コラージュ   スカイツリーの街  2011.1


週刊墨教組 No.1622           2011.3.30

最重要施策「個人学習プロフィール」 実施要領に反する評定
 夏に指摘したのに頬かむりのまま「不断に見直し」と答える不誠実さ
  すみだ教育研究所の言語能力を疑う
  あるいは、「その程度のもの」という認識を「我々」と共有しているのか?
「二〇一一年度予算・制度要求」回答  区教委は現場の声に耳傾けよ 2

資料1 2011年度予算・制度要求とその回答の一部
組合要求:
C「個人学習プロフィール」はただちにやめること。
  たった一度のペーパーテストでは「学力」は測れず、それを積み重ねても誤った個人データを蓄積するだけである。教職員は児童生徒をこのように一面的にではなく全体的に見て指導するべきである。
  また、今年度の評定にあらかじめ説明された基準と明らかに異なるもの、すなわち誤りがあった事実は公表されていない。このこととその理由、並びに区教委としての見解をすみやかに児童生徒・保護者・教職員に説明すること。

区教委回答:
  児童・生徒一人ひとりに応じたきめ細かな指導に資するため、引き続き実施していく。
  また、実施に際しては、実施要領を不断に見直し、より実態に即したものとするよう、改訂していく。


由々しき問題
 私たちは夏、墨田教育研究所長に、今年度の評定(ABCD)にあらかじめ説明された基準と明らかに異なるものがあることを指摘し、その理由を問い、事実を公表し、区教委としての見解をすみやかに児童生徒・保護者・教職員に説明することを、何度かにわたって要求してきました。所長は当初、そのような事実があることすら知らなかったように見受けられましたが、夏の終わりには事実(※1)として認めました。
※1 全教科全学年の評定五十か所中、十五か所に実施要領での規準と異なる評定がなされている。特に、二年国語言語事項では区平均到達度(平均点)八九なのに、九二・三(一問だけ間違えた)の児童はCと判定されている(しかもB判定の児童はいない)。
 詳しい数値はホームページに掲載

 研究所は、二年国語言語事項で一問だけ間違えた子がCであるのは「特別な事例だ。平均点が高すぎ、正規分布していないと起こる現象で、Bがいないのだ」と説明しました。しかし、この説明は的外れです。Bの子がいないということを問題にしているのではありません。「区の平均を超えればBであるという決まりから外れている」ことを問うているのです。説明になっていません。
 そもそも、「個人学習プロフィール」は、資料1の組合要求からしても、「指導と評価の一体化」と言われているものからしても教育の論理から外れています。教員には外注業者がとる採点規準も、子どもたちの間違いの内容も知ることができないのです。点数が返ってくるだけです。それをどれだけコンピュータでいじっても「きめ細かな指導」などできるわけがありません。 

関心の低さはなぜ?
 これがあまり問題にならないのはどうしてでしょう。
 気がつかないか、あるいは気がついてもそんなことに関わっている暇はないから無視するのか・・・。時間との関係=忙しさの問題が考えられます。
 もう一つには「学力プロフィール」に対する対し方が考えられます。気がついても大切な問題とは感じないということです。
 現場は冷めているのでしょう。どうせBをつけたってCをつけたって、やることに変わりはない。区教委が外注でやっている基準とあっていない部分があってもどうでもいい。まるで役に立たないものだから・・・。
 あるいは、現場にはもう「考える力」も「考える気力」もなくなっているからだという解釈はどうでしょう。区教委様・採点業者様=ベネッセ様の言うことならば何の疑いも持たずにへいへいとやらさせていただきます・身を委ねると言います。
 多忙感・それどころではない・無関心・事実を直視しない・笑ってごまかす・投げやり・無力感・・・いずれにしても由々しきことです。そのどれもが「学級崩壊」初期に顕著な心的態勢だからです。

区教委にとっては
 無視できないことと思うが・・・
 こんな「つまらないこと」に目くじら立ててないでもっと大事なことに力を注ぐべきだというのは、現場の大方の意見です。しかし、 「個人学習プロフィール」が墨田区教育委員会の極めて重要な教育課題であることはつとに教育委員会が言明しているところであります。現場での扱われ方とは異なって極めて熱く語られているようにみえる教育委員会においても「つまらないこと」と言えるでしょうか。「ルール違反」・規準違反を平然とやって、さらに指摘されても知らん顔をしていていいのでしょうか。無神経さを疑います。
 こういうことを組合ごときに書かれたら教育委員会として恥ずかしいだろうと思うからこれまで半年以上何らかの説明を待って来ました。が、回答のような立場をとるのであれば、その必要もないでしょう。
 「実態に即したものとするよう」「実施要領を不断に見直し、改訂していく」というのは、要領でも規準でもないただの現状追随のような気もしますが、まあ、どうでもいいでしょう。ただ次のことだけ要求します。
「個人学習プロフィール」はただちにやめること


資料2 プロフィール記入の手引き
 「評価」欄には、学習到達度調査結果のうち、児童・生徒一人ひとりの各教科な内容・領域ごとの平均到達度について、「基準値」に照らしA,B,C,Dの4段階で評価したものを記録します。評価の基準は、以下のとおりとします。
 【評価1】各教科の「評価の基準」
  ●墨田区平均到達度を「基準値」とする。
  ●評価の基準
   A:「基準値」を上回る児童・生徒のうち、10ポイント*以上上回ったもの
   B:「基準値」を上回る児童・生徒
   C:「基準値」を下回る児童・生徒
   D:「基準値」を上回る児童・生徒のうち、10ポイント*以上下回ったもの
  ●「基準値」が90%を超えるときなどは、10ポイントではなく5ポイントなどとすることもある。

2010年度個人学習プロフィールの判定
国語 算数
学年 話す聞く 説明文 文学的 言語事項 数と計算 量と測定 図形 数量関係
2 区の平均正答率(平均点) 64 61.9 89 92 91.7 85.5 82
BC間判定のおかしいもの 60:B 92.3:C 91.7:B 80:B 80:B
3 区の平均正答率(平均点) 78.1 76.6 85.2 89.7 84.4 76.3 81.2
BC間判定のおかしいもの
4 区の平均正答率(平均点) 92 60.3 73.5 75.7 82.7 74.8 65.2 80.8
BC間判定のおかしいもの
5 区の平均正答率(平均点) 91.6 65 63.6 71.9 78 73.3 72.4 66.7
BC間判定のおかしいもの 60:B 60:B
6 区の平均正答率(平均点) 78.4 61.3 67.2 67.9 65.5 52 62.2 51.3
BC間判定のおかしいもの 60:B 63.6:B 50:B 50:B


太字が実施要領の基準に反する判定。
国語2年の説明文では、平均が64点だから「C:「基準値」を下回る」という基準に反してBと判定されている。。




週刊墨教組 No.1622           2011.3.28

「二〇一一年度予算・制度要求」回答来る
極めて不満な回答 区教委は現場の声に耳傾けよ


 私たちは毎年秋、職場からの声をまとめ、次年度予算編成に反映され、適正に運営されるよう要求しています。十月提出要求に対する回答が、三月十五日、教育長名で出されました。例年、組合・区教委それぞれ複数人が回答をめぐって質疑・意見交換がありますが、今年は、東北地方太平洋沖地震/福島第一原発事故への対応で多忙のため、まずは文書のみでの回答となりました。今後のやり取りの中で明らかになるものもありますが文書で見る限り、全体的に非常に後ろ向きな回答です。これへの批判・状況が変化したことへの対応などもふくめ、少しずつみなさんに報告していきます。

資料1 2011年度予算・制度要求とその回答の一部
組合要求:
2.「学校ICT化」にあたっては、その主旨に沿うように行うこと。教育活動に支障が生じないように、各学校の意向を尊重し、十分な準備・移行期間を設けること。
区教委回答:
 「墨田区立学校 ICT化推進計画」に沿って行っていく。

@ICT化の主旨に反して、仕事が増えてしまっている現実がある。校長会は実務に関して職員を代表していない。これまでのたくさんの不具合を解消するとともに、至急「実務担当者会議」を開き、実効あるICT化を図ること。
区教委回答:
 @必要な情報は提供していく。不具合はその都度解消している。

組合要求:
E学童保育や「いきいきスクール」などは、学校の意向を無視し一方的に設置しないこと。
区教委回答:
 学校や地域との協議の上、設置していく。



ICT化」 来年度、今年の内容と変わりなし
「週案は『学びの扉』で行うようになる」
「教科だけではなく単元名も入れる」
「通知表は全校『学びの扉』で行うことになった」
「通知表の文言は三月中に入力しなくてはならない」
・・・・と、区教委が言っている・・・
 これはみんな「流言」「嘘」です。教委は一切このようなことは指示していません。そもそも、「二〇一〇年度本格実施」という立場をとっていますから、新たにやることなどあるはずがありません。
 「学校ICT化の主旨」=「教職員の校務事務負担を軽減させ、児童・生徒一人ひとりと向き合える時間を増や」すことも変わっていません。これが実現するように、私たちの仕事の仕方、墨田の教育と労働が正しく行われるにはどういう形が良いのか、検証し提案し「不具合を解消」していかなければなりません。

 区教委回答(資料1)@で、何を「不具合」と見るのかによってこの文言に対する評価は変わってきます。
 通知表の不体裁・指導要録を毎年人数分プリントアウトしては廃棄していくという資源の無駄遣いなど、私たちは「不具合」と認識していますが、「その都度解消している」と書いてあるのですから、それでいいと考えているのでしょう。各校から出された「意見」の集約と公表が不可欠です。
 また、今、「年度移行」が新たな課題となっています。例えば児童名簿。本来ならば、次年度名簿が三月中に、「学びの扉」の中にできていなくてはなりません。なぜなら、これまで、三月中にはゴム印・各自のパソコン・手書き・・・で、次年度児童名簿ができていたからです。三月四月の間は、二つの年度の名簿が並存していました。
 しかし「学びの扉」では「四月一日に切り替える」ということから、どうもそうではないかと思われます。
 ある学校では、三月中に新年度クラス替えを「学びの扉」に入力してしまい、復旧に多大な時間を費やしたそうです。
 これらも含めて解消されていない「不具合」はたくさんあります。

「いきいきスクール」も「放課後子ども教室」も
   危機対応可能な組織ではない
 三月十一日、下校途中が多かった小学校や中学校・学童保育クラブではその構成職員・教員が、児童生徒の保護・下校後の児童生徒の所在確認・保護者との連絡等など、考えられることはすべて行いました。職員の一部が引き取り手のいない児童を保護して宿泊することも想定していました。
 「非常災害等やむを得ない場合に必要な業務」として、いわゆる「超勤四項目」に該当し、時間によっては「教員特殊業務手当」が支給されたり、「勤務時間の調整」・「週休日の変更」がなされたりします。また、超勤を命ずるのは個人に対してであり、教職員個人の事情は斟酌されなくてはなりません。三月十一日に墨田区で職員を一括して拘束する管理職がいなかったことは評価すべきでしょう。
 区内の「いきいきスクール」の様子はどうだったのでしょう? きちんと独自に児童を保護し、保護者に引き渡すことができたでしょうか? 区の報告・発表を待たなければなりませんが、聞くところによると、どうもそうではなかったようです。そもそも、そのような危機に対応できる=対応することを期待される組織ではないのです(例えば、従事者に対する前記のような規定はないはずです)。
 来年度から全校に順次作られるという「放課後子ども教室」はどうでしょうか。すべての物事は状況に応じて作りかえられなければなりません。安全度の低い組織に子どもたちを集めることは今すべきではありません。


計画停電に伴って出退勤時刻・経路変更やタクシー利用・それにかかる費用の取り扱いについては、3月14日・3月18日に都教委から文書が出ています。問題もあります。詳しくは書記局まで。


週刊墨教組 No.1621           2011.3.14

解明要求二 回答を得る
 
三月十日 区教委庶務課長より
不誠実さは弱さの現れー不当性を浮き彫りに

  学校五日制・週休二日制を破壊する 「土曜授業」に反対する(12)


 三月十日、私たち墨田区教職員組合と都教組墨田支部の執行委員九人は、「土曜授業における解明要求ー2」に対する区教委久保孝之教育長からの回答を受け取りました。一問一答の回答が出されたことだけが以前よりも「進歩」したところです。
 十二月に出したものが三ヶ月後に、しかも、来年度教育課程届け出がなされているその最中にまで遅れたことには怒りを感じます。内容でも従来のものと変わりません。説明並びに質疑については後藤庶務課長が対応しましたが、その場での回答は一切得られませんでした。この不誠実さは弱さの現れです。
私たちは、以下のような異論を持つことを表明し、さらに答えるように要求しました。労働条件にかかわること、口頭で伝えられているためにさまざまな解釈で伝えられているあいまいなこと、誤って行われていることについては、今年度中に正されなければなりません。
 焼け跡の中にも草が芽吹くように、私たちは、墨田の教職員の労働条件と、墨田の子どもたちの教育に責任を持つものとして、これからも全力で区教委との交渉・交渉のための諸条件の創出を進め、この「土曜授業」の誤りを糺し廃止していきます。



実態に合わない回答(裏面の表6・9・14 )
 「各学校が、週休日に教育活動を行う場合は、各校長は、教職員の意向も留意し、適切に教育課程を編成・実施する」「児童・生徒の体力等の実態を踏まえた上で」決める。これが絵に描いた餅であることは、墨田中の教職員が知っています。「区がこう言っている」「区がこう決めた」「ブロックの他校はこうだから」ということで押し切った校長があまりに多いのです。

振替日の原則を誤魔化そうと努力(7)
 「当該の週休日の属する週において、週休日の変更を行う」ことが原則ということを何とか誤魔化そうと努力した書き方です。この原則でやれば、こと振休日に関しては問題は少なくなるのです。授業のやりくりをして、あるいはさまざまな方法でその週のうちに振替を取らせるように努力せよといわなくてはならないのです。可能です。あるいは前後2週以内にすれば、いよいよ可能性は大きくなります。それを何とか「長期休業日に持っていくのが原則だ」と思わせようとしています。警戒する必要があります。

時数説明は訂正されねばはならない(8)
 現在「標準時数を下回る時数で教育課程を行っている学校はない」のですから、いよいよ「八月二五日開催 教育委員会会議 報告」での時数説明は訂正されなければなりません。公開されている「報告」は以下のようです。(残念ながら後藤庶務課長がこれを実際に読んだかどうかすら返答されませんでした)
資料 「学習指導要領の拡大分278時間には足りませんので、月1回ではボリューム的には担保できないという話になります。中学校は、午前中の授業は50分単位なので、土曜日は3時間分しか組めませんから、月1回実施すると年間で約10回で30時間ちょっとが確保が出来る。それが3学年なので90時間となりますが、学習指導要領での時数拡大は105時間なので、単純に授業時数の増加分も賄えないことになります。」

「先行校」はなかった(16 ) 
よくよく調べてみると、どうやらそのようです。お詫びして訂正します。ただし、それらの学校のいくつかが他から「先行校」「パイロット校」と呼ばれ、自らもそう称していたことがあることも事実です。また、次の資料からは、「モデルケース」と呼んだ方がいいかもしれません。いずれにせよ、今年度土曜授業を行った各校の実態や評価を明らかにし各校はそれを参考にすべきであることに変わりありません。「モデルケース」と読み替えて再度回答されたい。。
資料 平成22年3月8日開催教育委員会会議記録 報告事項第3
「土曜授業の実施について」、資料3のとおり指導室長が説明する。
○木委員長 来年度実施する小中学校の計8校については、一種のモデルケースみたいな感じになるのですか。
○指導室長 恐らく学校現場から言えば、そういう形になると思います。

時数問題はドタバタ喜劇
 「土曜日には授業をやってはいけない」「授業をやってもいいがそれは授業時数にカウントしない」「計画段階では時数に入れてはいけないが実施した後はカウントしてもいい」・・・。何をどう言ったのか、それがはっきりしないものだからまちまちの解釈が飛び交っています。授業時数にカウント問題はドタバタ喜劇です。「絵に描いた餅」以下です。

労働条件は組合と協議せよ(10 )
 労働条件が交渉事項であることは労働基本法・憲法に明記されています。あの都教委ですら「週休日に勤務を命じることは勤務条件の変更にあたり、交渉事項である。区市町村教育委員会、学校長は誠意を持って交渉に応じる必要がある。」「問題が生じた場合は、誠意を持って協議を行う」と回答しています。
「平成 年度の都で行われた交渉」については、どの部分をそう読むのか、「必要な情報提供は行う」というのですから明らかにするように要求しました。

振休日を確実にするために(12 )
 具体的に、振休日を確実に確保するためには、校長と分会の交渉だけでは不十分です。組合員のいない職場もあります。「振休日については区教委から指示があるはずだ」と未だに託宣を待ち望んでいる管理職もいます。そんな中で「振替日は、確保する必要がある」と宣言されても誰も納得できません。組合との交渉が必要です。
 振休日を確保するためには、どのような具体的な手続きを踏むのか、どのようなことに気をつけなければならないのか等、詳しい「詰め」が必要です。何しろ、これほど多くの教員がこれほどたくさん週休日の変更をする(強いられる)ことは例がないからです。適当に誤魔化してはなりません。休日を与えなかった場合、労基法は「六個月以下の懲役又は三十万円以下の罰金に処す」としています。

不誠実さは弱さの現れ
 区教委の「だんまり・しかと作戦」は短期的には成功したかにみえます。内実はともかく「十一回」は「実現」したのですから。奇襲に「時」は味方します。
 しかし、これからは違います。「時」はもう味方しません。土曜授業はこれから一年は確実に、あるいは二年・・・もしかしたらもっと長く・・・。持久の日々を非論理・不誠実は耐え得るでしょうか。
 大半の教職員の怒りを込めた署名は未だ宙を舞っています。対する区教委の誤りと不誠実さは、正当な主張にいつか(おそらくこれもかなり短期的に)屈するしかないのです。私たちの労働条件をめぐる闘いは続きます。


解明要求二 回答(抜粋)

最後の二つ(5・6)は今回の解明要求で新たに出したものですが、回答を得られませんでした。
回答を要求中です。

東京高裁 君が代訴訟
勝訴!
処分は違法ー都教委の裁量権の逸脱・濫用


 判決は以下の理由で都教委による処分は裁量権の逸脱・濫用に当たり、違法であるとしました。
ア.他の懲戒処分と比べて重すぎる。
イ.控訴人らの行為は個人的利益や快楽の実現を目的としたもの、職務怠慢、破廉恥行為などでなく、生徒に対し正しい教育を行いたいなど歴史観・世界観・信条・社会生活上の信念等に基づく真摯でやむにやまれぬ行為であった。
ウ.「日の丸・君が代」について控訴人らと同様の歴史観・世界観を有する者は国民の中に少なからず存在し、控訴人らの歴史観等が独善的なものではない。
エ.控訴人らは卒業式を混乱させる意図を有しておらず、卒業式等ガ混乱した事実はない。卒業式を妨害した他の事例と比べて処分量定が均衡を欠く。
オ.控訴人らは国旗・国歌法制定時(1999年8月)の政府答弁(義務づけをしない)を曲解しているものではない。
カ.略
キ.卒・入学式は毎年あり、不起立等を繰り返すと累積加重処分となるが、それほどに重大な非違行為というのは、相当ではない。
ク.略
※10・23通達、校長の職務命令は合憲・適法とした部分は到底認めがたいものではありますが、石原−都教委の強圧的な教育政策が指弾された事は墨田教委も、充分に考慮し、反省すべきです。






週刊墨教組 No.1620           2011.2.21

「人事考課制度」に抗する
  「評価は公平・公正・客観的で納得性をえられるもの」
  デタラメな「評価」、差別昇給を許さない!
開示を求めるのは私たちの権利・闘いの義務
  開示請求期間 、墨田区は三月一日(火)〜七日(月)


 都教委は、「平成二二年度東京都区市町村立学校教育職員定期評価本人開示の実施について」を区教委を通じて校長に配布し、「開示」について、教職員に周知徹底することを指示しています。「人事考課制度は人材育成、能力開発が目的」と都は再三説明してきましたが、この制度に対する職員の不満は強く、職員のモラールダウンを招く結果になっていることが指摘されてきました。人事考課制度は、私たちの労働条件である昇任・昇格・昇給・異動等にリンクしています。組合は人事考課制度を「交渉事項」として、その改善を強く要求してきました。その結果、「第一次評価」だけは開示されているものの、「特別昇給」に直接関係する第二次評価(相対評価)は、今年度も不当にも非開示です。不満ですが、人事考課制度を暴走させないためにも、業績評価の開示を要求し、説明を校長に求め、不当な評価、昇給を是正させましょう。とくに今年は、世田谷業績評価裁判が二〇一〇年五月の東京地裁で勝利判決をかちとっています。不当にも教育委員会側が控訴していますが、人事考課制度の問題点は明白になっています。さらにこの制度を葬り去るために、開示を進めましょう。

「開示申請書」は全員に配布 
 「開示申請書」と「定期評価本人開示の実施について」を開示の希望有無に係わらず全教育職員に配布することを校長は指示されています。さすがに以前のように「握りつぶす」管理職はいないようです。手前味噌ながら、私たちの毎年の宣伝が誤魔化しを許さなくしたと考えます。
 しかし、文書は配れても心までは配れない校長は少なくないようです。「開示申請書」を机上に置いておくだけで何ら説明をしない、「校長を信用できないのか」と言わんばかりの態度で接する、開示申請をしたときにきっと不愉快そうな顔をするだろうと想像させる・・・。開示がよっぽど嫌なのでしょう。できれば知らん顔をして時の過ぎ行くのを待ちたい・・・土曜授業をめぐる区教委の対応と同じです。
 よほど「開示」をしたくないのでしょう。評価に自信がないのかもしれません。後ろ暗いことがあるからかもしれません。こういう校長にこそ、開示を強力に進めていかなくてはなりません。

開示の目的
 自分に関する情報を自分で管理する
 都教委は「本人開示は、教育職員の人材育成、能力開発に資することを、目的とする」と述べています。また、「開示の際には、評価者である校長と被評価者である教育職員とが、面接を通して十分な意見交換を行い、共通理解を深めるようにする」とも述べています。開示申請がなくても、評価者である校長には、「人材育成・能力開発」の視点から、評価結果を当人に説明する義務があります。
 私たちにとっては、私たちにかかわる情報を私が知らないままでいていいわけがないという点からも必要なことです。

開示によって開かれた勝利判決
 世田谷業績評価裁判では二〇一〇年五月に東京地裁で勝利判決をかちとりました。これの第一歩は「開示申請」です。
 不当にも教育委員会側が控訴していますが、人事考課制度の問題点は明白になっています。さらにこの制度を葬り去るために、開示を進めましょう。
 都教委は、開示申請者数が減ったのは制度が成熟したからだというようなことを言っているようですが、それはまったく違います。開示が第一次評価(校長)だけであること、「苦情相談」をする四月にはもう評定が下されてしまうという点、世田谷のように裁判にまで行かなければ、非違があっても校長への「指導」にとどまるだけだという制度上の欠陥があるからです。しかし厭うていてはなりません。当然の権利として、自分のことは自分で知らなくてはならないという義務として、開示申請を行いましょう。

「デタラメ評価」を許さない
 校長は職員に対し、年度当初に評価基準(校長が求める水準)を示さなければなりません。その基準に照らし、校長は指導助言を各職員にすることになっています。少なくとも、中間面接(一〇月)ではそのことがなされていなければなりません。しかし、昨年度、ある学校では、評価基準を提示せず、しかも中間面接では指導助言の類は一言も発言していないにもかかわらず、総合評価には不当にも「C」をつけた校長がいます(世田谷業績評価裁判の校長もそうでした)。
 今年度も、年度当初に評価基準(校長が求める水準)を示していない校長がいます。「デタラメな評価」がなされている可能性が大です。校長は、二月末のヒアリングに際し、「勤務成績に基づく昇給における昇給者の推薦名簿」(特昇名簿)を区教委に提出します。「人事考課制度」に抗するためにも、「公平な推薦」、「開示」・「説明」を求めていきましょう。
 この制度を葬り去るためにも、開示を進めましょう。



危機を越えて「教育社会」へ
    堤小分会 
 二〇一一年一月に水戸市で開かれた第六〇回日教組教研集会にでかけた。全体会記念講演が神野直彦さんだったからだ。
神野さんは小中学校時代の同級生でもあり、紹介した本をいつも贈呈してくれたことにお礼を込めて、傍聴をしてきた。九年前には、墨田教組の教研集会に記念講演をしていただいた。また、私の最後の社会科の授業にも講師としてきていただき、忌憚ない話をしてくれたことに感謝している。
 二時間近くのテープを起こした。やや聞きづらいところは、正確性に欠ける。また、小見出しはわかりやすくするために私がつけたものだ。文責は私と週刊墨教組編集部にある。
 彼の考えをくわしく学びたい人は、次の三つの著書を推薦する。
「人間回復の経済学」(岩波新書)
「『分かち合い』の経済学」(岩波新書)
「教育再生の条件」(岩波書店)
 彼の考えとまったく違った方向に、日本の教育がいこうとしている。彼が書いた文の一節を紹介する。
 「小泉政権は、『改革なくして成長なし』をキャッチフレーズにしていたが、その真意は『失業と飢餓の恐怖なくして成長なし』というものである。『改革なくして成長なし』とは、『貧困なくして成長なし』と言い換えても良いのである。新自由主義の傭兵たちは、「改革を止めるのか」とたちまち牙を剥く。それは「失業と飢餓の恐怖」を創り出さなければ、より豊かな富を手にすることができないと信仰しているからである。」(「『分かち合い』の経済学」岩波新書)


危機を越えて「教育社会」へ
     神野直彦(東京大学名誉教授)
 第六〇回日教組教研集会 全体会 記念講演の記録 

 茨城県水戸市二〇一一.一.二二

第一回記念講演は、大内兵衛先生
 六〇年の記念すべきこの研究集会に、私のようなものが招かれて、感謝しております。六〇年の歴史の中で、第一回の記念講演は、大内兵衛先生がなさっております。私、東京大学で「財政学」の講座を担当していました。大内兵衛先生の後を継いでおるものです。
 第二回目は、同じ経済学教授でいらっしゃった矢内原忠雄先生が講演されております。矢内原忠雄先生は、昭和十二年、「平和主義者」という理由で、教壇を追われます。その翌年大内兵衛先生をはじめ、東大の経済学部の多くの教授が治安維持法で逮捕されます。
 私も東大経済学部長を勤めておりましたが、任期は、十月からでした。大内兵衛先生が逮捕されたその年に、当時の日高経済学部長は、東大経済学部には自治能力がないと言われ、自らやめます。その後、経済学部長は、ずっと不在の時代が続きます。そして、ようやく終戦後、大内先生をはじめ多くの人たちが、大学に戻ってきました。そして、選挙をして経済学部長を決めたのが、十月でしたので、今でもそれが続いております。大内兵衛先生が教壇に復帰されたときには、多くの学生たちが、拍手を持って迎えたということです。そういう先生が第一回をされた光栄ある記念講演を引き受けたことを誇りに思っております。

時代の大転換期に来ている
 さて、私は教育の専門でもない人間が、お役に立てる講演ができるか心もとないです。最初に結論だけお話ししておきます。私も余命幾ばくもないのですが、私が歩いてきて人生の中で、「真実」だと思われることが一つだけあります。わたしたちは、時代の大転換期に来ておりますが、その時に、人間が圧倒的力を発揮しなければなりません。その時は、人間がお互いに疑いあっているときではなく、お互いが信じ合っているときであり、憎しみあっているときでなく、お互いが愛し合っているときに、大きな力となると言うことを、私の人生の中で知りえた真実です。

人間が命を存続させていく行為は、「教育」
しかしながら、現代の日本の社会は、この真理は間違いであると、私が考えている真理を否定しようとしている動きに入っている気がします。今日、お話ししようとしているテーマですが、「危機を越えて『教育社会』へ」と言うことですが、中国語では、「危機」とは危うい変化という意味です。
 英語で言いますと、プライムという意味です。プライムとは、「分かれ道」という意味です。破局か肯定的な解決かと言うことになります。
 「教育」という意味ですが、「共に生きている」と言うことではないかと考えます。私も、もうじき死にますけども、「生きる」と言うことと「死ぬ」と言うことは必然的なことです。社会の構成員は、いつでも入れ替わっているんですね。人間が命を存続させていく行為は、「教育」であると定義しています。

第一高等学校安部能成校長の心意気
 今わたしたちは、破局的な道に行くのか、肯定的道に行くのかの分かれ道に立たされています。
 最初に、私の恩師であり、世界でもっとも偉大な経済学者である宇沢弘文先生についてお話しします。風貌からして、「オサマビンラビン」と似ていて、お名前の「うざわ」からも似ているのです。
 その宇沢先生は最初医学を志していたが、社会科学の道に変えていく転機になったのが、次のようなことでした。第一高等学校に入学したときに日本は、敗戦を迎えました。占領軍が、第一高等学校(今の東京大学の教養学部)を接収しに来ます。その時に、ときの安倍能成校長は、「ここは、あらゆる学問の基礎である真理を探究する聖なる場所である。戦場という俗世界の出来事には、適さん。」と、おっしゃったそうです。そう言われると、占領軍は、そそくさと引き返していったと言うことです。それを見ていた宇沢先生は、自分は「社会の医者」になろうと決意します。
 その翌年に安倍先生は、文部大臣になります。当時マッカーサーは、日本が戦争に突入していったのは、教育の力によるものが大きかったと認識していたのです。だから、アメリカから教育使節団が乗り込んできます。安倍先生は、教育使節団に対して、歓迎のあいさつをしなければならなかったのです。
「日本が、今時の大戦で犯した最大の罪は、それぞれの国々の歴史と伝統と文化があるにも関わらず、日本の文化を押しつけた点にある。わけても、日本の教育制度を他国に押しつけたことである。あなた方は、日本が犯した誤りを、二度と犯さないでいただきたい。」
そうあいさつすると、教育使節団から、割れんばかりの拍手が起きた。団長は、感動のあまり壇上に駆け上り、安倍先生に握手を求めたと言うことです。どうしてこういう事態になったのか? この使節団は、アメリカの哲学者のジョン・デューイのお弟子さんだったり、その影響を受けた人々だったのです。「民主主義と教育」や「学校と社会」などで有名な方でした。

他者を信頼できない日本人
最初に私が提起した、「教育」というものは、「共に生きる」過程そのものなんだと言う考え方です。日本の社会は、この教育の原点を完全に忘れたと言っていいのではないか。日本では、子どもたちに「金儲けの手段を教える」と言うところとなってしまったのではないか。「教育格差」ということは、いけないことです。金儲けをする能力に格差をつけてはいけないからだということになってしまっているのです。子どもたちが、わたしたち人間の聖なる存続を構成する社会の一員であると言う意識が、まったく薄れてしまっています。
世界の統計の一つに「他者は信頼できますか?」という問いがあります。これに、「基本的に信頼できる、まあまあ信頼できる」と肯定的に回答している国の中で一番は、ノルウエイです。日本は、最低です。他者をまったく信頼してないと言うことです。
 教育というのは、そうではないと、考えられてきたのです。宇沢先生の友だちで、カンボジアでボランティアをしている人が、子どもたちに「あなたが一番大切にしているものは何ですか? それを書きなさい」と言うと、宇沢先生が言っている、社会的な共通資本である「森・家族・自然」などを書くのです。きらいなことは。「人身売買」「売春」と書くのです。

「分かち合い」とは、「共に生きる」
私がこれから言いたいことは、大転換期にあって、危機を乗り越えていくために、日本はこのままで良いのかと言うことです。
 去年、ある高校生が、私に手紙をくれました。私の書いた「『分かち合い』の経済学」(岩波新書)と言う本を読んで感動しましたと。それで、自分の高校に来て話をしてほしいと言うことでした。名古屋の高校生でした。それで、私の家まで友だちと一緒にわざわざ来てくれました。その時に、パンフレットを作ったので見てほしいと言うことでした。その中に、「分かち合い」と言うことは、「共に生きる」と言うことだと解説がついているのです。私のその本の中には、どこにも書いてなかったのですが、そう分析したのです。高校一年生ですよ。私はそれを見て、えらく感動したことを、ある新聞社の論説委員の方にこのように書けるかとお話ししました。
 スウェーデンでは、社会科という意味は、ソウシャルスタディーと言う意味なんですが、それには、福祉・医療だけではなく、教育も含まれる。元々の意味は、悲しみの分かち合いという意味なんで、「教育も悲しみの分かち合いなんですか?」と聞くと、「そうです。」という言葉が返ってくるんです。わたしたちは、悲しみを分かち合うために、生きていくのです。なぜなら、人間が幸福だと感じることは、他者にとって自己の存在が必要不可欠であるんだと言うんです。自分も自分の存在が、必要不可欠なんだということです。スウェーデン語で、オムソーリと言う言葉です。「悲しみを分かち合い」「優しさを与えあい」ながら生きているのが、スウェーデンの社会では生きています。そのことが、歴史の峠を乗り越えていくと言うキーワードになるのではないかと言うことです。

軽工業基軸の工業社会から
   重工業基軸の工業社会へ
今から八〇年以上前のことです。一九二九年の世界恐慌がありました。それ以前は、イギリス中心の軽工業基軸の工業社会から、アメリカ中心の重工業基軸の工業社会へと梶を切る出来事でした。その上に大きな福祉国家というものを備えていたのです。戦後一ドル三六〇円という固定相場の為替で出発します。それで、自由な貿易を保障していくのです。その後現在にいたって、あらたな世界恐慌は、ゆっくりと進行しています。

新自由主義者の悪魔のような顔
現在は、歴史の大転換期にさしかかっています。それは一九七三年頃から始まったと言われています。その一つは、石油ショックです。重化学工業の原料である石油が高騰して、警告を発したのです。もう一つ、固定為替が変動為替になります。一ドル三六〇円という為替が崩壊します。
 さらにもう一つの事件は、九・一一事件です。一九七三年九月十一日チリの大統領サルバドール・アジェンデが暗殺されます。彼は最後の演説を、大統領宮殿のベランダから国民に向かってするのです。
「私は、チリ人民の忠誠に従い、決して辞任しない。この歴史的な危機に際して、私は、支持してくれた人民にわが命を持って報います。我々の蒔いた種子は、数千のチリの人々の誇り高き良心に受け継がれ、決して刈り取られることはないと、私は確信しています。歴史は我々のものであり、人民がそれを作るのです。歴史は、彼らを裁くでしょう。チリ万歳!人民万歳!労働者万歳!これが、私の最後の言葉です。」
 この放送の後、アジェンデは、反乱軍の降伏勧告を拒否。自ら自動小銃を手にして、わずかな数の武装民兵とともに、激しく交戦した。炎上する大統領府の中で、午後二時頃六五才の生涯を閉じました。殺されたという説と自ら命を絶ったという説がありますが、はっきりしません。福祉国家をめざしていたものが、ここで中断させられます。
 宇沢先生は、その時のようすを、手紙に託して私に下さいました。
「私は、その時シカゴにいた。ハーバード大学のかっての同僚たちとの集まりのときだった。チリのサルバドール・アジェンデ大統領が暗殺されたというニュースが入ってきた。その時の何人かの新自由主義者のものが歓声を上げて喜んだ。私は、その時の彼らの悪魔のような顔を忘れることができない。それは市場原理主義が世界に輸出され、現在の世界的危機を生み出すことになった決定的瞬間だった。私にとって、シカゴの新自由主義者と決別する決定的な瞬間でもあった。」
 「サルバドール・アジェンデ大統領の最後の演説」は、ユーチューブで見られます。

大きく分けて、三つの流れ
 アジェンデが暗殺され、独裁者ピノチェトは、独裁政治を完遂すると、経済学者をすべて新自由主義者にしました。そして、「小さな政府」「規制緩和」「民営化」推進していきます。それを新自由主義者は、チリの奇跡とたたえるわけです。
一九七九年には、新自由主義を標榜する「鉄の女」と呼ばれたサッチャーがイギリスの政権に就き、それまでの福祉国家を完全に否定していったのです。一九八一年には、アメリカでレーガンが大統領に就任します。日本では、一九八二年新自由主義を唱える中曽根政権が誕生します。福祉国家が行き詰まった後に、次にどんな公共空間ができあがっていくのかと言うことです。一九二九年の世界恐慌前の自由主義国家にもどれという勢力と、そうではない勢力とに分かれてくるのです。
 大きく分けて、パターンは三つになります。一つは、新自由主義を狂信する。福祉国家を根底から否定する国とヨーロッパ諸国の国に分かれます。ヨーロッパ型も、二つに分かれます。フランスやドイツなどのモデル、もう一つはスカンジナビア諸国(スエーデン・デンマーク・フィンランド)などの国々をモデルです。たしかに福祉国家が行き詰まったが、福祉国家が持っていたメリットを大切にしていこうとするのと、それを根底から否定するのとに分かれてきます。

貧富の格差は広がる
社会保障の割合を見てください。小さな政府をめざす、アメリカ・日本は、ドイツやスウェーデンに比べて一割近く低いです。経済成長率は、アメリカが高い。しかし貧困率を見ると、アメリカや日本は、ドイツの二倍、スウェーデンの三倍です。新自由主義を掲げている二つの国では、貧困の格差が広がってきています。ここで言えることは、大きな政府にすると、格差は、おさえることができます。ただし、ドイツのように経済成長を抑圧してしまう場合があります。小さな政府にすると、アメリカのように、経済は成長するが、同時に貧富の格差は広がってしまうことです。しかもリーマンショック以降、財政の赤字は、ますます悪くなる一方です。日本は、二〇〇二年から、二〇〇八年まで小泉政権の経済効果が現れて、いざなぎ景気がずっと続きます。しかし、この成長は低い成長率で、労働者の賃金は低く抑えられ放しでした。景気が成長しているのに、労働者の生活は苦しくなってきています。国民の生活が豊かにならなければ、成長していても意味がないのです。

現金給付より、サービス給付
 さて、問題は、どうしてこうなってしまったかと言うことです。これは、社会保障の再分配に問題があるのです。生活保護を給付すればするほど、その国の貧困の格差はますます広がっていくと言うことです。アメリカ・イギリスは、生活保護の割合が他の国に比べ大きいと言うことです。それに対して、スウェーデンやデンマークなどの北欧の国は、その半分以下です。ドイツやフランスは、その中間です。その中で、日本は、あらゆる数字で、他の国と比較しても失敗しています。社会的給付(子ども手当や高齢者サービスや医療など)の割合も、日本・アメリカ・イギリスは、北欧の国と比べるとはるかに少ないのです。しかも、北欧の国々は、現金給付より、サービス給付の割合にシフトして切り替えていると言うことです。

ソフト産業基軸の知識社会に変化
 さて、重化学工業の発展していたわたしたちの時代は、どういう時代だったのでしょうか。それは、男性の人たちが、仕事の中心であったのです。それは、同質の筋肉労働を大量に必要としますから。男性は外へ、女性は家庭にと言う時代でした。
 一九二九年の世界恐慌が起きるまでは、男性は外に働きに行っていません。日本でも、軽工業中心でしたから、製糸業や綿織物業などの女工さんが中心でした。戦後は、重化学工業基軸の工業社会になり、男性中心の労働者になったのです。
 その後の現在は、ソフト産業基軸(サービス産業中心)の知識社会に変化してきたのです。それまでは、男性は自分の配偶者のことは「家内」と呼び、他人の配偶者は「奥様」と呼んでいたのです。「家の中」にいたのです。しかし、今は、「家内」ではなく「家外」つまり、外で働くようになってきたのです。生活を支えていた家庭の中に女性がいなくなると、サービス給付(育児や養老など)を出していかないと、産業構造の転換にうまく合わなくなってしまうのです。
 ドイツは、成長しないのか。それは、依然として、保守主義モデルです。つまり、パートの労働市場とフルタイムの労働市場に二極化してしまうのです。特に日本の労働市場は、そのように変化してきています。そこに格差が広がってきているのです。この状態で一番苦しんでいるのは、女性と若者たちです。ひとたび労働市場が拡大再生産されると、不況のときは、新たに労働市場に格差が生じてしまいます。労働市場に採用されるときに、活動保障を作り、新たに産業構造を変えていかない限り、格差と貧困があふれ出て、経済成長はしなくなる。日本が経済成長をしようとすると、お隣の中国が、一周遅れの重化学工業に走っていますから、産業構造を変えるしかないのです。

工業社会から「知識社会=教育社会」へ
 スカンジナビア諸国は、工業社会から「知識社会=教育社会」へと移行しています。
 生きている自然に働きかけて、人間に有用なものを取りだしているのが農業。それに対して、死んだ自然を原材料にして、産業が成り立っているのが工業。工業というのは、農家の副業から産まれている。
 「知識社会=教育社会」というのは、どういうものかというと、工業の周辺から産まれてきている。サービス産業にしろ、知識周辺産業にしろ、人間に働きかけることです。これからは、人間そのものが重要になってくる社会になってくる。人間の発展の歴史から、当然のことなんですね。今までは、人間の筋肉系統の能力に使っていたけれど、これからは、人間たるゆえんの神経の能力が、相手に対する思いやりを含めて大切になってくる。人間の知識に有用なものを創り出している。情報というものは、形を与えるものという意味です。心臓のペースメーカーを作るには、自然に存在する物量に対して、莫大な知識情報量を投入する。つまり、量的な変化が、質的なものへの転換。このことは、決定的です。工業生産大量消費は、続けられないのです。自然が持たないのです。私達は、自然を使うものを少なくして、なるべく知識量を多くして、やらなくてはならない時代に入ってきているのです。
 私は、夏のどんな暑いときも、ネクタイをはずしません。地球の環境破壊の時限爆弾のスイッチが押されているときに、「そうだネクタイをとろう。」などと言うばかげた政策を打つなと申し上げたい。そんなことを言うなら、冬になって、オーバー着て仕事をやればいいのかと言うことになる。

知識というのは、惜しみなく与え合う
 これから重要なのは、単に個人的な知的能力だけではありません。もう一つ重要なことは、社会資本が大切になってくる。人間の絆、共に一緒に生きていると言う感覚がなければダメだと言うことです。知識というのは、惜しみなく与え合おうと言うことなんです。工業生産の生産物は、腐りませんから、蓄積する。市場で持って、動かし売るものは、腐らないものなんです。したがって、農業に市場原理を与えるのは、適切かどうかというのは、わからない。
 知識というのは、惜しみなく与え合わない限り、発展しない。日本やアメリカでは、その方向はとらない。知識というのは、知的所有権を市場で取引をする。私などは、金をあげると言われたら、とたんにやる気を失う。金を持てると言うことは、インセンティブ(やる気を起こさせるような刺激。奨励金)になりません。ローマの奴隷制の時代のものだ。確かに、賃金を上げたりすれば、やる気が出るが、ある一定の水準に達すると、もうやる気がなくなる。
 例えば、これからは、再生可能なエネルギーで人力発電をしようと。はつかねずみのように、ベルトコンベヤーの上を人間を走らせる。どんどん走らせて、出来高によって、賃金を払う。ある程度の水準に達している人は、やる気を失ってしまうんですね。
 ところが今の日本でもって、発電機で電気を起こすと言ってやらせたら、みんな真剣にやるんです。うそだと思ったら、スポーツクラブなどジムに行ってみてください。みんな真剣にお金を払って、走りまくっていますからね。なぜやっているのか、それは、自分のやっている行為の意味がわかっているからです。なぜ自分は汗水たらして、真剣にやるのか。自分の目標があるからです。目標とは、他者が作るのでなく、自分が目標を設定したときに、人間はやる気が出てくるのです。
 量から質に転換していかなければならない。教育のミッション(任務、使命)は何かと言うこと。公務員が携わっているミッションとは何かと言うこと。ミッションの方が、はるかにやる気が出てくると言うことを自覚することだ。そういう時代に入っちゃたということです。知識を抱え込んじゃって与え合わないでいる人は、学会ではそんなにいませんよ。

知識は、社会的な共有資本
 今アメリカの製薬会社が開発しようとしている新薬の七十パーセントは、南米のアマゾンに住むシャー(王族)の人に聞き出している。彼らは、この病気になったらこの木の皮をはぐと、これが効くという情報を、五千種類くらい知っている。それを聞いて分析して、これが効いたのかと特許を取って、大もうけしている。そのことを、ブラジル政府は抗議している。ところが、アマゾンのシャーは、この知識は私達だけのものではない。すべての人々のために使えと祖先から伝わっていると言っている。こうでないと知識というのは、発展しないのです。市場で取引する所有権を誇示しない。つまり社会的な共有資本なんですね。そうしないと、うまく発展しないのですね。そうすると、福祉国家をめざす、今までの私達のやり方は、市場の取引でおっこったら、安全のネットで支えますよというやり方です。

