週刊墨教組 No.1322 2001.5.10


「二十一世紀を切りひらくすみだの子ども」像とは何か


教科指導にふさわしいかどうか
 「教科用図書選定審議会事務局」は、四月二六日、「学校における平成十四年度使用教科用図書見本本の調査研究に関する補足説明」という「事務連絡」を、文書で行いました。
 この補足説明の「1.各学校における教科用図書の調査・研究」には、新たに「@四月十六日付事務連絡に添付した調査項目等を参考に、教科書の見本本の内容等を教科指導にふさわしいかどうか調査をお願いします。」という項目がつけくわえられています。
 「教科指導にふさわしいかどうか」という言葉は、もちろん、「教科書採択の方針について」(平成十三年三月二二日墨田区教育委員会決定)からとられています。
 ごくあたりまえのようにみえますが、この項目は、意義深く重要です。 
 学校で教科指導を行うのは、教員です。豊富な経験をもとにして、墨田の子ども・生活・地域の実態をふまえて、教科指導にあたることになります。
 したがって、現場の教員による真摯な教科書調査・研究の意見は、審議会が判断を形成する上での重要な要素・要因となって、反映されることになるのです。
 そのことを、明確にした項目であるのです。

『すみだ教育指針』
 さらに、新たに「A教科用図書選択事務取扱要綱の二条にあるように『すみだ教育指針』に述べられた『二十一世紀を切りひらくすみだの子ども』像も調査の観点に入れてください」という項目もつけくわえられました。
 『すみだ教育指針』(平成十二年八月三十一日墨田区教育委員会)は、「はじめに」と三つの章から成る提言ですが、「二十一世紀を切りひらくすみだの子ども」は、U章の「伝統あるすみだの街、受け継ぐ子どもたち」の第二項にあります。
 その章の第一項は、「すみだ―新たな伝統の創造―(二十一世紀のすみだの街)」であり、そのなかには、「『すみだの特性を生かした教育』は、二十一世紀への墨田区の教育の提言の中心をなしていることから、二十一世紀のすみだの街の在るべき姿として、『共生・創造・継承』の視点が必要と考える」という箇所があります。
 そして、『共生』は、つぎのように定義されています。

「大人と子ども、高齢者と若者、外国人や障害のある人が、地域社会のかけがえのない構成員として共に暮らす街である。」

「二十一世紀を切りひらくすみだの子ども」像
 このような珠玉の定義を受けて、第二項「二十一世紀を切りひらくすみだの子ども」は展開されます。
 前述の定義と対応して、願いをこめた、つぎのような文言があります。

「Bさらに、チャレンジ精神や真の『知恵』をもつ、多様な見方・考え方ができる、人やモノとかかわることの大切さを実感できる子どもに成長してほしい。」

 そうして、「二十一世紀を切りひらく『すみだの子ども像』を考える際に、以下の五つをキーワードとしていく」として、「かかわり」「しなやかさ」「ゆとり」「じぶんらしさ」「つくりだす」が示されています。
 例えば、「しなやかさ」は、つぎのように定義されています。

「自分と異なる様々な人の見方・考え方も受け入れ柔軟に発想し、粘り強く努力できる子ども」

 引用した文言は、いずれも、多様な多元的価値を認め合う、共生する社会・世界をめざして、英知に満ちています。
 そのような内容がもりこまれた教科書が、「『二十一世紀を切りひらくすみだの子ども』を育成するのにふさわしい」すぐれた教科書ということになります。

 


週刊墨教組 No.1321 2001.5.2

我らの意向を教科書採択に反映させよう
調査研究を積極的に進め、
  意見をとりまとめ、報告するとりくみを!


 今年は小中学校共に来年度から四年間使用する教科書の採択年になっています。
 私たちは、教科書採択の度毎にきわめて真摯に教科書の調査・研究を行ってきました。その結果に基づいて学校としての意向を決定し、それを採択権者であった都教委に提出しました。都教委は提出された学校・教員の採択意向に基づき、採択決定を行いました。 
 ところで、昨年度から採択権が区教委に移管され、具体的採択システムが従来と大きく変わりました。もっとも大きく変わった点は、都教委採択時代には学校・教員の意向が直接的に尊重・反映されたのに対し、後述する動きの中で、その点が弱められていることです。
 しかし、そうした状況の中でも、私たちは、教科書を真摯に調査・研究・検討し、「より良い教科書」の採択をめざしてとりくみを進めます。「主たる教材」としての教科書を使用・活用して、日々児童生徒の指導に当たり、その実態と課題を把握している私たちこそ、どの教科書を採択決定することが「 世紀を切り開くすみだの子ども」を育成するにふさわしいか判断できるのです。
 学校・教員の意向を無視して採択決定することは許されません。

 今年の採択は、次の三点から非常に重要な意味をもっています。

「自由主義史観」派の策動の中での採択
 「自由主義史観」派は、自らが編集・作成した「中学校歴史・公民」教科書(扶桑社発行)の採択決定地区を増やすことを目的に、現場教員の採択への関与を排除する策動を展開しました。二月八日づけの「都教委通知」(教育委員会下部組織による絞り込み排除通知・「週刊墨教組」1312号に全文掲載。その批判は、「週刊墨教組」1314、1315、1316号に掲載)も、墨田区教委の「採択方針」変更(「週刊墨教組」1320号参照)も、「自由主義史観」派の策動の結果です。
 今年の採択は、そうした策動が激しく行われている中で行われます。彼らの思うがままの採択決定や採択システムの構築・運用を許してはなりません。教科書採択はあくまでも児童生徒や地域の実態や課題から出発し、教育条理に基づきおこなわれなければなりません。

辛うじて残されている学校の意向尊重システム
 上記の策動がある中で、墨田区教委も、採択決定システムを作りました。しかし、そうではあっても、長年にわたる墨田の現場の教科書調査・研究の作風と伝統の中で、区教委は
■墨田の児童生徒の実態、課題をもっとも良く知る学校現場・教員の調査・研究とそれに基づく意見を聞かないわけにはいかない
■現場教員の意見・意向は尊重され、生かされなければならない
■学校から出された教科書についての調査研究報告・意見は、教育委員会が採択決定するに当たって重要な判断材料とされる
との態度を表明し、その立場、態度で採択事務の運用に当たることを明らかにしています。
 今年の採択は、そうした辛うじて残されている学校現場の意向尊重のシステムとその運用状況を活用・検証するという意味も持っています。

現場教員の意向尊重が原則かつ時代の流れ
採択権は教員にあるー国際的常識

@「教員は生徒に最も適した教材および方法を判断するために格別に資格を与えられた者であるから、・・・教材の選択と採用、教科書の選択、教育方法の採用などについて不可欠な役割を与えられるべきである」(ILO・ユネスコ勧告 項)

 この勧告は、授業の主要な教材である教科書の採択権は、本来、教員にあり、「児童の教育をつかさどる」権限の重要な一部を成していることを示しています。
 この国際的常識の立場に立つことが、何よりも重視されなければなりません。
 現行法規のもとでは、教科書の採択権限は教育委員会にあるとされていますが、その規定自体が、こうした国際的常識に反していると言わざるを得ません。少なくとも、現行法のこの規定は、こうした国際的常識に基づき解釈されなければなりません。つまり、採択権限が教育委員会にあるとしても、その行使に当たっては、本来的に教科書選択権を持つ教員個々の、あるいはその集団(その基礎単位は学校)の採択意向を十分に尊重して行うことが前提とされていると、解釈することが至当です。

閣議も意向反映を呼びかけ
A「将来的には学校単位の採択の実現に向けて検討して行く必要があるとの観点に立ち、当面の措置として、教科書採択の調査研究により多くの教員の意向が反映されるよう、現行の採択地区の小規模化や採択方法の改善についての都道府県の取り組みを促す」(一九九七年三月二十八日の閣議決定「規制緩和推進計画の再改訂について」)

 この閣議決定にも見られるように時代の流れは、「多くの教員の意向が反映される」教科書採択にあります。

 これら三点の意味・意義を明確に押さえた上で、具体的な調査研究のとりくみを、進めていこうではありませんか。

さしあたってこれだけは


 さしあたって、公正な「各学校における教科用図書の調査・研究」のために、つぎのことだけは、とりくみたいものです。

1.教科書閲覧日の設定
小学校用の教科書は、すでに次の五校(隅田小・曳舟小・一吾小・業平小・錦糸小)に運ばれています。そこへ見にいくことになります。その日を確実に設定させます。
  教員全員が行けるように午後の授業をカットする等の工夫も必要に応じてします。
  また、全教員で行く日とは別に、必要に応じて個人あるいは教科毎のグループで見に行くことも認めさせます。
2.学校としての意見をとりまとめるための職員会議の設定
  調査・研究結果は、報告用紙に記入して提出することになっています。
  この記入にあたっては、「学校は・・・すべての見本本に対する調査結果を意見を付して報告」(区教委の「教科書採択方針」「採択事務取り扱い要綱」第6条)となっている以上、教員全体で調査研究結果を交流・討議し、「意見」をとりまとめることが必要です。そのための職員会議を確実に設定させます。
3.報告用紙に職員会議で確認した意見を確実に記入させる
  報告用紙(「教科用図書採択のための資料」)には、職員会議の結論を正確に記入しなければなりません。
  この「報告」文書は、採択決定後、情報公開制度で請求すれば公開されます(したがって、嘘を書けば後でばれます。ばらします)。

 各校における調査研究とその職員会議での取りまとめ、さらにそれらの報告用紙への記入をすすめるにあたっては、下記の点に十分留意して行います。

審議会事務局の補足説明
 「教科用図書選定審議会事務局」は、四月二六日、「学校における平成十四年度使用教科用図書見本本の調査研究に関する補足説明」という「事務連絡」を、文書で行いました。
 この文書は、「各教科書一冊につき、一枚ご記入ください。別紙各教科の調査項目を参考に、ご記入方お願いします」として、一方的に羅列した調査項目だけを送りつけてすませようとした、不親切きわまりない四月十六日付事務連絡(なんと、まだ設けられていない教科用図書選定審議会長が出している!)を、丁寧にわかりやすく補足説明したものです。

一社につき一枚でよい
 文書は、「各教科の各会社一社につき、一枚にとりまとめて提出いただいても結構です」(傍線原文のまま)とあります。
 例えば、A社の国語教科書は、一年生から六年生まで上下二冊ずつ計十二冊ありますが、一枚に記入すればよいことになります。国語の会社数は六社なので、六枚書くことになります。

つけくわえられた選定基準
 補足説明の「1.各学校における教科用図書の調査・研究」には、新たに「B別紙教科用図書採択に関する調査及び選定基準も参考にしてください」という項目がつけくわえられています。
 それは、添付された別紙に、つぎのように示されました。(「教科用図書採択のための資料」との関連でいうなら、(1)(2)(3)(4)は、それぞれ、ABCDとすべきでしょう)

教科用図書採択に関する調査および選定基準
1 調査研究の観点
 調査研究の観点は、次の内容を基準とする。
(1)内容の選択
@教材が適切であるかどうか。
A教材や資料の正確さ、分かりやすさはどうか。
Bその他
(2)構成・分量
@単元(教材)の配列が適切かどうか。
A発達段階に応じた分量・内容であるかどうか。
Bその他
(3)表現・表記
@読みやすい表現であるかどうか。
A記号・式・図形・挿絵・写真などが分かりやすく、見やすいかどうか。
Bその他
(4)使用上の便宜
@形態・重量・材質が発達段階に応じたものであるかどうか。
Aその他

 「調査報告内容」は、「調査項目」を参考に、「選定基準」をもとにして、記入することになります。

最も重要な「Eその他」の欄
 「選定基準」に、「(5)その他」の記載がないのを不思議に思われるかもしれません。
 常識的には、「その他」は、適当にどうでもいい欄と思われがちですが、断じてそうではありません。
 昨年度は、推薦する三種であるかどうかは、この欄に記入するよう指示されたのでした。
 最も重要な欄なのです。
 ですから、事務連絡文書の「2教科用図書採択のための資料の記入について」で、とりたてて起項し、「Bその他の欄には学校として、調査結果等についての総合的意見がありましたら、ご記入ください」となっているのです。
 『方針』『要綱』にある「意見を付して」ということの意義は、この欄に最も反映されるのです。
 したがって、各校の、児童・生徒の実態をふまえて、「教科指導にふさわし」く、「『二十一世紀を切り開くすみだの子ども』を育成するのにふさわしい」すぐれた教科書は、理由を明確にして、この欄に記入することになります。


週刊墨教組 No.1320 2001.4.25


「意見を付して」ということの意義
教科書採択をめぐって


「教員の意向が反映される」採択
 「〔措置内容〕将来的には学校単位の採択の実現に向けて検討してゆく必要があるとの観点に立ち、当面の措置として、教科書採択の調査研究により多くの教員の意向が反映されるよう、現行の採択地区の小規模化や採択方法の改善についての都道府県の取組みを促す」

 目を瞠るような見事なこの言葉は、ほかでもなく、一九九七年三月二十八日の閣議決定「規制緩和推進計画の再改定について」にあります。
 時代の流れは、確実に、「多くの教員の意向が反映される」教科書採択にあったのです。

墨田の教員の作風と伝統
 昨年度の中学校教科書採択以前までは、採択事務は都教委が行い、区教委は関与していませんでした。各学校での十分な批判検討をふまえて、一〜三位まで希望順位をつけた「学校票」が区教委を通して、都教委まで送られていました。
 この方式では、教員が自らの責任で教科書を選び、さらに全体的な討議を経て合意形成をはかって順位を決めるので、民主的な制度といわれていました。
 墨田区の小中学校では、採択のたびごとに、きわめて真摯な教科書の調査・研究が行われてきました。それは、日々接している児童生徒により良い、より適合した教科書をという情熱に基づくものでした。そして、そのための調査・研究が、教員にとっても何よりの研修・研究となっていたのです。
 このような姿勢こそ、墨田の教員の作風と伝統であったのです。
 前述の閣議決定がめざす方向とも合致していました。

教員の意向を尊重した昨年度「方針」
 ところで昨年度(二〇〇〇年度)の中学校教科書採択は、新しい「方針」(「教科書採択の方針について」平成十二年二月三日墨田区教育委員会決定裏面資料2)、「要綱」(「平成十三年度中学校使用教科用図書採択事務取扱要綱」)のもとで行われました。
 この「方針」「要綱」は、一九九九年九月八日に受理された『公立学校教科書採択制度の制定に関する陳情』をうけて制定されたものでした。
 この『陳情』の「要旨一」には、「文部省の指導(平成二年三月二十日の文部省通達・文初教第一一六号)にも反する現行の学校票方式を廃止してください。もし学校票がすぐに廃止できない場合は、学校票の決定に関わる全プロセスの公開をしてください」とありました。
 しかし、区教委は、自主性・自立性をもって独自の判断と責任で、教科書採択制度を制定したのでした。
 「方針」には、「各学校における教科用図書研究会」が「適当と思われる各教科3種類の教科書を推薦する」とあり、「教科用図書調査委員会」が「適当と思われる各教科3種類の調査内容を」「報告する」とありました。
 私たちは、この「方針」「要綱」について、不充分さがあるにせよ、学校現場、教員の意向を尊重して採択決定するという基本的立場が貫かれていること、そのことを採択システムの中にしっかり位置づけているということで、一定の評価をしました。

教員の意向排除をめざした都教委通知
 おりしも、東京都教育委員会は、二月八日、区市町村教育委員会に対し、『教科書採択事務の改善について(通知)』という文書を出したのでした。この通知は、「新しい教科書をつくる会」の策動と同伴・連動しています。
 通知は、現場の教員による、真摯な教科書調査・研究の結果をふまえた「各学校で適当と思われる各教科3種類の教科書を推薦する」(昨年度方針)ことを、「絞り込み」と悪罵し、教員の意向を排除しようとしていました。
 この理不尽な都教委の一片の通知により、昨年度の「方針」に盛り込まれた区教委の英知と見識は、たった一年で覆され、今年度方針(裏面資料1)が決定されてしまったのです。

