自己申告制度」の虚妄をあばく
断固反対!

1999.12.15に向けて、速報版

「人事考課検討委」中間報告批判

1999.10〜 

「教員の人事考課」最終報告批判

1999.5〜

都教委「研究会」「中間まとめ

批判

1999.1〜


週刊墨教組 No.1280  2000.5.22

墨田にはこんな校長いませんよね!
 人事考課制度めぐるドタバタ劇から見えてきたもの

都教委サンプル丸写し校長
「良いものは良い」と開き直る

 都教委による人事考課制度導入強行の結果、全都各地でさまざまなことが起こっています。それらの中からいくつかの例を紹介し、それを通じてこの制度そのものや導入強行の問題点を再度整理しておきます。
 私たちは、人事考課制度そのものに反対の立場を堅持しつつ、さまざまな形で、したたかに闘い続けていきます。当面、私たちは、校長・教頭にきちんとした説明を求めます。それない限り制度の進行に協力することはできません。

 某校A校長、都教委の指示に従い、「学校経営方針」を職員に示しました。ところで、その「方針」なるもの、都教委が今年三月に地教委・校長に示した「学校経営方針サンプル」にあるものと事実上全く同じものでした。
 「学校経営方針サンプル」には、小学校、中学校それぞれ二例ずつを示してあります。その例のひとつを、ほとんどそっくりそのまま自分の「経営方針」として示したわけです。そのことを職員会議で追及されたA校長、初めはそれを否定しました。「全文自分で書いた」。ところが、都教委作成の「サンプル」そのものを示されるや、「良いものは良い」「良いものはいつでも、どこで使っても良い」と、開き直ったのでした。

「教員はサンプル通りではだめ」
 すかさず、教員間から「では、自己申告書も都教委が示している記入例通りに書いて良いな」との声が上がりました。それに対しA校長「それは困る。絶対にやめてください。だめです」。
 都教委作成の「経営方針サンプル」は、今年四月に墨田教組が作成した「『人事考課制度』導入にあくまでも反対する資料集・増補版」に全文収録してあります。それを見ればすぐわかりますが、この「サンプル」に挙げられている例は、いわば全都版ですから、総花的・無特色のものであり、当然、学校毎の教育課題に触れているものではありません。
 
なんと下劣な!

 それを自分のものとして示す神経、そして、そのことを追及されても「自分で書いた」と平然と言い退ける品性、事実が明白になるや「良いものは良い」と開き直る人品、職員に対しては「(記入例)通り記入はだめ」と言い切れる姿勢、どれをとっても何と下劣な!
 こんな校長、墨田には、いませんよね!

怒れ!校長!
 都教委が「学校経営方針サンプル」を示すこと自体、都教委がいかに校長たちを、その能力、人格の面から信頼していないかを明らかにしているとも言えます。「サンプル」を示されたこと自体を、校長たちは怒ってしかるべきではないでしょうか。
 ところが誰も怒っていません。怒る自信もないとは!嗚呼!
 
学校を都教委管理の方策のひとつ
 また、都教委が「サンプル」を示したことには、サンプル内容を「絶対」と受け取る校長が多いこと、「サンプル」通りに出してもその学校の教員に「ばれず」に済むところが多いことを活用し、学校の都教委管理をさらに押し進めようという意図があるとも考えられます。
 「ばらさず」に済ませてはなりません。

泣き言で恫喝校長
「私の業績評価悪くなります」
 某校B校長、人事考課制度について職員会議で説明。多くの質問に、何とか答えようとするものの、十分には答えられず、「わかりません。さらに考えてみる。(都区教委に)聞いてみる」等を連発。しかし、「自己申告書を出さなかったらどうなる」との質問には「それは困ります。そんなことされたら、私の業績評価は悪くなります。そして、飛ばされます。処分されます。出してください」。

校長は、誠実な説明努力をこそ
 校長たるもの、こんな泣き言、そして恫喝をけっしてすべきではありません。繰り返し誠実に説得・説明努力をすべきです。
 都教委も言っているではありませんか。「校長・教頭は、(提出強制は避け)自己申告書の必要性を教育職員に理解させるとともに、納得の上で提出させることに努めなければならない。・・・未提出については、自己申告書の意義を丁寧に説明し、目標を設定させ、記入して提出するように繰り返し指導する」(「評価者訓練テキスト」(「資料集」P.73)

管理強化こそ人事考課の本質 
 しかし、B校長のこの発言(泣き言、恫喝)は、何と正直なことでしょう。人事考課制度の本質は、「人材育成」ではなく、管理強化であるとB校長は直感的にとらえているのです。だからこそ、「私の成績が悪くなり、不利益取り扱いを受ける」と正直に思うがままに述べたわけです。自己申告書不提出者がいるということだけで、不利益処分を受けることなぞあり得ません。しかし、そう思わせることにより、都教委は、校長をいわば恐怖支配するわけです。

泣き言恫喝加える下劣な品性
 同時に、かく言うB校長、自分の評価によって不利益を受ける職員が生じることに対する痛みを全く持たず、自分の不利益のみを気にし、泣き言を言うことを通して恫喝を加えるという下劣な品性を暴露していることに気づいていません。
 成績主義の生み出す人間の内面の退廃!
 墨田には、こんな校長、いませんよね!
(続く)


週刊墨教組 No.1284  2000.6.15

人事考課制度への批判・抵抗、
強まることは必然

自己申告書提出強制・恫喝は、弱さのあらわれ

 都教委は、六月九日付で「平成十二年度自己申告書の提出について」なる文書を区市町村教育長宛に出し、校長に周知するよう指示しました。
 この文書は、まず「自己申告書を提出していない教育職員が一部にみられる現状」があることを、認めています。その上で、未提出者に対し「当初申告内容を記載の上、七月一日までに提出する」よう再度指導することを、校長に指示したものです。
 ところで、指導にあたっては、次の三点を伝えるよう指示しています。
「@自己申告書の提出は、教育職員としての職務の一環であること
A当初申告を提出しない場合は、七月以降は、受け取らないこと
B自己申告書を提出しない場合、業績評価に影響すること、また異動についての希望を述べる機会を放棄したものとし、異動について一任されたものとして扱うこと」
 業績評価と人事異動を連動させて未提出者を恫喝し、それにより提出促進を意図した、とんでもない文書です。
 また、さまざまな仮面をかなぐり捨て「人事考課制度」の本質を露骨に示した文書でもあります。
 強権を発動して何が何でも自己申告書を提出させようとの姿勢に、激しい憤りを禁じ得ません。

理解と受容求める姿勢、かなぐり捨て
 都教委は、人事考課制度についてまとめた「導入検討委員会報告」でも、また過去二回行われた「評価者訓練」でも、自己申告書の提出について、次のように説明・指導してきています。
 人事考課制度の趣旨についてー目的は「能力開発」「人材育成」であり、その目的を達成するためには、被評価者の「制度に対する理解と受容(「受容」について都教委は「評価結果を活用するという意識」との言葉を使っている)」が不可欠の前提である。
 自己申告書の提出についてー「強制は望ましくない」「提出の必要性を理解させ、納得の上で提出させるよう努めなければならない」「未提出者について、自己申告書の意義を丁寧に説明し、記入して提出するよう繰り返し指導する」「指導の結果、提出してきた場合、年度途中でも受けとる(評価者訓練での質問に対する回答書)」
 都教委は、こうした態度・姿勢をかなぐり捨て、強権を発動して何が何でも提出させようとの姿勢を明確にしたわけです。
 私たちが指摘し続けてきたように、人事考課制度の本質は、都教委が表向き言い続けてきたように「能力開発」にあるのではなく、それは名のみで、実は上命下服の管理体制確立にあります。この文書はそのことを自ら明らかにしたものと言わざるを得ません。
 この都教委の姿勢転換には、管理職も戸惑い、批判を隠していません。当然です。

批判・抵抗の強さにいらだち、強権発動
 この時期に、こうした文書を都教委が出したということは、次の二つのことを明らかにしています。
@全都的に人事考課制度に対する批判・抵抗がきわめて強いこと。
  それが、提出者・未提出者を問わず、 また管理職を含めてあること。
A自己申告書の提出状況が都教委の予測を大きく下回っており、このままでは都教委の威信は大きく傷つけられるし、人事考課制度が都教委の意図通りには機能し得なくなるという危機感を感じていること。
  だからこそ、強権を発動し、提出強 制せざるを得ないと判断したこと。
 私たちの闘いに、都教委は確実にいらだち・不安・脅威を感じているわけです。
 しかし、都教委がいらだち強権発動すればするほど、人事考課制度の本質がますます露になり、それに対する批判・抵抗はますます醸成されざるを得ません。私たちの闘いは、そうした状況を生み出しています。それこそ、人事考課制度を実質機能させぬことにつながるものでもあり、廃止に向けての展望を切り拓くものでもあります。
 都教委は、自己矛盾に陥っています。

三原則押さえ、闘い続ける
 私たちは、こうした状況に対応しつつ、何よりも〈なかま〉を大切にし、〈ゆとり〉を確保し、教師個々の、また学校・教職員集団の〈決定権〉を大事に守る、それらの原則を堅持し、したたかに、しなやかに闘い続けます。


人事考課制度導入強行に強く抗議する
 制度の趣旨、内容について十分な説明を受けたか? NO!
  「実施に当たって、校長・教頭から制度の趣旨・内容について十分説明する」ー都教委

 都教委は、私たちの強い反対、私たちのみならず校長・教頭、教育学者等々から出されている疑問や問題点指摘などを全く黙殺し、四月一日から人事考課制度導入を強行しました。私たちは、これに強く抗議し、引き続き粘り強く反対し、抵抗し続けることを改めて明らかにします。

「趣旨・内容の理解不十分」(都教委)
 都教委の「教員等人事考課制度導入に関する検討委員会」(人事考課制度の具体案を作成する委員会。この委員会の決定に基づき、都教委が制度を具体化)は、繰り返し、
 ・この制度の目的は人材育成(能力開発型人事考課制度)
 ・その目的を実現するためには、「教育職員の理解と評価結果を活用しようという意識」(理解と受容)が必要
 ・教育職員が制度の目的・趣旨・内容を十分理解しているとは、未だ言えない→(だから開示はできないという論理になっているところが問題!)
 ・実施にあたっては、校長・教頭から制度の趣旨・内容について十分説明する
と述べています。

説明者自身も自信持てず!
 さて、私たちは、制度の趣旨・内容について十分な説明を受けたでしょうか。
 制度について「理解と評価結果を活用しようという意識」が持てる説明を受けたでしょうか。
 断じて、否です。
 それどころか、説明すべき責任を持つと都教委にされている校長・教頭は誰もが、説明に全く及び腰であり、説明しても弱々しく自信なげではありませんか。
 被評価者に理解を求めて説明すべき「評価者」自身が、自信を持てていない制度、
 その自信を持てない評価者が約十か月後には評価を行い、自校教員に順位をつけて区教委教育長に報告する制度、
 強行導入し、評価を強要する都教委自身が、制度の趣旨と内容について、未だ理解を得てないと認めている制度、
 そんな制度を導入強行!
 こんな無茶苦茶なことが行われるのが、今の東京の学校教育界の現状とは、何ともお寒いことではありませんか。

とことん説明を要求する
 しかし、そう嘆いてばかりはいられません。
 私たちは、制度の趣旨・内容についての説明をとことん要求します。その中で、この制度とその強行ぶりの目茶苦茶さを暴露します。それを通じ、「人事考課、なにするものぞ」との気運・空気を職場につくりだしていきます。

〈なかま〉〈ゆとり〉〈決定権〉を大切に
 同時に、この制度の本質的なねらいである〈なかま〉〈ゆとり〉〈決定権〉の喪失を許さぬため、職場においてそれらを何よりも重視、大切するとりくみを、きめ細かに進めていきます。


週刊墨教組 No.1274 2000.3.22

人事考課、なにするものぞ!
人事考課制度導入にあくまでも反対し、
〈なかま〉〈ゆとり〉〈決定権〉を重視し、
人間として生きる

 そもそも、人事考課制度とは、ある組織の目的・目標の実現に向けて、組織を強化するためのものです。その強化を、構成員を評価し、評価結果を処遇(給与、昇任・昇格、研修、異動)に反映させるというアメとムチにより、個々の構成員を競わせることによって実現しようというのが人事考課制度です。その意味で、闘う組織をより戦闘化するための制度だとも言われています。

新しさ強調しようと本質は変わらない

人事考課制度は、古くは、天皇中心の中央集権国家の維持・建設のために、天皇の官吏集団をより戦闘化するために活用されました。
 近年は利益第一・金儲け主義の徹底のために民間企業が採り入れ、企業間闘争に勝利するための戦闘集団づくりに活用しています。考課制度そのものは、「科学的な理論に立って」と装いも新たにして採り入れたと言っていますが、その本質ー成績評価によって処遇をかえる競争主義により、集団をより戦闘化させるーは何ら変わっていません。
 この民間の動向をも受けた形で、行政機関においても、行政の効率化の名のもとに成績主義・競争主義の導入が叫ばれ、人事考課制度が強化されています。今回の教員への人事考課制度導入もこうした流れの一環です。

導入に反対し闘い続ける

 東京都教育委員会は、私たちの強い反対の声を無視し、四月から人事考課制度を強行実施しようとしています。
 人事考課制度の導入に反対、疑問の声は、組合員のみならず非組合員、校長・教頭を含め、広く、深くあり、ますます大きくなってきています。そうした中での強行、さまざまな混乱は必至です。
 私たちは、あくまでも人事考課制度の導入に反対の声を上げ続け、闘い続けます。

「理解と受容」こそ具体的進行の前提
 
 強行実施後も、私たちは抵抗をやめません。抵抗をやめることはできません。
 この制度が都教委のいうように「能力開発」が目的であるなら、制度についての「理解と受容」が不可欠の前提です。だから、私たちは、私たちが「理解と受容」できる説明を要求します。当面、都教委、校長に十分なる説明を求めるとりくみを進めることにします。
 「理解と受容」できない限り、人事考課制度の具体的な進行に協力できないことは、言うまでもありません。

〈なかま〉〈ゆとり〉〈決定権〉重視し、抵抗続ける

 また、私たちは、人事考課制度が結果として生み出すであろう労働現場における〈なかま〉〈ゆとり〉〈決定権〉の喪失を許さないため、職場においてそれらを何よりも重視するとりくみを進めます。これらの喪失は、人間的な感情、関係、いとなみ、感覚の頽廃、つまり人間の内面の頽廃を導き出さずにはいません。私たちは、それを拒否します。
 私たちは、仲間を信じるまっとうな心をもちたい、上下ではなく横・対等な関係でいたい、管理職より子どもたちと目線を合わせて仕事をしていきたい、そうした願いを確固として持ち、人事考課制度に抗していきます。それこそ、人間として生きていくということではないでしょうか。


週刊墨教組 No.1272  2000.3.13


人事考課制度導入絶対反対!
   「能力開発」には、被評価者の理解と受容が不可欠
   「理解と活用意識不十分」といいつつ、導入強行とは!

 二月二三日に開催された「検討委員会」に「幹事会」が提起した、「本人開示」案は、「制度の成熟を勘案して開示」というものでした。

当初「幹事会」は、「即時開示論」「制度成熟後開示論」の両論を併記していました(「週刊墨教組」一二六九号参照)。しかし、その軸足は「成熟後開示論」にあることは明らかであり、私たちは、結局それをとるとの見方を明確にしました。果たして、「成熟後開示論」でした。

「目的・趣旨についての理解不十分」
 「幹事会」は、「成熟後開示」とする理由を次のように述べています。
 「本人開示を制度導入と同時に実施した場合、未だ教育職員が本制度の目的・趣旨を十分に理解していない中で評価結果を開示することになる。このため、開示しても、その評価を能力開発に生かすことができず、かえって制度全体に混乱が生じる恐れがある。成熟後開示すれば、これを回避することができる」
 この中で、「幹事会」は実に正しいことを言っています。「(制度導入時に)教育職員がこの制度の目的・趣旨を十分に理解していない」という部分がそれです。事実としてその通り。

理解と受容が不可欠
 そもそも、この制度導入の目的は「能力開発」にあると都教委は言い続けてきています。ところで、仮に「評価制度」が「能力開発」に役立つとしても、そのためには被評価者の「理解と受容」が不可欠の前提です。(「受容」について、都教委は「評価結果を活用するという意識」という語を使っています。)
 都教委が、本気で「人事考課制度」が「能力開発」に役立つと考えているならば、そのために不可欠である「理解と受容」を図る努力を十二分に行い、その上で、制度導入を図るべきです。その「理解と受容」が十分ではないことを認めながら、制度導入は強行するというのは、どういうことでしょうか。「能力開発」は単なる口実にすぎないことを自ら認めているに外なりません。

「能力開発」とは名ばかり
 しかも、「(成熟後開示とした場合)教育職員の能力開発という人事考課制度本来の目的が実現しないのではないかと受け取られる、評価の透明性に対する不信感が生まれる可能性がある」と、「成熟後開示」の問題点を挙げています。実に、その通り!即時開示できないのは、「能力開発」とは名ばかり、評価の透明性・信頼性なしだからこそです。

開示時期の引き伸ばし
 しかし、小賢しい自称エリート「イエスマン」たちは、そうした問題点を、次の方法で解決することができると言ってはばかりません。
「@自己申告の最終面接時に、各職員の目標に対する成果と課題について、校長・教頭が自らの見解を明確にし、それに基づき指導助言することを徹底
A開示時期について明確にする」
 @は、校長にその責任を押し付ける論理です。さらにAについては、その時期について、「導入後二〜三年の内に制度についての理解度を高め、その後、できるだけ早い時期に本人開示する」としています。「開示時期を明確に」と言いつつ、先延ばし先延ばしする言説です。
 さらに、その開示の範囲については、「絶対評価のみ」、方法については「口頭開示」というものであり、「全面開示」ではありません。これは、「開示」ではありません。

説明責任もつ校長も理解してない
 私たちは、「人事考課制度の目的・趣旨」について、十分な説明も受けていないし、したがって何らの「理解」もしていません。「理解」した上でなければ「受容」もできないことは言うまでもありません。また、「説明責任」を持つ校長たちにしても、「目的・趣旨」を理解しえないでいます。 
 そうした中で、強行実施とは!
 断じて認められません。

ステップアップ研修

 「〇〇先生、ちょっと。」
教頭に呼ばれ、校長室へ入る。そして、校長、教頭を前にして座る。
 すると、教頭が、
「夏休みに、この研修に参加してほしいんですよね。」
「えっ、研修ですか?」
「まあ、一、二学期に通所研修に行く人もいるから、それに比べると、こちらの方が行きやすいでしょう。」
「行かないといけないんですか?」
思わず聞くと、今度は、校長が、
「ステップアップ研修ですから!」
 つまり、私はDランクの教師ということである。(ガ―ン!)
「じゃあ、そのつもりで…」
と言い、教頭が立とうとしたとき、思わず、
「どこがDランクだったんですか?」
と口にしてしまった。答えてもらえるはずもなく、そのまま校長室を後にした。

 そして、夏休み。ステップアップ研修に出かけた。これまで、希望して通ったことのある都研とは全く違う、重い気持ちでの参加であった。
(この人たちも私と同じDランク。いったいどこがDなのか…)
講師の話も素直に聞けず、
(どうしてこんな研修を強制されなければならないのか。)
そんな思いだけが大きくなり、研修の成果などあるはずもなかった。

 二学期が始まっても、
(同僚はどう思っているだろう…。)
(保護者も知っているのではないか…。)
(子どもに知られたらどうしよう…。)
そんなことばかりが気にかかる。その上、Dと評価されたことで、自分のやることに対して、自信をなくしてきた。
 そんな私に気づいてか、子どもたちも落ち着きがなくなってきた。

「Dランクって何なの?」
「公正で、客観的な評価などできるわけがない!」
「納得のいかない評価をされて、強制的な研修にも行かされて、その上、給料も減らされて…
冗談じゃな〜〜〜い!」
と叫んだところで、目が覚めた。

「ああ、夢で良かったと、今は言えるけど、あとわずかで…」
「冗談じゃな〜〜〜い!」

「人事考課」と
映画「スペシャリスト・自覚なき殺戮者」
 映画「スペシャリスト・自覚なき殺戮者」を観た。第二次大戦中、ナチス・ドイツの親衛隊幹部として数百万人といわれるユダヤ人大量虐殺計画を遂行したアドルフ・アイヒマンの裁判記録である。しかし、ホロコーストの悲惨さ、残忍さについての記録ではない。一九六一年にエルサレムで行われた裁判記録(アイヒマンは逃亡していたので、ニュルンベルグ裁判をうけていない)を、「ある視点」をもってフィルムから新しく撮りなおしたものだ。この視点が今を生きる私たちの状況を問うものであると思う。
 ここでいう「スペシャリスト」とは、ユダヤ人問題の専門家という意味である。アイヒマンは仕事の正確さ、忠実さで、幹部まで上りつめた男である。彼の仕事への忠実さは、次のようなエピソードにもあらわれている。
 アイヒマンは、ユダヤ人を強制収容所に送り込んだ直接の責任者であった。彼は、収容所送りの列車に乗せる人数を決める場合、あの過酷な車内状況の中では、何%が死亡するかを予測計算したのだという。上司からの指示の範囲内で忠実に、確実に、驚くべき忠誠心で、その「仕事」に専念した。
 過去には、「ショアー」をはじめとして、ナチスの大罪についての証言を描いたものも多い。しかし、この映画では、ナチスを改めて裁くのが目的ではなく、このドキュメンタリーから出発して、今日、私たちが直面している状況を問い直すことが重要なことではないかと訴えていると思う。
 アイヒマンは、この映画の中で、自分の役割が単なる代行者でしかないこと、つまり、上司の命令に忠実に従っただけであるということを一貫して主張するのだ。人道上許されない罪であったとしてもだ。映画でみるかぎり、彼は、平均的な、あまりにも普通の男である。犯罪の残忍な性質のため、この男の平凡さとのコントラストは印象深いものがあった。この映画は、ハンナ・アーレントの著作『イエルサレムのアイヒマンー悪の陳腐さについての報告』に示唆されて作られたということである。
 人事考課について思う時、服従する罪悪、服従しない勇気について、今、改めて考えてみなければならないと思う。

※上下関係
ヒトラー (総統・首相)
ヒムラー (SS全国指導者)
ハイドリヒ (SS大将・
帝国保安本部長官)
ミュラー (SS中将・第4部部長)
アイヒマン (SS中佐・
第4部ユダヤ課長)

校長はミュラー? アイヒマン?