人間の全体性を要求する教育
 新自由主義の人たちは、おっこったら死ぬぞと言われたら誰も真剣に仕事をやらないから、安全のネットで支えますと言った。しかしこれからは、安全ネットと同時に、おっこったらもう一度もとの演技にもどると言うチャンスを与えると言うことです。
 この跳ね返すチャンスが、教育なんですね。私達は、知識社会、人間そのものが発展するようにしなければならない。人間が生きていくと言うことが、教育そのものなんです。誰でも、いつでも、どこでも、ただでの原則で参加していく。単なる知的能力だけでなく、人間の全体性を要求する、教育というものは一部のものではないんですよ。金儲けをする能力だけではありません。私達の市場社会と言うところは、ものを作る生産の場・仕事をする経済システムと生活をする場・社会システムと言うのは、分担されている。これは共同体です。そして、政治システム・民主主義と三つに分かれるんです。この三つのシステムをすべて身につける、全人格的な能力を身につけるんです。これ必要がないという能力でも、身につけておかないと、どこからどうアイディアが出てきて、どういうものができるかと言うことがわからなくなる。
 多くのヨーロッパの国々では、普通に大学には行かない。日本でも、誰でもいつでもどこでも採用してくれるんですね。

民主主義をたたえる人間を育てる
 最後の問題になりますが、教育社会における学校教育というのは、学校教育と成人教育と言うのが車の両輪のようになっていて、いつでもできあがれるような生涯学習教育体系ができていなくてはならない。
 スウェーデンの文部大臣が提唱したいつでもやり直しのきく教育制度。国民が自主的にする教育が、「社会」と書いてある「学習サークル」と「国民大学」「国民高等学校」です。制度的フォーマルな教育体系が二つに分かれている。「学校教育」と「成人高等学校」義務教育が九年制で、小学校と中学校までが一緒です。後期中等教育(高校)が「普通科」と「職業科」に分かれている。その後大学と続く。そこまでの教育費は無償です。成人高等学校が「成人基礎教育」(これ義務教育)と成人後期中等教育(高校課程)そして、補完教育(職業訓練教育)となっている。いつでもやり直しがきくと言うことです。
 赤字企業と黒字企業で働く労働者の賃金は、同一労働同一賃金です。ILO条約を批准してない日本は、先進国では日本くらいでしょう。もう一回仕事を辞めて、七五パーセントの賃金をもらいながら教育を受けることができる。例えば、正教員でない人が、単位の一部をそこで取り、正規の教員資格を取ることができる。あるいは、今の職業はあわないので、いくつかの単位を取れば医者になれるという人が、もう一度やり直しがきく。
 大事なことは、いつでも学び直せるという体系を保障することです。人間が、「生きる」と言うことと「学ぶ」と言うことがイコールなんだという社会になっていく。私達は、働くことのために知識を学んでいるのではないと言うこと。人間として成長し、社会の構成員として生きていくことが大切である。民主主義をたたえる人間を育てることが大切である。仕事そのためだけではないことをやるために、教育で学んでいくのです。これは市場主義を最初に提唱した、アダム・スミスの考えです。市場社会になると、人間が仕事上要求される能力は、部分的になる。教育制度を作るという意味は、全体的な人間的能力をやるために必要なんだ。

絶対教えると言うことはしない教科書
 スウェーデンの中学二年生の教科書に載っている詩を、最後に読んでおしまいにします。スウェーデンでは、絶対教えると言うことはしません。どれが正しいかと言うことは、教師もわからないからです。考えさせるように編集されています。


子ども  ドロシー・ロー・ノルト

批判ばかりさせられた 子どもは
 非難することを おぼえる

 殴られて大きくなった 子どもは 
 力にたよることを おぼえる
 
 笑いものにされた 子どもは
 ものも言わずにいることを おぼえる
 
 皮肉にされた 子どもは
 鈍い良心の もちぬしとなる

 しかし、激励を受けた 子どもは
 自信を おぼえる

寛容にであった 子どもは
忍耐を おぼえる

賞賛をうけた 子どもは
評価することを おぼえる

フェアプレーを経験した 子どもは
公正を おぼえる

友情を知る 子どもは
親切を おぼえる

安心を経験した 子どもは
信頼を おぼえる

可愛がられ 抱きしめられた 子どもは
世界中の愛情を 感じとることを おぼえる


 この詩は「子どもと家族」というタイトルの中に載っています。私達は、学校、職場、余暇活動などで、さまざまなグループに属しています。しかし、私達にとってもっとも大事なグループは、それがどんなタイプであるかに関わりなく、家族です。人々は、「家族は、社会全体がその上に成り立っている基礎である」と、やや重々しく表現します。
 この詩の後に「課題」が出されています。

@ 家族の一員としてみて、家族の中で一番好きなことと嫌いなことを、それぞれ五つ挙げましょう。友だちの挙げたものと比較しましょう。
Aa、子どものいる家族への、現金援助を五つ挙げましょう。
 b、社会保険庁やコミューンの社会事務所で、規則や、現金援助が実際にいくらであるかを調べましょう。
B 各政党が、家族政策についてどんな意見を持っているか調べましょう。
C あなたは、詩「子ども」のどこに共感しますか。激励や賞賛が良くないのはどんなときですか。この詩は、大人に対して無理な要求をしていませんか。両親が要求にたいして、応えきれないのはどんなときか、例を挙げましょう。

 日本は、読み書きなどの計算能力は優れています。人間が生きていく上で、ぶつかる様々な問題点の所在を明らかにして、解決能力を身につけさせる国語の能力は、スウェーデンの方が優れている。大変雑ぱくな議論でしたが、以上で終わりにします。




週刊墨教組 No.1619              2011.2.14

反戦平和のとりくみを
 東京大空襲を知りつたえよう
特設授業と
追悼碑めぐり・再び許すな東京大空襲


 今年もまた三月一〇日がやってきます。一九四五年三月一〇日、墨田・江東を中心とした東京下町は、米軍のB29による無差別絨毯爆撃で火の海と化し、一夜にして十一万五千人の尊い命が焼土に埋もれたのでした。東京大空襲は、広島・長崎の原爆とともに、戦争の悲惨さと非人間性を、平和と人間の命の尊さを教えてくれる大切な教材と言えるでしょう。下町の街かどに安置されたお地蔵さんや追悼碑に、花を供える方々も年々高齢化し、空襲の傷跡もほとんど無くなりました。しかし、私たちはあの「地獄の炎」を決して忘れません。
 「教育基本法」が改悪され憲法をも改悪されようとしています。敗戦から六六年、「戦争」とその反省が歴史のかなたに追いやられようとしている今日、「東京大空襲」を自ら学び、子どもたちへ語り継ぐことは、私たち教員の課題と責務です

過去を忘れてはならない
過去を知らなくてはならない
 私たちにほんの少しの想像力があれが、六六年前、この墨田の夜が炎上し、その中で多くの「ヒト」がもがきながら死んでいったことを理解できるでしょう。私が毎朝通勤する通りにも六六年前の熱さとおびただしい死が幻視されます。それは極めて近い過去なのです。怖れていては何もなりません。彼らを遠ざけるだけです。そして私たちは振り返らない過去を繰り返すことになります。そうならないために、私たちはその夥しい無念の死者と、そして過酷な生を生きる生き残った人々と「つながる」必要があります。その生と死を「継ぐ」必要があります。

基地の廃棄
 日米安保に基づいて、沖縄に驚くほどの軍隊と施設が置かれています。かつてここからはベトナムに多くの兵員や兵器を送り込まれ、また「共産圏」との最前線と位置づけられてきました。冷戦構造が終わったとはいえ、新たな戦争をアジアで繰り広げるアメリカは、沖縄という「安価な」軍事基地を手放そうとはせず、日本を巻き込んで再編強化をしようとしています。疲労した新政権は、辺野古に基地建設しようとしていますが、それは人を傷つけ人を殺し、殺され、傷つけられるための軍事基地であり、沖縄の人々は拒否しているものであることなのです。

教え子を再び戦場に送らない
 いかなる口実があろうとも「殺す」という行為を私たちは否定します。「○○国の脅威」「領土問題」「テロとの戦い」など、どのような理由をつけようとも、それは戦争の言い訳にもなりません。日本のアジア侵略もアメリカのイラク「制裁(という名のテロリズム)」も「正義の戦争」でした。「殺す」ことを肯定したときにあらゆる口実が湧き出てくるからです。
 なによりも、まず、平和を。子どもは「お国のため」にあるのではありません。
 私たちの先達は、戦後、日教組を結成しました。そして、平和を希求して、「教え子を再び戦場に送るな」という不滅のスローガンが生まれました。これからも政治状況がどう変わろうとも、その精神を受け継がなければなりません。自分たちの職場で、『二度と戦争をさせない』とりくみを進めなければなりません。

組織的な平和教育のとりくみ
 
墨田教組は、反戦平和教育の重要な課題として位置づけ組織的にとりくみを進めてきました。一九八八年からは、特に「三月十日」をひとつの節目に設定し、墨田の全学校で反戦平和教育の実践が行われることをめざし、墨田教組として統一的にとりくみを進めてきました。三月十日の前後には、特設授業や全校児童集会等々様々な形で、平和教育のとりくみが各学校で実践されています。このとりくみは、東京大空襲で壊滅的被害を受けた墨田におけるという意味で、地域に根ざした教育の一環でもあります。
 私たちは、これらの立場に立って、今年も三月十日を節目とした平和教育特設授業のとりくみを進めます。

第30回 再び許すな東京大空襲
追悼碑巡り 江東・墨田
  三つ目通り沿い二家族それぞれの別れ
とき 3月6日(日)午前10時〜12時すぎ
 集合 午前10時 菊川駅A3A4地上交差点
追悼碑巡り順
 三之橋(橋本代志子さん家族の別れ)
 榎稲荷の立川地蔵尊・
 菊川橋夢違地蔵尊
 八百霊地蔵尊(築山実さん家族の別れ)
  老人会見守りに合流
 山内ジョージさん原画による紙芝居の披露もあります。

東京大空襲を語り継ぐつどい
東京大空襲・戦災資料センター開館9周年
3月5日(土) 6時半開演
亀戸カメリアホール  総武線亀戸駅北口徒歩2分カメリアプラザ3階
演奏 カザルス「鳥の歌」
東京大空襲を語り継ぐ
 @戦災資料センターのこの一年
 A証言映像作品上映(築山実さん他出演)
 Bセンターで学ぶ中学生「英語劇で伝える東京大空襲」
都立両国高校付属中学校
講演
 「町も家も家族みんなを奪ったあの惨禍を忘れてならじ」
  海老名香葉子さん(児童文学者「うしろの正面だあれ」)
お話「そして明日へ・・・」早乙女勝元さん(館長)

2.26 朝鮮学校への「無償化」即時適用をもとめる大集会
  2011年2月26日(土)10:30〜14:00
    10:30〜12:30 集会   13:00〜14:00 デモ行進
3.主  催  「高校無償化」からの朝鮮学校排除に反対する連絡会
  共  催  フォーラム平和・人権・環境
4.会  場  代々木公園野外ステージ※最寄駅…JR「原宿駅」下車 徒歩10分



「全国空襲被害者連絡協議会」が昨年8月発足しました。軍人・軍属には手厚い保障を続け、国民や侵略し抑圧した他国民には何ら保障をしないという、一貫した「日本」という国のあり方に抗するものです。「戦争だからしょうがなかった」とする「受忍論」は、戦争を「自然災害」のように見る見方において、軍人とその遺族には恩給という形で補償するという不平等によって、完全に破綻しています。その時、人は、直接的加害の有無にかかわらず無残な死を迎え、あるいは非情な生を「等しく」強いられたのです。

小一の三五人学級
 非正規教員の見直し必要 
           東京学芸大学准教授 大森直樹
 
小学校一年生の「三五人学級」を実現するため、新年度政府予算案に四千人分の教職員定数の改善が盛り込まれている。この措置を具体化するため、学級編成や教員定数を定める「義務標準法」の改正が今国会で審議される見込みだ。一九五八年に制定された同法が、その時々の改正を経て教育現場に与えてきた影響を検証してきた立場から意見を述べたい。
 この予算案には「国による教育の条件整備」を前進させる側面がある。それは、同法の歴史的な経緯から明らかにしておく必要がある。
 教育の条件整備の起点としては、五二年の義務教育国庫負担法があり、教職員給与の二分の一を国が負担する仕組みができた(現在は三分の一)。しかし、それだけでは財政が行き詰まった自治体の教職員給与を保障できなかった。その制度上の問題点を内藤誉三郎・文部省初等中等教育局長らが指摘し、義務標準法が策定された。同法では、県ごとの子どもの数を基準にして、一学級の子どもの標準を三五人と定め、各都道府県で必要とされる教職員定数を算出し、その給与額を確保したのである。
 政府は同法の改正によって一学級の子どもの標準を四五人(六三年)、四〇人(八〇年)と引き下げて教員の定数を拡充、教育の条件整備をしてきた。今回の予算案は小一に限られたとはいえ、実に三一年ぶりに一学級の子どもの標準を引き下げるものだ。
 ただ、手放しでは喜べない。非正規教員の増加だ。二〇〇一年の同法改正では、常勤教員に限られていた国庫負担を非常勤に広げ、正規教員の一人分の予算を複数の非常勤教員に回すことを認めた。同時に習熟度別指導なども導入したことで、それに対応する教員を配置することになり、非正規教員の比率の増加も促した。
 非正規教員はフルタイムで働く常勤とパートタイムの非常勤がいる。朝日新聞によると、公立小中学校の非正規教員の実数は二〇〇九年に一〇万五千人になり、七人に一人を超えている。今回の予算案で教員定数が改善されても、学校では非正規教員が引き続き増加することにもなりかねない。
 そこで、今後の法改正に際しては「三五人以下学級」の実現と併せて、教員の非正規化に関わる条文を削除することを提言したい。いま非正規で働いている教員のうち、希望者を正規に切り替えていくことも進めるべきだ。少子化による義務教育費の自然縮小分を、「法再生」の原資とすることも可能だろう。
 正規教員の数が回復すれば、特定の正規教員に過重な職務が集中することも減り、多忙化も解消される。政府には歴史的な決断を強く求めたい。与野党の議員にとっても、義務標準法をその本来の姿に再生することに異論はないはずだ。
(朝日新聞二〇一一・二・四記事を大森さんの了承の下転載しています。多くの方に署名をお願いします。)


週刊墨教組 No.1618    2011.1.25

亡霊のような都教委文書
 それでも墨田区教委より「まし」だなんて!
    しっかりせよ、われらが墨田区教委
来年度予算案プレス発表は一月三十一日
学校五日制・週休二日制を破壊する「土曜授業」に反対する(11)

この頃聞かない「PDCA」
 先週、「土曜日における授業の実施について」というきれいな東京都教委作成のカラー版パンフレットが、墨田区を通じて学校に配られました。
 墨田区教委仁王室長名の「文書」には、次年度「土曜日授業をするうえで参考にされたい」旨が述べられています。
 この文書には、「@平成二二年度の学校の状況」「B平成二二年度に土曜日における授業を実施している区市町村教育委員会の例」「D土曜日における授業の実施にかかる質問及び回答」などが載せられています。
 都教委は、「土曜日の授業を実施している学校の成果等をまとめました」とはじめに書いています。本年度実施していることをそれなりに踏まえその実態を明らかにし(というほどではないが)反省を加えているということです。
 それに対して、わが区教委はどうでしょうか? 本年度実施した学校を「パイロット校」と持ち上げながら、「土曜日の授業を実施している学校の成果等をまとめ」たりするどころか、その事実さえ明らかにしません。「パイロット校」はなぜ「パイロット」というのでしょう?。「勝手にやってしまったやつら」という意味ではなかったでしょう。ひょっとして一時期上から目線の方々がさかんにおっしゃって、この頃余り聞かないPDCAのP(パイロット校って称してる学校今年、どうだったの、チェックしてさあ按配考えようや)だったのではないでしょうか?
 彼らに「パイロット」の名を冠した者は、水先案内人の航跡に学ぶべきなのです。パイロットがどう動いているの、それをどう評価し次に活かすのか、例えば座礁していたら巧みにそれを避けるようにと。・・・それが「偉大なるパイロット」の役割です。一向にその情報は伝わってきません。やはり彼らはただの「ならず者」の役割しか与えられておらず、アメリカの経営手法と言われているものは偉そうに説くことはできても日本ではとても実践できるものではないということでしょうか?

今年度年間土曜日授業回数
 「@平成22年度の学校の状況」には、「年間0日」から「月二回程度 十六〜二十日」までの五つのランクで実施学校数が書かれています(二〇一〇年四月九日調べ)。
 「学期に一回程度(授業参観日等)の一〜五日」と「月一回程度 六〜十日」の間だけが二重線で切られているのは何となく悲しくなります。また、
「学期に一回程度(授業参観日等)の一〜五日」
←一学期制のところと五学期制があるんかい!? 
「月一回程度 六〜十日」
←どう考えたって月一回に満たないでしょう!?
と突っ込みを入れたくなりますが、深入りはしません。
 それより、私の学校、墨田区の多くの学校はどこにカウントされているのでしょうか? 「〇日」でしょうか、「一〜五日」でしょうか。ある学校の場合、運動会は日曜日ですから、どう考えても土曜日授業ではありません(当たり前です)。学校公開で一日、学芸会で一日、土曜日を充てています。すると「一〜五日」か? しかし、それぞれにその週あるいは翌週の月曜日に教職員も児童も振替休業日を設けていますから、「子どもの振替休業を行わない『土曜授業』」との定義からするとこれは土曜日授業ではなく、そういう学校は「0日」に入るのかもしれない・・・。ううむ、妙に少ない・・・。

定義は都教委の方がまとも
 何の説明もなく出されると、少なくとも墨田の教員はうろたえます。それは墨田区教委の定義がまるでおかしいからです。六月段階で都教委広報室に直接照会しましたが、都の場合は簡単なことです。「土曜に授業をやれば土曜日における授業」なのであって、児童の振替休業をとろうがとるまいが「土曜日の授業」なのです。区教委が「日曜日に授業を行うことは、『土曜授業』の扱いとはならない」(「土曜授業について要望及び質問事項の回答」二〇一〇年十一月十七日)と断言するのと同じです。
 ところが区教委は「『児童・生徒の振替をとる土曜日の授業』を実施することは、現状とおり可能である。しかし、『土曜授業』の扱いではない。」と神秘的なことを語り出します。
 何が何でも振替なしで土曜日に授業をやらせたいというのが至上目的になっているからこういう神秘的な説が出てくるのです。せいぜい、「『児童・生徒の振替をとる土曜日の授業』を実施しても、『授業時数の確保』の役には立ちませんよ」ぐらいの節度ある断りを書けばいいのですが、そうはいかないのです。「授業時数は足りてるもの」とまっとうな反応がきたり、「授業時数が足りないなら都民の日や開校記念日に授業すればそれでも時数確保になるだろう」という、さまざまな知恵が出てきてしまうからです。都とも違う定義を強行することで理性的なさまざまな発想を抑圧するものです。

児童の振替休業がないことは
  「土曜日授業」の要件ではない
 「D土曜日における授業の実施にかかる質問及び回答」には、「土曜日における授業を実施した場合、児童・生徒の振替休業日は設定する必要があるのか。」と問いを立て、「設定しなければならないという規定はない」とし、「他に休業日を設けることは要件ではないが、・・・他に休業日を設ける旨の規定をおくことはさしつかえない」(初中局局長回答一九六一年十月二十日委初八十)なる実例を出しています。
 ここで都教委が言いたいのは、子どもたちに振替休業日を出さなくっちゃだめなんじゃないのというありうべき批判(私たちもそう考える)に対して、振替を出さなきゃだめってわけではない、振替なしでもいいっていう通知があるとそっと出しているのです。
 次の問六では、「振替休業日を設定しない場合、どのような配慮が必要か」と問いを立てています。「振替休業日を設定しない場合」です。この場合があれば当然「振替休業日を設定する場合」もあるわけです。
 子どもに振替をやったらもう土曜授業じゃないんだ!とわめきたてる我が区教委を何と嗜めていいものでしょうか。
 もちろん都教委も「翌日の日曜日に、児童生徒が確実に休養して心身の疲労を回復できるようにすることが必要である。」などとおざなりのことを言ってすませるのではなく、昨年一月からの通知からすべて撤回し、土曜日授業はしない=学校週五日制を守るところにもどるべきであることはいうまでもありません。しかし、子どもの暮らしに普通は二日の休養が必要であることを明確にしたという意味ではなかなか重要な文言です。
 
実施授業、教科等は限定しない
 「『確かな学力の定着をはかる授業』であれば、教科等の限定はしない」が問三の答えです。
 「墨田区教委の説明会では、『普通の授業はだめ』『行事をやればテストをやってもいい』・・・といわれた」といううわさの混乱(もともとはっきりした文書を出さない区教委に混乱の責任はあるのですが)と比べると、その是非はともかく、すっきりしています。
 
教員の勤務時間の振替等
 都教委は曲がりなりにも「まずは、同一週における週休日の変更・・・・」と打ち出しています。これに対して、「教員の勤務の振り替えについては、園長・校長が適切に定め、長期休業日等に振り替える」は法的レベルにおいても明らかな誤りを平然と述べて区教委は恥じるところがありません。

「土曜授業」は まだまだ紆余曲折
来年度予算発表は一月三十一日
 区教委からの周知をという各校からの要望に対して、「第一定例議会(平成二十三年二月)での承認後、・・・・周知活動を行い、・・・区民に広くアナウンス活動を行う予定」と回答しています。来年度のことは予算の決定を待たなければ確定できないのです。区は言えないが学校は言えるということも絶対にありえません。
 例えば、「給食回数は年間三回」との噂がありますが、どこにその予算的裏づけ・文書的根拠があるのでしょう。もし仮に年間三回給食が行われるとしても、それが、「予定した土曜日」に実現する確証はありません。この時点で、来年度予定を決めるのは無責任です。

この半年間の「紆余曲折」を想起しよう
 私たちはこれまで、「区教委は九月一七日に文書を出して以来無責任にもそれを各校に強要し・・・」と非難してきました。しかし、事態は各校・各組織での、私たち教職員のまっとうな振舞いによって、ずいぶんと「変質」してきました。一つひとつ見ていきましよう。

「一日授業を行う場合の昼食については、『弁当』持参を原則とする」
→この頃とんと聞きません。「弁当作って家庭の食育」というなかなか珍奇なキャッチフレーズも聞こえてきませんし、弁当を提案している学校は、今のところないようです。
「教員の勤務については、原則一日とするが、園・校長の判断で半日勤務も可能とする」
 →「原則一日」原則に従って十一回全部を一日勤務として提案した学校もあったようです。忠実といえば忠実です。また、「どうせ学校に来るのならその後残って仕事をしていけるように」という「暖かい配慮」も隠れているようです。どうせ暖かいならもう一息、「土曜はやっぱり週休日」までの「ご配慮」を! しかし、この提案も教職員の反対が大きく、撤回せざるを得なかったということです。
 そう、「休暇をとればいい」「土曜の午後には会議や行事は入れないから」と言っても、それは来年だけのことです。その後、どうせなら土曜の午後に〜をしようという提案がなされるに決まっています。今歯止めをかけなければずるずると権利を奪われてしまいます。たとえやせ我慢でも、土曜日は半ドンとするべきです。
 土曜日に一日働けば昔で言えば週四十八時間労働です。このような労働時間では私たちの疲労は回復しません。
 来年度、児童の振替休日を今まで通りにとらないのならば、すべて三時間授業にしようと考えている学校もあります。さまざまです。

 区教委の言う、「各幼稚園・学校は、園・学校の実情を踏まえ、年間実施回数や一日実施日、半日実施日等の実施回数を決定し、教育課程に位置付ける」作業を独自にそれぞれの学校で進めていかなくてはなりません。まちがった情報・寄らば大樹の権威主義にではなく、私たちと子どもたちのためによりよい方途を考えていきましょう。
 私たちの振舞いはこれからも事態を変質させていきます。変質させていかなくてはなりません。二十二回の土曜授業など、墨田の教職員と子どもたち、墨田の教育そのもの・生活そのものを破壊させるものでしかありません。

 九月十七日区教委計画は一旦凍結すべきです。あまりにも拙速で考えが足りなかったのです。反対の大きさを読み間違えていたのです。そもそも熱意のないところで、一部の蠢動に驚いて靡こうとしたところに無理があったのです。

2010年12月15日
『土曜授業』は本当に必要か?
  撤回を求める全教職員集会
において
会場カンパを呼びかけましたところ、
 22030円のカンパが寄せられました。
 当日の会場費資料作成費 13718円をこれでまかないました。ありがとうございます。
 さらに、残金8312円は、今後、実行委員会の行う反対運動・弁護士への相談のための費用等にあてさせていただきます。
参加されたみなさまにお礼を申し上げると共に、報告が遅くなったことを、お詫びいたします。

12・15集会実行委員会






鉦や太鼓で集めても・・・
 いよいよ泥沼「校長職・管理職・主幹」選考

 いつ出るかいつ出るかと暮れの楽しみの一つとして待っていたのに、今年度は都教委がそのホームページに載せていないようです。他から情報をとりましたので、正確さに欠けるかもしれませんが、これが今年度の東京都教育管理職選考の結果です。受験・合格した一人一人の方を揶揄したり、非難したりするつもりは毛頭ありません(一人ひとりにはそれぞれの生活も考えも、また与えられた条件もあります)が、全体としては「嗚〜呼」というものです。毎年同じリアクションですみません。

東京の管理職も人気なし
 校長職も教育管理職も、倍率・受験者数共にほぼ毎年減っていきます。十年前の半分です。まあ、ポストに欠員が出ないだけ、いいかというところでしょうか。教育管理職A選考対象者は徐々に増えているのに、こちらも全体の流れと同じです。若い人は金と地位でがんじがらめにされている・・・だけではない、はっきりとそのようなあり方(あらせられ方)を拒否しているのです。
※教育管理職A選考受験資格者=三二歳以上四三歳以下の主幹・主任教諭

身も蓋もない主幹職
 初年度を除いて受験者は年々拡大しています。合格率も高い水準を維持しています。すばらしい! 区分Aだとやはり落ちる方もいるのですが、その点区分Bはすごい。百%の合格率です。試験も面接もなく、校長か区教委がその人の名前を書くとやはり失格させる理由もなくなってしまうのでしょう。このすばらしい制度は今年から始まりました(ただこれを「選考」と呼んでいいのかどうか、国語審議会で議論しているという専らの噂だが)。そういう「汚いやり方」ではなく主幹になろうと志した方は区分Aの一八二人。全都でです。
 主幹全校定数配置は当初予定を大幅に過ぎていていったいいつ実現するのか、そして実現して今と何が変わるのかまったくわかりません。
 こんな恥ずかしいことになってしまうのならもっと反対しておけばよかったと反省しきりです。



2011年度組合行事予定  
組合総会 4月20日(水)
女性部・職場の課題 交流集会  
5月25日(水)
教研集会 6月22日(水) 
教研集会 10月26日(水)
   ※ どの会も3時開始です。

国連人種差別撤廃委員会の報告を実現!
 2月19日(土) 13:00開会 
 星陵会館ホール(地下鉄有楽町線・半蔵門線永田町駅3分)
先住民族アイヌからのメッセージ
アイヌ・朝鮮の歌舞  入場カンパ1000円


「日の丸」「君が代」反対 2・6総決起集会
2月6日(日) 13:00開会 
東京しごとセンター
  (JR・地下鉄飯田橋駅下車5分) 
講演:「教育と貧困」
佐々木賢さん(教育評論家・元都立高校教員)
発言:「君が代」処分との闘い 根津公子さん、渡辺厚子さんら/ 最高裁への上告者たち/ 各裁判闘争の現段階/ 発言:都教委の教育行政との闘い 業績評価との闘い/ 「タイムス」導入との闘い他  
主催:都教委包囲首都圏ネット


週刊墨教組 No.1617    2011.1.11

教職員「多数」の反対意思を受け止めよ!
署名は六〇〇筆を超えた!
 区教委に「土曜授業」反対署名を手渡す

 
学校五日制・週休二日制を破壊する   「土曜授業」に反対する(10)


 十二月二十二日、墨田教組と都教組墨田支部の代表が、区教育委員会に「土曜授業」反対署名を提出しました。
 みなさんにしていただいた署名は教育長宛てでしたが、受け取ったのは庶務課長でした。私たちは六〇〇筆の重みを背に、必ず教育長に渡すこと、早急に教育長との会談を設定することを要求し署名を手渡しました。

六〇〇筆の重み
 私たちはまず、十二月十五日の集会が大きな盛り上がりを見せたこと、この間の「土曜授業」をめぐる区教委のやり方・「土曜授業」そのものの不当性に起因することを説きました。さらに署名が六〇〇筆を超えたこと、この重みを考えるように話しました。庶務課長によれば小中学校にいる都費教職員は管理職も含めて九〇〇人ほどだそうです。この六〇〇通の重みはいやが上にも重いものです。いかに「土曜授業」の内容と区教委のとる方法が誤ったものか明らかです。

失礼ながら
 署名を手渡す前に、私たちは署名した人にいかなる不利益もないことを確約してほしいと念を押しました。庶務課長は明らかに不快な表情をしたように見えます。それはそうでしょう。署名を渡す相手に、あなたはこれをもって署名者に不利益を与えるようなことをするのではないか、ひょっとして各校長に貴校では何人の教職員が署名して・・・などと伝えるのではないかと言っているようなものですから。しかし、現に、誰が署名しているのか覗いたり、集会に参加することに露骨に不快感を示し妨害したりする管理職がいるということを説明し、失礼を詫びました。庶務課長はそんなことはあり得ないという顔をしていました。そのような管理職がいることは理解できなかったようです。。が、それは不明というものです。この失礼な言い草が奈辺から発せられたのかをもって寛怒されたいと思います。

「条例通り」としか言えない
 四か月後の週休日の変更については庶務課長は「条例通り行う」としか言いません。それが区教委の立場でしょう。しかし、条例があるということと、条例の最大限をやるということは違うのです。条例に「任命権者は、公務のため臨時又は緊急の必要がある場合には、職員に対し、正規の勤務時間以外の時間において勤務をすることを命ずることができるとあるからと言って、それを常態化してはいけないのです。例外措置というのは誰もが納得できるものでしかやってはいけないのです。過半数の反対署名が突きつけられるようなことではだめなのです。

教育長は知らない?
 庶務課長には何度も、教育長に直接署名を手渡すこと、教育長に直に話すことの必然性と必要性を説きましたが、「それは要望として承るし、ここで話されたことはちゃんと教育長に伝える」と答えるだけでした。それではだめなのです。八月、教育委員会での発言を、仁王指導室長はとくに問題はないと考えているようです。では、高木教育委員長とともに説明を受けているように見える久保教育長はどうであるのか? 直接聞きたいのです。区の重要施策である「個人学習プロフィール」がいかに学校現場で支持されていないか、のみならず、すみだ教育研究所がいかに実施要綱に反する評定を下してもそれがまかり通ってしまうという事実を知っているのかを直接聞きたいのです。今、責任を持たなくてはならない者が責任をとらなくてはならないのです。

「数の力」
 庶務課長は「反対署名六〇〇筆を『客観的な数』としてとらえる」と言いました。そういう発想なのか・・・と、やや得心もしましたし、絶望的にもなりました。
 私たちにとっては『客観的な論』が重要だと考えてこれまでずっとやってきたのですが、彼らにとっては、闘わすべきは論ではなくて数なのか・・・と。だから、今まで構成員わずか○○人の墨田教組が言っていることだと『客観的な数』として切り捨てていたのでしょう。いかに正当な論をめざそうと力み返っても、所詮はわずかな『客観的な数』の主張に過ぎなかったというのでしょう。軽んじられていたはずです。この発想に立てば。
 悲しいことです。『客観的な数』が少ないことがではなく、『客観的な数』に依拠し少数者を切り捨てる区教委の発想が悲しいのです。
 しかし、今回のことではっきりしたのではないでしょうか。墨田の教職員は、区教委とは違って、「客観的な数」の多寡ではなく、権力の有無でも図々しさへの阿諛追従でもなく、『客観的な論』の正当性によって物事を判断するのだということを。
 論の正当性は数の力につながりうるのだということを理解すべきです。誤った道から戻るべきです。

署名者への報告義務
 私たちは署名を始めたときから、たとえ一筆でも、区教委との交渉を委託されたということを覚悟していました。
 これまでは、「やぎさんの話」で悔しさを誤魔化してきましたが、あのような「木で鼻をくくったような」返答では、もう済まされません。私たちには署名者に対して、きちんとした交渉をし、きちんとした返答を受け、きちんとした報告をする義務があるのですから。

「土曜授業」強行は破滅の道
 墨田区の過半数を超える教職員はみな「区教委通知を理解する力がなく」、「やる気のない怠け者」であるのか、区教委の「土曜授業」の内容と方法が誤っているために過半数の理性が拒否しているのか。前者であるとすれば、どのような「良い方針」を区教委が出しても「成果」は期待できないことを知るべきです。学校現場で実施する教職員がそのような「体たらく」なのですから。
 無責任な態勢の中で、校長だけが無責任に「責任」をとろうとしています。理由も定かでないままの「自主的な」「土曜授業」の強行です。それは墨田の教職員のまっとうな理解力と日々教育に向かう意欲をぶち壊します。被動的で無力な者に落とし込むことによって、子どもたちに向き合い共に進んでいく教職員の心を萎えさせます。

区教委のなすべきこと
 区教委は直ちに校長に対して、、「土曜授業」は回数も内容も本当に学校で決めていいのだ、十一回以上でも以下でも本当にかまわないのだと文書をもって説明し、やけっぱちの「責任」を回避すべきです。
 区教委は直ちにこの「教職員の意思」と折り合いをつけるべきです。これまでのような強圧的な無視を続けるのではなく、話し合いを開始すべきです。説得すべきです。
 私たちは、区教委への働きかけを強め、また、各職場での交渉を進めていきます。

墨田区教育委員会 教育長 様
                 2010年 12月 22日
                 都教組墨田支部 支部長     
                 墨田区教職員組合 委員長     
 先日は私たちが提出しました「解明要求書」に文書でご回答いただき、ありがとうございます。
 「土曜授業に関して各質問事項等への回答について」を参考にせよということでしたので、参考にして別紙の如く貴教育委員会の見解=回答を推測してみましたが、いかがでしょうか? 
 この推測回答によって、「墨田区における幼稚園・学校の『土曜授業』について」という事務連絡文書と現在各学校で校長から提案されている「土曜授業」の案に対する、私たち教職員の不安はかなり軽減されました。が、この案が実施されれば教職員の生活と健康はさらに圧迫され、学校にいよいよゆとりもなくなり、教育の質の低下が進み、労働時間の違法的延長は労働基準法に触れるという心配はまだ払拭されてはいません。
 まだ私どもの理解不足により誤りがあるやも知れません。お手数ですが、正しいものにマルを、誤っていたり不十分なものには「正解」をお書きいただきたく存じます。
 また、「土曜授業」について、その大半を担う私たち教職員の意見が一顧だにされないこと、明らかに労働条件であるのに教職員組合との交渉がまともになされていないことも極めて異例のことであり、これまでの墨田区教育委員会の真摯さと誠実さとの隔たりに深い悲しみと憤りをいだいております。
 「土曜授業」にかかわって、以下の点につき、見解を明らかにされるよう改めて要求いたします。

解明要求書-2-

1.前回の回答は、別紙1のごとき内容であると考えるがどうか。正しいものにマルを、誤っていたり不十分なものには「正解」を記されたい。
2.前回回答中、「推測不能=回答不明」のものについては、回答をされたい。回答いただけない場合は、「然り」が回答であると解釈するが、それで良いか。
3. 「予算については、検討中」とあるが、どのような予算を計上をしているのか、明らかにされたい。
4.これまで、「土曜授業」に関して出された文書を資料として提供されたい。
5.これまで校長会等で口頭でなされた「土曜授業」に関する内容を資料として明らかにされたい。
 校長によってはその根拠を明らかにすることなく「給食は3回出る」と言明する者もおり、現場は大変に混乱している。口頭での説明を前提に決定することはできないために事実資料は必要である。
6.「八月二五日開催 教育委員会会議 報告」での時数説明は読む者に大いなる誤解をいだかせるものであり墨田区教育委員会並びに墨田の教育関係者が軽侮される怖れがある。訂正するか説明を加えるべきと考えるがどうか。


解明要求2 


※前回解明要求回答の推測「別紙1」についてはは、週刊墨教組1614号裏面 あるいはホームページを参照されたい。

子どもと女性の人権を考える東京の会
 第39回学習交流会
「あなたに在日韓国人は見えるか」
 鄭暎恵(チョン・ヨンヘ)さん
(大妻女子大学教授)
1月29日(土) 午後2時〜4時半
文京区民センター
  2階 C会議室
 この学習会交流会シリーズは、毎回とても感動的でスリリングな話をうかがえ
おすすめです。詳しく知りたければは組合まで。




週刊墨教組 No.1616    2011.1.11

謹賀新年

    墨田区教職員組合執行委員会

 憲法に基づいた教育を!
 憲法改悪反対!
 土曜授業反対!

反戦 反核 反差別 護憲




茨木のり子
   「自由」への初志


 人々の感受性をくっきりとかたどり、時代にするどく拮抗する詩集というものが、まれに存在する。
 戦後詩史のなかにあって、茨木のり子の『対話』(一九五五年)と『見えない配達夫』(一九五八年)は、まさしくそのような詩集といえよう。



   わたしが一番きれいだったとき

わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがら崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした

わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達が沢山死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落してしまった

わたしが一番きれいだったとき
だれもやさしい贈物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差だけを残し皆発っていった

わたしが一番きれいだったとき
私の頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで
手足ばかりが栗色に光った

わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた

わたしが一番きれいだったとき
ラジオからはジャズが溢れた
禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
わたしは異国の甘い音楽をむさぼった

わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった

だから決めた できれば長生きすることに
年とってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのように
              ね



 『見えない配達夫』所収のこの詩(一九五七年二月「詩文芸」初出)について、茨木は、『はたちが敗戦』(一九七八年)というエッセイのなかで、つぎのように回想している。

 「その頃『ああ、私はいま、はたちなのね』と、しみじみ自分の年齢を意識したことがある。眼が黒々と光を放ち、青葉の照りかえしのせいか鏡の中の顔が、わりあいきれいに見えたことがあって・・・・・・。けれどその若さは誰からも一顧だに与えられず、みんな生きるか餓死するかの土壇場で、自分のことにせい一杯なのだった。十年も経てから『わたしが一番きれいだったとき』という詩を書いたのも、その時の残念さが残ったのかもしれない。
 個人的な詩として書いたのに、思いもよらず同世代の女性たちから共感を寄せられ、よく代弁してもらったと言われるとき、似たような気持ちで当時を過した人達が沢山居たことを今になって思う。」

 詩集では、「わたしが一番きれいだったとき」のあとに、「学校 あの不思議な場所」という詩が配列されている。
 戦時下、入学した帝国女子医学・薬学・理学専門学校でのドイツ語の授業の哀切きわまる情景が回想されている。


  学校 あの不思議な場所

午後の教室に夕日さし
ドイツ語の教科書に夕日さし
頁がやわらかな薔薇いろに染った
若い教師は厳しくて
笑顔はひとつもみせなかった
彼はいつ戦場に向うかもしれず
私たちに古いドイツの民謡を教えていた
時間はゆったり流れていた
時間は緊密にゆったり流れていた
青春というときに
ゆくりなく思い出されるのは 午後の教室
やわらかな薔薇いろに染った教科書の頁
なにが書かれていたのかは
今はすっかり忘れてしまった
ぼくたちよりずっと若いひと達が
 なにに妨げられることもなく
 すきな勉強をできるのはいいなァ
 ほんとにいいなァ
満天の星を眺めながら
脈絡もなくおない年の友人がふっと呟く

学校 あの不思議な場所
校門をくぐりながら蛇蝎のごとく嫌ったところ
飛びたつと
森のようになつかしいところ
今日もあまたの小さな森で
水仙のような友情が生れ匂ったりしているだろう
新しい葡萄酒のように
なにかがごちゃまぜに醗酵したりしているだろう
飛びたつ者たち
自由の小鳥になれ
自由の猛禽になれ


 くりかえされる「自由」という言葉。
 茨木のり子にとって、あまたの犠牲をはらい戦中を必死でくぐりぬけてたどりついた戦後とは、なによりもまず、「自由」の大切さの実感であった。

 エッセイ『いちど視たもの』(一九七九年)には、「自由な空気」の光景が鮮やかにしたためられている。

 「まるで映画のワンカットのように、一つの忘れられない鋭い場面が、今に至るまで私の記憶に鮮明に焼きついている。
 一九五一(昭和二十六)年四月、戦後初めての医学総会が東京で開かれた。それに参加すべく地方から上京した七十歳の義父の案内役として、私も一緒に東京大学に赴いた時のことである。戦後のこの時期は、あらゆる分野で閉ざされていた研究欲、表現欲が堰を切ったように溢れ出ようとしていた時で、医学界のそれも、学問の本道に立ち戻ろうとする医師たちの活気が漲っていた。
 あまり大勢で私たちは開会式の講堂には入れず、幾つかの教室に分かれて、アナウンスされる式次第を聴いていたのだが、思いもかけず天皇の登場と挨拶なるものがあって、『御起立ねがいます』と司会者が言い、がたがたと医師たちは立った。
 しかし、見れば、約半数は立たず坐ったままである。静かだったが、かたくなな拒否の姿勢であった。」

 「立つも立たないも本人の気持次第、立たなくても何の咎めだてもしないという自由な空気は、軍国少女として育ってきた私には、びっくりするくらい新鮮だった。」

 「現在の私はと言えば、天皇と鉢合せするような場所には絶対行きたくないが、もしそういう場所にぶつかって起立を強要されたら、断固立つまいと心に思い定めている。
 敗戦後三十二年を経過して、〈自ら思い想う〉が思想なら、私の思想の根もとには、「尊敬するものぐらいは自分で決める」という居直りがあるようなのだ。強要される尊崇は、それが何であれ、もうまっぴらごめんである。」



  こどもたち

こどもたちの視るものはいつも断片
それだけではなんの意味もなさない断片
たとえ視られても
おとなたちは安心している
なんにもわかりはしないさ あれだけじゃ

しかし
それらは一つ一つとの出会いは
すばらしく新鮮なので
こどもたちは永く記憶にとどめている
よろこびであったもの 驚いたもの
神秘なもの 醜いものなどを

青春が嵐のようにどっと襲ってくると
こどもたちはなぎ倒されながら
ふいにすべての記憶を紡ぎはじめる
かれらはかれらのゴブラン織を織りはじめる

その時に
父や母 教師や祖国などが
海蛇や毒草 こわれた甕 ゆがんだ顔の
イメージで ちいさくかたどられるとしたら
それはやはり哀しいことではないのか

おとなたちにとって
ゆめゆめ油断のならないのは
なによりもまず まわりを走るこどもたち
今はお菓子ばかりをねらいにかかっている
この栗鼠どもなのである


 『対話』所収のこの詩は、一九五五年十月「詩学」に発表されている。
 とくに注視しなければならないのは、第四連の「教師や祖国」という言葉だ。軍国主義教育によって、子どもから思春期を経て青春期に至る黄金の時間をしっちゃかめっちゃかにした当事者、「教師」と「国家」をさりげなく糾問している。
 ここにも、当時の人々の感受性がくっきりとかたどられている。



 「わたしが一番きれいだったとき」を書いたとき、ジョルジュ・ルオーは存命中だったが、翌年(一九五八年)二月十三日、パリで死去している。享年八十六。十七日、葬儀は国葬として執り行われた。
 茨木のり子は、四十九歳の時に、夫を肝臓がんで失い、「虎のように泣いた」が、「寂蓼だけが道づれ」の日々を、「自由」への初志を貫いた詩やエッセイを書きつづけた。
 二〇〇六年二月十七日、くも膜下出血のため自宅にて死去。享年七十九。
 次のような手紙が、生前に用意されていた。
 凛冽な生涯であった。

このたび私  年  月  日    にて
この世におさらばすることになりました。
これは生前に書き置くものです。
私の意志で、葬儀・お別れ会は何もいたしません。
この家も当分の間、無人となりますゆえ、弔慰の品は
お花を含め、一切お送り下さいませんように。
返送の無礼を重ねるだけと存じますので。
「あの人も逝ったか」と一瞬、たったの一瞬
思い出してくだされば、それで十分でございます。
あなたさまから頂いた長年にわたるあたたかな
おつきあいは、見えざる宝石のように、私の胸に
しまわれ、光芒を放ち、私の人生をどれほど豊かに
して下さいましたことか・・・。
深い感謝を捧げつつ、お別れの言葉に
代えさせて頂きます。

ありがとうございました。

   年  月  日



(長谷川 政國)


週刊墨教組 No.1615     2010.12.20

反対の意志は極めて固い
 撤回全教職員集会成功す!
 白紙撤回署名五百筆を超える!



