方検討委員会報告書」(以下「報告書」)は、「都立学校の諸問題を解決する上で最も重要かつ緊急の課題は校長のリーダーシップの確立」だとし、その立場から今後の学校運営のあり方を考える場合、まず次の3点が、「不可欠の前提」であるとしています。
「@校内運営体制の改善
 A都教委と各校との連携
 B学校を校内関係者はもとより、保護者、地域等に対しても開かれたものにしていく(これについては、「批判B」で検討しました)。」
 @は、要するに「校長のリーダーシップの確立」、それに基づく校長を頂点とした権力構造の確立ということです。そのために、「報告書」は「第3 校内意志決定プロセスの明確化」の中で、各校内規の廃止・管理運営方針の策定、職員会議の位置付けの明確化、校内人事・予算委員会の廃止を「改善策」としてあげています。
 今回は、この内、都教委が小中学校にも適用することを考えている職員会議の問題を中心に検討します。

学校管理運営方針を各校長が策定 
 「報告書」は、まず各校毎に定められている「内規」の内容検討を行い、その中で

@職員会議を最高議決機関と定めている

A校内人事委員会が設置され、主任を含む校内人事が事実上決定されている

B校内予算委員会が設置され、予算編成が行われている

を問題点として上げています。そして、そうした「内規」の存在及びそれに基づく学校運営が「校長のリーダーシップを事実上阻害する役割を果たしている」としています。その「改善策」として「報告書」があげているのが、次の四点です。


@「内規」に代わり各校において校長が「管理運営方針」を都教委と協議して定める。都教委は「管理運営方針」の標準的な内容を示す。
A職員会議の位置付けを「校長の補助機関」とし「管理運営規則」に定める。
B都教委通達で標準的な校内組織、校務分掌を示すとともに、人事委員会を設けてはならないことを明記する。校内人事は、校長が決定する。主任については、校長の具申に基づき都教委が任命する(主任の問題については、次回に検討)。
C都教委通達で予算委員会を設けてはならないことを明示する。校長は学校予 算編成方式を都教委方針に基づき決定する。
 いずれも明確に、校長を頂点とした権力構造を学校に確立しよう、それを校長に制度的に強権を持たせることを通じて実現しようとするものです。

職員会議の性格・機能を規則に明記
 この内、Aの職員会議の位置付けについて、都教委は都立学校と同時に区市町村立学校の職員会議の位置付けについても制度的に明確にすることをめざしています。
 そのため、「公立学校の運営等に関する連絡調整会議」(以下「調整会議」。この会議は、「報告書」が提起している「改善策」を全都の小中学校においても実現させる具体策を検討するため都教委と地教委・校長会代表でつくられているもの)に、「報告書」の「改善策」に基づく具体案を示しています。
 「報告書」は、職員会議の性格は「校長の補助機関である」とし、その機能は次の三点だとしています。

・教育委員会や校長等の上司の指示伝達
・教職員間の連絡調整
・校長の意思決定を適正なものとするために教職員の意見を聞く

 そして、この立場で職員会議の位置付け(職員会議の性格と機能)を、「管理運営規則に定める」ことを通して制度的に明確にすることをめざしています。それを通して校長のリーダーシップを制度的に確立させようというわけです。

職員会議→校長の補助機関
 具体的には、「東京都公立学校管理運営規則(都立学校に適用される管理規)」および「東京都区市町村立学校の管理運営の基準に関する規則(区市町村立学校に適用される管理規則の基準を示す規則。区市町村教委は、この基準規則ー準則ーに従い管理規則を定めることを強制される)」に「職員会議」の項を起こし、そこに別記のような規定を設け、職員会議の性格、機能を明確にしようというわけです(別記参照)。
 まず、「校長がつかさどる校務を補助させるため」という表現で、「職員会議は校長の補助機関である」と定めようとしています。
 さらに、その機能についての規定の中で、「校長の管理運営方針の周知」「校長が校務に関する決定を行うに当たって職員の意見を聞く」「校長が職員相互の連絡を図る」と、くどいほどに校長の権限を強調しています。
 また、職員会議の運営について「招集・管理は校長権限」「職員会議の組織・運営については校長が定める」と、徹底して校長に従属し、管理する機関であることを強調しています。

教育法になぜ職員会議規定がないのか
 ところで、この「規則改正案」は都教委が「調整会議」に示したものですが、それに当たっての解説の中で、職員会議の機能について、次の「文部省見解」を示しています。
「・学校の運営が円滑に行われるように校長が所属職員の意見を聞く。
 ・校長の運営方針を周知徹底させる。
 ・職員相互の事務連絡をはかる。」
 「報告」で示した「機能」と比して微妙な違いがあります。
 文部省も職員会議について、法律論としては「補助機関説」をとっていますが、同時に、その在り様について、次のような見解を示しています。
 「『補助機関にすぎない』ということを楯として、職員会議の意向に対して、ただ恣意的にことごとく逆向するような決定を行い続ける校長がいるとすれば、直接法律上の責任を云々されることはないとしても、実際上、その校長は学校運営について、所属職員の協力を得ることが困難となり、一人浮き上がった存在になってしまうことになろう。(補助機関説という)法律論の役割と限界を知らなければならない」(文部省地方課法令研究会編著「第二次改訂 新学校管理読本」)
 文部省は、法律論としては「補助機関説」をとりながら、法律改正を行ってまで職員会議の性格と機能を明確に規定しようとしてきませんでした。それは、上記のことを危惧し、学校は校長を含む教職員集団の総力を結集していくことが必要であり、その結集の場として重要な位置を占める「職員会議」について、さまざまな性格・機能を持ちうるものとして法的にではなく、「教育の条理」に委ねた方が良いと考えているものと推測できます。