週刊墨教組 No.1271 2000.2.25

人事考課制度導入絶対反対!
  案の定「本人開示せず」と都教委決定(二月二三日)
 「開示せず」は自信のなさの証明ーでは、やるな!

 前前号、前号と二回にわたって、「教員等人事考課導入検討委員会」が検討しているという「本人開示」問題について、紹介し、また批判を加えてきました。この中で、都教委には「即時本人開示」を行う意思はなく、それを避けるための屁理屈をどう並び立てるかに終始していることを明らかにしました。
 はたして、都教委「検討委員会」は、二月二三日に開催した「第十回検討委員会」で、「本人開示」は実施しないことを決定しました。
 今号では、その点を中心に「検討委員会・幹事会」の屁理屈を紹介し、批判します。

「全面開示・絶対評価のみ開示」両論併記

 「検討委員会・幹事会」が一月二六日に「検討委員会」に提出した「本人開示」問題についての文書では、「即開示論・成熟後開示論」の二案併記、「開示時期の判断基準」に続いて、「開示の範囲」について提起しています。
 これについても両論併記です。
「案1 全面開示
 能力開発については絶対評価で対応できるが、制度の透明性を高めるためには、全ての評価結果(絶対評価と相対評価)の開示が望ましい。案2 段階的開示
 第一段階ー絶対評価のみ開示
 第二段階ー相対評価開示について検討」 
 さらに、「開示方法」として、「口頭開示」、「業績評価書などの文書による開示」の二案を挙げています。
「本人」開示の本来的意味

 「本人開示」とは、全ての「評価」や「個人情報」が本人に明らかにされ、説明を受け、不満・苦情そして訂正・是正要求を出し、不利益を回復する手段が用意されていることであるはずです。また、それを通じて評価者自身も試されるという性質を持ちます。
 ところが、「検討委員会・幹事会」は、そうした「開示」によほど自信を持てないようです。開示するとしても、何とか絶対評価のみに止めたい、また口頭や「部分開示」や「抜粋した文書」に止めたいとの思いがあまりに露骨です。
 制度そのものや評価者に自信を持てないからこそ、こうした姑息な「開示範囲・方法」を考え出すわけです。
評価下位者には研修命令で「開示」

 ところで、開示問題とのかかわりで、「能力開発プログラム」(「週刊墨教組」一二六八号参照)を見てみましょう。
 このプログラムは、評価結果に基づき、評価上位者へのあめ(飴)研修と評価下位者へのむち(鞭)研修が強制研修としてセットされています。評価下位者には「鞭(むち)研修」である「ステップアップ研修」が「命令(強制)」されます。「本人開示」がなされないとして、この「ステップアップ研修」対象者は、研修命令をされたこと、研修に参加したことをもって、事実上「評価下位者」であるという「開示」が本人のみならず、職場そして外部に対して行われることになります。誰が「ステップアップ研修」に参加しているかは、職場では明確になってしまうからです。「本来的な本人開示」がなされているなら未だしも、一切の「開示」がなされないとする中でも、下位者については、事実上「開示」がなされてしまうということを、都教委・「検討委員会」はどう説明するのでしょうか。
校長に責任をかぶせて、知らん顔

 次に挙げられているのは、「開示に関する苦情処理」の問題です。
 ここでは、まず、「本人開示になった場合には、校長が本人に開示することになり、絶対評価に関わる苦情については、校長が対応する(校長の説明責任)」との文章が目につきます。
 「とにかくまずは校長の責任よ」と、校長に責任をおっかぶせるわけです。同時にこの文章は、「絶対評価に関わる苦情」と言い、相対評価については含めないことにより、校長の逃げ道も用意してあるという巧妙きわまりない文章です。
 「苦情」は、評価結果のみではなく、評価者自身に対しても向けられます。だからこそ、さまざまな問題における苦情受付処理機関は、建前上、第三者機関として設置・確立されています(人事委員会がその例)。ところが、ここでは、まず直接の評価者である校長に苦情申し立て、そして、「学校内だけでは解決できない苦情については教育委員会内に苦情受付部署を設け」と、なっています。  
 「学校内だけでは解決できない苦情」という言葉も要注意です。「絶対評価については校長に説明責任」というのですから、これについては、「学校内だけで解決」可能、「教育委員会内の苦情受付部署」では、受け付けられない(入り口で門前払い)ということが可能な表現です。
 何のための「苦情処理」。結局、苦情弾圧のためのしくみに外なりません。

以上、三回にわたって見たように、「本人開示」を行わないための屁理屈を並べ立てたものとしか言いようがありません。はたして、都教委は「本人開示」を行わないことを二月二三日に決定しています。
 「開示」問題は、制度の根幹部分であることは、「報告書」でさえ明確にしているところです。それを先送りにし、なにはともあれ、強行実施。絶対に許すことはできません。


週刊墨教組 No.1270 2000.2.24

「考課制度の目的・趣旨の十分な理解・認識」は、
未来永劫不可能だ!
       「本人開示」の先送りを策す都教委
 「教員等人事考課導入に関する検討委員会」(以下「検討委員会」)は、「報告書」で検討課題とした「(1)評価者訓練(2)本人開示問題(3)評価結果を活用した人材育成方策」についての検討を進めています。
 一月二六日に開催された「第九回検討委員会」では、「@能力開発プログラムA児童生徒、保護者の意見B評価結果の本人開示」の三点が検討されています。 この内、@については、「ライフステージに応じた能力開発プログラム」が検討されました(一二六八号参照)。今号では、前号に続き、B「本人開示」について紹介・批判します。 

「即開示」「成熟後開示」の両論併記
 前号で紹介したように、「本人開示」問題について、「検討委員会・幹事会」は、今までの明確・具体的な「案→結論」という流れと異なり、トーンを下げ、両論併記の「考え方」を出すに止まっています。
 「即開示論」と「成熟後開示論」の2案がそれです。前号で見たように、この両論についてメリット・デメリットを挙げているわけですが、それらをどう読んでも、「即開示論」の方に「説得力」があります。しかし、「検討委員会・幹事会」のスタンスは、明確に「成熟後開示論」におかれたものになっています。
 両論併記は、「開示問題」については、むずかしい問題があり過ぎるということを示し、制度実施の中で検討せざるを得ないことを示めそうとしているとしか思えません。 
 このことは、この後展開されている「開示の時期・範囲(二案提示)・方法・苦情処理」についての論を見ると、よりはっきりします。「開示問題」はむずかしい、だから、とにかく実施強行という姿勢が見え見えです。

「制度の成熟」を何で判断
 開示問題について「幹事会」は、両論併記に続いて、「成熟後開示論」を採用した場合、「成熟時期をどのように考えるべきか」について展開しています。
 そして、「制度が成熟したか判断する」視点として次の二点を挙げています。
「@被評価者が人事考課の目的・趣旨について十分理解し、認識できる状態になったかどうか。
A「本人開示は、評価結果を真摯に受け止め。自己の能力開発に向けて糧とするために行うものであり、考課制度の趣旨はこの点にある。職員一人一人がこの趣旨・目的を理解し、評価結果を活用するという意識に立たなければ目的を達成できない。」
 この趣旨を認識しているかどうかを判断するため、自己申告書の活用が考えられる。
(1)自己申告書の提出状況
(2)記載内容が、制度の趣旨・目的をふまえたものと確認できること。」

目的・趣旨理解は未来永劫あり得ない
 「人事考課制度の目的・趣旨を十分理解、認識できる状態」!断言します。そんな状態は未来永劫あり得ない。
 この制度の「本来的な目的・趣旨」を「理解」し、上に迎合し、イエスマンに徹する人物群は出てくるでしょう。自己の内面の腐敗に気づかずに、あるいは敢えてそれに目を瞑る人は必ず出てくるでしょう。
 同時に、この制度の「本来的目的・趣旨」を理解し、だからこそ、明確に子どもと仲間と側に立ち続け、その中からこの制度に抵抗し続ける人物群もまた確実にいるし、これからも出現し続けます。そうした人間教師によって現在の学校制度は辛うじて機能し得ているのですから。
 「被評価者が目的・趣旨を十分理解、認識できる状態」は未来永劫あり得ない。そんなことは、賢明なる「検討委員会・幹事会」の自称「エリート」「イエスマン」たちは百も承知でしょう。にもかかわらず、こうした論を張るのは、場合によっては、未来永劫開示しないことをも想定しているからに違いありません。

「自己申告」提出状況で
開示有無決める 

成熟時期の判断材料として、「自己申告書の提出状況、内容」も挙げています。自己申告書の提出拒否者があることを明確に意識しています。そして、そういう「不届き者」「不埒者」がいるから、「開示」もできないのだと、責任をなすりつける論理まで用意するとは!
 その上、ご丁寧にも「申告書の内容」について、「制度の趣旨・目的を踏まえたものと確認できるか否か」と、「開示」の面からも圧力をかけ、同時に「提出者」に対しても「内容が未成熟だから、制度未成熟。だから、開示できない」と責任を転化しようとしています。      (以下次号)


週刊墨教組 No.1268 2000.2.10

研究・研修の自由をも奪う
   人事考課制度導入絶対反対!
     評価結果で「あめ(飴)」研修か、「むち」研修

「教員等導入に関する検討委員会」は、十二月二日に「報告書」を出し、都教委はそれに基づき「人事考課規則」の制定を強行しました。
 その後、同検討委員会は、「報告書」で検討課題とした「@評価者訓練A本人開示問題B評価結果を活用した人材育成方策」についての検討を進めています。一月二六日に開催された「検討委員会(第九回)」では、「@能力開発プログラムA児童生徒、保護者の意見B評価結果の本人開示」の三点が検討されています。

評価に基づき強制研修
 この内、@については、「ライフステージに応じた能力開発プログラム」が検討されました。このプログラムには、次のものが盛り込まれています。
・指定研修(強制研修)として、新たに「現職研修V」「主任研修」 を行う。
・一般研修として業績評価に応じた研修講座を設置ーキャリアアップ研修T(専門研修、スクールカウンセラー研修)、U(Tに続く研修。評価に基づく選考で教育研究員)、V(大学院、海外派遣、教員研究生等の派遣研修、中堅層教員研修)
・評価結果が下位である教員の資質能力の向上を図る研修ーステップアップ研修。長期コース(一〜三年の長期研修)、通所コース(年間五十日程度〈毎週一日、夏季休業中十日程度〉の研修、夏季集中コース(夏季休業中十日程度の研修)の三コースを設定。
・評価結果を活用した複数課題の校内研修体制確立

 一月二六日の「検討委員会」では、この「プログラム」案で「おおむね了承」されたとのこと、人事考課制度開始とともに、このプログラムも始動されることになります。

「あめ」研修と「むち」研修
 内容を一見してわかるように、評価上位者には、大学院・海外への派遣研修や文部省の中央研修受講者、教育研究員として選考、下位者には三ランクに分けての研修実施という具合に、評価結果に応じて研修という体制をつくろうというわけです。
 自主的・自立的研修や研修の自由は、完全に否定され、評価結果によって「飴」としての研修を与えたり、「むち」としての研修を強制したりするということです。
 また、「主任研修」を管理職任用研修の前段に位置付けているのは、「主任」を中間管理職として位置付けていることを示しています。
 こうした内容を持つ「能力開発プログラム」は、人事考課の評価結果に基づく強制研修体制確立プログラムにほかなりません。人事考課制度は、こうしたこともねらうものとしてあります。

理不尽な
 人事考課制度に抵抗を 組合員投稿 4
このところ、日の丸・君が代の法制化、盗聴法、住民背番号制など、あまりにも民主主義を踏みにじる制度が、強引に押しつけられてきた。そして、また、教育現場に人事考課制度を導入するという。理不尽極まりない。どう考えても、教育現場にそぐわない。
管理職の心配をすることもないが、評価するほうも、もし良心というものがあるならば、客観的、公平に評価することなど不可能だろうから、悩むことだろう。だが、結局はいつも管理職と意見が異なり、民主主義の破壊に対して抗議や意見を述べる者が最低 ランクに評価されることになるだろう。
今年届いた同職の友達からの年賀状は、「働きにくくなった。」「転職志向が強まった。」「退職を考えてしまう。」などと書かれたものが多かった。「二十四のひとみ」の大石先生を思い出した。しかし術中にはまってはならない。抵抗し、切り開いていかなければならない。上から強制力を働かせる制度は、教師と子どもの関係を破壊していくものでしかない。
不登校、学級崩壊などと問題にされている子どもの姿は、リストラと言う名のもとに大量首切りが平気で推し進められるような社会的な状況が根底にあったり、社会的規制や親の子どもへのかかわり方などにあるのだ。人事考課制度などという小手先の制度改悪ではますます子どもたちを窮地に追いやることになる。
本当に子どもたちに、のびのびと主体的な学習を保障するためには、教師自身の権利と自主性が保障されなければならない。そして何よりも三十人学級を実現することが教育現場に山積みにされた課題を解決することにつながるはずだ。

2月1日、日比谷野音で人事考課制度導入反対中央集会が、全国各地の組合員を含む約2000人が参加して開催されました。


週刊墨教組 No.1276 2000.4.5

人事考課制度導入強行に強く抗議する
 制度の趣旨、内容について十分な説明を受けたか? NO!
  「実施に当たって、校長・教頭から制度の趣旨・内容について十分説明する」ー都教委

 都教委は、私たちの強い反対、私たちのみならず校長・教頭、教育学者等々から出されている疑問や問題点指摘などを全く黙殺し、四月一日から人事考課制度導入を強行しました。私たちは、これに強く抗議し、引き続き粘り強く反対し、抵抗し続けることを改めて明らかにします。

「趣旨・内容の理解不十分」(都教委)
 都教委の「教員等人事考課制度導入に関する検討委員会」(人事考課制度の具体案を作成する委員会。この委員会の決定に基づき、都教委が制度を具体化)は、繰り返し、
 ・この制度の目的は人材育成(能力開発型人事考課制度)
 ・その目的を実現するためには、「教育職員の理解と評価結果を活用しようという意識」(理解と受容)が必要
 ・教育職員が制度の目的・趣旨・内容を十分理解しているとは、未だ言えない→(だから開示はできないという論理になっているところが問題!)
 ・実施にあたっては、校長・教頭から制度の趣旨・内容について十分説明する
と述べています。

説明者自身も自信持てず!
 さて、私たちは、制度の趣旨・内容について十分な説明を受けたでしょうか。
 制度について「理解と評価結果を活用しようという意識」が持てる説明を受けたでしょうか。
 断じて、否です。
 それどころか、説明すべき責任を持つと都教委にされている校長・教頭は誰もが、説明に全く及び腰であり、説明しても弱々しく自信なげではありませんか。
 被評価者に理解を求めて説明すべき「評価者」自身が、自信を持てていない制度、
 その自信を持てない評価者が約十か月後には評価を行い、自校教員に順位をつけて区教委教育長に報告する制度、
 強行導入し、評価を強要する都教委自身が、制度の趣旨と内容について、未だ理解を得てないと認めている制度、
 そんな制度を導入強行!
 こんな無茶苦茶なことが行われるのが、今の東京の学校教育界の現状とは、何ともお寒いことではありませんか。

とことん説明を要求する
 しかし、そう嘆いてばかりはいられません。
 私たちは、制度の趣旨・内容についての説明をとことん要求します。その中で、この制度とその強行ぶりの目茶苦茶さを暴露します。それを通じ、「人事考課、なにするものぞ」との気運・空気を職場につくりだしていきます。

〈なかま〉〈ゆとり〉〈決定権〉を大切に
 同時に、この制度の本質的なねらいである〈なかま〉〈ゆとり〉〈決定権〉の喪失を許さぬため、職場においてそれらを何よりも重視、大切するとりくみを、きめ細かに進めていきます。


週刊墨教組 No.1274 2000.3.22

人事考課、なにするものぞ!
人事考課制度導入にあくまでも反対し、
〈なかま〉〈ゆとり〉〈決定権〉を重視し、
人間として生きる

 そもそも、人事考課制度とは、ある組織の目的・目標の実現に向けて、組織を強化するためのものです。その強化を、構成員を評価し、評価結果を処遇(給与、昇任・昇格、研修、異動)に反映させるというアメとムチにより、個々の構成員を競わせることによって実現しようというのが人事考課制度です。その意味で、闘う組織をより戦闘化するための制度だとも言われています。

新しさ強調しようと本質は変わらない

人事考課制度は、古くは、天皇中心の中央集権国家の維持・建設のために、天皇の官吏集団をより戦闘化するために活用されました。
 近年は利益第一・金儲け主義の徹底のために民間企業が採り入れ、企業間闘争に勝利するための戦闘集団づくりに活用しています。考課制度そのものは、「科学的な理論に立って」と装いも新たにして採り入れたと言っていますが、その本質ー成績評価によって処遇をかえる競争主義により、集団をより戦闘化させるーは何ら変わっていません。
 この民間の動向をも受けた形で、行政機関においても、行政の効率化の名のもとに成績主義・競争主義の導入が叫ばれ、人事考課制度が強化されています。今回の教員への人事考課制度導入もこうした流れの一環です。

導入に反対し闘い続ける

 東京都教育委員会は、私たちの強い反対の声を無視し、四月から人事考課制度を強行実施しようとしています。
 人事考課制度の導入に反対、疑問の声は、組合員のみならず非組合員、校長・教頭を含め、広く、深くあり、ますます大きくなってきています。そうした中での強行、さまざまな混乱は必至です。
 私たちは、あくまでも人事考課制度の導入に反対の声を上げ続け、闘い続けます。

「理解と受容」こそ具体的進行の前提
 
 強行実施後も、私たちは抵抗をやめません。抵抗をやめることはできません。
 この制度が都教委のいうように「能力開発」が目的であるなら、制度についての「理解と受容」が不可欠の前提です。だから、私たちは、私たちが「理解と受容」できる説明を要求します。当面、都教委、校長に十分なる説明を求めるとりくみを進めることにします。
 「理解と受容」できない限り、人事考課制度の具体的な進行に協力できないことは、言うまでもありません。

〈なかま〉〈ゆとり〉〈決定権〉重視し、抵抗続ける

 また、私たちは、人事考課制度が結果として生み出すであろう労働現場における〈なかま〉〈ゆとり〉〈決定権〉の喪失を許さないため、職場においてそれらを何よりも重視するとりくみを進めます。これらの喪失は、人間的な感情、関係、いとなみ、感覚の頽廃、つまり人間の内面の頽廃を導き出さずにはいません。私たちは、それを拒否します。
 私たちは、仲間を信じるまっとうな心をもちたい、上下ではなく横・対等な関係でいたい、管理職より子どもたちと目線を合わせて仕事をしていきたい、そうした願いを確固として持ち、人事考課制度に抗していきます。それこそ、人間として生きていくということではないでしょうか。


週刊墨教組 No.1272  2000.3.13


人事考課制度導入絶対反対!
   「能力開発」には、被評価者の理解と受容が不可欠
   「理解と活用意識不十分」といいつつ、導入強行とは!

 二月二三日に開催された「検討委員会」に「幹事会」が提起した、「本人開示」案は、「制度の成熟を勘案して開示」というものでした。

当初「幹事会」は、「即時開示論」「制度成熟後開示論」の両論を併記していました(「週刊墨教組」一二六九号参照)。しかし、その軸足は「成熟後開示論」にあることは明らかであり、私たちは、結局それをとるとの見方を明確にしました。果たして、「成熟後開示論」でした。

「目的・趣旨についての理解不十分」
 「幹事会」は、「成熟後開示」とする理由を次のように述べています。
 「本人開示を制度導入と同時に実施した場合、未だ教育職員が本制度の目的・趣旨を十分に理解していない中で評価結果を開示することになる。このため、開示しても、その評価を能力開発に生かすことができず、かえって制度全体に混乱が生じる恐れがある。成熟後開示すれば、これを回避することができる」
 この中で、「幹事会」は実に正しいことを言っています。「(制度導入時に)教育職員がこの制度の目的・趣旨を十分に理解していない」という部分がそれです。事実としてその通り。

理解と受容が不可欠
 そもそも、この制度導入の目的は「能力開発」にあると都教委は言い続けてきています。ところで、仮に「評価制度」が「能力開発」に役立つとしても、そのためには被評価者の「理解と受容」が不可欠の前提です。(「受容」について、都教委は「評価結果を活用するという意識」という語を使っています。)
 都教委が、本気で「人事考課制度」が「能力開発」に役立つと考えているならば、そのために不可欠である「理解と受容」を図る努力を十二分に行い、その上で、制度導入を図るべきです。その「理解と受容」が十分ではないことを認めながら、制度導入は強行するというのは、どういうことでしょうか。「能力開発」は単なる口実にすぎないことを自ら認めているに外なりません。

「能力開発」とは名ばかり
 しかも、「(成熟後開示とした場合)教育職員の能力開発という人事考課制度本来の目的が実現しないのではないかと受け取られる、評価の透明性に対する不信感が生まれる可能性がある」と、「成熟後開示」の問題点を挙げています。実に、その通り!即時開示できないのは、「能力開発」とは名ばかり、評価の透明性・信頼性なしだからこそです。

開示時期の引き伸ばし
 しかし、小賢しい自称エリート「イエスマン」たちは、そうした問題点を、次の方法で解決することができると言ってはばかりません。
「@自己申告の最終面接時に、各職員の目標に対する成果と課題について、校長・教頭が自らの見解を明確にし、それに基づき指導助言することを徹底
A開示時期について明確にする」
 @は、校長にその責任を押し付ける論理です。さらにAについては、その時期について、「導入後二〜三年の内に制度についての理解度を高め、その後、できるだけ早い時期に本人開示する」としています。「開示時期を明確に」と言いつつ、先延ばし先延ばしする言説です。
 さらに、その開示の範囲については、「絶対評価のみ」、方法については「口頭開示」というものであり、「全面開示」ではありません。これは、「開示」ではありません。

説明責任もつ校長も理解してない
 私たちは、「人事考課制度の目的・趣旨」について、十分な説明も受けていないし、したがって何らの「理解」もしていません。「理解」した上でなければ「受容」もできないことは言うまでもありません。また、「説明責任」を持つ校長たちにしても、「目的・趣旨」を理解しえないでいます。 
 そうした中で、強行実施とは!
 断じて認められません。