学校五日制・週休二日制を破壊する 「土曜授業」に反対する(9)

反対の意志は極めて固い

 十二月十五日(水)六時すぎ、「『土曜授業』は本当に必要か?撤回を求める全教職員集会」は始まりました。初めに実行委員会からこれまでの経緯と問題点が整理されて提起されました。また、この集会と並行して各職場でとりくまれてきた署名が、この時点で五百筆を超えていることが報告され、大きな拍手が送られました。
 その後、次々に参加者からの発言が続きました。「教職員がバタバタと倒れているのに、数値目標やらにばかり熱心な管理職の問題」「ILO提訴の問題」「土曜日イベントが新たな平日への圧迫をもたらす問題」「今、土曜日の子どもたちの暮らしが培っているものを壊してしまう問題」「土曜日に授業をやれば『効果』が上がると考える人々にどう訴えるか」「これから私たちはどういうことをしていったらいいのか」・・・。教職員だけでなく、地域・他県の方からも「土曜授業」を撤回させるための考えが提示されました。
 年末の忙しい時期にもかかわらず、九十人を超える参加者で会場は熱気と撤回への意志にあふれていました。その後行動提起とアピールを採択し、予定終了時刻を二十分も延長して会は終わりました。第二段階目の始まりです。

「努力義務」とは
 前日十二月十四日には急遽「教育課程説明会」が開かれました。こちらは一か月の前倒しでした。翌日の集会成功が予想されたのでしょうか(マサカ・・・)?
 今回は説明に当たった指導主事は質問にも応じたとのことでした。少しずつ「邪路」から抜け出しつつあります。
 さて、その中に「土曜授業十一回は努力義務」との説明がありました。何人かの管理職は「それ見たことか、努力しなくちゃいけないんだ!義務なんだ!ほうらもう決まったことなんだ!」と大騒ぎで雀喜したと言います。確かにこれまでも〈インフルエンザになった教職員には年休をとらせる〉など問題文書を書き続けていますから誤解される余地はあるのですが、今回は間違いではありません。指導主事たるもの、正確な法的言葉遣いをしています。かつて文部省は「標準時数」を「最低時数」のように解釈してその「低学力」を疑われました。墨田区教委の語る「標準回数十一回」はそうではありません。上もあるし下もあるという意味です。それに照らせば「努力義務」も明白です。 『ウィキペディア』には、

努力義務とは、日本の法制上「〜するよう努めなければならない」などと規定され、違反しても罰則その他の法的制裁を受けない作為義務・不作為義務のことである。遵守されるか否かは当事者の任意の協力にのみ左右され、またその達成度も当事者の判断に委ねられる。
とあります。〈学校がその権限でその目的・内容に合わせて回数も設定する〉と言っているのです。

土曜授業反対は圧倒的だ
 反対が大きく、根拠が薄く、教員と子どもたちの休日を破壊し、思いつきで準備不足の「土曜授業」を月一回やることは無謀です。校長だけが間に挟まって悪者になろうとしていますが、その必要はありません。「遵守されるか否かは当事者の任意の協力にのみ左右され、またその達成度も当事者の判断に委ねられ」ていることなのです。これまでの教育経験と学校の把握から、「土曜授業」をやらないことも含めて学校の実態に合わせて判断するべきです。私たちはそのように校長が判断できるよう、引き続き努力を惜しみません。

まだ何も決まっていない
 「三回は給食が出る」と、区教委が言ったとか言わないとか・・・。情報が乱れています。給食の回数が決まっていますから今以上に給食を出すことはできません。出すためには予算措置をしなくてはなりません。それが出るのは二〇一一年一月下旬です。ですから、来年のことを今決めることはできないのです。あわててはいけません。
 三五人学級と同じです。どのように来年度予算に提出されるのかまだわかりません。どうなるかわからないのです。密かにそれぞれの場合に対して準備することはいいでしょうし必要なことでしょう。しかし、今の時点で本校は学級増だ何だと公言してはいけないのです。そのようなことは指示もされていないし、各校で軽率になされてもいません。
 土曜授業もまだ仮の状態なのだ、何も決めてはいけないのだということを確認しましょう。





週刊墨教組 No.1614     2010.12.12
十二月十五日(水)
 全教職員集会を成功させよう!

いじめ防止・人権尊重・児童を虐待から守る・・・みな空文句になってしまう
自らの権利を守り自らの人権侵害に抗しない者は、誰の人権も守ることはできない

学校五日制・週休二日制を破壊する「土曜授業」に反対する(8)



時間軸で見ておこう

 今回の「土曜授業」は墨田区の教育・学校に何の根も持たないものであることはこれまでも述べてきましたし、みなさんが一番よく知っていることです。再度整理のために時間を追ってふりかえっておきます。

新指導要領公示
 小中学校の新指導要領改定が公示されたのは二〇〇八年です。移行措置も同時に発表され、墨田区ではそれに従って、暫時時数を増やしたり、内容の変更をしてきました。その時に、「授業時数が足りなくなる!」「『土曜授業』をしなくてはならない」と騒いだ者はいませんでしたし、授業時数が不足した学校もこれまでなかったようです。

一年前には何もなかった
 去年の今頃、墨田区のどの学校でも「土曜授業(ここでは区教委の定義である「子どもの振替休業を行わない」土曜日に行う授業とします)」は話題にも上っていませんでした。確かに一部校長は昨秋、区教委に対して、土曜日に何回かの授業を区としてやることを決めてもらえないかと持ちかけたようですが、区教委はこれを拒否したようです。もちろん「標準回数十一回」を決めることもありませんでした。「教育課程は各学校が決める」という原則で各学校の「土曜授業」に処してきたようです。

都教委二〇一〇年一月十七日通知
 何度も言いますように、この文書は決して「土曜授業」を「命じた」ものではありません。、一部権威主義的な管理職はこの文書をそのように用いようとしていますが。
 「特に、土曜日に教育課程に位置付けられた授業の実施を求める学校が多いことから、今般、このことを行うに当たって配慮すべき基本的な考え方等をまとめました。」これが通知の前提です。もちろんその時点で、墨田区区教委・墨田区区内の学校が「土曜日に教育課程に位置付けられた授業の実施」を求めている事実はありません。つまり墨田区においてはこの通知は無効なのです。
 もちろんこの文書を出した都教委の「ココロ」は土曜授業の強要であることはまちがいありません。子どもの土曜日のすごし方にけちをつけ、マスコミに突然発表するというその出し方、五月二七日付教育庁報に公表された「土曜授業実施状況」では、「土曜日に授業を六日以上実施している学校」は校名を載せて顕彰しています。何と六日以上なのに「実施日数の半数を超えて振休を取っている学校」はわざわざ( )を付けても見せしめにしています。
 しかし、どのような姑息な手をとろうと、都教委文書は(区教委文書も)学校週五日制を正面きって崩すことはできません。

昨年度末の区教委の態度
 他の地教委がこの都教委通知の「ココロ」を読んで土曜日授業に走ったにもかかわらず、墨田区区教委は二〇一〇年三月時点で、区として「土曜授業」を決定することも「標準回数」を提示することもしませんでした。これまで都教委に対して土曜日授業ができるように申し出をしたこともなかったし、二〇一〇年度に土曜日授業墨田区で行うことを提案することもない。賢明な態度だと、当時の「週刊墨教組」は評価しています。
 区は、十月ぐらいまでに検討委員会を設けて、二〇一一年度に区として土曜日授業をどうするか検討するとしていました。何校かはこれで二〇一〇年からの土曜日授業を控えましたが、いくつかの学校がこの検討委員会を待たずに、二〇一〇年度から独自に土曜日授業に踏み出しました。「教育課程は各学校が決める」という原則にのった、しかし実に軽率な行いでした。

区教委の急転換
 二〇一〇年度になってから、区教委は「検討委員会」を組織せず「意見交換会」という極めて恣意的で軽薄なもので誤魔化しました。「弁当作って食育」などというめちゃくちゃな論理を振り回しました。
 驚くべき時数計算をして教育委員長に「全体の流れとしては新学習指導要領で年間授業時間が拡大したということが根底にありますよね。だからどうしても時間数を増やさなければいけないわけです。」と言わしめました。
 時数・「心の土曜日」・一年前にはまったく触れられなかったことが「来年度十一回・再来年度二十二回を標準とする『土曜授業』」の根拠にされているのです。「厳密に言えば触法」は「まったく問題ない」とされます。

一体何があったというのでしょう?
 この急転換はまったく脈絡がありません。私たちにはまったく理解できないのです。
 何か「外在的」なナニモノか、教育の論理とはまったく別の、あるいはココロや内面の問題も含めたナニモノか・・・が原因なのかもしれません。しかし、まったく私たちの「知」(浅知恵)では推測することもできません。とにかく、墨田区の教育や子どもたちの内在的な論理によって「土曜授業」は根拠付けられないことだけは確かです。私たちは、墨田区の教育と子どもたちに責任を持つものとして、断じてこのようなものを認めるわけにはいきません。

逆立ちした論理
都教委通知は土曜日授業を
指示していないのに・・・
◎学校や教委が土曜に授業をやりたいと言ってきた
→やる場合に留意すべき点を述べる
→留意点に気をつけて実施してもよい
という論で出てきます。ところがこれが逆転されます。
○留意点に気をつけて実施せよ
→留意すべき点は述べた
→学校や教委は土曜授業をやりたいと言え!
となるのです。まったく理不尽な論理です。

教育職員はマッチョ?!
 「週休日の変更は教員の場合特例として前二か月後四か月」も同様です。労働者保護(あなたのために)の名目で触法的労働が強制されるのは逆立ちの最たるもの・現代の錬金術とでもいうべきでしょう。
 そもそも、一般労働者が週休日の振替がその週にとれない場合に最大限四週以内にとらせなくてはならない、東京都の「教育職員以外の職員の週休日の変更については、当該週休日の前後各二か月の範囲内」であるのに、教育職員だけが四か月も先になっているのはどうしてでしょう。「決まってるさ、教員はマッチョで休みなしに働けるんだ。休憩時間だってほとんど取らないぐらい強靭なのさ・・・」 まさか!
◎教員は部活などやってもその週や二か月以内に振替もとれない
→かわいそうだ
→せめて長期休業中にとれるようにしてやろう
 これが「四か月先の振休」の理由です(他にあるか!)。やはり「情け」をかけられるのは間違いだったのです。きちんとした権利をとらなくてはならなかったのです。だから次のように逆転されるのです。
○教員は長期休業中に振休がとれる
→だからかわいそうだが(と思っているかどうか?)
→教員は月に二回、その週の内に振休などとらせずに土曜授業をやれ!
 (休憩時間だってとらないでやってるんだからとりあげたってかまわないだろう)
「〜てもいい」という許容が「ねばならない」に転換するのです。逆立ちしています。

勇気の問題
 「教育課程は各学校が決めるという原則→標準を示しただけだから決定する責任は学校にある」
 これも同様です。ただ、ここには校長の「勇気」の問題が若干絡んできます。この通り額面どおりに行っていくことも可能ですが、はたしてその「勇気」と「校長同士の連帯」があるのかどうか。
 区教委がフェアな態度をとるとすれば「標準はあくまで標準であるから、たとえそれ以上でも以下でも、たとえ〇であってもそれを区教委は認める」と言明することです。

おかしいことは実現されてはならない
 集会をやって何の意味があるのか・・・冷静な知性はそうつぶやくでしょう。私たちも思います。何か変わるのだろうか・・・・と。知に対しては誠実に知で応えるべきです。その中では「集会」は不要かもしれません。そうあるべきです。しかし、残念ながら区教委は知で応えようとはしていません。何の理も論もなく反知の立場で「土曜授業」を強要しようとしています。。
 誰もがおかしいと思っているのに止められない・・・。一人や二人が反対したってつぶされちゃうだけさ・・・と多くの「傍観者」は呟き諦めます。一つの身の処し方です。だから「いじめ」はなくならないのです。区教委は「しかと」と「無視」で私たちに臨んでいます。さしあたり、「土曜授業」推進派の校長は「パシリ」とでもいっておきましょうか。理不尽なことがまかり通っているのです。
 勇気があるのかと問われているのは、手先になりあるいは見て見ぬふりをし自分に順番が回ってくるのを恐れる子どもたちではなく、私たちなのです。
 「何の意味もない・・・」と呟いて諦めることも、「何の意味もない!」と騒ぎ回ることも可能です。もちろんそれ以外のあなたが考えるもっと効果的なことも「今ならば行うことができる」のです。

水曜日、六時
曳舟文化センターに集まろう

 なぜ「今ならば行うことができる」と言えるのか。状況です。たくさんの署名が集まっています。多くの職場で合同職場会・教職員集会・茶話会・・・(名前はなんでもよろしいのですが)が開かれています。「誰もがおかしいと思っている」ことは既に確認されているのです。
 今、「行うこと」が要請されているのです。知の成果を形として見せることが必要なのです。だから「行うことができる」状況なのです。
 集会に全教職員の五%ぐらいが参加されたら、現行消費税ほどの役割を果たすかもしれません。十%の方が参加されたら何かが変わりそうです。署名が過半数を超えたらどうなるでしょう。時に個人は歴史の中でとてつもない役割を果たします。まして、ローカルな中では・・・。
 これほど理不尽なものがすうっと通っていっていいわけはありません。
 忙しい時期ですが、せめて五分でも十分でも、誘い合わせてこの集会に参加し、異のあるところを形にし、各職場の状況や、反対の論理を交流しましょう。

十二月十五日集会に
 ぜひご参加ください。



週刊墨教組 No.1613     2010.12.7

都教組墨田支部
墨田教組  の   「土曜授業」への解明要求に
区教委からの回答文書が出される!
しかし
学校五日制・週休二日制を破壊する「土曜授業」に反対する(7)


 先号で「『解明要求』すら無視するというのは常識に欠けた行動と言わざるを得ません」と書きましたが、十一月二五日付で、区教委からの回答が届きました(資料1)。「常識に欠けた行動」などと書いたことをお詫びいたします。
 その上で、先号では校長会並びに各学校からの要求や質問に対して「無礼な回答」だと、他人事として怒っていたのですが、今回は私たちの事として怒り心頭に発しています。
 ずいぶん手を抜いたものです。白やぎさんは黒やぎさんからの手紙に青やぎさんに出した手紙を返信として出してきたのです。やぎさんの世界での常識にも欠けた行動です。まあ、食べちゃわなかっただけやぎさん以上か・・・。
 それでも、「土曜授業に関して各質問事項等への回答について」を「回答内容は同様である」というのだから、私たちとしては「黒やぎさんへの手紙」から解釈し検討しなくてはなりません。

推測される回答
 「土曜授業に関して各質問事項等への回答について」(以下「区回答」)をはじめ、「学校職員のための勤務時間等の手引き」(以下「手引き」)、「勤務時間の割振りの要件の緩和」についての教育七団体からの解明要求に対する都教委一月十六日回答(以下「都教委」)を参考にすると、回答は※1のようになると推測されます。
 この推測が正しいかどうかまた質さなくてはなりません。

整合性も説得性もない
 「区教委としては、平成十八年度に都教委と行われた交渉内容の範囲と考えている。よって、区教委として今回の事柄に関しては、関係諸団体との話し合いは行わない」
 その年の後の二〇一〇年の都教委との確認にも「教育委員会との交渉」が含まれていますから、この返答は矛盾しています。
 また、週休日の振替を「土曜授業実施に伴う教員の勤務の振替については、園長・校長が適切に定め、長期休業日等に振り替える。」とするなど、九月十七日事務連絡には明らかに法・条例に対する無理解(軽視)がうかがわれましたが、今回の回答では「校長が・・・適切に」となっています。これは前進でしょうか後退でしょうか? それともよく考えていないだけなのでしょうか。※2

墨田の教育の現実から遊離
 そして何よりも、今進行している具体的なこと・墨田の教育の実態についての回答が欠落しているということです。
 解明要求十六の「先行校」の実態解明要求は私たち組合からだけではなく、学校からも出されていたはずだが、「資料三」においても回答がされていません。
 また、校長会からのものと同様、「各学校から寄せられた土曜授業に関しての不明点や質問等」も出されていません。各校がどういう考えを持っているのか、区はそのまま掲載するべきです。
 「土曜授業」に賛成するにせよ反対するにせよ、「先行校」の現在の実態は「貴重」です。区教委がやらないのであれば、「先行校」が自主的に墨田の全学校に開示し、具体的な論議の素材を提供されることを願うものです。決め方も含めてです。

反対は続く
 私たちは「週休日に勤務を命じることは勤務条件の変更にあたり、交渉事項である。区市町村教育委員会、学校長は誠意を持って交渉に応じる必要がある」とされているようにあくまで誠意を持って交渉に応じるよう区に要求すると同時に、不明な点と新たな十九・二十番を付け加えて「解明要求二」を提出し回答を求めていきます。
 どれほど勝手に第三土曜日を授業日だと予定表に書いても、「教育課程の編成権は学校」にあります。十分な論議が必要です。
 知り合いの方に「あなたの学校ではどう?」と電話することも含めて、一人ひとりがなしうることは山のようにあり、それは全て事態をよい方へ動かします。区教委のごり押しには理も義もないからです。

資料1
事務連絡 H22.11.25
墨田区教委事務局次長 小暮眞人
解明要求書について
 平成22年11月17日付で要求のあった標記の内容については、別添の平成22年11月17日付け事務連絡、各幼稚園長各小・中学校長宛に配布した「土曜授業に関して各質問事項等への回答について」と内容が同様であるため、その回答文を参考に送付いたします。

※2 
「週休日の変更・半日勤務時間の割り振り変更の期間は、最大前2月後4月と規定しているが、同一週内での変更が原則であり、次に4週以内、それでも変更ができない場合には、前2月後4月とするものである。」
「(1)原則として、4時間勤務の土曜日の属する週において、月曜日から金曜日までの正規の勤務時間につき、勤務時間の始めか終わりに引き続く4時間の勤務を解くものとする。(2) 上記(1)が困難な場合は、4週間についての総労働時間が160時間となるような勤務時間の割り振りを行うものとする。ただし、やむを得ないと認められる場合には、4時間勤務日の前後各2か月の範囲内で勤務を解くことができる。」
 「例外の例外」というのはこういう規定があるからです。「長期休業日に振り替えすれば解決」とは言えません。極めて例外的な規定を月1回ないし2回、全教職員を対象に行おうとすることは明らかに拡大解釈です。




※1 解明要求と推測される回答

解明要求項目 推測される回答
1.公務員の週休2日制、学校5日制により、教育職員の勤務も、週40時間労働、2010年度からは週38時間45分労働となったと考えるがどうか。 「教育職員の勤務は、週38時間45分労働である。」(都教委)
2.土曜・日曜は週休日であると考えるがどうか。 「土曜・日曜は週休日である」(手引き)
3.週40時間労働、土曜・日曜は週休日であることは、労基法、都条例等で定められたものであり、「墨田区における幼稚園・学校の『土曜授業』について」並びに各校校長が土曜授業において主張することは、これを変更するものではないと考えるがどうか。 「労基法、都条例等で定められた週40時間労働、土曜・日曜は週休日であること、学校5日制及び週休2日制であることを変更しない。」(都教委)
4.「墨田区における幼稚園・学校の『土曜授業』について」並びに各校校長が土曜授業において主張することは、学校5日制及び週休2日制を何ら変更するものではないと考えるがどうか。 上に同じ
5、学校においては、2002年度に完全週休2日制が導入され、毎週の日曜日と土曜日が週休日となっている。週休日に正規の授業を実施することは原則として想定されていないと考えるがどうか。 「週休日に正規の授業を実施することは原則として想定されていない。」(手引き17)
6.教育課程として行われる授業、学校公開、授業参観、行事を週休日に行う場合は、学校5日制の原則に基づき児童・生徒の振替休業日をその週のうちに設定するものと考えるがどうか。 「『土曜授業』は、土曜日を活用し、月二回を上限に教育課程に位置づけ、趣旨に則った教育活動を実施する場合である」(区回答小13)
 「『児童生徒の振替をとる土曜日の授業』を実施することは、現状とおり可能である。しかし、『土曜授業』の扱いではない。」(区回答小11)
 「週休日に学校行事等を行う場合は、学校週5日制の趣旨を踏まえ、児童・生徒についても振替えを行い、週休日の変更を行うのが原則である。」(都回答)
7.週休日の変更は、週38時間45分の原則に従い、その週の内に変更するべきと考えるがどうか。 「教員の勤務については、校長が必要に応じて各教員に勤務を命じ、適切に振替を行います」(区回答)
8.現在、あるいは過去において、標準時数を下回る時数で教育課程を行っている学校は何校ほどあるのか、明らかにされたい。 区回答においては不明
9. 週休日に教育活動を行う場合は、その教育活動が教育上不可欠であることについて教職員との協議と合意が必要であり、年度当初に計画されねばならないと考えるがどうか。 「週休日の変更は当該職員個人のみならず、家族をも含めた生活サイクルに影響を与えることになるため、職員の意向にも十分配慮し・・・」(手引き15)
10.労基法違反、都勤務条例違反にならないよう、区教育委員会及び学校長は、「勤務時間の割振り」について区教職員組合及び分会との協議と合意のもとに実施すべきものであると考えるがどうか。 「区教委としては、平成18年度に都教委と行われた交渉内容の範囲と考えている。よって、区教委として今回の事柄に関しては、関係諸団体との話し合いは行わない。」(区回答)
「『土曜授業』は各校の教育課程に位置づけられるため、各学校が関係団体との話し合いを行うことは考えられる・・・」(区回答)
11.週休日に教育活動を行う場合は、個々の教職員の合意に基づき実施すべきであり、個々の教職員の合意なしに週休日の変更はあり得ないと考えるがどうか。 「週休日の変更は当該職員個人のみならず、家族をも含めた生活サイクルに影響を与えることになるため、職員の意向にも十分配慮し・・・」(手引き15)
12.振替日に、当該教職員が勤務を必要とする状況があってはならないと考えるがどうか。
「勤務時間が割り振られていなければ、勤務を命ずることは出来ない。」(都回答)
13.土曜授業・教職員の勤務条件について問題が生じた場合は、今後も組合と協議すべきと考えるがどうか。 10に同じ
14.「区教委は『土曜授業』11回やると決定した」ことはないと認識しているがどうか。 「墨田区としては標準を示し、」(小5)
「各学校の校長はそれを受けて校内や地域の実情を把握し、教育課程に位置づけて実施することになる」(小5)
15.振替簿に教員が押印しなかった場合、学校現場にかなりの混乱が起きることは予想されるが、どうか。 不明
16.今年度「土曜授業」を開始した学校を、区教委は「先行校」として位置づけている。当然、区教委は「先行校」の実態を調査し評価を加えていることと考えるがどうか。また、各学校は公表された「先行校」の実態や評価を参考に来年度の「土曜授業」を考えることが当然と考えるがどうか。 不明
17.校長会・各校長・各学校・教職員・保護者など、墨田区の教育に関係する各単位からの質問・意見は多数出ていると考えるがどうか。また、各学校はこれらの意見・質問への回答を参考に、来年度の「土曜授業」を考えることが当然と考えるがどうか。 不明
18.小坂指導主事が教務主任会で質問をさせなかったことは、物事を論議し進める上で誤った姿勢であると考えるがどうか。 不明

週刊墨教組 No.1612     2010.11.30

 木で鼻をくくったような「回答」 
 驚天動地の「八月二五日教育委員会会議」報告
「土曜に振替のない授業をしても、学習指導要領の授業時数増加分も賄えない!」
  事態はこれほど切迫している!
  日本中の公立小中学校を戦慄させる恐るべき事態!
しかし、
 指導要領を出した文科省が学校五日制を止めないのはどうしてだ?
 三月の墨田区教育委員会会議では出されなかった・・・
 そもそも、学習指導要領が出されたときにわかっていることではないか?
学校五日制・週休二日制を破壊する「土曜授業」に反対する(6)


木で鼻をくくったような区教委「回答」
 十一月十七日付で、区教委はこれまでに小・中学校校長会や各学校から出された要望や質問に「回答」の事務連絡文書を出しました。一瞬、とうとう区教委も誠実に教職員と話し合う姿勢に変更したか?と期待しましたが、内容を見て驚きました。居直りと傲慢。なぜその質問が出されたのかを考えようとも、何とか相手の合意を得るように説明しようともしていません。「教育内容なのに教職員の質問に答えようともせず」とこれまで書いたことは残念ながら変更することはできません。

「厳密に言えば触法」の土曜労働
 今回の「回答」で、三月教育委員会会議で語られた次の点はどうなっているのでしょうか?
 「例えばある週に六日間フルに勤務した場合は、四八時間になりますよね。それは労働基準法か何かに触れないのですか。」との委員の質問に指導室長は「 厳密に言えば触れます。ただ、既に土曜補習の場合は、半日二回で一日単位にして、長期休業中に振り替えは可能だということが現に行われていますので、教員側の勤務実態からすれば、特例的にのまざるを得ないと思います。」と答えていました。
 まずここで言われているのは、「労働基準法か何かに触れ」るということです。「現に行われてい」るのは「土曜補習の場合」です。土曜補習では極めて少人数の教員が、希望を前提にして「六日間フル勤務」を受忍しています。そのような前提の下に「長期休業中に振り替え」られているのです。「教員側の勤務実態からすれば」が何を意味するのかよく分かりませんが、「特例的にのまざるを得ない」という中には、「土曜補習」と「土曜授業」は違うのだという認識がかろうじてうかがえます(ただ「のむ」「のまない」を決めるのは我々教員であって、室長が「のまざるを得ない」と言うのは越権=人権無視)。

校長会質問はまっとうである
 校長会は、区の案を「労基法に抵触」するかもしれない重要な「勤務条件の変更=労働条件の変更」ととらえています。そして、きちんと「関係諸団体と話し合う」ことを要望していました(※1)。

都合よく忘れる区教委
 しかし、区教委回答は「区教委としては、労基法に抵触しないと考えている」だけです。
 三月の「厳密に言えば(労基法に)触れます」はどこに行ってしまったのでしょう? そういうことを聞いているのです。八月「意見交換会報告」での「子育て中の教職員への支援・体制づ<りが必要である」も覚えていません。
 「勤務条件が限定的にした中で運用することで(ママ)、教員のモチベーションが下がってしまうことが考えられる」との意見に、「勤務の負担が増えると教員のモチべーションが下がるという意見を踏まえ,検討していきたい」と「教育委員会の見解」を述べていました。こちらは忘れずに、強圧的にやれば従うだろうという力の論理が「検討結果」だったようです。
 後に述べる「八月三十日教育委員会会議 報告」でも、教員の勤務条件・「教員のモチベーション」については一言も触れられていません。

無責任な区教委
 「区教委としては、平成十八年度に都教委と行われた交渉内容の範囲と考えている。よって、区教委として今回の事柄に関しては関係諸団体との話し合いは行わない」と回答しています。「前二か月・後四か月で振替ができる」ことなど誰もが知っているのです。でも、それを「土曜授業」にも適用できるのか危ぶんでいるのです。
 「『土曜授業』は各校の教育課程に位置づけられるため、各学校が関係団体との話し合いを行うことは考えられるが、」と、危険な所は各学校に押し付けます。無責任です。
 二〇一〇年一月十八日、都教委は組合に対して、「週休日に勤務を命じることは勤務条件の変更にあたり、交渉事項である。区市町村教育委員会、学校長は誠意を持って交渉に応じる必要がある」と回答しています。「話し合い」をしなければならないのは「各学校」だけではないのです。そもそも一か月かかるほどの回答ではありません。質問者に対して失礼です
 ただ、校長会が昨年度まで区教委に対して「土曜授業」を行うように要請していたこと、八校の校長が今年度「土曜授業」を行ったこと、「墨田区立学校における土曜授業に関する意見交換会」における校長意見などが、今のような事態を引き起こす契機になったとの認識を持つと同時に責任を感じていただきたい。
 なお、十一月八日に、都教組墨田支部と墨田教組連名で出した「『土曜授業』にかんする解明要求」に対しては未だ回答がありません。「関係諸団体との話し合いは行わない」がそもそも誤っていますが、「解明要求」すら無視するというのは常識に欠けた行動と言わざるを得ません。

それでも区教委は決められない
 その他、随所に論点ずらし・無責任・傲慢が散りばめられていますが、他機関に宛てて出された「回答」ですから、これ以上論じません。ただ、それでもなお、「墨田区教委として・・・標準を示した」だけなのです。「これを基に校長は、毎年の暦、学校、家庭・保護者、地域等の実情を(ママ)鑑み、教育課程の編成をされたい」とあるように、あくまで教育課程の編成は学校にあるのです。


驚動天地の「八月二五日開催 教育委員会会議 報告」※2
 ところで、八月二五日開催の教育委員会会議は、「墨田区立学校における土曜授業に関する意見交換会報告」が報告事項でした。その中で衝撃的な事実が判明しました。
 「学習指導要領での時数拡大は」「仮に月一回半日授業実施した場合は」「単純に授業時数の増加分も賄えないことになります。」
 大変なことではありませんか。区教委は「各学校の教育課程は・・・」などと悠長なことを言っていないで、直ちに月二回の土曜授業を命ずるべきです。そして全国に警鐘を鳴らすべきです。「君たち、気がつかないのか? 土曜日に月一回ぐらいやったって授業時数が足りないぞ!」と。墨田区の教育委員会会議でそっと語っていないで・・・。

壮大な計算
 その論は壮大です。
 まず、学年毎の時数など小さいことではなく、小学校・中学校での総時数で勝負します。
「学習指導要領でいうと小学校は六年間で二七八時間、中学校は一〇五時間増になります」 「イヨッ流石区教委!」と声をかけたくなります。でも、中二の子は一体来年何時間余分にやらなくちゃならないのかなあ・・・こんな計算何か意味があるのかなあ・・・と凡人はふと思ってしまいます。
 「仮に月一回半日授業実施した場合は小学校で約四十時間増、それが六年間行われるとすれば、二四〇時間程度の生み出しが可能です。その場合、学習指導要領の拡大分二七八時間には足りませんので、月一回ではボリューム的には担保できないという話になります。中学校は、午前中の授業は五十分単位なので、土曜日は三時間分しか組めませんから、月一回実施すると年間で約十回で三十時間ちょっとが確保が出来る。それが三学年なので九十時間となりますが、学習指導要領での時数拡大は一〇五時間なので」・・・立て板に水の説明!
 区教委が提示している「標準」は「来年度は十一回、再来年度以降二二回」だったのをふと思い出しました。来年小学校に入学する子は土曜日に、小学校の六年間で四四〇時間、中学校で一八〇時間「ちょっと確保でき」てしまいます。なんと壮大なことではありませんか! ただ凡人はこれを指導要領に言う「負担過重」(※3)とみなしますが。

今年は何年だ?
 文科省の新指導要領移行措置の資料によれば、小学校の場合【現行】五三六七時間と【新課程】〔平成二三年度以降〕五六四五時間との間に二七八時間の拡大があります。「壮大な計算」のようにです。ところが、その資料には、【移行措置案】〔平成二一・二二年度〕五五七六時間と書いてあります。
 今年は何年でしたっけ? 今、墨田区の各小学校は今年度、合計五三六七時間やっているのでしょうか? それとも五五七六時間やっているのでしょうか? 
 あまりにも自信に満ちた「壮大な計算」を前に、日々行っていることに対する自信がなくなってきます。二〇一〇年度と【新課程】の来年度では、小学校では一・二年が週あたり一時間増えること、中学校ではどの学年も週あたり一時間増えることだったはずです。それだけだったはずです。墨田区に働く教員として、このような「壮大な〇〇」を見ると誰もが自信をなくしてしまいます。ぜひ解き明かしていただきたいことです。

恐るべき事態
 このような説明の下に墨田区教委の提起する「土曜授業」はあるのです。私たちの勤務・労働はこのような時数計算の下にあるのです。無残としか言いようがありません。まさに驚動天地。こんな中で黙っていることはそれこそ「恐れるべき事態」です。
 おかしいことはおかしいと言いましょう。「この計算、間違ってません?」と言うと何か不利益を受けるとしたら、それは自由のない社会です。権力を持つ者が行えばパワーハラスメントです。王様は裸で、「土曜授業」は必要ないのです。

 「十二月十五日 土曜授業は本当に必要か・・・撤回を求める全教職員集会」にご参加ください。

※1
「勤務条件が変わり、労基法に抵触すると教育委員会が発言する中、『校長だけに対応させる』のは、各校の足並みがそろわない。教育委員会が労基法について提案、また関係諸団体との話し合いをし、実施に向けての環境作りを願いたい。」(小学校校長会十月八日)

「土曜日の勤務に関してこれまでと勤務条件が変わり、労基法に抵触することもあるため、基本的なことに関しては各校の校長ではなく、教育委員会からの提示として関係諸団体と話し合いを行い、合意の中で実施できる環境作りをお願いしたい。」(中学校校長会十月二十日)


※2 平成22年8月25日開催教育委員会会議記録より

(前略)○指導室長 まず月1回程度の根拠でございますが、学校関係者、特に中学校の副校長それから校長の代表者の意見として、例えば徳に関わる教育にウエイトを置いた教育活動であるとか、地域や保護者の方々を巻き込んだ活動展開を考えた時に、いわゆる通常の学級で行われる教科の学習のような授業を土曜日の午前中に並べればいいということにはならないと思います。従前の月曜から金曜で行っていたものを土曜日に持っていったり、あるいは新たにそういったものを組み込んだ学校教育の在り方を組み立てるとすると、平成23年度については毎月1回位は土曜日にどんなメニューを並べて教育活動を展開すればいいのかといったことの整理をすれば、月1回位がやりやすいだろうという意見がありました。
  教育長がお尋ねの、月1回程度であるならば、拡大する教育活動のボリュームがクリアーになるといった趣旨の発言はありませんでした。どの程度土曜に教育活動を設定し、全体的にボリュームアップすれば事足りるのかという切り口の議論もありませんでしたが、学習指導要領でいうと小学校は6年間で278時間、中学校は105時間増になります。仮に月1回半日授業実施した場合は小学校で約40時間増、それが6年間行われるとすれば、240時間程度の生み出しが可能です。その場合、学習指導要領の拡大分278時間には足りませんので、月1回ではボリューム的には担保できないという話になります。中学校は、午前中の授業は50分単位なので、土曜日は3時間分しか組めませんから、月1回実施すると年間で約10回で30時間ちょっとが確保が出来る。それが3学年なので90時間となりますが、学習指導要領での時数拡大は105時間なので、単純に授業時数の増加分も賄えないことになります。まして、徳に関わる部分のボリュームを増やすことは、月1回程度ではおそらくカバーしきれないのではという計算上の見込みはあります。 (中略)
  あまり時間的な猶予はないと考えております。近々にまた別の機会に私どもの考え方をご説明させていただき、各委員の皆様方からのご意見を頂戴した上で、校長会あるいは関係団体への調整に入っていきたいと思っております。
○委員長 まだ今日お聞きした段階なので、はっきりしない点もあるんですが、全体の流れとしては新学習指導要領で年間授業時間が拡大したということが根底にありますよね。だからどうしても時間数を増やさなければいけないわけです。そうすると月曜から金曜まではフルにやらなければならない、たぶんそれでも足りないと思います。足りないときに土曜日に食い込む、その食い込み方が一方ではゆとり教育の余波があって、楽しんでいる時間がある。そこをどう調整するかが基本線ではないかと考えています。
  だから、その辺を指導室の方でうまくまとめていただきたい。そういう案がないと地元にもこちらが何を考えているのか示せなくなってしまうと思うんですね。特に地元の方にはせっかく自分たちが土曜補習教室や放課後学習クラブを手伝ってあげているのに、「いったい何だ」と思わせるような誤解を生まないようにやっていただきたいと思います。他に何かありますか。
○委員 前にもちょっと伺いましたが、土曜日の午後にも授業をやるというのは、例えば次年度であれば何回位の実施を想定しているんですか。
○指導室長 別途の機会でまた詳しい私どもの見解をお示しできることもあるかと思いますが、土曜日に教育活動を実施するときに、毎回の土曜日に午後を含めてということは基本的にありません。ただ、今までも例えば土曜に学校公開を行って午後に教育活動をやり、月曜日に振替を取るということをやってましたので、例えば学芸会で、あるいは学校公開で1日やるということはあると思います。ただ、大半の実施回数においては、半日が妥当なのではないかという考えはあります。
○委員長 それではこれに基づいて案を作成していただき、ここで議論したいと思います。     (改行・下線は引用者)


※3 新学習指導要領総則2  年間の授業週数(第1章第3の1)授業は, 年間35週(第1学年については34週) 以上にわたって行うよう計画し,週当たりの授業時数が児童の負担過重にならないようにするものとする。




補遺
 この情報は
「http://www.city.sumida.lg.jp/kyouiku/kaigiroku/kaigiroku22-2.files/kaigiroku22.8.25.pdf」
というインターネット上のページからとっています。
 「ICT化」に「導入当初は批判的だった教員が,実際に触れることで便利さを実感してきている」(意見交換会報告)というこれもまったくの嘘ですし、「土曜授業という新しい施策に対する理解も,徐々に得られていく」(なし崩しにやられてたまるか!)と考えるのはこの方だけです。が、「ICT化」社会にいる私たちは、怪しげなページがたくさんあり、「成りすまし」のページがあるのも知っています。願わくは、ここに引用した資料がそのような「ニセ墨田区教委」のページでありますように。あるいは、議事録の要約ですから、発言者の真意が充分に伝わらないのかもしれませんし、私たちの読解力不足かもしれません。その場合には、発言者と目された方には深く陳謝いたします。
読まれた方はぜひご意見を。



熱と光≠キみだフェスタ2010

12月10日(金)午後6時半より

       墨田区社会福祉会館3階
墨田区東墨田2―7―1
T構成劇「差別をなくすためにがんばってるのが部落だよ」
〜吾嬬二中差別糾弾闘争の記録〜
「部落って何か知ってて言ってるの、差別をなくすために頑張っているのが部落なんだよ!」「綿すぃは木下川のにおいが好きだよ」−子どもたちの言葉に、青年たち・大人たちも立ち上がる。20年前に墨田で起こった吾嬬二中差別事件と闘いを、解放共闘の仲間が総力で演じます!
U講演 石川早智子さん 〜私の歩んできた道〜
 石川さんとともに再審を訴え全国を忙しくまわっている早智子さん
 徳島の田舎のことや、日常など、ざっくばらんにお話をしていただきます。
私たちは、あらゆる差別の撤廃を願う市民の交流の広場として、’97年より毎年、“熱と光”すみだフェスタを開催してきました。
「人の世に熱あれ、人間に光あれ」の願いを込めて、今年も多くのみなさんの参加をお待ちしております。
主催:部落解放墨田区民共闘会議
連絡先 361 4-1903 部落解放同盟墨田支部
3622-31 41 墨田区教職員組合



卒業証書
 保護者からの申し出があれば西暦年号記載
ー卒業生の全保護者へ周知ー

 卒業証書の生年月日や発行年月日の年号記載にあたり、「元号」で表記するか、「西暦」で表記するかに関し、墨田区・墨田区教委の基本的な方針は、次の四点です。
1.元号使用が原則
2.保護者からの申し出があれば西暦記載が可能
3.外国籍の子どもについては、生年月日、発行年月日、氏名の表記について確認し、保護者からの希望があれば、その意志を尊重する。
4.このことについて、卒業生の全保護者に周知する。

 この方針は、思想信条の自由等の人権を尊重する立場、さまざまな価値観や文化を有する多様な人々と共生する墨田を築くという立場に基づいて明らかにされたものです。

人権尊重や国際理解は、
具体的な実践が大切
 多くの小・中学校では、従来から各校ごとにお知らせや保護者会などで、当該児童・生徒や保護者に「西暦記載も可能である」ことを知らせてきました。
 区教委は、定例校長会で「卒業証書の元号使用について」墨田区・区教委の基本的な考え(上記四点)を例年明らかにしています
 人権尊重や国際理解教育は、具体的な実践こそが大切です。昨年度、保護者への周知がなされたか、疑わしい学校があります。「保護者への周知」がすべての学校でなされ、児童・生徒、保護者の意志が尊重されるとりくみを強めていきましょう。



2011年
子どもの権利条約カレンダー

 月毎に世界各国の子どもの写真
 墨田教組名入り  電話・ファックス番号入り
分会に1部ずつお届けします。
分会で活用してください。
なお、ご希望の方には一部1000円でお分けします。


週刊墨教組 No.1611 2010.11.22


勤務条件は、労働条件
  まず労働組合(分会)と交渉しなければならない
 来年度行事予定など、
   年度末反省もないまま作れるものではない
学校五日制・週休二日制を破壊する「土曜授業」に反対する(5)


校長は「提案」したか?
 区教委が九月十七日付け事務連絡文書「墨田区における幼稚園・学校の『土曜授業』について」(案)」しか、「土曜授業」について文書を出していない今の段階では、「「土曜授業」は区教委が決めた」と校長が言うことはできません。もしそのようなことを言っているとしたらそれは勘違いか嘘です。どちらにせよ区教委に確かめるよう校長に要求すべきです(校長がサボろうとすれば我々教職員がやればいいことです)。
 校長は「ブロック(校長会)で〜することになった」という言い方もします(さすがに「ブロック校長会で決まった」などと言う校長はいないようです)。校長会にもブロック校長会にも各学校の教育課程を決める権限はありません。そもそも、区教委が召集する以外の「自主」校長会が法的に認められるのかどうかも危ういものです。
 校長が「土曜授業」をやりたければ、校長が「土曜授業」の必要性・必然性・勤務に関する法的問題への対応・・・などをきちんと提案しなくてはなりません。
 一方で教育内容として教職員と論議し、もう一方で、勤務条件は労働条件ですから、労働組合(分会)と交渉しなくてはなりません。
 「提案」には理由が必要です。上に述べたように、「区教委が・・・」・「校長会では・・・」は「理由」たりえません。校長は「学校の責任者」として「各教職員に周知する」ことをきちんとしなくてはなりません。

「官僚」は文書主義
 このような重要な事項の場合(本来は全てか?)、全ての物事は「文書」で動くことになります。口頭には曖昧さや聞き間違い・解釈の違いがつきものだからです。「言ったー言わない」の水掛け論になってしまうおそれがあります。
 区教委の考えも、文書ではかるべきです。だから冒頭に述べたように単なる「(案)」「区教委は・・・と考えている」という「つぶやき」だけなのです。聞こえてくる噂などに惑わされてはなりません。文書にのらないものは全て誤まりの可能性を含むものです。「区教委がこう言っている」という場合には文書を要求しましょう。

いじましいやり口
 「「土曜授業」を入れた二〇一一年度行事予定を出させたからもう決められたとホッとしている校長がいるんですよね。」「ナ〜ニ〜?!」 実際いるのです。順序が逆です。「提案」も「論議」も「決定」もないところでどれだけ「土曜授業」を暦に書いても「土曜授業」は実現しません。

教育活動には教職員の合意が必須
 校長は今、教育委員会から大きな権限を付与されています。「各学校で決めろ」と。区教委は、今年度、区教委の制止を振り切って「土曜授業」を突出して実施した「先行校」の校長に対して、その「自主性」に大いなる敬意を抱いているのかもしれません(私たちには「軽挙妄動」としか見えませんが)。今、それと同じ行動を校長たちに求めているのかもしれません。
 学校は校長の意のままになるものではありません。子どもがいて地域があって教職員がいます。教職員の合意と協力を得ないまま強行した「土曜授業」がどのようなものになるか、恐れるべきです。「個人学習プロフィール」に対する教職員の軽蔑と軽視・「情熱のない教育活動」によるアパシー拡大・・・の比ではないでしょう。