「意見を付して」ということの意義
 誰にも打ち消すことができない厳然たる事実というものがあります。
 教科書採択にあたって、豊富な経験に裏打ちされ、子どもたちの現実をつぶさに熟知している教員の意見が取り入れられることは、しぜんなことなのです。
 久保孝之区教委次長は、四月二十四日、墨田教組・都教組墨田支部に対して、次のような態度表明を行いました。

 墨田区教育委員会は、教科書採択にあたり、各学校に教科用図書を調査研究させ、その結果を報告することを求めている。墨田の地域及び児童・生徒の実態・課題を把握し、日々教科指導をおこなう学校・教員の意向は尊重され、生かされなければならないと考える。したがって、学校から出された調査研究結果報告は、教育委員会が採択決定するにあたって重要な判断材料とされる。
 したがって、『教科書採択の方針』(平成十三年三月二十二日墨田区教育委員会決定)の「教科書の調査・研究及び審議」には、「(1)各学校における教科用図書の調査・研究 各学校は教科書の見本本の内容等を教科指導にふさわしいかどうかを調査し、すべての見本本に対する調査結果を意見を付して審議会に報告する。」とあり、
『教科用図書採択事務取扱要綱』の第六条には、「各学校は、教科用図書を各教科ごとに調査研究し、すべての教科用図書の調査結果を意見を付して、平成十三年六月十二日までに審議会に報告するものとする」と規定した。

 現場の教員による真摯な教科書調査・研究の意見は、審議会が判断を形成する上での重要な要素・要因となって、反映されるのです。
 墨田の教員の作風と伝統を継承して、しっかりととりくまなければなりません。

資料1


平成13年3月22日
墨田区教育委員会決定


教科書採択の方針について

 墨田区立学校が使用する教科用図書(以下「教科書」という。)の採択について,下記のとおり取り扱う。


1 教科書の調査・研究及び審議
墨田区教育委員会が教科書の採択にあたり,下記によって教育的な効果を調査・研究及び審議させる。
(1)各学校における教科用図書の調査・研究
各学校は教科書の見本本の内容等を教科指導にふさわしいかどうかを調査し,すべての見本本に対する調査結果を意見を付して審議会に報告する。
(2)教科用図書調査委員会(各教科別に設置する)による調査・研究
教科用図書調査委員会は独自の調査を実施し,すべての見本本の調査内容を墨田区教科用図書選定審議会に報告する。
※ 教科用図書調査委員会の委員構成
・ 教科部長(校長)及び各教科の教員の代表
〔小学校各4〜6名、中学校各4〜6名〕
(3)墨田区教科用図書選定審議会による審議
学校及び教科用図書調査委員会からの報告を受け,地域の実情や区民の意向なども参考に審議し,各教科毎の推薦する2種類を含めたすべての見本本についての審議結果を墨田区教育委員会に答申する。
※ 墨田区教科用図書選定審議会の委員構成
・ 校長会代表1名,区教育研究会代表(校長)1名
・ 教科用図書調査委員会委員長代表1名
・ 教科用図書調査委員会副委員長代表1名
・ 保護者等若干名・指導室長・指導主事1名

2 教科書の採択
 墨田区教育委員会は,墨田区教科用図書選定審議会からの答申を受け,総合的に判断したうえで,教科書を採択する。
 なお,採択にあたっては,墨田区教科用図書選定審議会の審議状況などを審議会から聴取する。

3 教科書採択方針の廃止について
 平成12年2月3日墨田区教育委員会決定の教科書採択方針については廃止する。

資料2

平成12年2月3日
墨田区教育委員会決定
教科書採択の方針について

 墨田区立学校が使用する教科用図書(以下「教科書」という。)の採択について,下記のとおり取り扱う。


1 教科書の調査・研究
墨田区教育委員会が教科書の採択にあたり,教育的な効果を調査・研究させる組織を設置する。
(1)各学校における教科用図書研究会
各学校に送付される教科書の見本本の内容等を調査し,各学校で適当と思われる各教科3種類の教科書を推薦する。
(2)教科用図書調査委員会(各教科別に設置する)
各学校からの報告を受け,さらに調査する。調査の結果,適当と思われる各教科3種類の教科書の調査内容を墨田区教科用図書選定審議会に報告する。
※ 教科用図書調査委員会の委員構成
・ 教科部長(校長)及び各教科の教員の代表
〔小学校各6名、中学校各4名(ただし技術・家庭は6名)〕
(3)墨田区教科用図書選定審議会
教科用図書調査委員会からの報告の報告を中心に,地域の実情や区民の意向なども参考に審議し,各教科2種類の教科書を墨田区教育委員会に答申する。
※ 墨田区教科用図書選定審議会の委員構成
・ 校長会代表1名,区教育研究会代表(校長)1名
・ 教科用図書調査委員会委員長代表1名・教科用図書調査委員会副委員長代表1名
・ 保護者等若干名・指導室長・指導主事1名
2 教科書の採択
 墨田区教育委員会は,墨田区教科用図書選定審議会から答申を受け,総合的に判断したうえで,教科書を採択する。
 なお,採択にあたっては,墨田区教科用図書選定審議会の審議状況などを審議会から聴取する。


週刊墨教組 No.1319 2001.4.19

今年は、教科書採択年
 十分な調査・研究、論議でより良い教科書の採択を

 今年は、二〇〇二年度から使用する教科書の採択年です。
 小・中学校ともに採択決定を行う年であり、また、小学校ついては採択権が区教委に移ってから(昨年度から区に移管)初めての採択年ということになります(中学校においては、二〇〇一年度使用教科書の採択決定が昨年度行われましたー今年採択決定するのは、二〇〇二年度から四年間使用する教科書です)。

見本本、小学校には届けられている
 小学校については、すでに全種類の教科書(見本本)が五校(隅田・曳舟・一吾・業平・錦糸)に届けられています。各校は、このどこかの学校に教科書を見に行き、調査・研究を行うことになります。
 中学校については、現時点ではセット数も、いつ届けられるかも未定です。これは、例の「新しい歴史教科書をつくる会」作成の中学校「歴史」「公民」教科書(扶桑社発行)の検定に時間がかかり、中学校用全教科書の検定合格発表が遅れたためです。結局、実際に届けられるの五月連休開けになることも予想されます。

調査・研究期間は六月十二日まで
 各校における調査・研究結果は、六月十二日までに教科用図書選定委員会に報告することになっています。まだ、日数があるように見えますが、間に連休が入り、また運動会等の学校行事もある時期でもあり、十分な調査研究期間をとることが難しいと思われます。特に中学校の場合、一カ月しか期間がなく、深刻です。

早急に日程固め、十分な調査・研究を
 しかし、小・中ともに何としても時間を確保し、十分な調査・検討を行い、学校としての意見・意向を取りまとめて明確に報告し、それを採択決定に反映させるとりくみが必要です。
 当面、教科書調査・検討の日程(教科書を直に見に行き検討する日時、全員で検討する職員会議の日時等)を早急に固めることが必要です。

 なお、区教委の「採択方針」や「採択システム」の内容、その問題点等については、次号以降に詳述します。


またしても都教委の愚行
教科書採択をめぐって

くりかえされる都教委の愚行

 来年度は、新学習指導要領に基づく小中学校の教科書採択が行われることになっています。
 都教委は、八日、この教科書採択をめぐって、区市町村教育委員会に対して、『教科書採択事務の改善について(通知)』という文書を出しました(裏面参照)。
 背後に政治的意図がうごめくのが透けてみえる、またしても、くりかえされる都教委の愚行としかいいようのない内容です。一月十七日現在、東京都において、教科書問題で地方議会の請願が採択されたのは、墨田区を含めて十八区市に及びます。
 この「通知」によって、未採択の区市も請願採択へと外圧が強まることは必至です。

教員にもっと信を

 本年度の中学校教科書採択以前までは、採択事務は都教委が行い、区教委は関与していませんでした。各学校での十分な批判検討を踏まえて、一〜三位まで希望順位を付けた「学校票」が区教委を通して、都教委まで送られていました。
 この方式では、教員が自らの責任で教科書を選び、さらに全体的な討議を経て合意形成をはかって順位を決めるので、民主的な制度といわれていました。
 「多くの教員の意向が反映されるよう、現行の採択地区の小規模化や採択方法の工夫、改善について都道府県の取り組みを促す」とは、一九九七年三月二八日に閣議決定された言葉です。
 都教委は、現場の教員にもっと信をおくべきなのです。

一九九九年の請願・陳情

 一九九九年五月、東京都文京区に「東京教育再興ネットワーク」という組織がつくられました。九月二八日付けで、「来年の四月、二三区の教科書採択実務が都教委から区教委に移管される・・・機会に、」『教科書採択手続きの改善に関する提言』を行ったのでした。
 この提言を下敷きにして、一九九九年の各区議会への請願・陳情がなされたのでした。
 今回の都教委の通知にも、この提言が色濃く影をおとしています。

「歴史修正主義」的な「国民の物語」

 「通知」に、わざわざ、とりたてて、中学校社会科・歴史分野の「我が国の歴史に対する愛情を深め、国民として自覚を育てる」とあるのも、異様です。
 「自由主義史観」などと称して、日本の戦争責任や憲法の理念や核廃絶をも否定する「新しい教科書をつくる会」の請願書には、この箇所が引用されています。
 「歴史修正主義」的な「国民の物語」を台頭させてはなりません。
 憲法・教育基本法をより体現する教科書を採択しなければならないのです。

資料

12教指管第658号
平成13年2月8日
各区市町村教育委員会教育長殿
東京都教育委員会教育長
横 山 洋 吉


教科書採択事務の改善について(通知)


 

 平成13年4月1日から8月15日まで、新学習指導要領(平成10年12月告示)に基づく小学校及び中学校の新しい教科書の採択が行われます。
 教科書採択の改善については、平成2年3月20日付け文部省初等中等教育局長通知「教科書採択の在り方の改善について」(別添「資料」参照。)により、改善すべき問題点が指摘されました。その主な内容は、(1)都道府県教育委員会があらかじめ教科用図書選定審議会の意見を聞いて、採択地区の教育委員会に対する指導、助言又は援助の一環として作成する採択基準と教科書調査研究資料(以下「調査研究資料」という。)が、実際の採択に当たって、「より参考になるもの」となるよう「専門的な教科書研究」を充実させること、(2)「採択は、採択権者が自らの責任と権限において、適正かつ公正に行う必要があり」、「教職員の投票によって採択教科書が決定される等、採択権者の責任が不明確になることのないよう、採択手続の適正化を図る」こと、(3)採択に「保護者等の意見」を取り入れるなど、「開かれた採択」を推進すること、などの諸点からなっていました。
 平成13年1月24日の都道府県教育長協議会において、文部科学省初等中等教育局長から、上記通知から10年が経過しているにもかかわらず、教科書採択の改善は必ずしも進んでいないとの指摘があり、平成13年度に行われる新しい教科書の採択において、改善の実をあげるようにと強い指導を受けました。
 このような文部科学省の指導を踏まえ、東京都教育委員会は改めて下記の諸点に留意し、自らの採択事務を実施しますので、各区市町村教育委員会におかれましても、同様の趣旨から、改善されるようお願いいたします。

1 教科書の採択に当たっては、文部省告示の新学習指導要領に示された各教科・分野の「目標」等を最もよく踏まえている教科書を選定するなどの観点から、教科書の専門的な調査研究を行うこと。
 例えば、中学校社会科・歴史分野の「歴史的事象に対する関心を高め、我が国の歴史の大きな流れと各時代の特色を世界の歴史を背景に理解させ、それを通して我が国の文化と伝統の特色を広い視野に立って考えさせるとともに、我が国の歴史に対する愛情を深め、国民としての自覚を育てる」など、また、小学校国語第3学年及び第4学年の「相手や目的に応じ、調べた事などについて、筋道を立てて話すことや話の中心に気を付けて聞くことができるようにするとともに、進んで話し合おうとする態度を育てる」など、新学習指導要領に示されている「目標」等を最もよく踏まえている教科書を選定するなどの観点から、専門的な調査研究を行うこと。

2 教科書採択のための調査研究資料は、全ての検定済み教科書を対象とした「専門的な教科書研究」に基づき、新学習指導要領に示された「目標」及びそれに対応する「内容」等に即して、各教科書の違いが簡潔・明瞭にわかるようなものとすること。明瞭な違いがあらわれない調査項目、末梢的な要素に関わる調査項目などについては見直し、調査研究資料が実際の採択に「より参考になるもの」となるようにすること。

3 東京都教育委員会に設置する東京都教科用図書選定審議会(以下「選定審議会」という。)の委員及び調査員並びに各採択地区に設置される採択に関する事項を調査審議する機関である「採択委員会」等の委員及び調査員には、上記の採択基準に基づく調査研究資料を調査、作成するのにふさわしい人材を委嘱、任命すること。
また、選定審議会や採択委員会に「保護者等の意見」が反映できるよう委員に加えていくとともに、調査員について、教職員以外の住民を委嘱することができるよう、必要に応じ要綱等の見直しをおこなうこと。

4 各市町村教育委員会(以下「各教育委員会」という。)は、地方教育行政の組織及び運営に関する法律第23条第6号に定められた教科書の「採択権者」としての立場と責任を自覚し、調査研究資料及び「採択委員会」等の下部機関の調査報告書の内容に基づき、自らの判断で採択すべき教科書を決定すること。その際、必要に応じ、調査研究資料と調査報告書の内容について確認するため、当該教科書にあたって点検すること。

5 各教育委員会は、採択要綱・要領等の中に、事実上「教職員の投票によって採択教科書が決定される等、採択権者の責任が不明確になる」おそれのある規定があるときは、速やかにその規定を改正し、「採択手続きの適正化」を図ること。

6 各教育委員会は、採択要綱・要領等の中に、採択権者である教育委員会の決定に先立ち教育委員会の下部機関が、採択すべき教科書の候補を一種、又は数種に限定する、いわゆる「絞り込み」の規定があるときは、速やかにその規定を改正し、「採択手続きの適正化」を図ること。

7 各教育委員会は、「開かれた採択」の推進のため、教科書の見本本については、速やかに一般住民用に展示し、また展示場所を周知する措置をとること。

8 「開かれた採択」の推進のため、採択は速やかに採択結果及び採択理由、調査研究資料、調査報告書、会議の議事録、採択に携わった委員及び調査員の氏名を公表し、採択事務の透明性を確保すること。


週刊墨教組1264号 2000.1.14

教科書採択に重大危機
   教員の採択関与を否定する動き

 二〇〇〇年四月から、東京二三特別区の教科書採択権限が、都教委から区教委に移管されます。これは、地教行法(教育委員会法)五九条廃止に伴う事務移管によるものです。各区教委は独自に採択方式を決め、それに基づき採択決定を行うことになります。
 これに伴い各区では、教科書採択手続きを定める要綱等の作成を進めています。今、これに関連し都議会や各区議会の段階で、由々しき動きが出ています。
東京の従来の採択方式は、比較的現場の意見が反映されるシステムになっています。採択区が現行法のもとで可能な最小単位である行政区毎になっていること、事実上各学校からの採択希望集約によって採択が行われてきたこと、この二点で東京の採択制度は全国でもっとも民主的といって良いものでした。
 ところが、この採択方式にクレームをつけ、現場の採択希望に拘束されずに、教育委員会が決定すべきであるという主張が、都議会や区議会における質疑や議会に対する請願・陳情という形で、強く出されています。この動きは、明らかに意図的であり、どこかで誰かが組織的に相談し、一斉に指示を出していると考えざるを得ない動き・内容になっています。これらの請願・陳情は、多くの区で自民党・自由党の賛成多数で採択されています。墨田でも十二月に採択されました。
これらの動きが、墨田区を初め二三特別区毎に今後つくられていく採択制度に大きな影響を与えようとしています。

