墨田教組第六十三回定期総会に集まり、私たちは真摯な討議を経て二〇〇八年度運動方針を決定しました。
教育関連三法の改悪により、教員免許の更新制や新しい職の設置、公共の精神、愛国心の強制など、学校・教育をめぐる状況はますます厳しくなっています。
職場は、人事考課制度の実施により、一層分断されています。教育活動とはほど遠い、形式的な文書の提出が次々と求められ、さらなる多忙化により、職場からはうめきにも似た声が出ています。
「日の丸・君が代」問題では二〇〇三年の都教委による入学式・卒業式での掲揚、斉唱強制の通達が出て以来、多くの処分者が出されました。私自身は、職場の管理職から、弾かなければ学校現場に置いておくわけにはいかないと責め立てられました。その管理職もまた都からの通達であるため強要せねばならないという立場にあるという構造です。
私は音楽専科として、教員として、「君が代」伴奏拒否を貫いてきました。その私が「君が代」を弾くという行為に、私の胸ははり裂けそうでした。
私は今、入学式・卒業式では自分をロボットとして振る舞うよう、無機質な心を持つよう自分に言い聞かせるしかありません。
本来、音楽とは、人の心を深く揺さぶり感動を伝えるものです。私はそのことを音楽教師として大切にしてきました。それがないがしろにされ、強制されている今の状況に大きな危機意識をもっています。
一昨年九月、東京地方裁判所は「日の丸・君が代の強制は憲法違反・教育基本法違反であり、都による処分は無効」という判決を下しました。しかし都はこれを無視し新たな処分者を出し続けています。
子どもたちとゆっくりとふれあう時間も奪われ、ただ仕事をこなすだけの現状は、わたしたちをロボットのようにさせているのです。この状況こそがものを言わない人間、ものを考えない人間を作り出そうとする権力の思惑に他なりません。
私たちが大切にしているものは、子どもや職場の仲間との、人としてのふれあいです。
私たちには組合があります。
困難にくじけそうになったときこそ、仲間の大きさ、大切さを実感します。これまでも苦しいときに励まし、いたわり、そして支えてくれたのは仲間たちでした。権力がどのように圧力をかけてこようと心までを奪うことはできません。
私たちは、たとえどんな状況におかれても、組合員であることを誇りに思い、前を向き、仲間と団結し、連帯し、自立的・原則的にそしてしなやかに闘っていくことを宣言します。
二〇〇八年四月二十三日
墨田区教職員組合 第六十三回定期総会
総会宣言 2007年度 |
私たちは、第六十二回、墨田区教職員組合定期総会を開催し、真摯な討議を経て、二〇〇七年度運動方針を決定した。
戦争ができる「美しい国」をつくるための国民を育成しようとする違憲教育基本法は、「教育三法案」として、今徐々に実体化されようとしている。さらに、戦後の大枠を形作ってきた平和憲法さえも葬られようとしている。東京では石原が三選され、教育改悪の流れはますます勢いがついている。残念ではあるが、私たちはこういう状況にいることを認識しよう。
教育現場では、矢継ぎ早に「改革」が強行されている。
昇任・昇格・昇給と人事異動がリンクされている「人事考課」制度、ピラミッド型命令系統を確立しようとする「副校長」「主幹」・「主任職」設置策動、「日の丸・君が代」強制による「思想・信条の自由」の剥奪、子ども達の「学力」を上げると称する区・都・国の学力テスト・・・。
これらの「改革」はその掲げる目的すら実現できないでいる。
民間でマイナス効果が検証された頃導入された「人事考課」制度は、モラールの向上とは反対に、職場に不信感と、腹立たしさと、苛立ちだけを生んだ。
「主任」制度の欠陥と、「いじめ」を根本的に解決すると国に先行して導入された「主幹」は、恥も外聞もなく受験申し込み期限延長・受験資格基準緩和におよんでも、各校に配置できない状態である。命令=服従関係による学校づくりは、批判と反対の封殺を目論んでも、その初めから躓いている。教育が自立と協力・共働によってなされるのであるから、それは当然の結果である。
私たちは知っている。「学力低下」を叫んでいるのはほんの一部であることを。多くの人々は、ペーパーテストで測る「学力」や、アンケートでわかる程度の「やる気」:ではないものを子ども達が獲得してほしいと願っていることを。