「やらない」選択を
 「二〇一一年度、本校は『土曜授業』はやらない」 これも校長のふるいうる権限の一つです。「既に十分足りているけれども時数確保のため」「『心の教育』は土曜日にまとめて平日は止めておこう」「弁当作って家庭の食育」・・・校長自身も含めて教育現場は、これらを実に馬鹿馬鹿しいことだと認識しています。
 「邪路」に迷いこまないように、「逆立ちして歩かない」ように、区教委はかつて見事な文書を出しています(資料1)。遵守するとともに「学校」を「区の教育」、「校長」を「区教委」と置き換えた文書も作る必要があります。

資料1

  墨田区立学校の管理運営規則の改正について(墨田区教委見解)
1998.10.13

・・・ 学校におけるさまざまな課題に対応していくためには、校長のリーダーシップを中心として一致協力して事に当たることが必要である。
 学校運営をして行く上で、全く職員の意見を聞かず、合意も得られないでやるのでは、うまくいかない。円滑な学校運営を進めていく上で、合意形成は重要である。
 権限行使、一方的指示命令が、すなわちリーダーシップではない。合意をつくる上でのリーダーシップが重要である。独断専行・権限の振り回しは、教育の場として望ましくない。これらをリーダーシップと勘違いする校長がいれば、十分指導していく。
 
職員会議 
・合意形成をつくる場として職員会議はあり、学校運営上、重要な役割・機能を持っている。
・職員会議は、学校運営の責任者としての校長がその職務を全うするための機能も持っている。したがって、校長の専横によってないがしろにされることがないよう指導していく。




二〇一〇、賃金闘争 確定する
 六年連続の賃金引き下げ
 勤勉手当の成績率適用、主幹教諭への拡大を阻止



 二〇一〇賃金確定闘争は、民主党政権が「人事院勧告以上の引き下げ」の余韻を引きずった中、厳しい闘いになりました。
 「労働条件は労使合意で自主解決」の立場を双方が尊重する中、十一月十二日午前二時十五分に都労連は、実力行使を中止することを決定しました。
 私たちにとっては、勤勉手当の成績率適用・主幹教諭への拡大を阻止したとは言え、教員給与の大幅な引き下げには、基本的に反撃することはできませんでした。旧自公政権の「総人件費削減」に追随した、大幅賃金引下げを許してしまったという今秋闘は、極めて不満なものです。

賃金の大幅引き下げ
 都人勧は旧自公政権の「総人件費削減」に追随したものであり、それをほぼ「完全」に実施させてしまいました。給与の公民較差(〇・二九%=一二三五円) 是正のため、給料表を引き下げ、給料月額を平均一・二%引き下げと なりました。
特別給引き下げ
 特別給は〇・二月引き下げ、三・九五月とされました(再任用は二・一月、〇・一月引き下げ)。さらに来年度六月期から、勤勉手当の割合を国と同程度まで引き上げることが強行されました。期末手当二・九五月が二・六月(再任用では一・五五月→一・四五月)に縮減されその分勤勉手当に回されます。とどまるところを知らない成績主義の強化です。

教員の給与制度の改悪
 二〇一一年一月実施の当初提案を二〇一一年四月実施に押しもどしたことは評価できます。しかし、教員の給与制度の改悪は実施されてしまいました。東京都 は国庫負担金が縮減されたことを理由に、義務教育等教員特別手当と「給料の調 整額」を引き下げました。義務教育等教員特別手当は、「学校教育の水準維持向上のための義務教育諸学校の教育職員の人材確保に関する特別措置法一九七四 年」によっていますが、二〇〇八年度三・八%だった義務教育等教員特別手当は段階的に引き下げられ、今年度は一・五%に引き下げられました。
 「特別支援学校に勤務する教育職員」・「特別支援学級の授業を担任する教育職員」等に支給(「教育公務員特例法」)されている「給料の調整額」が、国庫 負担金が給料月額の四・五%程度から三・七五%に縮減されるのを理由に引き下げられました。「給料の調整額」は「手当て」ではなく、「給料の月額」に算入される=特別手当て(ボーナス)、退職金の基礎ともなるので、大きな収入減になります。
   
労働条件改善を求めて
 以上、今秋闘は極めて不満な結果に終わりました。
 勤勉手当の成績率適用は急に提案されたものです。主幹教諭への拡大は阻止しましたが、県費負担小中学校事務職員等への拡大は押しきられてしまいました。成績率の原資のうち、勤勉手当の支給月数分について〇・〇二月を〇・〇六月にするという当初提案を〇・〇四月にやや押しもどしたといえますが、「次の拡大」の第一歩を許してしまいました。
 仲間内の金を奪い会わせることによって教育現場を「活性化」させようという考えは明らかに誤りです。それが教育に益す・労働に益すと教育現場の誰一人として信じていません。協力と共働なくして教育(労働)は成り立たないのだということが理解できない考えです。
 このままいけば、賃金はいよいよ削られ、フラット化し競争的差別賃金体系を強めていくでしょう。さらに、労働条件の改悪が目差されています。私たちははっきりと否の声をあげなくてはなりません。
 賃金も労働条件も、与えられるものではありません。働く者が闘いとってこそ守られ、改善されていくのです。

賃金関係
1.給料月額を平均1.2%(0〜1.5% 平均1235円)引き下げ。
 昇給カーブのフラット化、初任給付近0.0%〜高齢層1.5%引き下げ
 若年層・管理職層の引き下げを緩和
2.特別給
 特別給は0.2月引き下げ、3.95月(期末手当2.95月)
 支給月数4月を割り込むのは49年ぶり
 来年度から、期末手当2.6月・勤勉手当て1.35月に改悪
3.所要の調整を12月期の期末手当において行う。
4.教員の給与制度の改悪 2011年4月実施に押しもどす
 (1)義務教育等教員特別手当 2.2%から1.5%に引き下げ
 (2)「給料の調整額」 4.5%程度から3・75%程度に引下げ
5.勤勉手当の成績率適用、主幹教諭への拡大は阻止
 県費負担小中学校事務職員等(係長級)への拡大0.02月→0.04月
労働条件関係
1.僻地手当て等の見直し
 ・三宅島内公署に係る特地勤務手当て支給割合引き上げ(19%→23%)
 2011.4.1から適用
 ・三宅島にかかるへき地手当支給割合引き上げ(19%→23%) 
福祉関連 
1.再雇用職員について「子どもの看護休暇の日数拡大」  
 再雇用職員及び15日勤務の専務的非常勤職員・・・年6日
 月11日〜14日勤務の専務的非常勤職員・・・年4日
 9歳までの子が複数いる場合の付与日数を年6日に拡大
2.再雇用職員について「短期の介護休暇新設」 2010年7月1日実施
  再雇用職員及び15日勤務の専務的非常勤職員・・・年3日
  月11日〜14日勤務の専務的非常勤職員・・・年2日
    要介護者が複数の場合は年4日
     2011年4月1日以降の更新について適用
その他
 「人事制度検討会(仮称)」の設置
 メーデー職免廃止メンタルヘルス対策・パワーハラスメント対応
2011年6月期の支給分から
勤勉手当の割合を 国と同程度までに引き上げ改悪

            期末手当  勤勉手当て
年間支給月数   2.6月    1.35月
  6月期       1.225月 0.675月
 12月期      1.375月  0.675月

再任用職員     期末手当   勤勉手当て
年間支給月数   1.45月   0.65月
  6月期      0.65月   0.325月
 12月期      0.8月    0.325月








週刊墨教組 No.1610      2010.11.12

都労連、労使合意で自主解決を重視
 
不満! 二年連続の賃金引き下げ
例月給・特別給 人事委員会勧告通り 切り下げ
例月給 〇〜一・五%(平均一二三五円一・二%)引き下げ
  特別給 年間支給月数 〇・二月分引下げ →三・九五月
  義務教育等教員特別手当 二・二%→一・五%に引き下げ
給料の調整額 四・五%程度→三・七五%程度に引き下げ
実施時期を三か月押しもどす 一月実施提案→四月より実施
勤勉手当の成績率適用を主幹教諭に拡大せず 対象除外

十一・十二統一行動は  中止

 
   二〇一〇賃金確定闘争は、旧自公政権の「財政再建方針=総人件費削減方針」に基づく地方公務員賃金引下げ圧力が続く中で、厳しい闘いとなりました。十一・十二日の交渉では、都当局が頑なに自らの主張に固執し、解決に向かうには困難を極めました。しかし、「労働条件は労使合意で自主解決」の立場を双方が尊重する中、内容的には極めて不満な部分を残しつつも、双方の歩みよりにより、自主解決を図るとして、十二日午前二時十五分に都労連は、実力行使を中止することを決定しました。
 これを受け、東京教組は、都労連との統一行動を前提にしていることから、四時十八分、本日早朝の実力行使を中止しました。
 今賃金闘争は、「総人件費削減」路線に基づく更なる賃金の引き下げとの闘いでした。
 都人事委員会は、
@例月給 〇〜一・五%(平均一二三五円一・二%)引き下げ、特別給 年間支給月数 〇・二月分引下げ →三・九五月
を勧告しました。さらに、都は
A義務教育等教員特別手当・「給与の調整額」の大幅引き下げ
B勤勉手当の成績率適用を主幹教諭に拡大(〇・〇二月→〇・〇六月)
と、教員給与の大幅引き下げ、労働条件改悪を提案してきました。これに対し、組合は、給与構造のあり方は、給与水準や人事給与制度の基本となるものであり、労使協議事項として位置付け、労使合意で整理・解決することを主張し、交渉を強化してきました。

賃金と労働条件は、労働者の闘いが決める
 今回交渉で押し戻した点は、
A教員給与制度の見直しの実施時期を、当初提案の一月から四月に延期させた点(これにより、今年度退職者には影響は出ません) 
B勤勉手当の成績率適用を主幹教諭に拡大させなかった(従来通り〇・〇二月)こと 
C福祉関連要求で、再雇用職員及び専務的非常勤職員の子どもの看護休暇見直し・短期の介護休暇新設 
D島しょ公署・都外公署へ異動する職員に対する異動保障措置・三宅島にかかるへき地手当支給割合引き上げ(十九%→二三%)
です。
 残念ながら、最大の課題である賃金引き下げは、撤回させることはできませんでした。率直に、闘う力が弱いのだということを認めざるをえません。
 昨年度から導入された主任職制度は、主幹制度の破産を取り繕うためと、職階制を導入して上意下達の物言わぬ職場をつくることを目的としています。賃金引下げを梃子に、働くということを、ポストの上昇と高い賃金の獲得に矮小化させようとしています。しかし、文科省調査で明らかなように管理職・主幹からぼろぼろと「希望降格」が出ていることはこの制度の破綻を物語っています。それだからこそ職場を分断していく攻撃が一層強くなるでしょう。これに屈すること、また、「土曜授業」のような理不尽な事に対しても「物言わぬ教職員」であり続けることは、学校教育の破壊を意味します。
 共に抗し、闘っていきましょう。
(詳細次号)

第3回分会長会
11月19日(金)
 5時半より
 組合会議室で

週刊墨教組 No.1609 2010.11.8


 二〇一〇年 秋季賃金確定闘争勝利!
墨田教組・東京教組は
 十一月十二日(金) 早朝二十九分行動 を配置して闘う!
月例給・特別給 人事委員会勧告通り 切り下げ
義務教育等教員特別手当 二・二%→一・五%に引き下げ
給料の調整額 四.五%程度→三.七五%程度に引き下げ
勤勉手当の成績率導入 小中学校事務職員等と主幹教諭に対象拡大を提案
 公務員給与削減方針に基づく提案を撤回せよ!!


不当な提案
 十月二二日、東京都教育委員会は国による「国庫負担金の縮減」を理由として、「教員の給与制度の改正について(案)」を提示し、義務教育等教員特別手当と給料の調整額の引き下げを提案しました。
 この義務教育等教員特別手当と給料の調整額の引き下げは、「痛みをともなう改革」を声高に叫んだ小泉内閣による「〇六骨太の方針」に基づき、政府内合意された「教員給与の二・七六%削減」方針の決定を受けて行われているものです。
 この方針により文科省は、〇八年に義務教育等教員特別手当を本給の三・八%→三・〇%に引き下げ、〇九年にも三・〇%→二・二%に削減しました。今年度については、昨年の民主党による政権交代を受けて、文科省はマイナス要求をしませんでしたが、財務省の猛烈な横やりによって国庫負担金が二・二%→一・五%に縮減されたことによって都教委より「引き下げ」提案されたものです。
 特別支援学級等の教員に支給されている「給与の調整額」についても、国庫負担金が四・五%程度→三・七五%程度に縮減されることを理由に、削減する提案となっています。

これ以上の給与の削減は許されない
 しかし、国庫負担金が縮減されたからといって、そのまま私たち教員の給与を減らす必要はどこにもありません。都の現在の財政基盤からすれば、その縮減分を独自に負担することは充分に出来るはずですし、むしろ都教委は教員の人材と処遇の確保の観点から、これ以上の国庫負担金の縮減は行わないこと、さらに国庫負担金の確保・増額を文科省をはじめ政府関係機関に対して働きかけるべきと考えます。東京教組は、十一月一日に都教委との交渉を行い、断固として撤回を要求しました。

成績率導入範囲の拡大断固反対
 十月十九日には都労連に対して『一般職員に係る勤勉手当の成績率の見直しについて(案)』が提案され、小中学校事務職員等と主幹教諭にも対象を拡大し、拠出原資についても〇・〇二月を〇・〇六月とする提案もされています。
 ボーナスは給料そのものです。そこにさらに成績主義を拡大適用しようというのは生活に対する侵害です。競争主義の加速化をうみ、職場の協働は今以上に破壊されます。「対象の拡大」は来年度以降、さらなる「対象の拡大」を引き起こすでしょう。
 「校長ー副校長ー主幹ー主任ーヒラー非正規教職員」という職階制=ピラミッド構造は上意下達のためのものですから、競争主義の悪制度も下達しやすいのです。職階への分断は抵抗力をそいでいます。だからこそ、徹底的に反対していかなくてはなりません。

劣悪な環境・勤務条件
 都教委による調査でも、〇八年度の教職員の休職者は七八八人。うち、精神系疾患で休職した人は六八・五%にあたる五四〇人に上っています。〇三年度の調査に比べて、人数も割合も急増しています。休職者率も〇・九四%となっています。百人に一人が休職という職場は尋常な状態ではありません。
 都の教員新採用状況も非常に厳しい状況です。バスツアーを組んで地方の希望者を募り何回もテストをあちこちで行い、メディアにさらされからかわれる率はうなぎ上りですが、受験倍率は上がらないままです。かつて、都の教員志望がダントツの高さだったなんて、まるで嘘のようです。しかし、それを支えていたのが、相対的に高い給与・恵まれた労働条件・そして強くない管理(鍋蓋型組織)のためだったと思い起こすならば、都の教員になりたい人がこれほど少ないのは当然のことと言わざるを得ません。賃金のフラット化を今年度はしなくてもいいほどに進め、労働基本法・都条例を公然と無視して土曜授業を強引に画策し、「日の丸・君が代」強制をはじめとした思想信条の自由を認めない。こんな東京都の教員になりたいと思う人が少なくなるのは当然のことではありませんか。

闘わなければ どんどん悪くなる
 組合は十一月十二日を山場に、「労使交渉による決定」を基本に、都で働く多くの仲間と共に秋闘勝利に向けて闘う体制を確立し、都当局と交渉を強化していきます。例月給・ボーナスの大幅切り下げ反対、人事考課制度の抜本的改善、高齢者雇用制度改善等の要求実現に向けて、共に闘いましょう。闘わなければ、さらなる改悪が強行されることになります。



2010年10月15日
文部科学大臣 高木 義明  様
教育者養成大学に対する現職教員の意向についての学術調査研究プロジェクト
   代表 渡辺雅之(東京学芸大学教授) 副代表 池田賢市(中央大学教授)
   副代表 広瀬義徳(関西大学准教授) 事務局 大森直樹(東京学芸大学准教授)

教育の質を下げないため不可欠の法改正についての要望書

 教員養成に携わる大学教員が自主的に組織した本プロジェクトでは、教職員・保護者・子ども・市民が多大な関心を寄せている標記の内容について、学術講演会とシンポジウムの企画と実施を重ね(2008年7月より6回)、雑誌『現代思想』誌上で提言を公表し(2010年4月号)、民主党マニフェストに対する要望を玄葉光一郎民主党政調会長に届けてきました(2010年6月15日)。以上をふまえ、このほど改めて以下の要望を取り纏めたので賛同者の名前を添えてお届けします。

1.非常勤教職員の拡大を止める
 教育の質を向上させるためには、教育現場が直面している困難を取り除く必要があります。速やかに解決すべき課題が2つあります。1つは、2001年の法改正等を経て、学校に多数配置されるようになった非常勤教職員を正規雇用に復元することです。戦後の長い期間、政府と教育現場は双方の努力により、公立諸学校を正規雇用の教職員によって運営してきました。そのシステムが前政権下で壊される中で、教職員の多忙化と疲弊が生み出され、社会問題化してきました。

2.教員免許更新制を廃止する
 もう1つは、前政権下で拙速に導入された教員免許更新制を廃止することです。この制度では、教員が10年に1度大学で30時間の講習を受けて試験に合格しないと免許が失効します。2009年度に実施され、管理職等を除くすべての教員が「10年間任期の非正規雇用教員」となりました(市川昭午国立政策研究所名誉所員の指摘)。費用は教員の自己負担。手続きの完遂も自己責任。錯誤や遅滞があれば失職です。同制度が教員に与える物心両面の重圧は大きく、教職員の多忙化と疲弊に拍車がかかり、50代のベテラン教員を中心に人材の流出も始まっています。同制度の廃止が急務です。必要な措置は3つあります。
1)継続方針の撤回
 第1は、政府による継続方針の撤回と廃止方針の表明です。2009年10月21日以降、政府は、未定の新制度への移行を前提として、教員免許更新制を継続実施する方針を重ねて示してきました。未定の新制度の中心には、まだ人々の合意が得られていない「専門免許制度の導入」が据えられています。そうしたやり方は、受講者(教員)、免許管理者(県教委)、開設者(大学)に混乱を招き、「錯誤による免許状失効者が生じるなどさまざまな問題が発生する」おそれを招いています(全国都道府県教育委員長協議会と全国都道府県教育長協議会の要望書2009年12月3日)。2010年3月卒業生には、すでに期限付免許の発行が行われ、教育現場における被害が拡がっています。
2)廃止法案の策定
 第2は、政府または議員による廃止法案の提出と可決です。現行制度の導入は、教育職員免許法の改正により行われました。同法を改正前の内容に復元するため、シンプルな廃止法案を成立させることが急務です。未定の新制度(新法案)への移行を目指すべきではありません。
3)不利益の回復
 第3は、政府による謝罪と不利益の回復です。政府は、前政権下の教育政策が誤りだったことを認めて関係者に謝罪を行うことにより、教育現場からの信頼を回復し、共に協力して教育の質の向上を図ることができます。すでに授与された期限付免許について、無期限とする措置を早急に講じることも必要です。

 上記以外にも、前政権下では、教育現場の困難を増大させる無駄な教育施策が実施されてきました。教員免許更新制に伴い、2010年度に導入された教職実践演習もその一つです。無駄な教育施策をリストアップし、その廃止を促すためにも、まず以上の措置が欠かせません。政権交代が、従前の教育施策の問題点を浮き彫りにしてきました。この機を逃すことなく、早急に上記の措置を講じられるようここに要望する次第です。 
 



週刊墨教組 No.1608          2010.11.2

区教委は「邪路」から引き返せ!
労働基準法を踏みにじる「週四八時間労働」の強制
    かたくなな態度は弱さの表れ
  開かれた公正な論議を開始せよ!
学校五日制・週休二日制を破壊する「土曜授業」に反対する(4)


「質問は受け付けない」
 十月二八日(先週木曜日)の教務主任会における区教委指導主事による「土曜授業」に関する「説明」は、何ら新味もなく、その場での質問を一切受け付けないという驚くべきものでした。高圧的というより無責任な対応です。多くの参加者が怒りと嘲りの感情を持ったようですが、「いたしかたない」ことでもあります。なぜなら、彼らは質問されても何も答えられないからです。
 私たちはこれまで、この新聞紙上で、「週四十時間労働を破壊する都勤務条例・労基法違反」「学校週五日制を崩す教育破壊」「土曜授業の必然性必要性の説明がないこと」について意見を開陳してきました。にもかかわらず区教委はまったく答えようともしません。明らかに、「労働条件であるのに組合との交渉をしようとしない労基法違反」です。

質問には答えられない
 今回の教務主任会での事態も、これと同じ対応です。「答えようとしない」=「答えられない」のです。労働条件については主要に組合が対応するのと同様、教育内容・勤務内容については学校に働く教職員への十分な説明と同意がなくてはなしうるものではありません。現場がそっぽを向けばできることではありません(私たちは「個人学習プロフィール」という惨めな例を持っています)。にもかかわらず、質問すらさせないのです。教育委員会には、教育の論理に立って事を行おうという姿勢がありません。その強圧な態度にもかかわらず、何とか教職員を説得して自己の責任において「土曜授業」を実現しようという意志も、「土曜授業」が必要だという切実感=リアリティーもうかがうことはできません。高札を立てて人々が物言わぬように張り番をしている「時代劇」の一シーンを彷彿とさせます。
 どんなに不誠実で無様な非道・理不尽を行おうと、「各学校が自発的に土曜授業を十一回行う」という筋書きを実現するための、止むに止まれぬ、苦し紛れの区教委の行いなのです。

労働と教育の論議を
 「いたしかたない」「こまったこと」では済まされません。私たちは、区教委のように労働と教育に無責任であってはなりません。本来そこに責任を持つべき区教委がこの様ですから、私たちは通常以上の努力をしなくてはなりません。「私たち」の範囲は広がっています。私たちは屈してはなりません。高札と張り番の前でうろたえる、「時代劇」の一登場人物になってはなりません。
 すでに、校長会・各校校長・その他さまざまな単位からの質問・意見が区教委に提出されています。これからもたくさん出されるでしょうし、回路が校長からだけならば、校長に学校の意見を分かりやすく出させるべきです。区教委は本来の責務を自覚し、邪路から引き返し、これら各単位の意見を開示し、それに回答し、すべての関係者での論議を開始すべきです。区教委が無責任であり続けるならば、「私たち」がそれを行わざるをえません。
 墨田区教職員組合は、そのために本紙を提供します。心あるみなさんのご意見をお待ちしています。

組合に寄せられた意見より

 あの態度は、どう考えても後ろ暗いことをしている人の態度だった。 ※ 誰のことだろう???
 学校公開があり、机上に置かれていた休日の振替簿にいつものように押印した。しかし、すんなりとはんこうを押すのも今回が最後かもしれない。押すことを拒否したどうなるのだろう。かなりの混乱がおこるだろう。 ※1 ※1 押印 
 押印(捺印)は契約等に際して意思表示のあらわれとみなされる。例えば、契約書等に記名(自筆、代筆、印刷等を問わない)し押印する事は、その契約を締結した意思表明とみなされる。
 併せて印章の使用は認証の手段として用いられる。特定の印章を所有するのは当人だけであり、他の人が同じ印影を顕出する事は出来ない、という前提に立っている。それゆえに、文書に押された印影を実印の印影や銀行に登録した印影と照合して、間違いなく当人の意思を表すものかどうかを確認する。(ウイキペディアより)
 ・・・押印を求められるということは、押す押さないを判断するのは印を持っている者(つまり一人ひとりの「私」)だということだ。
 私たちの学校では、早い段階に校長が「区教委で決まったことだ」と言って、「土曜授業」することを決め、学校だよりで発表してしまった。取り戻せないのだろうか。※2 ※2 詐欺 
 他人を欺罔(ぎもう:人をあざむき、だますこと)をして錯誤に陥れること。詐欺による意思表示は、その意思の形成過程に瑕疵があるため取り消し得るものとされる(民法第96条)。
 他人を欺罔し錯誤に陥れさせ、財物を交付させるか、または、財産上不法の利益を得ることによって成立する犯罪 (刑法246条)。10年以下の懲役に処せられる。(ウイキペディアより)
 ・・・「詐欺」とまでは言わないが、限りなく詐欺に近いことは間違いない。「発表」は「クーリング・オフ」の対象だろう。





紹介 生活綴方の理論と実践を深める
第4回 国分一太郎「教育」と「文学」研究会・学習会のご案内

     
主催・国分一太郎「教育」と「文学」研究会会長 田中定幸
     共催・綴方理論研究会代表 乙部武志

いかがお過ごしでしょうか。公私ともにお忙しい日々を送られていることと存じます。上記のように今年も学習会を計画しました。第4回目になります。日時・場所と内容は下記のようになります。3回目に増して、裾野を広げ、1名でも多くの方に参加してくださるようにお願いします。
国分一太郎のふるさと山形県東根市で、第6回の国分一太郎「教育」と「文学」研究会(7/24~25)を2日間開いてきました。地元の人々の応援をいただき、100名を超す人々が、県内外から集まりました。来年は、国分一太郎生誕100年記念の研究会(7/23~24)を開催する予定です。
 今年、滋賀県で日本作文の会全国大会が行われました。来年は、東京で第60回の全国大会(7/29~31)が開催されます。今年の夏に、東京作文協議会主催の東京大会が行われました。100名を超す人が集まりました。若い人が、増えてきているという感じです。生前、国分一太郎は、誰にでもできる、「文章表現指導」の理論と実践を大切にしておりました。若い人が、職場に増えてきている今だからこそ、この研究会を充実させたいと考え、今年も企画しました。   
             
1.日時  2010年11月27日(土)
  9時30分から4時30分(受付開始9時〜)
2.場所 豊島区立池袋小学校
池袋西口(東武デパート側)より徒歩10分  豊島区池袋4−23−8
3.内容
午前・実践報告 『いちにのさぁん』の子ども達とともに
     田中 安子(元横須賀市立小教諭・横須賀作文の会)
 笑いあり、涙あり、けんかあり…個性あふれる2年生の教室からはじけ、あふれた詩や日記を紹介し、心を寄せ合いともに育っていった1年間を報告 
午後・研究報告  「書くことを通して自分をつくる」
〜班リレー日記に見る子どもの変容〜
貝田久(上青木小教諭)
午後・特別報告   明日を紡ぐ若者たち2010
   〜教え子たちの「高校時代の作文、そして今」
       安孫子 哲郎 (山形県立山形工業高校教諭)

4.会費 1000円(資料代として登録会員は無料)
会員の年会費2000円

5.その他
 研究会終了後、池袋駅近くで懇親会を予定しています。懇親会にご出席の方は、事前に電話等で連絡下さると、大変助かります。遠来の方で、宿泊される方は、各自でお取り下さい。
(連絡先)国分一太郎「教育」と「文学」研究会事務局長 榎本豊(堤小)



「チビチリガマから日本国を問う!」
西山正啓監督を迎えて上映会

2010年ドキュメンタリー104分


 基地反対の声が、なぜ、日本中の声にならないのか、沖縄の置かれている差別的現状は許されない。戦後65年間も外国の軍隊が駐留する国が主権国家と言えるのか・・・沖縄は日本国の主権者意識を問うている。「チビチリガマ(集団強制し世代を結ぶ平和の像)」慰霊祭・首相官邸前座りこみ・県民大会までの記録映画監督西山さんを迎えて上映会を開く。

11月22日(月) 18時40分〜
亀有地区センター
JR常磐線亀有駅南口
イトーヨーカドー亀有駅前店7階
11月23日(火) 13時40分〜
越谷市中央市民会館
5階第2会議室
どちらも 参加費1000円





週刊墨教組 No.1607          2010.10.12

二〇一〇 賃金確定闘争勝利!
  こんな給与改定には応じられない! 都人事委員会勧告
 年間給与マイナス一〇・五万円
 例月給六年連続、特別給二年連続引き下げ!



 十月七日、東京都人事委員会は、例月給、特別給ともに引き下げ、年間平均給与一〇・五万円減の不当勧告を行いました。
 この間、都労連、東京地公労は、人事委員会に対して精力的に要請を繰り返してきました。しかし、今回の勧告は都で働く職員の期待を大きく裏切る国をも上回る大幅なマイナス勧告であり、このような理不尽な勧告は断じて認められません。


例月給・特別給の引き下げ
 例月給は、人事院勧告七五七円(〇・一九%) を超えて、〇〜一・五%(平均一二三五円一・二%)引き下げるよう勧告しました。東京の民間賃金は全国平均よりも高く、人事院の算定によれば東京では公務員給与は民間給与を下まわっているとされています。にもかかわらず、都人事委員会の算定では〇・二九%民間が低いとされます。算定規準・方法に問題があります。
 特別給は人事院勧告にならって年間支給月数を 〇・二月分引下げて三・九五月としました。
 二年連続の月例給、特別給(ボーナス)の引き下げであり、特別給が四月分を割りこむのは現職の公務員が経験したことのない低い額です。さらに、「特別給における勤勉手当の割合を国と同程度まで引き上げることが適当。今後も、業績の反映度合いを高める検討を行っていく必要」があるとしています。引き続き警戒が必要です。
 給与面では、民間実績を正確に反映したものとは言えず、生活防衛の観点からも極めて不満な勧告です。労働基本権の制約によって公務員労働者の生活を守るべき第三者機関としてある人事委員会の職務を自ら放棄した勧告と言わざるを得ません。

住居手当て微削減
 昨年度、国並びにいくつかの府県でカットされた住居手当は、今年は私たちの強い要求もあり、残されました。しかし、わずかとは言え削減されたことは、今後もこれが重要な課題であることを意味しています。

賃金を下げてはならない
 岩波「世界」十一月号「デフレは起きていない」で大瀧雅之氏は、賃金引下げの「根拠」ともなる「俗説」=「デフレスパイラル論」を虚偽であると断じています。「俗説」の内容は
@物が売れない→価格を安くせざるを得ない→名目賃金も切り下げなければならない
A名目賃金の切り下げ→経済全体の購買力が低下する→一層物が売れなくなる
B金融を緩和しないと@A@・・・の際限なきデフレ不況が起きる。現在の日本経済はまさにその瀬戸際だ。
というものです。

賃金切り下げの根拠はない
 先ず、大瀧氏は、「消費者物価水準は二〇〇五年からの五年間まったく安定している」(耐久消費財のみは二〇%以上下落。だがそれは全体の八%に過ぎないし、金融的理由での下落ではない)と@の「物価が急下落」を否定しています。
 この五年間に労働者の名目賃金は「電気ガスを除いて、最大一三・五%、最小でも八%ほど低下」している。「物価が変わらないのにもかかわらず、収入が減少しているわけであるから、やはり生活水準が以前ほどではいられなくなったと感ずる人が多いことは、何ら不思議ではないのである」。
 つまり、価格を安くしなければならないという現実がないにもかかわらず、賃金は抑制され続けているのです。それだけではありません。
 企業所得は、この十年で下がっていないのに「雇用者所得は一九九八年に三六九兆円だったものが企業業績が改善してもほぼ横ばいで、二〇〇八年には逆に大幅に悪化し三五一・五兆円と大きく下回る水準になっている」。企業が「いざなみ景気」を謳歌している時にも賃金は据え置かれ、リーマンショックのマイナスはダイレクトに賃金引下げ(非正規雇用の拡大も含め)に転嫁されたのである。Aの俗説に反し、「標準的市民が高い物を我慢して買うことによって、景気が下支えされてきたのである」。

金融緩和の目的は何か。
 「デフレスパイラル論」の@もAも実態に合わないのにインフレの必要性を煽るのは、何故でしょうか。大瀧氏はその目的を、「バブル崩壊に端を発し、リーマンショックで深刻化した投機の清算にあると言っても過言ではない。その一部は善良な市民の賃金カットによって負担されてきた。」さらに「投機家とそれに組した金融機関の不良債権を無きが如きものにする」=「インフレによる清算」を目論んでいると厳しく批判しています。
 このようなもののために、私たちは引き続き賃金引下げを甘受しなければならないのでしょうか。

闘わなければ どんどん悪くなる
 もはや政府・当局の賃下げ機関となりはてた人事院、人事委員会勧告です。さらに、民主党政府は未だに国家公務員賃金を閣議決定していません。異例のことです。不当な人勧すら平然と踏みにじり公務員賃金策減を唱える大臣がいます。旧自公政府の「総人件費削減」政策を完全に踏襲しています。都においても、昨年度は急に「日単位休暇取得廃止」を提案してきました。予断を許しません。

 今後、組合は十一月初旬を山場に、「労使交渉による決定」を基本に、都で働く多くの仲間と共に秋闘勝利に向けて闘う体制を確立し、都当局と交渉を強化していきます。例月給・ボーナスの大幅切り下げ反対、人事考課制度の抜本的改善、高齢者雇用制度改善等の要求実現に向けて、共に闘いましょう。闘わなければ、さらなる改悪が強行されることになります。
 若い方、一〇年先、二〇年先を想像し、自分の生活を切り拓くために、共に闘いましょう。



教育研究集会 10月27日(水)午後3時〜
講演 メディア・政治から見た教育
講師 後藤謙次さん 政治ジャーナリスト・共同通信社客員論説委員
場所 組合会議室

 10月の教研集会では、政治ジャーナリストの後藤謙次さんを講師としてお迎えし、『メディア・政治から見た教育』と題して講演をしていただきます。
 後藤さんは共同通信政治部記者として28年間永田町の取材をしてこられました。その後同社編集局長の職を辞して 〔TBSニュース23〕筑紫哲哉さんの後任キャスターに就任しました。現在は政治ジャーナリストとしてテレビ・講演・執筆活動等で活躍されています。
 後藤さんは「夜討ち朝駆け」の圧倒的な取材を展開し、情報を集め、的確な分析をする、ジャーナリストとしての姿勢を貫いてこられました。
 墨田区ICT化の抱える様々な問題、夏季プールの予算を含めたシステムの一方的変更。そして9月に区教委から出された「土曜授業の実施」の文書。
 職場はますます混乱・困惑そして疲弊しています。厳しい状況のなか、ともすると日々の忙しさに紛れてしまい、大きな視点を見失ってしまいがちな私たちです。
 講演では後藤さんから政治の大きな流れの中での教育の変遷、そして今後の方向性を語っていただき私たちの視野を広げたいと思います。
 多くの方の参加を期待します。



指導方法改善加配(算数などの少人数・TT)がなくなるかもしれない?
  「来年の各校の職員定数には、今のところ、これを入れない」 都の見解
 職場の教育条件の保障、現定数を後退させない方策を考えさせよう
 まして、校長の恣意的異動の拡大の機会にしてはならない


 既に校長から、今年度の異動について、「国会での新・定数改善計画(案)がどのようになるかわからないので、来年度、指導方法改善加配(算数などの少人数・TT)がなくなるかもしれない。一人過員になるので・・・」という説明がなされていることと思います。
 これは、文科省が出している一・二年生から順次三五人学級にしていく予算案の去就が、不透明なことからきています。
 あるいは、三五人学級が実現しないかもしれません。あるいは三五人学級は実現しても経費を捻出するためにどこかが削られるかもしれません。もしかしたら、指導方法改善加配分の予算を三五人学級のために充てるかもしれません。すると今いる指導方法改善加配はなくなってしまう。だから過員だ・・・。というのが、教育委員会の考えのようです。
 もちろんこんな無責任でばかばかしい論は成り立ちません。必要であるから指導方法改善加配が置かれているのであり、三五人学級にすれば不要になるというものではありません。都教委は、「少人数分の予算が削られるのならば、都の予算で続ける」くらいのことは言ってもいいのです。これまで散々三五人学級なんか役に立たないとやって来なかった日本で唯一の地方公共団体なのですから。

 しかし、「今いる指導方法改善加配がなくなってしまうかもしれないので定数をその分減らして異動を行う」ということは、異動希望締め切り日までに変えられそうにもありません。
 「ほとんど大丈夫」「まあ続くだろう」「退職・転出希望者によってこのことによる過員はほとんど解消するだろう」と行政や校長は言います。私たちもおそらくそうなるだろうとは思いますが、軽く考えることは誤りです。
 ひとたび過員による異動カードを出したら、国会で決定された予算の内容・決まる時期によっては、異動せざるを得なくなります。例えば、三五人学級も指導方法改善加配も実現したとしても、それがあまりに遅ければ(既に異動作業がすすんでしまっていれば)、カードを取り戻すことは困難になります。
 私たちは、特別な場合なのだから、異動作業がたとえどこまで進んでいようが、少人数・TTが継続したら現任校に戻すべきだと主張します。

 しかし、それが実現しなければ、カードを出すことは異動してしまうリスクを負うことを承知しなくてはなりません。

 過員(解消)問題はこれまで各職場でできるだけ教職員の不利にならないように進められてきました。また、気をつけなくてはならないのは、過員問題は属人的な問題ではないということです。今回の場合、「指導方法改善加配(算数などの少人数・TT)がどうなるかわからないということによる過員」なのですが、「指導方法改善加配(算数などの少人数・TT)の方が過員だ」というわけではありません。それは例えば、「来年の六年生が一学級減で過員になるから今の五年担任が過員解消の異動カードを出さなくてはならない」わけではないのと同じです。
 また、当然、校長による恣意的な「過員解消」策を許してはなりません。個人交渉・「弱い方」への圧力・「気に入らない」教員の追い出し・・・などに使われないように。この問題は職場全体で確認し、校長の恣意・パワハラを許さないようにしなくてはなりません。
 今後、また新しい情報が入りましたらお知らせします。
 各職場で、過員問題が起きたら執行部までお知らせください。



週刊墨教組 No.1606 2010.10.11


法・条例を守るということ
 ◎完全学校週五日制
   「日曜日及び土曜日・・・公立小学校における休業日」 (学校教育法施行規則)
 ◎週休完全二日制  「土・日曜日は週休日とする」(都条例)
 ◎週休日は校長が勝手に変更できるものではない
   「使用者は、労働者に、・・・一週間について四〇時間を超えて、労働させてはならない」(労働基準法)


人としてまっとうな行いを
 嫌なことは嫌だと、おかしいことはおかしいと言える人になりなさい・・・私たちはそう言われて育ち、そう念じて教員になりそう子どもたちに伝えています。
 元三鷹高校土肥校長は都教委に果敢に叛旗を翻しました。職員会議で議決したら何でいけないんだ、論議しては何故いけないのかと。私たちは感動をもってそれを見、聞き、また支援して来ました。しかし、感動することは本当はおかしいことなのです。ごく当たり前のことをいう人があまりに少なく、当たり前のことを言うのが難しいという、その時代がおかしいのです。逆立ちした国では足で歩く者が笑われると言います。
 墨田区での土曜授業、東京での土曜授業が必要であると考えている学校関係者はほとんどいないでしょう。そして、室長が教育委員会で言明したように、土曜日授業が労働基準法に触れる可能性があるということも、誰もが知っているでしょう。それを口に出しさえすればいいのです。私たちはまだまっとうに歩いているのです。

土曜「勤務」と「土曜授業」は
まったく別物
 「意見交換会報告(概要)」は唐突にいいます(裏面参照)。「各学校は,・・・学校行事等を,土・日曜日に実施し,月曜日等を振替休業日に設定して教育活動を行っている。平成二一年度は,すべての小・中学校で年一〜五回実施した。加えて,ほとんどの中学校で部活動等を実施している。また、『土曜補習教室』として、第一・三土曜日を原則として年十六回行っている。土曜等に出勤した教員の勤務の振替は,長期休業日等に行っている」。しかしこれは、土曜授業を来年度月一回、再来年度月二回実施し、勤務の振替を長期休業日にするという根拠にまったくなりません。「希望」し「任意」であることを前提しているものと学校教職員全員を対象とするものは同列では論じられません。検討委員会は実に拙速に脈絡のつかない話をしています。

「私」は良くても「私たち」は良くない
 「しばらく我慢すればいいのだ、私はまもなく退職だ」「私は土曜日に来ることもあるからまあいいや」「今でも土曜補習がある」「管理職はほぼ毎週来ているし・・・」。先の論は、このような俗情を喚起するためのものとしか考えられません。想像力と他者へのまなざしを欠いた非情な発想です。
 「我慢」できない者がいます。私は私のことだけではなく私たちのことも考えなければなりません。逆さまに歩いてはいけないのです。「子育て中の教職員への支援・体制作りが必要である」と「意見交換会報告」は一言だけ触れています。しかし、この意見に対する教育委員会の見解は「報告」にも「事務連絡」にもありません。当然です。区教育委員会の権限で居住地の保育園や学童を行わせることもできないし、「家庭では家族のふれあいを大切にしましょう」という文科省の学校五日制の趣旨に「反して」「土曜授業」に赴く親(墨田区の教員)に替わることもできないからです。

守るべきは法・条例
 週四〇時間労働は歴史的重みを持つ
 一社会のあり方、生活の仕方や文化は時代によって・地域によって異なります。かつて土曜日に授業をやっていたからと言って、今土曜日に授業をやって良い根拠にはなりません。例えそれが月に一日でも、あるいは年に数回でも。それは奴隷制度が昔あったのだからちょっと位は奴隷制度を復活させてもいいんじゃないと言うのと同じです。
 労働日をめぐっては人類史的に悲惨な現実と労働者の闘い、それに人権をどうとらえ保障するかという社会総体の意思の長い歴史があります。日本では、全労働者を対象に一日八時間、週四十八時間労働制を定められたのは一九四七年に労働基準法によってでした。一九八七年 週四〇時間制に労基法が改定されました。
 一九八九年、銀行など金融機関が全土曜日の窓口業務を中止、一九九二年、国家公務員の完全週休二日制実施。公立学校では二〇〇二年度から完全学校週五日制実施ですからずいぶん遅れて週四〇時間制が実施されました。それまでの十五年間は長期休業日に振替をとっていた(「まとめ取り」)が、法整備が整わないための、あくまで暫定的でいたしかたない措置でした。そして今年、三八時間四五分労働という時短をかち取りました。
 週四〇時間労働というのは長く重い歴史を持ったものなのです。「労働条件は人たるに値する生活を営むための必要を充たすべきものでなければならない」(労基法第一条)。法で定められた四〇時間労働は「人たるに値する生活を営むための必要を充たすべきもの」であり、「月一〜二回ぐらいの『土曜授業』」は「人たるに値する生活を」破壊するものです。ちょっと位ならいいやというようなものではありません。今その歴史の歯車を、逆に回そうとしているのです。しかも一校長が各校で責任をもってやれと試嗾されているのです。私たちはそれに加担して私の人権を放棄し、同僚の人権を抑圧することはできません。

法を守ることは、法で守られていない人も守ろうとする行為である
 「教員は恵まれている」「土曜だって日曜だって仕事をしている人はいるのに」「『ワーキングプアー』の人たちはもっと長時間働いている」・・・という謗りが投げつけられるのは予想がつきます。確かに労働者の労働時間は現実的に守られていないのは事実です(私たちも含めて)。また、今は公務員を叩いていれば票が伸びるほど流行っています。しかし、それでも私たちは「法」を「盾」にして「権利に胡坐をかいて」闘います。法は一時代・一社会のルールです。人と人との関係です。
 「恵まれている」私たちが「恵まれている(という虚偽を受け容れて)」からちょっと位ならいいやと四八時間労働を受け容れたら、それが週二回になることはもう「想定内」です。次は「学校は月二回土曜日授業をやっているのだから、もう一回ぐらいサービスで来てもいいだろう」と新たな「意見交換会」で語られるでしょう。
 労働者の労働時間が現実的に守られていないのは事実です。だから私たちが「土曜授業」「長時間勤務」を受け容れれば「謗り」は消えるかもしれません。がそれは逆立ちした方法です。私たちが法を遵守することによって法は生き続けます。法は一時代・一社会のルールです。人と人との関係です。私たちは法として結実した最良のものに信頼を置き、それがすべての人々の現実になるように、そこに端座して闘います私たちは自身が一歩も引かないことによって、誤った現実を変えていくバネになりうると確信しています。
 土曜授業に反対しましょう。

墨田区立学校における土曜授業に関する意見交換会報告(概要)