都議会段階での動き
   ☆印 都議会議員 ◇印 都教育長
☆ 教科用図書選定審議会の委員の推薦を教職員団体にも依頼するという慣行は即時廃止すべきと考える。
◇ 今後は、現行の推薦方法をあり方を見直すなど、審議会委員の推薦について新たな視点から、検討していく。
☆ 今年度採択された小学校社会科の教科書会社に片寄りがあるが、問題はないのか。
◇ 文部省の検定を受けた教科書の内容についての調査研究が行われ、適切な採択組織や手続きによる採択が行われたものと受け止めている。
☆ 教科書採択委員会が、選定案として一社の教科書会社の教科書にしぼって、教育委員会に答申する事例がある。教育委員会の権限を侵しており許されないことだ。
◇ 採択権限を侵すようなことがあるとすれば、当然改善すべきである。

この質疑は、昨年九月都議会で行われたものです。この質問者(土屋たかゆき議員ー民主党)は、まず初めに「歴史教科書の現状は小中学校ともに、偏向した階級闘争史観、反日自虐史観に満ちた教科書が圧倒的なシェアを占めている」との認識を示しています。そして、「こうした事態をもたらした大きな原因は、教科書採択の問題にある」と断定するのです。その上で、「教科書採択権限は教育委員会にあるにもかかわらず、採択の実情は、現場教師が多数を占める調査委員会などの諮問機関が実権を握り、教育委員会の職務権限は著しく空洞化している。そのため、日教組などの反日的な姿勢が教科書採択に強い影響を与え、それにより教科書の内容がますます偏向したものになってきている。この現状を改善するために、教育委員会に採択権限を取り戻す採択の仕組みをつくることが強く求められている」と述べ、その立場から、質問を行っています。
 彼の主張する歴史教科書に関する認識が、きわめて荒唐無稽なものであることを、私たちはよく知っています。文部省による検定によって、歴史教科書がどれだけ均質化されていることか、どれだけ歴史的事実が歪められ、隠されていることか・・・
 彼の意図は、はっきりしています。相変わらず、日教組攻撃を行うことを通じて、現場教師の教科書採択関与を排除すること、それです。そして、採択関与者を少数に絞ることによって、自分たちの作成・推薦する教科書の採択決定をより多くすることが可能になるとみているわけです。まして、事実上議会承認が必要な教育委員のみによる採択決定方式にするならば、その面からも政治的圧力を加えられる、だからこそ、教育委員会の採択権限を声高に主張するわけです。
   
墨田区の採択制度制定への陳情
昨年十二月、墨田区議会で採択された「公立学校教科書採択制度の制定に関する陳情」は、次の五点の実現を要求する内容になっています。
@学校票方式の廃止。廃止できぬ場合、学校票の決定に関わる全プロセスを公開
A教科用図書選定審議会の構成員にPTAや地域の代表、有識者を入れ、議事録を公開すること
B採択に当たっては教育委員会の職務権限を明らかにし、教育委員が自ら教科書を手に持って調べ、責任ある決定機関として機能すること
C文部省の検定終了後、教科書を一般公開し、区民、有識者、生徒保護者の評価を受けるようにすること
D選定審議会委員の選出方法と委員の経歴、教育委員の経歴と教育理念を公開すること

 「陳情」はこうした要求の理由を次のように述べています。
「現在使われている教科書を見ると、豊かな情操と広い視野、そして誇りある日本人としての意識を育むはずの歴史や公民の教科書において、逆に日本人としての誇りを失わせるような記述が多く目につく。東京都の小学校の社会科教科書採択では、一方に公平な歴史観と日本の国に誇りが持てるような内容の教科書があるにもかかわらず、なぜかすべての区で、特定の思想性が強いものや、事実と認定されていないことが記述されているものが採択されている。・・・・このような不自然な現象が起こるのは、現行の教科書採択制度とその運用に、問題があるからではないかと考える。
 現行採択制度の問題点を整理すると
@学校票による決まり方が甚だ不透明である。『教科書会社の営業活動によって決まることはないか』『教科書の採択に関わる教師に思想的な偏向はないか』『教師以外の生徒保護者や、地域の有識者の意見が反映される余地がないではないか』
A教科用図書選定審議会の構成員に偏りはないか、論議が十分になされているか
B最終決定権を持つ教育委員会が、学校票を尊重しすぎて、形骸化していないか等が挙げられる。」

現場教師の採択関与排除がねらい
 こうして「陳情」の要求、理由を見れば、この陳情のねらいが現場教師の教科書採択関与を排除し、教育委員会がその権限を行使して独断的に採択決定をするしくみをつくらせることあることは明らかです。何のために?
 現行制度のもとでは採択関与者が多く、自分たちが作成・推薦する教科書が採択される見通しが立たない。そこで、決定者を少数者、しかも政治的圧力をかけやすい者に限定し、そうしたことを通じて採択可能性を増大させるためとしか考えようがありません。
 二三区議会に、全く同じ主旨、要求の陳情が出されていることを見ても、そのことは明らかです。

『国民の歴史』大量配布の意味
中野区で定例の校長会の席上、教育長が「寄付を受けたので参考に配布します。扱いは皆さんに任せます。」と言って、『国民の歴史』という本を配布しました(「朝日新聞」十二月十一日夕刊)。また、大阪府内の公立中学の校長、教頭、社会科教諭の自宅には『贈呈』とスタンプが押され、「この本を一人でも多くの方々に読んでほしい」と手紙が添えられて『国民の歴史』が送られて来ました。墨田区でも、各学校の校長宛に配布されたようです。
 『国民の歴史』(西尾幹二著・扶桑社)、厚さ約五センチ、重さ一キロ超の大作ながら特別定価千八百円という安値。著者の西尾幹二といえば、『新しい歴史教科書をつくる会』の会長でもあり、藤原信勝らと一緒になり、自由主義史観の教育を推進すべきと、触れ回っている最先鋒の人物です。「歴史の教科書は自虐史的に書かれていて、南京虐殺はなかったのだし、慰安婦は商売でやっていたのだから書くべきではない」という視点に立っています。その彼らが、主張している考えと、都議会や区議会で主張されていることは、全く一致しています。

「自由主義史観」の教科書を準備発行
 ところで、『国民の歴史』を発行している扶桑社は、西尾幹二を著者とした中学校歴史教科書を発行する準備を進めています。しかも、教科書採択のシェア目標を聞かれて、「十パーセントで勝利宣言です」と、西尾は答えています。これだけ高い本を無料で送っても、教科書を発行し、十%以上のシェアを占められれば、採算があうという計算をしているのでしょう。また、これだけ莫大な資金が使われているということは、大きな勢力がバックアップしていると考えざるを得ません。
 教科書発行会社は、公正取引委員会や文部省によって、教科書を使う教師に教科書見本や物を送ること、他の教科書会社を誹謗するなど、選択の妨害をすることは禁じられています。扶桑社のこうした動きについて、文部省に聞くと「教科書の検定申請をしていない団体に指導は出来ません」と答えるのみであったそうです。
 こうした動きと、現場の意見を無視して、教育委員会が採択決定するという教科書採択制度の改悪の動きとは同調していると疑ってもおかしくありません。

採択権は、本来、教師にある!
 本来、教科書はそれを使って教育指導を行う教師・学校が、選択、決定すべきものであり、その権限は「教育をつかさどる」権限の重要な一部をなしています。しかし、現行法規のもとでは、教師・学校の教科書採択権は奪われています。従来の教科書採択「東京方式」は、教師の採択権を多少なりとも尊重しようとの理念に立ち、確立されたものでした。それを否定する動きは、教師・学校の教科書採択権を全面的に否定しようとするものです。
 同時に、自己の作成・推薦する教科書の採択を実現するために有利な状況をつくりだそうとの政治的な動きでもあります。
 私たちは、こうした動きを許すことはできません。


週刊墨教組1250号 1999.9.10

今回も不正を許さなかったと言える結果
小学校教科書採択決定

七月二一日、 都教委は来年度から四年間使用する小学校教科書についての採択決定を行いました。
墨田については、 次のようになっています。

国語 日本書籍   書写 日本書籍
社会 教育出版   地図 東京書籍
算数 学校図書   理科 大日本
生活 啓林館   音楽 教育芸術
図工 開隆堂   家庭 東京書籍
保健 学研


 この結果は、 墨田教組が都教組墨田支部と協力して調査し、集約した結果とほぼ完全に一致しています。
私たちは、 今回も不正を許しませんでした。 少なくとも、 仮に不正があったとしても採択結果を左右するほどの不正(八五年度採択の際にあったような不正)は許さなかったと判断できる結果になっています。
私たちは、 今回の教科書採択にあたり「いかなる不正も許さず『より良い教科書』を集団的討議の中で選ぶ」ことをめざして堅実・確実なとりくみを進めてきました。
 その結果が、 各校の職員会議等における確認・決定の集約通りの採択決定につながりました。

「よりましな教科書」の採択をめざして
 来年度から使用する教科書の採択に当たり、私たちは、「よりましな教科書」の採択をめざし、さまざまなとりくみを進めてきました。
 「指導要領」は、厳しい検定を通じ確実に教科書を規制しています。教科書の画一化は一層進行しています。しかし、教科書を注意深く読んでみると、編集者や著者の意図は切り裂かれながらも、できるだけ抵抗を示しているものもあれば、最初から検定の意図に沿うように自己規制していると思われるものもあります。そうした中で、私たちは細部にも目を凝らして十分な批判検討を行い、「よりましな教科書」を子どもたちの手に届けようとしたのでした。
 そのために、私たちは集団的な批判・討議を通じて「よりましな教科書」を採択することをめざしてとりくみを進めました。
 まず私たちは、十九人の組合員に委嘱して教科毎に教科書検討を行い、それを資料としてまとめて墨田の小学校全教員に配布して教科書検討を行う際の資料として提供しました。また、検討した人たちを中心にその資料を使った「教科書検討会」を六月十一日に行いました。
 さらに、私たちは六月十五日〜七月八日に開催された「教科書展示会」に全教員が参加して教科書検討を行う場を設定するとりくみを進めました。この結果、一部を除いてほとんどの学校が参加し、実際に教科書を見ながらの検討が行われました。
 これらのとりくみを経て、職員会議や教科部会における真剣な検討・討議が行われ、各校において採択希望順位が決定され、区教委を通して都教委に提出されたのでした。そして、その結果を反映した採択が決定されたことになります。

不正を許さぬとりくみをやり抜く
 私たちは、「よりましな教科書」の採択をめざしてこうした努力を続けるとともに、十四年前一九八五年に行われた「不正」を許さぬとりくみも進めました。 十年前の「不正」とは、校長自身も参加し討議・確認した職員会議における採択希望順位の決定・確認を無視し、また分会からの確認問い合わせにも偽りの回答をし、希望順位を改竄して提出した一部の校長によって採択結果の逆転がなされたということでした。
 私たちはそれ以後三回(八八年、九一年、九五年)の教科書採択に当たって、そうした不正を許さないという堅い決意のもと、具体的なとりくみを確実に行い、不正を許しませんでした。今回もいかなる不正も許さない決意のもと、とりくみを進めました。
 また、このとりくみは、現行法制のもとで最も民主的であると言ってよい都の採択制度が正常に機能しているかどうか点検を行う作業でもありました。いかなる制度もそれが正常に機能しているかどうかの点検・確認がなされる回路が用意されていなければなりません。その回路が制度的・行政的に用意されていないならば、その点検は組合がしなければなりません。このとりくみはそうした意味も持ったものでした。 

今回も不正を許さなかった
 都教委による採択結果は、私たちが集約した結果と一致しています。十四年前に行われたような不正は、今回も行われなかった。少なくとも採択結果の逆転が成されるほどの範囲での不正は行われなかったと判断できます。残念ながら「一切、不正はなかった」と言い切れないのは、「採択希望カード」記入について、「校長の意見を書くのだ」と主張したり(都教委の指導文書では「貴校の採択希望を調査して提出」となっているにもかかわらず)、「採択希望カード」記入に当たって立ち会いや点検・確認を拒否した頑迷なる校長が少数ながら存在したためです。特に今回は、一校だけではありますが、「個々人の希望を校長に寄せろ。それを見て校長が書く」と、職員会議等で集団的に研究・検討を行い、その上で希望順位を確認することそのものを全面否定した校長がいたことは重大な問題です。それらの校長が不正をした恐れを否定する材料を、私たちは持っていません。これら少数の校長は自ら「不正をしたかもしれぬ」という疑いの眼を向けられる種を蒔きました。「李下に冠を正す」行為をした自覚と反省を持ってほしいものです。 
 私たちのとりくみは、十四年前の不正を許しませんでした。また、都の現行制度が墨田に関する限りは、正常に機能していることの点検・確認をきちんと行いました。

採択権区移管後も現行制度を守ろう
 ところで、特別区の自治権拡大に関係して「地教行法」(いわゆる「教育委員会法」)五九条が廃止され、来年度から特別区教委が市教委並みの権限を持つことになっています。その結果、教科書採択権が区教委に移ります。私たちは、区教委に対し、採択権が区教委に移管された後も、現行の民主的採択方法を堅持するよう要求し、話し合いを進めています。
 中学校の二〇〇一年度から使用の教科書採択は、来年度行われます。また、小学校の場合は、二〇〇二年度から使用する、(新指導要領に基づき作成される)教科書の採択を再来年行うことになります(中学の場合は、二〇〇二年)。これらの教科書採択は、区教委がすることになります。その民主的採択方法の確立は、今年度の重要な課題です。 
 教科書の集団的検討は、私たちにとって貴重な研究・研修の機会であり、また民主的に採択作業を進めることにより、不正・腐敗を防止する重要な役割をも果たすものです。
 「民主的採択方法の堅持」要求を必ず実現させなければなりません。


小学校新教科書

批判分析特集

はじめに


 教科書の改訂にともない、来年度から使用する新教科書の採択が始まります。採択期間は、現指導要領のもとでの、最後の改訂であり、二年間という限定付きです。二〇〇二年からは、新指導要領のもとでの、新しい教科書の発行になるので、各社とも四分の一の部分改訂です。
 教育内容の統制をはかる指導要領は、検定によって教科書を統制し、教科書はかなり画一化しています。児童数が減り続けている現状では、採算の合わない教科書発行から、手を引いている会社が今回も数社出てきているのが現実です。
 生活科の教科書は二十数社が、現在では十社余りに淘汰されてきています。社会科の教科書は、七社あったものが三社に縮小されてきています。日書や学図などの戦後日本の教科書をリードしてきた、良心的な会社が社会科から手を引いてきている事は、大変残念なことです。このままいけば、事実上の国定教科書の道に繋がっていく事になります。
 教科書を注意深く読んでみると、検定制度の枠内でも改善の努力や工夫のあとがみられます。教科書はすべての子ども達に手渡されます。私達は、教科書を細部にわたって検討し「よりましな」教科書を採択しなければなりません。
 墨田教組は、二十余名の組合員の方々に検討委員をお願いし、教科書展示会場でもある生涯学習センターにおいて、六月十一日(金)に全教科書の検討会を開きます。また検討の結果を、ここに「特集号」としてお届けします。職場での討議の参考資料になると思います。十分にご活用ください。

国語

一九八五年の不正!
 私たちは、決して忘れません。
 一九八五年の墨田区の小学校教科書採択においてしくまれた巧妙な不正を!
 八五年の各校別の国語順位集計は、つぎの通りでした。
    日書 光村 教出 東書 学図
第1順位 18  10  4    
第2順位 5  8  14  2  1
第3順位 3  7  6  2  8
ところが、都教委の採択結果は、光村という驚くべきものだったのです。現場の教員の意向は全く無視されたのでした。
 厚顔無恥な一部不良校長(策謀を巡らせた主犯と複数の同伴者)の各校採択結果の改竄(かいざん)により、日書が一位であるにもかかわらず光村が採択されるという不正が堂々と罷り通ってしまったのです。
 墨田でおこった一部不良校長の改竄の動機が、教科書会社の利益誘導に結びついたものであったかどうか。
 私たちは、この前代未聞の不祥事を、負の教訓として、教科書採択の全過程を厳しく監視・点検・確認することによって、二度と不正を許さないようにしなければなりません。