ステップアップ研修

 「〇〇先生、ちょっと。」
教頭に呼ばれ、校長室へ入る。そして、校長、教頭を前にして座る。
 すると、教頭が、
「夏休みに、この研修に参加してほしいんですよね。」
「えっ、研修ですか?」
「まあ、一、二学期に通所研修に行く人もいるから、それに比べると、こちらの方が行きやすいでしょう。」
「行かないといけないんですか?」
思わず聞くと、今度は、校長が、
「ステップアップ研修ですから!」
 つまり、私はDランクの教師ということである。(ガ―ン!)
「じゃあ、そのつもりで…」
と言い、教頭が立とうとしたとき、思わず、
「どこがDランクだったんですか?」
と口にしてしまった。答えてもらえるはずもなく、そのまま校長室を後にした。

 そして、夏休み。ステップアップ研修に出かけた。これまで、希望して通ったことのある都研とは全く違う、重い気持ちでの参加であった。
(この人たちも私と同じDランク。いったいどこがDなのか…)
講師の話も素直に聞けず、
(どうしてこんな研修を強制されなければならないのか。)
そんな思いだけが大きくなり、研修の成果などあるはずもなかった。

 二学期が始まっても、
(同僚はどう思っているだろう…。)
(保護者も知っているのではないか…。)
(子どもに知られたらどうしよう…。)
そんなことばかりが気にかかる。その上、Dと評価されたことで、自分のやることに対して、自信をなくしてきた。
 そんな私に気づいてか、子どもたちも落ち着きがなくなってきた。

「Dランクって何なの?」
「公正で、客観的な評価などできるわけがない!」
「納得のいかない評価をされて、強制的な研修にも行かされて、その上、給料も減らされて…
冗談じゃな〜〜〜い!」
と叫んだところで、目が覚めた。

「ああ、夢で良かったと、今は言えるけど、あとわずかで…」
「冗談じゃな〜〜〜い!」

「人事考課」と
映画「スペシャリスト・自覚なき殺戮者」
 映画「スペシャリスト・自覚なき殺戮者」を観た。第二次大戦中、ナチス・ドイツの親衛隊幹部として数百万人といわれるユダヤ人大量虐殺計画を遂行したアドルフ・アイヒマンの裁判記録である。しかし、ホロコーストの悲惨さ、残忍さについての記録ではない。一九六一年にエルサレムで行われた裁判記録(アイヒマンは逃亡していたので、ニュルンベルグ裁判をうけていない)を、「ある視点」をもってフィルムから新しく撮りなおしたものだ。この視点が今を生きる私たちの状況を問うものであると思う。
 ここでいう「スペシャリスト」とは、ユダヤ人問題の専門家という意味である。アイヒマンは仕事の正確さ、忠実さで、幹部まで上りつめた男である。彼の仕事への忠実さは、次のようなエピソードにもあらわれている。
 アイヒマンは、ユダヤ人を強制収容所に送り込んだ直接の責任者であった。彼は、収容所送りの列車に乗せる人数を決める場合、あの過酷な車内状況の中では、何%が死亡するかを予測計算したのだという。上司からの指示の範囲内で忠実に、確実に、驚くべき忠誠心で、その「仕事」に専念した。
 過去には、「ショアー」をはじめとして、ナチスの大罪についての証言を描いたものも多い。しかし、この映画では、ナチスを改めて裁くのが目的ではなく、このドキュメンタリーから出発して、今日、私たちが直面している状況を問い直すことが重要なことではないかと訴えていると思う。
 アイヒマンは、この映画の中で、自分の役割が単なる代行者でしかないこと、つまり、上司の命令に忠実に従っただけであるということを一貫して主張するのだ。人道上許されない罪であったとしてもだ。映画でみるかぎり、彼は、平均的な、あまりにも普通の男である。犯罪の残忍な性質のため、この男の平凡さとのコントラストは印象深いものがあった。この映画は、ハンナ・アーレントの著作『イエルサレムのアイヒマンー悪の陳腐さについての報告』に示唆されて作られたということである。
 人事考課について思う時、服従する罪悪、服従しない勇気について、今、改めて考えてみなければならないと思う。

※上下関係
ヒトラー (総統・首相)
ヒムラー (SS全国指導者)
ハイドリヒ (SS大将・
帝国保安本部長官)
ミュラー (SS中将・第4部部長)
アイヒマン (SS中佐・
第4部ユダヤ課長)

校長はミュラー? アイヒマン?


週刊墨教組 No.1271 2000.2.25

人事考課制度導入絶対反対!
  案の定「本人開示せず」と都教委決定(二月二三日)
 「開示せず」は自信のなさの証明ーでは、やるな!

 前前号、前号と二回にわたって、「教員等人事考課導入検討委員会」が検討しているという「本人開示」問題について、紹介し、また批判を加えてきました。この中で、都教委には「即時本人開示」を行う意思はなく、それを避けるための屁理屈をどう並び立てるかに終始していることを明らかにしました。
 はたして、都教委「検討委員会」は、二月二三日に開催した「第十回検討委員会」で、「本人開示」は実施しないことを決定しました。
 今号では、その点を中心に「検討委員会・幹事会」の屁理屈を紹介し、批判します。

「全面開示・絶対評価のみ開示」両論併記

 「検討委員会・幹事会」が一月二六日に「検討委員会」に提出した「本人開示」問題についての文書では、「即開示論・成熟後開示論」の二案併記、「開示時期の判断基準」に続いて、「開示の範囲」について提起しています。
 これについても両論併記です。
「案1 全面開示
 能力開発については絶対評価で対応できるが、制度の透明性を高めるためには、全ての評価結果(絶対評価と相対評価)の開示が望ましい。案2 段階的開示
 第一段階ー絶対評価のみ開示
 第二段階ー相対評価開示について検討」 
 さらに、「開示方法」として、「口頭開示」、「業績評価書などの文書による開示」の二案を挙げています。
「本人」開示の本来的意味

 「本人開示」とは、全ての「評価」や「個人情報」が本人に明らかにされ、説明を受け、不満・苦情そして訂正・是正要求を出し、不利益を回復する手段が用意されていることであるはずです。また、それを通じて評価者自身も試されるという性質を持ちます。
 ところが、「検討委員会・幹事会」は、そうした「開示」によほど自信を持てないようです。開示するとしても、何とか絶対評価のみに止めたい、また口頭や「部分開示」や「抜粋した文書」に止めたいとの思いがあまりに露骨です。
 制度そのものや評価者に自信を持てないからこそ、こうした姑息な「開示範囲・方法」を考え出すわけです。
評価下位者には研修命令で「開示」

 ところで、開示問題とのかかわりで、「能力開発プログラム」(「週刊墨教組」一二六八号参照)を見てみましょう。
 このプログラムは、評価結果に基づき、評価上位者へのあめ(飴)研修と評価下位者へのむち(鞭)研修が強制研修としてセットされています。評価下位者には「鞭(むち)研修」である「ステップアップ研修」が「命令(強制)」されます。「本人開示」がなされないとして、この「ステップアップ研修」対象者は、研修命令をされたこと、研修に参加したことをもって、事実上「評価下位者」であるという「開示」が本人のみならず、職場そして外部に対して行われることになります。誰が「ステップアップ研修」に参加しているかは、職場では明確になってしまうからです。「本来的な本人開示」がなされているなら未だしも、一切の「開示」がなされないとする中でも、下位者については、事実上「開示」がなされてしまうということを、都教委・「検討委員会」はどう説明するのでしょうか。
校長に責任をかぶせて、知らん顔

 次に挙げられているのは、「開示に関する苦情処理」の問題です。
 ここでは、まず、「本人開示になった場合には、校長が本人に開示することになり、絶対評価に関わる苦情については、校長が対応する(校長の説明責任)」との文章が目につきます。
 「とにかくまずは校長の責任よ」と、校長に責任をおっかぶせるわけです。同時にこの文章は、「絶対評価に関わる苦情」と言い、相対評価については含めないことにより、校長の逃げ道も用意してあるという巧妙きわまりない文章です。
 「苦情」は、評価結果のみではなく、評価者自身に対しても向けられます。だからこそ、さまざまな問題における苦情受付処理機関は、建前上、第三者機関として設置・確立されています(人事委員会がその例)。ところが、ここでは、まず直接の評価者である校長に苦情申し立て、そして、「学校内だけでは解決できない苦情については教育委員会内に苦情受付部署を設け」と、なっています。  
 「学校内だけでは解決できない苦情」という言葉も要注意です。「絶対評価については校長に説明責任」というのですから、これについては、「学校内だけで解決」可能、「教育委員会内の苦情受付部署」では、受け付けられない(入り口で門前払い)ということが可能な表現です。
 何のための「苦情処理」。結局、苦情弾圧のためのしくみに外なりません。

以上、三回にわたって見たように、「本人開示」を行わないための屁理屈を並べ立てたものとしか言いようがありません。はたして、都教委は「本人開示」を行わないことを二月二三日に決定しています。
 「開示」問題は、制度の根幹部分であることは、「報告書」でさえ明確にしているところです。それを先送りにし、なにはともあれ、強行実施。絶対に許すことはできません。

  


週刊墨教組 No.1270 2000.2.24

「考課制度の目的・趣旨の十分な理解・認識」は、
未来永劫不可能だ!
       「本人開示」の先送りを策す都教委
 「教員等人事考課導入に関する検討委員会」(以下「検討委員会」)は、「報告書」で検討課題とした「(1)評価者訓練(2)本人開示問題(3)評価結果を活用した人材育成方策」についての検討を進めています。
 一月二六日に開催された「第九回検討委員会」では、「@能力開発プログラムA児童生徒、保護者の意見B評価結果の本人開示」の三点が検討されています。 この内、@については、「ライフステージに応じた能力開発プログラム」が検討されました(一二六八号参照)。今号では、前号に続き、B「本人開示」について紹介・批判します。 

「即開示」「成熟後開示」の両論併記
 前号で紹介したように、「本人開示」問題について、「検討委員会・幹事会」は、今までの明確・具体的な「案→結論」という流れと異なり、トーンを下げ、両論併記の「考え方」を出すに止まっています。
 「即開示論」と「成熟後開示論」の2案がそれです。前号で見たように、この両論についてメリット・デメリットを挙げているわけですが、それらをどう読んでも、「即開示論」の方に「説得力」があります。しかし、「検討委員会・幹事会」のスタンスは、明確に「成熟後開示論」におかれたものになっています。
 両論併記は、「開示問題」については、むずかしい問題があり過ぎるということを示し、制度実施の中で検討せざるを得ないことを示めそうとしているとしか思えません。 
 このことは、この後展開されている「開示の時期・範囲(二案提示)・方法・苦情処理」についての論を見ると、よりはっきりします。「開示問題」はむずかしい、だから、とにかく実施強行という姿勢が見え見えです。

「制度の成熟」を何で判断
 開示問題について「幹事会」は、両論併記に続いて、「成熟後開示論」を採用した場合、「成熟時期をどのように考えるべきか」について展開しています。
 そして、「制度が成熟したか判断する」視点として次の二点を挙げています。
「@被評価者が人事考課の目的・趣旨について十分理解し、認識できる状態になったかどうか。
A「本人開示は、評価結果を真摯に受け止め。自己の能力開発に向けて糧とするために行うものであり、考課制度の趣旨はこの点にある。職員一人一人がこの趣旨・目的を理解し、評価結果を活用するという意識に立たなければ目的を達成できない。」
 この趣旨を認識しているかどうかを判断するため、自己申告書の活用が考えられる。
(1)自己申告書の提出状況
(2)記載内容が、制度の趣旨・目的をふまえたものと確認できること。」

目的・趣旨理解は未来永劫あり得ない
 「人事考課制度の目的・趣旨を十分理解、認識できる状態」!断言します。そんな状態は未来永劫あり得ない。
 この制度の「本来的な目的・趣旨」を「理解」し、上に迎合し、イエスマンに徹する人物群は出てくるでしょう。自己の内面の腐敗に気づかずに、あるいは敢えてそれに目を瞑る人は必ず出てくるでしょう。
 同時に、この制度の「本来的目的・趣旨」を理解し、だからこそ、明確に子どもと仲間と側に立ち続け、その中からこの制度に抵抗し続ける人物群もまた確実にいるし、これからも出現し続けます。そうした人間教師によって現在の学校制度は辛うじて機能し得ているのですから。
 「被評価者が目的・趣旨を十分理解、認識できる状態」は未来永劫あり得ない。そんなことは、賢明なる「検討委員会・幹事会」の自称「エリート」「イエスマン」たちは百も承知でしょう。にもかかわらず、こうした論を張るのは、場合によっては、未来永劫開示しないことをも想定しているからに違いありません。

「自己申告」提出状況で
開示有無決める 

成熟時期の判断材料として、「自己申告書の提出状況、内容」も挙げています。自己申告書の提出拒否者があることを明確に意識しています。そして、そういう「不届き者」「不埒者」がいるから、「開示」もできないのだと、責任をなすりつける論理まで用意するとは!
 その上、ご丁寧にも「申告書の内容」について、「制度の趣旨・目的を踏まえたものと確認できるか否か」と、「開示」の面からも圧力をかけ、同時に「提出者」に対しても「内容が未成熟だから、制度未成熟。だから、開示できない」と責任を転化しようとしています。      (以下次号)


週刊墨教組 No.1268 2000.2.10

研究・研修の自由をも奪う
   人事考課制度導入絶対反対!
     評価結果で「あめ(飴)」研修か、「むち」研修

「教員等導入に関する検討委員会」は、十二月二日に「報告書」を出し、都教委はそれに基づき「人事考課規則」の制定を強行しました。
 その後、同検討委員会は、「報告書」で検討課題とした「@評価者訓練A本人開示問題B評価結果を活用した人材育成方策」についての検討を進めています。一月二六日に開催された「検討委員会(第九回)」では、「@能力開発プログラムA児童生徒、保護者の意見B評価結果の本人開示」の三点が検討されています。

評価に基づき強制研修
 この内、@については、「ライフステージに応じた能力開発プログラム」が検討されました。このプログラムには、次のものが盛り込まれています。
・指定研修(強制研修)として、新たに「現職研修V」「主任研修」 を行う。
・一般研修として業績評価に応じた研修講座を設置ーキャリアアップ研修T(専門研修、スクールカウンセラー研修)、U(Tに続く研修。評価に基づく選考で教育研究員)、V(大学院、海外派遣、教員研究生等の派遣研修、中堅層教員研修)
・評価結果が下位である教員の資質能力の向上を図る研修ーステップアップ研修。長期コース(一〜三年の長期研修)、通所コース(年間五十日程度〈毎週一日、夏季休業中十日程度〉の研修、夏季集中コース(夏季休業中十日程度の研修)の三コースを設定。
・評価結果を活用した複数課題の校内研修体制確立

 一月二六日の「検討委員会」では、この「プログラム」案で「おおむね了承」されたとのこと、人事考課制度開始とともに、このプログラムも始動されることになります。

「あめ」研修と「むち」研修
 内容を一見してわかるように、評価上位者には、大学院・海外への派遣研修や文部省の中央研修受講者、教育研究員として選考、下位者には三ランクに分けての研修実施という具合に、評価結果に応じて研修という体制をつくろうというわけです。
 自主的・自立的研修や研修の自由は、完全に否定され、評価結果によって「飴」としての研修を与えたり、「むち」としての研修を強制したりするということです。
 また、「主任研修」を管理職任用研修の前段に位置付けているのは、「主任」を中間管理職として位置付けていることを示しています。
 こうした内容を持つ「能力開発プログラム」は、人事考課の評価結果に基づく強制研修体制確立プログラムにほかなりません。人事考課制度は、こうしたこともねらうものとしてあります。

理不尽な
 人事考課制度に抵抗を 組合員投稿 4
このところ、日の丸・君が代の法制化、盗聴法、住民背番号制など、あまりにも民主主義を踏みにじる制度が、強引に押しつけられてきた。そして、また、教育現場に人事考課制度を導入するという。理不尽極まりない。どう考えても、教育現場にそぐわない。
管理職の心配をすることもないが、評価するほうも、もし良心というものがあるならば、客観的、公平に評価することなど不可能だろうから、悩むことだろう。だが、結局はいつも管理職と意見が異なり、民主主義の破壊に対して抗議や意見を述べる者が最低 ランクに評価されることになるだろう。
今年届いた同職の友達からの年賀状は、「働きにくくなった。」「転職志向が強まった。」「退職を考えてしまう。」などと書かれたものが多かった。「二十四のひとみ」の大石先生を思い出した。しかし術中にはまってはならない。抵抗し、切り開いていかなければならない。上から強制力を働かせる制度は、教師と子どもの関係を破壊していくものでしかない。
不登校、学級崩壊などと問題にされている子どもの姿は、リストラと言う名のもとに大量首切りが平気で推し進められるような社会的な状況が根底にあったり、社会的規制や親の子どもへのかかわり方などにあるのだ。人事考課制度などという小手先の制度改悪ではますます子どもたちを窮地に追いやることになる。
本当に子どもたちに、のびのびと主体的な学習を保障するためには、教師自身の権利と自主性が保障されなければならない。そして何よりも三十人学級を実現することが教育現場に山積みにされた課題を解決することにつながるはずだ。


週刊墨教組速報版 1999.12.17

都教委、「人事考課規則」決定を強行
 成績主義は、人間の内面を必ず退廃させる
 自己申告・業績評価制度導入にあくまでも反対する

 東京都教育委員会は、十二月十六日に開催した第二一回定例会で、「東京都都立学校教育職員の人事考課に関する規則」「東京都区市町村立学校教育職員の人事考課に関する規則」の決定を強行しました。 私たちは、人事考課制度の導入に絶対反対の意思を表明し、「規則」の制定を行わないよう強く求めてきました。この反対の声は、組合員のみならず、非組合員、校長・教頭を含め、広く、深くあり、ますます大きくなってきていました。そうした中で、それらを全く無視し、敢えて「規則」制定を強行した都教委に満身の怒りを込めて、抗議します。

あまりに拙速、あまりに無責任
 強行決定された「人事考課規則」は、二〇〇〇年四月一日施行となっています。来年度から「自己申告・業績評価」という「人事考課制」を実施するということです。 
 都教委は、昨年七月教育長の私的研究会「教員の人事考課に関する研究会」を発足させてこの問題の検討を始めました。この研究会は、わずか九カ月で、人事考課制度を導入すれば、現在学校が抱えている問題すべてが解決するかの論、「人事考課万能論」とも言うべき論理を振りかざして、教育現場に「自己申告・業績評価」制度を導入すべきとの「報告」(九九年三月)を出しました。 
 この報告を受けて都教委は、今年七月部内に「教員等人事考課導入に関する検討委員会」を設け、「自己申告・業績評価」制度導入に向けて具体的な検討を始めました。「検討委員会」は、三カ月後の十月に「中間まとめ」を発表、十一月に組合、校長会、PTA等からの意見聴取を行いました。しかし、意見は聞いたものの、「中間まとめ」にほとんど変更を加えることなく、十二月十二日には「最終報告」を行いました。
 そして、直ちに「自己申告・業績評価制度導入規則案」を作成し、十六日の教育委員会で「規則」制定へと走ったわけです。この間、わずかに一年九カ月。

制度の根幹部分は先送りしての見切り発車
 しかも、「検討委員会」の「最終報告」は、「評価者訓練、評価結果の本人開示や苦情処理、評価結果を活用した人材育成の具体的方策」については「今後の検討課題」としているにもかかわらずです。これら検討課題とされたものは、いずれも制度の根幹に関わる部分です。これらの課題を明確にせず、実施段階に入るならば、現場でさまざまな混乱が起きることは明らかです(これらの課題を整理しても混乱は起きますが)。そうした意味でも、制度の根幹に関わる部分をはずし、とにかくも制度導入を強行するやり方はけして容認できないものです。 こうして、この間の経過をみると、都教委のあまりの拙速主義に驚かされるとともに、その強引さ、現場実態を無視した無責任さに怒りを禁じ得ません。

考課制度は戦闘組織をより戦闘化するためのもの  
 そもそも、人事考課制度は、個々の職員を競わせ、闘う組織をより戦闘化するための制度だといわれています。日本においては、律令制時代に各官庁の長官が官吏(役人)の業績を評定し、上申する制度として始められています。つまり、天皇を中心とする中央集権国家建設のための官僚組織を、より戦闘集団化する目的で始められたわけです。それが、明治になってから、天皇の官吏の集団である官僚制にも持ち込まれました。戦前の官僚制(軍隊も含め)は、天皇を頂点とした中央集権国家建設、維持の戦闘組織であったのです。そうした組織には、より戦闘化するための制度ー成績評価制度とそれにもとづき給与(昇給・一時金・恩給など)、昇任・昇格・異動などの人事を決定する制度、つまり人事考課制度が、必要不可欠でした。成績を計る尺度はきわめて明確です。天皇中心の国家の建設・維持にどれだけの成績を挙げたかです。 
 戦後、公務員は「天皇の官吏」から「国民全体の奉仕者であり、一部の奉仕者ではない」とその位置づけ、基本理念がかわりました。そうした任務を果たしているかどうかは、国民が判断する。また、「全体の奉仕者である」との自覚のもとに法と自己の良心に基づいて仕事を進めるものとされ、そのために一定の身分保障が行われたのでした。

近年の人事考課制度は金儲け主義に出自
 こうした人事考課制度が、民間企業に導入されたのは利益第一主義、金儲け主義の戦闘集団として企業を再編成するためでした。とくに近年、高度成長が見込まれなくなった中で、大きさがみえてしまったパイを奪い合わざるを得なくなり、また、利益を確保・上昇させるためにはコスト(その最大のものは人件費)をさげねばならず、そうした目的のために人事考課制度を導入・強化したのでした。

労働強化と労働者の孤立・分断化
 しかも、近年は自己申告なる名のもとに、ノルマをあたかも自主的に設定したかの形をとりながら、実は、労働を質と時間の両面で、より強化する方向で考課制度を再編成・導入するという狡猾なやり方がまかりとおっています。
 また、働く者個々を競わせて評価し、処遇する業績評価制度は、働く者を限りなく孤立・分断させ働かせるものとなります。

人間の内心の退廃を必然とする人事考課制度
 こうしたものとして人事考課制度がもてはやされ、進められた結果、何が生じたのか。それは、一言で言えば人間の内面の限りなき退廃ではないでしょうか。今年後半、そのことがさまざまな事件を通じて明らかになってきています。「臨界事故」にせよ、「山陽新幹線トンネル手抜き工事」にせよ、以前の日本では考えられぬ退廃的な人為事故と多くの外国人記者が指摘し、驚きの声をあげています。また、相次ぐ中央官庁官僚や警察の不祥事、目先の利益追求の結果次々に倒産する銀行、つい最近の「幼児殺害事件」にも、同様な退廃を感じざるを得ません。 
利益第一・金儲け主義の徹底のために民間企業が、行政の効率化の名のもとに行政機関が進めた成績主義は、そうした人間的な関係、営み、感覚を退廃させるものとしても機能していると言わざるを得ません。そして、それが現代社会に反映していると。