1 学習指導要領に基づいた教育活動の実施
 学習指導要領では、「知・徳・体」について総則に示されている。また,「内容等の取扱いに関する共通事項」「授業時数等の取扱い」「指導計画の作成等に当たって配慮すべき事項」などの項目において,学校が行わなければならないことが示されている。授業時数については、現行の学習指導要領と比較して,小学校では第1〜3学年が70時間,第4〜6学年が35時間、中学校では35時間,時間数が増加することとなる。
2 墨田区としての対応
 これまで教育委員会は、学校年二学期制を導入するなどして,授業時数の確保に努めてきた。しかし,新学習指導要領の完全実施により,授業時数の確保が大きな課題となっている。各学校はこれまで行ってきた行事等の見直しや総合的な学習の時間の指導計画の再検討等も含めて整備を行っている。加えて,小学校英語活動を推進するために,平成23年度からは第5・6学年で50〜70時間実施する。そのための授業時数確保も課題である。
3 週休日の活用状況
 各学校は,運動会や学校公開,音楽会・文化祭等の学校行事等を,土・日曜日に実施し,月曜日等を振替休業日に設定して教育活動を行っている。平成21年度は,すべての小・中学校で年1〜5回実施した。加えて,ほとんどの中学校で部活動等を実施している。また、「土曜補習教室」として、第1・3土曜日を原則として年16回行っている。土曜等に出勤した教員の勤務の振替は,長期休業日等に行っている。
4 東京都教育委員会の動向
 平成22年1月に土曜授業の実施の際の留意点について示している。それによると,学校週5日制の趣旨を生かし、毎月2回を上限として,地域に関連のある形態の土曜授業の実施を認め、子どもの振替をとらなくても可としている(ただし、過去実施されていた通常の土曜日の授業が復活するのではない)。
5 墨田区教育委員会としての考え方
 「すみだ教育指針」を策定し、「身に付けさせたい力」として「挑戦する力」「つながる力」「役立つ力」の3点を示すとともに,主要な教育課題と.して,4つの柱を掲げている。その第1として、「学力の向上」「体力の向上」を示し,第2として,「豊かな人間性の育成」を掲げており、学習指導要領が示す「知・徳・体」を包括している。さらに、「東京スカイツリー」「国際観光都市すみだ」「すみだやさしいまち宣言」等,区の施策との関連では、「未来に向けて夢や希望をもつ子どもの育成」,「おもてなしの心」,「思いやりの心」など、地域ぐるみで「これからのすみだを担う子どもを育てる」というコンセプトは,心の教育を充実させるうえで,大変重要である。

 このことから、墨田区教育委員会は、学校関係者及び保護者代表による「墨田区立学校における土曜授業に関する意見交換会」を設置し,10の提言を受けた。

提言@「国際観光都市すみだ」や「すみだ やさしいまち宣言」において行動指針を示している本区のコンセプトは,心の教育を充実させる点からも合致している。墨田区の各学校では、平成23年度から振替を行わないで土曜授業を実施し、「知・徳・体」の「徳」にかかわる側面を重視した教育活動を展開することが望ましい。また,土曜授業の振替を行わないことで授業時数を確保することができる。
提言A 墨田区の学校では,土曜授業に「徳」にかかわる側面を重視した教育活動を展開する。そして,振替を行わずに生み出した授業時教を子どもにとって意味のある時間(学力向上や体力向上などの課題解決に生かしたり,英語活動の充実や特色ある教育活動等を行ったりする)として月〜金曜日の教育活動の中で効果的に活用することが望ましい。
提言B 幼稚園については幼小中−貫という観点から,幼小の接続を考慮した小学校との交流活動を積極的に推進するなど,特色ある活動を展開することも大切である。また,保護者が参画する教育活動を企画し,幼児と保護者,教員がかかわることで子育て支援の充実を図るなどの効果も期待できる。そこで 小・中学校に準じて実施することが望ましい。ただし,幼児の体力等に配慮など.幼稚園の実情を踏まえ、柔軟に実施する。
提言C PTA活動や地域行事とのかかわりについては、午前授業を実施する土曜日の午後などを有効活用することにより,子どもの参加率を高めることも期待できる。また,「徳」にかかわる教育に重点をおいた展開を基本とし 心の教育の充実を図るためには,地域との連携が不可欠であり、工夫が−層必要である。今後,PTA活動(連合体も含む)や地域関係者等に丁寧に周知するとともに十分な連携が図れるようにする必要がある。
提言D 土曜授業を実施する際には,地域行事等との関係で調整が必要な場合など,それを考慮することが大切である。平成23年度は,基本的には区が定める同一の日程で月1回程度実施することが望ましい。ただし,平成24年度以降については,平成23年度の実施状況を検証したうえで具体的な方向性を示す必要がある。
提言E 土曜授業を1日実施した場合には,昼食が必要となる。給食・弁当での対応等が考えられる。新学習指導要領では,食育の推進が求められている。この観点から考えると,家庭で保護者が見守る中,子どもが自分の弁当をつくるなどの取組を積極的に推進することも重要である。昼食については保護者や地域とのふれあいを通して,子どもたちの心の教育の充実を図ることからも、弁当による昼食も有効である。
提言F 「土曜補習教室」については、家庭学習習慣の確立及び基礎的・基本的な内容の確実な定着を目指し平成17年度からすべての小・中学校で実施しており,一定の成果がみられている。今後は,平日の放課後を活用した「放課後学習クラブ事業」を視野に入れながら.「土曜補習教室」の在り方について検討する必要がある。
提言G PTA活動や地域行事等の関係者だけでなく.塾や習いごとに参加している子どもや,その子どものニーズに応えている区民が多数いる。また、学校週5日制が完全実施された際に,子どもの活動を支援するために配慮され活動してきた団体等もある。区民や団体等との調整を行うための周知については,事前に何らかの形で積極的に行うことが望ましい。
提言H 土曜授業は半日実施や1日実施が考えられる。半日実施をした場合でも,保護者会や面談,部活動等普段の業務の中で十分確保できなかった内容について充実させることや地域行事への参加等,教員の勤務を1日とした方が好ましい場合もある。教員の勤務を半日にするか1日にするか,勤務時間の指定,勤務の振替については,柔軟に対応し,学校の実情や教員の実態を十分に踏まえ、適切に行うことが望ましい。
提言I 学校支援指導員や学校管理員,介助員等の教員以外の区費のスタッフについては、月曜日から金曜日で配置している運用を維持しつつ、土曜日まで日教を拡大して対応できることが望ましい。





週刊墨教組 No.1605       2010.9.24

労働基準法を踏みにじる「週四八時間労働」の強制
  週休日は校長が勝手に変更できない
  「時数確保」の必要性は語られていない

学校五日制・週休二日制を破壊する「土曜授業」に反対する(2)

 
 先号では、「土曜授業」の根拠の一つである「時数確保」の論が成り立たないことを説明しました。「土曜授業」の緊急性・必要性はまったくないのです。「土曜日に児童・生徒の振替休業日を伴わない授業を行うこと」が自己目的化されているように見えます。
 今回は、それを実際に「土曜授業」で働く教職員の側から見ていきます。
 私たちは「土曜授業」の緊急性・必要性はないではないか、教職員の勤務条件が破壊される、条件整備のないところでしわ寄せは教職員だけでなく児童・生徒・保護者にまで及ぶという視点から、理のない土曜日授業にあくまで反対します。

労働基準法の大原則を無視(※1)
 週休日は、「一定期間の労働によって蓄積された心身の疲労を回復させるために労働から解放される日」のことであって、休憩権・年休権と並ぶ重要な休息権の一つです。「労働者が人たるに値する生活を営むため」に不可欠のものです。
 また、労働条件は使用者が勝手に決めたり変更したりすることのできないものです(第二条)。週休日もそうです。しかし、「事務連絡」も「報告書」もこの点を非常に軽視しています。そこでは、「教員の勤務」を「園・校長の判断」で決めたり、「勤務の振替」先を「園長・校長が適切に定め、長期休業日等に」指定したりしています。これは違法です(主語が「教育委員会」ではなく「園・校長」であることに注目してください。違法行為の主体は「園・校長」だと教委は定めているのです)。
 「報告書」には「土曜授業実施は,『振替論』から入るのではなく,『授業授業時数増(ママ)』から入るべきである」という労働条件軽視の発言もあります。まっとうな「使用者」ならばせめて「同時に考えるべきだ」ぐらいの注記をするべきでしょう。

週四〇時間を超えて
   労働させてはならない
 労働基準法には、「使用者は、労働者に、休憩時間を除き一週間について四〇時間を超えて、労働させてはならない」と明記されています。これが大原則なのです。
 無論、その後でさまざまな例外が載せられていますし、先号で書いたように都条例には「当該週休日の前二月又は後四月の範囲内で行う」という教員だけに適用される例外措置もあります。しかしあくまで原則は「週四〇時間を超えて労働させてはならない」であり「月曜日から金曜日までの五日間において、一日につき七時間四十五分の正規の勤務時間を割り振る」(※2)なのです。
 「当該週休日の前二月又は後四月の範囲内で行う」という週休日変更の例外措置にのみ依拠して「土曜授業」を実施することは、「制度の濫用」と言わざるをえません。
 「報告書」には「土曜授業で全日授業を行うことは,校長会としては想定外。労基法上いかがなものか。」との発言もあります。半日でも土曜授業を図った校長会の責任は軽くありません。
 労働時間と健康破壊・過労死・自死との相関はつとに指摘されていることであり、また実感していることでもあります。「職場における労働者の安全と健康を確保するとともに、快適な職場環境の形成を促進することを目的とする」労働安全衛生法のもとに学校安全衛生委員会を立ち上げたばかりの墨田区教委がこのように矛盾した行いをすることは信じがたいことです。

労働条件の変更は労使の合意による
 労働条件の一つである週休日の変更は「労働者と使用者が、対等の立場において決定すべきもの」です。「個々の教職員の同意を得た場合においては、・・・休日の振替を行うことはできる」という判例もあります(※3)。これは逆に言うと「個々の教職員の同意を得られない場合においては、・・・休日の振替を行うことはできない」ということです。法解釈上も「労働者がその都度これに同意した場合にのみ時間外労働義務が生じる」とされています(※4)。
 また、個々の労働者と使用者との直接的個別的交渉では立場が弱い労働者側が不利なために労働組合が交渉するのです。
 労働条件にかかわる問題は、明確に労使交渉事項です。そのことについての確認を校長に求め、交渉なくして勤務時間の割り振りを行わないよう申し入れましょう。交渉なくして校長が勝手に勤務時間の割り振りを行うことはありえませんし、それを許してはなりません。

条件整備もまったくできない事業
 「一日授業を行う場合の昼食については、『弁当』持参を原則とする」(「事務連絡」※5)という「条件整備」です。「学校支援指導員や学校管理員,介助員等」は土曜日勤務するのか? 現在「先行校」でつけられていない現実があるなど、通常の教育条件は整えられていませんし、整備するつもりもないようです。
 そして劣悪な条件・負担を児童・生徒・保護者・教職員にのみ押し付けようとしています。これに「条件整備」という見出しをつける感覚はかなり私たちの感覚と異なります。私たちはこれを「条件整備はしない」とまとめます。
 このような事業は実施してはいけません。

「土曜授業」に反対しよう
 今後校長からさまざまな説明や資料提供があることでしょう(あるいは論議を避けるという「行為」もあるかもしれません)。
 ここに引用した「報告書」の内容は断片的ですし、「委員」も組織を代表して語っているようでもありません。あくまで意見交換での発言ですから、いちいち目くじらを立てる必要もないかもしれません。しかし、もしこの「意見交換会」に出てくる意見をもって何か拘束力があるような説明をするとしたらそれは問題です。また、区教委文書「事務連絡」も「土曜授業の考え方(案)を、参考までにお知らせします。」とあるようにあくまで「事務連絡」です。同じく決定力も拘束力もありません。しかし、「区教委が決めたから」と同じくらい無責任に言い募る校長がいるかもしれません。そんな場合にはきちんと区教委に照会する必要があります。
 各校ではまず校長に、「土曜授業」を行うかどうかの決定権は学校にあるのか教育委員会にあるのかを明確にさせましょう。その上で校長提案の不明なところを質問し、問題点を指摘していきましょう。

※1  労働基準法 第1章 総則
(労働条件の原則)
第1条 労働条件は、労働者が人たるに値する生活を営むための必要を充たすべきものでなければならない。
第2条 労働条件は、労働者と使用者が、対等の立場において決定すべきものである。
2 労働者及び使用者は、労働協約、就業規則及び労働契約を遵守し、誠実に各々その義務を履行しなければならない。
第4章 労働時間、休憩、休日及び年次有給休暇(労働時間)
第32条 使用者は、労働者に、休憩時間を除き1週間について40時間を超えて、労働させてはならない。
2 使用者は、1週間の各日については、労働者に、休憩時間を除き1日について8時間を超えて、労働させてはならない。

※2  
職員の勤務時間、休日、休暇等に関する都条例

(正規の勤務時間の割振り)第三条 任命権者は、暦日を単位として月曜日から金曜日までの五日間において、一日につき七時間四十五分の正規の勤務時間を割り振るものとする。
(週休日)第四条 日曜日及び土曜日は、週休日(正規の勤務時間を割り振らない日をいう。以下同じ。)とする。

※3  判例 鹿屋市笠野原小学校事件
  1973年2月8日 鹿児島地裁判決
「条例に休日振替についての明文の規定がないけれども、少くとも個々の教職員の同意を得た場合においては、労働基準法第三五条第二項の制限の範囲内で休日の振替を行うことはできるものと解するのが相当である。」



※4「労働法の世界第8版」 有斐閣2009.4

 「労基法上、時間外・休日労働はあくまで例外的な現象であるのだから、それを行うには労働者の意思を尊重し、またその私生活との調和を図ることが労基法により求められていると考えられる。」
「学説の多数は、労働契約、就業規則、労働協約のいずれによっても、労働者にあらかじめ時間外労働を義務付けることは労基法32条に違反して無効であり、使用者が具体的な日時や場所を指定して時間外労働の申込をし、労働者がその都度これに同意した場合にのみ時間外労働義務が生じる、と解する。」



※5 墨田区における幼稚園・学校の「土曜授業」について(「事務連絡」)
土曜授業実施に伴う条件整備について

(1)昼食について
  1日授業を行う場合の昼食については、「弁当」持参を原則とする。
(2)教員の勤務について
@ 教員の勤務については、原則1日とするが、園・校長の判断で半日(4時間または3時間45分)勤務も可能とする。
A 土曜授業実施に伴う教員の勤務の振替については、園長・校長が適切に定め、長期休業日等に振り替える。



週刊墨教組 No.1604       2010.9.23

「時数確保」の必要性は語られていない
  区教委九月十七日文書に納得できる説明はない
労働基準法を踏みにじる「週四八時間労働」の強制
学校五日制・週休二日制を破壊する「土曜授業」に反対する (1)


 九月十七日金曜日、区教委は校長会で、「墨田区における幼稚園・学校の『土曜授業』について」という事務局次長名の事務連絡文書(資料1 以下「事務連絡」)と「墨田区立学校における土曜授業に関する意見交換会報告」(以下「報告書」)を提示しました。「事務連絡」には、「本区は、心の教育の充実及び授業時数の確保のために・・・来年度月一回、再来年度は月二回、子どもの振替休業を行わない『土曜授業』の実施を予定しています」とあります。
 これまで指摘してきたように、土曜日に児童・生徒の振替休業日を伴わない授業を行うことは、学校完全五日制を否定するものであり、例外的な週休日の変更を毎月恒常的に全員に対して強要することは週休完全二日制を破壊するものです。
 「事務連絡」は九月十七日校長会で簡単に説明されました。これまでに校長から伝えられたところもあれば、まったくふれられなかったところもあります。校長の行動はばらばらでした。九月二四日(金)には「自主校長会」で再度教育委員会から説明が(十月に入ってからは副校長会などにも説明)ありますから、各職場では今週早々にも校長からの何らかの行為があるはずです。
 私たちは「土曜授業」の緊急性・必要性はないではないか、教職員の勤務条件が破壊される、条件整備のないところでしわ寄せは教職員だけでなく児童・生徒・保護者にまで及ぶという視点から、理のない土曜日授業にあくまで反対します。

「時数確保」のために「土曜授業」?
 「事務連絡」では、「子どもの振替休業を行わない『土曜授業』を実施」する理由を「子どもの心の教育の充実及び授業時数の確保のために」としています。「授業時数の確保」とは由々しき事態です。子どもの振替休業を行わない「土曜授業」をしないと「授業時数が確保」されないのですから。一体そのような学校が区内にあるのでしょうか? 
 「報告書」には、「授業時数については、現行の学習指導要領と比較して,小学校では第一〜三学年が七十時間,第四〜六学年が三五時間、中学校では三五時間,時間数が増加することとなる。」とあります。「新指導要領完全実施により時数が増える」というのは、授業時数が今年より増えるのだから延ばさないと不足するのだな・・・と思わせるための常套手段です。まさか「意見交換会」に参加された方々や教育関係者がそのような認識を持っているとは思われませんが、知らない人は騙されます。

今、時数が不足している学校が
        どこにあるのか?
 なぜか「報告書」の時数に関わるところに、すでに、昨年度から小学校では一・二年生を除き授業時数は前倒しで完全実施されているということは出てきません。総時数で考えれば、一・二年生でも週あたり一時間増やさなくても良いぐらいだという実態も述べられていません。
 「新指導要領完全実施で時数確保のために土曜日授業を行わなければならない」ということを論証するためには、現在小学校三〜四年生で時数が不足しており、一・二年生と中学校で来年度三五時間増えると学校週五日制を維持できないことを説明しなくてはなりません。また、このことは日本全国の公立小中学校で不可避であることも証明しなくてはなりません。「新指導要領完全実施」は一人墨田区だけでなく日本全国に等しくおこることだからです。
 都教委ですら「時数確保のための土曜日授業」という論は出していません(資料2)

英語活動のために時数確保?
 「報告書」では、「小学校英語活動を推進するために,平成二三年度からは第五・六学年で五〇〜七〇時間実施する。そのための授業時数確保も課題である。」としています。
 「五〇〜七〇時間」と勝手にかつ曖昧に英語活動の時数を出しておいて、英語活動は三五時間外に出して行う→時数が足りなくなるかもしれない→時数確保→「土曜授業」というのは実に短絡的な論理です。初めに「土曜授業」ありきの論とも言えます。
 「土曜授業」をするくらいなら、英語活動は文科省の定める三五時間あるいはそれ以下にするべきなのです。五〇〜七〇時間など現場は誰も望んでいません。仮に五〇時間行ったとしたら文科省標準時数との差十五時間は新たに増やす(延ばす)だけではなく、総合的学習の時間に位置づけたり行事の精選などで解決したりするという方法もあります。要は考えればさまざまな方法が出てくるのです。
 仮に「報告書」の論を認めて「英語活動があるのだから土曜授業も仕方ないか」としましょう。そうすると、英語活動がない一〜四年生・中学生に土曜授業をやる根拠はなくなってしまいます。五・六年だけ土曜日に授業をやればいいことになってしまいます。


「墨田区における幼稚園・学校の『土曜授業』について」
 事務連絡 平成22年9月17日
幼稚園長様小・中学校長様
 墨田区教育委員会  事務局次長 小暮真人

墨田区における幼稚園・学校の「土曜授業」について

 本区は、平成23年度より、心の教育の充実及び授業時数の確保のために幼稚園、小・中学校において土曜授業の実施を予定しています。
 つきましては、下記により土曜授業の考え方(案)を、参考までにお知らせします。各幼稚園・学校においても、検討を進めておくようお願いします。また、予め調整の必要な関係者等への情報提供も、適宜お願いします。

1 土曜授業の考え方(案)
(1)土曜授業について
  子どもの心の教育の充実及び授業時数の確保のために、子どもの振替休業を行わない「土曜授業」を実施する。
(2)土曜授業における教育活動について
@ 目的
 学習指導要領の趣旨及び都の動向、「すみだ やさしいまち宣言」等の本区のコンセプトを踏まえ、「心の教育を充実」を図るとともに「授業時数の確保」の観点から、教育活動を実施する。このことにより以下のことが期待できる。
ア 「やさしさ」や「思いやり」等の心の教育にかかわる教育活動を土曜授業で行い、保護者や地域の方々とともに展開することができる。
イ 授業時数が確保できるため、月曜から金曜の授業で、「学力向上」「体力向上」等、区の主要な教育課題を解決することができる。
A 実施方法
  平成23年度は月1回年間11回、平成24年度以降は月2回年間22回の実施を標準とする。
   幼稚園は、園の実情や幼児の実態を踏まえつつ趣旨を生かし、可能な範囲で実施する。
B 教育活動の例
ア 自然体験などの集団宿泊活動や文化,スポーツなどの体験的な学習
イ 基礎学力向上や補充・発展的学習等のための学習地域や保護者に開かれた学校づくりなどの観点から
ウ 運動会や学芸会などの学校行事
エ 道徳授業地区公開講座やセーフティ教室,授業公開
オ 保護者や地域住民等をゲストティーチヤーに招いての授業

2 実施に向けての学校の諸準備及び検討事項
(1)墨田区教育委員会では、平成23年度は月1回年間11回程度の実施を想定しており、また、各校の実施日は、たとえば第3土曜日など、区内の各学校が同一であることが望ましいと考えている。各幼稚園・学校は、園・学校の実情を踏まえ、年間実施回数や1日実施日、半日実施日等の実施回数を決定し、教育課程に位置付ける。
(2)園長・校長は、自園・校の土曜授業の実施について、各教職員に周知するとともに、土曜授業を含めた学校経営方針や学校経営計画を策定し、校内組織体制を確立する。
(3)幼稚園や近隣小中学校、PTA行事や地域行事等に十分周知し、調整を行った上で決定する。
(4)これまで実施してきた心の教育にかかわる教育活動を土曜授業に移行するなどの調整を行うとともに、具体的な計画を立案し質の向上を図る。
(5)月曜から金曜までについては、各教科・英語活動等の授業を充実させ、学力や体力の向上を図る計画を立案する。

3 土曜授業実施に伴う条件整備について
(1)昼食について
 1日授業を行う場合の昼食については、「弁当」持参を原則とする。
(2)教員の勤務について
 @ 教員の勤務については、原則1日とするが、園・校長の判断で半日(4時間または3時間45分)勤務も可能とする。
 A 土曜授業実施に伴う教員の勤務の振替については、園長・校長が適切に定め、長期休業日等に振り替える。
(3)団体等への対応について
 @ 町会・PTA・育成会等
  土曜授業の趣旨を十分周知し、実施日の決定については、地域の行事等との調整に十分配慮する。
 A 学校施設利用者
  土曜授業が行われ、貸出ができないことについて事前に十分周知し、混乱が起きないよう調整する。

4 その他
 後日、「土曜授業の実施計画案」や「土曜授業実施に伴う周知及び調整状況」について調査(11月中に提出)を行う。調査用紙は、9月末に送付する。

※(案)は『1土曜授業の考え方』だけではなく『記』以下の1〜4全てにつくものと思われます(引用者 傍線も)。

資料2
「土曜日における授業の実施に係る留意点について 
平成22年1月14日 都教育庁」について
 週時程が過密であることは語られているが、授業時数が確保されていないとはいっていない。また土曜日に授業を行う基本的な考え方の中にも「授業時数確保」などという「誤った」考えは出てこない。
「1 基本的な考え方 新学習指導要領の全面実施に向け、確かな学力の向上や家庭・地域との連携・協力が一層求められている中、土曜日に教育課程に位置付けられた授業の実施を希望する学校においては、学校週五日制の趣旨を踏まえつつ、保護者や地域住民等に開かれた学校づくりを進める観点から実施できるものとする。・・・」
 当然です。


週刊墨教組 No.1603       2010.9.21

々の教員の希望実現に向けてとりくみを強めよう
  不当な異動を許すな!
  二〇一一年度定期異動作業始まる
 組合は誰からの相談にも誠実に対応します


 異動は労働条件の大きな変更です。労働条件の変更は、交渉事項です。都教委・校長が本人の希望を無視して、一方的に異動させることがあってはなりません。現任校で、新たな職場で意欲をもって働くには、何よりも個々人の事情が配慮され、個々人の異動希望が実現されることが前提になるのは当然のことです。
 二〇〇三年に改悪された現行の「教員の定期異動実施要綱」は、校長の学校経営を最優先としたものです。その結果、「恣意的な判断や、差別的な扱い」・「遠距離勤務や健康状態に配慮しない等」人権無視の異動が強行された事例が、昨年度も東京教組に報告されています。不当な異動を許してはなりません。闘わなければ、現状を改善することはできません。
 墨田教組は、あくまでも強制異動に反対する立場を堅持し、異動作業が進行させられる中で、個々の教員の希望実現に向けてのとりくみを強化していきます。

異動作業
 日程が都教委から示されています。(資料)※一部墨田区教委の異動作業日程を加筆
十月二一日〜二八日
  校長ー地教委ヒアリング
  校長は人事構想を区教委に示し、具申書を区教委に提出します。ヒアリングは、小学校から行政順に実施。都合により校長間で順番を変更することがあります。各学校のヒアリング日程は校長から職員に知らされる場合が多いです。二八日以降も個々の事情でヒアリングが続けられることもあります。
 校長は、ヒアリングの日程に間に合わせるように、自己申告書の提出を求めます。
十一月三〇日異動検討結果地教委連絡
 「異動するかどうか」の結果が都教委から区教委へ連絡されます。当然、校長を通じて本人にも連絡されます。例えば、次のようなケースです。必異動対象者で、現任校に引き続き勤務を希望している人。現任校三年未満で異動を希望したい人。現任校に引き続き勤務したいが、校長が異動させたい人。異動を希望しているが校長が異動させたくない人。異種学校間異動等
十二月一日 異動検討、再検討受付
  前日の結果に対して、再度、都教委に異動検討を具申・内申する。
 
「異動」自己申告書、9自由意見欄 
 昨年度から、自己申告書(異動について)を使用します。9自由意見欄に、異動に関する要望、異動にあたって知ってほしいことなどを記載します。
(1)異動を希望する人は、異動を希望する地区に順位をつけて記入します。@○○区△△線沿線、A◎◎区◇◇線沿線等。そのあとに、介護・保育・通院など異動にあたって配慮すべき事情を記入します。
 必異動(現任校6年以上)で現任校に引き続き勤務したい人は、この欄に、残りたい理由を記入します。必ずこの欄に記入してください。校長が作成する異動申告書に、職員が記入した「自己申告書(異動について)」のコピーが添付されます。
(2)次に、個々人の事情を校長に具申させるとりくみです。
 校長「具申」の具体的な方法は、校長が作成する「異動申告書」の【異動に関する意見と理由】欄に個々人の事情と校長としての要望・意見を書くこと。区教委のヒアリングの際にその事情・要望を出すことです。そこに向けてのとりくみが大切です。
 都教委は、組合に対して「区市町村教育委員会を通じて校長に対して、本人が事情等特に申し出た事項については異動申告書の校長所見欄、異動に関する意見欄に記載するように周知する。また、本人の異動について、その有無も含めて本人に伝えるよう周知する」と答えています。

島しょ地区、西多摩地区
   町村公立小中学校教員公募
 都教委は、定期異動に際し、「島しょ教育に意欲と適性のある教員」を公募しています。今年度からは、檜原村、奥多摩町教育委員会も公募しています。希望する職員は、別途応募用紙等に記載し、応募します。異動の可否については、地教委・校長より知らされます。(日程は資料参照)

校長によるパワハラを許さないために
 定期異動は、嫌な言い方ですが、「人材育成」を目的としています。
 人事考課同様、校長がパワハラをしていい場面ではありません。
 十分な説明もしないで「人事構想にない」と言ったり、「反対意見を言うから出て行け」などはということはできません。また、「異動させたいと思ったら校長は×、本人は○で出せばいい」と開き直ることも、説得の努力を放棄することです。
 「あなたのいうことはよくわかりました」という校長の発言が、本当に希望に沿った意見を書くことを意味するのか、後で問題になったケースはたくさんあります。口約束・「考えておく」などはきちんと期限を決めたり文書で確認する事が必要です。それが大人のやり方です。

日程

9/10 事務担当者への都教委説明会
9/21 指導室長要請 校長への説明にむけて
9/22 区教委が校長会で異動説明 臨時校長会
10月1日 自己申告(中間)基準日
9/17 第2回島嶼公募説明会"
   校長が教職員と中間面接(異動中心)
   校長が異動具申書を作成  異動具申書を区教委に提出
10/  イエローカード締め切り
10/下旬 校長聞き取り小学校行政順
  校長は、ヒアリングの日程に間に合わせるように、自己申告書の提出を求めます。
11/10〜11/22 都教委による地教委聞き取り
 墨田11/
12/19 島嶼への異動打診
11/30 (火) 異動か現任校にとどまるか、検討結果地教委連絡   都・区教委・校長・本人に通知
  必異動対象者で、現任校に引き続き勤務を希望している人。現任校三年未満で異動を希望したい人。現任校に引き続き勤務したいが、校長が異動させたい人。異動を希望しているが校長が異動させたくない人。異種学校間異動等
12/1 (水) 不服申し立て (昼12時まで)再度、都教委に異動検討を具申・内申する。
2/10 第5次地教委内示
3/3 教員本人内示
 管理職は地教委内示 2/23 本人内示3/4
学校が統廃合されたときの
 勤務年数のカウントについて

 平成21年四月以降に開校した統合校の場合、実勤務年数の積算は、廃校となった母体校での実勤務年数を合算しない。
・・・今回の梅若小・堤小ではこの法式が適用されます。


自己申告書不提出者の異動(申告書)について

 ・・・当初申告を提出していない場合は、異動についての意向及び異動先を一任したものとして扱う。
 ただし、この場合でも、文書等の資料は受け取れないが、次の点に留意する必要がある。
・自己申告書不提出者に対しても面接を実施すること
・当該教員の異動について、その有無も含めて、十分に説明すること
・当該教員の異動に関する事情を聞き取り、必要があれば異動に関する校長所見に記入すること


異動の目的
 「東京都教育委員会は、適材を適所に配置し、学校における望ましい教員構成を確保し、教育活動の活性化を図るとともに、教員に多様な経験を積ませることにより、教員の資質能力の向上と人材育成を図ることを目指し、教員の定期異動を行う。」
 イヤラシイいい方ですが、少なくとも、「校長の恣意専制・パワーハラスメントを実現するために」行うものではないことはこの文面から明らかです。「恣意による具申や差別的な異動はありえません」とも述べています。 H15都教委冊子
リレーシンポジウム東京
教員免許更新制の検証
  ーどうなる?どうする!ー
 10月3日(日)13:30〜15:30
 日本教育会館9階第5会議室

 千代田区一ツ橋2−6−2 地下鉄「神保町」「竹橋」5分

教員の仕事とは何かー東京の現場からのレポート

2009教員免許更新制とは何かー政策の検証@
民主党の動向は?−政策の検証A
廃止法案はどうなる?どうする!−政策への提言
会・提言 池田賢市(中央大学)
報告 大森直樹(東京学芸大学)

どなたも参加できます。

週刊墨教組 No.1602              2010.9.13

理のない「土曜日授業」
 各学校の教育課程は、各学校が決めるのが原則
 週休完全2日制という労働条件を制限するに足る理=緊急性必要性があるか?
 土曜日授業の実施・回数・形態等などは校長会が決めることではない!


理性的だった三月の区教委

 二〇一〇年三月時点での区教委の態度は次のようでした。
 墨田区教育委員会はこれまで都教委に対して土曜日授業ができるように申し出をしたこともなかったし、二〇一〇年度に土曜日授業墨田区で行うことを提案することもない。十月ぐらいまでに検討委員会を設けて、二〇一一年度に区として土曜日授業をどうするか検討する。
 拙速に通知に飛びつきもせず、都教委通知に怯えもせず、ある意味で賢明な措置であったといえます。

 普通(人を騙そうとする者以外は)、「検討委員会を作る」ということは、多くの関係者によってそれぞれの考えを出しあい、あい矛盾するところは調整・検討し、合意によりよりよいものをつくっていくことを意味します。ですから私たちも、その検討委員会の中で、教職員の立場から正々堂々と論議し論破していこうと考えていたのです。これが従来の墨田区教委のやり方だったと記憶しています。

「先行校」
 すでに今年度、小学校中学校それぞれ何校かが強引に「土曜日授業」を実施しています。それらの学校のいくつかは「先行校」と嘯いているようですから、ぜひその実態を調べる必要があります。そのような調査も報告もないまま六月、三月時点での判断を反故にして、教育長は「来年度は土曜日授業を行う方向でいく」ことを発表したらしい(なぜらしいというかというと、これを自校で職員に伝えた校長も伝えない校長もいて、しかも文書もないということだからです)。
 一体何が変わったというのでしょう。どのようなことがこの三か月の間にあったのでしょう。

何も変わってはいない
 なぜ土曜日授業をしなければならないのか、その根拠は明示的ではありません。「時数が足りない」ことは「実施授業時数」がマイナスになっていない限りありません。ただ単に「土曜日授業」という「魅力的」な言葉と、都教委文書(の意図)に悪乗りしているだけのように思えます。
 土曜日授業を行うことは、週五日制を否定することです。「日曜日及び土曜日は、週休日とする」という法に規定された私たちの労働と生活の基本を否定することです。そのことを三月教育委員会は適切に指摘しています。

雰囲気に流されてはならない
 しかし今、極めて情緒的な対応が見うけられます。
 昨年度学校評価に、土曜日に授業をやろうではないかという反省や提案があったでしょうか。そもそも何のために「土曜日に授業をやろう」というのでしょうか。授業時数が足りないから?土曜日に子どもたちが学校五日制の趣旨に沿った生活」をしていないから?
 「やる」となればさまざまなつじつま合わせ・「巧妙な手」が跋扈するでしょう。一月都教委通知がそうであるように。あるいはいきなり保護者に「土曜日にやった方がいいですか、夏休みを短くした方がいいですか、それとも普段の授業を七時間にしますか」とアンケートをとることもうまい手です。しかし、実際の動因は、都教委の圧力と周りの雰囲気です。海に走りこむレミングスの大群です。取り残されまいと恐れの集団心理で走り出すことは恥ずかしいことです。

労働条件を守ろう
週休日の変更は「その週の内に」
 週休日の変更には次のような原則があります。
@「必ず事前に、変更日を決めて」おこなわなければなりません。
A「勤務時間が同一の時間数の日に」おこなわなければなりません。
B「その週の内に」おこなわなければなりません。
 一週間とは日曜日から土曜日までですから、日曜日の変更は事後の日に、土曜日の変更は事前の日に行うということになります。
 週休日を変更する場合の大原則は「その週のうちに」です。週休日の目的から言って、疲労回復には一週間という範囲が決められているのは当然です。結果的に授業は補教になります。

例外措置その一
 しかし、それができない場合に初めて、次のような例外措置が考えられています。
C「その週内の変更」が困難な場合、「当該日から前後二か月以内の範囲で行う」ことができます。
 学校行事などで学校全体あるいは学年全体で振替えを行う場合は、学校長は所定事項を記載した文書を起案して地教委に提出しなければなりません。労基法では、この取り方をした場合、週の労働時間が法定労働時間を超えた部分には、二五%の超過勤務手当てが支払われます。教員の場合は「超過勤務手当て」そのものがないので適用除外ですが、それほどこの「変更」は「重い」ということです。

例外措置その二
D二〇〇六年四月から半日(四時間)単位で割り振られた勤務時間の変更が可能になり、週休日及び半日勤務の割り振り変更の期間も前二月・後四月になりました。
 Dは、土曜日に補習を行うなどの現実に対応したものです。学校職員のほんの少数が、年に何回でもなく、しかも本人の希望によって半日の勤務をした場合の、どうしても原則的に振替ができない場合の特例です。あくまで部分的・例外的に出されたものです。もし、Dが一般化してしまえば、運動会や学校公開の週休日の変更も、長期休業中ということになってしまいます。
 私立学校が土曜日に授業をしているのは、「長期休業中にまとめ取り」をしているからではありません。人員を配置して、週休日をその週内に変更できているからです。
 完全週五日制の過程での夏のまとめ取りの記憶と、週休日変更の例外措置だけを前提にして、土曜日授業を考えている輩がいます。愚の極みと言わざるを得ません。これは労働条件の変更ですから、組合との交渉事項になります。

土曜日授業は労働条件の問題
 残念ながら三月の教育委員会でも「〜のために土曜日授業をしよう」という論はなく、ただ「土曜日授業」を前提にしてそれは可能かとの論調は否めません。しかしそれでも、労働条件への目配りはあります。
 「校内でなかなか激しい議論」は公認のことです。
 「週四八時間は労働基準法か何かに触れないのですか。厳密に言えば触れます」まさにそのとおりです。各職場でも最低この視点だけは管理職にも共有させなくてはなりません。「特例的にのまざるを得ない」のは、希望制の土曜補習の場合であって、毎月一回・二回は「特例」とはいえません。室長も三月に明確に否定している「いわゆる学校五日制が導入される前の土曜日が復活」と言わざるをえません。

「土曜日授業」を拒否する
 もう一度確認しておきましょう。これまで、墨田区教委が都教委に、「土曜日における授業の実施を求める」ことはありませんでした。墨田区教委の方針は授業改善による一人ひとりの子どもたちの学力伸長が基本的な考えであって、時間数をむやみに増やすことではありません(それがいいかどうか、また実施している内容がそれに合致しているかは議論の分かれるところですが)。区教委が各学校に「土曜日における授業の実施を求める」ことはありえません。校長会も各校の教育課程を決める権限はありません。まさに学校のことは学校が、すなわち、校長も含めた全教職員が決めるのです。 
 週休日は労働者にとって重要な労働条件です。「教員の今までの生活パターンも変更を求める」と生活=労働条件であることは自明です。理のない生活パターンの変更には同意しない、各職場で、本校は土曜日授業をやる必要はないと、反撃していきましょう。




紹介 堤未果著「ルポ 貧困大国アメリカ T・U」 岩波新書

 アメリカは日本の5年先を行っていると言われていた。現に日本にはまったくなじまない市場原理主義が入り込み、私たちの社会に格差を作り出した。そして、自己責任という名のもとに多くの人たちが負のスパイラルに組み込まれていっている。
 市場原理主義をいち早く導入したアメリカで何が起こっているのか?この本を読んでショックを受けた。5年後どころではない、まさに日本の今が描かれているかのように感じたからだ。
 アメリカは今、教育では、「落ちこぼれゼロ法」を作り、各学校を競争させることで学力を上げようとしている。市場原理主義のもとで実践されているアメリカの現状は今どうなっているのか? アメリカでは、大学を卒業しないと職に就けないということから、ローンを組んで大学に行く人たちが増えている。ローンを組んで大学に行き、卒業しても職が見つからない場合は、学生が滞納した債権は政府が引き受けて、その97%を民間の保証会社に支払うため、政府は回収機構を通じてdこまでも学生を追いかけてくることになる。そうして、名前がブラックリストに載せられて、クレジットカードさえ作れなくなる。カード社会のアメリカでそれは、一度落ちたら這いあがれない下層転落コースだと堤さんは報告している。
 日本でも「学力向上」を目標に競争が激しくなっている。アメリカの今は、日本の5年後ではない。学費はどうだろう?34年前日本の国立大学の学費は年間12000円で入学金は3000円だった。それが今48万円になっていると聞く。かつて日本では、育英資金から奨学金を借りた場合、有利子のものであっても何年間か教職に就けば返さなくてもよかった。それが今はなくなっている。職業生活は負債からの出発、20年近く続く借金返済生活の始まりでもある。さらに、卒業してからすぐに就職できなかった場合、ローンだけが残る。アメリカではそこに軍のリクルーターが登場してくる。日本も憲法を改悪されたらと思うと恐ろしくなる。OECD内最悪の公的教育費の低さは高校無償化だけではまったく不十分である。奨学金という名の学生ローンは直ちに無利子無返済のものに変えられなくてはならない。
 アメリカでは、市場原理主義による経済危機、職が見つからず加速する社会の貧困化、学資ローンが返せない、医療が受けられない人たち、老後の生活の保証のない人たちが急増している。先日の朝日新聞では、「チェンジ」を唱えたオバマの支持率低下、そして、各地でそれぞれの立場の人たちが声を上げ始めていると報道していた。
 この本は、これから私たちがどう行動していくのかの指標がたくさん詰まっている。日本の現状をこのままでいいと思ってる人はいないはず。時間がないからと今に流されているとどんなことのなるのか?私も正直アメリカの話を聞いてもまさかそんな風にはならないと思っていたが、「ルポ貧困大国アメリカU」を読んで背筋の寒さを覚えた。もう5年後ではなくなってきている。民主党に政権が交代しても私たちの暮らしは良い方向に向かっていない。 チェンジを起こすのは政治家ではなく私たち一人ひとりなんだと、みんなが集まり大きな声にしていく必要性を感じさせる本だった。今の暮らしに不安を感じている人、今の人のあり方が少しおかしいのではないかと思われる人は、是非この本を読んで自分の足元を見つめてみましょう。


週刊墨教組 No.1601              2010.8.16


総人件費削減を許すな!  2010人事院勧告
 月例給、ボーナスともに2年連続のマイナス勧告
    月例給 757円(0.19%)引き下げ
    一時金 0.2月削減(年間3.95月)
      特別給が4ヶ月を割り組むのは1963年以来47年ぶり
 平均年間給与はマイナス9.4万円(マイナス1.5%) 
 50歳台後半層狙い撃ちの給与引き下げ断固反対!
    闘いは今後に継続する


 人事院は10日、内閣と国会に対して、@民間給与との較差757円、0.19%を解消するために月例給を引き下げる。Aボーナスは0.2月削減し年間3.95月とする。B55歳を超える職員の一部(行政職俸給表(−)六級以上の職員)を対象に俸給と特別調整額の支給額を一定率で減額(△1.5%)することを中心とした人事院勧告を行いました。

2年連続のマイナス勧告
 2年連続の月例給、特別給(ボーナス)ともに引き下げであり、特別給が4ヶ月を割り組むのは1963年以来47年ぶりのことです。過去最大の減額幅となった昨年に続き、2年連続で厳しい勧告となりました。
 景気の持ち直しとともに民間給与は若干なりとも上向いており、到底民間実績を正確に反映したものとは思えず、生活防衛の観点からも極めて不満な勧告です。労働基本権の制約によって公務員労働者の生活を守るべき第三者機関としてある人事院の職務を自ら放棄した勧告と言わざるを得ません。

50歳代後半層狙い撃ちの給与引き下げ断固反対!
 50歳台後半層の給与引下げ措置については、職務給原則と相容れません。民間においては「50歳台後半層の民間の月例給は、他企業への出向・転籍なども背景に、全体としてみると50歳台前半層に比べその水準が低下している。」実態が(その是非はともかく)あります。単純に比べることはできません。手続き的にも拙速そのものです。
 当初より対象が縮小された(今年度は行政職の上級のみ、教育職には係わらない)とはいえ、給与制度上の問題点も何ら解消されておらず、これを受け入れることはできません。勧告でも「60歳前の公務員給与については、今後、定年延長に伴う給与制度の見直しの中で、その在り方を引き続き検討する」としています。今後、この年齢差別的引き下げ措置が拡大することは必至です。

賃金・労働条件の改善は闘いにより獲得される
 公務員連絡会(日教組、自治労を含む)は、・生活を守る月例給与水準の維持、・生活防衛に必要な一時金支給月数の確保、・非常勤職員等の処遇改善と雇用確保などを重点課題に設定し、運動を強化しています。
 賃金改善を含め、労働条件の改善は、闘いでしか獲られません。闘わなければ労働条件はどんどん切り下げられます。闘いましょう。
 あなたが組合に加入することは闘いの大きな力となります。HPをご覧ください。メールなどでご連絡ください。


  勧告・報告の主要点 人事委員会勧告2010へ

1.公務員給与が民間給与を上回るマイナス較差(△0.19%)を解消するため、月例給の引下げ改定(50歳台後半層の職員の給与水準是正のための措置及び俸給表の改定を併せて実施)
(1)55歳を超える職員(行政職俸給表(−)5級以下の職員及びこれに相当する級の職員を除く)について、俸給及び俸給の特別調整額の支給額を一定率で減額(△1.5%)
(2)さらに、中高齢層(40歳台以上)について俸給表を引下げ改定
・行政職俸給表(一)(1)による解消分を除いた残りの公務と民間の給与差を解消するよう引下げ(平均改定率△0.1%)。その際、中高齢層(40歳台以上)が受ける俸給月額に限定して引下げ
・指定職俸給表 行政職俸給表(一)の公務と民間の給与較差率と同程度の引下げ
(△0. 2%)
・その他の俸給表 行攻階俸給表(一)との均衡を考慮した引下げ
・給与構造改革の俸給水準引下げに伴う経過措置額についても、本年の俸給表の改定率等を踏まえて引下げ
2.期末・勤勉手当(ボーナス)の引下げ
      4.15月→3.95月(△0.2月分)
3.高齢期の雇用問題
 公的年金の支給開始年齢の引上げに合わせて、平成25年度から、定年年齢を段階的に65歳まで延長する。
<定年延長に向けた制度見直しの骨格について>
 定年延長を行うに当たっては、管理職の役職定年制や組織活力の確保のための人材活用方策等に取り組むとともに、短時間勤務を含め多様な働き方を選択できるようにすることが適当である。定年延長後の給与については、職員の職務と職責を考慮しつつ、民間企業の雇用・所得の実態を踏まえて60歳台前半の給与水準を相当程度引き下げなければならないと考えている。
 こうした基本的な考え方の下、
○60歳以後の働き方について職員の意向を聴取する仕組み
○役職定年制を導入する場合の対象範囲や役職定年年齢
○定年前の短時間勤務制
○60歳台前半の給与
○加齢に伴い就労が厳しくなる職務に従事する職員の取扱い
 等についての検討が必要。
 なお、60歳前の公務員給与については、先に述べたように、今後、定年延長に伴う給与制度の見直しの中で、その在り方を引き続き検討する。

4.公務員人事管理に関して
A 公務員の労働基本権の在り方
 公務特有の基本的枠組み(内閣と国家公務員は双方が国民に対し行政執行の責務を負うとともに、労使関係に立つという二つの側面を有する)と特徴(市場の抑制力が欠如している等民間と大きく相違)を十分踏まえて行うことが必要
B 非常勤職員制度の改善
(1) 日々雇用の非常勤職員の任用・勤務形態の見直し
 日々任用が更新されるという現行の日々雇用の仕組みを廃止し、非常勤職員として会計年
度内の期間、臨時的に置かれる官職に就けるために任用される期間業務職員の制度を設ける。本年10月1日から実施
(2) 非常勤職員の育児休業等
 仕事と育児の両立を図り得るような勤務環境を整備する観点から、非常勤職員について育児休業等をすることができるよう法律の改正についての意見の申出を国会及び内閣に対して行った。あわせて、介護を行う非常勤職員の両立支援を推進するため、介護のための休暇の制度の導入についても措置することとする。
C 超過勤務の縮減
D 適切な健康管理及び円滑な職場復帰の促進

★10・23通達撤回! ★「君が代」処分撤回!
★裁判闘争に勝利しよう! ★業績評価・成果主義反対!
★主幹・主任教諭制反対! ★分限免職を許さない!
★石原都知事は直ちに辞めろ!