 ところが、都教委の採択結果は、光村という驚くべきものだったのです。現場の教員の意向は全く無視されたのでした。
 厚顔無恥な一部不良校長(策謀を巡らせた主犯と複数の同伴者)の各校採択結果の改竄(かいざん)により、日書が一位であるにもかかわらず光村が採択されるという不正が堂々と罷り通ってしまったのです。
 墨田でおこった一部不良校長の改竄の動機が、教科書会社の利益誘導に結びついたものであったかどうか。
 私たちは、この前代未聞の不祥事を、負の教訓として、教科書採択の全過程を厳しく監視・点検・確認することによって、二度と不正を許さないようにしなければなりません。

入門期の文字指導と作文指導    
 国語の教科書は六社(日書・教出・学図・大阪・東書・光村)ある。入門期の文字指導・作文教材を中心に分析してみた。

入門期の指導
 どの社も部分改訂であるが、導入の絵は、各社いろいろ工夫をこらしている。
 日書は前回同様、子ども達の大好きな「たんけん」がテーマ。子ども達六人と犬が、公園で遊んでいる。紙飛行機と一緒に探検に出発し、奥深い森の中や迷路を経て、大勢の子ども達が遊びの広場に迷いこむ。六人の子ども達がどこにいるか、紙飛行機がどこに飛んで行ったかを探すのもおもしろい。やがて六人の子ども達と犬は、海や山の見えるみんなの町を下にした飛行機に乗り飛んでいく。前回の赤い風船が、飛行機に変わっただけで、ストーリーに無理がなく、子どもへの押し付けもない。
 光村は、「行きたいね」というところで、空に飛び立ち、宇宙の星巡りをして、空から帰ってくる。子ども達の生活からの出発でなく「おや」「どうなるんだろう」といった発見、驚き、疑問、探求などの気持ちが起こらない。
 教出は、春になりこぶしの花がさき、それを熊が川に流す。こぶしの花は、魚や他の動物たちと出会い川を下って海に流れ着く。やがてこぶしの花はくじらのもとに届き、花びらを高く吹き上げる。動物たちがその光景に感動している。ストーリーはあるが、絵からそれを連想させるのは、かなり難しい。
 学図は、春になり公園で楽しく遊ぶ子ども達の近くで、大人の人達が道の両側に花の種をまいている。みんなで力を合わせて、秋になり沢山の花の道ができる。やや押し付けがましいストーリーではないか。奉仕する心が見えかくれする。
 東書は、紙飛行機を思い思いに飛ばし、大空に舞い上がり、森の中へかけていく子ども達に急な雨が降る。雨上がり後、広場で遊ぶ子ども達の空に、きれいな虹を紙飛行機が連れてくる。ストーリーに無理がある。
 大阪は子ども達が「あつまる」という場面を強調しているのであろうが、各ページのつながりが良くわからない。
 文章とさし絵の構成全体から考えて、日書のものが、入門期の出発としては、子どもに自然に入っていくのではないだろうか。

文字指導
 「あ」行の指導で、写真入りで発音の口のは、青の丸で絵の横に書いて音節文字を強調しているのは日書のみだ。二音節・三音節・四音節という順に配列している。大阪・東書にもその姿勢は見られるが、「あ」行以外の字も入れてしまい、意識化が弱まる。
 教出・学図・光村は、音節文字の強調が弱く、「あ」行以外の字が並べられて難しい。 五十音図表をどの社も二ページさいているが、「行」と「段」の特長をしっかりおさえているのも日書。学図にも、その姿勢が見られるが、やや弱い。他社のものは、ただ並べてページをさいている傾向だ。
 長音をふくむ単語の中に、「え」段と「お」段は、(せんせい おとうさん)のように書き、発音する時はえ・おと読むことがわかるようになっているのは日書のみだ。「え」段の例外(おねえさん)や、「お」段の例外(とおくのおおきなこおりのうえを、おおくのおおかみとおずつとおった)と分けて最後のページでまとめているのも日書だ。他社のものには、例外も何の説明もなく、一緒に載せている。光村・大阪・学図は、五十音図表の前の段と行の意識を教える前に載せているのはいただけない。

漢字入門
○「やま」というかんじは、山のかたちからつくったものです。だから、「山」というかんじは、「やま」のことをあらわし、一つで「やま」とよみます。(日書六ぺージ)
○田というかんじは、たんぼのかたちをかいたえからできました。(光村五ページ)
○やまということばは、かんじでは山とかきます。山は、やまのかたちからつくったかんじです。(東書六ページ)
○「山」はやまのかたちからできたかんじです。(教出四ページ)
○「山」のかんじは、やまのかたちからできました。(学図二ページ)
○山のかたちをかいて、山というじにしてみよう。(大阪二ページ)
 一年生になって、漢字がでてきたあとに、漢字の説明に何ページかをさいている。その最初のページの説明の文である。漢字は、ものの形を型どった型どり文字からできて、一つの字で意味を持つ表意文字という事を意識して書いた文は日書ではなかろうか。
 漢字をもっとも関心を持たせたい最初のページは、ことに大切になる。六ページをさいて、絵入りで、ものの形から作られた漢字をくわしく二ページさいて説明もしている。
 「上」や「下」や漢数字は、指事文字からできたものであるが、その成り立ちまで説明しているのは日書である。東書もふれているが、やや弱い。

作文指導
 前回同様、
・子どもの作品がどのように扱われているか。
・取材・表現意欲をかきたてるものになっているか。
・記述・構想の指導がきちんと押さえられているか。
・鑑賞によって、物の見方・考え方が深まるようになっているか
という観点で比べてみた。
 話し言葉から書き言葉へ、一年から六年まで、ある日ある時の一回限りの出来事をあった順に、「…でした。」「…ました。」という書き方を大切にしているのは日書である。
 一年の作文は、どこの会社も「したこと作文」と言う事を大切にしているが、日書と教る。二社とも子どもの作品も、なかなか良いが、原稿用紙の書き方までふれているのは、日書だけである。子どもの作品を大切にして、一年から六年まで、物や事に積極的に関わった事を取り上げているのは日書である。
 光村は、「わたしがつくったカレンダー」(一年下)「アルバムをつくろう」(一年下)のように、初めから材料を与えられ、子どもの感動と切り離された作文単元が多い。三年下の「たから物をさがしに」という地図をもとにした想像作文、「四年一組物語」(四年下)は、教室の時計になったつもりで、説明的に書く。「こんな道があったら」(五年上)は、通学路の地図をもとに、その周辺の様子を想像しながら書き込む。このような作文は、子どもの書く力が落ちてきたので、楽しければウソでも書こうという流れの一つである。
 東書の目次を見ると、作文のページが多く見えるが、子どもの作品がほとんど載せられていない。「宝物の様子がよくわかるように書く」(二年上)「思い出深い写真や絵を見て紹介文を書く」(四年上)などのように、与えられた課題に沿って、感動とは関係なく書く作文である。
 学図が、五月と九月に、身の回りの生活に取材する生活文を、各学年に共通の課題としているのは評価できる。五月に扱うページが二ページで、子どもの作品もない。そのため、どんな作品を書いていけば良いのか、表現意欲・題材への関心が広まらない。
 大阪は、五月の単元に身の回りに起きる生活文を、各学年に共通の課題にして、子どもの作品も入れながら扱っている。作品そのものも悪くはない。残念なのは、各学年とも下巻には作文単元がないことである。詩の鑑賞はあるが、すべて大人の詩人の書いたものである。文学作品としてはいいのであろうが、作文としては扱えない。
 教出が、六月と二月の単元で各学年とも「良く思い出して、書く事を整理して書く」という生活作文を大事に扱っているのは、評価できる。扱われている作品もなかなかいい。一回限りの出来事を、たんねんに過去形で書いていくもっとも大事な方法を貫いていることも意味がある。

 作文は、日書と教出が子どもの作品を大切にして、日常何気ない生活の中から値打ちのある物を書かせる事に力を入れている。
 このように読んでいくと、入門期の文字指導・漢字入門・作文が総合的に優れているのが日書。次に作文単元がかなり良くなっているのが教出。続いて学図・大阪が良い。東書と光村はかなり落ちる。

文学教材(中学年)

 六社ある国語教科書会社の教科書に採用される作品が、画一化されてきました。
 例えば、「ごんぎつね」は六社すべて、「一つの花」は五社、「白いぼうし」は四社、「春の歌」は四社(以上三年)というぐあいです。
 教科書会社は、横並び意識をやめて、高い理念を持って編集して欲しいと願います。
 さて、反戦平和という視点から、三年生の作品を見るなら、「おこりじぞう」(日書)はもっとも的確に戦争の実相を告知していて編者の見識を示しています。ついで、「母さんの歌」(大阪)、それから、「お母さんの紙びな」(教出)。光村の「ちいちゃんのかげおくり」は、この会社独特の幻想的な文学的悪趣味が、戦争の実相を妨げることにしかなっていません。
 現在、ひとりよがりの日本の純文学は、人々から見向きされなくなってきました。
 私たちが、ふつうにくらしていて、しぜんに使う、生活感情のこもった日本語こそ大切なのです。
 そのような言葉で書かれた作品として、「もぐら原っぱのなかまたち」(日書三年)「沢田さんのほくろ」(日書四年)「りんごの花」(教出三年)「海の光」(学図)「雨の日のるすばん」(大阪四年)が、印象に残ります。
 また、人々が語り伝えた口語の物語である民話は、「大工と鬼」(日書三年)「夕鶴」(日書四年)「やまんばのにしき」(大阪三年)が、出色です。
 教材の系統が学年別に一貫していて際立っているのは、日書です。ついで、大阪、教出です。

文学教材(高学年)


 学年が変わって進級したなと感じるものは、子どもたちにとっては、新しい担任であり、新しい教室であり、新しい教科書であろう。新品の教科書をもらい、どれだけ期待をもって、開けてみたい・読んでみたい・学んでいきたいという魅力に満ちたものがあるだろうか。残念ながら現行指導要領の枠内ではなかなかそういうものにはお目にかかれない。
 平和教材の視点から見ていって、戦争の加害責任に迫るものがなく、これだけでよいのだろうかという観がする。戦争体験を直接聞く機会の少なくなっている今、子どもたちに優れた作品に出会わせたい。東書六上の「ヒロシマのうた」は原爆についてリアリティをもち深く考えさせる教材である。学図六上の「ロシアパン」と光村六上「石うすの歌」は、平和教材としてはやや弱い感がする。日書六上、教出六上、大阪六上では「川とノリオ」を扱い、人間の内面に迫り戦争を深く考えさせている。全体を通して、一貫して各学年を通して平和教材に真正面から取り組んでいるのは、日書である。
 また、アジアや南米に視点を置いた民話が取りあげられたり、(「火をぬすむ犬」(朝鮮の民話)、「ムムルー」(アマゾンの民話)、「太陽をさがしに」(中国の民話)=共に教出四下)、「アジアを見つめる、アジアから考える」(説明文=学図六下)等が注目される。
 また、共に生きる社会、バリアフリーを目指す視点から脳性麻痺の障害を持つ著者の「ボランティアし合おうよ」(説明文=教出六下)等の作品は注目されるし、もっと厳しい視点からいわゆる健常者に深く考えさせる作品を各社もっと取り入れるべきではないか。全てが効率化で量られやすい今の教育体制にあって、(ちょっと待てよ、それでいいのかい)と揺さぶりをかけやすいのは国語であり、文学作品であり、優れたエッセーや解説文なのだから。


*『やまなし』の誤植の可能性
『やまなし』(光村六下)は、本文校訂に重大な疑義のある教材です。ちくま文庫『宮沢賢治全集8』(一九八六年一月二十八日第一刷)で、校訂者天沢退二郎は、次のように及び腰で逃げをうっています。
『第「二」章の章題「十二月」は、初期形自筆稿で「十一月」であり、ここは発表紙の誤植であることを谷川雁氏がつよく主張(『賢治初期童話考』)していて、その可能性もつよいが、本巻本文では校訂に踏みきらなかった。』(強調長谷川)

本文校訂に重大な疑義のある教材は、教科書に載せるべきではないことは言うまでもありません。
 子どもたちは、致命的といえる、一ケ月誤った読みを強制されつづけているのです。


生活科

「生活科には教科書はいらない」はずであったし、はずである。
 文部省の「新学力観」によっても、生活科は、とくに「教え込み・詰め込み・知識偏重」の教育から、問題解決的な学習・学習活動への止揚を求める教科であるはずである。
 つまり、子どもは、日常生活において一つの思想や系統性を持っているわけではなく、もっと未分化の混沌とした中を生きているのである。そんな子どもの様々な生活や体験の中でもっと知りたい、もっと分かりたい、こんなこともあんなこともしてみたい、というような気持ちを深めていく学習活動。それが教科としての生活科である。
 また、次の学習指導要領改訂では、総合学習が打ち出され、子どもの発想を中心に、さらに教科をまたぎ越えていく学習になることは明白である。
 文部省の言う「新学力観」にそった実践を行えば行うほど、教科書とはいったいどういうものとして位置付けられるかということを考えなくてはならなくなる。
 教科書を教えるのではなく、教科書は参考書の一つとしての役割を果たせばよいのではないかという方向に向かうのは自明である。
 にもかかわらず、今回出揃った生活科の教科書を一通り見ても、それは従来の教科書でしかなく、後退していると言わざるを得ない。前回あった一ッ橋出版のような、参考書として自由に扱える教科書は残念ながら一社もない。(※ この時点で,一橋出版の教科書がないと誤解していました。間違った情報を提供したことをお詫びいたします。1999.9.1)
 しかし、ふりかえって、私達採択する側の教員の問題として考えてみれば、自由な発想の教科書を採択しきれず、旧来の教科書にしがみつこうとする「旧学力観」に縛られた発想が、このような横並び一列の教科書の出現を許していると言えるだろう。
 もう一度、声を大きくして言いたい。「生活科に教科書はいらない!」と。

一年
学図
可もなく不可もなく、特徴のない平板的な教科書である。子どもの自由な発想を引き出したり、人権意識の芽を育てるといった点で不十分な内容である。
東書 「たのしく、たくましく、やさしく」をキャッチフレーズに編集したという。元気が出る教科書という触れ込みの通り、写真や絵に力がある。が、眼鏡をかけた子や体の不自由な子が、その中に登場しないのはやさしさが足りないと言われても仕方あるまい。写真の子が名札をつけていないのは良い。
日文 「多様な活動の総合化をはかる」ということで、あまりにも知識の偏重に陥ってしまったようだ。花と種を対応させて見せる部分など、生活科の趣旨に照らし合わせて考えるなら、むしろ削られるべきである。内容は豊富で、読み物としては面白い。
教出 学図と日文を足して二で割ったような教科書。説明の中で指示する言葉が多いのが気になる。
大日本 指示や説明を極力省いたシンプルな構成。子どもの主体的な活動を保障するといった意味では「子どもへの指示が少なく、会社の姿勢も控えめ」で制約を受けない分、使いやすいかも知れない。
啓林館 教育課題への対応を十分に意識した編集がなされている。体の不自由な子やお年寄りなどしっかりと登場させることで、共に生きる喜びと大切さを押さえるよう配慮している。また、父親が家事に励む写真も良い。