にもかかわらず、この的外れでうんざりさせられる「改革」は強行されている。教育に対して嫌気とあきらをもたせること、誰もが、むなしさと無力感を抱くこと、それが新自由主義教育「改革」の真の目的であるとさえいえる。それは、営々と積み上げてきた教育と職場の破壊そのものだ。私たちはこの破壊を許してはならない。
職場の中にあって、私たちは今も、「自由」を比較的多くもっている。
私たちは、「出世」・「高給」・「高い評定」・・・ではないものを、仕事の中心におく道を選んだ。
私たちには、ともに墨田の教育と職場をつくっていこうとする仲間がいる。私たちは私たち自身の日々の行為、職場で理不尽なことを理不尽と言い、おかしいことをおかしいと言う、その一つ一つの行いにより、組合を組合として機能させている。そのことによって、仲間が自分の意志を表現し、自分の心を捻じ曲げないで働ける条件を作り出している。
二〇〇六年九月東京地裁「君が代」判決、北海道教委の処分撤回、犬山市教育委員会の学力テスト不参加・・・、まだ良識が壊滅したわけではない。絶望するときではない。
私たちも、一つの良心として、良識の証としてあろうではないか。四七年教育基本法の目的、人格の完成をめざして、「一人の子も切りすてない」教育を推進していこうではないか。憲法を護り生かしていこうではないか。
行く手がどんなに荊の道であったとしても、前を向き、仲間と団結し、連帯して、自立的・原則的に闘いぬいていくことをここに宣言する。
二〇〇七年四月二十五日
墨田区教職員組合 第六十二回定期総会
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総会宣言
教育基本法「改正」案と、改憲のための「憲法改正国民投票法案」が、今国会に上程されようかという中で、私たちは、第六一回墨田区教職員組合定期総会に結集し、真摯な討議を経て、二〇〇六年度運動方針を決定した。
小泉自民党は、昨秋の総選挙における大勝以来、「戦争のできる国」づくりを一層進めている。日米同盟の強化そのものである米軍再編を無原則に受け入れ、ブッシュ米大統領の足元からさえ疑問が出され始めたイラク侵略に、主体的な判断のカケラもなく自衛隊を送り続けている。
「国のために死ねる」国民を育成するための方策は、今やオブラートに包まれることもなく、あからさまに強化されている。「日の丸・君が代」の強制から始まった教職員への思想統制。過去の歴史を歪曲し基本的人権を個々人の持つものではないとする歴史や公民の教科書を採択させようとする圧力。そして、教員への「人事考課制度」導入による管理体制強化は、主幹制度・差別昇給制度の導入と、教職員の分断をはかりながら進められている。都教委は、都立学校に対して、職員会議での採決を「禁止する」通達を出すという暴挙にまで及んでいる。物言わぬ・批判性を持たぬ教員を求めていることは明らかだ。私たちはこのような動きを決して容認することはできない。
小泉「改革」によってもたらされた弱肉強食の社会は、セーフティネットをズタズタにされ、自死を余儀なくされた人々が毎年三万余人もいることから目をそむけている。若者は、将来への希望を奪われ、職業に就く見通しも持てず、自己責任だと決めつけられ、追い詰められている。そのような中で行われている都や区による一斉「学力テスト」は、子どもたちへの管理強化を生み、学校は許容量を狭めている。学校は、まるで、他者への想像力を欠如させることが、このような学校や社会の中で生き延びていくための道であると教えようとしているかのようだ。学校は、子どもたちに生きる勇気や力を与える場であることを止めてしまうのか。
けれども、私たちは、どのように絶望的に思える状況であろうと、まだ本当の「絶望」がきたわけではないと確信する。私たちは、どのような攻撃の前にも屈しない。日教組をつくった先輩たちが、その出発点にした「教え子を再び戦場に送るな」の思いを受け止め、憲法・教育基本法への思いを共有しながら、闘い続けている。「日の丸・君が代」の強制への抵抗は、処分の連発によっても押さえられてはいない。私たちは、職員会議で筋を通した発言を続けることで、同僚たちに問題を提起し連帯を求め、考え、ものを言う教員であることを続ける。それが、目の前にいる子どもたち、これからの時代を生きる人達と連帯する道だからだ。被差別の側に置かれた子どもたちに寄り添う教育実践を続けていく。それが、学校を再生させうる唯一の道だからだ。