8/28(土) 都教委包囲行動

 新宿繁華街デモ!
   14時〜 新宿駅西口で街宣・署名活動
   15時〜 新宿・柏木公園集合/デモ
 都庁第二庁舎前抗議!
   16時〜 都庁第二庁舎前抗議行動
  主催:都教委包囲・首都圏ネット
関東大震災87周年
朝鮮人殉難者追悼式のご案内

 1923年関東大震災時に「朝鮮人が暴動を起こす」などの流言蜚語がとび、市民・軍隊・警察によって数千の韓国朝鮮人が殺害されました。追悼によって過去をありのままに受け止め、繰り返さぬことを誓い、平和を願おうではありませんか。
 日時 9月4日(土)午後3時より
  1時より八広小で「隠された爪跡」上映
 場所 荒川河川敷木根川橋下手
          
京成線・八広下車徒歩5分
主催 「グループ ほうせんか」
    「関東大震災時に虐殺された朝鮮人の遺骨を発掘し追悼する会」




週刊墨教組 No.1600              2010.8.13


「夏期プール」「土曜日授業」「学校ICT化」・・・
     きちんとした論議と手続きを求める
教育長に緊急課題を提出


 七月二七日、組合三役は区教委に対し、総会や分会長会で各職場から出された諸課題と経年課題の解決を図るため、区教委との意見交換を行いました。区教委からは、教育長・教育次長・庶務課長・学務課長・指導室長・すみだ教育研究所所長が参加しました。
 冒頭、委員長が、極めて緊急の課題として「夏期プール」変更は、これまでの経緯を踏まえずに行われた一方的なものであり、旧来のやり方にもどすことを強く訴えました。「土曜日授業」については、校長会での教育長の話を伝えている校長も、伝えていない校長もいる。そのような中途半端な話し方はおかしい。従来墨田区教委はきちんとした議論をして物事を決めてきた。今回のようなあいまいなやり方は、都教委や一部校長の強行に煽られ引きずられ追随しているように見えてならないと危惧を表明し、墨田区教育委員会らしい冷静な対応を行うことを要求しました。
 「『ICT化』では区で把握している問題を誠実に開示しつつ「現場の意見をよく聞いて進めること」を要望しました。さらに、職場労働環境の改善、「学習状況調査」「個人学習プロフィール」の中止などについて問題提起をし、解決を求めました。今後、課題ごとにとりくみを強化していきます。

職場の労働条件と権利を守るのは
先ず職場の私たち自身
 校長の独走・暴走を抑えるのはまず何よりも学校を形成している教職員です。
 残念ながら今、全員の校長あるいは校長会のすべてを信頼することはできません。教職員の労働条件を法に則って守っているという校長は必ずしも多くありません。確かに教育課程の編成権は学校にあります。しかしそれは校長の独断専横を認めているのではありません。教育委員会は干渉することはできませんが、法を守らせることは必須の義務です。
 組合は〈「土曜日授業」は「学校完全週5日制」「週休完全2日制」の破壊である〉という立場で、労働条件を守る闘いをすすめます。各職場の闘いと有機的に関わりながら、決してあきらめることなく、情勢に流されることなく、理のない雰囲気だけが先行する「土曜日授業」反対の闘いをすすめます。

「学習状況調査」
「個人学習プロフィール」中止を
 組合は一貫して、「学習状況調査」の実施に反対してきました。「現実の子どもの様子と1回のテストでの分析が異なる場合は、現実を考慮して子どもをとらえてください」と区教委側の発言がありましたがそれならばテストは不要です。益はなく弊害はますます多い。数字は一人歩きして、ホームページをもとに学校の序列がつけられています。「点数を上げる方法」を考えている者もいます。「学習状況調査」としておかしなことです。
 さらに昨年度から始められた「個人学習プロフィール」にも教育をゆがめるものとして反対してきました。区教委は「『プロフィール』は、個々の児童生徒への手立てと年毎の変化をとらえるもの」と重要視していますが、あまりにも現場の感覚・受け止め方とずれた認識です。
 一昨年度、一度だけ、前の年の結果も記載した個票が保護者に渡されました。「個人学習プロフィール」はその延長に位置づけられると考えられますが、昨年度から個票には経年記載がなくなりました。「昨年度からあのような経年変化記載は、商品パッケージとしてなくなった」との説明でした。それをやるには「追加の経費が必要だった」とのこと。教員にやらせれば経費はかからないということでしょうか・・・。ただ、手書き転記はしなくても済むように現在庶務課と調整中とのことでした。
 さらに、「採点業者から各学校に提供され」た「A,B,C,Dの4段階で評価したもの」が、区の実施要綱での基準と異なっているものがあることを指摘しましたが、その返答は納得させるものではありませんでした。「学力向上の重要な施策」とするにはあまりにも杜撰です(その後の「個人学習プロフィール」をめぐる問題については後ほど報告します)。
 なお、「『学習状況調査』の結果により区としての援助、例えば人的配置はしないのか」との質問に、「学校からの授業改善プランでそのことが出てくれば、ヒヤリングをして妥当であれば補助金なりを出すことはできる」との見解を表明しました。

職場からの提起と闘いをもとに
 以下、「職場労働環境の改善」「諸外国からの転入者・入学者の『学習を保障』する基本方針」「その他」についても、これまでと同じように組合と協議しながら進めていくことを確認しました。
 今回、区教委内での情報の共有が必ずしもうまくいっていないことを感じました。今回の話し合いは組合側の問題提起と区教委内で何が課題であるかを認識させるという意味でも大きな意義があったと自負します。
 ただ、課題を浮き彫りにしただけでは何もなりません。今後、個別の課題について具体的な作業を進め、より良い解決に向かわせるように区教委に働きかけなければなりません。そのためには墨田で働く教職員が何を願い、何を大切なことと考えているのか、何が桎梏であるのかが、明確になり力にならなくてはなりません。
 今後も、組合は、労働条件・教育環境について、職場からの提起と闘いをもとに、とりくみを強めていきます。

資料 「緊急重点課題提案」 2010.7.27

1.職場労働環境の改善
(1) 気もち良く働くことができる職場
@ 合意形成を大切にし、職員の意欲を引き出す学校運営の推進
◇「一方的指示命令、権限行使がリーダーシップ」と考えている校長が少なからず存在する。
◇その時に、かつては「教育員会は・・・」と、近頃は「校長会で決まったが・・・」と使って、十分な説明や論議を避け、強権的に決定する。
◇学校の最終的責任は校長にあるとしても、担任・担当・講師の配置・どのような行事を行うかなど、多くの教員の意見を聞かないで決定してしまう。
◇職員会議を軽視する傾向がある。
A「病気休暇」、「病気休職」者、「若年退職」者増に対する実効ある対策
 実態把握、原因究明、対策の検討
B「中間面接」異動に際して、「人事構想」を提示もせずに「あなたは人事構想にない」、「職員会議で意見を言う人はいらない」というのは、明らかにパワーハラスメントである。
  「中間面接時において、校長は個々の教員に人事構想に基づいて十分な説明をする・・・」(都教委)とされる人事構想を教職員にきちんと説明するよう周知されたい。
(2)勤務時間が適正に守られている職場
@休憩時間の実態的確保
◇ 休憩室の設置。
・休憩時間であっても、職員室、教室にいれば何らかの仕事をしている実態。
・「現状においては要望に沿いがたい」との回答から、教室に余裕のある場合や、新設校についてはできるはずだ。
◇ 休憩時間の意義の徹底、休憩時間が確保されているかの実態調査
・校内での会議、区教研や区教委主催の研修会でさえも、休憩時間に大幅に食い込むことが多々ある実態。
・休憩時間がとれなかった場合、繰り下げることができること、常態でなければ、4時に退勤することもありうることを確認されたい。
◇ 区教研・区教委主催研修会等では、休憩時間が保障される時間設定を行うこと。
8:05勤務開始の学校の場合、4:05に終了しなくてはならない。
A勤務時間の厳正な運用のために、次のことを校長に指導すること。 
◇4月当初に勤務時間の割り振りを文書で確認すること。
◇週休日の意義の徹底、週休日の「割り振り変更」を厳正に行うこと。
◇宿泊行事における相殺(調整)時間の算定を、勤務実態に合わせて行うこと。
B長時間労働の実態把握。職員の心身を健康に保つため、諸施設の改善を図ること。
C多様な勤務形態と勤務内容があることを全職員へ周知し、共通理解を図ること。「時間外労働・サービス残業」などはあってはならない。

(3)「土曜日授業」は、学校五日制と教職員の完全週休二日制を崩すものである。学校五日制をくずすいかなる理由も存在しない。極めて例外的な週休日の変更規定を機械的に適用してはならない。追随すべきではない。
(4)「夏季プール」は、外部指導員数を原則2名に復し、時間給単価をあげて、より継続的で充実した指導が行えるようにすること。

2.教育環境の改善
 (1)区の教育施策について
@教育研究所の施策について
◇「学習状況調査」を実施しないこと。
◇「個人学力プロフィール」は、学校現場の実態にあっていない。要録や校内・校間の現行文書・情報交換で十分である。中止すべきだ。あまりにばかばかしいコンピュータ文書の手書き転載・集積・手分析は直ちに改善されたい。
A「学校ICT化」にあたって、学校現場は大きく混乱している。
◇「ICT化」のために無駄で余計な時間が使われており、その趣旨に反する。
◇時間講師・非常勤教員など、パソコンを支給されていない教職員は、情報が手にはいらない。従来通り黒板を使ったりして、情報から疎外され教職員の間に情報格差がないように措置すべきだ。
◇「ICT化」に必要なものは何か、不要なものは何かを直ちに調査し、組合と相談・協議して改善策を明確にすべきだ。
B 諸外国からの転入者・入学者の「学習を保障」する基本方針
1. 区南部の小学校と、中学校に日本語学級を設置すること。
2.児童・生徒の実態にあわせて「通訳介助」を措置すること。
3.転入者・入学者からの教育要求や、要求に対する学校対応の実態を把握すること。「すみだ国際学習センター」(錦糸小内)では、入級する生徒数の増加のため、指導スタッフが不足している。
(2)その他
@「学級崩壊」・不登校児童生徒、中学校での「荒れ」の実態を把握し、各学校でのとりくみを支援すること
A「いきいきスクール事業」においては、学校の姿勢により今までのトラブルは改善された。これからも実態を把握し、生涯学習課が責任をもって適正に運営されたい。
B移動教室等宿泊行事に同行する看護師派遣の取り扱い変更の趣旨は何か。経費削減か。「女性教諭」に限って条件をつけることは、男女共同参画社会の趣旨に反する。
C最も基本の教育条件である児童机の修理・補充に区予算が措置されない。予算が少なくとも、最優先にすべきものは何か、逆転している。


週刊墨教組 No.1599              2010.7.26

課題が増えるばかりの学校「ICT化」
 各校が使ってきた「通知表」を作れない
 評価項目数が固定される「学びの扉」通知表は欠陥品
「ICT」を支配の道具にしてはならない

さらなる「学びの扉」通知表の後退
 「学びの扉」で提供される通知表(以下「学びの通知表」)の行動欄は、前回六月の説明では、五〜十項目を自由に書けるとされていました(週刊墨教組 No.一五九四 二〇一〇.六.九)。ところが今回、この欄も十項目に固定されることになりました。
 これまで各学校では行動欄も、子どもたちの発達にあった、子どもたちの実態と学校の目的、保護者の願いなどを考えて項目内容も項目数も決めてきました。その多くが五〜十項目だったので六月のサンプルが出されたのでしょう。私たちはこの欄をさらに一〜十項目にするように要求してきました。なぜなら行動欄を何項目にするかは学校によって決めるものだからです。それが学校の意思を実現するものだからです。また、項目数をいくつにするかなどはパソコンにとっては極めて簡単なことだと考えたからです。
 ところが、まったく反対の結果がだされました。
 六月に提示された、「行動欄は五〜十項目を選べる」のサンプルで「学びの通知表」を採用した学校、それも行動評価が十項目なかった学校はどうするのでしょう? いくつかの欄を空欄にしておくのでしょうか? それとも無理矢理に「学びの通知表」に合わせて評価項目を十項目にするのでしょうか? 学校が独自に評価項目を決められないというのは「通知表」として大きな問題です。
 幸い二学期制です。今からでも遅くありません。九月になってから昨年度と同じものを印刷やさんに注文すれば、十月までに十分間に合います。

理解できないほど「難しい」?
 いったいなぜこうなったのか? 答えは「技術的に難しいから」という実に簡単な一言です。五項目なら五項目に合わせたPDFファイル用レイアウトをつくり、六項目なら六項目のPDFファイル用レイアウトを、七項目なら・・・・つくらなくてはならないから、そんなことはできないのだそうです。まあ、大変なんですねえ・・・と言いたいところですが、しかし、そこは素人の悲しさ。ここで「専門家」から説明されていることが納得できるほどの知識も理解力も持ち合わせてはいません。
 そこで素朴な疑問。
 それならなぜ六月にあのような提案を「専門家」はしたのでしょうか?
 これまで中学校やいくつかの小学校では通知表をパソコンで簡単に自校に合わせてレイアウトできてきたのでしょうか?
 他区では各学校にあった通知表が簡単にできているというのは嘘なのでしょうか?
 PDFファイルというのは、パソコン環境・フォントの有無にかかわらず同じレイアウトで見ることができるファイル形式だとききます。レイアウトするためのソフトではありません。これでレイアウトをするのは難しいでしょう(「専門家」が難しいと言っているのですから難しいのでしょう)。素人はワープロソフトや表計算ソフトでレイアウトした後に「印刷する感覚」でPDFファイルを作ります(※1 PDF 「レイアウトソフトなどで作成した文書を電子的に配布することができ」)。PDFでレイアウトするのは本当に難しそうです。それ以上に「PDFでレイアウトするから十項目に固定するんだ」との言はもっと理解し難いことです。

 早急に、各学校で昨年度まで使っていた通知表書式が使えるように、仕様変更すべきです。

「知らせない」区の姿勢は問題
 多くの学校から、「学びの通知表」については要望や疑問が寄せられています。また、六月時点で回収された「修了証」部分もどうなったのか明らかにされていません。それなのに、このような重要なことを、各校(「学びの通知表」を今年度使おうが使うまいが)に知らせない区教委のやり方は問題です。より良いものを現場と知恵を出しながら作っていこうという姿勢の片鱗も見出せません。

何度も確認しましょう
 「ICT化」は何のために行うのか
 各校のこれまでの営みの軽視、斉一化、融通のきかないソフト、「個人プロフィール」での人間と機械との関係…と考えていくと、どうしても区教委の「悪意」を疑わざるを得ません。
 「学びの通知表」は十項目で固定。各学校が項目数を決めたり評価内容や文章を考えたりする必要はない。時間の無駄だ。そんなものは一括して区で決めるから、教員は決められた「学びの通知表」に子どもたちを当てはめていけばいいのだ・・・と。
 私たちが内容・導入方法への批判を多く持ちながらも墨田区教委の「ICT化」に基本的には反対してこなかったのは、趣旨が「教職員の校務事務負担を軽減させ、児童・生徒一人ひとりと向き合える時間を増やす」だからです。確かにこれまでのやり方では、毎年新しいクラスの名簿を各担任は新たに作り、たくさんの名簿にハンコを押していました。それが「ICT化」によって減ることは望ましいことであると考えています。今以上に「ICT」という道具をつかって事務作業・ルーティンワークは簡便にするべきです。
 しかし、「校務事務」を「教職員一人一人が主体的に考えたり、共同して学校の意思を決めたり、やり方を考えたりすること」として、これの「負担軽減」をはかるとして教職員をこの過程から排除することは許されません。それは教育労働の「ファストフード化」であり教育の「死」を意味します。「学びの扉」と職場に導入されるパソコンは働く者を支配する道具ではなく、労働をより豊かにするための道具でなくてはなりません。

※1 PDF 【Portable Document Format】
Adobe Systems社によって開発された、電子文書のためのフォーマット。レイアウトソフトなどで作成した文書を電子的に配布することができ、相手のコンピュータの機種や環境によらず、オリジナルのイメージをかなりの程度正確に再生することができる。文字情報だけでなく、フォントや文字の大きさ、字飾り、埋め込まれた画像、それらのレイアウトなどの情報を保存できる。PDF文書の作成には同社のAdobe Acrobat(または互換ソフト)が、表示にはAdobe Readerが必要。(e-words.jpより)

コンピュータの「しもべ」
 チャプリンは歯車の中を踊って本来ならば人間の労働を豊かにすべき道具の一つである機械(自動機械!)が人間を支配し人間を惨めなものにしていく様を見事に映像化した。あれから半世紀たった今、歯車に象徴化される第二次産業はコンピュータを中心とした情報産業の時代に移った。それに伴って悲惨も形を変える。
 しかしそれ以上に滑稽な姿がこの時期、墨田区の公立学校でよく見られる。そこでは、私企業が作り、どのような規準によって採点されたかもわからないテストの結果、コンピュータによってランク付けされ印字された結果を、手書きで(もう少し進化した形態としてはハンコが使われている。たいしたものだ!)紙に書き写している教員の「真剣な」姿が見られる。機械の下僕になった哀れな教員ども。これが墨田区の「ICT」化と言われているものの姿だ。
 似たようなものに「指導要録の扱い」がある。1表は一年生だけが「学びの扉」で作る。「ICT化」だから当然と言えば当然だ。ところが、二年からはどうも「ICT化」から外れて、手書き・ハンコの世界に戻るらしい。まったく一貫性も何もあったものではない。





主幹教諭選考 区分B(推薦制)
  推薦を校長には任せてはおけない?
   目指せ一二〇〇人!
 
もはや「選考」とは言い難い「主幹選考区分B」

 二〇〇二年度から導入された主幹教諭職ですが、その選考は紆余曲折がありさまざまな方法が試みられました。受験年齢の拡大、指名制・推薦制の導入、申込期限の延長等々。にもかかわらず、受験者数が伸びない、完全に配置できない…。ならばと、主幹の定数引き下げも行った。職階制をより強め主任職をつくった。主任職は希望者が予想以上に多かったから主幹の受験者も増えるだろうとほくそ笑んだ・・・・が駄目だった。

そこで今回 またまた大変更
 これまで、「推薦制(区分B)は区市町村立学校にあっては、学校長及び区市町村教育委員会教育長による推薦制とする」とされ、各学校長が「推薦基準を満たす者を推薦候補者として人選」し「調書を作成」、「推薦された者」から出された「受験申込書」とともに「区市町村教育委員会へ提出」。教育委員会はこれに「推薦書」を教育庁人事部に提出していました。選考は区分A区分Bとも「個人面接及び日常の勤務実績等により行う」とされていました。
 二〇一〇年七月八日付「平成二二年度主幹教諭選考実施要綱」では、選考区分B(推薦制)について
「本要綱の受験資格及び推薦基準を満たす者のうち、区市町村教育委員会の推薦による。…なお、推薦するにあたっては、各教育委員会と校長の協議を経ることとする」とあります。推薦人が校長ではなく教育委員会になったのです。受験資格は区分Aと同じです。
 「推薦基準」は、過去二年間の「勤務成績等が良好と認められる者」「主幹教諭としての適性を有すると認められる者」でこれまでと変わりません(が何というあいまいな基準でしょう)。

「受験申込書」も「面接」もなくなった
 昨年度まであった「受験申込書」も「面接」についても記載がありません(区分A(申込制)にはあります)。
 七月九日付文書「主幹教諭選考区分B(推薦制)における選考手続きの見直しについて」では推薦方法に加えて、
「(2)各教育委員会等から推薦された者に対して、推薦同意の意思確認を行う」
「(3)選考方法について、個人面接を免除する」
とあります。そうです。面接しないのですから「受験申込書」も必要ありません。ただ、それでは本人の意思確認ができませんから「推薦同意書」が必要になるのでしょう。「同意書の提出を持って受験申込とする」とあります。完璧です。

これで主幹が充足しなかったら・・・
 昨年度、区分Bでは、受験者数六九三人、合格者数六七三人、二〇人の方が不合格になりました。「校長の『推薦』」にもかかわらず「不合格」だった理由は質したいところです。しかし、今年はもうこのようなことはありません。「教育委員会の推薦書」と「本人の同意書」さえあればいいのですから。
 ところで、このようなものを「受験」とか「選考」とかいうのでしょうか?
 いずれにせよ、昨年度区分A受験者二四一人・区分B受験者六九三人という実績を踏まえた選考方法の見直しで、「学校運営において、担当する校務に関する事項の責任者として学校経営方針を推進し、人材育成、分掌間の調整、教諭等を指導・監督するなどの重要な職責を担う主幹級職教員(二〇〇六年度目的)」「合格予定者一二〇〇名」を目指しているのです。


劇 関東大震災 命ある限り
   歌舞音楽集団荒野座

8月15日 午後3時から
亀戸カメリアホール 亀戸駅5分
 前売り2500円当日3000円
 問い合わせ 荒野座 3601−0249




週刊墨教組 No.1598        2010.7.19

人事院 さらなる賃金引下げを提案
  五十歳台後半層給与引下げ提案を断固撤回させよう!
 公務員連絡会は、七月十三日、中央決起集会、人事院交渉を行いました。
 前自民党政権の総人件費削減政策が継続されています。月例給はマイナス較差が想定される厳しい状況です。一時金も昨年冬の民間実績がマイナス十〜マイナス十五%となり非常に厳しい状況です。公務員の生活を守ること、非常勤職員の処遇改善と雇用の保障、一時金の支給月数確保など公務労働者総体で解決しなくてはならない課題です。

五〇歳台後半を狙い撃ち
 人事院は「五〇歳台後半層については、公務の給与水準が民間を大きく上回り、その差が拡大する傾向が見られることから、早急に是正する必要があると考えている」「較差がマイナスとなった場合には、従来の俸給の傾斜配分による方法では限界があることから、新たな方法として五〇歳台後半層の給与に一定率を乗じ引き下げることを考えている」と、五〇歳台後半を狙い撃ちにした給与引下げを実施することを提案しています。
 公務員連絡会は五〇歳台後半の給与引下げ提案は断じて認められない、断固反対の立場を貫き、撤回を求めていくことを決定しました。
 人事院提案が通ってしまったら、五〇歳台になって賃金が引き下げられるのはあなたです(五〇歳前に転職するなら別ですが)。このような年齢差別賃金提案の撤回を求めて闘わなくてはならないのもあなたです。
 賃金・労働条件の改善は闘いによりえられるのです。


定年延長 人事院案
 まず労働環境の改善を
 年金の支給開始年齢が二〇一三年度から段階的に六五歳まで引き上げられるため、六〇歳定年のままだと無収入の期間が生じます。そのために定年延長が検討され、二〇〇九年人事院勧告において「公務能率を確保しながら六五歳まで職員の能力を十分活用していくためには、年金支給開始年齢の引き上げに合わせて、平成二五年度から、定年年齢を段階的に六五歳まで延長することが適当」との考えが表明されました。
 定年延長の実施にあたっては、定年延長を理由に次のような事態が起こらないようにすることが課題として考えられます。
・六〇歳前の給与水準が引き下げられないか。
・六一歳以降の給与水準がさらに引き下げられるのではないか。
・退職金の扱い、とくに六五歳前退職の場合、現在よりも不利にならないか。
・定数問題を解決しないと、新採者雇用を圧迫する。退職のない年が三年に一度ずつ五回予想されます。
・再任用「再雇用」制度との関係
など多くの解決しなくてはならない課題があります。
 それ以上に私たちは、六〇歳定年制の現在ですら、六〇歳まで仕事を続ける教員が少ないという事実を、身をもって知っています。全国の学校(義務制)で定年まで仕事をされる方は四三%(女性六七%、男性三七%)しかいません。定年前退職者の七〇%は五〇歳台で、四五%が五六歳以上です。約半分の方が定年を目の前に辞めていくのです。
 中には今の仕事以上に魅力的なことを見出して辞めていかれた方もいるでしょうが、私たちの「実感」ではそういう例はまれです。学校現場の多忙化、無駄で空しい仕事の増加、働いていたら家庭の諸事情を解決するだけの余裕がない・・・。早期退職した方の多くは、悔しさをにじませて学校現場を去って行きました。
 このような、六〇歳定年までも行きつかない学校現場の状況をまず変えなければなりません。このままの状況を続けたまま定年延長と六〇歳前給与水準の引き下げをすれば、「早期退職者」の更なる増加と低年齢化を結果するでしょう。それは「実質的な定年短縮」と言わざるを得ません。
 職場での労働環境を少しでも改善していくことが必須です。

8/28(土)都教委包囲行動
 14時〜 新宿駅西口で街宣・署名活動
  15時〜 新宿・柏木公園集合/デモ
  16時〜 都庁第二庁舎前抗議行動
   新宿繁華街デモ! 都庁第二庁舎前抗議!
      主催:都教委包囲・首都圏ネット
          ブログhttp://kenken.cscblog.jp/





週刊墨教組 No.1597         2010.7.10

夏季休業を有意義に過ごそう
 まず、夏期休暇を確実に そして、「研修」を
 「研修」は自主的自発的な教員の「義務」である


 「忙しい・疲れる」、休憩がとれない。こうした環境から、少しは解放されるのが夏季休業です。夏季休暇五日間と年休を使って、職場としばらく縁を切ることも保障された権利です。また、自主的な研修に意欲的にとりくめるのも夏季休業期間です。「研修の取り扱い」が改悪されて九年目になります。組合は、自主的、自発的、主体的に行うべき「研修」の機会を保障させていくとりくみをすすめています。民間の教育団体が主催する研究会への参加も、個々の教員の自主的自発的な研修も、当然保障されるべきです。
 教員の研修のあり方は、一般の公務員の研修(国公法七三条、地公法三九条)の扱いと異なって、教育公務員特例法(以下教特法)で特別に規定されています。創造的な教育活動を営むには、日常不断の研修(研究と修養)活動が必要不可欠であることを教特法二一条で保障しているのです。
 一般の公務員の研修は、その規定から明らかなように勤務能率増進上のいわばその手段として他律的に課せられたものです。しかし、教員の研修は、その職務 遂行上不可欠なものとしてあり、他律的に課せられるものではなく、自主的、自発的、主体的におこなわれるべきものです。また、二二条2項で、いわゆる「承認研修」の機会を保障しています。
 研修問題を考える場合、先ずこの点を押さえておく必要があります。

自主的研修を実現しよう 
 区教委は教特法を遵守する立場にあり、区教委には研修の機会を保障する責務があります。区教委が研修内容・方法に介入することはありません。私たちは、「自宅研修」も含めて、あくまでも自主的、自発的、主体的に行うべき「研修」の機会を保障させていくとりくみを、粘り強くすすめていく必要があります。

意地でもとろう「承認研修」
 研修の機会の保障は、一人ひとりの教員が必要とする研修を承認させるところにあります。
 「承認願い」「承認研修報告書」が面倒だからと、「承認研修」を敬遠することは、結局、「教員の自主的自発的研修は不振=不要」との根拠を与えてしまいます。
 もちろん、この通知は、教員の自主的自発的研修を制限し廃止させるための文書です。腹立たしい規定ではあります。しかし、「あっ、これなら私が家でやっているあの作業は承認されるはずだ」「これは承認研修になりうる」と思うものもないわけではありません。「承認研修」をとるためによくよく読みこんでください。
 また、「図書館等」となっている「等」は、他に、「博物館」「浄水場」・・・などが考えられます。そして、例外として「自宅」も否定されてはいません。
 自宅でしかできない研修は、自宅でしか研修できないのです。そのような研修はこの何年間かにも着実に行われています。

教育公務員特例法二一条・二二条
研修二一条 教育公務員は、その職責を遂行するために、絶えず研究と修養に努めなければならない。 
2 教育公務員の任命権者は、教育公務員の研修について、それに要する施設、研修を奨励するための方途その他研修に関する計画を樹立し、その実施に努めなければならない。
研修の機会二二条 教育公務員には、研修を受ける機会が与えられなければならない。 
2 教員は授業に支障がない限り、本属長の承認を受けて、勤務場所を離れて研修を行うことができる。(以下略)

平成18年6月27日 東京都教育委員会教育長
長期休業日中における教育公務員特例法第22条第2項の規定に基づく研修の事務取扱いについて(通知)
※抜粋 傍線引用者

1 承認研修について
 承認研修は、教員個々の資質・能力を向上させるものとし、制度の透明性を図り都民への説明責任を果たすものでなければならない。
 そのため、研修内容は、教員の職務、特に児童・生徒に対する教育活動との関連を明らかにできるものとし、承認にあたっては、校長が事前に研修内容を確認した上で、個別に承認の適否を判断するものとする。
2 承認研修の種類
(1)大学等での公開講座等(2)教育委員会があらかじめ指定した研究会等
(3)授業力等向上のための承認研修
3 研修場所  あらかじめ届け出た場所
6 承認研修の承認方法 略
(3)授業力等向上のための承認研修
ア 申請   個人が校長に申請すること
イ 研修の内容
@授業及び講習のための準備等
 図書館等で授業及び講習に使用する資料の収集及び研究
ウ 承認の条件
@ 自己申告等の目標及び該当年度のキャリアプランの計画に照らして、授業力等向上に有用であると認められるもの
A 校務運営上支障がないと校長が判断するもの
B 勤務場所を離れて行う必然性があるもの
C 児童・生徒に研修成果が還元できると判断できるもの
D 特別活動、部活動にかかわる内容は除く
E 教研集会は認めない
F 海外での研修は認めない。

ドキュメンタリー映画
「お見捨てになるのですか
〜傷痕の民〜」
 7月10日〜23日
 渋谷ユーロスペースで連続上映

「朝鮮学校も無償化に!下町集会」
 7月22日(木)
19:00〜21:00
 サンパール荒川小ホール

  日暮里駅東口より都バス亀戸行き「荒川区役所前」徒歩2分
  千代田・京成線町屋駅より都電三ノ輪橋行き「荒川区役所前」徒歩2分
  日比谷線三ノ輪駅より都電早稲田行き「荒川区役所前」徒歩2分」

  朝鮮第一初中級学校生による舞踊とアピール
  田中宏さんの講演
(一ツ橋大学名誉教授・社団法人自由人権協会代表理事・著書多数)
  朝鮮学校保護者・各地域からのアピール

  参加費    500円
 主催 「朝鮮学校も無償化に!下町集会実行委員会



「朝鮮学校も無償化に!下町集会」に参加を
   私たちは教育に差別を持ち込む者を許さない!

 昨年8月にスタートした新政権の目玉政策として、「子育てを社会全体で」のスローガンの下、「子ども手当て」と「高校無償化」が4月1日から実施されました。けれど、「高校無償化」から朝鮮学校だけがはずされ、検討委員会預かりになったまま、7月を迎えても未だ結論が出されていません。
 私たち教職員は日朝教育交流を30年近く続ける中で、朝鮮学校との友好関係を築き、朝鮮学校も、学校公開やフェスティバルなどを通して、地域の人々と友好的な関係を築いてきました。今回の政府の朝鮮学校だけ無償化法から排除するという差別的な対応には心から怒りを覚えます。一日も早く、朝鮮学校の生徒が笑顔で通学できるよう、みんなの力で政府に要請し、「朝鮮学校も無償化に!」を実現しようではありませんか。

(1) 「無償化」法の趣旨とは何か
 所謂「高校無償化」法といわれているのは、正式には「公立高等学校に関わる授業料の不徴収及び高等学校等就学支援金の支給に関する法律」という長い名前の法です。公立高校にはその授業料を徴収せず、また、私立学校や外国人学校などには、支援金(年額約11万8千円)を支給するというものです。この法の趣旨は「高等学校等における教育に関わる経済的負担の軽減を図り、もって教育の機会均等に寄与する」となっています。
 4月30日付の文部科学省告示では、31校ある外国人学校については、適用を明言しましたが、朝鮮学校だけは、別に定める「検討委員会」によって適用が是か非か検討した後に決定するということになりました。
 この法の趣旨は「経済的負担軽減による教育の機会均等に寄与」とあります。が、政府は、従来あった特定扶養親族控除の廃止を前提にして「子ども手当て」や「高校無償化」を提案してきました。だから、「高校無償化」が適用されないとすると、朝鮮学校保護者の負担は従来より増すことになります。また、今までも、国からの支援がないまま、地方自治体からは日本の国立・公立・私立学校に比べてはるかに少ない補助しか受けていません(東京の場合では、私立学校の20分の1の助成金しか支給されていない)。
 保護者は、納税の義務だけ負わされ、支援金が支給されないとなると、経済的負担軽減どころではない状況になります。これは、「高校無償化法」の趣旨に反するだけでなく、法の下の平等を謳った日本国憲法第14条にも違反するものです。

(2)政府は、なぜ、
 「朝鮮学校だけ検討委員会に付す」ということにしたのか
 では、なぜ、朝鮮学校だけが検討委員会預かりになったのでしょうか。「高校無償化法」が提案される前に、まず、中井国家公安委員長(拉致問題担当大臣も兼務)から、「北朝鮮の拉致問題や核問題による制裁措置中の国の朝鮮学校に無償化法を適用するのはいかがなものか」という進言があり、それを受けた当時の鳩山首相は「国交もないし、朝鮮学校の教育内容も不明なので、即適用は難しい」と対応したのです。
 しかし、ここには重大な過ちがあります。まず、朝鮮学校は北朝鮮立学校ではありません。支援は受けていますが、例えばアメリカンスクールも大儀なきイラク戦争を推し進めたアメリカの支援を受け、日本と国交のない中華学校も台湾政府の支援を受けています。他の学校も同様です。
 国交がないということはどういうことでしょうか。未だに日朝国交回復をしていないのは誰の責任でしょうか。そもそも、平壌宣言を交わした小泉元首相は国交を回復しに行ったのではなかったのでしょうか。そのとき、拉致問題が明らかにされ、以降、政府としての国交回復努力は継続されませんでした。拉致被害者の家族である、蓮池透さんは、拉致問題の解決は制裁を続けることではなく、国交を回復し、話し合いの道を開くことだと日本各地で講演しています。
 「朝鮮学校の教育内容が不明だから」という鳩山元首相の無知振りにはあきれます。朝鮮学校は、各都道府県教育委員会に各種学校としての認可を得るために、必要な教育内容の届け出を行なっており、わずかですが補助金も支給されているのです。また、各学校はホームページを通して自校のカリキュラムの公開も行なっていますし、学校の授業公開も行なっています。
 この問題が起きたとき、田中真紀子さんを委員長とする文部科学委員会のメンバーたちが実際に朝鮮学校を訪問してもいます。川端文部科学大臣も大方の議員も、「政治的な問題や外交問題と教育問題は別に考えるべきだ」という意向でした。
 一部の政治家の思惑に振り回されている今回の対応は、政府自らが、率先して朝鮮学校を差別することになっているのです。           (以下次号に続く)
 (3)現代史の中で考える朝鮮学校
 今年は韓国併合100年にあたります。
 35年余にわたる日本の植民地支配によって、日本は、朝鮮の人々の土地を奪い、米を供出させるなど強力な軍隊の力を背景に朝鮮の人々を従属させてきました。生活できなくなった人々は海を渡り、日本で重労働に従事するなど苦しい生活を余儀なくされ、挙句は「日本人である」として、戦争動員もさせられました。また、朝鮮語を禁止して日本語使用を強制し、創氏改名といって名前さえ日本名にさせたのです。抵抗する人々は圧倒的な軍隊によって鎮圧され、虐殺され拷問を受けました。
 3・1独立闘争時の柳光順という女子高校生の活躍は今でも韓国では歴史学習の大事な内容であり、夏休みには親子連れがその生家・資料館を多数訪問して子どもたちに学ばせています。8月15日は「光復節」です。大日本帝国の侵略から解放された、光が復した日として祝日になっています。
 戦後、韓国政府は在日コリアンの存在は日本政府任せにし、北朝鮮は日本赤十字などが中心になった帰還事業と提携して在日コリアンの一部を受け入れたものの、多くの在日コリアンは日本に残らざるを得ませんでした。こうした戦後の事情もあり、残った在日コリアンは、奪われてきた母国の歴史や言葉・文化を学ばせる場として、「力のあるものは力を!金のあるものは金を!智恵のあるものは知恵を!」を合言葉に自らの力で、まずは「国語教習所」として、朝鮮学校の第一歩を作り出し、その後徐々に学校の形を取るようになりました。それが「朝鮮学校」です。
 しかし、東西冷戦の対立が強まり、1950年には朝鮮戦争が勃発すると、GHQは朝鮮学校封鎖命令を発し弾圧しました。「阪神教育闘争」と呼ばれる武力弾圧による犠牲者が多数出た事件も起きました。
 その後も、1965年の文部省事務次官通達では「朝鮮人としての民族性又は国民性を涵養することを目的とする朝鮮人学校は我が国の社会にとって、各種学校の地位を与える積極的意義を有するとは認められない」とされるなど、文部(科学)省は朝鮮人の民族教育を全く否定する政策を取り続けてきました。
 日本の戦争責任・植民地支配責任がきちんと精算されていないこととの関連の中で考える必要があります。在日コリアンたちは、こうした日本政府の差別的な教育政策に対して、民族教育を守り抜き、今日まで来ているのです。

(4) 今、朝鮮学校は
 1975年にはすべての朝鮮学校が各種学校として認可されました。カリキュラムが文部科学省が定めるものと違うので、学校教育法による私立校などの所謂「一条校」ではなく各種学校とされていますが、マイノリティの民族教育は、日本も批准している「子どもの権利条約」によって保障されているものであり、アメリカンスクールや中華学校などの外国人学校31も同様の扱いです。
 今、全国に1校の朝鮮大学校と10校の朝鮮高校があり、朝鮮高校には2000人の子どもたちが通っています。この4月、首都圏では神奈川と東京の朝鮮高級学校に250人の新入生が入学しました。さらに、東京都内には、9校の朝鮮初級学校・初中級学校があります。東京東部下町には、第一(荒川)第二(江東)第四(足立)第五(墨田)と4つの学校が集まっています。
 幼稚園から大学まで朝鮮学校で学ぶ子のうち、朝鮮籍の子は46%、韓国籍の子は51%、日本国籍や中国籍などの子もいます。また、2003年までは高校卒業認定試験(旧大検)に合格しなければ大学受験資格が認められませんでしたが、制度改正で大学が個別に受験資格を判断できるようになり、ほとんどの国立大や私立大学で書面審査や個別試験に通れば、受験資格を認めています。
 そして、スポーツの世界でも、2010年全国高校ラグビー選手権大会で、大阪朝鮮高級学校ラグビー部が大阪府代表として全国第3位の成績を上げるなどの活躍をしており、朝鮮高級学校が日本社会から、高等学校と同様のものとして認知され、評価されていることは明らかです。
 
(5) 政府に対する国連他の勧告や要請。
 これまで見てきたように、なぜ、朝鮮学校だけを無償化対象からはずすのかについては、全く合理的な理由はありません。「北朝鮮敵視」や未だに払拭できない日本社会における「差別意識」が根底にあり、生活不安や政治不信が渦巻く日本社会の人権意識の低下とともに、起きてきているとしか思えません。日本政府に対しては、これまでも国連・人種差別撤廃委員会から何度もの勧告が出されています。今年3月16日には日本での人種差別撤廃条約の実施状況を検証した報告書を発表し、「朝鮮学校を高校授業料無償化の枠から除こうとする日本の政治家の動き」について懸念を表明し、「日本政府が高校無償化で朝鮮学校を除外するのは人種差別にあたり、人種差別撤廃条約の『教育に関する権利の平等保障義務』に違反している」と警告し、改善を勧告しました。
 また、アムネスティ・インターナショナルは3月19日に「〜〜政治家からの働きかけによって教育に関わる内容に差別を設けることは『人種差別撤廃条約』上許される施策ではない。当局は直ちに朝鮮高級学校について高校無償化の対象に含めるべきである。」という声明を発表しました。
 そして、日本国内でも日弁連弁護士会会長を始めとする多数の弁護士や市民団体からの要請や声明が出されました。
 3月27日には代々木公園で、緊急な呼びかけにも関わらず、賛同団体70、参加者700人以上が集会を持ち、渋谷デモを行い、同じ呼びかけで行なわれた6月27日の芝公園には賛同団体150、参加者1200名という大きな要請行動が取り組まれました。その集会では朝鮮高校生から「私たちは高校生ではないのか。」「私の友人は韓国学校に行っているが、すでに支援金が支給されている。何故私たちだけが差別されるのか。この闘いには絶対に勝たなくてはならないと思う。」という日本社会の人権意識を問う発言があり、参加者の胸を打ちました。
 私たち教職員は日朝教育交流を30年近く続ける中で、朝鮮学校との友好関係を築き、朝鮮学校も、学校公開やフェスティバルなどを通して、地域の人々と友好的な関係を築いてきました。今回の政府の朝鮮学校だけ無償化法から排除するという差別的な対応には心から怒りを覚えます。一日も早く、朝鮮学校の生徒が笑顔で通学できるよう、みんなの力で政府に要請し、朝鮮学校にも無償化を!実現しようではありませんか。



週刊墨教組 No.1596         2010.6.16

闘いは秋に継続!!
  夏季一時金 現行条例、規則どおり、
  期末手当一.四五月分、勤勉手当〇.五月分、合計一.九五月分
  再任用職員は、
   期末手当〇.七月分、勤勉手当〇.二七五月分、合計〇.九七五月分
 六月三〇日に支給
「勤勉」手当比率拡大に反対する!