二年
 二年の生活科教科書においても、それぞれの出版社の特徴は大きなものとは言えない。従来の理科的・社会科的要素に、少しずつ社の目玉として、人権や現場の問題をふりかけたにすぎない。「教科書らしい教科書」のオンパレードである。その中で、あえて検討するとすれば、各社を比べて、より大きな問題のないものを、よりましなものとしてさがしていくしかないと思う。
学図 大きな特徴はなく、理科的なものと社会科的なものをあわせた教科書という印象。
東書 学図と同じくごくふつうの教科書の印象。紙面の中に唐突にチマチョゴリ姿の人物が遠景に配置されているが、その視点・観点が不明確である。
教出 お年寄りの登場場面が多い。車いすで歩く人もお年寄りである。
 コミュニケーションのひとつとして手話を扱っている。
日文 点字・車いすなどを登場させているが、「のりものにのろう」「町へでかけよう」の中での扱いで、身近でふつうのことというとらえ方ではない。また、「車いすにのろう」という紙面があるが、車イスとは何か共に考えようとする観点がみられない。すぐそこに車イスがあるという学校環境は、残念ながら今のところ無いのでは。
大日本 環境問題(主にゴミ問題)にふれようとする姿勢はみられる。お年寄りの登場が多く、車いすの人もお年寄りである。
啓林館 意識的に様々な人々を紙面に取り上げようとしている姿勢がみられる。他社ではごく少ない、様々な肌の色の子どもたちや、車イスの子どもの姿もみられる。眼鏡をかけている子どもたちを登場させているのもおもしろい。他民族のまつりの紹介などもある。コミュニケーションのひとつとしての手話も出ている。

 以上のことから、今回は、人権面が配慮されていて、比較的欠点の少ない啓林館か、子どもの主体的な活動や自由な発想を余り制約しない大日本か、どちらかではないか。

社会

社会科教科書分析の視点 
・子どもの生活現実に根ざし、自ら課題を見つけ、調べ合い、考え合う主体的な学習をすすめる工夫がされているか。
・人権を尊重し、だれもが幸せにくらせる社会を実現するための、主権者になっていくにふさわしい内容になっているか。
・教材別、配置の仕方、資料写真など、子どもの関心や指導計画の上で工夫されているか。

三年生

@社会科をはじめるということ
 一、二年生の生活科にともない、子どもたちは三年生で初めて「社会科」を学習する。そこで各社(東京書籍・教育出版・大阪書籍)の教科書が、社会科導入をどのようにあつかっているか、調べてみた。
東書ー学校のまわりを歩いて探検し、白地図に書き込んでいき、私たちの町を絵地図にまとめている。これでは、地図を学習する上で重要な方位や、町の特徴がつかめないまま、絵地図をつくることが目的となってしまう。そして、町を探検して、調べてみたい課題が「花いっぱい運動」や「カーブミラー」というのは、子どもの生活現実に根ざした学習とは思えない。
教出ー町の様子を調べるために、まず学校の屋上に上がり、方位を確認し、町の特徴をつかませている。その上で町を探検し絵地図にまとめている。次に、町を探検して見かけた施設や、町の人たちの活動の様子をとりあげ課題を子どもたちの身近におくよう努力している。社会科はどのように学習していく教科なのかがわかりやすい。
大阪ーまず、きれいな町をつくるために、町の人たちがどんな活動をしているかを調べ、それらを詳しくするために、図書館や公民館を取り上げている。その上で、校区を屋上から眺めて方位を確認し、町の特徴をつかみ、絵地図に表している。教材の配置としては、校区の学習の次に、町の施設調べがあったほうが、子どもの主体的な学習をすすめるには有効である。

Aその他、各社の特徴
 人権尊重や男女平等の観点からみると、三社ともに体の不自由な人への対応や、外国人のことを少ないスペースだが取り上げている。中でも、大阪は図書館の点字コーナーを二ページにわたって掲載している。また、女子・男子の呼称を「さん」で統一するようになっている。気になったのは、教出のインタビュアーが男性にかたよっており、町会長のように「長」のつく人はすべて男性であること。
 スーパーマーケットの品物や工場の原料が外国からも来ていることを、地図を使ってわかりやすく説明しているのは、教出である。大阪もあつかっているが、東書はほんのわずかしかふれていない。
 物をつくる仕事のところでは、農家がかかえている問題(農地の宅地化や後継者のこと)をあつかっているのは、教出だけである。
 「かわってきた人々」で各社とも「戦争があったころ」をとりあげているが、東書、大阪とも問題提起だけであるが、教出は、空襲のこと、集団疎開のことをあつかっている。 各社とも、「総合的な学習」を意識して、教材が盛りだくさんになっている。

Bまとめ
 検討の結果、教出が生活現実に根ざし、子どもの主体的学習を養おうとする姿勢がうかがえるので、第一に推薦したい。第二が大阪である。

四年生

 自分たちのくらしを見つめ、よりよいものにしていくには、どのようにしたらよいか、の観点で学習していく。このことから、次のことがらに焦点をあてて調べてみた。
@学習する内容が自身の生活と関わりあるんだという実感がもてるような工夫があるか。
A世の中は動き、今までと違う視点が必要となる。どのような視点を提供しているか。

生活との関わり
自分とゴミとの関わり、働く人の思いについて
教出─教室・学校のごみに注目。家のごみ
を一週間調べ、仲間分けし、表にしている。
働く人、特に収集の仕事をする人の思いについては、「ごみしょりはきびしい仕事だ。」と書いている。
東書─生活の中のごみについての記述は特にない。収集の仕事をする人の話は、カッコにして載せているが、守ってほしいことなどが書かれているだけだ。
大阪─台所・家のごみに注目する言葉があるが、調べた内容は、載っていない。
 手紙という形をとって収集の仕事をする人の話が載っている。「ごみを集める仕事をほこりに思っている。でも、ほかの人たちは、どうでしょう。いやな仕事だと思っていませんか。…」と書かれている。
 教出は生活のごみをていねいに取り上げている。大阪の収集の仕事をする人の話は、人尊教育の視点をもつ学習へとつなげていける。評価したい。

リサイクルについて
教出─市や市民が、使った紙などを再び資源として回収しようという趣旨の「しげんの日」や、その日に出される品物を取り上げている。再利用されるごみや、清掃工場から出される熱のことも書いてある。 
東書─リサイクルセンター、リサイクル協会を取り上げ、仕事やしくみを説明している。ドイツの実践や善通寺市の市民参加のリサイクルを紹介している。
大阪─市役所の人の話で、いろいろなところでのリサイクルにふれ、「資源リサイクルセンター」の市民参加の活動を載せている。

 どれも市民参加のリサイクルを取り上げているが、東書は会社も参加する新しいリサイクルの形を載せている。
 三社とも清掃工場から出るけむりについては、よごれたけむりが外に出ないように気をつけているとふれている。また、教出は「うめ立て処分場をつくることで、自然はかいになる」という文章がある。今、ダイオキシンの問題が大きくなっている。三社とも、もう少し、子どもたちが気づき、調べていきたくなるような工夫をしてほしい。

沖縄の軍用地・軍基地について
 三社とも、沖縄戦・軍用地・軍基地の記述があり、写真も載っているが、教出は沖縄戦の死者を十二万人以上と明記し、占領という言葉も使っている。子どもの意見として「沖縄の人たちは自分たちの土地をかえしてほしいと言っている。」「関心をもっていきたい。」
と書いてある。
 東書は、平和の礎にむかい祈る人や、基地ととなりあう学校の写真を載せ、軍用地の土地利用率のグラフもある。「かい決しなければならない問題。」と結んでいる。
 大阪はひめゆりの塔の説明と写真があり、占領という言葉も使っている。
 どの本も一ページ弱の扱いで、大切なことがらは写真やその説明に書かれている。資料としてだけ見てしまいがちだ。子どもたちが沖縄戦や軍基地を調べたり平和を考えていくためには、教師の意識や働きかけが必要かと思われる。

その他 
 外国とのつながりについての内容が三社ともにあった。港に出入りする国際船から外国へと導いているが、東書は、町にいる外国の人へのインタビューを載せ、大阪は、領事館やアジア太平洋子ども会議を載せている。大阪・東書がより具体的である。

 三社のうち一社を選ぶのは難しい。あえて、選ぶとするならば、全体を通して、子どもたちが気づき、調べていくという活動を中心にすえている教出かと思う。

五年生
学習の流れ

 「工業」の中で各社とも、取り上げている自動車工業を通して、学習の流れをどう作っていくか、子どもの主体的な学びの観点はもたれているかについて調べてみた。

 教出は、観察や見学をして、気がついたことや、疑問におもったこと、考えたことを、「調べてみたいこと」にまとめていく活動を丁寧におっている。
 また、関連工場の単元では、工場見学で、使われている部品(座席)に子どもたちが気づき、座席工場へ見学に行き、さらに、その工場で座席に使われている布をおさめている工場があることに気づき、見学にいくという子どもの活動を紹介している。次から次へと調べたいことを追求していく学習の展開が興味深い。
 子どもたちの活動の姿が丸ごとつたわってくるような記述内容である。
 東書を見てみると、自動車工場の組立の仕事の場面では、いきなり「どんな仕事があるでしょう。」と書かれていて、以下その答えが説明されている。部品を作る工場への展開の仕方も「自動車の部品のほとんどは、自動車工場の関連工場でつくられています。」とある。働いている人の話も載っているが、仕事の説明が多く、子どもの疑問に答えるということはない。
 自動車工場は、工業の単元で二番目に取り上げているためなのか、あまり子どもの活躍する姿は見られず、調べ学習の流れとなっていない。
 しかし、教科書の所々に「まなび方コーナー」というページが入っている。内容は、『1調べる・調べる計画を立てよう。2読み取る@写真。3読み取るA地図。4読み取るBグラフ。5まとめる』である。学び方については、子どもが活動を通して、得ていくもので、与えるものではないと思う。
 また、大きな単元の最後に「の・び・の・び」というページがある。工業では、「夢の工業製品を考えよう」といって、無公害ボトルを考えて作品にまとめたものが載っている。工業に対する人々の努力に対して、あまりにも安易な提案を載せている。また、現実の生活に根ざして物事を考えていない。
 大阪は、「車はべんりです。」というクラスの人の話から導入している。工場見学の前にパンフレットを見て、知りたいことを整理して課題にしたり、見学して疑問に思ったことや更に知りたくなったことをつなげて、学習は展開していく。ビデオなどの資料を見たり、電話で工場の人にたずねたりと、調べ方やノートでのまとめ方も書かれている。
 子どもたちが自らかかわって学習をすすめる内容になっているのだが、あまりにも簡潔すぎて、調べたり見学したりするおもしろさが伝わってこない。

幸福の追求とは
 公害については、どのようなことが書かれているかを調べた。だれもが幸福に暮らせる社会を実現するための視点を大切にしているかを考えてみた。
 三社とも四大公害を、そして、教出、東書は北九州市の公害を防ぐ取り組みと、その努力を載せている。教出は、特に水俣病をていねいに取り上げ、語り部の人の話や、水俣病資料館、図書館で調べた子どものまとめを大きく載せている。また、「よみがえれ水俣」という小単元をおこし、解決するための水俣市の人たちの努力を紹介している。
 そして、子どものノートという形ではあるが、「水俣病に対するあやまった考えはなくすべきだ。」と書いてあるのは、特筆すべきことと思う。
 
 以上から、教出を推薦したい。
 三社とも、子どもの呼び方が、男も女も「さん」づけであった。写真や「働く人の話」にも男性も女性も登場し、登場人物を「工場の人」と紹介するのではなく「○○さん」と名前で登場するのはよいことだと思った。

六年生 


 五月二七日の東京新聞一面トップに、「文部省、検定パス後、口頭で訂正要求」の記事が大きく掲載された。教科書審議会の検定意見の通知後、すでにパスした内容について、文部省の幹部の意向を受けた調査官が、教育出版に訂正を求めたという。「『自国の国旗・国歌尊重』記述を」という内容だ。教育出版は「検定意見」と受け止め、これを受け入れた。教科書検定を透明化する流れの中で、このような密室検定が横行していることに、私たちは強く抗議する。
 さらに重大なのは、文部省が教科書が藤岡信勝東大教授を中心とする「自由主義史観」と同質の、また「近隣諸国条項」を全く無視した発言を重ねる調査官を温存していたということだ。昨年一九九八年十一月、福地惇・文部省初等中等教育局主任教科書調査官が解任された。教科書申請本を「戦争の贖罪のパンフレット」と、また戦争を正当化する発言をしており、多くの団体やマスコミの批判の中で、やっと解任させることができた。しかし、文部省の体質は今回の訂正要求に明らかなように維持強化されていると言わざるを得ない。
 今回、教科書を検討するにあたって最も残念なのは、出版されている社会科教科書が驚くほど少なくなってしまったことだ。「個性的で多様な教科書を」という私たちの願いは、「一発検定」と「広域化」「採択の非民主的な方法」により、押し潰されている。時代の流れに反して、国定化が進んでいると言わざるを得ない。手に入れることのできた東京書籍、教育出版、大阪書籍について、なるべく丁寧に見て行きたい。それは、子どもたちにできるかぎり真実に出会わせる努力をすべきだと思うからだ。