状況は厳しいが、組合があったから、仲間を信じることができたから、この仕事に誇りをもって働き続けてこられたのだということに、確信をもとう。かつて、当時の内田委員長が「日教組の闘いに勝利がないのは当然だ。国家権力を相手にしているのだから。問題は、負け方だ。闘いの芽を残さず屈服してはいけない。回れ右をして逃げ出すようなまねは、してはいけない」と語っていたことがある。今、改めてその言葉を噛みしめる。
どんなに厳しい状況の中でも、あるときは笑い飛ばし、あるときは本気になって怒り、したたかに闘い続けよう。自分のできる場で、できる範囲で、仲間とともに歩み続けよう。
私たちは、仲間を信頼し団結し連帯して、自立的・原則的に闘い続けることを宣言する。
二〇〇六年四月二十六日
墨田区教職員組合 第六十一回定期総会
教育基本法改悪に反対する決議
四月十二日、自民、公明両党は、「与党教育基本法に関する検討委員会」で、協議の焦点となっていた「第二条(教育の目標)」の「愛国心」の文言について、「伝統と文化を尊重し、それらを育んできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。」とすることで合意しました。また、前文案には、「伝統の継承を目指す教育の推進」が盛り込まれました。
「我が国」を「個人の尊厳」よりも優先させ、「国を愛する」とか「伝統の継承」が、新しい理念として教育基本法に明文化されることになるのです。この改悪が、文言にとどまらず、どんなに暗く恐ろしい実体を現出するかについては、東京都の教育行政の「日の丸・君が代」強制が先取りしています。
また、四月十九日には、自民、民主などで作る教育基本法改正促進委員会、民間教育臨調、日本会議国会議員懇談会などが合同総会を開き、与党案に対して、三つの修正をしていくことで一致したといいます。三つとは、「国を愛する態度を養う」の「態度」の文言を「心」に変えること、「宗教的情操の涵養」を明記すること、「教育は不当な支配に服することなく」の「教育」の文言を「教育行政」に改めることというものです。
国家による教育行政の「不当な支配」を、国の責務として正当化しようというのです。
この国は、周辺事態法から有事法制へと、「戦争ができる国」へむかって、まっしぐらにつきすすんできました。今も、理不尽なイラク派兵はつづいたままです。そして、在日米軍の再編・強化がおしすすめられています。
教育基本法改悪のねらいは、「戦争ができる国」にするために、国民の意識を変容させることにあることは明白です。
決して座視することなどできません。
何よりも、まず、平和を。
教育基本法は、戦争の深い反省から生まれた平和憲法の理念を実現するために、英知を結集して制定されたものなのです。
政府・与党は、今国会への上程に向けて、具体的な準備作業にとりかかりました。まさに、緊迫した正念場をむかえます。
私たちは、教育基本法改悪に反対します。
私たちは、全力を尽くして、教育基本法改悪法案の国会上程を阻止します。
二〇〇六年四月二十六日
墨田区教職員組合 第六十一回定期総会
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墨田教組第五九回定期総会に集まり、私たちは熱意と思いのこもった討論を経て、今年度の運動方針を決定しました。私たちは、自立的・原則的に闘う墨田教組の歴史を継承しつつ、新たなる一歩を踏み出していきたいと思います。 今、私たちが大切にしてきた、民主的で自立性をもち、「ゆとり、なかま、決定権」を志向した教育の場が、大きな権力によって圧しつぶされようとしています。 入学式・卒業式等で、私たちに「国歌」斉唱時に起立するという行為を、処分をおどしに使ってまで、もとめてきました。この「日の丸・君が代」強制は、教育を、天皇を要とする国家主義へ導き、私たちに、愛国心教育を「実践」させるものです。思想・信条・良心・信教・内面の自由を認めない、管理体制の中に私たちをくみこむことなのです。 都教委は、週案提出の強制、人事考課制度と連動させるとした「キャリアプラン」の強制によって、私たちの自主的で自立した労働、教育内容の創造、実践する自由を奪い、「教諭は児童の教育をつかさどる」という学校教育法の基本規定さえふみにじろうとしています。 「人事考課制度」の成績主義、「人材開発」という恣意による異動によって、職場の仲間たちが分断されようとしています。私たちの反対にもかかわらず作られた「主幹制度」は、まだ実質的に機能することに成功はしていません。それを阻止しているのは、教職員集団の団結であり仲間と協働の作風です。