人事考課制度そのものに反対
 私たちは、そうした観点から、成績主義に基づく人事考課制度そのものに反対せざるを得ません。それが民間企業で行われようが、行政機関で行われようが、学校現場で行われようが・・それは、人間を退廃させずにはおかないからです。
 今、学校はさまざまな問題(それらの多くは社会の退廃そのものの結果であるにせよ)を、かかえていることは事実です。その問題を解決するためと称し人事考課制度を導入することは、教育現場の人間的退廃というさらなる問題を引き起こすことにしかつながりません。

 私たちは、都教委の強行姿勢に強く抗議し、「人事考課規則」を撤回することを要求します。少なくとも、当面その実施を凍結し、組合と十分協議することを要求します。



資料
東京都教育委員会規則第百十号
  東京都区市町村立学校教育職員の人事考課に関する規則

(目的)
第一条 この規則は、地方教育行政の組織及び運営に関する法律(昭和三十一年法律第百六十二号。以下「法」という。)第四十六条の規定に基づき、区市町村教育委員会(法第二条に規定する組合におかれる教育委員会を含む。以下同じ。以下教育委員会という。)が都費負担の教育職員(学校職員の勤務時間、休日、休暇等に関する条例(平成七年東京都条例第四十五号)第二条第一項第二号に規定する学校職員のうち、教諭、養護教諭、助教諭、養護助教諭、講師(常時勤務の者に限る。)及び寮母をいう。以下「職員」という。)について、能力と業績に応じた適正な人事考課を行うことにより、職員の資質能力の向上及び学校組織の活性化を図ることを目的とする。

(人事考課)
第二条 人事考課は、自己申告及び業績評価とする。
2 自己申告は、職員が校長の定める学校経営方針を踏まえて自ら職務上の目標を設定し、その目標についての達成状況について自己評価するものとする。
3 業績評価は、職員の職務遂行上の能力及び情意並びに職務の実績(以下「業績」という。)をこの規則に定めるところにより公正かつ確実に評価し、公式に記録するものとする。

(対象となる職員の範囲)
第三条 人事考課は、すべての職員について実施する。ただし、東京都教育委員会教育長(以下「都教育長」という。)の指定するものを除く。

(自己申告等)
第四条 自己申告は、毎年度、四月一日、十月一日、三月三十一日を基準日として、自己申告書に基づき、これを実施する。
2 校長又は教頭(職員の所属する学校の校長又は教頭(副校長を含む。)をいう。以下同じ。)は、職員に対して、自己申告書を提出させるものとする。
3 校長又は教頭は、職員に対して、自己申告について適切な指導及び助言を行うものとする。
4 区市町村教育委員会教育長(以下「教育長」という。)及び都教育長は、自己申告書を、職員の能力、適性、異動希望その他の人事情報を的確に把握し、職員の育成、異動その他の人事管理を行うための基礎資料とする。
5 自己申告書は、都教育長が別に定める様式によるものとする。

(業績評価の種類)
第五条 業績評価の種類は、定期評価及び特別評価とする。

(定期評価)
第六条 定期評価は、次に掲げる職員を除く職員について、毎年度一回、三月三十一日を基準日(以下「評価基準日」という。)として実施する。
一 条件付採用期間が六月であって、条件付採用期間中の職員
二 条件付採用期間が一年であって、条件付採用期間中の職員
三 休職、長期の出張又は研修その他の理由により、教育長が公正な評価を実施することが困難であると認める職員

(特別評価)
第七条 特別評価は、次に掲げる職員について、教育長が別に定める日を評価基準日として実施する。
一 前条第一号に掲げる職員で、その採用の日から起算して四月を経過するもの
二 前条第二号に掲げる職員で、その採用の日から起算して十月を経過するもの
三 前条第三号に掲げる職員で、教育長が定期評価を実施することが困難であると認めた理由が消滅し、評価を実施する必要があると認めるもの
四 前三号に掲げる職員のほか、教育長が必要あると認める職員

(業績評価の対象期間)
第八条 定期評価の対象となる期間は、前回の定期評価の評価基準日の翌日から、当該定期評価の評価基準日までとする。ただし、当該定期評価の評価基準日前一年以内において、正式に採用された職員及び昇任又は転任を命ぜられた職員についてはその採用、昇任又は転任の日から、前回の定期評価の実施時期が変更された職員についてはその実施の日から、当該定期評価の評価基準日までとする。
2 特別評価の対象となる期間は、次の各号に掲げる職員の区分に応じて、当該各号に定める期間とする。
一 前条第一号及び第二号に掲げる職員
  その採用の日から当該特別評価の評価基準日まで
二 前条第三号及び第四号に掲げる職員
  教育長が別に定める期間

(業績評価の方法)
第九条 業績評価は、絶対評価及び相対評価により行うものとする。

(絶対評価)
第十条 絶対評価は、職員の業績を評価し、職員の指導育成に活用するために行うものとする。
2 絶対評価を実施する者は、第一次評価者及び第二次評価者とし、それぞれ次の表に定める者とする。
第一次評価者 第二次評価者
  教頭   校長

(相対評価)
第十一条 相対評価は、職員の業績を当該職員の給与、昇任その他の人事管理に適切に反映させるために行うものとする。
2 相対評価を実施する者は、教育長とする。
3 相対評価の評価単位及び配分率(各評価段階の対象職員数の全職員数に対する割合をいう。以下同じ。)は、都教育長が別に定める。

(評価者等の責務)
第十二条 業績評価の評価者は、自己申告書を参考にして、職員の業績を公正に評価し、教育職員業績評価書(以下「評価書」という。)に記録するものとする。
2 第一次評価者は、絶対評価を行い、評価後直ちに評価書を第二次評価者に提出するものとする。この場合において、第二次評価者に評価結果について説明するとともに、第二次評価者と意見を交換するものとする。
3 第二次評価者は、第一次評価者の評価結果、説明等を参考にして絶対評価を行い、評価後直ちに評価書及び当該評価結果に都教育長が別に示す分布率を適用した資料を作成し、教育長に提出するものとする。この場合において、教育長に評価結果等について説明するとともに、教育長と意見を交換するものとする。
4 第一次評価者又は第二次評価者は、業績評価を行うに当たって、区市町村教育委員会規則等で定める主任から参考意見を求めることができる。
5 教育長は、第一次評価者及び第二次評価者の評価結果、説明等を参考に、第十一条第三項の規定による配分率に従い、相対評価を行うものとする。
6 教育長は、前項の評価を行ったときは、その結果を都教育長に報告するものとする。
7 都教育長は、業績評価に過誤又は不均衡があると認められる場合は、教育長に対し指導助言を行うものとする。
8 第一項の規定による評価書及び第三項の規定による分布率を適用した資料は、都教育長が別に定める様式によるものとする。

(評価書の効力)
第十三条 評価書は、当該評価書に係る職員に対して、新たに評価書が作成されるまでの間の当該職員の業績を示すものとみなす。

(秘密の保持)
第十四条 人事考課に携わる職員は、関係法令を遵守して、秘密を保持しなければならない。

(書類の保管等)
第十五条 自己申告書及び評価書は、教育長が保管する。
2 都教育長は、教育長が保管する評価書その他の人事情報について、必要があると認める場合は、その提出を求めることができる。
3 教育長は、職員が評価書の公開を申し出た場合は、当該職員に係る記録のうち、都教育長が人事管理上支障がないと認めた部分について本人に対して公開することができる。

(委任)
第十六条 この規則に定めるもののほか、人事考課の実施について必要な事項は、都教育長が定める。

付 則
(施行期日)
1 この規則は、平成十二年四月一日から施行する。ただし、第十五条第三項の規定は、東京都教育委員会規則で定める日から施行する。
(東京都市町村立学校教育職員の勤務成績の評定に関する規則の廃止)
2 東京都市町村立学校教育職員の勤務成績の評定に関する規則(昭和三十三年東京都教育委員会規則十号。以下「旧規則」という。)は、廃止する。

(経過措置)
3 旧規則第五条第一号の規定にかかわらず、平成十一年九月一日を始期とする定期評定は、その終期を平成十二年三月三十一日とする。
4 前項に規定する期間の定期評定の実施については、旧規則第四条第二項の規定にかかわらず、平成十二年三月三十一日とし、なお従前の例による。
5 平成十二年三月三十一日現在条件付採用期間の職員にあっては、第七条の規定にかかわらず、なお従前の例による。


週刊墨教組速報版 1999.12.14

区教委に

人事考課制度導入反対の意見具申を要求
  十二月十四日、両教組共同で申し入れ
 「組合とよく話し合ってほしいと思っている」
 「『何でそう急ぐの』との印象を持っている」ー区教委の回答から

 十二月十四日(火)都教委は、十六日(木)に開催する教育委員会の議題を公表しました。この中には「東京都立学校の教育職員の人事考課に関する規則の制定」「東京都市町村立学校の教職員の人事考課に関する規則の制定」の二議題が含まれています。
 都教委は、あくまでも人事考課制度導入を強行する姿勢を崩さず、突っ走るつもりのようです。何たる強硬、拙速、剛腕路線!
 こうした状況の中で墨田教組と都教組墨田支部は共同で、十二月十四日(火)午後五時十分から墨田区教育委員会教育長に対し、「申し入れ」を行いました。その内容は、別掲の「申し入れ書」にある通りです。
 この「申し入れ」は、都教委の強硬路線が明らかになった今、学校現場に最も近い教育行政当局である区教委に、人事考課制度に関し私たちが感じている問題点、疑点、不満、危惧を伝え、さらに、@導入しないようA組合とよく協議するよう都教委に申し入れることを要求するためにおこなったものです。
 申し入れは、両教組三役が参加、区教委側は近藤教育長、海法学校教育部長、松竹庶務課長、牛島指導室長が対応しました。
 組合の申し入れに対し、教育長は、次のように答えました。

・人事考課制度は、どんな職場・職種でも必要なものであり、制度そのものは否定していない。
・ただ、どう適切な評価ができるか、むずかしさがあることは承知している。
・今回の人事考課制度は、能力開発型のものとすると言っており、それはそれで結構だと思うが、果たしてそのように制度運営ができるか。
・都教委の進め方について、「何でそう急ぐの」という印象は、もっている。
・都教委が決定しようとしている人事考課制度の全容が明らかでないので、何ともいえないが、明日十五日に予定されている教育長会で説明があるだろう。
・人事考課制度の導入反対とは、言えないが、組合とよく話し合ってほしいとの要望は都教委に出したい。
・この制度を給与決定などに活用とするならば、勤務条件に関わることであり、組合との協議事項となるであろう。

 これに対し、組合側は、次のように主張しました。

・人事考課制度そのものを否定できないとしても、今回強行しようとしている制度そのものが良いかどうかの判断はできるはずであり、全容をつかんだ段階で十分検討してほしい。
・能力開発型と言っているが、表向きはそうであっても、本当のねらいがそこにあるとは言えない。
・この制度が強行導入された時、職場がどうなるか、現場の教職員は深く、大きな危惧・不安を持っている。校長・教頭も立場上はっきり声を上げてはいないものの、本音としては、反対、不安を持ち、「いやだなあ」という気持ちを隠してはいない。
・そうしたものを何らの合意形成の努力を払わずに、拙速に進めるのは間違いである。
・給与などに活用となれば、明確に労使協議事項であり、交渉を求めていく。
・今後も、現場の声をもってくるので誠実に対応し、都教委に声を上げてほしい。

 私たちは、あくまでも人事考課制度導入に反対し、闘い続けます。
 当面、各職場では、両教組分会を中心に、校長に対する「申し入れ」行動に緊急にとりくんでください。

   申し入れ書
 「教員等人事考課制度導入に関する検討委員会」は、十二月二日、『教育職員の人事考課制度について』という最終報告を行いました。
 その内容は、勤務時間外の職務を業績評価の対象とするなど不見識の謗りを免れることができないものが散見します。
 自己申告に当たっての面接は、校長・教頭の管理職二人と教員一人で行われることから、暗黙のうちに力関係がはたらく危惧もあります。
 「業績評価の結果を、給与や昇任等に適切に反映させるために活用する」にいたっては、競いあいが激化すれば、職場の仲間を信じ大切にする、まっとうな心も失われかねません。
 いずれの内容も、私たちの職場が悪化の一途をたどることは明らかです。
 そして、『最終報告』は、「評価者訓練」「評価結果の本人開示や苦情処理」「評価結果を活用した人材育成の具体的方策」など最重要な問題を、すべて「今後の課題」として先送りしました。制度の根幹にかかわる部分をはずして、制度導入を決定しようとするやり方は、断じて容認することはできません。
 また、検討委員会発足から『最終報告』提出までの、凄まじくも目茶苦茶な拙速は、地道な合意形成をはかるものとは決して思えません。
 たしかに、第六回検討委員会(十一月一日)において、『中間報告』に対する教員組合からの意見聴取は行われましたが、意見を『最終報告』に反映させるという姿勢は、ついにありませんでした。意見聴取したという形式だけが必要だったのです。
 さて、都教委は、十二月十六日にひらかれる教育委員会において、現行の勤務評定制度を廃止して、前述したようなきわめて問題の多い新たな人事考課制度導入を決定しようとしています。
 墨田区教育委員会が、墨田区の教育をすすめるにあたって、私たちとのあいだに築いてこられた節義と信頼関係に、深く感謝するものです。
 墨田区教育委員会が、都教委に対して、人事考課制度を導入しないよう、この問題について組合とよく協議するよう、申し入れることを要請します。
一九九九年一二月一四日
墨田区教職員組合   委員長 小山拓二
東京都教職員組合墨田支部 支部長 伊原 操
墨田区教育委員会
 委員長  大塚泰紀様
教育長 近藤舜二様


週刊墨教組速報版 1999.12.10

人事考課制度導入に断固反対する!
 校長・教頭・教委の価値に同化し、
 仲間同士の競争に自己をなげうつことはできない
都教委、十六日に人事考課制度導入強行の姿勢

 十二月二日、「教員等人事考課制度導入に関する検討委員会(以下検討委員会)」は「教育職員の人事考課制度について」と題する自己申告・業績評価制度を中心とした「制度としての最終のまとめ」を発表しました。
 その内容は、「能力と業績に応じた人事管理制度を導入し、教員の人材育成を図る」ことを目的として、現行の勤務評定制度に変わる「自己申告・業績評価制度」を導入し、管理職任用・人事異動・給与等、教員の人事管理一般に反映させようとするものです。

教員個々を競い合わせる「業績評価」
 「業績評価」は、最終的にS、A、B、C、Dの五段階相対評価され、その結果を給与や昇任、異動に反映させるものとされています。つまり、競争原理を基本とした成績主義を学校現場に導入し、それを通じて管理強化しようとするものです。
 成績主義に基づく人事管理とは、「評価制度」により成績(能力・業績)を評価し、それにより人事管理(給与・昇給・昇格・異動・研修)を進めるものです。つまり、職員個々を競い合わせる管理方式です。それが、教育現場に持ち込まれる時、協力・共働を破壊するものとして作用することは明らかです。

校長の意にそわざるを得ない「自己申告制度」
 「自己申告制度」は、本人の自発性に基づく目標を設定するように見せながら、その実は面接における上司のチェックが入り、管理職の意に添わない教員が排除されたり、労働が強化されることになるでしょう。
 教員は皆ちがった個性をもって、生き生きと自由闊達に子どもたちと共に授業等にとりくんでいるのです。その教育の根幹を「人事考課制度」はぶちこわしてしまうことでしょう。

都教委は「制度化」をなぜ急ぐのか
 「教員の人事考課制度」は、教育への不当な支配や介入を招き、戦前の国民学校令にある『訓導(教諭)は校長の命を受け児童の教育を掌る』という体制を作ろうともするものです。
 戦後、憲法・教育基本法の法体系のもとで「校長の命を受け」が削除され、「教諭は児童(生徒)の教育をつかさどる」となっているにもかかわらず、再びそのような体制を作ろうとするものです。
 「教育委員会・校長のリーダーシップの確立」がそのねらいであり、教員を従わせるための格好のアメとムチになることでしょう。

全国の教員が注視
 日教組の組合員を始め、全国の多くの教職員が、東京の動向を注目しています。東京の次は、全国へと広がっていくにちがいないからです。

校長・教頭もホンネは反対、苦しんでいる
 校長や教頭の中にも、表面立って反対の声をあげることはできないけれども、内心は苦しみ、困っている人がかなりいます。
 「東京都教育委員会」は十二月十六日にも規則改正を行い、この「人事考課制度導入」を強行しようとしています。
私たちは、「自己申告・業績評価」制度の都教委による強行導入に断固反対します。
 都教委に、「十六日の教育委員会で導入のための規則制定を止めよ」、『この問題について多くの教員の意見をきちんとくみ取ること」、「組合とよく話し合うこと」の三点を強く要求します。

 忙しい時期ですが、これからの教育の方向を決める大事な集会です。ぜひ参加しましょう。

人事考課制度導入阻止
東京教組 決起集会
日時 12月15日(水)
場所 社会文化会館(3F第一会議室)


勤務時間外も加点評価の対象
 「人事考課検討委」中間報告批判T

中間のまとめ
 「教員等人事考課制度導入に関する検討委員会」は、10月14日、『教員等人事考課制度に関する中間のまとめ』(以下『中間報告』を行いました。
 『中間報告』は「はじめに」「T自己申告・業績評価の対象となる職務分類・範囲について」「U自己申告について」「V業績評価について」「W今後の課題」「資料」という構成で、26ページのものです。(「概要」を本号に掲載)
 とくに、TからVの章立てで明らかなように、<自己申告制度><業績評価制度>導入への、都教委の尊大で愚劣な意図表示が色濃く打ち出された報告となっています。
 以下、その問題点を、『中間報告』の文言を引用しつつ、批判検討していきます。

特別活動・その他
 ┌──────────┐
 │学習指導│
 ├──────────┤
 │生活指導・進路指導│
 ├──────────┤
 │学校運営│
 ├──────────┤
 │特別活動・その他│
 └──────────┘
 『中間報告』で示された、業績評価の対象となる職務分類を整理した表です。
 「特別活動・その他」という分類は、なぜ、設けられたのか。
 「T」の「T職務分類について」の「(2)部活動指導の職務分類上の取扱い」に、つぎの文言があります。
 
 「部活動は、教育課程には位置づけられていないが、現実には個々の教員の献身的努力により活発に行われており、教員の職務として積極的に評価することが必要である。」
 「部活動指導は『特別活動・その他』という分類を設け、その中で評価するようにする。」

勤務時間外も加点評価
 さらに、「部活動」を盾にして、前代未聞/空前絶後の詭弁に等しい妄言を弄します。「2評価対象となる職務範囲について」に、つぎの文言があります。
 
 「一般的な人事考課の考え方としては、その職務範囲が広範かつ多様であっても、基本的には勤務時間の内外を問わず、担当職務として行われる職務全般がその評価対象となり得る。これに加えて教員の場合、部活動指導や補習指導、家庭訪問、地域の見回り等は、勤務時間外において、教員の自発性から校長の承認の下に行われている場合もあり、そのような実態を踏まえて評価対象となる職務範囲を定めることとする。」
 「勤務時間外において、教員の自発性に基づき校長の承認の下に行われた補習指導・部活動指導・家庭訪問・地域の見回りなどの職務については、特に顕著な実績が挙がった場合には、その努力を積極的に評価するために加点評価(原則として減点の対象としない。)する。」

 教員の職務が、恒常的に勤務時間外にずれこむようであれば、都教委は、その要因を深く洞察し、徐々にではあっても、条件整備などに努め、時間外労働の軽減や見直しをはかるべきです。
 しかるに、勤務時間外労働のありようは不問に付し、むしろ逆に、「献身的に努力」とか「教員の自発性」とかの美辞麗句で称場し、(ああ、なんと、加点評価!)残業ノススメともいうべきいっそうの働き過ぎを固定化しようとする『中間報告』の認識は、全く時代錯誤も甚だしい。
 能力主義管理の強化は、働く者のゆとりや心身の健康を、一顧だにしないものといわざるをえません。
 そして、何よりも、勤務時間外の職務を、給与や昇任に反映する業績評価の対象にするなどという、あくどくたちの悪い居直りは、不見識の謗りを免れることはできません。
 
自己申告制はバラ色か

 検討委員会のメンバ−でもある都立小学校長会対策部長の北村文夫は、「学校は教員が一致協力するファミリーの要素をもつだけに、上からの一方的な評価にならないよう自己申告制を採用した意味は大きい」と自画自賛しています。(10月15日付朝日新聞)
 はたして、<自己申告制度>は、ほんとうにバラ色なのか。
 もう一度、熊沢誠の指摘に耳を傾けてみて下さい。

 「面接で企業目標を納得させ、それに寄与する個人目標を本人の責任において決定してもらうというべきだろうか。いかにも日本的に、ここでも自発と強制が峻別できないほどないまぜなのである。」
 「競争の勝者たちが主張するその措置に、能力主義管理の強化に不安を感じるノンエリートたちがあえて反対することなど実際上できはしない。こうして職場の合意を得たことになるわけである。より個人的な、たとえば、自己申告の面接などの際にも、同じような実質的な力関係が働くように思われる。」(『能力主義と企業社会』岩波新書)

面接の脅威
 「U」の「2自己申告制度の概要」の「(3)面接について」に、つぎの文言があります。

 「自己申告に当たっては、校長・教頭が面接を行い、申告された目標の方向性や水準、目標の達成度等について個々の教員と話し合い、学校経営方針や児童生徒の実態等の状況を踏まえて、教員個々の職務改善に向けた方策やその結果などについて具体的に指導助言する。」

 「面接に当たっては、以下の点に留意する。
 @教員は、学校の組織目標の達成に向けた自己の取組目標を設定する必要があることから、校長は年度当初に学校経営方針を全教職員に示す。
 A目標設定に当たっては教員の考えを尊重し、モラールの向上につながるように努める。ただし、学校経営方針と整合性がとれたものとするように指導助言する。」

 『中間報告』のいう<自己申告制度>の自己申告とは、「学校経営方針を踏まえて」「学校経営方針と整合性がとれたもの」でなければならないのです。
 自己申告の内容は、校長の意向に大きく規制されざるえません。
 さらに、「校長・教頭」が「教員個々」と面接を行うのですから、二人対一人となります。暗黙のうちに、力関係が働くのは必至です。
 ちなみに、『中間報告』の資料1として付された「教育職員自己申告実施要領」というたった4ページの文章には、<上司>という言葉が、7度も使用されています。
 