(歴史学習)
 全ての内容について書くと膨大になるため、
(1) 日本と近隣諸国とのかかわり
(2) 解放教育の視点

(3) 十五年戦争
(4) その他
を中心に資料を作成した。

(1)朝鮮・中国とのかかわり
◎米づくり
東書
 米作りはおもに朝鮮半島から移り住んだ人々が伝えました
教出 米作りの技術は、今から二三〇〇年以上も前に、朝鮮や中国から九州北部などに移り住んだ人々によって伝えられ
大阪 二四〇〇年ほど前になると、米作りの技術をもった人々が、中国や朝鮮半島から移り住んできました。
◎渡来文化
東書
 大陸文化が伝わる 渡来人の中には、建築や土木工事、やきものなどの進んだ技術を身につけた人々がいました。鉄や青銅でできた道具を持ってきた人々もいました。…五世紀ころには、中国の文字(漢字)が入り、六世紀には、仏教などの教えも伝わりました。
教出 渡来人の活やく 鉄の道具やため池のつくり方、養蚕や織物など新しい技術が伝えられました。中国の文字(漢字)やインドの仏教なども伝えられました。
大阪 国の統一と渡来人 はた織り、土器作り、かじ、土木建築などの進んだ技術や、紙・筆などの作り方、漢字や仏教などの新しい文化を伝えました。
◎行基の記述、渡来の子孫であること
東書
 ○ × 教出 ○ ○ 大阪 ○ ○
◎朝鮮出兵
東書
 やがて、秀吉の野心は海外に向けられるようになり・・・写真(亀甲船、陶磁器)
教出 秀吉は明(中国)を征服しようと考え、二度にわたって・・・この侵略によって・・・ 写真(亀甲船も有田焼も大きく、説明が記されている)
大阪 「秀吉の朝鮮への侵略」 秀吉の朝鮮への侵略は・・・ 写真(朝鮮の城をせめる日本軍、伊万里・有田焼、亀甲船、説明が記されている)
◎江戸時代の朝鮮との国交
東書
 鎖国の中の交わり朝鮮との交わりは、豊臣秀吉の朝鮮侵略のため断たれていましたが、家康の努力によってもとにもどり、対馬を通じた貿易も回復しました。やがて、将軍がかわるごとに、朝鮮からお祝いと友好を目的に五百人もの大使節団がおとずれました。使節団は、ほうぼうで大歓迎を受け、江戸の宿舎には、朝鮮や中国の文化を学ぼうとする人々がおしかけました。
教出 江戸をおとずれた朝鮮からの使節団江戸時代には豊臣秀吉の侵略で中断していた朝鮮との国交が回復されました。朝鮮からの使節団は五百人にものぼり、十二回にわたって日本をおとずれ、各地でかんげいされました。この使節団は、朝鮮や中国の文化を伝えるなどして、鎖国を始めた日本に大きなえいきょうをあたえました.
大阪 朝鮮との国交は、秀吉の朝鮮への侵略以来とだえていました。家康は、友好関係を取りもどすために、対馬藩の宗氏に朝鮮と話し合わせました。話し合いのなかで、家康は、秀吉の侵略のときに強制的に連れてこられた朝鮮の人々のうち、約一四〇〇人を帰国させました。やがて、朝鮮との国交が回復し、貿易もおこなわれるようになりました。その後、通信使という朝鮮の使節が、江戸時代を通じて十二回日本に来ました。
◎韓国併合
東書
 朝鮮を植民地とする・・・日本は、この抵抗を軍隊の力でおさえ、一九一〇年(明治四三年)、とうとう朝鮮を併合する条約を結ばせました。「韓国皇帝は、すべての権限を永久に日本の天皇にゆずりわたす。」こう発表されると、独立を失ったくやし泣きの声が、朝鮮に満ちあふれました。
 囲み記述(民族独立の願いー韓国の人々と十五才の少女柳寛順)
教出 また、二つの戦争の戦場となった朝鮮・中国の人々は命をうばわれたり、家を焼かれたりして、大きな被害を受けました。しかし、日本は、朝鮮の人々の強い反対をおし切って、一九一〇(明治四三)年、朝鮮をへい合し、植民地にしました。
大阪 日本は一九一〇年、ついに韓国を併合して朝鮮とし、日本の植民地にしました。そして、警察や軍隊を朝鮮のすみずみまで配置して、抵抗運動をおさえようとしました。
 過去も記述(三・一独立運動ー朝鮮の柳寛順と日本の柳宗悦)
◎植民地教育
東書
 植民地の学校では、日本語で教育を受けることになり、また、自分たちの民族の歴史は教えられず、民族のほこりをきずつけられました。(写真)
教出 朝鮮の子どもたちは、学校で、日本語や日本の地理・歴史を学ばされるなど、日本国民となるための教育を受けました。(写真)
大阪 朝鮮の学校では、独自の教育をおこなうことが困難になり、日本の歴史の授業がおこなわれるなど、朝鮮民族としてのほこりを深くきずつけられました。
◎三・一独立運動 三社とも記述あり
◎安重根の記述
東書
 ×  教出 ×
大阪 抵抗運動と伊藤博文抵抗運動がはげしくなると、日本の朝鮮支配の実現に重要な役割をはたした伊藤博文が、一九〇九年に朝鮮の青年に射殺される事件がおこりました。
◎関東大震災時の朝鮮人の虐殺
東書
 一九二三年、関東南部に大地震がおこったとき、その混乱の中で、朝鮮人が暴動をおこすといううわさが流され、日本人によって、多くの朝鮮人や中国人が殺害される事件がおこりました。これは、朝鮮人や中国人に対する差別意識がそのもとでした。
教出 この大震災の中で、「朝鮮人が暴動を起こす」などという根拠のないうわさが、警察などによって広められました。これを信じた人々や、警察・軍隊によって、何の罪もない数千人の朝鮮人が殺されました。
大阪 このとき、「朝鮮人が、放火や井戸に毒を流している。」などの、事実とことなるうわさによって、数千人の朝鮮の人々が殺される事件がおこりました。これは、朝鮮の人々に対する政府や日本人の差別意識と、抵抗へのおそれが生み出したものといわれています。
◎創氏改名・強制連行 三社とも記述あり

(2)解放教育の視点
◎身分制と被差別の人々
東書
 村人や町人とは別に身分上きびしく差別されてきた人々は、住む場所や身なりを制限され、村や町の行事や祭りに参加することを断られるなどの差別を受けました。この人々は、こうした差別の中でも、農業をはじめさまざまな仕事をしながら税をおさめ、人々の生活に必要な日常の用具をつくるなどして社会を支えました。そして、人口があまり増えなかった江戸時代に、この人々の住む村々の人口は増えていったのです。
教出 農民や町人とは別の身分をおいて、住む場所や服装、ほかの身分の人々との交際などを制限しました。・・・しかし、これらの人々は、厳しい差別を受けながらも、荒れ地を耕して年貢を納めたり、すぐれた技術を使って、人々の生活に必要な用具をつくるなどして、社会を支えてきました。また、古くから伝わる芸能をさかんにし、現在の文化にも大きなえいきょうをあたえてきました。
 (これまでの版)農民や町人の下に低い身分をおき、犯罪の取りしまりや、農民・町人の刑の執行などの役目を負わせました。・・・皮革の加工やさまざまな細工の仕事を行ったりしながら・・・
大阪 農民や町人からも差別された人々もいました。これらの人々は、服装や行事の参加などできびしい制約を受けましたが、農業を営んでねんぐをおさめるだけでなく、くらしに必要な生活用具を専門につくったり、伝統的な芸能を伝えたりして、日本の社会や文化をささえる一役をにないました。
◎渋染一揆 三社とも記述あり
◎解体新書の腑分け
東書
 (囲み)また、このとき、かいぼうをして内臓の説明をした人は、身分制度の下で、村人や町人とは別に身分上きびしく差別されてきた人でした。このような人が、すぐれたかいぼうの技術を生かしてこのころの医学を支えていました。
教出 (絵の説明で)解剖を行い、人体の説明をしたのは、当時厳しい差別を受けていた身分の人でした。
大阪 (絵の説明で)かいぼうをしながら説明する人の話を聞き、・・・説明した人は、当時、農民や町人からも差別された人々の一人でした。
◎四民平等
 三社とも、皇族、華族、平民と別の形で身分をのこし、差別された人々も平民となったが、差別は続いたという内容。
◎水平社創立大会
 三社とも記述あり
◎シャクシャインの戦い、開拓とアイヌ
 三社とも記述あり
◎琉球王国、琉球処分
 三社とも記述あり

(3)十五年戦争について
◎中国への侵略

 三社とも記述があり、教出と大阪がくわしい。東書は聞き書きを中心に記述。
◎アジアの人々の被害
東書
 第二次世界大戦でなくなったアジアの人々 中国約一千万人、朝鮮約二〇万人、東南アジア約八九〇万人、日本約三一〇万人(軍人二三〇万人、民間人八〇万人)
教出 戦争のぎせい者 第二次世界大戦での死者の総数六千万人以上にのぼるといわれています。アジア各地でのぎせい者は二千万人をこえると推測。日本では軍人と市民を合わせて、約三一〇万人がなくなりました。
大阪 第二次世界大戦でのおもな国・地域のぎせい者
 中国、朝鮮、ソ連、ポーランド、イギリス、フランス、アメリカ、ドイツ、イタリア、日本
◎沖縄戦の犠牲
東書
 沖縄は日本でただ一つの戦場となり、・・・県民六〇万人のうち十二万人以上もの人がなくなったと推定されています。
教出 こうして、沖縄は日本でただ一つの地上戦の戦場となり、戦闘に住民がまきこまれ、県民六〇万人のうち、十二万人以上の人々がなくなりました。
大阪 県民の中にはスパイのうたがいで日本軍に殺されたり、集団自決をせまられたりした人がいました。この戦いで、日本軍の兵士約九万人と沖縄県民約九万人が命を失い、沖縄はアメリカ軍に占領されました。
◎原爆の外国人の被爆
東書
 記述なし
教出 記述なし
大阪 また、日本に強制的に連れてこられた朝鮮や中国の人々も、大ぜいなくなりました。

(4)その他
◇各時代の表題について、東書「聖武天皇と奈良の大仏」、大阪「奈良の都と行基」と、人物を出している。人物を誰にしているかは、編集者の価値観が伺えるが。これに対し、教出は、「大陸文化に学んだ国づくり」というように、時代の主な内容、主題となっている。
◇学習の進め方については、子どもの興味・関心に基づいた学習の進め方を三社とも工夫している。しかし、東書が単元毎に「子どもの疑問や関心」を記述しているのは、かえって繁雑。
◇人物の写真で、東書が平塚雷鳥と市川房枝を、大阪が津田梅子、平塚雷鳥をのせている。
◇戦後の諸問題について、教出が紙面をとり、ていねいに現在の問題につなげている。(韓国の子どもたちとの交流の写真も)。
◇図版が見やすいのは大阪。東書は色彩がきれい。教出は落ち着いた感じがする。

(政治学習)
    「くらしと政治」「世界の中の日本」
◎切り口
東書
 福祉センター、文化センターと、阪神・淡路大震災をとりあげ、人々の願いを実現する政治へ。
教出 阪神・淡路大震災を軸に。具体的な政治の役割が見えてくる。
大阪 「ファインプラザ大阪」、阪神・淡路大震災から願いを実現する政治へ。
◎平和について
東書
 被爆した広島を大きく取り上げ資料も豊富
教出 「『象列車』よ走れ」、広島を取り上げている
大阪 子どもが調べを発表するかたちで。現在の問題を中心に記述。
◎「子どもの権利条約」
 これは、子どもに知らせるよう義務づけられている。教科書に取り上げるのが最も有効と思われが、扱いは意外に少ない。内容を図説しているのは大阪だけである。
◎日の丸の取り扱い
 審議会で規定されてしまっている。
東書 「国旗と国歌」明治政府によって、日本の商船旗と定められ、やがて国旗としてあつかわれるようになりました。
教出 内容は同じ。「世界の国旗・国歌を調べる」(検定パス後に文部省の圧力で変更した。)
大阪 内容は同じ。「国連本部にならぶ世界の国々の旗を見て」子どもの会話形式で。
◎取り上げている国と視点
東書
 韓国については、韓国と交流している小学校を切り口に、歴史のつながり、韓国の生活などくわしい。しかし、在日韓国・朝鮮人について一つも記述がないのは残念だ。アメリカ、中国、サウジアラビアそれぞれ紹介されているが、ガイド的。
教出 中国との歴史、残留孤児、中国の人々の生活がかなりくわしいが、在日の中国人や帰国した人々の暮らしについてのは記述はない。貿易相手国としてのアメリカ。ブラジルについては移民と日本で働く日系人を取り上げている。マレーシアでは、熱帯林の破壊の問題や日本占領時の政策にふれている。
大阪 大韓民国と中華人民共和国について、歴史的な日本とのかかわりがくわしい。アメリカ合衆国については、人種差別や貿易摩擦にもふれている。フランス共和国では、文化や人権宣言、EUにもふれている。「やってみよう」で、朝鮮半島で歌われている「トラジ」をあげている。
◎環境
 三社とも環境と平和問題をていねいに扱っている。東書は環境調査活動を、教出は世界の子どもたちの厳しい現実を、大阪は青年海外協力隊の活動が特徴的である。

 以上の記述内容とともに、大切にしたいことは、子どもたちが主体的な学びをしていく上での教科書の役割だろう。「吹き出し」で子どもたちの考えをリードしていくのは、親切そうだがかえって障害になる。「調べてみよう」も同じ。教出と大阪はどちらをと言えないほどの良さがあると思う。

大阪が関西中心に組み立てられていることから、あえて一つとすれば教出か。教出への文部省の圧力への抗議の意味も持つだろう。

地図

 今年も東書・帝国の二社だけから出ている。墨田では前回改訂から東書の地図に変えている。
 地図は、どう情報を整理して図として見せるかということが一番大切だ。だから、縮尺や記号、凡例など、初めての子どもたちにもわかりやすくなくてはならない。

地図の見方
 東書は二頁で航空写真から鳥瞰図を経て平面地図に表されるようすを詳しく書いている。また、等高線、土地利用図など、子どもにも理解できるように地図一般の見方や考え方をきちんと説明している。帝国は「この地図帳の見方」の説明に終わっている。なお、帝国では索引の仕組みの説明がある。
 東書は九から十六頁に「各地のくらしと日本の国土」と、四年の単元をそのままに入れてしまっているので、地図帳としての格調ががくんと落ちてしまった。例えば山地の鳥瞰図にきちんと地図を対応させるとか、都市の景観と地図を対応させるなどして、地図の見方の続きとして構成してほしかった。とくに低地で不必要なものが多く、鳥瞰図も極めてみにくい。暖かい地方、雪の多い地方のくらしは、温度・降水量・降雪量などは地図グラフとしてオーソドックスに資料に移すべきである。バングラデシュの写真や、世界の積雪量の情報など、世界と対応させようとしているところは評価できる。
 東書は、「山脈=きわだった脈状の山地、高原=表面の平らな山地…」など、わかりやすいとは言えないが一応の定義がされている。帝国にはこれがない。

日本とそのまわり
 東書では六頁に、帝国は五三頁に載っている。東アジアにおける日本の位置はできるだけはじめの方に置くべきだと考えるので、東書の姿勢をとる。地図内容としても、帝国が台風の四つの進路などを入れているため、訴えるものがずれてしまっている。
 また、海の深さの段彩が帝国は二段階で、のっぺりしている(どの縮尺でも同じ)。東書の七段階と断面図は、日本がアジア大陸の東端に隆起していることが如実にわかる。

大胆な帝国の小縮尺日本地図
 帝国二百万図十頁、東書四百万図四頁。
 帝国の小縮尺日本地図の特徴は、日本全国同一縮尺。大きくて迫力がある。折り返しで一面四頁にしているから三面になっているため、大縮尺にしたから分割されてめくるのが大変ということもない。北海道も二分割されてしまったが、大きさを実感できる。鹿児島から八重山列島にいたる三頁を見ると、ああ日本は列島なんだなと実感する。これまで、一般に沖縄諸島や、まして先島諸島はおまけのようにくっついていたが、このようにきちんと同一地図に載るのはいい(東書では先島諸島は枠囲い)。しかし、大縮尺の地図もあるのに、なんのために大きくしたのかという疑問もある。これまでの日本の地図の重大な約束事である「北が上」を崩していることについては判断を保留する。

基本的な色分けについて
 東書は三大都市周辺が土地利用図を基本としている以外、世界も含めて段彩の基本は土地の高さだ。これに市街地が黄色でぬられている。
 帝国二百万図で目につくのは「高くけわしい山地(千四百mより高いところ)」だ。のっぺりした地図を「立体的に表現する」と、白と紫の影であらわした。しかしこれはやりすぎ。実態的にもおかしいし概念としてもおかしい。土地の高さと険しさをイコールで結ぶことはできないのだ。
 そういう視点で帝国の地図を見ると大きな問題が浮かんでくる。まず、「高く険しい山地、山地、丘・高原、盆地、平野」の定義がない。次にこの「地形区分での色分け」がいいかどうかということ。定義がないので何ともいえないが、色から見ると、緑系が平らな地形、茶系が傾斜のある地形で、それぞれを高さで分けている(平野は低いから緑、盆地は高いから黄緑、それとも盆地だから黄緑?)ようだ。それに先に述べた「高くけわしい山地」がくる。「山地」と、「丘・高原」を何メートルで分けているのか、どれほど傾斜があると「盆地」は「丘」や「山地」になるのかなど、不明である。単純化は図式化する上で必要であるが、例えば黄緑の盆地から茶色の山地が境を接して立ちあがっていると違和感をもたざるをえない。

日本大縮尺地図
 どちらも百万図を採用。東書は小縮尺と同じ高さによる色分け。
 帝国は小縮尺とは違って、土地利用を基本として、「市街地・田・畑・果樹園・森林その他・高くけわしい山地千四百mより高いところ・埋立(干拓)地」に色分けしている。この区分は、土地の利用、高さ、成り立ちなどの要素が混在している。また、小縮尺と色分けの基準が違っていて、しかも色としては似通っているという点は誤解を生みやすい。例えば、黄緑は前者では「盆地」であるが後者では「畑」であるといったふうに。
 帝国は環境に力を入れたとして、埋立(干拓)地をここに載せている。埋立(干拓)地の情報は必要だと思う。東書にこのような部分がないのは残念だ。しかし、土地利用と同じ地図上に載せるのは無理がある。とくに九州地方で田とおなじ色で一九四七年までの干拓地を載せると非常に混乱する。またどの埋立(干拓)地もいつまでも更地であるわけではない。土地利用としての情報をかぶせられるような工夫はできなかったものだろうか。