 六月十一日十四時より都労連と都側による団体交渉が行われ、都側より回答がありました。

全額期末手当での支給を要求
 都労連は、給与そのものに人事考課制度が影響している今日、せめて一時金の支給は、勤務実績があればその勤務日数に応じて、基準日主義を廃して、全額期末手当として支給すべきであると主張しています。
 都側は、諸般の状況を考慮、都民の理解と納得が得られる視点から検討したと述べました。また、大幅な税収減の下、より費用対効果の高い施策にシフト、人事給与制度を職責・能力・業績に応じたものとするための不断の見直しをすすめるとし、とりわけ、特別給への業績の反映度合いが不十分であるとの認識を強調しました。「特別給の勤勉手当の比率を一層推進する必要がある」と今後も成績主義を強化する意志を強く打ち出しています。
 給与構造をあれほど改悪しても、なお悪くできるところを探し続ける執念は恐るべきです。
 私たちの団結だけがこれを突破できます。



二〇一〇年度 教研集会
  六月二三日(水)三時から
  組合事務所にて
  記念講演 吉岡忍さん(小説家・評論家)
二時間休暇で得られる闘いと生き方のヒント

  組合員に限らず、多くのみなさんの参加を期待します。


 吉岡さんは「『編集者の学校』刊行特別セミナー」で、「取材はスピード感が大事」と述べていらっしゃる。


 『編集者の学校』の中で、私は方法論として、何にも調べないで現場に飛び込んでいくということを喋っています。もちろん大まかなイメージは思い浮かべてはいます。ただ、よく調べないでイメージするわけです。そしてそのまま現場に行きます。現場に行った時は、大抵何にも知りません。だから現場に入ってから、近所に話を聞きに回ったり、役所に行ったりして調べます。それはなぜかといえば、自分でだんだんと調べていくと、そこにスピード感が出てくるからです。一つのことを知って、そこから芋蔓式に調べていったり、誰かの話を聞いてそこから調べていったりすると、自分の中に次々と事実が積み重なっていく。このスピード感が大事なのです。
 企画を考える時に、一ヵ月も三ヵ月も半年も一年も考えることがありますね。そうするとスピード感が失われていってしまう。次々とものを調べて人と会って話を聞いて動いていく、このスピード感がないとたいてい途中で放り投げてしまう。スピード感をつけるというのが、書き手にとっては重要です。

「奇跡を起こした村の話」(ちくまプリマー新書)を読み終えた。吉岡さんのこの取材姿勢がはっきりとあらわれていた。現場に赴き、様々な人と向き合いながら、事実を積み重ねていくスピード感が心地よい。題名からして、読みたくなる。
 新潟県の北東部、山形県と県境を接した山間に黒川村がある。面積は山手線の内側の三倍もあるが人口は六千七百五十一人(二〇〇〇年国勢調査)。日本中どこにでもある村の光景だ。しかし、違うところが一つある。この村では人口が増えているのだ。ほとんどの村が高齢化や労働力流出で人口が減り過疎化しているというのに。そこには、村人と一緒になって村をつくってきた伊藤孝二郎村長の存在がある。吉岡さんが取材に入った二〇〇三年、伊藤さんはまだ村長をやっていた。七十九歳になっていた。十二期、四十八年間は、自治体の首長で最長不倒の記録だった。その年に亡くなった彼の遺志を、この村の人々は今でも引き継いでいる。

 エピローグで、吉岡さんは次のように結ぶ。

 しかし、「平成の大合併」が激しい勢いで進んでいる。この村も、地図上から消え、中条町と合併し、「胎内市」になった(二〇〇五年)。これからこの国を統治しようとする者たちは、個人に狙いをさだめ、個々人に直接働きかけ、動かそうとするだろう。国民ひとり一人に十一桁の番号をつけ、その個人情報を管理する仕組みにせよ、自己責任や、怪しげな人物の摘発と排除をめざすセキュリティー意識の強調にせよ、そうした動きはすでにあちこちで始まっている。

 ルポライターと教員では、まるで違うのだが、「現場感覚が大事なこと」「現場に応じて次の行為が起こされる」点について、私たちの仕事と共通するところもあるように思える。今は、「ある漂流者のはなし」(吉岡忍著・ちくまプリマー新書)を読んでいる。(Y)

書評 「ニッポンの心意気」 吉岡忍著

 この本には、ただひたすらに地道だけど自分探しをしながら、日々前を向いてがんばりすぎるでもなくただひたすらに自分に正直に生活を送っておられる方々が紹介されています。
 この本の「おわりに」に、「学校を出たら、就職する。仕事をするとは、サラリーマンであれ、フリーターであれ、会社や上司に使われることだ、という「常識」が日本の教育現場と社会に染みついている。結局、私が訪ね歩いたのは、使われない生き方と、自分の仕事のテーマや方法をみずから切り開いた人たちだった。仕事は、お金儲けとイコールではない。お金以上の価値をあたえてくれるものを仕事にすることの面白さを、若い読者に読み取っていただきたいと思う。」の文章があります。
 私は、若い人ではありませんが、閉塞感を感じる日々の生活の中で、これからの人生をどう生きればいいのか?と暗い気持ちに陥る時があります。そんな私にも、こんな生き方をしている人がいるのかということを知ることで、<とりあえずは、今のこの私のままでいいんじゃないの>って元気が出てきました。たくさんの人が短い文章で紹介されているので、忙しい毎日で細切れにしか読めなくても難なく読めると言うのもいいですね。心の飲料水だと思ってぜひ手にとって読んでみてください。
 そんな本を書かれている吉岡さんのお話が聞けるというのはすごくうれしいことです。この本を読んで、研究集会が一層楽しみになりました。(M)



恣意的な業績評価はできない!!
業績評価裁判、全面勝利!


 5月13日(木)東京地裁にて、事実に基づかない人事考課=業績評価を理由に定期昇給を延伸されたのは不当だと訴えていた裁判(「業績評価裁判」)は、「全面勝利」の形で結審しました。5年前に東京教組組合員である世田谷区内小学校勤務の教諭に対して出された業績評価は不当であるとして、これを取り消すよう裁判所が東京都と世田谷区に命じたのです。
 2004年に何があったのか。教諭は健康学園の廃園に保護者とともに反対しました。これに対して当時の管理職及び世田谷区が報復として業績評価を不当に低くしたのです。「正当な業績評価である」ことを主張するために後付けされた理由は、「運動会の係打ち合わせの中で反対意見を言った」「一年中体育着で通していた」などでした。このような理由にもならない内容で低く業績を評価し昇給を延伸したことを裁判所は「当該評価(C評価)は事実に基づかない又は誤認した事実に基づいたものであると解するのが相当である」と厳しく断罪しています。
 教育の場に業績評価は可能なのか。教育に携わる仕事を数字で評価しようとすれば、無理な評価をしなくてはならなくなります。そこに恣意性・権力性が発生します。業績評価の危うさ、不当性が明らかになった裁判でもありました。
 この勝利判決について原告は「学校現場で業績評価に苦しんでいる人、疑問に思っている人が開示請求をしやすくなったと思います。この裁判はお金の問題ではなく、この制度自体が許せない問題だから裁判を起こしたのです。」と語っています。
 世田谷区教委・都教委・都人事委員会は、恥ずかしげもなく控訴を決めたようです。この裁判は、私たち一人ひとりの開示請求によって支援することができます。それは闘いの第一歩です。今後も引き続き闘いましょう。
         



週刊墨教組 No.1595         2010.6.11

教員免許更新制 直ちに廃止を!
 「私」のあり方を「他人任せ」にしてはいけない

 教員免許更新制は、「改悪教育基本法」の下で一番に成立した悪法です。教員免許は、教職という職業につくために必要な免許でした。それが、十年毎に更新されなければならない、剥奪されるかもしれない、不安定な免許になったのです。意に沿わない教員の免許を剥奪し教育現場から排除するための具です。教育労働者は十年を最長とする不安定な労働者になったのです。
 私たちは教員免許更新制廃止を掲げる民主党連立政権が成立した二〇〇九年九月、直ちに廃止署名を提出しました。たくさんの署名が墨田区内からも集まりました。しかし、民主党政権は安倍内閣の「置き土産」を廃止することができません。それどころか、六月三日報道によれば、「新たな教員養成制度」を作ろうとの動きが具体化してきました。
 民主党の「専門免許制度に発展・進化」とはどのようなものか、今の免許更新制とどう違い、私たちをどのようなところに引きずっていくのか、見極めなくてはなりません。ことは「私」に関わることです。時の流れに身を任せて良かった時代ではありません。
 昨年度教研講師として「教員免許制を廃止するのは誰か」をお話してくださった学芸大学大森直樹さんたち研究グループ(※1)の「研究速報」を要約して紹介します。

研究速報
 『教員免許更新制の行方』

 私たちは、教育者養成大学に対する現職教員の意向とそれに関連する政策動向について二〇〇八年七月から調査と研究を重ねてきた。幼小中高大の現職教員が多大な関心を寄せている『教員免許更新制の行方』について骨子をまとめた。

形式的な廃止は合意されている
 本年三月末日を目処に、教育各界から「教員の資質向上について」を主題とする意見書が文部科学省に寄せられた。前政権が拙速に導入した教員免許更新制(〇七年法制化〇九年実施)については廃止を求める意見書が多数みられ、同制度を形式的に廃止することについては広範な合意が形成されつつある。
 しかし、教員免許更新制を形式だけでなく実質的に廃止することについては、懸念すべき動きがある。それは以下の三点である。

@「専門免許制度に発展・進化」?
 鈴木寛文部科学副大臣が、教員免許更新制を、「専門免許制度に発展・進化」(『季刊教育法 一六三号』〇九年一二月)させる意向を明言している。

A旧免許から
新免許への更新を義務化?
 ABは一面の図「教員免許状の民主党案」参照
 現政権が教員免許更新制の廃止に関わる法案を提出する場合、野党時代の民主党「教員免許改革」諸法案(※2)を土台に、修正を施して提出する可能性が高い。高校無償化法と同じような動きをとるとすると、修正の幅は未定だが法案の基本構造は維持される可能性が高い。
 同法案には、教員養成政策(教員免許の取得条件を現行四年に一年か二年加算した修士に引き上げる)の側面と併せて現職教員政策としての側面があり、約百万の現職教員に対して、旧免許の一般免許への更新(教育職員検定)を義務化している。(※3)

B一般免許から専門免許への更新を義務化
 野党時代の民主党「教員免許改革」諸法案は、一般免許を取得した全ての現職教員に対して、教職大学院における一年の研修を経て、専門免許への更新することを義務化している。(※4)

 以上の点をふまえて教員免許制度を実質的に廃止するために行動していきましょう。

※1 教育者養成大学に対する現職教員の意向についての学術調査研究プロジェクト 代表渡辺雅之(東京学芸大学教授)
 東京学芸大学教育実践研究支援センター大森研究室内 電話・fax042‐329‐7350 Email:omori@u-gakugei.ac.jp 
※2「教育職員の資質及び能力の向上のための教育職員免許の改革に関する法律案」(衆〇七年藤村修議員他、参〇七西岡武夫議員他、参〇九年鈴木寛議員他提出)
※3 第十条第4号 旧制度の免許状であるものは、新制度の免許状の授与を受けるように努めなければならないものとする。
※4 教職大学院は、学校教育法九九条2項により前政権下で〇八年に全国十九校(国立十五私立四)の開設がすでに行われている(年限一〜二年、修士論文を課さずに修士学位を授与する)。
 以上、文責・資料図転載責任は墨田教組にあります。以下詳報が入り次第また報告します。

大森直樹さんの最近の著作から
現代思想四月号特集「教育制度の大転換ー現場はどう変わるのか」
 「提言 教育現場に不要なもの 学校の風景から」 大森直樹・池田賢市・広瀬義徳・渡辺雅之
 二〇〇九年一一月・一二月東京学芸大学学術シンポジウム「教育免許更新制と全国学力テストを廃止するのは誰か」を経ての提言。
「子どもたちとの七万三千日
   ―教師の生き方と学校の風景」
 東京学芸大学出版会 二〇一〇年四月墨田ゆかりの教員もたくさん登場します。




中教審:文科相、
 教員の資質向上策を諮問 年内に方向性

 
川端達夫文部科学相は3日、東京都内で開かれた中央教育審議会総会で、教職生活の全体を通じた教員の資質向上策を諮問した。新たに設置する特別部会で審議し、年内に一定の方向性をまとめる。
 具体的な諮問内容は(1)新たな教員養成・教員免許制度の在り方(2)09年度に始まった教員免許更新制の検証や現職教員の研修の在り方(3)教育委員会と大学との連携による教員支援策。
 教員養成について民主党は現行の大学4年の養成課程を修士課程を含む6年制に延長する方針を打ち出している。今回の諮問は、「複雑多様な現場の課題に対応するため教育実習の拡充を含め、教職課程の期間・内容の充実の見直しが必要」として具体像を示すよう求めたほか、修士課程や教職大学院の位置付けの明確化も求めた。6年制化には、経済的負担の増加などで教員志願者が減る恐れも指摘され論議を呼んでいる。
 大学との連携は、教育学部の授業が実践型になっていなかったり、発達障害についての大学の最新の研究成果が教育現場に伝わりづらいなどの課題改善策を探る。【本橋和夫】 毎日新聞2010年6月3日 
※諮問全文は文科省ホームページ


第2回労働安全委員会開かれる(5月31日)
 第2回労働安全委員会は、小梅小学校と竪川中学校、2校の巡視です。昨年度は1校で、そのあと職員と研修会をもち、労働安全委員会の存在と意義を知らせることができました。巡視することでわかることが多いということで、今回は2校になりました。
 各学校とも、施設面での危険性の指摘が中心でした。職員室や資料室等での棚の上に段ボールなどの荷物が落ちてくると危険、職員室の教職員机の下が整理されているか、喫煙場所、通路にまで出ている荷物等について産業医から指摘されました。働く者の立場に立って安全かどうかを見て回りました。巡視後は各校の管理職を交えての意見交換がありました。指摘された中で一番印象的だったのが、職員室の机下の整理。足を入れる部分まで荷物が入っていると、無理な姿勢で仕事をすることになり、肩や首に負担がかかるということでした。
 巡視することでいろいろなことがわかり、意義が多かった巡視でした。学務課長が、最終的には教職員の健康を教育委員会が支えることで、児童生徒の安全を支えることにつながるとまとめて、2回目の委員会を閉じました。
 8月3日には研修会が予定されています。労働安全委員会に現場の声を届けるいいチャンスです。是非ご参加ください(昨年度は「職免」扱い)。



週刊墨教組 No.1594         2010.6.9


通知表 3種のサンプルが提示される
  「ICT化」は学校のアイデンティティーを圧し潰す道具?
  私たちは、誇りをもって「通知表」をつくってきた
  区教委は各学校分の通知表書式を提供すべきだ
  サンプルのまま使うのは愚か
       無視するだけでは危険


 「ICT化」作業が遅々として進まない中、通知表のサンプルが出されました。学校で通知表をどうするか決めるには非常に遅い時期です。
 印刷会社に発注しなくてもいい、手書きしなくてもいい・・・と期待していた向きもあるようですが、残念ながら「学びの扉」の打ち出す通知表(以下「学びの通知表」)は墨田区の学校が使えるようなものではありませんでした。ガッカリした・・・だけではなく、疑問と怒りを覚えるものでした。
 多くの学校では、今年「学びの通知表」使用を見送っています。とくに、これまでパソコンで通知表を作ってきた学校では、チャンチャラおかしくって使えないと早々に不使用を決めています。至極当然です。

あること自体が問題
 しかし話はこれでは終わりません。
 確かに、今年度「学びの扉」を使うのは「成績管理については今年度は指導要録だけ」で、「通知表」は各学校で判断して良いとされています。だから「おかしいなら使わなければいいのだ、怒るのはお門違いだ・・・」という返答が返ってきそうです。
 しかし「今年度は・・・」と言っています。気をつけなくてはいけないのは、語られた言葉ではなく、語られなかった、飲み込まれた・隠された言葉です。
 今年度は使わなくてもいいのだからいい加減でいいのだとして、では来年からもそうでしょうか? 来年になったらこのおかしなものを改良するつもりがあるのでしょうか? これまでのやり方から考えると、いずれかの時に、改良なしにこのいい加減な通知表が強制されることになってしまいそうです。だから先回りして怒っているのです。
 まあ、区教委は「ICT化」を推進しようとしているのです、「教員の事務負担軽減」を目的としているのです。まさかこのような返答はなされないと思います。この「学びの通知表」のいい加減さ、学校の主体性を踏みにじる発想が解消され解決されるのはいつなのか、区教委は明瞭に提示・確約しなくてはなりません。

「学びの通知表」を
今のまま使うということは・・・・
 学校によっては、「学びの通知表」を使おうとしているところもあります。
 常識的に考えて適当に学校の都合で変更(カスタマイズ)できるだろうと考えているのかもしれません。あるいはICT支援員はあと五か月しか配置されないからその前にややこしいことはみなやっておこうと考えているのかもしれません。
 前者の場合、次に述べるようにこのソフトはそんな簡単なもの・あるいは融通の利くものではないようですから、危険です。後者の場合、支援員がいなくては使えないようなソフトはそもそも欠陥ソフトだということを認識しなくてはなりません。
 どの場合にも、できることとできないことをきちんと区教委に提示させ、使いやすいものに変えていかせる必要があります。
 あるいは、「今年度だけではなく、来年度以降もこの愚かなソフトを強制しないこと」を確約させなくてはなりません。そうでないと、このいい加減なものを認めてしまい、支持してしまう根拠にてしまう(「二〇一〇年度は○校が文句も言わずに使いました)かもしれないのです。ともかく、あせるあまり、今あるもの・与えられたものをこなすだけになってしまうのは危険です。「月毎時数報告=週案の教科名記入」のように・・・・。

誤ったソフト
 「学びの通知表」の問題点は大きく括って三点あります。
@項目が指導要録から自由でない(「従属」している)こと。
A学校の考えに合わせて自由に設計(カスタマイズ)できない、あまりにも「剛直な=柔軟性のない」ソフトであること。
Bこの二つによって、通知表の意味=通知表は「出す・出さないも含めて、学校が独自にその責任と判断でつくる」ということがないがしろにされていること。

指導要録に「従属」
 学習の記録の項目は指導要録の観点別項目にリンクしています。「関心・意欲・態度・・・」という文章表現は各学年毎に変更できます。しかし、例えばその項目を削除することはできません。評価しないとしたら、空欄にするか、網掛けするしかないようです。そんなみっともない通知表をこれまで学校でつくったことはありません。
 「通知表は指導要録を簡略化したものに過ぎない」という発想が明瞭に見てとれます。誤りです。

学校で自由にカスタマイズできない
 「行動の記録」の項目は任意に文章化できます(※1)。しかし、その数は五項目〜十項目以内で、例えば四項目にすることはできません。
 また、「学びの通知表」では、「できる・もう少し」」の2段階か「よくできる・できる・もう少し」の3段階になっています。しかし、指導要録のように「できるものに○」という形のサンプルはなく、問い合わせても「できない」との返事です。どれが良いか考えは学校によってさまざまでしょうが、少なくとも「2段階・3段階はできるが1段階はできない」というのはどういうことでしょう? やる気がないのか、技術的にできないのか・・・・いずれにせよ問題です。
 先ほども述べたように、「学習の記録」は観点の趣旨(文言)を変えられるだけです。項目の順番を入れ替えることも、ある部分はけずってある部分は増やすということも「できない」と言うのです。
 こんなことは、データベースソフト(※2)でなくともエクセル程度の表計算ソフトでも簡単にできることです。どこかにリンクしていても、結合したり、両方に初期値として与えたりすること・・・はパソコンなら当たり前にできることです。
 技術革新とか売り込みというのは、「へえ〜、こんなこともできるんだあ〜〜〜・・・」と素人を驚かして成り立つものです。これまでパソコンソフトで通知表を作ってきた学校が、「『学びの通知表』の方が優れている!」と動揺するようでなくてはいけないのです。「何でコンピュータなのに3種類しか帳票を作れないの?」と素人に突っ込まれるようでは恥ずかしいのです。

通知表は学校がつくる(※3)
 単純に通知表を要録の縮小版と考え従属させていること、各学校でやりたいことがほとんど実現しないこと、このことによって、通知表の位置づけや学校の主体性が侵されています。金の斧ならいざ知らず、似たり寄ったりのつまらないものを3つ出して、それが学校の判断だなどと矮小化するつもりでしょうか。
 これまで学校は、その目的を十分にとらえ、通知表を自前でつくってきました。そもそも、「この通知表を使え」ということが区教委にできるのでしょうか? それとも、「通知表は各学校ではなく区教委が決める」とするつもりでしょうか?

 「ICT化」の目的は、「区で統一した共通のものを使用する」ことではありません。それをこっそりと結果的にやろうとしたら卑劣なことです。あまりに「ICT化」のすすめ方が拙劣なのでつい疑り深くなってきます。悲しいことです。

学校の営為・現在を踏まえよ
 この冬、区教委は全校から通知表を出させました。少しは期待しました。ところが未だに出てくるのはこの貧弱で学校の主体性をないがしろにした三種のサンプルです。一体何のために集めたのでしょうか、何に生かされているのでしょうか。
 決めたものを押し付けるのではなく、各学校のこれまでの営為を尊重した通知表、少なくとも昨年度の通知表が実現し、またこれまでと同様、変更が可能なようにしなくてはなりません。
 区はより良いもの(正しいもの)を提供しなくてはなりません。また、改善の方向性や、「〜については強制することはない」など、これからのビジョンを明瞭に提案しなくてはなりません。でないと、「ICT化」を強要されている教員は、今日よければいいんだよ、「ICT」は賢いが私たちは言われたままになればいいんだ・・・という愚民化の道を辿ります。狙いでしょうか?

試行中 各校の率直な意見を集約せよ
 どう考えても今は区教委が言う「本格実施」ではありません。「すでに各校の「ICT化」担当を呼んで話を聞いた」などと、今出て来ている各校の意見を切り捨てようとしてもだめなのです。「本格実施」なら、「サンプルの終了証は前後期いっしょになっているから回収します」なんてことはないのです。みっともないことはするなと言いません。みっともないことを認め合ってより趣旨にあったものにしていくべきだと言っているのです。


※1サンプルは要録をくだいているような文言ですが、要録とは連動していません。要録段階で初めて入力するわけですから、通知表と要録がリンクするとするソフト設計としては一貫性がない、矛盾しているといわざるを得ません。

※2 データベースソフト データベースを定義して管理、活用するためのソフトウエア。個人用の住所録や名刺管理から、文書の管理、全社規模で利用する販売管理、在庫管理といった用途まで、利用範囲は広い。個人や小規模向けではAccess(米マイクロソフト)やFileMaker Pro(米ファイルメーカー)が代表的。出典:「日経パソコン用語事典2010」
  日本では古くから「桐」(管理工学研究所)が名高く少数ながら熱烈なファンもいる。イメージとしては、「筆まめ」などのような宛名印刷ソフトを考えればよい。一覧表データベースから、一人ひとりのデータを取り出して配置したり利用したりする。エクセルとワードの差込印刷を使うと似たようなことができる。

※3「通知表は、各学校において、子ども自身や保護者に学習状況を伝え、その後の学習を支援することに役立たせるために作成されているものであり、その扱い、記載内容や方法、様式などは各学校の判断で適宜工夫されている。」文科省ホームページ
  「通知表は指導要録と違い、様式は原則として各学校に任されているが、市町村などで統一した共通のものを使用する場合もある。」教育法規便覧平成22年度版学陽書房



週刊墨教組 No.1593         2010.6.4

二〇一〇年度教研集会に多数の参加を!
全体会 六月二十三日(水)午後三時
記念講演は、吉岡忍さん(小説家・評論家)


 教育現場が、ますます忙しくなってきている。今年度は、様々な問題をそのままにして強引に「ICT化」が始められてしまった。時間軽減どころか無駄な労働を強いられていると私たちはとらえている。昔から、「政府の多忙化政策」として、様々の攻撃があった。そのつど抵抗して歯止めをかけ、それなりの成果を積み重ねてきた。労働条件に関しては、教育委員会と組合は、従来紳士的に話し合ってきた。
 どこの職場も夜遅くまで人がいる。勤務時間内に仕事が終わる人はいない。毎日疲れを蓄積させながら、子どもと日夜奮闘している。こんな教育現場では、生き生きとした教育実践が出来るはずもない。
 毎年長期病欠の方が何人かいらっしゃる。管理職の心ない言動により職場復帰できないまま教師を辞めていく仲間もいる。他区では自殺にまで追い込まれた教師もいることはマスコミなどでも取り上げられている。
 そんな昨今の状況だからこそ、何が問題点であるかを明らかにし、連帯の輪を職場に広げる話をお願いした。

 一九六〇年代末、ベトナム戦争と全世界の反戦行動が連日報道されていた。
 吉岡さんは、早稲田大学在学中にベトナム反戦運動(「べ平連」運動)に関わり、米軍脱走兵の逃亡支援活動に従事する。その頃若者だった者は、その米兵のインタビューニュースをよく覚えている。彼ら脱走米兵を匿うアジトがよくもあるものだと感心もした。それだけ、幅広く国民の間に反戦の気運が広がっていた時期だ。
 一九八九年には新宿駅西口地下広場で「新宿フォークゲリラ」を吉岡さんは企画している。あの頃、学生も労働者もみんな未来だけには明るい展望を持って日々暮らしていた気がする。西口広場に多くの人々が集まり、ベトナム反戦歌をみんなで歌っている光景が、テレビの画面から流れた。
 吉岡さんはその後、ノンフィクション作家となり、一九八五年の日本航空一二三便墜落事故を題材にした『墜落の夏―日航一二三便事故全記録』(一九八七年)で第九回講談社ノンフィクション賞を受賞する。日本ペンクラブ常務理事、放送倫理・番組向上機構放送倫理検証委員会なども勤め、言論の自由に関して積極的に発言を続ける。二〇〇八年十一月から、ライターの古木杜恵らとともに、地方テレビ局の報道番組を東京で上映する「ドキュメンタリー酒場」を開始した。
「『自分以外はバカ』の時代」は七年前に書かれた新聞記事だ。しかし、あまりにも今の状況を的確に予想しているので、ここに載せる。


吉岡忍の祈り 「自分以外はバカ」の時代


 確証はない。印象だけがある。けれど、ぼんやりしたその感じが気になっている。
 そういうことを記しておきたい。この国の低迷はまだ始まったばかり、これから本格的に陥没していくのだろうということ。その暗鬱(あんうつ)な予感についてである。
 ここ数ヶ月、私は毎週のように各地を旅行している。取材や講演だったりするのだが、行く先々に沈んだ光景が広がっている。高齢化と過疎が深いしわとなって刻み込まれた町や村。かしいだ空き家の連なり。色褪せた飲み屋小路に放置された廃車や自転車。商店街に面したスーパーやデパートをのぞいても、買い物客はまばら。どの町に行っても、廃業した店々が錆びついた扉を下ろしたままの、通称「シャッター通り」がある。
 これらの光景自体は、もう珍しくない。バブルが崩壊したあとの不況のせい、と説明もついている。失われた十余年、そろそろ景気も上向いてほしい、いや、上向くだろう、と楽観する向きもある。
 そうなってほしい、と私も思う。だが、けっしてそうはならないだろう、という思いに圧倒される。たぶん問題は、不況ではない。不況が原因と思っているうちに、じつは私たちはもっと大きなものを失ってきたような気がする。そして、その喪失の意味をうまく自覚できていないのではあるまいか。
 数年来、私はこの国から地域社会と企業社会が蒸発し、人々がばらばらに暮らすようになった現実のあれこれを指摘してきた。言うまでもなくこれらは、戦後半世紀、良くも悪くもこの国を経済大国に向けて駆動してきた両輪だった。それがなくなったとき、行政も企業も混乱に陥り、習慣は旧習となり、旧習は旧弊となって、数々の不祥事が噴き出した。不可解な犯罪が多発したのも、地域と企業の双方の磁力が希薄化した地域でだった。
 しかし、二十一世紀の初頭、不景気風の吹きすさぶこの国で個々ばらばらに暮らしはじめた人々の声に耳を傾けてみればよい。取引先や同僚のものわかりが悪い、とけなすビジネスマンの言葉。友達や先輩後輩の失敗をあげつらう高校生たちのやりとり。ファミレスの窓際のテーブルに陣取って、幼稚園や学校をあしざまに言いつのる母親同士の会話。相手の言い分をこき下ろすだけのテレビの論客や政治家たち・・・・・・。
ここには共通する、きわだった特徴がある。はしたない言い方をすれば、どれもこれもが「自分以外はみんなバカ」と言っている。自分だけがよくわかっていて、その他大勢は無知で愚かで、だから世の中うまくいかないのだ、と言わんばかりの態度がむんむんしている。私にはそう感じられる。
 高度産業社会を経験した人々は、こういう心性を抱え込むのかもしれない。そこでは、だれもが何かの専門家として学び、働き、生きている。金融の、製造の、営業の、行政の、政治の、そうでなかったら消費のプロだ、あるいはそのつもりだ。かぎりなく細分化した一分野に精通しているという自負はだいじだが、それがそのまま周囲や世間に対する態度となる。
 「大衆」という、自分自身もそこにはいっているのかいないのかが曖昧な、使いにくい言葉をあえて使えば、いまこの国は「自分以外はみんなバカ」と思っている大衆によって構成されているのではないか、というのが方々歩いてきた私の観察である。これは「大衆文化」を前向きにとらえた敗戦直後とも、「赤信号みんなで渡れば怖くない」とばかりに大衆を勢いづかせた高度成長期からバブルにかけての時期ともちがう、新しい現実である。
 この現実はやっかいだ。自分以外はみんなバカなのだから、私たちはだれかに同情したり共感することもなく、まして褒めることもしない。こちらをバカだと思っている他人は他人で、私のことを心配したり、励ましてくれることもない。つまり私たちは、横にいる他者を内側から理解したり、つながっていく契機を持たないまま日々を送りはじめた・・・。それがこの十余年間に起きた、もっとも重苦しい事態ではないだろうか。
 不況、テロ、戦争、北朝鮮。どれもが現在のこの国が直面する難問ではあるが、自分以外はみんなバカ、と思い込む心性はそれぞれの問題を外側から、まるで大仕掛けな見世物としてしか見ないだろう。そこに内在する歴史や矛盾を切り捨て、自己の責任や葛藤を忘れて、威勢よく断じるだけの態度が露骨となる。
 そこに私は、この国がこれからいっそう深く沈み込んでいく凶兆を読み取っている。
「自分以外はバカ」の時代 : 2003年7月10日朝日新聞朝刊



第2回チャリティーコンサート「ほうせんかの夕べ」ご案内

 1923(大正12)年、9月1日、関東一帯を襲った最大級地震「関東大震災」。
 阿鼻叫喚地獄のような状況下で、恐怖心に満ちた人々の心に「朝鮮人が井戸に毒を入れた」というような流言飛語が疑いもなく浸透し、日本軍隊や民衆によって、多くの朝鮮人が虐殺されました。
 地域学習の資料として「荒川放水路」のことを調べていた小学校教員絹田幸恵さんがこのことを聞き、さらに荒川の河川敷に埋められたところを見たという証言を得て、多くの人々の協力で発掘調査活動を始めました。発掘作業の結果、遺骨はすでに他所に移されたということが判明しました。
 この地で流された無念の血や涙の思いを受け止め、1982年から河川敷で追悼式が行われ、追悼碑の建立を申請してきました。が、公的に実現させることが困難と分かり、去年、私有地を購入し、追悼碑を建立することができました。
 この事件は、殺された人の正確な人数や名前など、未だに公の調査がなされず、責任が曖昧なまま放置されています。今年は「韓国併合100年」の節目の年です。植民地支配の初期のこの出来事が曖昧にされていることが、戦争責任・謝罪や賠償問題にも影響していると思います。
 600人が参加した昨年のコンサートには、趣旨に賛同され、永六輔さんほか多彩なゲストが参加してくれました。このコンサートで、事件を初めて知ったという人も多く、その後行われた連続学習会には多くの若者が参加し学び始めています。この事件を風化させず、新たな差別・排外的な行動を戒め、民族の違いを超えた共生社会を実現するためにも、これからの活動が重要だと思っています。
 今回の追悼碑建立を記念するコンサートでは、またまた多彩な出演者をお呼びすることが出来ました。おなじみの小室等さんや李政美さんはじめ、元プロ歌手から教員に転職、「歌う教頭」として当地で有名で3月に退職したばかりの「おにく・うどんえ」さん、そして、何と墨田で活動し、40歳以上の条件の下に行われたNHK主催「おやじバンドバトル」で見事優勝した「1960」(全員、この年生まれ)というバンドからデゥオが参加してくれます。
 どうぞ、皆さん多数ご参加ください。

  6月26日(土)14:00開場・15:00開演
(13:00より「隠された爪跡」上映あり)
      チケット 一般・大学生 前売り3,000円(当日3500円)
           小・中・高校生 前売り・当日ともに2000円
      連絡先  墨田教組
       予約・前売りは6月19日まで。
       詳しくはチラシを参照して下さい。


週刊墨教組 No.1592         2010.5.30


小学校教科書採択に
学校・教員の意見を反映させよう
 採択権は教員にある これが国際的常識
  各学校での調査・研究は
「平成二二年五月二四日〜六月十一日」

 今年度は、二〇一一から二〇一四年度使用の小学校教科書の採択年になっています。墨田区教委は、四月一日付「平成二三年度使用小学校教科書採択の方針について」(資料2)で採択の基本方針を示し、五月二〇日に「平成二三年度使用小学校教科書見本本の学校における調査研究について」(資料1)を出し、具体化しました。
 私たち教員は、「主たる教材」としての教科書を使用・活用して、日々児童生徒の指導に当たり、その実態と課題を把握しています。故に、私たちこそが、どの教科書を採択決定することが「墨田区の地域や児童の実態を踏まえ、『確かな学力』を育成し『生きる力』をはぐくむ」(「墨田区小・中学校使用教科書採択事務取扱要綱第二条」)にふさわしいか判断できるのです。学校・教員の意見を無視して採択決定することは許されません。

「意見を付して」ということの意義
 誰にも打ち消すことができない厳然たる事実というものがあります。
 教科書採択にあたって、豊富な経験に裏打ちされ、子どもたちの現実をつぶさに熟知している教員の意見が取り入れられることは、自然なことなのです。
 久保孝之教育長は、二〇〇一年四月二十四日、墨田教組・都教組墨田支部に対して、次のような態度表明を行っています。
 「墨田区教育委員会は、教科書採択にあたり、各学校に教科用図書を調査研究させ、その結果を報告することを求めている。墨田の地域及び児童・生徒の実態・課題を把握し、日々教科指導をおこなう学校・教員の意向は尊重され、生かされなければならないと考える。学校から出された調査研究結果報告は、教育委員会が採択決定するにあたって重要な判断材料とされる。」
 資料2『教科書採択の方針』の「教科書の調査・研究及び審議」には、
「(1)各学校における教科書の調査・研究 各学校は教科書の見本本の内容等を教科指導にふさわしいかどうかを調査し、調査結果に意見を付して審議会に報告する」と規定し、『教科用図書採択事務取扱要綱』の第六条にも、「各学校は、教科用図書を教科ごとに調査研究し、調査結果に意見を付して、・・・中略・・・審議会に報告するものとする」
と規定しています。
 現場の教員による真摯な教科書調査・研究の意見は、審議会が判断を形成する上での重要な要素・要因となって、反映されるのです。
 墨田の教員の作風と伝統を継承して、しっかりととりくまなければなりません。

現場教員の意向尊重が原則かつ時代の流れ
採択権は教員にあるー国際的常識
@「教員は生徒に最も適した教材および方法を判断するために格別に資格を与えられた者であるから、・・・教材の選択と採用、教科書の選択、教育方法の採用などについて不可欠な役割を与えられるべきである」(ILO・ユネスコ勧告 項)
 この勧告は、授業の主要な教材である教科書の採択権は、本来、教員にあり、「児童の教育をつかさどる」権限の重要な一部を成していることを示しています。
 この国際的常識の立場に立つことが、何よりも重視されなければなりません。
 現行法規のもとでは、教科書の採択権限は教育委員会にあるとされていますが、その規定自体が、こうした国際的常識に反していると言わざるを得ません。少なくとも、現行法のこの規定は、こうした国際的常識に基づき解釈されなければなりません。つまり、採択権限が教育委員会にあるとしても、その行使に当たっては、本来的に教科書選択権を持つ教員個々の、あるいはその集団(その基礎単位は学校)の採択意向を十分に尊重して行うことが前提とされていると、解釈することが至当です。

調査・研究を形骸化させるな!
 今年の採択にあたっては奇妙な文書「別紙1『調査用紙作成上の留意点』」(資料3)がついています。そこには、「学校として報告する必要があると校長が判断した場合は、資料の提出を」・「特にない場合は提出の必要はない」とされています。が、そもそも、学校が調査研究をして、「特にない」場合があるのでしょうか。「要綱」「方針」にあるように、学校での調査研究・報告は権利であり義務です。校長が「忙しいから簡略化して『ない』ことにしよう・・・」などと「親切心」を起こさないように警戒しましょう。
 「校長の判断」「校長の点検」も、「学校としての意見」を強調するものです。「校長個々の見解」恣意的判断を意味するものではありません。「個々の見解については・・・展示会アンケートに記入する」ようになっています。校長とて例外ではありません。「点検」もあくまで形式的な点検です。
 「学校としての意見」を形成するのですから、資料1にあるように「教員が会場へ出張できるよう」にすること、十分に調査・研究ができる時間を保証すること、個々の教員や部署の見解を学校の見解にするための職員会議を開くこと、これが必要です。校長は「学校としての意見」を作るために努力しなくてはなりません。

 今年は改悪教育基本法下での新学習指導要領完全実施による大改訂です。各教科の中でも「道徳」を指導することが求められるなど、国家主義的な教育の押しつけがますます強まっています。
よりましな教科書を採択するよう、十分な調査研究をつくそうではありませんか。

資料1
22墨教指第10号の1 平成22年5月20日
各小学校長様
墨田区教育委員会事務局 指導室長 仁王紀夫
平成23年度使用小学校教科書見本本の学校における調査研究について
 このことについて、下記のとおり実施します。
 つきましては、貴校における見本本の調査研究並びに各教科書の調査結果の提出についてご配慮くださるようお願いします。

1 見本本の調査研究について
   各小学校は、下記展示期間内に見本本展示会場において、すべての教科書見本本の調査研究を行い、調査結果に意見を付して教科用図書選定審議会に報告する。
(1)教科書展示期間
  平成22年5月24日(月)〜6月11日(金)
※展示期間中は、教員が会場へ出張できるよう、配慮願います。
(2)見本本展示会場 ☆住所・電話・表現など略
1 生涯学習センター 9時〜20時 5月24日は休館日
2 教職員研修室(横川小内) 9時〜16時30分 3 教育委員会指導室
4 緑小 5 第四吾嬬小 6 柳島小 7 隅田小
※ 2〜7に行く場合は事前の連絡をお願いします(一部略記)。
(3)「平成23年度使用小学校教科書採択のための資料」の作成・提出について
  別紙1「調査用紙作成上の留意点」および別紙2「教科用図書採択に関する調査及び選定基準」に基づき作成し、下記のとおり提出をお願いします。
・提出物   別紙3(1〜9)「平成23年度使用小学校教科書採択のための資料」各教科ごとに記入並びに提出願います。別紙3の様式は、校務PC回覧板(副校長宛)に掲載します。
・提出方法 「電子データ」による。
・提出先   墨田区教育委員会事務局指導室長(担当指導主事飯塚雅之)宛
  電子データ(☆アドレス略)
・提出期限 平成22年6月14日(月)※終了次第、早めの提出にご協力ください。

2 平成23年度使用小学校教科書展示のお知らせについて
  各校で掲示等、よろしくお取り計らいください。
(1) 配布物 平成23年度使用小学校教科書展示のお知らせ 各校5部
担当指導主事


資料2
平成23年度使用小学校教科書採択の方針について

平成22年4月1日  墨田区教育委員会
 墨田区立小学校が平成23年度から26年度に使用する教科書の採択について下記のとおり取り扱う。

1 教科書の調査・研究及び審議
 墨田区教育委員会が教科書を採択するにあたり、必要な調査・研究及び審議は、以下のように行う。
(1) 各学校における教科書の調査・研究
  各学校は、教科書の見本本の内容等を教科指導にふさわしいかどうか調査し、調査結果に意見を付して平成22年6月11日(金)までに審議会に報告する。(6月14日に延期。引用者)
※調査期間は、原則として平成22年4月28日(水)から6月11日(金)までの間とする。
(2)平成23年度墨田区立小学校教科書調査委員会(以下「調査委員会」という)による調査・研究
  調査委員会は、各教科別に設置し独自の調査を実施する。各見本本の調査内容を平成22年6月11日(金)までに平成23年度教科書選定審議会に報告する。
※調査委員会は、6月11日(金)までの間に、5回以内の回数で開催する。
※調査委員会の委員構成
・委員長(校長又は副校長)及び各教科の教員の代表〔各2〜4名程度〕
(委員長は、原則として小学校教育研究会各教科部長等から選出する。)
(3)平成23年度墨田区立小学校教科書選定審議会(以下「審議会」という。)による審議
  審議会は、調査委員会及び各学校からの報告を受け、地域の実情や区民の意向なども参考に審議し、各教科の見本本についての審議結果を平成22年7月2日(金)までに墨田区教育委員会に答申する。
※審議期間は、7月2日(金)までの間に4回以内の回数で開催する。
※審議会の委員構成(合計10名)
・小学校校長会代表1名、小学校教育研究会代表(校長)1名
・調査委員会委員長代表1名 ・調査委員会副委員長代表1名
・地域住民・保護者代表4名 ・指導室長1名、統括指導主事1名
 (審議会の委員構成は、年度により異なる場合がある。)
(4)調査委員会委員及び審議会委員の選出・委嘱
 調査委員会委員及び審議会委員は、平成22年4月28日(水)までに選出し、墨田区教育委員が委嘱する。
2 教科書の採択
  墨田区教育委員会は、審議会からの答申を受け、総合的に判断したうえで、平成22年8月31日(火)までに教科書を採択する。
 なお、採択にあたっては、審議状況などを審議会から聴取することができる。


資料3 別紙1 調査用紙作成上の留意点
2 「平成23年度小学校教科書採択のための資料」の記入について
  見本本の調査結果から、学校として教科書選定審議会に報告する必要があると、校長が判断した場合は、資料の提出をお願いします。特にない場合は、提出の必要はありません。
(3)学校としての調査研究をまとめた後、校長の最終点検を必ず行い、提出願います。
(4)学校として、調査結果等について総合的な意見がある場合は、「Dその他」の欄に御記入ください。
※教員個々の見解については、法定展示会・特別展示会会場に設置された展示会アンケートに記入するようお願いします






週刊墨教組 No.1591         2010.5.21


夏季プール 区教委通知だされる
  これまで墨田で行われてきたことを無視
  外部指導員にも教員にも「苛烈な労働」を強いる
我々は受けいれない


 昨年十二月から、区教委による「夏季プール外部指導員への『謝礼』変更」提案に対して、墨田教組と都教組墨田支部は共同して、反対の意思を表明し、共に区と交渉・話し合いをしてきました。
 しかし区教委は五月二十日、教育長名・指導室長名の二つの通知を出しました(資料1・2)。この通知(とくに指導室長名の通知)は、これまでの経緯を無にした、教員の勤務態様を大きく変えるきわめて問題の多いものです。大きな問題として次の四点があります。
一.外部指導員の報酬を、「賃金」に変えたこと。
二.外部指導員の「賃金」が、従来の報酬よりも確実に低いこと。
三.夏季プールに従事する教員を二名から三名に増やしたこと。
四.教員・指導員の役割を一方的に決めたこと。
 これらのことは、従来の夏季プール運営体制を大きく変えるものです。私たちはこの通知を撤回することを要求します

勤務に関わることは交渉事項
 この件は教員の夏季休業中の勤務態様を変更するものであり、交渉事項に他なりません。
 にもかかわらず、区教委は誠実な交渉をせずに、しかもこれまで積み重ねてきた「話し合い」の到達点を大きく変えて、一方的に今回の通知を出しました。きわめて不誠実な態度であると言わざるを得ません。

そもそも夏季プールは
     教員の本務ではない
 夏季休業中に教員は長期休業中でなければできない、研修(自宅研修を含む)をすべきです(資料3「休暇の計画的な利用促進」参照)。墨田区教委は、夏季休業中の学校行事を勧めていません。それは夏季休業の本来的意味をふまえているからに他なりません。この夏季プールの扱い変更は、この位置づけに違背するものです。
 
外部指導員の縮小
  教育長文書と相容れない変更
 教育長の通知(資料1)は、夏季プールが従来から考え方も変わっていないように見えます。しかも、各学校での「取り組みは、指導員等の役割については様々な形があるものの、概ね学校の教育活動の一環として実施」されてきたとし、「引き続き各学校が教育活動の一環として、実施する」ことを呼びかけています。「平成十一年度から当分の間は学校の教育活動の一環として実施する」という文書(週刊墨教組一五八二号に全文掲載)が有効であるというのです。
 この体制は、外部指導員二名(小規模校では三名)でつくられてきました。「各学校でさまざまな指導員等の役割」を考えて作ってきたのです。これを変更したり縮小したりする理由はまったくありません。むしろ、これまで苦労して協働でつくってきたものを壊してしまうことになります。