校長ノ命ヲ承ケ
 戦前の国民学校令17条は、「訓導は校長ノ命ヲ承け児童の教育を掌る」とありました。現行の学校教育法28条6項は、「教諭は、児童の教育をつかさどる」です。
 憲法・教育基本法の法体系のもとで、国民学校令にあった「校長ノ命ヲ承け」が削除された意味を、いま一度、熟慮・省察しなければなりません。
 「日の丸」「君が代」法制化も、決して無縁ではなく、深く通底しているのです。
 <自己申告制度>は、学校教育法28条6項を国民学校令17条に回帰させるものです。下位法が上位法の内実を食い潰す、まさに、「法の下克上」です。


「指導・助言」のまやかしをあばく
「人事考課検討委」中間報告批判U

<自己申告制度>の問題点
 「教員等人事考課制度導入に関する検討委員会」が行った『教員等人事考課制度に関する中間のまとめ』(以下『中間報告』)は、<自己申告制度><業績評価制度>導入への、都教委のなりふりかまわぬ意志表示を強く打ち出したものとなっていました。
 新聞報道の論調も含めて、<業績評価制度>の問題点ばかりが指摘され、<自己申告制度>の問題点が軽んじられる傾向は否めません。
 前回、面接の脅威について指摘しましたが、引き続き<自己申告制度>の問題点を、『中間報告』の文言を引用しつつ、批判検討していきます。

巧妙/巧緻な官僚の作文
 「U 自己申告について」の『2 自己申告制度の概要』の「(3)面接について」には、つぎの文言がありました。

 「・自己申告に当たっては、校長・教頭が面接を行い、申告された目標の達成度等について個々の教員と話し合い、学校経営方針や児童生徒の実態等の状況を踏まえて、教員個々の職務改善に向けた方策やその結果などについて具体的に指導助言する。」

 「校長・教頭が面接を行い、」「個々の教員と話し合い」などと表記されると、管理職二人対教員一人で行われるので、暗黙のうちに力関係が働く面接の実態は隠蔽されてしまいます。
 『中間報告』の官僚作文は、なんとも巧妙/狡猾で、なかなか手強い。
 とりわけ、頻繁に使用される「指導助言」という言葉の用例について注視しなければなりません。

「指導・助言」という言葉
 「U」の「2」の「(2)申告書の記入項目」につぎの文言があります。
 「@業績評価の職務分類と共通の項目であること
 自己申告を参考にして指導・助言さらに評価が行われることから、自己申告の項目は原則として業績評価の評価項目(職務分類)と共通する。
 A教員の能力開発に向けた項目の設定であること
 能力開発に向けた適切な指導・助言を行うためには、教員が申告目標を達成するためにどのような手立てを行うつもりかが分かるように、項目の設定を工夫する。
 また、活用してほしい能力・得意分野などを申告する項目も設定する。」

 前に引いた「(3)面接について」の明快な文体に比べて、曖昧/不分明で奇妙にねじれた文体です。詐術を弄して誤魔化そうとする作文者の巧妙/狡猾がうかがえます。
「指導・助言さらに評価が行われることから」とか「適切な指導・助言を行うためには」とかの文言には、主体が指導・助言・評価する側の校長・教頭にあるのだという隠れた威嚇がこもっています。
 私たちが、「児童の教育をつかさどる」のは、指導・助言・評価を甘受するためでは決してありません。本末転倒も甚だしい。
 都教委の本音の魂胆が、はからずも露呈してしまったのです。

「主任」制度と「指導・助言」
 「指導・助言」という言葉が、流通しだしたのは、むろん、「主任」制度化をめぐってのことでした。
 東京都教育委員会が、「主任」制度化を強行したのは、1978年7月17日のことでした。
 都教委は、強行したものの、7月28日に行った地区教委に対する説明会において出した『主任制について(一問一答集)』で、文部大臣見解および補足見解等を踏まえて、つぎの様に弁明せざるをえませんでした。

 「主任の職務は、企画立案、連絡調整及び必要に応じて指導・助言を行うものであり、指揮命令的な職務を含むものではなく、いわゆる中間管理職としての性格を有するものではない。」

 制度化「主任」が職制・中間管理職ではないことを裏付けるために、「指導・助言」という言葉が採用されたのです。
 『中間報告』にいう、管理職である校長・教頭が行う「指導・助言」とは、同じ言葉ではあっても、おのずから意味の位相が全く異なります。

「上司」という言葉
 「U」の「2」の「(4)その他」につぎの文言があります。

 「教員に自己申告の重要性が十分に認識され主体的に申告が行われるよう、自己申告や面接の目的・意義について、自己申告実施要領において明確に示し、教員に周知することとする。」

 その「自己申告実施要領」というたった4ページの文書には、「上司」という言葉が、7度も使用されています。

 「自己申告書の提出に当たっては、毎回所属校の上司の面接を受けてください。」
 「あなたが日頃、職務等に関して思っていることなどを上司と話し合う契機とすることができます。」「このため、上司との面接は、率直で真剣な態度で臨んでください。」
 「なお、目標の設定に当たっては、職務の改善や学校運営の改善などに結びつけていけるように、所属校の上司と相談の上、決定してください。」
 「年度当初にあらかじめ上司に話しておきたいことを自由に記入してください。」
 「当初申告以降に、新たな課題の発生等により、当初申告における目標を変更し、またはこれに追加すべき目標が生じた場合には、上司と相談の上、『追加・変更』欄に記入してください。」
 「今まで仕事に取り組んでみて、上司に話しておきたいことを自由に記入してください。」

 官僚の作文術は、ここでも、巧妙/狡猾で、面接の脅威の実相とは遥かに隔たって、「上司」は穏やかで和やかな存在としてえがかれています。
 なぜ、いま、「上司」という言葉が頻出するのか。

文部省の「上司」の位置づけ
 文部省は、学校教育法28条3項にある「校長は校務をつかさどり、所属職員を監視する」という規定に依拠して、校長を「上司」と位置づけ、公務員一般に課せられる上司の職務命令への服従義務を、教員にも適用させようとしてきました。
 一方、「管理規則」が改悪され、「事案決定規程」「文書管理規程」が決定されました。
 いずれも、「上司」(管理職)の権限強化にほかなりません。
 さいごに残った厄介で邪魔なものが、教員の身体と内心という代物です。

刷り込まれる「指導・助言」
 「上司」は、<自己申告制度>と「面接」を通して、くりかえし、「指導・助言」を受け容れる従順さを、教員の身体と内心に刷りこんでいきます。
 刷りこまれることに慣れてしまった教員の身体と内心は、徐々に変容していくことでしょう。
 やがては、「上司」の命令に信従するだけの身体と内心になっているかもしれないのです。
 そうなったら、ただの骸にすぎません。
 猫撫で声の「指導・助言」も、不意に職務命令として、牙をむくことすらあります。従わなければ、処分すら強行して恥じない。
 ゆめゆめ、<自己申告制度>における「指導・助言」を甘くみることなかれ。


イエスマンたちの拙速
「人事考課検討委」中間報告批判V

見せかけの意見聴取
 東京都教育庁は、二日、『教員等人事考課制度に関する最終のまとめ』を、中島元彦教育長に提出しました。
 なんとも傲慢で居丈高な『中間報告』の内容が、そっくりそのまま踏襲されたものとなっています。
 たしかに、第六回検討委員会(十一月一日)において、『中間報告』に対するPTAや教員組合からの意見聴取は行われましたが、意見を『最終報告』に反映させるという謙虚な姿勢はもとよりさらさらありませんでした。
 意見聴取したという見せかけの形式だけが必要だったのです。

木で鼻を括ったような見解
 第七回検討委員会(十一月十一日)は、「聴取意見に対する見解」が議題となりました。
 「職員団体からの意見(趣旨)」に対する「検討委員会の考え方」は、いやはや、ここまで言うかと呆れるくらいに、木で鼻を括ったような見解に終始しています。
例えば、<自己申告について>の、

 「1 自己申告は、校長の学校経営方針を踏まえて行うものであり、自主的な制度とはいえないのではないか。」
 「2 自己申告制度は、本人の自発性に基づいて目標を設定するようにみせながら、その実は面接における上司のチェックが入り、管理職の意に沿わない教員がはいじょされたり、労働が強化されることにならないのか。」

という「職員団体からの意見(要旨)」に対する「検討委員会の考え方」は、つぎのようなものです。

 「1 学校経営方針は、教育課程に示された教育目標の達成を目指して、校長としての考え方や具体的な方針を示したものである。したがって、これを踏まえて自己の取組目標を申告することは、学校組織の一員として 当然である。」
 「2 自己申告に当たっては、校長・教頭が面接を行い、申告された目標の方向性や水準、目標の達成度等について個々の教員と話し合い、学校経営方針や児童生徒の実態等の状況を踏まえて、教員個々の職務改善に向けた方策やその結果などについて具体的に指導助言することとしている。管理職の意に沿わない教員の排除や労働強化とは無縁である。」

 意見の真意/深意をわざと汲み取ろうともしないで、一方的に拒絶し、根拠など全くない校長の無謬性にべったり倚りかかった傲慢で居丈高な断言。
 「当然である」とか「無縁である」とかの威圧的な言辞を弄する悪文を書いて恥じない者の心根は、かぎりなく卑しい。はじめから、検討委員会には、真摯に意見を聴くなどという姿勢は欠如していたのです。

白々しい言い草
 「3 自己申告・業績評価の対象となる職務として勤務時間外の職務まで取り上げられていることから、勤務時間が形骸化し、教員の労働実態を悪化させる恐れがあるのではないか。」
 「4 自己申告欄に健康状況を設定しているが、これは、職場以外にもプライベートな部分にわたって、教員を管理しようとする意図があるのではないか。」

という「職員団体からの意見(要旨)」に対する「検討委員会の考え方」は、つぎのようになっています。

 「3 勤務時間外の扱いについては、いわゆる『超勤4項目』は加減点評価を行い、その他、教員の自発性に基づき校長の承認の下で実施した職務については特に顕著な実績を挙げた場合、その努力を正当に評価するという意味から加点評価を行うこととしている。実施しないからといって減点評価はせず 、労働を必要以上に強いるものではない。」
 「4 職務内容の決定や異動等に当たっては、管理者として、当然職員の健康状況を配慮する必要があることから設定したものである。」

 「3」は明白な詭弁/奇弁。「減点はせず」とも「加点評価を行」えば、おのずから評価に差が生じます。
 「4」は、いったい、なんのこっちゃ。「健康状況」欄に「病弱である」という項目まで設定しておいて、なんと空しく白々しい言い草であることか。

イエスマンの寄せ集め
 世紀末の大愚行ともいえる「教員等人事考課導入」に邁進する検討委員会・幹事会の構成を、もう一度おさらいしてみましょう。
 検討委員会の構成は、中野英則都教委次長を委員長に、都教委の部長級八人、区市町村教委教育長代表四人、小中高校長代表四人の十七人。
 その下で実際的な検討・立案作業に当たった幹事会の構成は、都教委の課長級十五人、区市町村教委指導室長代表四人、教頭代表四人の二三人。
 いわば、エリート(と自惚れた)ばかりのイエスマンの寄せ集め。仲間のうちで、なまぬるい湯につかったような連中にちがいありません。
 そうでなかったら、検討委員会発足から『最終報告』提出までの、凄まじくも目茶苦茶な拙速は、理解できません。

イエスマンたちの拙速
 検討委員会の会議要旨には、つぎのような言葉が散見します。

 第二回検討委員会(八月二六日)
   「事務局案について、」「概ね了承された。」
 第三回検討委員会(九月六日)
   「今回基本的に了承された」「事務局案を踏まえ、」
 第四回検討委員会(九月二九日)
   「事務局案で概ね了承されたが、」
 第七回検討委員会(十一月十一日)
   「事務局案で概ね了承」
   「事務局案で了承」
   「概ね事務局案で了承いただいた。」

 自作自演のシナリオ。イエスマンこぞっての拙速。
 どの会議要旨を読んでも、まっとうな議論が行われた形跡がありません。
 イエスマンたちの拙速が、東京の教育をとりかえしのつかないものにしようとしています。けっして放置できる問題ではありません。

地道な合意形成を
 「1 今回の検討は、一方的に進められており、開かれた議論が行われていないのではないか。
  1' 現場の校長も、人事考課制度について十分納得していないのではないか。また、教員自身の声も十分に反映させたものとなっているのか。」

 という「職員団体からの意見(要旨)」に対して、「検討委員会の考え方」はぬけぬけと臆面もなく、つぎのように述べています。

 「1 検討委員会の今までの検討状況については、会議要旨や資料を逐次公表したり、また校長会などを通じて、人事考課制度の目的・意義などの周知を図ってきたところである。これからも、きめ細かく教員への周知を行って理解を深めてもらう予定である。」

 拙速をあせるエリート(と自惚れた)ばかりのイエスマンたちは、現場がどうなっているのか、知ったこっちゃない。洞察しようとする意気ごみもありません。
 十月十四日にまとめられた『中間報告』の全文が、墨田区の校長に示されたのは、驚くなかれ、十一月五日の校長会においてでした。
 検討委員会が、いくら強弁しようと、現場には、右の文章のような実態は存在しないのです。
 自分に都合の悪い「1'」については、無視/黙殺して、応えようとはしません。
 いたずらに権限ばかりふりまわさず、地道な合意形成をはからなければならないのは、検討委員会自身にほかなりません。


給与や昇任に反映する業績評価
「人事考課検討委」最終報告批判W

ビックコミックオリジナル

 ビックコミックオリジナルには、一丸の「1年1組甲斐せんせい」が連載されております。12月20日号の第14話は、「先生の通知表」と題して、速くも教員の人事考課が扱われています。
 そのコミックのリード文は、「不景気風のただ中、嫌な話が聞こえてくるのは、企業だけではありません。学校にも人事考課の導入が・・・」となっています。
 12月2日、教員等人事考課制度導入に関する検討委員会は、「教育職員の人事考課制度について」という最終報告を行いました。
 世紀末の大愚行ともいえるこの「人事考課制度導入」は、12月16日に開かれる東京都教育委員会で決定されようとしています。
 私たちは、くりかえし反対の意志を表明してきました。「人事考課制度導入」になれば、私たちの職場が悪化の一途をたどることは明白だからです。
 とくに、「業績評価」は、その出自を溯れば、利益第一主義、金儲け主義にたどりつきます。人を人ともおもわなくなってゆきます。気が付けば、職場の仲間を信じるまっとうな心すら失させてしまうものなのです。

業績評価の目的
 『最終報告』の「第4章」は「業績評価」について規定しています。
「1 業績評価の目的」に、次の文言があります。

 「〇業績評価を行う主要な目的は第一に、職務遂行を通じて挙げた実績やその過程における努力等について積極的に評価するとともに、いまだ不十分な点やさらに伸ばすべき点についての適切な指導の育成の方策を見出すことにある。」
 「〇第2の目的は、教育職員のモラールの向上や学校組織の活性化を図るため、業績評価の結果を給与や昇任等に適切に反映させることにある。具体的には、職務遂行を通じて挙げた実績及びその過程における努力等を給与等に適切に反映させるとともに、教育職員の資質能力や適性などを把握して、昇任や適材適所の校内配置、異動を行うために活用する。」

 自分以外の職場のなかまが、自分という存在を支えていると謙虚に受けとめる姿勢が全く欠如した、こんな途轍もない妄論が貫徹するとしたら、私たちの職場はたまったものではない。

評価項目、要素と評価基準
 「3 評価項目、要素」に、つぎの文言があります。

 「〇自己申告を参考にして業績評価を行うことから、自己申告と同じ職務分類を評価項目とし、項目ごとに評価を行う。
 〇各評価項目における職務遂行状況について、複数の視点で多角的に評価するため、各評価項目を能力、情意(意欲、態度)及び実績の3つの評価要素に区分する。」

 また、「W 評価基準」の「1 基本的考え方」に、次の文言があります。

 「〇全校種及び全職種共通に5段階評価(上位から順にS,A,B,C,D)とする。A,B,Cそれぞれの評語及びその内容について一般的、基本的な評価基準を示すこととし、SはAを上回る場合、DはCを下回る場合とする。
 〇総論的なものとして、職種ごとに全校種共通の要素別の評価基準を作成する。各評価要素ごとに、着眼点(全校種共通)を列記し、3段階(A,B,C)に具体化した内容を示す。
 〇評価者による着眼点のばらつきを抑えるとともに、より実態に即した評価を行うため、着眼点の具体的事例を校種ごとに列記する。」

 紙片に「評価基準」や「着眼点の例」を羅列さえすれば、評価は充全に行われるという、検討委員会の認識は、余りにも現場から隔絶しています。ああ、なんと、でたらめな脳天気。

絶対評価と相対評価
 「W 絶対評価と相対評価」の「1絶対評価と相対評価の活用」に、次の文言があります。

 「〇絶対評価、職務遂行を通じて挙げた実績やその過程における努力等を積極的に評価するとともに、いまだ不十分な点やさらに伸ばすべき点についての適切な指導の育成の方策を見出すために活用する。
  相対評価は、業績評価の結果を、給与や昇任等に適切に反映させるために活用する。」

 「2 絶対評価・相対評価の評価主体」に、次の文言があります。

 「〇絶対評価は、教育職員の指導育成に活用することを主要な目的として行われることから、直接教育職員の指導育成に携わる教頭及び校長が、それぞれ第一次評価者及び第二次評価者として行うこととする。」
 「〇相対評価は、教育職員の処遇面への活用を主要な目的とすることから、教育委員会教育長がその責任において行うこととする。ただし、教育長が相対評価を行うに当たって参考とするため、校長は第二次評価(絶対評価)結果に教育長が示す配分率(3段階、全校共通)を適用した資料を作成し、教育長に提出することとする。」

 微妙に、だが、周到に、絶対評価より相対評価が重んじられることが打ち出されています。
 ついに、都教委の教員人事管理のねらいが露呈してしまったのです。
 業績評価制度とは、労働者個々の評価であり処遇です。それは、限りなく労働者を孤立/分断するものです。
 業績評価制度のもとでは、業績をあげない無能な人間の賃上げは必要ありません。そればかりか、無能な人間には、減給という冷遇もまた正当化されるのです。
 労働者個人の賃金は、業績評価という査定に規制されるのですから、組合が介入せる余地は少なくならざるをえません。
 自己申告したノルマの達成度をみる業績評価によって、給与や昇任等が決定されるのです。
 いきおい、作業量・ノルマを競い合うことになります。しぜんと長時間労働は固定化し、働き過ぎは、恒常化します。激化する涯なしの競争。
 まことに、業績評価制度とは、強者の論理なのです。

理不尽な居直り
 第7回検討委員会(十一月十一日)において、「聴取意見に対する見解」が議題となったことは、前回ふれました。
「職員団体からの意見(要旨)」に対する「検討委員会の考え方」は、木で鼻を括ったような見解に終始していましたが、業績評価についても同様で、例えば、

 「絶対評価を相対評価に正しく変換することは可能なのか。」
 「相対評価を行うことにより、どんなに頑張っても、枠がある以上不利益を被る人もでてくるのではないか。」
と言う「職員団体からの意見(要旨)」に対する「検討委員会の考え方」は、それぞれつぎのようなものです。

 「絶対評価の結果に基づいて、校長の作成する資料(絶対評価結果に3段階の配分率を適用した資料)を参考にし、また、校長とヒアリングを行ったり、学校訪問などを行い、様々な情報を把握しながら適正に相対評価して行く。」
 「業績評価の結果を給与や昇任等に活用する場合には、その性格上、相対評価が必要である。」

 何も応えないに等しい理不尽な居直り。あるいは、図々しい牽強付会。

主任から参考意見を求める
 「Z 主任や児童生徒、保護者の意見の評価における位置づけ」に、つぎの文言があります。

 「〇各主任は、その担当する分野に関して企画立案及び連絡調整に当たり、必要に応じて指導・助言を行うことから、担当する分野を分掌する他の教育職員の職務遂行状況を身近な立場で把握している。都における行政系等職員の業績評価においても、不明な点があった場合には、評価者が課長であれば係長に職員の状況を聞くといったことは行われており、校長、教頭が評価を行うに当たっても、評価精度をより高めるため、主任から参考意見を求めることができるようにする。」

 このことに関する「職員団体からの意見(要旨)」、
 「主任の活用については、主任の職務行為から逸脱したものであり、参考意見とはいえ、評価に影響を及ぼすことは問題ではないか。」

に対する「検討委員会の考え方」は、つぎのようなものでした。

 「主任から参考意見を求めるとしても、評価そのものは管理職がその権限と責任において行うものであるから、特段問題はない。」

 エラソウニヨクユウヨ。こんなことが罷り通ったら、校長は、やりたい放題ではないか。文部大臣見解及び補足見解等によって、主任が中間管理職でないことは明らかです。

節義と矜持
 「見解」「最終報告」を起草した官僚(おそらく都教委の課長級だろう)は、権威に拝跪するばかりの習性が身についてしまっていて、一方、弱者には猛々しく威嚇する術も心得ているので、文章が変に歪んでいじけていることに、自身まったく気づいていません。
 節義(節操と信義)と矜持のないエリート(と自惚れた)が、ミスリードする世紀末の大愚行「人事考課制度導入」は、なんとしても阻止しなければなりません。


「教員等人事考課制度に関する中間のまとめ」(概要)

第1章自己申告・業績評価の対象となる職務分類・範囲について
 @教員の職務を「学習指導」「生活指導・進路指導」「学校運営」「特別活動・その他」に分類する。自己申告においては、これらの他に「教科に関する研究・研修」を申告項目として加えることとする。
 A勤務時間内の職務は全て加減点評価し、勤務時間外については、校長が超過勤務命令を行った業務について加減点評価する。勤務時間外において、教員の自発性に基づき校長の承認の下に行われた補習指導・部活動指導等の職務は、特に顕著な実績が挙がった場合に加点評価する。
 
第2章自己申告について
 教員がより主体的に職務に取り組むとともに、自己理解を深めることを通じ、その職務遂行能力の開発・向上を目指すことを目的として、自己申告を実施する。自己申告において、教員は学校経営方針を踏まえ自らの職務上の目標を設定し、その目標をどこまで達成できたかを自己評価する。
 @自己申告は、年3回、目標設定(年度当初)、目標の追加・変更(年度途中)、自己評価(年度末)、の順に行う。
 A異動や校務分掌の希望に関する項目を設け、従来の異動希望調書はこれに代える。B自己申告に当たっては、校長・教頭は教員と面接を行い、申告された目標の方向性や水準、達成度などについて指導助言する。