都市周辺の詳しい地図
 大阪・名古屋・東京周辺が東書は四十万図、帝国は五十万図であらわされている。
 東書は純然たる土地利用図。帝国は独自の項目「市街地、郊外に広がる住宅地、田畑、緑地の多いところ、森林・その他、埋立地…」による土地利用図。工業が記号でしか描かれていない。
 東書四十万図沖縄の土地利用図は、軍用地が白抜きの部分もありはっきりわかる(帝国五十万図では正体不明のクリーム色になっていて非常にわかりにくい)。

世界地図
 東書の五千万図オセアニア太平洋は、太平洋を囲む地域が載せられていていい(帝国では太平洋が二つに分けられてしまっている)。もう少し西側=タイ・マレーシアあたりまで入れてもらいたかった。
 帝国に対しては「行政(国別)色分けは不必要である」と何度も言いたい。北アメリカでは州でまで色分けしている。子どもたちには地球的規模・宇宙的規模で物事を考えてほしいと願っている。宇宙船からは見えなかった国境線とそれに基づく国ごとの色分けを、これでもかと載せる帝国はいったい何を考えているのだろうか。どの地図にもついている巻末の旗と色分けで十分。
 詳しい地図では、両社ともいろいろな絵記号が入っているが、帝国の「物語の舞台」はあまりに特殊だが、「世界のものが日本にくる記号」は貴重。大縮尺と小縮尺のどちらかでいいだろう。

付図や写真など
 東書では、表紙と、べろんと開いて使える目次・地図記号ぐらいしか目を引かれなかったが、帝国には
・「東京駅へおよそ一時間で行けるところ」
・世界自然遺産・ラムサール条約登録湿地・希少動物・主な歴史地名が地図上に載せられている点
・谷津干潟や三番瀬など注目の地が載せてある「東京湾アクアライン周辺」
・さすが「景観地図日本」を出した帝国らしい「釧路湿原のようす」
・原爆の被害状況を絵図にしている「広島市のようす」(しかしゴミ処理場や住宅団地と一緒に入っている)
・四国で瀬戸大橋の周辺と養殖のおこなわれているところ
・近畿でも「神戸の震災と復興の絵図」
・海外へ行く日本人、日本に来る外国人、日本に住んでいる外国人のグラフ
など、注目すべきものがついている。しかし、所詮、地図帳の資料である。教科書や資料集との関わりで、色あせたものになろう。
 それ以上に、帝国は地図のあちこちに、ひどいところでは三箇所も「〜かな?」や「〜してみよう」という指示があってうるさい。子どもが思う分にはいいが、「ブラジルはサッカーがとてもさかんな国だ」「サッカーのさかんな国、強い国はどこかな」と吹き出しで入れている。「ぞうさんのふるさとはどこなんだろう?」にはあきれる(東書にもあるが帝国よりは少なく内容も控えめ)。せっかくの良さも帳消しだ。

資料・統計・索引
 統計資料と二頁、帝国三頁だから当然情報量は帝国の方が多い。しかし、しょせん地図の付録である。索引は大切。東書五頁、帝国四頁。東書が「市町村・自然・遺跡」に分けてから五十音順にしているのはいただけない。東書の巻末「世界の国旗」にはEUの旗や国名がのっている。

結語
 帝国は大胆な変更を今回加えたし、これからもできる会社だと思う。日本地図の斜め設定と詳しい世界地図の国別色分けが今回どのような評価を受け、二年後どのような改訂がなされるか注目しつつ、今回もオーソドックスで難の少ない東書を推したい。

算数


  東京書籍 学校図書
  教育出版 大日本図書
  大阪書籍 啓林館
1年
@10までの数

 学図以外は、見開きで1から5まで、一度に導入している。学図は、まず3から導入する。集合数を意識づけようという意図が感じられる。学図がよい。
Aたし算の導入
 4社とも、「3+2」からの導入である。この中で、教出のみが「はじめに3あって、2増えると?」という添加で扱っている。たし算は2と3を合わせる、という合併を基本とした方がよい。啓林館が初めてタイルを導入したが、5で分けていないところが不十分である。学図、大日本、東書、大阪がよい。
B百より大きい数
 学図のみが位取りの概念を入れながら、百以上の数を説明している。
学図がよい。

2年
@3位数の加法

 大日本、東書は、お金のような図で説明している。Iといった書き方は、実際の量として、10の大きさを表していない。一方、教出と学図は、タイルを使った図になっている。特に学図はタイルの動きが詳しく説明してある。大阪は、タイルとお金の両方を使っており、ポリシーが感じられない。啓林館は、鉛筆の束を使っている。鉛筆では、結集性が弱い。
 学図、教出、他の二社の順である。
A九九の図について
 かけ算九九を学習するとき、どのように図で表すかと言うことが重要になる。
 教出は色の付いたタイルのようなものがある段とない段がある。学図と大阪はタイルの図で一貫している。東書と大日本は、数図(○で表す)を使っている。啓林館はタイルのようなものを使っているが、タイルに色の付いた○がかいてあり、子どもの視点がどこを見て良いか分からなくなってしまう。学図がよい。
B長さ
 学図は、写真を使って、直接比較、間接比較、個別単位、という順で扱っている。教出大日本、東書、啓林館、大阪は個別単位から。学図がよい。

3年
@わり算の導入

 わり算では、等分除(一つ分を求める計算)と包含除(いくつに分けられるかを求める計算)を区別することが重要である。4社の中では、教出のみが等分除と包含除を同時に出してしまっている。まず等分除、その後に包含除の順で扱うべきである。
 倍のわり算は、啓林館のみが扱っている。この段階で扱うのは、無理である。
 学図、東書、大日本、大阪がよい。
A分数と小数の学習順について
 それまで学習している十進構造を持っている小数の方を先に教えた方がよい。分数は、できるだけ後がよい。小数から分数になっているのは学図、東書、大阪。分数から小数になっているのが、大日本、教出、啓林館である。学図、東書、啓林館がよい。
Bそろばん
 そろばんは、学校で学ぶ必要はないと考える。そろばんに割いているページは、大日本と教出が5ページ。東書、啓林館、大阪が4ページ。学図が2ページである。学図は、漫画風になっており、軽く扱えるようになっている。学図の扱いがよい。

4年
@わり算の商

 商のたて方が、学図のみが指隠し法を使っており、大日本、東書、教出は、丸める方法(÷18は÷20と見る)を用いている。大阪は、商をたてる方法がはっきりしない。啓林館は、一番上の位の数字を見るので、指隠し法に近いのだが、指で隠す、という方法は示していない。指隠し法が小学生にとっては優れている。学図がよい。
A面積
 平方メートル、アール、ヘクタール、平方キロメートルの関係が、東書はわかりやすく工夫されている。東書がよい。
B分数の加減
 どの教科書も、タイルを使ってわかりやすく説明している。教出のみが、帯分数+帯分数で導入している。教出がよい。

5年
@小数のかけ算

 教出は2本の線分図から導入している。東書と大日本と大阪は、線分図とテープ図を合わせたものを使っている。学図は、線分図とテープ図を合わせたものと、面積図を使っている。啓林館は線分図である。面積図で通していくのがよいが、学図の扱いがもっともまともである。
A単位量あたり
 学図はマットを使って混み具合を体験させようとしている。体を使って単位量あたりを学ぼうという考えは評価できる。

6年
@分数のかけ算

 答えの出し方はタイル図によって、量の関係がきちんと分かるように説明することが大切である。 大日本のみが線分図による説明で、わかりにくい。学図、東書、教出がよい。
A総合学習との関係
 大日本は、アルミ缶リサイクル、点字、バーコードなど、身近なところにある算数を取り出しており、おもしろい。
 又、啓林館でも、環境に関わる計算等を扱っている。
 以上分析の結果からもっとも使いやすいのは、学図。次が、東書と大日本である。

理科


 今回検討した教科書は、次の五社である。
・東京書籍 ・学校図書
・教育出版 ・大日本図書
・啓林館
初めに

 各社とも、内容検討の手引きを出しており、どういう観点で評価して欲しいかがしっかり書いてあるので、是非参考にしたい。
 各社とも、新指導要領を意識しているためか、自ら考え判断し、納得して学習する姿勢と言うことに重きを置いているようだ。主体性と言うことを意識し、楽しい教科書、興味を引く工夫、絵、イラスト、写真、資料などを豊富に取りこんだものになっている。
 理科という教科に初めて接する三年生に、興味・関心を持たせることは、理科導入時に、とても大切なことだと思う。
 新教科書の編集段階から、生活科との結びつきを大事にしているのは、教出と大日本である。
 五社とも、学習の初めに自然とふれあう場を設け、その中から不思議を発見するという中で、生活科から理科への移行が図られている。大日本は校庭や野原にでて動植物を探す活動から学習に入るように配慮されている。使われている写真や挿し絵なども明るい雰囲気に包まれ、子どもたちに受け入れやすい。また、導入時に使われた挿し絵が、季節を変えた場面にも使われ、比較することによって、季節の流れが理解しやすい。生活科での活動や体験を生かし、遊び的な活動から科学の目を育てるよう配慮されている。
 特に、ここでは、次の視点から検討したことを述べたいと思う。
1.子どもたちにとって使いやすく、興味・関心が高められるようになっているか。
2.実験・観察が平易かつ確実で、子どもたちが主体的・意欲的に取り組めるようになっているか。また、まとめは、わかりやすいか。
3.教材が、身近でイメージが浮かび、集めやすく、環境に配慮しているか。

1の点について
 表紙が、どの会社もきれいで興味を引く。
 啓林館と学図は、一つのキャラクターを使って、子どもが喜ぶように作っている。啓林館は、児童の活動を、実験・観察・観測・調べ学習に分けている。広場や、まとめのページが設けられている。しかし、まとめは、かなり高度で全員に理解させるには、難しい。もう少し、基礎的なものだけに絞ってはどうかと思う。
 東書は、実物をできるだけ自然のままに、再現した写真などを取り入れており、また、ページいっぱいに画面が大きい。少々、実物にこだわりすぎ、かなり難しい資料写真も入っている。理科の専門の教師ばかりではないので、説明するのに苦労するのでは、ないか。
 教出は、子どもの活動の写真で、興味を引いている。実験の仕方や、身近にない珍しい資料が、ていねいに全部写真で示してある。しかし、先に述べたように、あまり珍しいものは大人の興味は引くが、子どもにはあまり頭に入らないと思う。
 大日本は、表紙にも子どもの活動が入っていて、中にも子どもが考える姿や、活動の仕方がわかりやすく載っている。楽しい資料の写真があり、生活の中に広がっていきそうな興味を引く。また、それは、資料としてはっきり提示されており、無理に教え込もうとしていない。あまり難しいものは省かれている。他社と同じく、絵や写真が多すぎるが、まあまあ、活動やまとめがひとつに絞られている。

2の点について
 五社とも取り組むべき課題を目立つように提示してある。また、教出と学図以外は、まとめをはっきりと示しているので、子どもたちがまとめやすい。ただ、課題の内容が、子どもたちが本当にやってみようと言う意識になるかどうか検討してみよう。
 大日本は、まとめを意識した課題になっており、その一つの方向に向けて、実験や資料が提示されている。観察に使われる写真が適切なのは、大日本である。成長段階の変化が克明に記録されていて、理解しやすい。写真の配列などにも工夫があり、わかりやすい。自然の変化や規則性をみつける際、参考になる。また、発展として、物の性質を利用して実際の生活に使えるわかりやすい写真などがある。
 教出は、課題の出し方が、「…どうなるだろう。」「…どのようなちがいがあるか。」と、幅広く問いかけているため、答えの出し方が広がる。反面、子ども達には難しいかもしれない。また、まとめをはっきりと出していなので、散漫な知識で終わる可能性がある。やはり、科学的に分析して、基礎的なまとめは必要であろう。
 啓林館は、実験と観察のときの課題の立て方を変えており、実験はまとめにつながるように、観察はいろいろな記録を重視している。また、環境問題をはっきり意識している。ただ、まとめが、実験も観察も要求が高度で、果たしてこれだけの実験や観察で子ども達にはっきり理解されるか疑問である。結局、無理やり結論を持っていき教え込むのでは、それまでの活動に意味がなくなる。そういうことの積み重ねは、理科嫌いを生むので、一番注意すべきである。先生主体の教科書を作ってはいけないと思う。
 東書は、大日本と同じく、はっきりまとめを意識した課題になっている。まとめは、少し高度で、実験していないことも教えなくてはいけないので、難しいように感じる。東書の実験は、原理を理解させるためにあるというより、工夫させることに重きがある。説明文も難しい。また、まとめの例が高度すぎる。
 
3の点について
 東書は、発泡スチロールの皿、コップ、どんぶりとふんだんに取り入れてある。どんぶりにいたっては、明らかに、買ってきたどんぶりである(メーカーのでは載せられないのであろうが)。これで、環境に配慮していると言えるのであろうか。「こういうものを集めてきなさい。」と言いかねない実態を考えていないと思う。
 教出は、黒いビニール袋を使っている。これは、東京では、ごみに捨てると、中身が見えずあまりよいといわれていないものである。地方では、使われているが。啓林館は、プリンカップ、大きいペットボトル、イチゴパック、フィルムケース、空き缶、ビニール袋、空き瓶と、ずいぶんいろいろな物を使っている。比較的、特別に買ってこなくてもありそうであるが、そうたびたび用意するのでは、現場では、やらないことも多いのではないか。「ま、特にやらなくてもいいか・・・。」などという声が聞こえてきそうである。もうひとつ、気になるのは、四月にすぐプリンカップを使うので、給食のあと集めておこうとしても無理なのである。
 大日本と学図は、プリンカップ、ペットボトル、小さいビニール袋、イチゴパックなどが中心に使われている。しかも、一学年に、一個か二個というペースである。かなり、環境に気を遣っていると思われる。学校の数を考えれば、その影響は大である。是非、他の教科書も見習って欲しい。そのうち、大日本は、自然環境との関わりがある場面、特別のキャラクターを登場させ、学年に応じた説明をしたり、コラムを載せ、環境問題を子どもたちに提起している。特に、子どもたちが、興味を持って学習に取り組めるように、制作活動は欠かせないが、制作ものが、子どもの興味・関心にあっているか、材料は手にはいるか、子どもたちの力量にあっているか、その後の学習や日常の生活に生かされるか、などの観点から各社の制作物を見ると、大日本が良いと思う。

最後に
 五社とも、教材はかなり工夫されており、写真や絵、イラストともに、子どもの活動がしやすく、参考になるものが多い。資料も、見て、とても楽しい。環境問題も多い少ないはあるが、意識している。
 学図は、キャラクターの絵が、どぎつく、学校には、ふさわしくないのではないか。知識優先で、小学生に必要と思われる以上の内容になっている。これら検討以前の問題を感じたので、あまり検討しなかった。
 単元ごとに、比較するとたくさんの違いがあるが、特に例を示してみると、蝶を育てる単元では、卵→幼虫→さなぎ→成虫という成長を示す写真が、啓林館はアゲハと一緒に掲載してあり、見にくい。東書は、こすりだし印刷という特殊な印刷で、幼虫の大きさを示していて、子どもの興味をひくかもしれないが、蝶、アゲハ、カイコを一緒に掲載してあり、煩雑になっている。観察記録も高度な内容である。教出は六ページにもわたって掲載されていて一目でわかりにくい。大日本は、卵→幼虫、さなぎ→成虫と分けて掲載されているが、成長の過程が一番分かりやすい。アゲハ、カイコは別のページで説明されている。
 メダカの卵の成長過程を示す写真も、大日本がわかりやすい。時間のある方は、どのように違うか比較してみてください。しかし、単元のそこを流れているものは、同じなので、新たに、なるほどと確認するだけになるのではないかと思う。
 最後に、系統的にまとめがしやすく、生き物や植物を大切にしているという視点から、大日本を進めたい。ヘチマをとろうと書いていたのは、大日本だけであった。他の四社の教科書を使った場合、ヘチマは、とられないままついに腐るのだろうか、それともとらないことを考えて、最後まで育てないのであろうか。他の教材についても底辺に流れるものは同じである。物を一つ一つ、生かす方向に考えて欲しい。それが、環境を大切にするということでは、ないだろうか。理科教育をきちんとするためには、その辺も編集時に考えて欲しい。