「立場」として物事を判断し、同じ仲間の上に立つことをよしとする主幹と、それを受けいれる「もの言わぬ教員」が、「教育」を崩壊させるでしょう。互いにいたわりあい、補いあってすすめてきた教育活動を壊してはなりません。 改悪された勤務時間は、私たちに長時間連続労働を強いています。身も心も疲れきり、深い疲労感と徒労感が、不条理に抗する気力さえも奪っていきます。 毎日、おしつぶされそうになる私たちですが、墨田教組旗上げ前の困難な時代を切り拓いてきたある先達の言葉を思い出します。 「暗い教育の谷間にヘッドライトを」です。 どんな大きな圧力の中でも、どんな許せない不条理の中でも、それがたとえ細くても、一筋の光を、信念をもちつづけることが、いずれ、仲間をつくり、大きく広がり、時代をかえていくのだと。 そして、今、再び仲間のことを思います。 退職の三月まで、民主的な職場にしようと校長と対峙しつづけ、ついに理不尽な要求を職場の仲間とともにはねかえし、「大きな岩が動いた」と語った仲間がいます。 病床にありながら、「墨田教組の誇りをもって、行動をして。」と励ます、私たちの仲間がいます。 そして、地域に根ざした反戦・平和・反差別の教育実践を提起しつづけている仲間がいます。 自分のできる場所で、できる範囲で、一歩一歩仲間と歩みつづけていきましょう。 墨田教組組合員の、お互いに通い合う心のぬくもりの中で、他人の痛みがわかる豊かな感性、そして、どんな困難にも負けないで、人として生き抜くたくましさをもって、いっしょに闘っていきましょう。 二〇〇四年四月二八日 墨田区教職員組合 第五九回定期総会 |
日本政府の侵略・占領加担、石原「日の丸」教育、
教育基本法改悪に反対する決議
イラク戦争とは、理不尽きわまりない明白な軍事侵略です。アメリカの単独行動主義が、国際ルールを無視して暴走し、肥大化した武力で、気に入らない弱小国をたたきのめしたのです。正義などひとかけらもない、卑怯で愚劣な蛮行です。アメリカこそテロ国家そのものです。 打ち続く不当な占領に対して、あたりまえのことですが、イラクの人々は、ひるむことなく苛烈な抵抗をしています。イラク情勢の極度の悪化により、ついに、アメリカは、イラク占領統治の方針を国連主導に転換せざるをえない局面に追いこまれました。その上、スペインのサパテロ首相は、イラク早期撤退を表明し、すぐさま行動にうつしました。さらに、ホンジュラスもドミニカ共和国も撤退を表明したのでした。 この期に及んでも、コイズミは、イラク侵略・占領に加担しつづけ、頑迷に自衛隊撤退を拒否しつづけています。 この国は、「戦争ができる国」へむかって、まっしぐらにつきすすんでいます。 また、石原「日の丸」教育の乱暴狼藉も常軌を逸しています。国の最高法規と教育の基本法規を顧みず、「思想・良心の自由」を全く無視し、二百人以上の見せしめの「処分」によって、国家への忠誠を強要する「日の丸・君が代」強制は、断じて容認することなどできません。 石原のやり口に象徴される、グローバル化のなかの「愛国」教育は、のりこえなければなりません。 新自由主義・国家主義を越えていかなければなりません。 教育基本法は、戦争の深い反省から生まれた平和憲法の理念を実現するために、英知を結集して制定されたものです。 何よりもまず平和を。 自分らしく暮らせて、二度と戦争をしない国。 子どもは「お国」のためにあるのではありません。 私たちは、教育における国家主義と差別化を推進し、再び戦争のできる「国民」づくりにつながる教育基本法の改悪を、全力で阻止することを、もう一度、ここにしっかりと確認します。 二〇〇四年四月二十八日 墨田区教職員組合 第五十九回定期総会 |
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総会決議
2003年4月23日
墨田区教職員組合第58回定期総会