第3章業績評価について
 教員の職務遂行状況を的確に把握し、教員一人ひとりの資質能力向上に向けた指導育成方策を見出すことを目的として、業績評価を実施する。評価の結果は、教員のモラールの向上と学校組織の活性化を図るため、給与や昇任等にも適切に反映させる。
 @評価期間は4月1日から3月31日とする。
 A4つの職務分類を評価項目とし、各々能力・情意・実績の3つの評価要素に区分して評価する。
 B評価は、5段階(上位から順にS,A,B、C,D)で実施する。職種ごとに全校種共通の要素別評価基準を3段階(A,B,C,)で設け、着眼点を示す。さらに、評価者による着眼点のばらつきを押さえるため、着眼点の具体的事例を校種ごとに列記する。(なお「中間のまとめ」では、着眼点、要素別評価基準及び着眼点の具体的事例は、教諭についてのみ示している。)
 C教員の職務については、学習指導、生活指導・進路指導といった一定の順位があると考えられるが、総合評価を行うに当たっては、校長・教頭がそれら職務の重要度を踏まえて、学校の課題や経営方針等を考慮して評価を行う。
 D評価は、絶対評価と相対評価により行う。絶対評価は、教員の指導育成方策を見出すために活用し、相対評価は、評価結果を給与や昇任等に適切に反映させるために活用する。
 絶対評価は教頭・校長がそれぞれ第一次評価、第二次評価を行う。相対評価は教育委員会教育長が行う。ただし、教育長が相対評価を行うに当たって参考とするため、校長は第二次評価(絶対評価)結果に教育長が示す配分率(3段階)を適用した資料を作成し、教育長に提出することとする。
 E校長・教頭は評価に当たって、主任から参考意見を求めることができるようにする。児童生徒・保護者の意見については、直接業績評価に連動させず、教員の授業改善に向けての参考意見として活用する方策について今後検討していく。

第4章今後の検討課題
 @実習助手・寄宿舎指導員など教諭以外の職種についての、自己申告・評価基準等の検討。(12月まで)
 A評価者訓練をはじめ、評価結果の本人開示のあり方、苦情申し立てなどの仕組みなど評価実施上の課題、評価結果の具体的な活用策など。(来年3月まで)


「自己申告制度」の虚妄をあばく
 「教員の人事考課」最終報告批判T

「生活者」的な視覚から
 3月30日に発表された都教育長の私的研究会「教員の人事考課に関する研究会」による最終報告『これからの教員の人事考課と人材育成について』の総括的な批判検討は、すでに行いました。そこでは、都教委の本質的ねらいについて、全体的構図から言及しました。(1237号参照)
 今回は、「自己申告・業う積評価制度」について、「生活者」的な視覚から労使関係論を追求しつづける熊沢誠甲南大学教授の所論を援用しつつ、批判検討を行います。

「能力主義」というコンセプト
 最終報告は、「能力主義」に強くいろどられています。
 「能力主義」を企業がにわかに標榜しだしたのは、バブル経済崩壊後のことでした。ひきつづく経済の低迷で、企業は、ROE(株主資本利益率)なそ財務指標を重んじる経営へと移行せざるをえませんでした。そうしたなかで、とりたて声高に叫ばれはじめたのが、「能力主義」というコンセプトだったのです。
 もっともらしく装っているが、「能力主義」の出自は、そうなのです。
 官僚とは、なんと無節操に「能力主義」を流用することでしょう。

無原則な業績評価の適用
 40年前、苛烈にたたかわれた「勤評闘争」は、労働者連帯を模索しました。その経験から、私たちは、他の様々な労働と区別して、教育労働のみを聖域化/特権化することを厳に慎まなければならないことを学びました。
 しかしながら、熊沢誠は、無原則に業績評価を適用することにたいして、次のような警告・啓発を行っています。
 「社会的にみて、労働者個人に量的な業績の達成を競わせてはならない業種や職種も広汎に存在する。研究や教育、医療や福祉、それに安全という点から運輸などがこれに該当するだろう。これらは、比較的に公共部門の比重の高い分野であるが、公共部門の効率化や民営化とともにあえて個人の業績評価を導入しようとする試みはないか、きびしいチェックが必要である。以上を要するに、過度の個人別業績評価によってサラリーマンのモラール(勤労意欲)が支配され、そこに労働のモラル(論理)が呑み込まれる社会は、」「野蛮なのである。」(『能力主義と企業社会』(岩波新書)いか引用は同書による)

詐術だけの造語
 さて、「自己申告制度」については、「第3章人材育成を目指したこれからの教員評価のあり方」の「1能力開発型評価制度への転換」と「2自己申告制度の活用(3)制度の留意点」に、それぞれつぎのような文言があります。

 「従来から、評価を一方的な査定若しくは順位づけと捉える傾向があるが、これからの教員評価においては、自己申告制度の導入等により双方的な仕組みにすべきであり、評価結果も能力開発を中心に多面的な活用が図られなければならない。」

 「校長・教頭と教員との面接が重要であり、個々の教員が目標を設定し申告する際、学校組織の目標との関わりから、校長・教頭の適切な指導助言が行われ、それを踏まえて教員が目標を設定していくなどの方策が必要である。」

 「双方向的な仕組み」とは、また、なんと見事に白々しい造語なのでしょう。人間のぬくもりや息づかいが感じられない、官僚による詐術だけの造語です。

面接の実態
 熊沢誠は、企業における「目標面接制度」について、つぎのように鋭く活写しています。来るべき教員現場の暗澹たる実態を、切実に想起させるのに充分なものです。なお、後の文章の「精鋭」は「主任」と読み換えられます。
 「面接では部下の設定した目標について修正する必要のあるときは、双方が十分に話し合い、納得のもとに修正すること」、「十分な話し合いの後、最後に本人自身で決めさせる」(日経連広報部1994)。要するに面接で企業目標を納得させ、それに寄与する個人目標を本人の責任において決定してもらうというべきだろうか。いかにも日本的に、ここでも自発と強制が峻別できないほどないまぜなのである。」
 「競争のある組織ではオピニオンリーダーは常に競争の勝者である。管理者を代表とする「精鋭」たち、つまり競争の勝者たちが主張するその措置に、能力主義管理の強化に不安を感じるノンエリートたちがあえて反対することなど実際上できはしない。こうして職場の合意を得たことになるわけである。より個人的な、たとえば、自己申告の面接などの際にも、同じような実質的な力関係が働くよう思われる」。

異動まで餌に
 自己申告による目標をクリアすれば、ハードルは限りなく上昇しつづけます。仕事量は涯なしに増えつづけることになりまず。
 勝者は、札ビラで頬っぺたをはたかれ、自尊心を満足させます。さらに、つぎのようなおまけまでつくのです。
 「2自己申告制度の活用(2)制度の内容」には、つぎのような文言があります。

 「モラールやししつ能力の向上等の観点から、自己申告の内容として異動に関する項目を取り入れるとともに、活用して欲しい能力や得意分野についての申告を通して、人事異動や校内人事等に活用していく必要がある。」

 異動まで餌にする、めちゃくちゃな牽強付会には、ほとほと呆れます。

仲間を信じるまっとうな心
 弱さや病んでいることをよるやかに受け容れることができない殺生与奪の修羅場。
 「能力主義」の出自を溯れば、利益第一主義・金儲け主義にたどりつくのですから、当然の帰結ともいえます。
 私たちは、仲間を信じるまっとうな心をもちたい。
 上下でなく横・対等の関係でいたい。
 管理職より、子どもたちの目線に合わせて仕事をしていきたい。
 あなたも私も自分の人生を十分に生きて、世界の中心にいる。信義と友愛にもとづく民主的な学校運営こそ大切なのです。
 いろいろな人がいて、お互いに相手を認めあうからこそ、人間的な組織になるのです。

 
「業績評価制度」の虚妄をあばく
 「教員の人事考課」最終報告批判U

25人抜き副知事
 5月10日、臨時都議会で、青山やすし副知事の承認をめぐって、ドタバタ劇が演じられました。
 石原慎太郎が打ち出した25人抜き「抜擢人事」による青山やすしに対して、都議会自民党が、反発したのでした。
 明石康を擁立して、石原と戦った都議会自民党は、この人事について、「継続審議」の動議を提出し、否決されるや、「休憩動議」を出しました。そして、都議会自民党幹部が石原に面会し、「今後を幹部職員がやる気を失わないような人事を」と、要請するセレモニーが行われたのでした。
 慢心・思い上がりの都幹部官僚が、我が身にはふりかかるまいと思っていた事態に遭遇して、うろたえたのです。
 期待をはずされた都幹部官僚のやりきれなさは、至極あたりまえの人情といえます。

モラールの低下
 では、率先垂範すべき彼ら都幹部官僚の態度は、最終報告書「第2章教員の人事考課と人材育成に関する基本的な考え方」の「3人材育成を目指した人事考課の方向」にある、つぎの文言と明らかに矛盾しないか。
 
 『現状では給与等の処遇面においては、基本的には経験年数に応じた同一の処遇となっており、年功序列的な傾向が強く、必ずしもモラールの向上につながっていない面がある。」


 「やる気を失なわ」せたり、モラール(勤労意欲)の低下をまねくのが、「抜擢人事」や「抜擢昇級」なのです。
 はからずも、今回のドタバタ劇における都幹部官僚の動顛ぶりが、このことを雄弁に物語りました。

業績標価とは何か
 さて、「業績評価制度」については、「第3章3教員評価の内容(1)教員の職務と評価項目」の「イ評価要素について」に、つぎのような文言があります。


 「@能力評価は、職務遂行を通じて発揮された能力が評価の対象となる。」
 「A情意評価は、職務に取り組むうえでの意欲・態度を評価するものであり、積極性、協調性、責任感などの評価要素が考えられる。」
 「B業積評価は、評定期間内における職務の達成度をその職務の質・量や課題などの面から評価するものであり、いわば当該期間内における仕事の成果である。」
 「業績評価は評価項目のなかで基本となるものであり、能力評価や情意評価は、業績評価で評価される成果を生み出す過程で発揮された能力や意欲・態度を評価するものである。」
 


 考課の重点は、むろん、業績評価にあります。
 「職務の達成度をその職務の質・量や課題などの面から評価する」とは、なんと露骨な卑しい言い草でしょう。
 職場の仲間を大切にし、仲間から支えられているという謙虚さが微塵もありません。

昇格・昇級を決定する業績評価
 さらに、最も関心の深い昇格・昇級については、「第4章人材育成のための教員評価の活用2適正な人事配置等への活用」の「(2)管理職選考への活用」と「(3)給与への活用」に、それぞれつぎのような文言があります。」

 「管理職選考においては、人格、見識、教育に対する理念、専門性、情熱等を含めた管理職としての適性を問うことが最も重要であるが、教員としての能力、業績、態度や意欲についても教員評価により継続的に記録し、選考の要素として位置づけることが必要である。」

 「新たな教員評価制度を整備し、給与面においてもその結果に基づく処置を行う人事管理に移行する必要がある。」
 「給与のうち、定期昇給又は特別昇給については、一定期間良好または特に良好な成績で勤務した場合に措置されるものであり、教員評価の結果を活用することが適切であると考えられる。」
 「賞与については、」「現在都においては、勤務成績に応じて勤勉手当の支給率を定めるという成績率制度を、一般職員にも導入することについて労使協議が行われており、その動向に配慮する必要がある。」

 空恐ろしい言い草です。
 自己申告したノルマの達成度をみる業績評価によって、昇格・昇級が決定されるのです。
 しかも、前述のように、「職務の達成度をその質・量や課題などの面から評価する」のですから、いきおい、作業量・ノルマを競い合うことになります。
 しぜんと長時間労働は固定化し、働きすぎは恒常化します。

強者の論理
 能力主義管理とは、労働者個々の評価であり処遇です。それは、限りなく労働者を孤立させ分断するものです。
 能力主義管理のもとでは、業績をあげない無能な人間の賃上げは必要ありません。そればかりか、無能な人間には、減給という冷遇もまた正当化されるのです。
 労働者個人の賃金は、昇給査定に規定されるのですから、組合が介入する余地は少なくならざるをえません。
 まことに、能力主義管理とは、強者の論理なのです。
 
働き続けてゆける職場
 熊沢誠は、『能力主義と企業社会』(岩波新書)のなかで、「働き続けてゆける職場」に必要の三要素として〈ゆとり〉〈なかま〉〈決定権〉をあげています。
 この三要素についての説明は、次回に行いますが、熊沢が、同書で共感を持って引用している笹山久三『郵便や』の一説を、重ねて引いておきます。

 「仕事の遅いもんだって、覚えが悪いもんだっている。人間だからしょうがねえ。どんなやつでも、働けるようでないと、誰だって定年まで働けない。…職場では、人間の労働ってことをきちんと腹に据えるんだ。…年寄りや病弱者を職場から追い出したりするのは人間のやることじゃないんだ。」

 この地上には、カネよりも大切な、人の熱と感情というものが確かにあります。

「主任権限強化」の虚妄をあばく
 
教員の人事考課」最終報告批判V

加点評価
 教員の人事考課の最重要視点が、業績評価にあることは、前回の批判で指摘しました。しかも、「業績評価」は、「職務の達成度をその職務の質・量や課題などの面から評価する」という、なんとも露骨でいやらしい言い草で規定されていました。
 いったい、都教委が、業績評価の対象にしようとしている「職務の質・量や課題」とは、どんなものなのでしょうか。
 「第3章3教員評価の内容(3)教員評価の基準」の「カ個別的な評価の方法」には、つぎのような文言があります。

 「学校運営に当たっては、校務分掌をはじめとした様々な役割があり、その役割分担についても一定の軽重があると考えられる。例えば主任等の困難な役割を担当した場合には、校務分掌の項目の中で加点評価としてはどうかと考える。」

 都教委は、「主任等」の特定な個人に重く課される「困難な役割」の軽減や見直しには、全くふれません。
 「困難な役割」を洗い出し、全教員が平等に担えばよいはずなのに、決してそうしようとはしません。
 「困難な役割」のありようは不問に付し、むしろ逆に、固定され強化される「困難な役割」を「加点評価」の対象にさえしようとしているのです。
 能力主義管理の強化は、働く者のゆとりや心身の健康を、一顧だにしないものなのです。

3段階を基本とした5段階評価
 「(3)教員の評価の基準」の「ア基本的な考え方」に、つぎのような文言があります。


 
 「教員の能力開発の観点からは、期待される標準的な水準を基礎として評価することにより、全ての評価項目について加減点方式をとることとなる。」

 また「イ絶対評価と相対評価に」には、つぎのような文言があります。

 「昇級や昇任等の処遇に活用する場合には、制度の趣旨から自ずと相対評価によるべきであるが、この場合にも絶対評価に基づく相対評価が行われる必要がある。」
 「絶対評価の場合も、相対評価の場合も、細分化された段階を設けることは避け、3段階を基本とした5段階評価程度とすることが望ましい。」

 教員はすべて、否応なく、理不尽な業績評価に晒されることになります。
 「加減点方式」による「3段階を基本とした5段階評価に」ふりわけられてしまうのです。

非人間的な評価
 何度くりかえしても、くりかえしたりない。これほど非人間的は評価はありません。
 もし、「加点評価」を得ようとするなら、「主任等の困難な役割を担当」し、「職務の質・量や課題」をこなさなければなりません。
 こなせる教員はよいでしょう。
 しかし、例えば、出産・育児、介護、健康に望まれない教員は、「減点評価」しかされないことは、余りにもはっきりしています。
 少し考えてみれば、すぐわかりますが、人間の生涯にあっては、どのようにじたばたしようとも、不幸や不運におそわれることがあるものです。
 「減点評価される境遇に直面するのは、明日は我が身かもしれないのです。
 報告には、そのような洞察が少しもありません。
 自分以外の職場の仲間が、自分という存在を支えていると謙虚に受けとめる姿勢が、全く欠如しています。
 (私事で恐縮ですが、筆者の老親介護から死の看取りまでの数年間、筆者の仕事のかなりな部分を黙って肩代わりしてくれたのは、職場の仲間でした。)

主任に参考意見を求める
 「4教員評価の方法(1)評価者」には、つぎのような文言があります。

 「今後の新たな教員評価においては、評価の客観性を高める意味からも、教頭を第1次評価者、校長を第2評価者とすることが望ましい。」

 「評価の公正性や客観性を高めるためには、さらにより多くの関係者が評価に関わることが望ましい。その意味から、主任について、その担当する分野に関し評価者が参考意見を求めることができる方向で検討が行われることが望ましい。」

 尤もらしく装っているが、ばかばかしくて呆れるほどの暴論です。
 報告は、「業績評価」を、「昇級や昇任等の処遇に活用する」を明記していました。
 教員ひとりひとりを、生殺与奪する権限は、教頭・校長・主任の匙加減ひとつに委ねられることになるのです。
 主任は、ヒラ教員から分離し、校長・教頭の側にとりこまれるのです。

弱さと手を携えて
 職場で生き残るためには、不本意ながら、校長・教頭・主任の価値に同化して、なかま同士の競争へ自己をなげうっていくのでしょうか。
 それとも、自分の価値は、他人との比較によって決まるものではないのだから、お互いに相手の価値を認めあい、弱さと手を携えて、愚かにもまっすぐに職場で生きていくのでしょうか。
 答えは、おのずから明らかです。

「降格、転職」の虚妄をあばく
 「教員の人事考課」最終報告W

大きな歴史の曲がり角
 日の丸、君が代を国旗・国歌と定める法案が、6月11日、国会に提出されました。
 24日には、来年度から使用される小学校と高校の教科書に対する、文部省の検定結果が発表されました。
 当然のことながら、日の丸・君が代については、執筆者・編集者が空虚感におちいるほどに、厳しさをきわめました。
 周辺事態法といい、盗聴法といい、この国は、現代まさに、とりかえしのつかなくなるような大きな歴史の曲がり角を曲がろうとしています。
 
安保さんの反証
 6月2日、墨田教組の平和教育研究集会が行われ、安保英賢広島県教組委員長が、「ある高校校長の死が問もの」という演題で講演されました。
 世羅高校石川校長の自死をめぐって県教委・右翼によってなされた、組合並びに同和教育へのたちの悪い誹謗中傷やデマに対して、安保さんは、ひるむことなく、事実をもって的確に反証しています。
 「ー県教委文書「広島県立高校学校長の自殺について」−についての見解」という文書で、安保さんは県教委のすさまじいするまいを、つぎのように告発しています。

 『さらに明言しておかなければならないのは、この「日の丸・君が代」強制にかかわる職命を発しての強行、とりわけ2月23日以降の各校長への恫喝について一言半句も言及せず、まさに強権的な命令を韜晦していることである。私たちの把握によれば、
 @2月24日、A高校校長に対し「2月24日以降の職員会議の内容を毎日報告しろ」
 A2月26日、B高校校長に対し「君が代を実施しないのなら辞表を持って来い。来こないのなら降格処分となるで」
 B2月26日、C高校校長に対し「指導要領通りにやらないということは、資格がないということ。職を失うことになる」
 C2月26日、E高校校長に対し「あんたが辞めるだけではすまん」
 等々。これらは一例に過ぎない。県教委幹部によるこのような胸が張り裂けそうな恫喝や圧力が多くの校長にかけられてきたのである。』
 
降格
 報告書の「第五章これからの教員の人材育成のあり方」の「4教育委員会の人材育成策」には、つぎのような文言があります。

「管理職としての資質能力が十分に発揮されない者について、その指導育成のための方策を検討するとともに、管理職としての適性を欠く者の降格についても併せて検討していく必要があると考える。」

 広島県教委のすさまじいふるまいと、この文言は、酷似しています。瓜二つです。
 本当に器量の小さい校長がふえました。そういう校長にかぎって、リーダーシップの意味をわきまえず、地道な合意形成をはかろうともしないで、いたずらに権威ばかりをふりまわしたがります。
 じっさい、六月十一日、都教委は、入学式の君が代斉唱の際に、「職務命令」に従わずピアノ伴奏をしなかった、日野市の小学校教員に対し、「戒告」処分を強行しました。
 「戒告」処分は、履歴書に記載され、昇給3ヶ月延伸、勤勉手当減額という処遇を受ける重いものです。
 前述した報告書の文言は、こうした一片の良心もない校長が、悪用することを前提として、作文されたのです。
 
命がけの試練

 教員とて、無縁ではありえません。
 報告書の同じ個所には、つぎのようなとんでもない文言すらあります。

 「校長の具申に基づき『指導力不足教員』として認定する制度をつくり、認定された当該教員を計画的に指導し、指導力の向上につとめている現状がある。」
 「今後は、個々の教員に応じた指導力の育成に向けての制度の抜本的な検討が必要である。特に、教員としての適格性を欠く者については、事務職等への転職などについて、その可能性を含めて検討していくことが必要であると考える。」

日の丸・君が代
 大きな歴史の曲がり角にたちすくみ、安保さんの言われるように、命懸けの試煉にむきあうことになります。

「協働」の虚妄をあばく

 「教員の人事考課」最終報告批判X

人柄・性格など
 教員評価が、「全ての評価項目について加減方式」をとって、「3段階を基本とした5段階評価」で行われることは、批判Vで指摘しました。
 一方、「第3章3教員評価の内容(1)教員の職務と評価項目」の「ア基本的な考え方」には、つぎのような文言があります。

「教員評価は、職務上の評価であることから、職務以外の要素や人柄・性格などの被評価者の内面的な要素は評価対象から排除していく必要がある。」

 「人柄。性格など」は、いっさい無視/黙殺し、「業績」のみを数値化し評価するというのです。
 職場には、およそ他人の足をひっぱるなどということはしないひとがいます。相手を大切にし、自分の領分をわきまえ、目立たぬようにきちんと仕事をするひとがいます。権限にへつらわない、自立して身ぎれいなひとがいます。
 そういうひとたちは、数値化とは全く関係ない位置にあって、しっかりとした輪郭でたたずんでいます。

跋扈する不信感

 欧米でのビジネス経験の長い今北純一ですら、現在の日本企業がとっている業績評価重視の人事考課について、つぎのように警告せざるをえませんでした。
 (『能力主義はこわくない』日本経済新聞社)

 「人間の能力を何でもかんでも数値化して、科学的な人事管理を実行しようとしても、日本では根づかない。」

 「もし仮に、個人の能力を数値を通してのみ査定し、人間的な総合評価をないがしろにし、審判に公正を欠くというような状況が続くようであれば、その会社組織の志気は下がり、不信感ばかりが跋扈することになるだろう。」