立法趣旨、文部省をも逸脱する都教委
 現行の教育法規は、教育に関する法律は細かく規定することは望ましくない、細かい部分は「教育の条理」にゆだね、またそれを生かす余地を残すという立場から立法されています(職員会議についての規定が、どの現行教育法規にもないのは、この立場によっています)。
 都教委が制度的・法的に明確にしようとしている「職員会議の性格および機能」は、こうした現行教育法の立法趣旨を越えていることはもちろん、文部省見解をも越えたものとなっています。

判例が示す「教育の条理」をも無視
 また、都教委は「判例においても同様の判断が示されている」としています。 しかし、「校長に決定権限がある」との見解をとる判例においても「原級留め置きの決定は、職員会議で審議を行うのが教育条理。(留年決定無効、職員会議を開催することを命じる判決)」(七二年新潟地裁判決。渡辺孝三・下村哲夫著「教育法規の争点」より)
 「教師の教育に関する自主性・主体性は、授業内容の自主的編成等の個々の教師の教育活動の領域に限られず、それと密接に関連する教育課程編成、生活指導方針等の全校的教育事項の内容の決定についても、十分尊重されるべきである。したがって、学校教育法上は明文の規定はないが、教師の自主性、教育専門家としての知識、経験を尊重する立場から、全校的教育事項については、職員会議を開催し、校長を含む教師集団における十分な討議を経て決定することが望ましい」(八八年宮崎地裁判決。日教組弁護団著「教育法解説」より」)
 都教委は、こうした判例に示されている「教育の条理」を無視し、都合のよいところだけをとって「同様の判断」が示されているとして、自己の立場を正当化しようとしていると言わざるを得ません

補助機関説ー教員の自主・自立性否定論
 ところで、「補助機関」とは、どういうものをいうのでしょうか。
 補助機関とは、「それ自体としては独自の権限を持たず、他の行政機関の職務の遂行を補助する職務を有する行政機関をいう。」「これを学校についていえば、校長は学校の意思を代表し、これを外部に表示する機関であるのに対し、教職員は校長に付属し、その意思決定を補助する機関である。教職員は校長の監督のもとに校務を分担しているのであって、校長に対抗して独立して職務を行う権限を与えられているわけではない。このような教職員で構成される職員会議の性格は、他に法令の規定のない限り、これを補助機関と解するのが論理の自然」。
 これは、前掲書「教育法規の争点」の中で、渡辺・下村両氏が「職員会議=補助機関説」について整理したものです。
 「教職員は、校長に付属し、その監督のもとで校務を分担」と、教師の自立的・自主的教育権を全面的に否定する立場、それこそが「職員会議=補助機関説」です。(注)参照

(注)渡辺・下村両氏は、「補助機関説(これは文部省による行政解釈でもあります)について、「専門職組織としての学校のあり方からして問題がある」としています。そして、両氏は「教師は専門職という点に関しては、文部省も異論がないはず。専門職にとってもっとも重要な属性は、自己の専門とする領域における自由裁量権である。職員会議を補助機関とみなすのは学校を官庁や軍隊などと同様、非専門職組織とみなすもので、適切を欠く。教職の専門職性に係わりのある事項については、教師の専門的判断にまつというのは、常識的配慮(それが「教育の条理」)と、「補助機関説」を批判しています。ついでながら、両氏は、「職員会議には、議決機関、諮問機関、補助機関いずれの役割も果たすことがある。」として、「他の機関の表示する行政主体の意思について、その決定に参与する権限を有する機関との意味における参与機関として位置づける」ことを提唱しています。そして「参与機関としての職員会議が、どういう事項について、どういう権限を持つかは、各校で具体に即して検討を進めるべきだ」と学校の自主性・自立性にゆだねるべきだとしています。 

全校的教育事項は、職員会議決定事項
 私たちは、自らの教育活動をおこなうについて自由・自主性をもっています。そのことは学校教育法の規定「教諭は児童・生徒の教育を掌る」を初めとして現行教育法規によって保障されています。その個々の教育活動を進めるに当たって、学校全体としての意思統一をはかっておかなければならぬことがあります。例えば、学校全体の教育目標や教育方針、教育課程編成、学校行事の年間計画、教育校務分掌(学年・学級担任、研修計画、各種主任)、生活指導方針、進級認定や懲戒処分等(これらを一括して「教育内的事項」あるいは「全校的教育事項」というのが教育学では一般的)などがそれです。これらは、各教員の教育権を束ねて行使するものといえます。したがって、学校の全教職員が参加する職員会議の審議を経て決定されなければなりません。
 私たちは、そうした方向こそが、現行教育法規の示すところであり、また教育法が「教育の条理」にゆだねたものだとの立場から、職員会議の性格・機能をとらえてきました。そして、そうした性格・機能を持つものとして職員会議を各校において定立しようと努力してきました

教師の教育の自由・権利に対する攻撃
 今回の都教委の「職員会議=補助機関」化策動は、そうした私たちの努力と私たちの教育の自由・権利に対する、真っ向からの攻撃です。
 また、職員会議を通じて学校教職員の総知・総力を結集し、それぞれの学校の教育課題に対応していこうとしている各校、各校教職員の自由・権利を否定するものであり、そうした努力に対する侮辱であり、それを無にするものと言わざるを得ません。
 さらに、各地方、各校の自主性、自立性を強化し、学校を活性化させようとの中教審答申の立場を否定し、それを校長の自主性・自立性に矮小化しようとするものだとも言えます。

 私たちは、こうした立場から今回の都教委攻撃に断固反対します。これは、私たちの教育の自由、権利を守る闘いであるとともに、強権をもって学校、教職員、児童生徒を全面的に管理・支配しようとする策動との闘いでもあります。


教員の自由・自立

それを束ねる職員会議の

自由・自立なくして

教育なし