総会宣言 都教委による矢継ぎ早な組合活動に対する妨害の続く中、私たちは、第五十八回墨田区教職員組合定期総会に結集し、真摯な討議を経て、二〇〇三年度運動方針を決定した。 「イラクの大量破壊兵器の捜索」に名を借りた米英による攻撃、そして侵略を正当化し、支持を表明した日本政府は、北朝鮮問題にからめながら、虎視眈々と「有事法」制定、「教育基本法」改悪、「憲法」改悪をもくろみ、再び日本を戦争のできる国家にしようとしている。 そのための、最も効果的な手段として、教育の完全権力支配を企図した種々の攻撃が私たちにかけられている。 上意下達の徹底を図る主幹制度。仲間、ゆとり、決定権を破壊する人事考課。自己申告・キャリアプランの押し付け。教員の早期選別を図る「十年研」。長期休業中における研修の制限。勤務時間問題。「ながら条例」の改悪による組合活動の制限。教研までをも認めない。この異様な状況。 当局は、このような攻撃を通して、戦前のようなもの言わぬ教員作りを着々と進めている。 私たち墨田教組組合員は、この激しい嵐の中、地に足をつけ、仲間と共に、一つひとつの問題に対峙し、背を見せることなく闘い続けている。そして、日々「一人の子も切りすてない」教育を推進している。 私たちは、どんな状況におかれても、前を向き、仲間と団結し、連帯し、自立的・原則的に闘いぬいていくことをここに宣言する。 |
教育基本法改悪に反対する決議 三月二十日、文部科学省の諮問機関である中央教育審議会が、教育基本法の改悪をもりこんだ最終答申を行いました。 答申は、現在の子ども達をめぐる様々な問題の責任を、すべて教育基本法に押しつけました。 そして、社会や国という「公共」を個人よりも優先させ、ことさらに「国を愛する心」とか「伝統、文化の尊重」を強調し、新しい理念として、教育基本法に明文化するよう提言しています。さらに、国家による教育行政の「不当な支配」を、国の責務として正当化することも提言しています。 現在、コイズミが、アメリカ・イギリスのイラク攻撃支持をまっさきに表明したことに示されるように、この国は、「戦争ができる国」へむかって、まっしぐらにつきすすんでいます。教育基本法改悪のねらいは、「戦争ができる国」にするために、国民の意識を変容させることにあることは明らかです。 決して座視することなどできません。 教育基本法は、戦争への深い反省から生まれた平和憲法の理念を実現するために、英知を結集して制定されたものです。 前文には、憲法の理想の実現は、「教育の力にまつべきものである」として、「ここに、日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確立するため、この法律を制定する」と高らかに宣言しています。 いま、まさに、民主教育が総決算されようとしています。政府・与党は、五月の連休明けから教育基本法改悪法案の国会上程に向けて具体的な準備作業にとりかかろうとしています。 私たちは、教育基本法改悪に反対します。 私たちは、反戦平和をめざして、うまずたゆまずに、はるかな道のりをあゆみつづけます。 |
アメリカのイラク攻撃と 日本政府の戦争支持表明に反対する決議
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敗戦後、最悪といわれる出口の見えない不況の中、また、各職場でますます管理強化が進行する中、私たちは、第五十七回、墨田区教職員組合定期総会を開催し、真摯な討議を経て、二〇〇二年度運動方針を決定した。
大多数の教職員の反対の声を無視して始まった、アメとムチによる競争原理に基づく「人事考課」制度。そして、これまでより一時間十五分ものただ働きを強いかねない「勤務時間」問題。職場の協力・共働を破壊し、民主的に討議・決定していく教育活動を全面否定し、上意下達を貫徹させようとする当局の意図が丸見えの「主幹制度」導入。ついには、休業中における自宅研修権までをも剥奪しようとする都教委の攻撃。
また、「宗男・真紀子騒動」、「秘書疑惑」をマスコミが大きくとりあげ、人々の目を引きつけているその陰で、憲法前文及び第九条の改悪を射程に入れて、虎視眈々と有事立法=戦争推進法の可決をもくろむ小泉政権。
私たち墨田教組組合員は、ともするとバラバラにされてしまいそうな猛烈な嵐の中、職場で足を踏ん張り、仲間と手をとりあいながら、一つ一つの問題に対峙し、背を見せることなく、闘い続けている。そして、「一人の子も切りすてない」教育を推進すべく、日夜奮闘している。
一九八五年五月、ドイツのワイツゼッカー元大統領の演説で語られた言葉=「過去に目を閉ざす者は、結局のところ現在にも目を閉ざすことになる」=今こそ、この言葉の持つ意味をもう一度かみしめ、現在、私たちにかけられている攻撃の意図を明確に認識し、日々の教育活動と組合運動に邁進していこうではありませんか。
行く手がどんなに荊の道であったとしても、前を向き、仲間と団結し、連帯して、自立的・原則的に闘いぬいていくことをここに宣言する。