「協働」
 ところで、「第2章教員の人事考課と人材育成にかんする基本的な考え方」の「2求められる学校組織の活性化と教員の資質能力の向上」に、つぎのような文言があります。

「特にこれからの教員は、従来にも増して協働的な教育活動を効果的に組み立て、そのなかで一人ひとりが組織の一員としての役割を果たしていくことが必要である、そのためには、まず管理職である校長・教頭が学校の組織目標を提示し、それを受けて個々の教員が自己の目標や取組みの成果を明らかにして、相互が真摯に話し合うことが必要であり、このことは、各種の校内組織においても同様である。」

 また、「第五章これからの教員の人材育成のあり方」の「3校内における人材育成策」にも、つぎのような文言があります。

 「今日の学校教育が抱える様々な教育課題を解決し、特色ある学校づくりに積極的に取り組んでいくためには、校長のリーダーシップのもとに、教員相互が連携して、組織的な協働活動を行うことが重要となってくる。」

「協働」の内実

 「協働」という言葉に、意義をさしはさむ余地はありません。
 しかし、「協働」の内実が、「校長・教頭が学校の組織目標を提示し、それを受けて」とか「校長のリーダーシップのもとに」行われるのだとしたら、教員との双方公的な仕組み(批判T参照)とは、いったい何なのか。
 一方的なトップダウンが、破綻することは明らかです。
 そういう連中にかぎって、器量が小さい。周囲にイエスマン的とりまきを従えたがり、自分のやり方に批判的な者を容赦なく切れ捨てたがります。
 業績評価のシステムが暴走すると、権限にへつらうスタッフばかりが優遇され、何とも脆弱な学校組織しか生み出しかねません。
 そんな脆弱な組織で、今日の困難な「教育課題」を解決できるわけがありません。
 双方向な仕組みとは異見をつつみこんで合意形成をはかることです。
 職場の強固な連帯は、そこからしか生まれません。
 別け隔てなく、対等に、地道に、不断に努める。そのような姿勢をもつ器量の大きい校長が、果たして、墨田に何人いることでしょうか。
 
なかま
 これまで五回にわたり、「教員の人事考課」最終報告批判を行ってきました。
 胸中に去来したのは、,<仲間を信じるまっとうな心をもちたい>ということに尽きます。
 熊沢誠は、「能力主義と企業社会」(岩波新書)の中で、「働きつづけて行ける職場」に必要な三要素として、<ゆとり><なかま><決定権>をあげています。
 批判のしめくくりにあたり、熊沢が、同書で<なかま>について述べた箇所を引きます。

 『なかまとはなにか。仕事のなかではおたがいに助け合う。労働環境の改善には協力しあう。ある人の健康上、性格上の事情による仕事の不備を管理者の追求からかばい、その「事情」を事由とするその人への冷遇には一緒に抗議してくれるーそんな同僚たちがたしかに実在するとき、私たちは「なかまがいる」という。このなかま関係の実在がもつ意義は、集団労働の労働者にはもとより、単独作業のサラリーマンにも決定的だ。それは企業の論理によって協同するメンバーのある層が生活保障を失うことを防ぎ、経営者の意志によって「個人の事情」、ひいては個人の尊厳が踏みにじられることを防ぐ力の基礎である。「個の時代」なればこそ、特別の権力や才能をもつわけではない普通の労働者は、この力の基礎を危うくしかねない競争と選別の労務政策に立ち向かいたい。』

 非人間的な人事考課に対するたかいは、はるかな道のりになることでしょう。あらがう強靱なこころざしだけはもちつづけたい。



「自己申告・業績評価制度」導入を断じて許さない
学校・教員への管理体制強化が本質的ねらい

都教育長の私的研究会「教員の人事考課に関する研究会」(以下、「考課研究会」)は、三月三十日、最終報告書を発表しました。この報告書は、「これからの教員の人事考課と人材育成について」と題され、「能力開発型教員評価制度への転換」との副題がつけられています。
 同研究会は、この「報告書」で教員評価の方法として「自己申告・業績評価制度」導入を提言し、その結果を「@職務遂行能力の向上A自己啓発・職務改善B校内研修・校内人事C人事異動D管理職選考E給与」に活用すべきだとしています。
 これを受けて都教委は、「検討委員会」を設置し、早急に「自己申告・業績評価制度」を導入することをめざしています。
 この間、都教委は学校・教員への管理強化を図る姿勢をあらわにし、次から次へと攻撃を仕掛けてきています。
今、学校にとって、私たちにとって、子どもたちにとって、最も大切なことは、管理強化でしょうか。断じて「否」です。

任務果たした「研究会」
 同研究会の最終報告の基本的内容は、「@人事管理の動向は、国家公務員や都の行政職員においても、民間企業においても、成績主義・業績主義に基づく管理が主流となっており、教員についてもそれを進めるべきだA教員評価の方法として『自己申告・業績評価制度』を採用すべきだ」ということです。
 そもそも、この「研究会」に与えられた本質的任務は、「教員にも成績主義に基づく人事制度構築」と「成績率導入の条件整備のためにも都行政職と同様に自己申告・業績評価制度導入」の二点の結論が先にあり、そこへ向けての論理構築でした。「考課研究会」はその任務を果たしたと言うべきでしょう。

成績主義がもたらすもの
 成績主義に基づく人事管理とは、「評価制度」により成績(能力・業績)を評価し、それにより人事管理(給与、昇給、昇格、異動、研修)を進めるというものです。つまり、競争原理を基本とし、職員個々を競い合わせる管理方式です。
 教育現場にそれが持ち込まれる時、「これからの教員は、従来にも増して協働的な教育活動を効果的に組み立てていくことが必要」( )「現下の教育課題を解決していくためには、教員相互が連携して、組織的な協働活動を行うことが重要」( )と「報告書」自身述べていることとは逆に、協力・共働を破壊するものとして作用することは明らかです。

「新教員評価制度」提言の内容
 「報告書」が提言した「自己申告・業績評定制度」の内容は、次のようになっています。
@ 「能力開発型評価制度」とし、絶対評価
と相対評価を組み合わせ、「三段階を基本に五段階評価」する。
A教頭を第1次、校長を第2次評価者とし、地区教育委員会が調整者となる。
B評価者は随時授業を観察し、また学年・学級経営案・年間指導計画や研修計画を活用して評価を行う。「主任」にも参考意見を求めることが望ましい。
C児童・生徒、保護者等の意見を参考意見として活用する。
D自己申告制度の導入ー教員が校長・教頭と面接し、職務上の目標を設定。自己評価する際も面接し指導・助言を受ける。目標達成の度合い等を評価する。
E評価結果は、定期昇給・特別昇給・一時金などの給与、人事異動、校内人事、管理職選考、研修等に活用する。そのために、教育委員会が個々の教員の評価結果を経年的に整理・記録する。
F評価結果は教員本人に開示することが望ましい。苦情対応のしくみをつくることも必要。

競争原理に基づく管理強化
 この提言内容を一見してわかるように、「能力開発型評価制度」と銘打っているものの、その本質が競争原理を基本とした成績主義による管理強化にあることは明らかです。
 私たちは、「考課研究会」の「中間まとめ(九八年十二月)」について、「評価制度万能論」だと批判しました。「中間まとめ」は、「人事考課とその結果活用こそが、個々の教員の資質能力を高め、さまざまな教育課題を解決し、またそのための教育改革を進めるキーポイントだ」との論理を展開したからです。さすがにこの批判を気にしたのか、「最終報告」では「適切な人事考課に基づく人事管理を行うことは、教員の能力開発を進め、人材育成を図っていくために必要であるが、もちろん人事考課のあり方を改善するだけで、こうした目標が達成できるわけではない」( )と弁解しています。と同時に、その補充策として挙げているのは、教育委員会による経験年数別研修制度の充実や校内研修推進策策定や支援、地域と連携した教員の体験的学習強化、特定研修を受け資格取得した者への給与面での処遇措置などです。これらも、また自由な研究・研修ではなく、官製強制研修強化の役割を果たしてきたことを考えれば、そのねらいは明らかです。

管理強化のため、懸案の一掃めざす
 また私たちは、この「評価制度万能論」は、実は都教委が管理強化を進めるのに「懸案」であった問題に決着をつける上での「万能論」だということも明らかにし、批判しました。「研究会」の具体的提言内容には、新たな人事考課制度を通じて「懸案」に決着つけようとの意図が露骨に出ています。教頭の権限強化、「主任制」強化、校長・教頭による授業管理、校長・教頭による日常的指導態勢確立、学級経営案・週案等の提出強制、保護者などによる教員評価の制度化、給与の差別支給等、いずれも私たちの抵抗があり、都教委にとって「懸案」としてあり続けているものです。それらに、新人事考課制度を通じて決着をつけようとしています。そして、最大の懸案であった「勤評」の改悪、勤評体制確立、それにも決着をつけようというわけです。

成績率導入の条件整備もねらい
 さらに、教員に「自己申告・業績評定制度」を確立すれば、都の成績主義に基づく人事制度・給与制度一元化(全都職員を同じ評価制度の下で管理・支配すること)の総仕上げとなります。それはとりもなおさず勤勉手当への成績率導入の条件整備が整ったことを意味します。
 
今、大切なことー自由・自立
   その保障と条件整備こそ
 
 私たちは、こうした本質を持ち、教員を、その教育活動、身分、処遇等すべてにわたって支配・管理しようとする制度の具体化を認めることはできません。
 今、私たち、学校、子どもたちにとって必要なことは、さまざまな規制をはずし、自由かつ自立的な発想で教育活動をおこなう雰囲気と、それを可能とする教育条件、労働条件の保障・整備であり、管理強化ではありません。


週刊墨教組1227号 1999.1.21より連載

どこまで管理強化すれば気が済むの!

教員に業績評定導入、

それを処遇に反映をと

都教委「研究会」「中間まとめ

批判

 都教委教育長の私的研究会「教員の人事考課に関する研究会」は、「中間のまとめ(論点整理)」なる文書を、昨年十二月十七日に取りまとめ、発表しました。
 この中で、同研究会は現行の勤務評定にかわり「今日の状況にふさわしい評価制度を構築する必要がある」とし、新たな評価制度確立をめざすことを明確にしています。
 そもそもこの研究会は、発足の際に指摘したように、勤勉手当への「成績率」導入を進めるために、都職員で唯一「自己申告・業績評定制度」が導入されていない一般教員にそれを導入することをめざし、そのための方策の検討、大義名分づくりを進めようとするものでした。
 案の定、今回の「中間まとめ」も、その方向で整理されています。

能力・業績に応じた人事管理を
「中間まとめ」は、一章教員の人事考課についての現状と課題、二章教員の人事考課に関する基本的な考え方、三章これからの教員評価のあり方、四章今後の検討課題の四章構成となっています。
 「中間まとめ」は、その「まえがき」で、「国や民間企業、都における行政系職員等の人事管理の動向を参考にしながら、教員の職務の特性にも十分配慮しつつ、新たな観点からの検討を加えることが必要」と述べ、国・都や民間の動向からこの問題を考えることを明確にしています。 そして、第一章において、国・都および民間企業の動向について、「いずれも評価制度に基づき、能力・業績に応じた人事管理が重視されており、この傾向は強まる」としています。

新評価制度作り、それによる人事管理を
 そうした認識を示した上で、都教員の人事管理について、「給与、人事異動、研修の面から現状と課題を明らかにする」とし、それぞれについて次のような指摘をしています。
給与ー教員の給与体系は管理職にならなければ、生涯同一の級の中で昇給する「極端な年功処遇が特徴」
特昇について「現行勤務評定結果は昇給等に反映させない取り扱いになっているため、その実施のための個別評定が行われている。また、勤務年数によって平等に推薦・措置されるべきといった、制度の趣旨を全くはき違えた意識が残っている」
 人事異動ー「個々人の能力や適性に応じた人事異動を実施する必要がある。そのためには勤務評定等の定期的な記録が基礎になってなければならないが、現行の勤務評定結果を反映させない取り扱いになっている」 
 研修ー「校長の学校経営目標と教員個々の事故目標とが結びついた上で、教員の資質向上・能力開発等を見据えた校内研修の充実、活性化が必要。課題研修等への参加も、個人の資質能力の評価を踏まえた育成策の一環として、校内組織に位置付けられていくべきもの」
 これらの現状分析と課題指摘のめざしている方向は明確です。
 「給与、異動、研修のいずれをとってみても、能力・業績を評価し、それに基づき行うべきである。にもかかわらず、現状はそうなっていない。そうした現状を変えるためには、新たな評価(考課)制度が必要である。新評価制度を早急に作り上げ、それによる、つまり成績(能力・業績)評価に応じた人事管理(給与、昇給、昇格、異動、研修)を進めるべきである」
ということです。

処遇に反映できる新評価制度を
 これに続いて「中間まとめ」は、現行勤務評定について、「@昭和三二年に規則制定、以来四十年間改正されていないA評定結果について導入当時に行われた職員団体(組合)との話し合い等の経緯から人事異動、給与に反映させない取り扱いが現在まで続いている」の二点を問題点として指摘しています。さらに、管理職については「学校経営における業績を正確かつ客観的に把握し、評定し、その結果を任用、給与、千項等に反映させる自己申告制度を含む業績評定が、平成七年から導入されている」ことを指摘しています。
 その上で、現行勤評制度の課題として次の六点をあげています。
@校長の観察内容による評定であり、自己申告や自己評価の制度がない、教頭等を評定補助者とし意見を聞く制度になっていないため評定の客観性、精度に疑問
A 評定結果が本人に告知される制度でなく、校長が教員の育成課題を把握しても、教員に対する指導育成、モラールの向上に生かしきれていない
B評定が三段階の絶対評価で行われ、相対評価が義務づけられていないため、給与面の処遇への反映が行い難い
C評定結果が人事異動や給与に反映させない取り扱いになっている、また日常の指導育成に活用されていないことから、評定作業が形骸化している
D評定期間が九月から翌年の八月であり、年度単位の実績評定ができない。評定項目も見直す時期にきている
E評定者訓練も十分でなく、評定能力の向上が必要
 言うまでもなく、これらの課題指摘のポイントはBCです。他の理由は、BCを何とかするために、もっともらしく挙げているに過ぎません

 「中間まとめ」はこのように現状の分析、課題指摘をおこなった上でどういう評価(考課)制度が必要かの考察を行っています。
 しかし、こうした分析・課題指摘から出てくる結論はただ一つしかありません。いや、そうした結論を導き出すために以上の分析・課題設定を行ったと見た方が正鵠を得ているのでしょう。

週刊墨教組1228号 1999.1.28

 昨年十二月十七日、都教委教育長の私的研究会である「教員の人事考課に関する研究会」は「中間のまとめ(論点整理)」(以下「中間まとめ」)を取りまとめ、発表しました。そこに盛られた内容について、前号では、同研究会が現状分析、課題設定した部分(「中間まとめ」一章)について、紹介・批判を行いました。これに引き続き今号では、「人事考課(評価制度)に関する基本的な考え方(第二章)」、「評価のあり方(第三章)」について触れた部分を中心に紹介、批判を行います。

教育改革を実効あるものとするために
 
「中間まとめ」は、現在、学校教育はさまざまな課題を抱えており、それを解決するために教育改革が進められているとした上で、それを「実効あるもの」とするためには、「学校組織の活性化と個々の教員の意欲や資質向上が重要な鍵」だとの認識を示しています。
 また、「さまざまな教育課題解決に向けて具体的取り組みを推進し、成果を挙げていくためには、校長のリーダーシップが極めて重要であるとともに、個々の教員がその資質能力を高め、共同的な教育活動を組み立て、それぞれの役目を果たすこと、教員相互が切磋琢磨していくことが求められる」としています。

人事考課で学校組織の活性化を
 そうしたことを指摘したうえで、「中間まとめ」は、「組織において、その構成員の能力を最大限に引き出し、組織の目標を達成していくためには、構成員の業績、能力、適性などを客観的に把握、評価し、その結果を、人事管理に置ける
重要なツール(道具)として活用する中で構成員の資質能力の向上につなげていくことが必要」と一般論を展開します。
 そして、それを、「学校現場では、今日特に人事考課を通じて、学校組織の活性化を進めていく必要がある。それが、資質能力を高め、教育活動の充実をもたらし、社会的要請に応える結果を導く」とつなげています。さらに、そのための人事考課制度は次の二要件を満たさねばならぬとの論を展開しています。
・「教員の意欲的な活動が的確に評価されなければならない。校長等が改善を期待される点を見出し、教員の個性や得意分野をのばし、さらに研鑽を深めるべき分野について指導助言が行われる必要がある」
・「給与等の処遇面では評価の結果に基づいた適切な処遇を行っていくべきである。それが教員のモラール向上や学校の活性化につながる」 

人事考課(評価制度)万能論を展開
 こうして「中間まとめ」の論理をたどってみると、つまりは、「人事考課とその結果活用こそが、さまざまな教育課題を解決し、またそのための教育改革を進めるキーポイントだ」というわけです。
 これはまさに、「人事考課(評価制度)万能論」とも言うべき論理です。驚くべき短絡思考と言わざるを得ません。
 現在の教育課題を解決するために必要なのは、教員に対する管理体制強化ではなく、まず第一に学級定員減、人的配置の充実、さまざまな現代的ツールを活用し得る教育予算の増額等の外的条件整備です。同時に文部省を頂点とする行政によるがんじがらめの規制を廃し、個々の学校・教員の自由かつ創造的な教育活動保障が必要です。そうであるからこそ、後者については文部省でさえ、不十分ながらもそうした認識を示しているわけです。ところが、「中間まとめ」は、これらの点には全くふれず、「人事考課による個々の教員の評価とその活用」こそがキーポイントだと繰り返し述べることに終始しています。

新たな評価制度構築の必要性を強調
 こうして、教員の人事考課万能論の立場に立つことを明確にしたうえで、「人事考課改善」の具体的な方向性について「一方においては、個々の教員の資質能力の向上を目指す観点から、個々の教員の状況に応じて行うべき評価の方法と、他方において評価の結果を処遇に反映させる観点から一律の基準による評価の方法とをバランスよく併用して行く必要がある」と結論づけています。
 そして、その観点から見た時、現行の勤務評定は適切ではなく、「今日の状況にふさわしい評価制度を構築し、人事管理に活用していく必要」があるとしています。
 以上が、「中間まとめ」第2章に盛られている内容です。
 
評価制度で学校教育活動改善
 「中間まとめ」は続いて第三章で「これからの教員評価の在り方」として「教員評価の必要性と目的」「教員評価の内容」「評価の公正性・客観性を確保する方法」の三点について触れています。
 まず、「評価の必要性」について「中間まとめ」は、「学校教育の課題や教育改革に適切に対応していくためには、様々な教育施策を進めるとともに、個々の教員の資質能力やモラールの向上をはかることにより、学校全体の教育活動の改善を実現しなければならない。そのためには、教員の育成を重視した人事管理制度を構築する必要があるが、その基礎となるのは教員一人ひとりの職務遂行状況等について的確に把握するための評価制度である」としています。

「育成」と「処遇への反映」が目的
 続いて「教員評価の目的」について、次の二点を挙げています。
@「個々の教員の職務遂行状況を把握することにより、業績や努力等について評価するとともに、不十分な点、伸ばすべき個性や得意分野について指導育成の方策を見出すこと」
A「教員のモラール向上、学校の活性化を図るためには、業績や努力を処遇に反映させることが必要、そのための有効な判断材料を得ること」

驚くべき短絡思考
 「教員評価の必要性と目的」にふれたこの部分でもそうであるように、「中間まとめ」は繰り返し繰り返し「教育課題の解決、そして教育改革を進めるためには学校の教育活動改善・活性化が必要、そのためには教員の資質能力・モラール向上を図る必要がある、それには教員への的確な評価制度とその処遇への反映が鍵」という論理を展開しています。「教員の評価制度(評価とその処遇への活用を合わせたもの)」構築が学校の活性化、教育課題解決、教育改革を実現するという「評価制度万能論」です。
 同時に、これはそうした大所高所に立って評価制度を考えているのだというポーズを示すとともに、それほどに決定的な意味を教員の評価制度は持つのだという「錦の御旗」を掲げたいという政治的な意図もあるのでしょうが、その短絡思考には驚かされます。

週刊墨教組1229号 1999.2.10

 都教委教育長の私的研究会である「教員の人事考課に関する研究会」が昨年十二月に取りまとめた「中間のまとめ(論点整理)」ついて、その内容紹介と批判を連載してきています。
 今号では、「研究会」自身が「教員の職務は、教科指導、生活指導を始め広範囲にわたっており、また地域や児童生徒のおかれている状況も多様である。そのため教員の職務を評価する場合、評価の公正性・客観性の確保に関して困難な側面があることは事実」と率直に困難性を認めている「教員の評価制度」について、どういう論理構築をしているかを中心にみていきます。

「業績評価・自己申告制」導入を意図
 「中間まとめ」は、どんな内容で教員評価を行うべきかとして、次の四点を挙げています。

@評価対象となる職務範囲や評価基準を明確にし、それに応じた評価項目を設定すること
A評価制度の一環として自己申告制度を導入すること
B評価の内容として、結果に至るまでの過程を観察して評価に取り入れること(プロセス評価)
C業績や職務遂行能力を把握する手段としては絶対評価を基本とするべきだが、評価を処遇に反映させモラール向上につなげるためには相対評価でランクづけをする必要がある。

 ここに至り、どんな評価制度を考えているか明確になりました。「業績評価・自己申告制度」です。いや、この結論が先にあり、そこに向けてどう論理構築するかが、この「研究会」に課せられた任務であったのですから、当然と言えばあまりに当然の帰結です。それにしても、前号でも見たようにあまりの短絡思考を積み重ねてここにいたる論理構築、驚くばかりです。

教員評価の困難性を認めるが・・・
 「中間まとめ」は、次に「評価の公正性・客観性を確保する方法」についてふれています。
 まず「評価の公正性・客観性を確保することは、人事考課制度の根幹である。評価結果を資質能力の向上に生かす場合も、処遇に反映させる場合も、評価結果について本人の納得を得ることが望ましく、公正で客観的な評価が行われているとの被評価者の信頼感が重要」と指摘しています。そして、続けて「教員の職務は、教科指導、生活指導を始め広範囲にわたっており、また地域や児童生徒のおかれている状況も多様である。そのため教員の職務を評価する場合、評価の公正性・客観性の確保に関して困難な側面があることは事実」と述べています。
 「教員評価」の困難さを率直に認めていることは注目されます。