音楽


【君が代】
 一九五八年に学習指導要領に最初に「日の丸」「君が代」が登場し、その後一九七八年の指導要領では国旗・国歌の二文字が付け加えられた。そのうえ「君が代」を歌唱教材と同様の扱いで指導するようにという指示事項までついた。
 そして今、政府与党は「日の丸」「君が代」を国旗・国歌として法制化しようと画策している。この危機的な状況を今まで以上に強く認識しなければならない。
 音楽になによりも必要な『自由』を奪おうとするこの厳しい状況の中での今回の教科書部分改訂。そこでまず「君が代」の各社での扱いから見ていきたい。
 今回検討したのは教出、教芸、東書の三社である。
 教出は前回は目次にまで「国歌」と出ていたが今回は目次では他の二社同様「君が代」のみとなった。
 六年の教科書で見ると、教芸のみが最終ページにのせ、他の二社は最終の見開きはカラーでオーケストラの図鑑、歌唱の楽譜等をのせ、「君が代」はその前のページになっている。最終ページは印象が強くなる傾向があるので、この点では教出・東書が少しは良心的だろうか。ただし今回教芸は「仰げば尊し」「蛍の光」を歌唱教材からはずしている。共通教材でないにも関わらずこれまで必ずこの二曲がどの社にものっていた経緯から見て、かなり評価してよいことと思う。
 付け加えれば三社とも四〜六年は白黒だが、一〜三年についてはカラーの挿し絵が入りやわらかいイメージを出し「君が代」の孕んでいるものを、あいまいにし、ごまかしているとしか思えない。

【教科書編成での変化】
 次に今回各社の編成で大きく変化したところを見てみると、まず教出は学期毎に大きな二つのテーマを設定し題材減を図っている点。教芸は二ヶ月で一題材を扱う構成にした点。東書では学期ごとに基礎・応用・総合的な活動とステップを踏んだ配置にした点。各社とも教材の整理統合を図っているといえよう。
また二〇〇二年から始まる総合的学習への広がりとして、人権・福祉への配慮、教材の国際化等についての各社のアプローチについて触れておきたい。

【人権・福祉への配慮】
教出 一から六年まで全校合唱で「さんぽ」を手話イラストつきで扱っている。
東書 五年 歌唱教材「もめん」(障害者の作詞による曲) 障害者と健常者が共に音楽活動している場面の写真。
六年 「切手のない贈り物」(手話のイラスト)
教芸 特になし。

【教材の国際化について】
前回から中国や韓国などの音楽を三社とも扱っているが、今回は多少の差はあるがさらに増えている。
教出 前回から最も積極的に扱っている。
 三年から六年でアジアの曲をのせていたが、さらに三年でアジアの子どもの絵日記、四年では表紙のすぐ次に世界のお祭りの写真、また外国語の歌詞をのせている。(中国語・ハングル・ジャマイカ英語・英語)
教芸 六年でアジアの音楽を二ページ(前回と同じ)。 四年の教材に各国の子どもが手をつないでいる写真がのったが変化は少ない。
東書 前回、世界の音楽を六年で一ページだけ扱っていたが、今回はその他にアジアのいろいろな歌を二ページ、世界のリズムアンサンブルを一ページ新しく扱っている。

【歌唱の共通教材についての検討】
*一年「かたつむり」

教出 ふりをつけたり、鍵盤ハーモニカを吹く(ドとソ)
教芸 歌に合わせてカスタネットを打ったり、鍵盤ハーモニカ(ドとソ)を吹く
東書 リズムを打ちながら歌う
*二年「虫の声」
教出 主旋律の音を歌の合わせて楽器や見つけた音で打つ
教芸 ナレーションと見つけた音を打ってから歌に入る
東書 主旋律にない旋律を鉄琴か歌で合わせる
*三年「うさぎ」
教出 陰と陽の音階で歌い比べる
教芸 季節の歌として
東書 リコーダーオブリガートをつけている
「春の小川」
教出 節の歌として
教芸 レガート唱を意識させている
東書 階名で歌えることをポイントにしている
*四年「とんび」
教出 曲想をいかして指揮をする
教芸 曲想をいかして歌う、リコーダーオブリガートつき
東書 強弱の変化をいかして歌う
  「さくら」や「もみじ」は三社とも季節の歌として扱っているが、教出と東書がカラー写真で、教芸がさし絵
*五年「こもりうた」
教出 陽旋法でかかれ、( )でフラット記号をつけている。さし絵なし
教芸 陽旋法と陰旋法で書かれている さし絵あり
東書 陽旋法と陰旋法で書かれ、リコーダーのオブリガートつき さし絵あり
*六年「 ふるさと」
教出 二部合唱
教芸 二部合唱、四行目のみ三部
東書 二部合唱 三、四行目が三部

 以上、三社の違いがわかりやすい曲を選んで比べてみた。
曲の速度を教芸と東書は幅を持たせているが、教出は一定の速度に指定している。
共通教材の扱いは前回とあまり変わっていない。
 教出が高学年で他の二社よりやや軽く扱っている。その分新しいものがふえている。
東書は他の二社より楽器のオブリガートを入れたりするのが多く、指導内容が複雑で沢山ある。

【まとめ】
 二〇〇二年度から音楽の総時間数は二十時間ぐらい少なくなる。指導要領の目標も変化してきたが、大もとはやはり音楽が好きになって授業を楽しみにしたり、それ以外の時にも音楽を楽しめるような子どもを育てることだ。
 ところで現在二十三区中二十一区が、全国的にも七二%の地区が教芸を使用している。一社に偏ることなく、いろいろな教科書が使われてもよい。
 各社それぞれ一長一短があるが、今回は、国際化ということに積極的にかかわっている点、福祉の問題にもじっくり取り組み深い考えが感じられる点などからも、東書を推薦したい。

図画工作


心を開いて

かくこと、つくること、表すことには、
人としての生き方の原点があります。

心を開いて、自分を見つめる。
友を求めて、心を開く。
心を開いて、「色」と「形」に触れてみる。
心を開くことは、快いこと、楽しいこと。
快いこと、楽しいことは、心がやさしく開くこと。
自分ってだれ? わからないから、かいてみる。つくっていると自分が見えてくる。
自分ってなに? わからないから、触れてみる。
だれとも違うすきな自分と、自分と違うすきな友。心を開いて、自分と友を見つめると、新たな自分が見えてくる。
心を開き、素直な自分を表してみる。
それは、だれにも自然なこと。
それは、ほんとに普通のこと。

 これは、開隆堂の編集の基本的な考え方である。三社の教科書を検討したが、開隆堂の編集方針は、造形教育を通して、二十一世紀を担う子どもたちに熱いメッセージを贈っている。三社の表紙を並べてみた。このことだけで、編集の方針が理解できた。

開隆堂
 表紙の絵の中には、子どもがいる。タイトルは楽しい。他の二社より抜群によい。
 鑑賞のページ「小さな美術館」は、豊かな造形の世界へ子どもたちを誘う。身近な造形美から、内外の作家作品まで同列に、各学年の子どもの視点に立って選りすぐってのせてある。その中でも特に三年の「世界各国の子どもの絵」は、二十二ヶ国の子どもの自画像がのっている。地球上には、髪の色、皮膚の色、目の色の違う人々がいることをあたり前の事として示し、二十一世紀を生きる子どもたちへのメッセージとうけとめることができる。編集者の人間に対する讃歌がひしひしと伝わってくる。また、五〜六年の写真のカラーの美しさに色の教科であることに対する編集者の心意気を感じる。
日文
 表紙の絵に低学年から技法が目立ちすぎる。指導者側の意図が見え隠れしている。レイアウトもよくない。
 鑑賞のページは、「造形図鑑」として扱っているが、鑑賞作品を網羅してはいるが、雑然として美しくない。
東書
 表紙は枠の中に作品を集合させている。作品の取り込み方に二重の意味での枠を感じた。作為的である。
 国際理解の一助として、「外国の友達の絵」をのせている。このコーナーは好感がもてる。世界の国のすてきな子どもの絵がのっている。裏表紙の「色たんけん」は美的好奇心を刺激しようとしているが、レイアウトが悪く、意図が伝わりにくい。

 三社とも表紙、鑑賞のページ以外の絵、立体、造形活動では、材料、技法の多様化が見られる。いずれもあまり違いは感じられない。光の遊び、布の造形などは今回めだっている。三社とも高学年の絵には、子どものエネルギーが感じられない。絵についての新しい提示が待たれる。
 今回新しく入ってきたものとしては、インターネット、コンピューターがある。日文、東書は全学年にコンピューターでかいた絵をのせている。また、インターネットの効用についてものべている。この流れの中で、開隆堂だけは、六年で申し訳程度にのせているだけである。造形教育に対する開隆堂の編集の考え方が、コンピューター、インターネットをとり込むことを、ためらわせているようだ。

家庭科


 前回の教科書改訂のときの分析に準じて検討してみた。家庭科は、「子どもの具体的な生活事実を教材とし、実践活動を多く取り入れて、生活について科学的総合的に学ばせ、生活を創造し、共生できる力を育てていく教科である。」ととらえ、
・生活者としての自分自身を認識して、自立していくための考え方や生活を見る目が養われるか。
・家庭の問題を、社会・生活とのつながりでとらえているか。
・生活を充実させるための手段として、裁縫や料理などの技術をとらえているか。
・子どもの視点から見て、実践しやすいように考慮されているか。
・文字や資料が読みやすく、活用しやすいか
という五つの観点から検討してみた。

 家庭科の教科書は二社(東書・開隆堂)から出版されている。今回の改定は二〇〇二年からの新指導要領・教科書全面改訂の前の四分の一改訂ということもあり、大幅な変更は行われていないが、現在墨田で使用している東書を見ると、新しい情報として0ー157に触れたり、ごみ処理について生ごみから肥料を作る方法にふれたりしていること、野菜料理の単元で、「野菜はどこでどのようにさいばいされているか、社会科で学習したことを思い出してみよう。」というかたちで総合的な学習を意識させているなどの改訂がみられた(以上について開隆堂はふれていない)。また、両社とも性別役割分業に対する批判の動きを受け止めて、男女両性が生活者としての自立と共生を学ぶ方向での編集が意識的になされているように思われる。例えば、各単元のタイトル写真や文中の写真・カットなどに、調理をしたり、ごみ捨てをしたり、食器洗いをする父親を登場させているし、洗濯物を干したり、裁縫やミシンかけをする場面を男子にしたりしている。が、現実問題として、世界的に見て男性の家事労働従事時間が極めて少なく、家事・育児への男女共同の取り組みが遅れている日本の家庭事情を考えると、男女共習の家庭科の実践の充実とともに社会的な問題の解決が急がれる。
 衣領域については、前回、開隆堂で学校の儀式のときの服装について大人の考えを押しつける傾向が批判され、今回は無くなっているが、学校行事や外出のときの服装選びの観点が記述されているのに対して、東書では季節や活動にあった服装を考えさせるに止まっている。
 食領域では、両社とも加工食品の取り上げ方に物足りなさを感じさせる。「食品添加物について深入りするな。」という検定意見が生きている中で、開隆堂では加工食品の塩分量の問題や添加物の少ないものを選ぶ視点を記述しているなど、せめてもの抵抗か。今後共働き家庭の増加に伴い、加工・半加工食品の需要は益々増えると思われるので、その扱いついては、注目したい。
 家庭生活領域については、親子四人家族や祖父母を含めた家族が中心に紹介されているが、国際結婚や、母子・父子家庭など様々な家庭があることの紹介も必要ではないか。両社ともそうした観点はもっていない。
 全体の編集の仕方を比較すると、開隆堂は大きなめあてを設定する中に単元を位置づけ東書は単元を並列させる構成になっているが、開隆堂は少し窮屈な感じがする。また、各単元の冒頭の文(めあてや意欲づけ)を読んでも東書のほうがすっきりしていて子どもの問題意識に近いように思う。タイトル写真にも子どもの生活が多く登場することと併せて、続けて東書を選択するのが妥当と思われるが如何か。

保健



今回は部分改訂のため、グラフが新しくなった、前回のものを整理した、部分的にふくらませた等でさほど新しさは見られない。
今回、私たちは東京書籍、学習研究社、大日本図書の三社を比較、検討した。

一、からだと心
東書

・からだや心の成長が赤ちゃんから小学生、おとな 老人へそして次の世代に受けつがれていくものであることが他の二社より強調して書かれている。
・写真やグラフは工夫されて見やすい。
・月経のしくみが他社に比べわかりづらい。
学研
・問いかえし方式ですすまれており児童にとってとっかかりやすい。
・発育測定についても保健室からのコメントがそえられておりていねい。
・精子、卵子の顕微鏡写真もきれいだし絵よりリアリティがある。
大日本
・絵、グラフはきれいで見やすい。
・月経のしくみもわかりやすい。
・思春期の心の悩みに重きを置き詳しくあつかっている。 悩みの解決について二ページさいている。

二、けがの防止
東書

・学校生活でのけが、交通事故によるけが、家庭や地域でのけがにわかれておりわかりやすい。
・防災について一ページさき、おもきをおいている。
学研
・構成のしかたが他社とちがい見にくい。
・交通事故の防止の項は子どもが気をつけなくてはいけないことと車が注意しなくてはいけないこととごったになっていてわかりにくい。
大日本
・イラストがきれいで わかりやすい。
・交通事故の原因も人の行動によっておこる事故とまわりの環境によっておこる事故が区別されていてわかりやすい。

三、病気の予防
東書

・エイズについての記述が前回二ページだったのが一ページに減り、あつかい方が小さくなった。
・歯の病気についてむし歯だけとりあげているが歯ぐきの病気もとりあげるべきではないだろうか。
学研
・エイズについてHIVの写真がよい。ジョナソンさんの写真も日本の子どもたちといっしょの写真をのせてあるなど配慮が見られる。
・目の健康についても時代にマッチしたものとなっている。
・たばこの害、薬物乱用の害についてそれぞれ一ページさき、重点的にあつかっている。
大日本
・病気の発見と予防の項で健康診断を紹介している。

四、健康な生活
東書
・水の項は別項目としてあつかっている。
・日光の項では、当たり過ぎの場合の問題も記述するなどていねい。
・公害については空気汚染の例がイラストとしてのっている。
学研
・運動と健康の項ではスポーツ障害についても記述。
・休養と健康、睡眠についてくわしく記述されていて現在の子どもの実態にそっている。
・水、空気、日光についての項は簡単にふれられている程度。
大日本
・調和のとれた食事についての写真はわかりやすい。

 環境の項は東書の方がより詳しく記述されており休養、睡眠、運動については学研、大日本の方が詳しく記述されている。公害を含む環境教育がこれから大切になってくると思うが全体的にあつかいが少ない。

 以上の三社を検討した結果、
一、 からだと心の項では学研が、
二、 けがの防止では東書が、
三、 病気の予防では学研が
ベターと思われる。
四、 健康な生活では東書、学研、大日本がそれぞれ重点的にあつかっている項目がちがうので一長一短と思われる。

              
 私たち(養護教員)は実際に授業をもっているわけではないため、どの教科書が教えやすいか最終的には判断できかねる。しかし、子どもたちが自分のからだや性について、大切な健康や私たちをとりまく環境に興味・関心をいだき正しい知識を的確な判断ができるよう保健の学習が行われるようになってほしいと思っている。そのためにもよりベターな教科書が選ばれることを願っている。