指導室長文書(資料2)「3 指導体制」は
すべてを「例示」と考えざるを得ない
 「学校が責任をもって行う」ということは、これまでも変わらないことです。責任をもって行わなかったところなどありません。仮に一部の学校でそうではない実態があるとすればその学校に是正を求めればいいことです。今回の変更をする必要性はありません。
 「2 基本的位置づけ」には、「各学校の教育目標に基づき指導目標や内容、実施日数、実施時期、時間配当、教員の配置体制については、学校長が定める」とあります。教育長文書と同様、これまでもそうでしたし、これからもそうです。
 昨年度の交渉・話し合いの中でも、「誰がマイクを握るか、誰が水に入るかは、各学校で決めることです」と区教委は説明してきました。
 ところが、同じ文書の「3 指導体制」で、「(二)外部指導員は、教員の補助を行う。主に水中での実技指導を担当する。(3)・・・指導責任者(教員)・・」とあります。事細かに具体的な指導体制が書かれています。これでは各学校の裁量などとはいえません。これは「2 基本的位置づけ」とも、これまでの説明とも矛盾します。このままだとすると、指導室文書は各学校長の「定める」権限を軽んじ、校長たちを信頼していないことになってしまいます。だから、「3」はあくまで「例示」と読み直さねばなりません。
 
「指導員と管理員」
 これまでの夏季プールは、「指導員と管理員」という組み合わせで行われてきました。しかし、今回の文書にはその言葉はありません。「指導責任者と指導員」です。これまでの墨田の夏季プールの運営上いったいどういう問題があり、どうしてこう変えなくてはいけないのか、まったく理由も述べられていません。墨田のこれまでの経緯や実態を無視した文書です。

外部指導員報酬の引き下げ
 学校現場の実態を把握していないことは、外部指導員報酬の引き下げにも明らかです。
 これまでの報酬八〇〇〇円でも外部指導員を確保するのは至難でした。さまざまな人間関係や地域との関係の中でお願いして何とか確保できたのです。毎日長時間にわたり炎天下で、しかもオイルなど塗ってはいけないという状況での労働だからです。通知のようになれば、いよいよ確保するのは絶望的です。にもかかわらず、「かわっていない」というのでしょうか! 
 私たちは、「一時間当たり二〇〇〇円」の「賃金」を提案しました。従来の「報酬額」を確保されると考えたからです。これまでの墨田での夏季プールのやり方を維持するにはこれしかないと考えたからです。

墨田には墨田のやり方がある
 十年前、経費削減のために夏季プールを教員の「本務」とさせた都教委に対して、墨田区教委は、「学校行事に準ずる」「学校教育の一環として」という文言で、墨田独自のやり方をとってきました。ところが、今度は同じ文言で、十年前の他区に習おうというのです。情けないことです。「地教委無用論」(私たちは基本的に「教育委員会廃止論」に反対です)が出てきてしまうのも致し方ないかと思わされてしまいます。

反対の意志を強く表明しよう
 以上、今回の通知は、極めて大きな問題をはらんでいます。各職場では、このような労働条件の改悪に、反対の意志を表明していきましょう。
 外部指導員については各学校の教員の状況によって、三名出すのが困難なところは「相談」により外部指導員を二名にするという説明もあるようですが、基本は改悪です。まずこれにたいして反対の立場を管理職にもとらせるべきです(伝聞によれば校長会の中には外部指導員一名体制を支持している方がいるとか。きっとその一名分は管理職が担おうと考えているのでしょう)。
 その上で、教員の参加事情による外部指導員の拡大、標準とされる日数の縮小など、私たちの勤務条件を今以上に悪化させない方策を採っていきましょう。

資料1 
22墨教指第172号 平成22年5月20日
各学校長様
 墨田区教育委員会教育長 久保孝之
  夏季休業期間中における
学校水泳指導について
 このことについては、平成11年4月5日付文書(10墨教学指第822号)により、「平成11年度から当分の間は学校の教育活動の一環として実施する」旨お願いをしたところです。
 その後、夏季休業期間中における水泳指導の取組みは、指導員等の役割については様々な形があるものの、概ね学校の教育活動の一環として実施されてまいりました。
 また、本区の児童・生徒にとって体力向上は重要な教育課題の一つであり、夏季水泳指導についても各学校が主体的に計画し実施すべきものと認識いたしております。
 そこで、夏季休業期間中における学校水泳指導について、水泳技能の向上及び体力増進を図るため、引き続き各学校が教育活動の一環として、実施するようお願いいたします。

資料2  抜粋
22墨教指第177号 平成22年5月20日
各学校長様 墨田区教育委員会事務局 指導室長 仁王紀夫
夏季休業期間中における学校プールの実施について
 区立小・中学校の児童・生徒の水泳技能の向上及び体力増進を図るため、学校教育活動の一環として、夏季休業中の学校プールにおいて下記のとおり「夏季水泳指導」を実施する。

1 夏季水泳指導の意義
(1)児童・生徒が学校のプールを利用する中で、水に親しむ意欲の高まりや泳力を一層伸長させるとともに、水に関連する事故から身を守るための心得や知識及び技能を身に付けさせる機会とする。
(2)水泳指導の実施に当たっては、児童・生徒及び保護者の要望、地域や学校の実情や実績等を考慮し、目的の明確化と教職員の共通理解を図り、安全に十分配慮して指導計画を作成する。
2 基本的な位置付け
 教育課程に位置付け、学校の教育活動の−環として扱う。従って、各学校の教育目標に基づき指導目標や内容、実施日数、実施時期、時間配当、教員の配置体制については、学校長が定める。
 なお、小学校では、児童の泳力や保護者・地域の要望を十分配慮する。中学校では、部活動や諸大会への参加の状況や生徒の泳力などにも配慮する。
 夏季水泳指導として、小学校15日、、中学校10日を標準とし、実際に実施する日数が明確になるように教育課程の第5表に明記する。
3 指導体制
(1)学校は、教育活動の一環として夏季水泳指導計画を作成する。
(2)外部指導員は、教員の補助を行う。主に水中での実技指導を担当する。
(3)児童・生徒の安全を確保するために、指導責任者(教員)と補助となる3名の指導者の4名を基本として指導にあたること。指導者は、教員、外部指導員で構成される。原則として、内1名については外部指導員を配置して行うことができる。
(4)小規模校(小学校7学級以下、中学校8学級以下)外部指導員を2名配置することができる。(教員2名、外部指導員2名の指導体制)
(5)特別支援学級においては、指導員をさらに1名配置して行うことができる。
(6)具体的な指導体制は、下表を参考に、各学校が適切に定める。
8 外部指導員の賃金
 「夏季水泳指導」の技術指導にあたった外部指導員に対し、貸金を支給する。
 支給単価を1時間1,300円とする。
 貸金対象時間は、プール開設時問(休憩時間を除く)と準備・片付け時間(1時間以内とする)の合計とし、原則1日あたり5時間を限度とする。
 開設時間中の降雨等により、その日の開設時問を短縮した場合には、貸金対象の時間は短縮した時間をもって算定する。なお、天候の回復が見込まれるため、学校が待機の指示をした場合(開始時刻からも含む)には、待機時問も含めて算定する。(詳細は、夏季休業期間中水泳指導外部指導員雇用実施細目を参照)

資料3  週刊墨教組 No.1448  2004.7.9
 「休暇の計画的な利用促進」都教委通知
都教委は、「学校教職員の夏季における休暇の計画的な利用促進及び夏季ノー超勤ウィークの実施等について」を六月三〇日付けで、地教委に通知しました。墨田区教委は、この通知に関し、その趣旨を七月七日開催の定例校長会で通知しました。通知文の骨子は、
@従来にも増して夏期休暇と年休を取得しやすい環境を整備すること、
A超過勤務等の縮減を進めること、
B教職員の健康増進及び家庭生活の充実並びに公務能率の向上を図ることの三点です。
 教職員が夏期休暇五日をほぼ100%消化していることを承知で、夏季休業前に敢えて都教委がこうした内容の通知文を出した背景には、「管理職も含め教職員は疲れている、日頃の勤務が家庭生活にもマイナスの影響が出ている、このままでは公務能率の向上が図れない」との状況認識があるからです。都教委が何を言おうとも、私たちは労働者の権利として、夏期休暇や年休を取得してきました。しかし、「夏期休暇や年休を取得すること」に対し、嫌がらせをする管理職が存在することも事実です。今回の通知文は、こうした管理職に対する戒めであり、夏季休業中に様々な行事や会議を計画し、休暇を取りにくくしている学校職場に対する警告でもあります。


週刊墨教組 No.1590         2010.5.19

「四月の時数報告」の過程は、貴重な「試行」
   「労働強化」というよりも、「無駄な労働を強いる」だけのもの
  五月からの「ICT化」はこれを踏まえて決めるべきだ!


 学校「ICT化」が始まって一か月余が経ちました。その当初から、多くの技術的な問題と運用上の問題をはらんでいることを指摘してきましたが、その後はどうでしょうか? 問題は解決されたでしょうか、あるいは改善されたでしょうか? 良くなりそうな幽かな光でも見えてきたでしょうか? 残念ながら、泥沼状態・思考停止強制状態が深まったようにしか思われません。


貴重な「試行」
 「四月の時数報告」の過程は、極めて貴重な「試行」でした。
 「できた〜!」とほっとしている人はたくさんいます。できなかった人も少々。そして、「やらなかった人」もそれ以上にいます。中には「来月からは自分でやってください」と言われながら他の人に入力してもらった方もいるようです。この方は「できた〜!」という満足感に満たされているのでしょうか。
 ここに参加した(させられた)私たちは、「四月の時数報告」という共通体験をもち、それを話しあうことができます。この一か月半の「ICT化」のできごとをふりかえり、それをふまえて、これからどうするのかを決めていくことができます。

時間と内容
 「ICT化」をふりかえるときに、私たちは、次の二つの視点をもちます。
一.その作業は、「ICT化」の趣旨=時間軽減につながったか?
二.その作業は、私たちの労働を豊かにし、まちがっても管理強化の具にされないか?
 一.については言うまでもありません。それが今回学校「ICT化」の目的なのですから、これにいかなる形でも違背してはなりません。
 二は、私たちの労働や教育活動の豊かさを味わえたかということです。少なくとも今以上にむなしい無駄なものであってはならないということです。

無駄な作業
 私たちはその作業にかかる時間を厳密に計ってみるべきです。
 これまでも、区教委に報告するかどうかは別にして、私たちは時数を計算してきました。いわゆる「週案簿」(以下「手書き週案簿」)に書いたり、パソコン週予定処理ソフトを使ったりしてです。
 「『手書き週案簿』のときは大変でした・・・、一桁の足し算が難しくて・・・。」・・・何てことはありませんでした。時数計算はそんなに苦痛ではありませんでした。大変さがあったとしたら、その理由は主に、授業の変更や行事が割り込んできたことを正確に記録しておかなかったことです。それは「学びの扉」を使っても同じです。「学びの扉」の「売り=自動計算するよ」はパソコンソフトを使っている方にとってはすでに実現していることであり、何ら魅力的なことではありません。ともかく、これまでに私たちが私たちのやり方で時数計算をするのにかかった時間を基にして考えましょう。
 「校務支援システムにより時数管理を行う」には、どのぐらいの時間がかかるのでしょう? 慣れ・理解・やる気・・・によってその時間は個々まちまちです。大した時間ではないようにも思われます。しかし、これまでやっていた「手書き週案簿」や「パソコン週予定処理ソフト」を続けた方は、簡単な時数の足し算以外の時間はすべて加算されるのです。時間の軽減になど一切なりません。

剛直なソフト
 しかもこの「時数管理」ソフトは、かなり剛直なソフトです。「時数管理」ソフトは、確定してプリントアウトしなくては累計時数が見られなかったり、手で計算したものを入れられなかったりと、わざとのように不便なソフトになっています。
 しかし、「ICT」=情報通信技術とはそんなに融通のきかないものではありません。「IT」が単なる技術なら、「ICT」は「コミュニケーション」を入れることによって、人と人の間をよりまろやかにつなごうという意図をもった言葉です。例えば「学びの扉」でも、「出席簿」・「通知表」・「要録」作成ソフトは、途中での訂正ができたり後から修正できたります。

目的は「『学びの扉』週案」?
 区教委は「今年度『学びの扉』では時数管理」だけを行い「週案管理は行わない」と言っていました。確かにどこにも、今年度「学びの扉」で「週案を作成せよ」と書いてある文書はないようです。にもかかわらず、「時数」を「学びの扉」で入れようとすると「週案に教科名や行事を入れなくてはならないのです。これはまったくおかしいことです。
 区教委が「時数」報告を必要とするなら、どのような形であれ、時数を手に入れればいいのです。それが「学びの扉」であろうが「エクセルデータ」であろうが、「紙ベース」であろうが。

 「今年度、手軽で格安にこの○○が手に入りますよ」と誘います。客が言われた金額や労力を出そうとすると、「いやいや、その前にある会に入会してもらわなければならない。別のものを買ってもらわなければならない。そういうシステムになっているんだから・・・」と強要します。引っかかった客は、「○○」を手に入れるために膨大な出費をさせられます。それは、「損」をしたということだけではなく、人に対する不信感、それに屈してしまった無力感やむなしさ・・・を味わわなくてはなりません。
これが二番目の視点の一つです。

五月、六月、七月・・・
 私たちは将来にわたって
 この「時数管理」業務を続けるのか?
 「学びの扉」「週案」にぺたぺた「行事」や「教科名」をはっていったその姿を思い返してみましょうそれを私たちは「教育労働」と呼べるでしょうか? 「できた喜び」は「苦役の終了」・「テレビゲームの一面クリア」と同じ程度のものではなかったでしょうか?
 四月、墨田の教員の多くは、襲いかかってきた「ICT化」の嵐に翻弄されていたようにも思えます。しかし、「ICT化」は自然現象とは違って、人間のすることです。人間のすることは人間によって制御できます。制御できなくてはなりません。その時、制御するのは、「神の代理人」であったり「王」であったり「武力を持つもの」であったりしますが、今の社会では「人々」です。労働の現場では私たち「労働者」が労働のあり方を制御するべきです。

一.時間軽減につながる「ICT化」も含めた仕事の仕方はどういうものか?
二.私たちの労働=教育活動を豊かにする仕事の仕方はどういうものか?

 良い機会です。根本から考えていきましょう。そして、現時点での最善の行為=教育活動を行っていきましょう。

「ICT化」の諸問題@

後手後手の「ICT化」運用
 今週中には、各校や支援員からの意見や質問、その回答などの情報をQ&A」で出すそうです。あまりにも遅い対応です。また、これまで、改善されたのは、掲示板がコピー&ペースとできるようになったぐらいです。

とにかく遅い
 ハードの基本的問題は、とにかく遅いということです。起動に4〜5分、シャットダウンに3分、校務システムから教育活動システムへの移行も三〜四分はかかります。「自席を離れるときは電源をオフにしてUSBメモリーを所定の保管庫に入れる」とするならば、一日の中でこのセットを何回やらなくてはならないことか。そして起動・移行・終了だけのために(これは教育活動を豊かにしません)膨大な時間がかかります。
「ICT化」を進めるためには、まず使いやすくすることです。次に、強制しないことです。自由に使わせて、良いものはいずれ強制しなくても使われるようになるでしょう。使い勝手の悪いもので、人々が必要と考えるものは、人々に知恵によって、より良いものに生まれ変わるでしょう。これが「技術の革新」です。教職員を信じるべきです。こいつら強制すればどんなことでもやるだろう・・・と「信じる」のではなく、自由にやらせればきっとより良いものを生むだろう・・・と。


5月26日(水)3時から
女性部・職場の課題 交流会

組合会議室

 総会で、「情報交換の重要性」が確認されました。一層深く情報をとらえ、他職場の動向や行動を共有し、職場の課題を克服していきましょう。女性部を中心に会を催しますが、男性もご参加ください。また、組合員でない方にも声をかけてください。より多くの方の参加で、会の趣旨は一層実現されます。



教研集会 6月23日(水)
  3時から 組合会議室
講師 吉岡忍さんに決定

詳細次号



第2回チャリティー  コンサート
ほうせんかの夕べ
6月26日(土)3時から

昨年大きな感動を呼んだ「関東大震災寒・朝鮮人殉難者追悼碑建立記念」のコンサートです。今回は小室等・李政美・おにくうどんえ・1960さんたちが出演します。
詳細次号


週刊墨教組 No.1589             2010.5.6

 第一回労働安全衛生委員会開かれる
切実なのは、職場で働く人間の労働環境


組合からの強い要望の元、昨年度、墨田区でも労働安全衛生委員会が設立されました。
 四月十三日に二〇一〇年度第一回学校安全衛生委員会が開かれました。
 メンバーは、教育委員会庶務課長、学務課長、指導室長、中学校校長会会長、都教組墨田支部書記長、墨田教組副委員長、事務職員組合墨田支部執行委員長、産業医の八名です。この日は中学校の校長を除く七名の参加で会議が開かれました。

 まず、昨年の活動報告がされました。
・産業医への相談件数は、三人
・安全衛生推進者との交流。
・夏に研修会を開きメンタル面でのチェックリストを行う。
・訪問校においてもミニ講話やチェックリストをおこなう。
・学校巡視の結果は、職員室の配線の整理を要するだけという結果だった。

 次に、意見交流をしました。パワハラを含め、精神面での予防について論議されましたが、環境面でのチェックはできるが、メンタル面でのチェックは難しいという意見が出ました。そこで、産業医への健康相談窓口の存在等を含めて、周知していく必要があり、通知を下すだけではなく、多くの教職員に知らせる方法を考えることになりました。
 また、職員の健康障害を防止するための環境づくりを推進していくことが確認されました。
 次回は、職場巡視が予定されています。

労働安全衛生委員会とは  
 職場での労働者の安全と健康を確保し、快適な職場環境をつくるため労働災害防止基準の確立や責任体制の明確化、自主的活動の促進などの措置を定めているのが労働安全衛生法です。この法に基づいて、労使双方からメンバーが出されて労働安全衛生委員会が設立されています。
 そして、各学校には、労働安全衛生委員がいます。その任に当たっているのは、副校長です。

 管理強化による労働過重、パワハラも含めて職場の中は決して安心して働ける状態ではなくなってきています。この労働安全衛生委員会は、そんな現状を改善するための機関です。私たちが安心して働き続けるためにもこの委員会を活用していきましょう。  
 

四.二五 沖縄と連帯する東京集会
  基地問題の解決は安保廃棄しかない


 沖縄では九万人、東京でも千人を超える人々が、普天間基地撤去を目的に集まりました。
 沖縄の基地は冷戦構造をその「存立根拠」にしていました。それもなくなったあとも拡大解釈に拡大解釈を重ね、軍事基地を沖縄におくことが自己目的化されてきました。しかし、「海兵隊」の存在は例えば「九・一一」に対応できませんし、むしろ危機を増すものでしかありません。長年日米政府に基地を押し付けられてきた沖縄の人々は、敢然と撤去を迫っているのです。沖縄県全人口約一三九万人。十五人に一人がその集会には参加したのです。東京であれば八三万人。どこに集まれるでしょう。
 四月十八日、徳之島では一万五千人の集会が開かれました。島民は二万六千人です。「基地はいらない」「基地は出て行け!」 旧政権党の議員までこぶしを上げていました。これを揶揄する新聞記事もありましたが、とにかく「ここ」に基地を移転することには反対なのです。
 でも、どこに「出て行かせる」のか? 「普天間に戻そう」というのか? 徳之島では今、署名が回っているそうです。要求項目の三番目には、「普天間基地撤去」と書かれているそうです。徳之島の人々は、普天間基地はそのままにしたり辺野古やグアムに回したりすることを考えていないのです。東京ではどうでしょうか。
 マスコミは「基地の押し付け合い」「どこにも行き場のない基地」「移設先を見つけられない鳩山政権」を「笑って」います。どうせ自分の地域には基地はやって来ないと冷笑しています。この態度、問題の設定の仕方こそが笑われるべきです。基地はいらない、基地はどこにももっていかなくていい、基地は撤去すべきだ・・・。日米安保条約は、一九七〇年以降は、「締結国からの一年前の予告により一方的に破棄出来る」のです。安保と日米関係の見直しで解決できます。
 この日のシュプレヒコールでとりわけ心明るくなったもの 「アメリカは普天間基地をアメリカに持って帰れ!」


「放課後学習クラブ」
  教員の関与はありえない


 二月二四日付週刊墨教組で「この事業所轄の所長が言明した「一般教員の関与はない」が厳守されるように、組合として監視していきます」と述べた「放課後学習クラブ」事業運営補助金交付要綱が出されました。
 「放課後学習クラブ」は、「授業以外での学習時間に課題があり基礎学力が十分に身についていない児童・生徒の学習習慣の確立や学習内容の定着を図るため、地域人材を活用して放課後に学習教室を実施する区立小・中学校に対し、補助金の交付等による支援を行う」とすみだ教育研究所による事業内容説明がなされているものです。研究所所長は、「『放課後学習クラブ』への一般教員の関与はない」と説明しています。しかし、「放課後学習クラブ」の主催は学校ですから、この事業を実施するか、補助金を申請するかは、各学校で決めることになります。「事業運営補助金交付要綱」では教員という言葉は一切出てきません。
 指導内容や運営方法、教材の準備や使用教室等において一般教員が関与させられて新たな仕事を負うことがないよう、さらに監視を強めます。

資料 

 放課後学習クラブ 事業運営補助金交付要綱
平成22年3月31日 21墨教研第728号

 (目的)
第1条 この要綱は、区立小・中学校が実施する放課後学習クラブ事業に対し、補助金を交付することにより、児童・生徒の学習習慣の確立及び学習内容の−層の定着に資することを目的とする。
 (定義)
第2条 この要綱における用語の意義は、次に定めるところによる。
(1)放課後学習クラブ事業 地域人材等の指導員を活用した原則放課後に行う教科指導教室をいう。
(2)地域人材等 地域住民、保護者、退職教員、大学生等をいう。
(3)指導員 教科指導教室において児童・生徒を指導する者をいう。
(4)教科指導教室 小学校においては原則として国語又は算数の教科を、中学校においては原則として数学又は英語の教科を指導する教室をいう。
 (補助対象経費等)
第3条 区長は、放課後学習クラブ事業を実施する区立小・中学校に対し、当該事業の運営に要する次に掲げる経費を交付する。
(1)地域人材等の指導員に係る人件費
(2)学習教材等に要する経費(備品を除く。)
(3)前2号に掲げるもののほか、教育長が特に認めた経費
2 禰助金額は、予算の範囲内で、1校当たり50万円を限度とし、年度を単位として交付するものとする。
以下略



文科省学力テストに「希望参加」
   墨田は「プライド」を持てたか?

 四月二一日付東京新聞社説(多くの地方新聞で採用された)は「不参加貫くプライドを」と題して、教育現場が自ら信じる理念を守る事の大切さを説いた。「自前の学力調査」を勧めるところはいただけないが、周りに流されて右往左往する様を批判した点は高く評価できる。墨田ではどうであったか。

・「墨田区の全小中学校は希望したのだから四月二〇日にこれまで同様やると区教委が指示している」と最後まで思い込んでいた管理職がいた・・・?
・なんとなくやっただけ・・・
・「授業時数が不足している、土曜日授業もしなくては足りない」と言いながら無意味に授業時間を使ってしまう・・・
・マスコミで問題も解答例も発表されているのに、カンニングや不正がないように厳正にテストを行う・・・

 テストはいろいろなものを測ってしまったようです。

参考

  学力テスト 不参加貫くプライドを
          2010年4月21日東京新聞社説


 全校参加から抽出方式に変更されて初めての全国学力テストが行われた。対象から外れた学校の多くも雪崩を打ったように自主参加した。教育現場に求められるのは、むしろ不参加を貫く自信だ。
 全国学力テストは過去三回、小学六年と中学三年の全員参加方式で行われてきた。だが、本年度は政権交代に伴い、昨年度より二十四億円少ない三十三億円にまで予算が削られ、文部科学省が抽出した小中学校合わせて約一万校の子どもに絞られた。
 文科省によれば、抽出率は全国の小中学校の約三割だ。都道府県ごとの学力比較ができる最小限の目安という。ところが、抽出から外れた学校の約六割が自主的に参加した。抽出校と合わせると、全体の約七割がテストを受けた。
 自主参加の多さに、川端達夫文科相は「今まで通り実施して学力を把握したいと思ったためではないか」と述べたが、理由はそれだけではあるまい。
 教育現場に「よその学校が受けるなら、うちも」という“横並び意識”が働かなかったか。
 大阪府では小中学校を合わせた抽出率は二割だが、自主参加を含めると参加率は九割を超えた。橋下徹知事は「民主党が完全に民意を見誤った典型例」と、テストの方法を批判した。だが、学力対策に躍起となっている知事の顔色をうかがって参加した学校がなかったと言い切れるか。
 かつて愛知県犬山市は、学力向上を競争原理に委ねるようなテストに反旗を翻し、不参加を貫いたことがあった。子どもの学力のありようを気に掛ける親心ゆえの疑問や反発を受けてその後、参加へとかじを切った。
 教育現場が自ら信じる理念を守り抜き、あえて為政者や保護者を説得し、理解と協力を得ることは、もちろん生やさしくはないだろう。しかし、今の教育に必要なのは、為政者や保護者の心中を忖度して右往左往することではあるまい。
 例えば、横浜市や名古屋市では自主参加の学校はなかった。両市の教育委員会とも、過去三回のテストから自らの立ち位置が分かったとして、今後は独自の学力調査に力を入れるという。自主参加を見送ったことを契機に、東京都や千葉県などでも、自前の学力調査に目を向け始める自治体が出てきた。
 あらためて自らの理念に基づき、地に足を着けて教育を進めようとする自負と受け止めたい。




刊墨教組 No.1588          2010.4.26

憲法改悪阻止 
二〇一〇年度運動方針、予算を決定
墨田教組 第六五回定期総会
 「違憲教育基本法」の実働化を許さず!
 墨田の地で、労働組合としての機能と責任を果たし続ける



 
第六五回定期総会が、四月二一日、すみだ女性センターで開催されました。「違憲教育基本法」の下、「教育の国家統制」「教職員の管理強化」を主とした「教育改革」が進められているなか、墨田区に在る教職員組合の責務として、闘い続ける意志を確認しました。
 総会は三時五分に巻幡副委員長の開会宣言、「緑の山河」斉唱、議長選出してすすめられました。役員紹介の後、執行部を代表して委員長が挨拶。

組合活動の本源的な地点から
 学校完全週五日制=週休2日制を壊そうとする「土曜日授業」(今年度は一〇校ほどの小中学校が独走)、違憲教育基本法の実体化である教員免許更新制が現政権でも未だ廃止されていないこと、「主任教諭」職などの職階制強化、管理強化と多忙化をもたらす「学校ICT化」と、矢継ぎ早に攻撃は繰り出されています。私たちは一層力を結集してこれと闘っていかねばなりません。
 たしかに私たちの組合が量的にも小さくなり、執行部に組合専従経験者がいなくなるといった困難な状況があることも事実です。しかし、私たちはいつでも、その与えられた条件の中で最善の闘いを組んでいきます。今こそ、一人ひとりの力と知恵をだし、それを結集した闘いを組んでいこうではありませんか。職場の問題や課題を一つひとつとらえて、それを解決していこうとすること。解決への「唯一の正しい方法」が与えられるのではないが、私たち一人ひとりが、ああではないかこうではないかと試行錯誤していく。そのようなプリミティブな形での組合運動が始められるときです。

抵抗する少数派の存在
 教育社会学・社会史研究者広田照幸さんは、「一九五〇〜六〇年代の教育の中での対立については、進歩派の手になる著作では、運動としての敗北や妥協ばかりが強調されがちだが、実は、仮に何もしなかった場合と比べると、運動側にとっては大きな成果をあげていたといえる。抵抗する少数派の存在が、現実に作られる構造や過程に対して、実は大きな意味をもっているのである。」と述べています。
 私たちの手探りのささやかな運動・各職場での抵抗もこのような意味を持つことはまちがいありません。

墨田の地で機能と責任を果たす
 私たちは、墨田のことは墨田で解決することを一つの重要な存在意義としています。執行委員会は区教委と交渉して諸課題を解決することに最大限の力を入れていきます。それぞれの職場での闘いと、墨田に根をはっている組合員のもつネットワークを使った情報の交換・共有がこの交渉を支えます。変動の時代には、ネットワークが貴重です。墨田の地で、教職員労働組合としての機能と責任を果たし続けるために、これまでやってきたこと、地道で原則的で愚直な教育労働組合運動を、私たち一人ひとりが毎日行っていこうではありませんか。

運動方針案提案
 議事に入り、書記長が二〇一〇年度運動方針案を提案。とくに最重要課題をめぐって次のように提起しました。
 「学校ICT化」が、私たちの教育活動の本質的なところで益することはありません。平均点が何点から何点までの間だから自動的にコンピュータが「B」と判定してくれて便利だ・・・というのは、瑣末なことです。私たちの教育活動の本質は、一人ひとりの子どもがどのような条件の下でどれだけがんばっているのか、これからどういっしょにやっていったらいいのかを見極めるところにあります。「ICT化」の宣伝はコンピュータ処理できる程度のことを教育の本質と見間違わせようとする悪意があるかもしれません。
 「ICT化」は管理強化と教育内容への介入の第一歩です。どのように労働の場で阻止できるか、そうではない形にしていけるかは、私たち現場で働いている一人一人のとりくみにかかっています。その「ICT化」が負担軽減につながるのか、教育の本質に違背しないかは私たちが一番よく知っています。これではだめだ、これでは仕事がもっと大変になってしまう・・・という意見・要求をどんどん突きつけていきましょう。
 夏季プール外部指導員の報償費問題も「土曜日授業」の問題も、私たちの労働条件に深く関わるものです。今現在のためにも将来のためにも、課題の解決は、私たちがどれだけ職場で発言できるかにかかっています。

活発な論議
 提案を受け、参加した多くの方が、職場の現実・闘い・とりくみを具体的に紹介して討論に立ちました。
 多くの職場で、校長の独断専行が横行している実態が報告されました。「ICT化」の役割分担、支援員にどのような場面でどのように支援してもらうか、TTと少人数学級のどちらを採るか、どのような行事を行うかなどの場面で、十分な説得がないままに考えをごり押しする校長が多くいます。私たちの仕事は私たちが決めていかなくてはなりません。教職員自身が判断するためには、私たち自身が情報を共有し、他職場での動きも把握していることが必要です。そのようにして校長の専横を阻止した例も報告されました。
 また、面接で「人事構想外だ」と通告=異動強要された例も紹介されました。職場の力で撤回させることができましたが、早期に「パワハラ」定義する必要と、隠されたこのような事例を掘り起こし明るみに出す必要が話されました。
 再任用・再雇用・非常勤教員・講師・支援員・・・など、職場構成員が複雑になったことの問題も論議されました。管理職がそれぞれの勤務内容や勤務条件を十分に把握していなかったり、「一年契約という弱い立場」につけこんで過重な仕事を引き受けさせたり(たとえその言い方が穏やかであってもこれは「パワハラ」です)という例が多数挙げられました。一人ひとりのケースを解決すると共に、「期限付き任用」などの不当な不安定雇用を直ちに廃止したり、すべての働くものの権利を守らせたりしなくてはなりません。
 どの発言も執行部に対する要望も含め、方針案を補強する立場からのものでした。共に考え、知恵を出しあって闘っていこうと呼びかけるものでした。

 四時二〇分に討論打ち切り、運動方針案に対する挙手採決が行われ、圧倒的多数の賛成で可決・決定されました。その後、決算・監査報告が承認され、続いて予算案について審議がなされ、採決で可決・決定されました。次に「東京教組大会代議員選挙」が行われ、三人の代議員が決定され議事は終了しました。議長は終わりのあいさつの中で、「初めてこの総会に来られた方や久しぶりにみなさんと会う方、いかがでしたか」と発言を促しました。その中で、「職場の毎日ではつい流されてしまうが、ここに来て、おかしいと思ってもいいんだ、声を出していってもいいんだと感じられた」という発言は、多くの方の共感を得、総会というものの意義を再確認しました。三時四〇分、委員長の団結ガンバロー三唱を最後に閉会しました。 

広田照幸「較差・秩序不安と教育」世織書房2009年

 野党勢力や少数派が別の社会構想に依拠しながら行なう抵抗は、無意味ではない。1970〜80年代の教育政治の構造を考察したショツパ(2005)は、常に少数派であった野党勢力が、それなりに影響力を行使しえた仕組みを明らかにしている。世論を喚起して保守派の一部を切り崩したり、地方での実施レベルで協力を拒否したりする戦術を採用することで、多数派の保守勢力による政策プランの一部を、うまく無効化していったというのである。
 また、ある時代における対立や妥協の結果が、次の時代の改革のスタートラインを作る、という点も重要である。たとえば、近年問題になっている愛国心教育の問題であれ、教員評価の問題であれ、遡ってみると、1950〜60年代の教育における対立の焦点だった。その時期の対立と妥協の結果作られた制度や枠組みが、現代の改革をめぐる議論のスタートラインになっている。1950〜60年代の教育の中での対立については、進歩派の手になる著作では、運動としての敗北や妥協ばかりが強調されがちだが、実は、仮に何もしなかった場合と比べると、運動側にとっては大きな成果をあげていたといえる。抵抗する少数派の存在が、現実に作られる構造や過程に対して、実は大きな意味をもっているのである。


小学校教科書採択
 「脱ゆとり教科書」キャンペーンに流されず
よりましな教科書を

 小学校では二〇一〇年度、新教育課程完全実施のために全面改訂された教科書(二〇一一年度から二〇一四年度使用)を採択します。その方針が四月一日、区教委から出されました。それによると、今回も大まかな流れは従来と同じようになっています。また、私たちにとって重要な「各学校における教科書の調査・研究」でも、「調査結果に意見を付して」報告するようになっています。各学校へどのように見本本を展示するかはまだ明示されていませんが、できるだけ各学校での調査研究がしやすくなるように働きかけていきます。無力感にとらわれることなく、「ふさわしい」と思われるものを推し、現場に不要なものを排除していきましょう。
 
教科書採択の大まかな流れ

@−@各学校における教科書の調査・研究
 各学校は、教科書の見本本の内容等を教科指導にふさわしいかどうか調査し、調査結果に意見を付して審議会に報告する。4月28日(水)から6月11日(金)までに

@−A調査委員会による調査研究 
 各教科別に設置し独自の調査を実施。5回以内の回数で開催
 6月11日までに審議会に報告。
 委員構成:委員長(校長又は副校長)及び各教科の教員の代表各2〜4名程度

@ーBアンケートによる意見募集(審議会へ) 教科書センターでの教科書展示 
 6月上旬から7月上旬(特別展示10日間、法定展示14日間)

A審議会での審議 
調査委員会・各学校からの報告を受けてから7月2日までの期間に4回以内
 構成:学校関係者4名(小学校校長会代表・小学校教育研究会代表(校長)・調査委員会委員長代表・調査委員会副委員長代表各1名)・地域保護者代表4名・教育委員会事務局2名

B教育委員会にて採択 8月31日までに

メーデー
4月29日(木)午前8時15分から
明治公園前段集会
中央メーデー会場代々木公園までデモ
その後、交流会
ふるって参加を


刊墨教組 No.1587          2010.4.19

「学校ICT化」大混乱
  「学校ICT化」の趣旨は、「教職員の校務事務負担を軽減させ、
    児童・生徒一人ひとりと向き合える時間を増やす」こと・・・のはずだったが・・・

あいかわらず、児童ゴム印を押させる「ICT化本格実施」

 四月一日から、学校現場ではかなりの混乱がおこっています。無駄な書類を作ったり無駄な作業をしたりといった「学校ICT化」をめぐる混乱です。混乱の主因は、区教委のあまりにもお粗末で無計画な「本格実施」にあります。いま現在進められているものを「本格実施」というなら、「学校ICT化」はその当初から失敗であり、「その趣旨に違背するもの」と断ぜざるをえません。
 私たちは、少なくとも小学校では二〇一〇年度は移行期と位置づけるように要求してきました。一年間かけてどのような仕事をどのように「ICT化」できるか、どうすればその趣旨に合致するようにできるか、全教職員で検証していこうと主張してきました。しかし、区教委は拙速な「本格実施」に踏みきりました。
 私たちは「ICT化」にやみくもに反対するものではありません。しかし、「学校ICT化の主旨」=「教職員の校務事務負担を軽減させ、児童・生徒一人ひとりと向き合える時間を増や」すことに違背するならば、断固として反対します。
 私たちはパソコンで行うことはなんでも悪いとは思いませんし、実際、パソコンを使ってもいます。だからといって、パソコンでやることはなんでも良い、何事もパソコン上で行われなくてはならないという発想(強制)を受け容れることはできません。墨田の教育と労働が正しく行われるにはどういう「ICT化」の形が良いのか、私たちの仕事の仕方をふまえた技術革新はどうあったらいいのか、これから検討していかなければなりません。

混乱一 通知があいまいで、きちんとした情報が伝わっていない。

 これまで使っていた出席簿は、小学校では公簿扱いしなくても良いことにもなりました(公簿として扱うこともできる)。公簿としての出席簿は、毎日欠席報告をした時の記録が「学びの扉」に累積されたものを「月ごとにシステムより出力したものを表簿として保管」することもできるとされているからです(三月十六日付事務連絡文書「校務支援システム導入に伴う平成二二年度の指導要録等の取り扱いについて」)。
 多くの学校では、この通知が四月になっても周知されず、旧来の出席簿が配られました。そのため、各担任は、児童ゴム印を押して曜日を記入するという昨年度までと同様の作業をしました。「学びの扉」に出欠を入れるということが負担として増えただけという愚かしいことがおきたのです。
 同時に、「学びの扉」だけでなく「補助簿も作ってほしい」という説明が管理職からされました(その際、「学びの扉」出席簿をその月の前に打ち出したものも十分に補助簿になるという説明は、多くの学校でなされませんでした)。「補助簿が必要」とは、システムに安心感を持てないために出されたもののようです。こういう状態を移行期間と呼びます。
情報をきちんと伝えないものだから、多くの学校で無駄な仕事が増えました。

混乱二 区教委は実際の作業を把握していない
 「学校ICT化の主旨」に合致しない行い

 「主旨」は「教職員の校務事務負担を軽減させ、児童・生徒一人ひとりと向き合える時間を増やす」ことですが、出席簿で見たようにまったくこの方向で進んでいません。
 話を名簿に関わる作業だけに限って考えてみましょう。四月からの名簿関係の作業で、どれだけ負担が軽減されたでしょうか、どれだけこれまでの児童ゴム印押しの作業から解放されたでしょうか。
 例えば、教科書給付名簿。墨田区で使っている教科書とその番号ぐらい区教委が知っていそうなものです。「学びの扉」の児童名を自動的に配列印字し、児童数も自動的にカウントするなどということはコンピュータにとって得意な分野です。国には教科書給付名簿をコンピュータ処理するシステムがあるが、区の「学びの扉」と接合することができなかったと説明されましたが、書式を作って流せば、全学級の担任が児童ゴム印を捺すという膨大な無駄がなくなったはずです。
 例えば、保健関係の書類。尿検査・ぎょうちゅう検査の名簿など、少し工夫すればラベルに自動的に印字することができるし、名簿を作ることもできます。健康診断一覧表はこれまで使ってきて使い勝手のいいものであるという声があるならば、区で書式を出せばいいことです。「学びの扉」には個々の検査項目のデータがあるのですから、それを「結合表」にまとめればいいだけのことです。データベースソフトでなくても、「エクセル」あたりでも簡単にできていることです。
 区は、どのような声があるのか、どんな作業があるのかすらも、全体的に把握していないようです。この中で、ICT化による「校務事務負担を軽減」と言われてもむなしいだけです。

混乱三 「学びの扉」児童名簿は  質の悪いデータベースソフト
 「学びの扉」の児童名簿は、非常に質の悪いデータベースのようにしか見えません(隠れた「力」があるのかも知れないので断定は避けますが)。
 「学びの扉」は項目を設定(設計)できないようです。名簿に新しい項目(例えば「たてわり班」)を入れるときには、新しい項目「たてわり班」を立ててそこに入力します。この当たり前のことができないようで、空いている項目に無理やりもぐりこませています(そのために「自転車登録番号」などという項目があるのか!?)。
 「学びの扉」児童名簿は、それ自身の帳票形式(書式)を三つしか持たないようです。それ以外の書式はエクセルに書き出して作るようです。しかし、一度「学びの扉」名簿をエクセルなどに書き出せば「学びの扉」名簿とはリンクが切れてしまいます。元の「学びの扉」名簿を変更してもその変更は反映されません。データベースには、「基データは一つ」の原則があります。これに違背します。新しい書式を作る度に最新の基データ「学びの扉」名簿を書き出すという手間のかかる作業をするか、たくさんの「基データ」がエクセルの形で書き出されて混乱が拡大するか、どちらかしかないのです。

労働強化・管理強化を警戒する
 毎月の時数を報告するのは指導室が各クラスの時数管理をしようというのではなく、各学校(校長・担任・・・)が、きめ細かく時数を把握するためだと言われています。そうであるならば、毎月時数を確定すると自動的に区教委に報告されるシステムは改めるべきです。私たちは、意味もなく区教委に「毎月報告」することは、意味もなく「毎週報告」「毎日報告」の道を開くと警戒します。
 時数管理はこれまでも毎日担任が行い、校長も何らかの形で把握してきました。あるいは具体的な数値は知らずとも互いの職業的信頼関係の中で「管理」してきました。何の問題もありませんでした。今行っている「日・週・月・・・指導計画」(週案)システムは「学びの扉」への移行対象ではありませんし、何年たっても移行できないでしょう。教科名を毎時入れれば時数が自動的に計算される(便利な)ことは、時数報告をするのに毎時間に教科名を入れなくてはならないことを意味しません。「時数」を出すためにだけ毎時の教科名を入力することは必ずしも労働の軽減にはなりません。これまで通りの計算をして報告することだってできるはずです。教科名を入力することが「校務事務負担を軽減」に反するならば、断固拒否すべきだし、区教委はそれを受け容れなくてはなりません。
 出欠報告は管理職の仕事です。これまで、学級担任が区教委に毎日出欠報告をしていたことはありません。養護教諭がしていたのはインフルエンザ流行という「非常事態」の中においてです。これまで出席報告を毎日していたのは誰か考えれば、だれが入力するかはおのずと明らかです(嫌ならこれまで通りの形で報告すると要求すればいいのです)。

移行期間にすべきこと
 他に、児童名の並び順が文字コード順か五十音順かでも混乱しています。何事もものの切り替わり時には混乱がつきものです。並び順はどちらがいいかなどは決められませんから、それがこれまでのものと違うなら徐々に移行させたり切り替えたりしていけばいいのです。けれども、「学びの扉」名簿の並び順は文字コード順であるという情報を出さずに、あるいは並び順が違うのではないかとも考えずに、一方的に押し付けるから混乱するのです。
 混乱は初年度だけの混乱でしょうか?今、おかしい!と声をあげなければ来年度以降も同じようなやり方になるでしょう。「本格実施」などという状態ではないことを確認しましょう。その上に立って、軽減できるところは徹底的に軽減させましょう。なすべきでないことは拒否していきましょう。
 組合は交渉を強めます。

※ここに述べたことは、コンピュータにはまったくの素人である私たち墨田教組組合員が、わずか二週間の間に触って受けた印象と、区教委からの個別の説明などによっています。できれば、ここに述べた多くの「非難」が私たちの理解不足・誤解であることを願っています。お気づきのことや基本的にまちがっていることがあったら、どうかお教えください。



「4.25沖縄県民集会とともに声をあげよう」東京集会
日時:4月25日(日)午後3時開始
 集会後デモ行進予定

場所: 社会文化会館・三宅坂ホール

千代田区永田町1-8-1 有楽町線・半蔵門線「永田町」駅4分

主催 : <呼びかけ>沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック
<共催>辺野古への基地建設を許さない実行委員会
 同日、同時刻に沖縄で行われる「米軍普天間飛行場の早期閉鎖・返還と県内移設に反対し、国外・県外移設を求める4・25沖縄県民大会」に連帯して開かれます。

「沖縄に基地はいらない」全国同時アクション
 NO BASE! OKINAWA 〜キャンドルで人文字をつくろう!
 日時:4月25日(日)18時〜
 場所:明治公園 
新宿霞岳町、渋谷区千駄ヶ谷一丁目



組合総会
明21日(水)3時から
すみだ女性センター




週刊墨教組 No.1586         2010.4.1

異動特集号