困難性は克服できると切り返す
 しかし、この認識は「したがって、教員の公正性・客観性ある評価は不可能」あるいは「したがって、教員の評価制度については慎重な検討・取り扱いが必要」といった否定的な見解に向かわず、次の四点のような「公正性・客観性を確保する工夫を行え」ば、克服できる(公正性・客観性持つ評価可能)との結論を出しています。
 予想される反応まであらかじめ考慮に入れ、その反論のための論理を構築しておこうということでしょう。「何が何でも導入」との姿勢がここにも見られます。


公正性・客観性持つための工夫列挙
 さて、公正性・客観性持つ評価制度とするために必要な工夫として挙げているのは、次のものです。
・自己申告と面接
@自己評価を含む自己申告や面接を取り入れることが有効。将来的には児童生徒や保護者の評価についても参考にできるように検討する。
・校長による授業参観、週案活用
A評価者(校長)自身による授業参観を特に重視。また、学年・学級経営案、週案、学習指導案の活用方法についても検討する必要がある。
・教頭を評価者や評価補助者に
B評価者に対する評価訓練や研修を十分に行う。評価者が校長のみでは負担が大きいことに加え、公正性・客観性確保の面で困難性があるので、教頭を評価者としたり、評価補助者の意見を参考にするなど、複数の評価者による多面的な評価を行うことを検討。
・ 評価結果のフィードバックを
C被評価者の指導育成のため、評価結果をフィードバックする必要。それを通じて指導育成や納得が期待できる。フィードバックのあり方、不服申し立てについて検討する必要がある。

評価補助者に教頭や主任
 「公正性・客観性持つ評価とする」という名のもと、教員に対する監視・管理を強めること(@A)、教頭の管理職としての権限強化をめざす一連の動き(「管理運営規則」改悪、「事案決定規程」等による教頭の権限強化等)の一環ともする(B)との意図が見え見えです。なお、Bの評価補助者としては、教頭、「主任」が考えられており、「主任」制の強化の意図も見られます。

すべては成績率導入に出発
 Cについては、「本人開示」の語は避けられているものの、それにふれており、注目されます。現在行政職(学校現場では事務・栄養職員)に行われている「業績評価・自己申告制」では評価結果の本人開示は行われていません。都労連は、そのことを強く批判し、評価制度の改善とともに本人開示を強く求めています。そのことをも意識し、また「教員評価の必要性」として「育成」を上げたこととの関係で避けられなかったものと見られます。しかし、最終報告ですっきりと「本人開示」が打ち出されるかどうかは、現在非開示である行政職評価制度との関係で疑問です。成績率導入のために、行政職の業績評価と見合わせて教員にも導入させようとのねらいですから、非開示の行政職評価制度と合わせて非開示との政治的判断が優先されると思われます。
 ことほどさように、この「教員の評価」問題は、教育問題、教育的意図からではなく、すべては成績率導入に出発し、そこへ向けての政治的判断が優先されているのです。  

週刊墨教組1230号 1999.2.17

 「教員の人事考課に関する研究会」の任務は、一般職員に「成績率」を導入する条件を整備するため、教員についても「成績率」の基礎となるランクづけを行う「評価制度」を構築する論拠を作ることにあります。


「最終報告」受け、導入強行の腹
「中間まとめ」は、第四章で、「今後の検討課題」として三点を挙げています。

@これまでの諸課題への対応
 関係諸団体からの意見聴取を踏まえて議論を深める。特に、教員の職務の特性に十分配慮した評価内容・評価基準について、さらに検討。

A評価の活用策
評価結果が、例えば各校における研修、校内人事等への活用策や処遇(給与、期末勤勉手当、昇給、特昇等)、昇任、異動等への活用策などについて幅広く検討。

Bその他の留意点
 評価者についての訓練、評価結果に対応した被評価者に対するフォローのあり方等、人材育成上の問題についても検討。


 現行勤務評定に代わる新しい「教員の評価制度」構築を前提とし、その内容・基準、処遇等への活用の仕方・方法を具体的に検討するというわけです。
 「研究会」は、その検討終了メドを今年三月末までとし、「最終報告」をまとめるとしています。そこで出される最終報告の方向性は、行政職に実施されている業績評価・自己申告制に対応した評価制度の導入・確立であることは、すでに明らかです。それを受け都教委は、「教員の新たな評価制度」導入を直ちに強行しようとすると見なければなりません。

「成績率」導入の条件整備
 教員にも「業績評価制度」をつくれば、すべての都職員がそれに基づきランクづけがなされることになります。一般職員に「成績率」を導入し、実施する条件が完全に整うことになるわけです。 
 「成績率」とは、職員の勤務成績を一定の集団毎に(行政職の場合は「課」毎、教員の場合は学校毎のように)「五段階相対評価」し、そのランクの低いものから勤勉手当の一定額を取り上げ、それをランク上位者に配分するしくみです。そうすることによって互いに競争させ、勤勉手当の一定額の奪い合いを仲間内にさせるというきわめて陰湿な管理手法です。導入を絶対に許してはなりません。
 私たちは、「成績率」導入を阻止するためにも、「教員の新評価制度」の導入に断固反対し闘います。

 

週刊墨教組1231号 1999.2.25

 「教員の人事考課に関する研究会」が昨年十二月に出した「中間のまとめ(論点整理)」の内容紹介と批判を連載してきています。
 この「研究会」の任務は、つまるところ都の一般職員に「成績率」を導入する条件を整備するため、教員についても「成績率」の基礎となるランクづけを行う「評価制度」を構築する論拠を作ることにあります。
 「中間まとめ」が構築した論拠は「人事考課(評価制度)とその結果活用こそが、さまざまな教育課題を解決し、またそのための教育改革を進めるキーポイントだ」という「評価制度万能論」とも言うべきものであることは、「批判A」で明らかにした通りです。
 今号では、この「評価制度万能論」の持つ本質的意味を考えます。

「論議の内容」から本音が見える
 ところで「中間まとめ」には、「第三章これからの教員評価のあり方」の部分にのみですが、「研究会」における「主な論議の内容」が載せられています。
 三章の組み立ては「1教員評価の必要性とその目的」「2教員評価の内容」「3評価の公正性・客観性を確保する方法」となっており、そのそれぞれについて「研究会」としての「まとめ(結論)」に続き「論議の内容」が付されています。
それを見ると、どのような論議がされたかある程度わかるとともに、「まとめ」部分ではぼかされている点について、本音を知ることができます。

公正性・客観性確保の名のもとに

・教頭の権限強化、「主任」制強化
 例えば、「3評価の公正性・客観性を確保する方法」の項の「まとめ」では「評価補助者の意見を参考にするなど、複数の評価者による多面的な評価を行う」とあり、「評価補助者」として誰を想定しているかはぼかしてあります。しかし、「論議の内容」を見ると「一次評価者や評価補助者として教頭や主任を活用することも検討する必要がある」との論議があり、これを受けたものであることが明らかになります。そして、また、「評価補助者」として「教頭・主任」を想定したものであることが明確になります。
 都教委が進めている「教頭の権限強化」「主任制強化」の一環としても、「教員評価制度」を「活用」しようとの意図が見えてきます。

・直接見定め、授業管理を強化せよ
 また、同じ項で「公正性・客観性確保の方法」の一つとして挙げている「評価者自身による授業観察を重視」「学年・学級経営案、週案、学習指導案の活用」についても、具体性に乏しい表現にしてあります。しかし「論議の内容」を見ると、前者については、「学校によっては校長・教頭が日常、授業を見ることが難しいケースもあるようだが、教員の評価を行う場合には実際に授業を観察することが基本であり、伝聞や風評ではなく直接見定める必要がある」としています。「公正性・客観性確保」の名のもとに、校長が「日常的に」授業を「直接見定める」、つまり「授業管理をきちんとやれ」に本音があることが明らかになります。

・週案等で職務実態を把握せよ
 後者については、「学年・学級経営案、週案によって、教員の日常的な教育活動についての情報を把握することが必要。そのことにより、より正確に職務の実態を把握することが可能となる」との論議があり、それを受けたものであることが明らかになります。ここでもまた、「教員評価の公正性・客観性確保」の名分のもと、「学年・学級経営案、週案」を出させること、それを通じて「職務の実態を把握」し管理強化するなどに本音があることが明らかになります。

・保護者からも「情報」受けよ
 さらに「公正性・客観性確保の方法」として挙げている「将来的には児童生徒や保護者の評価についても参考にできるよう検討」についても、「児童生徒や保護者の意見を評価に直接反映させるのは問題あるが、評価のための情報収集の一環として、授業参観の感想やアンケート調査の結果を用いて、教員の授業姿勢や児童生徒の学習状況を的確に把握する等の方策を検討」との論議を受けたものであることが明らかになります。「公正性・客観性確保」の名のもと、児童生徒、保護者からも「情報」を受け、管理強化するとの本音がわかります。

息苦しさ、増すばかり
 以上の点からだけ見ても、「新教員評価制度」は、教員に対する管理強化の道具として「活用」するためのものだということがはっきりします。「新教員評価制度」が導入された時、何と息苦しい事態が生じるか、想像するに余りあります。

懸案に方をつける攻撃の一環
 この間、都教委は、長年にわたる「都教委にとっての懸案事項」に一挙に方をつけようとの姿勢をあらわにし、次から次へ攻撃を仕掛けてきています。「管理運営規則改悪」しかり、「事案決定規程」しかり、「管理職選考方式改定」しかり、「夏季プール問題」しかり。そして、「教員評価制度」も懸案事項であり、それに決着をつけようとしているものです。


評価制度活用し懸案に決着つける意図
 同時に、この「評価制度」を「活用」し、他の懸案事項にも決着をつけようとの意図が明らかです。
 先に述べた「教頭の権限強化」「主任制強化」もそうです。また、校長・教頭による授業観察、週案等の提出、保護者などによる教員評価の制度化等の「懸案事項」にも、この「評価制度」を通じて決着をつけようというわけです。
 さらに、再三指摘してきているように勤勉手当への「成績率」導入という都当局の「懸案」にも、「教員評価制度」構築を通じて決着をつけようとしています。
 それらを通じて教員に対するさらなる管理強化を図るという一環して持っている「懸案」にも決着をつけようとしているとしか考えようがありません。

懸案に方をつける「万能論」だった!
「研究会」は「新評価制度」構築の論拠として「評価制度万能論」を展開しました。しかし、ここに至り「評価制度万能論」の本質が明らかになりました。これは、実は、種々の「懸案」に決着をつける上での「万能論」だったのです

週刊墨教組1232号 1999.3.4

どこまで管理強化すれば気が済むの!       
新たな「教員評価制度」構築、
それを処遇に反映をと
都教委「研究会」の「中間まとめ」批判
E

 「教員の人事考課に関する研究会」が昨年十二月に出した「中間のまとめ(論点整理)」の内容紹介と批判を連載してきています。
 前号では、「第三章これからの教員評価のあり方」の部分にのみですが、「研究会」における「主な論議の内容」が載せられていることを紹介しました。それを見ると、どのような論議がされたかある程度わかるとともに、「まとめ」部分ではぼかされている点について、本音を知ることができることも明らかにしました。引き続き今号でも「主な論議の内容」から、「中間まとめ」に示されている本音を探ります。

「論議の内容」から本音が見える
 「中間まとめ」の、「第三章これからの教員評価のあり方」の組み立ては「1教員評価の必要性とその目的」「2教員評価の内容」「3評価の公正性・客観性を確保する方法」となっており、そのそれぞれについて「研究会」としての「まとめ(結論)」に続き「論議の内容」が付されています。
 前号では、この内「3評価の公正性・客観性を確保する方法」の項の「論議の内容」を検討し、「教員評価万能論」の本質が「懸案事項決着万能論」であることを明らかにしました。
 今号では、1,2項にかかる「論議の内容」を紹介するとともに、必要な批判・検討を加えておきます。

指導育成目的に限定論も
 「1教員評価の必要性とその目的」の項で「中間まとめ」は、教員評価の目的として二点を挙げています。
 その一つは「職務遂行の結果挙げた業績、努力を評価するとともに不十分な点、伸ばすべき個性等について適切な指導育成の方策を見出すこと」であるとしています。ここでは指導育成のための評価を目的とすべきであることを強調しているわけです。
 この点についての「論議の内容」をみると、この点を重視、あるいはこの点に限定すべきだとの論議が見られます。
 「教員評価を目的からみると、総括的評価と形成的評価に区分することができる。学校の教育の改善向上につなげていくという点で形成的評価が重視されるべきだ。諸外国の教員評価の動向を見ても、それが主流であり、またそれは児童生徒にとっても意味のあることだ(形成的評価とは職務遂行能力を高めることに活用することを目的に、改善の期待される点を見出そうとする評価。総括的評価は評価の結果を処遇に結びつけるために一定期間の成績を総括する評価)」
 「『評定』という概念は、尺度づけや順位づけを行う目的で用いられる。『評価』という概念は、職務を行う中でつまずいたり、混乱状況に陥った場合に、適切な指導助言を与え、職務を達成できるよう導くことを目的で用いられる。教員については後者の概念を用いるべきだ」
 「教員の能力を開発することを評価の目的・内容にすべきだ」
 「日本では歴史的経緯から勤務評定・評価=マイナスという面だけ強調されてきた。評価は教員を育て、学校を良くするために必要な制度として教員、学校全体両方にとってプラスになるもの」

成績主義に基づく評価論
 第二の目的として「中間まとめ」が挙げているのが、「モラール向上や学校組織の活性化を図るために、業績・努力を処遇に反映させるための判断材料を得る」ことです。成績主義のストレートな導入が目的というわけです。
 この部分にかかわる「論議の内容」をみると成績主義、管理主義に基づく評価制度導入の必要性が、露骨に言われています。
「どんな世界でも成果が評価されるのは当然。自己評価、自己PRも仕事の一つであり、教員も例外ではない」「行政や民間企業でも人事考課はおこなつている。いかなる考課にも完全なものはない。しかし、それを人事管理に活用せず意欲・能力ある教員も不適格と思われる教員も全く同じように処遇するのは、資質能力や勤労意欲の向上に悪影響を与える」「税金で賄われている給与に見合った仕事をしているかをチェックする意味でも教員評価は行うべきだ」「教員の職務を考えると、厳しく自己評価するとともに校長や先輩・同僚、児童生徒、保護者等の評価を受け止め成長の糧としなければならない。教員には他の職業以上に職務に対する評価が重要」
 前者にかかわる論議に比して、論理性に欠け、感情的な論議が目立ちます。

指導育成は大義名分に過ぎない
 「中間まとめ」は、「評価の目的」とかかわる二つの論議を徹底することなく、二論を単純に足す形でまとめていることが、良くわかります。
 「教員評価制度構築、先にありき」で作られた研究会ですから、結論が先にあり、それにいかなる論拠を与えるかを論議しているのですから、こうした「まとめ」になるべくしてなったといえます。
 皮肉っぽく言えば、「指導育成のための評価」という大義名分を見つけられて良かったと思っていることでしょう。
 しかし、前者の論議(指導育成目的を重視、限定論)が強く出されたことは注目しておく必要があります。

教員評価の困難性論議多いのに
 「2教員評価の内容」の項で「中間まとめ」は、どんな内容で評価を行うべきかとして、次の四点を挙げています。


@評価対象となる職務範囲や評価基準を明確にし、それに応じた評価項目を設定すること
A評価制度の一環として自己申告制度を導入すること
B評価の内容として、結果に至るまでの過程を観察して評価に取り入れること
 (プロセス評価)
C業績や職務遂行能力を把握する手段としては絶対評価を基本とするべきだが 評価を処遇に反映させモラール向上につなげるためには相対評価でランクづけをする必要がある。


 これにかかわる「論議の内容」では、上記@に関しては、教員評価の難しさに言及し、評価項目を限定する必要性を説いたものが目立ちます。


 「従来、家庭や地域が担ってきた役割が、学校に求められており、児童生徒に対する学校の役割が無限定に広がっている。そのため、教員の役割や必要な資質能力についても限定できない。したがって、教員評価の対象としては、教員が最小限取り組む必要ある職務を職務内容事項として明示し、その範囲で評価する必要がある」
「教員の場合、ほぼすべての児童生徒にとって良い教員だったとしても、一人の児童生徒が、その教員が担任になったために重い問題をかかえてしまうこともあり得る。また、指導の効果を測定するにしても、効果がすぐに現れるとは限らず、測定が難しい。教員評価の内容を考えるに当たっては、こうした教員の職務の特性を考慮すべきだ」
「教員の職務範囲自体が確定できないので、学習指導、生活指導の面についての眼に見える範囲での評価を、三段階程度の絶対評価で行うのが良い」
「個々の教員に応じて、生活指導面だけ、学習指導面だけに力点をおいて評価を行う方法も、資質能力を育成するのに有効であると思われるので、画一的な評価項目と合わせて開発すべきだ」
 「一律にすべての面での資質能力を満たすことが求められていたが、教員の個性や得意分野がどのように発揮されたかについて評価できるように改善すべき」


 これらの論議は、教員評価の困難さについて、かなりはっきりと述べています。これだけ評価困難性についての論議が出ているのですから、もっと時間をかけて論議・検討すべきであるにもかかわらず、三月末には「最終報告」を出すという拙速主義。呆れたものです。

自己申告制にも懐疑論
 上記Aの自己申告制度についての論議としては、次の三点がのせられています。


「学校の場合、校長・教頭と個々の教員が定期的にコミュニケーションをとる制度がないので、面会機会をつくることにより、相互の信頼関係を構築、強化することができるだろう」
 「自己申告制は、被評価者が自分を良く見せるために容易に達成可能な目標を設定したり、易しいことを難しそうに書いたりする傾向も見られ、実効が挙がらない場合もある」
 「教員数の多い学校では校長が個々の教員との面接に十分時間が確保できない恐れがある」


 一点目を除いて、自己申告性についての懐疑論です。
 上記Bの「プロセス評価」については、「児童生徒の学力の変化を評価対象とするかどうかは意見が分かれるだろう。学力が向上した場合、担当教員の教え方によるものかどうか、学習塾の影響もあるため学力向上という結果だけからは判断できない。そこで、成果に至る過程を観察し評価に生かす必要がある」

「処遇に反映する」評価内容論議なし
 ところで、Cの「評価を処遇に反映」の部分については、「論議の内容」が全く出されていません。
 この項の「論議の内容」を見る限りにおいては、評価の困難性の論議がこれだけ出ている中で、「処遇への反映」など「以っての外」という結論が出てしかるべきです。しかし、「研究会」としての「まとめ」としては、処遇への反映のために「相対評価も必要」となるのですから、驚くばかりです。 

貫徹されている都教委の意図
 一体にこの種の「文書」は、行政官僚の作文を基にし、その審議会、研究会等の論議の中で若干の修正がなされて発表されるものです。したがって、結局大筋においては行政(この場合は都教委)の思惑通りに「文書」が作成されるわけです。そして、行政はそれがあたかも第三者機関の公正かつ客観的な「意見」であるかのように喧伝し、それに行政が従うというポーズをとって、実は自己の意図・目的を貫徹していこうとします。この「中間まとめ」、三月末の「最終報告」もまたその例外ではありません。

導入を許してなるものか!
 三月末に発表される「最終報告」のポイントは、「教員にも『業績評価・自己申告制』を導入し、それを処遇に反映させる」となることは、確実です。
 それを受け、都教委は「教員の新たな評価制度」導入を直ちに強行しようとするでしょう。
 六回にわたって紹介・批判したように「新たな教員評価制度(新勤評)」は、きわめて重大な問題点を含んでいます。絶対に許すことはできません。断固阻止に向けて闘う態勢を早急に構築しなければなりません。


 


教員の人事考課に関する研究会

 都教委が、九八年七月十日に、教育長の私的研究会として発足させた研究会。  

構成メンバー
 この研究会は、蓮見音彦和洋女子大教授を座長とし、つぎのメンバーによって構成されています。
 佐島群巳(東京学芸大学名誉教授)
 久保田武(駒沢大学講師・元都立羽田高校長)
 佐藤全(国立教育研究所・教育経営研究部長)
 高倉翔(明海大学副学長・副座長)
 松野康子(玉川大講師・前台東区立黒門小校長)
 出口純輔(持田製薬常務取締役ー管理担当)
 山脇康子(日本経済新聞社流通経済部次長)
 宮沢嘉夫(拓殖大学客員教授・元都教委指導部長)

人事考課のあり方・活用策検討を依頼
 研究会設置の趣旨について、都教委は「これまでの画一的、年功序列的要素の強い教員の人事管理を見直し、能力と業績に応じた人事管理を通じて、教員一人ひとりの特性や経験に即した人材育成を図って行く必要がある。この観点からすれば、人事考課の役割は一層重要性を増してきているところであるが、都における教員の人事考課については、勤務評定に関する規則が制定され既に四十年が経過しており、社会の変化や動向を踏まえ、今日的視点から、そのあり方や活用策を具体的に検討する必要がある」と述べています。
 そして、研究会への検討依頼事項として、「@教員の人事管理における人事考課に関することA教員の人事考課を活用した人材育成の方策に関すること」の二点を上げています。


(注)
 考課ー「@律令時代の官人の勤務評定。各官庁の朝刊が毎年部下の勤務成績を上上から下下までの九等級に判定し、上申したA軍人・官吏・学生等の功績・操行・学業、または会社などの営業成績を調べて報告すること」(「広辞苑」)
 人事考課ー「従業員の能力や勤務成績を判定すること。給与査定や人事決定の資料となる」(「広辞苑」)



短期間でまとめようとの拙速主義
 「研究会」は、七月十日に発足以来、八月二六日、九月二九日、十月二三日、十一月二七日、十二月十七日と六回の研究会を開催し、十二月十七日の研究会で「中間のまとめ(論点整理)」なる文書をまとめ、発表しました。以後、「各方面からの意見を参考にして論議を深め」今年三月末を目標に「最終的な報告」をとりまとめたいとしています。かなりの拙速主義であり、来年度からの「成績率」導入を視野に入れていることが、このことからもはっきりします。

「成績率」導入を視野に入れた動き
 この研究会設置の目的は、勤勉手当への「成績率」導入を視野に入れ、教員にも現行の勤務評定にかえて、自己申告を含む業績評定制度を導入しようというものであることは明らかです。教員への業績評価制度導入のための準備作業を進めるための研究会と言えます。
 この「研究会」のように、「学識経験者」なる者を集めた第三者機関に諮問した形をとり、あたかも客観性・科学性をもったかのようにして新しい制度の導入を強行するのが、行政の常套手段です。この「研究会」もその例外ではありません。
 「中間まとめ」「最終報告」を錦の御旗として一挙に導入強行をめざす算段とみておかなければなりません。